中学校時代のクラス会が開かれ、旭川へ行ってきました。
その年代全体の同窓会ではなく、中学校を卒業したときの3年8組のクラス会です。
卒業してからもう49年になるのですが、ほぼ2年か3年おきに開催されてきました。
確か卒業時のクラスの人数は45人くらいだったと思うのですが、今回は14人が参加、しかも今回は当時の担任だったK先生も駆けつけてくださいました。
こんなに続いているのにはいくつか理由がありますが、一つはやはりクラス全体の雰囲気が良かったこと。
「クラス全体の団結力が強かった」という友人もいますが、クラスの中には男子も女子もいくつかのグループがありました。
ただそれでもグループ同士の仲は悪くなくて、クラス対抗の催しなどがあれば団結して事に当たっていたように思います。
二つ目には「永代幹事」がいること。
中学校って卒業すると進学や就職で故郷を離れてしまっていつしか音信不通になってしまうということが多いでしょう。
そして「クラス会をやろう」という声出しをする言い出しっぺの中心人物がおらずに会は開かれない、と。
ところがうちのクラスには地元旭川のお寺の後を継いだお坊さんがいて、彼は転勤してどこかへ行くこともなくずっと地元旭川におり、またパソコンが得意でクラスの住所録の取りまとめ役にもなってくれたことが非常に幸運でした。
そこでお寺のお墓の「永代供養」になぞらえて彼を「永代幹事」と呼ぶことになりました。
2、3年に実際に開催されるときの幹事は地元に残っている男性、女性が一人ずつ指名されて会場の手配などはやるのですが、永代幹事と言う扇の要があることで住所録の管理と継続的な開催の機運が継続されてきたことは重要です。
また敢えて付け加えると、永代幹事がお坊さんという事で人のネットワークや関係性と言うのは大切だ、という基本的な価値観に揺るぎのないことはとても大切な要素であるように思います。
◆
そんなわけでコロナが心配されながらも開催されたクラス会。
開会あいさつの後に、当時の担任のK先生にご挨拶をお願いしました。
K先生は「しゃべりだして時間が分からなくなったりすると迷惑なので、ここ最近思ったことや近況などを手紙にしたので、後で一人ひとりに差し上げますね」とA4サイズの紙が3枚に渡る手紙(全部同じもの)を全員に渡してくださいました。
先生は我々の丁度20歳年上で、卒業したときで35歳だったはず。
今の35歳ならまさに自分の子供の年代ですが、当時はものすごく大人に見えたものです。
そんな20歳上、ということは今は84歳になられた先生が、自分でパソコンを打たれて文章を作られていると聞き、また「スマホもアンドロイドを使っているよ」とも教えられて、皆「すごいなあ」と感心。
宴会が始まってから参加者が一人ずつスピーチに立ちましたが、なんと先生は一人ひとりが話す話題をメモされていました。
参加者には卒業後に中学校の先生になり校長まで務めた同級生もいるのですが、「先生メモしてたよな、すごいなあ、俺はあそこまではできないかな」と感心することしきり。
先生はいつまで経っても先生なのでありました。
◆
とはいえ、会話の内容は次第に病気、薬、親の世話、お墓…と、年代を感じさせることが多く、お互いに歳を感じさせるものでした。
それでも昔の思い出や、当時の思わぬ秘話にも触れたりして懐かしくもあり、根性の人生の縁と繋がりを感じる素敵な時間が過ぎてゆきました。