本州からお客さんが来て夜に懇親会。
よもやま話の中で、その方は名古屋がご出身とのこと。
「北海道は一年ぶりですね」とのことで、「北海道にいれば美味しいものがたくさん食べられるんでしょうね」とタチの天ぷらを「旨い旨い」と言って大喜びでした。
話の中で、「名古屋にいてもデパートで『北海道物産展』となると、もう混雑がすごいんですから」と、北海道の産物が人気なのだと力説します。
「北海道物産展って何が売っているんですかね」と試みに聞いてみると「〇〇とか××とか…、そうそうお米も美味しいですからね」と北海道のお米の銘柄を言ってくれました。
ただ私自身はその銘柄は好きではなくて「それって粘るけど味がしない感じがして、私は別な銘柄のお米が好きですね」と言うと、「例えばどんな銘柄ですか?」と来る。
「△△が美味しいです。蘭越産などは特に」
「ははあ、聞いたことがありませんね。名古屋にまでは届かないのかなあ」
地元が納得する真に美味しいものって、そうそうどこにでも行き渡ることなどないのだな、と。
本当に美味しいものは地元だけが理解していれば良いのです。
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そういえば以前愛媛の松山に旅行した際に、ふらりと入ったお城近くの小さな八百屋さんで、一山300円と言うそれまで見たことのない柑橘を買いました。
ホテルについてからそれを食べてみたところ、まあ美味い。
みずみずしくて甘さもたっぷりで、(こんなミカンは見たことがない)と妻と大感激したことを思い出します。
そしておそらく松山の人たちはそんなミカンは日常的で珍しくもないので気にもしていないのかもしれません。
ある講演会で講師が「自分の身の回りにあるものを、人はしばしば過小評価するし、また同時にしばしば過大評価するものです」と言っていたことを思い出しました。
「そんなの大したものじゃない」という過小評価がある一方、「うちのこれはすごいでしょ」という過大評価もあり得る。
自分を客観的に眺めるのは難しい。
よそ者の目というフィルターを通せば、本当にすごくて自慢すべきなのか、そうでもないのであまり自慢しすぎないほうが良い、ということのアドバイスをもらえるかもしれません。
本物に出会おうと思うとその場所に行かないといけなくて、それだけに旅はやはり良いものなのです。
本物に出会うように努力しましょう。