北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

何事も上手になるためには100回が最低限

2022-10-23 23:56:41 | Weblog

 

 先日の鮭釣り。

 幸いなことに小さながらもメスが一匹釣れたのでイクラも少し手に入りました。

 早速妻にイクラの醤油漬けを作ってもらって、今夜は焼き鮭とイクラご飯です。

 釣り兄貴のGちゃんは、酒を釣った時にすぐにエラを切って血抜きをしてくれていたので、鮭の切り身も美味しくいただけます。

 魚って一匹丸々捌いてみると、骨の構造とその周りにどんな形で実がついているかがよくわかります。

 まだまだ魚を捌く腕がないので骨に実が付いたままの部位も多く、残念な思いがします。

 こればかりは場数を踏まなくては上達は無理です。
 

     ◆


 私は物ごとがある程度できるというレベルに達するためにはおよそ100回は場数を踏まなくてはならない、と思っています。 

 魚を上手に捌こうと思ったら100匹は捌かないといけません。

 魚を上手に釣りたいと思ったら、100匹は釣らなくてはいけません。

 キャンプも上手になるには100回は行かなくてはなりません。

 遊びでも勉強でも同じようなもので、もしこのことにもっと若い時に気がついていたら、勉強なども同じようなことを地道に繰り返すしかない、ということが身に着いたのではなかったか。

 いくら悔やんでも過去は変えられないことなので、未来に向かって自分を変えるしかありません。


     ◆


 ある方の文章で、「幼い時に身につける一番大切な素養は一つのことに集中できる集中力だ」というものがありました。

 そして、「集中力の正反対で大敵なのが『マルチタスク』という考え方だ」とも。

 マルチタスクというのは、次々に気を散らせながら物事を進めるやり方で、その典型はスマホでネットサーフィンをすることでしょう。

 一つの記事を読んではまた次の記事に関心が移り、それが終わればまた次に…、という脳の使い方は、集中して読書をするとか、集中してアウトプットをするという事の妨げになるというのです。

 マルチタスクというと聞こえが良いのですが、それでは集中する癖がつきにくくなります。

 じっくりと回数を重ねて、できれば気がついたことをノートにとって見返しては反省をするという積み重ねがあれば物事はきっと上達してゆくに違いありません。

 耳が痛いことですが、備忘録的に書き記しておきます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする