久しぶりに静岡の掛川市を訪問しました。
前回は故榛村純一(元市長)さんのお別れの会のときだったとしたら5年ぶりでしょうか。
新千歳から静岡空港行きの飛行ルートって、北海道から新潟上空へ向かいそこから北アルプス~中央アルプスを南下して富士山を左に見ながら一度太平洋に出ます。
そしてそこから大きく左に旋回して今度は富士山を右に見て牧之原の高台に着陸。
北海道は雨で大変な荒天でしたが静岡は晴天です。
実は朝の札幌では通勤のバスの中で突然何人ものスマホから警戒音が同時に発せられました。
原因は北朝鮮の弾道ミサイル発射の警戒情報でしたが、そのため市内の地活手や鉄道は緊急停止する大騒動。
掛川の友人たちは、「これは飛行機が止まってしまって掛川には来られないのじゃないか」と心配したそうですが、空港は何の影響もなく無事に離陸できたのでした。
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静岡空港では古い知人のKちゃんが迎えに来てくれました。
空港に降り立った後は何件か訪問の予定を作ってあったのですが、一番初めは日坂の事任八幡宮へのお詣り。
私の掛川ライフはここから始まったと言っても過言ではない、遠州一之宮にして「願い事の叶う神社」で知られています。
車中で「宮司さんやお世話になったお母さんはお元気かな」と言いながら駐車場に車を停めるとちまさにちょうど坂を上ってゆく姿が見えました。
声をかけるとびっくりされて「あれー、どうしたの?」「今会えるかな、と話していたんですよ」と再会を喜び合います。
息子さんの宮司さんにも会えて、やはり願いが叶う神社なのでした。
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その後は友人や知人を訪ね歩いたりわが社の現地工場に挨拶に行ったりとタイトなスケジュールで市内を移動。
そんな移動の途中で、Kちゃんが「小松さん、榛村さんのところのお墓今入は行かないの?」と言い出しました。
「うーん、事前に連絡してないし、お墓がどこにあるかもわからないしなあ」と言うと「わかった、じゃあ息子さんにお墓がどこか訊いておくわ」と、私が挨拶をしている間にお墓の場所を聞いてくれました。
「お墓がどこにあるか分かったよ。どこかのお寺じゃなくて、屋敷の敷地の中に先祖累代のお墓があるんだって。息子さんのお嫁さんに伝えておいてくれたから行けば案内してくれるって」
さすがはKちゃん、墓参りに行く途中で自宅によると奥さんが花とお線香を用意しておいてくれました。
榛村さんのお家に着くとちょうどお嫁さんが外のお掃除をしているところで、ご挨拶をすると「お待ちしていました」とお墓まで案内してくれました。
生前の榛村さんは、市内を巡るときにふとおもいついたように「そうだ、〇〇さんんところへ寄ってくれ」とアポなしの飛び込みで市内の人の家に飛び込むことがよくありました。
「選挙の時だけ戸別訪問をして『よろしく』なんていう人がいるけど、人のお宅の訪問なんて普段からやっておけば世間のことがいろいろとわかるしその方がいいのになあ」と笑う姿が思い出されました。
そんなことがあったので、「突然訪問が得意な榛村さんだったからお墓参りも飛び込みでいいよね」と笑いながらお墓にお参りができました。
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そんなこんなで急ぎ足で市内を巡ると、夜は掛川を離れる18年前まで一緒にまちづくりや地域活動をしてくださった皆さんが集まってくれての宴会です。
懐かしい顔、顔、顔。
いろいろと話をする中で、私自身が18年前に榛村さん直伝の生涯学習観や私なりの報徳思想観をもって掛川を離れたので私自身は全く変わっていないこと。
しかしその一方で掛川市自体は一市二町の合併があったり市長の交代があったり、まちづくり思想の変化もあったりと少しずつ町のありようも変わってきて、そこに私の思いとの差があることが強く感じられました。
「そうだよね、皆変わるんだよね。僕の中がもはやガラパゴスなんだなあ」
当時一緒になって一生懸命に支えてくれた市の職員たちも多くは退職して現役で私を知っている方なども数少なくなりました。
(人の心や営みは変わっても、変わらないのはお城の姿だよな)
そう思って掛川城を見ると、なんと外壁補修の工事が進められていて白亜の姿を拝むことはできませんでした。
夜も遅くまでちょっとおしゃれになった掛川のまちなかで楽しい語らいが続きました。
心のふるさと掛川です。