北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

生涯学習で私が変わった5つの点

2013-11-20 22:56:14 | Weblog

 先週、掛川市議会の議員さん数名が道内視察のついでに札幌に立ち寄るとのことで、夜会食をする機会がありました。

 掛川を離れてから約10年が経過して、当時も議員だった方は今回は二人。市議会の中にももう数人しかいなくなったそうです。

 若い議員さんもいれば新人さんもいて、さらには合併後の地域から選出されている議員さんたちと今の掛川市の話題について大いに盛り上がりました。

 私が思う掛川の魅力というのは、掛川城だったり茶の里だったり、東海道五十三次の掛川宿という歴史だったり、さまざまにありますが、元々あったものではなく、自ら作り出して物として『生涯学習運動』を上げないわけには行きません。

 掛川の生涯学習は、何度も書いているようにただ『高齢になっても読書をしたり芸術に親しむ』というような文科省が言うような学習ではなく、自分と外をしっかりと考え哲学し、そして"関係してゆく"という強い前向きな生き方だ、というのが私の理解です。

 しかし、この日の議員さんたちとお話をしていても、生涯学習に対してそれほど深い感慨と価値は必ずしも感じてはおられないよう。

 地元には、もう旧掛川市の生涯学習と言っても過去の話題なのかもしれませんね。

 
   ◆   


 私が掛川の生涯学習を高く評価しているのは、まさに私が生涯学習で、そして"関係していこう"という前向きな考え方で自分自身の人生が変わったからです。

 掛川の生涯学習と縁ができなければ私は考え方が変わることがなかったでしょう。

 そこで改めて、生涯学習で私の何がどう変わったかを整理してみると5つにまとめられました。私が変わった5つの点というわけです。

 まず最初は、「1.ブログという形で情報発信をする気になった」ということ。

 最初は家族への『掛川で元気だよ通信』でしたし、毎日書き続けることができるかも不安だったのですが、掛川のまちづくり情報の記録になることに気が付き、毎日書ける自信もつきました。

 そしてこういうことが実は生涯学習の一つの側面だと気が付いてからは、生涯学習を自ら率先垂範する意味もあって続けることができています。

 こうした情報発信を続けていると、私自身の生き方も考え方もあからさまになっていきますが、それを覚悟の上でないと情報発信などできない、とも思うようになりました。

 また、飽きられないように自分自身が多様なテーマを持つように努力をするようにもなりました。生涯学習のお陰です。


 次に、「2.知らないことを知ろうとする道を歩むようになった」ということがあげられます。

 榛村元市長さんは、実に気さくにいろいろな人にものを訪ねました。スローライフを世に出した時には、女子中高生にまで「あなたはスローライフと聞いたら何を思いますか?」なんて訊いていました。それが彼なりの世間からの情報収集だったのです。

 「知らないことを知ることは絶対善だ」と思うようになり、人に話しかけるのが平気になりました。

 また道に迷った時は、あえて知らない方の道を歩いてみようと思うようになりました。知っている安全な方を選ばずに、敢えて知らない道を歩んでみようという前向きな生き方に変わったのです。

 
 三つ目は、「3.本を書く気になった」ということです。

 榛村さんは、「一年に一冊本を書くのは市長としての責任であり義務だと思っている」と言っていましたが、それはとても精神力のいることです。

 私の場合は、ブログを毎日書くことで、3年もたてば千本の原稿が出来上がるのでそれをベースにすることができました。

 掛川と釧路では一冊ずつ本を書きましたが、基本的な構造は2,500文字×40編=10万字というもの。

 新しい場所へ転勤した時は新鮮な見方ができて、日々得られる感動が文字として積み重なって行きますが、こうして出来た千本の原稿をベースにして、40編に刈り込んで行けばよいのです。
 
 一遍2,500文字というのは、ちょっと頑張れば読み切れる分量でこれ以上短いと意味が伝えにくくなり長いと読むのに疲れる人が増えます。

 40編という本数があれば全部で6つくらいのテーマにまとめることができてある程度バラエティに富んだ内容にできます。

 そして逆説的ですが、この本を書く作業を通じて私自身、「生涯学習とは"関係する生き方だ"ということにたどりついたのです。

 苦労はしますが、確かにその苦労のし甲斐はありました。

 

 四番目は、「4.知ろうとすることのために記録を取るようになった」ことが挙げられます。

 榛村さんは良く、「政治が悪いのは、消えてしまう言葉で唱えるばかりで、それを文字の形で残そうとしないことだ」と言っていました。

 講演をするときも、ただ良い気分の時間が過ぎるのではなく、何かが残るようでないといけない、として必ず話の内容をまとめたレジメを作って渡してくれました。私の講演もレジメは榛村流です(笑)。

 そして旅行や趣味でも記録を取って残すように心がけるようになりました。

 移ろい消えてゆく記憶や感動、行動の記録なども取っておくことで後で役に立つデータになるのです。これがブログを書き続けるエネルギーにもなっています。
 

 そして最後に、「5."今生の命"を思う」ようになりました。

 縁ということも感じるようになりましたが、たった一度のこの命を使って知らないことを知ろうとし、それを発信し続けてみよう。

 世の中の原理や真理というものにどこまでちかづけるのだろうか、ということが日々のテーマになりました。たった一度の命を使ってやれるだけのことをやってみようと思うようになったのです。

 単なる学校で習うような知識を増やすのではなく、それをベースにして自己を高めるような努力を続ける生き方が良いと思うようになりました。


   ◆   ◆   ◆


 これが私自身がそれまでと変わった5つのことがらです。私は変わってよかったと心底思います。

 命の使い方が少しわかったような気がするからです。

 今掛川の人たちはどうでしょう。生涯学習を過去の出来事にするにはあまりに惜しいと思います。

 
 今度月末に掛川でスローライフの講演をすることになっています。そうだ、これも話のネタにしてみようと思います。

 ものの価値はよそ者の方がよくわかっているかもしれません。 私には生涯学習に大恩があるのです。

 

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私流、プレゼン四つのコツ

2013-11-19 23:37:29 | Weblog

 時々人前で話をする機会があって、日頃から上手なプレゼンとは何か、ということを考えています。

 ネットでもプレゼン向上術についてはいろいろな情報があって勉強になりますが、実際はやはり経験が大切で回数をこなしながら経験値を上げていくほかはありません。


 そこで私なりに納得している上手なプレゼンのためのコツをメモとして書き留めておこうと思います。


【1.話す内容はかたまりと小ネタの組み合わせで考える】
 まずは話す内容の構成を考えるのが最初ですが、考えなくてはいけないことは与えられた時間との兼ね合いです。

 たくさん時間をもらえるのは嬉しいのですが、まとまりとリズム感がないと、だらだらとした話になって、聴いている人が飽きてしまいます。まずは大きなかたまりとして、時間内にいくつのかたまりの話ができるかを考えます。

 テーマが決まっていればそれに沿って、また「テーマは何でも良いです」ということならば、プレゼン時間が30分で3つくらい、1時間だと4~5つといったところでしょうか。余りかたまりを多くすると一体何の話だったかが分からなくなるので、それくらいにまとめるように考えます。

 次にはそのかたまりにいくつのネタを用意できるかを考えますが、その場合のネタとは、一話が3~5分で話せるくらいの小話にまとめておきます。

 プレゼンとはつまり『一話5分程度の小話の積み重ね』というのが私の理解で、1時間のプレゼンということは、つまりは5分×12話ということにすぎません。
 話をしていて少し脱線することもありますが、そんなときも一話3分のネタを1つ2つ追加する、というイメージです。

 ですから話をする時は普段から3分でまとめられるような小話として話す練習をしておくと良いのです。

 この小話を100や200、いやいくつでも持つことが余裕のある上手なプレゼンのための資産となるでしょう。
 
 そしてそのためには本を読んだり人の話を良く聞いたり、現場を数多く見て自分なりの思索を深めておくことが必要です。そこに驚きや共感など自分なりの感動がなければ興味を持たれる話にはならないわけで、感動という視点で普段から物事を考える癖をつけるのが良いと思います。


【2.パワーポイントのスライドを使う】
 かたまりとあらすじから話す内容が決まれば、箇条書きにして書き出すことでパワーポイントのスライドを作ることができます。

 とくに図や表、写真などを入れると大いにイメージが伝わりやすくなるので、大いに使い方に慣れておきたいものです。

 スライドを使ったプレゼンで注意したいのは、時間のコントロールです。スライドを作ってしまうと、それに沿った話しには都合がよいのですが、脱線がしにくくなります。

 私の場合はスライド一枚では大体2分程度の話で計算して次へ進みます。これより短いとせわしない感じがするのと、長いと冗漫になる感じ。

 聴衆がスライドを見て内容を理解した頃には次へ行くというリズム感は案外大切です。

 全体時間のコントロールのために私は、全部のスライドを1シートに9枚くらい入る印刷をしておいて、一枚ごとに1分~3分と時間を割り振って、このスライドが終わったところで何分経過する、という目安をたてておきます。

 そして話をしながらときどき時計を見て、早すぎないか遅すぎないかを事前の予定と合わせながら調整します。時間調整は細かくやるほど、微調整がしやすくなるので、一枚ごとに終わり時間を決めておくのはとても有効です。


【3.寝てしまう人の対策】
 残念ながらどうしても話の内容に着いてこられなくて寝てしまう人が出てくることがあります。

 時々笑えるネタを入れたりして全体の緊張と笑いのバランスを取るように心がけてはいるのですが、どうしてもそういう人が出てくることがあります。

 寝る人が増えると会場全体が黒っぽくなるので分かります。

 会場が黒っぽくなるというのは、顔をこちらに向けているはずなのが、頭の髪の毛がたくさん見えるようになるからです(笑)。

 話している最中にもしそういうことが起きたら、話ているネタは短めに切り上げてしまいます。そして、あえて押し黙る沈黙を長く取って、聴いている人たちが(あれ?一体どうしたんだ?)と一瞬緊張してざわつくような時間を作ります。

 すると寝ていた人たちも「おや?何か様子が変だぞ」と目を覚まします。そうしたらやおら次の小話に切り替えて会場の気分をリフレッシュするのです。

 少し寝てくれるとちょっとした眠気が取れるものなので、目を覚ました瞬間に興味深い話で惹きつけることができればまた会場の空気はこちらのものになります。

 ここ一番で誰もが笑うとか惹きつけるような鉄板ネタを用意しておくと良いでしょう。


【4.話し方の工夫】
 さて、話し方で言うと、マイクを使ったとしても壇上で話をするときは腹筋を使って朗々と発生しなくてはなりません。

 これは息をしながら話したり原稿を読み上げるのとは全く違うので、大きな声で長時間話すことは発生練習が必要です。

 また、伝えたい大事なことは声の高さを上げることが効果的です。テレビショッピングの「ジャパネットたかた」の高田明社長が商品を紹介する時はまさにそのとおりです。

 アピールしたい度合いで声の高さと強さを上げているのは実に上手だなあと思うのですが、実際、高田社長などはあのプレゼン一本で実際に商品を買ってもらうわけですから、上手の極みなわけです。

 プレゼンが上手だと思う人の様子を見て、効果的なポイントを見つけてそれを真似るということは上達のための近道です。


 小ネタの作成は、導入から落ちまでを3分~5分にまとめたものをたくさん作っておくと、飲んだ席などでのコミュニケーションづくりにも役に立つでしょう。

 プレゼンの練習と思って試してみてください。

 プレゼンのコツはまだまだあるのですが、今日はここまで。

 

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袖すりあうも多生の縁なり

2013-11-18 23:34:41 | Weblog

 年に一度のペンションお掃除ツアーを終えて、無事に我が家へ帰還。

 今やこの時期の恒例となったボランティア企画ですが、参加メンバーを代えながらなんとか続いています。

 このイベントが終わると妙高は冬のスキーシーズンに突入です。

 参加者は最初のうちはオーナーと直接の友人だけだったのが、次第にその友人、同僚、仲間、家族と範囲が広がって来ました。

 参加してくれる人たちには最初のうちは、狭い友人関係と義理人情から。それが次第に、ペンションの魅力、オーナーの魅力、誘ってくれる友人の魅力そして掃除をする体験の魅力などにいろいろと気が付いてきました。

 一年にたった二日間だけのイベントですが、毎年必ず行われてここで会える人たちがいるというのは考えてみたらすごいことです。

 たった半年一緒に仕事をしただけで一生親友でいられる友達もいれば、3年間一緒にいても、今どこにいるか分からない人も沢山います。

 そしてそうしたことは全て不可思議な"縁"なのかな、と歳を取るにつれて思うようになりました。

 期待されていることがあれば、それに応えられるうちが花ですね。


   ◆   ◆

 
 さて年賀状の季節が近づいてきました。

 もう何年も会えなくて、年に一度のハガキだけでわずかにつながっている友人も数多くいます。

 一人一人の顔を思い浮かべながら、まずは住所整理から始めましょう。

 お掃除ツアーが終われば私も冬の準備が始まるのです。

 

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奥にあり~心にしみるキャッチ

2013-11-17 23:45:21 | Weblog

 改正の妙高高原。ペンションの後ろには雲一つない青空をバックにした妙高山が美しい姿を見せてくれました。

 この週末は、雪化粧が残るものの道路の雪は融けて交通に支障はなく、おまけに快晴で暖かい週末となり、まさに絶好の掃除日和。次に寒波が襲来するころにはもう一面銀世界となり、そのまま冬に突入することでしょう。

 きれいになったペンションに多くのお客様を迎えてほしいものです。


   ◆   


 ペンションの焼き立てパンによる朝食を済ませると、記念写真を撮ってからそれぞれの車に乗ってお別れ。また来年もここで会いたいですね。

 私は東京から来るときに乗せてもらった車にそのまま乗って、観光で戸隠方面へ向かうことにしました。まだ行けていない、戸隠神社の奥社へお参りをしたかったのです。

 実は数年前にもこの掃除ツアーのついでに戸隠観光をしたときにも奥社を訪ねたことがあったのですが、こちらの奥社はなんと駐車場から2キロも坂道の参道を上るという大変なところにあります。

 さすがはかつて修験道が栄えたところだけあって、お参りが修行のような様相で、案内の看板には片道40分と書かれています。

 そして前回来たときは、なんともう一人の友人とともに途中で激しい尿意を催して(笑)、参詣を断念したという苦い思い出があるのです。

 今回は事前に十分に体調を整えて、参道をひた歩きました。

 参道は、数日前に降った雪がいたるところで圧雪状態で不安定な足元ながら一歩一歩歩んでゆきますが、途中にある樹齢400年になろうかという見事な杉並木には目を奪われました。

 参道の最後は石の階段になっていよいよ急になってゆきますが、お宮の後ろの戸隠山の姿が大きくなり、頂上の鋸のような急峻さが間近に見えてきて、元気が出ます。


 歩くこと40分で、ようやく奥深くある戸隠神社の奥社に到着。ここは、室町時代あたりから、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が古事記にある天岩戸を放り投げたところこの地に飛んできたという伝説が広まったのだといいます。

 そのため神社の御祭神は手力男命ということになっていて、開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳があるとされておりますよ。

 無事に神社のお参りを済ませて、一度は来たかったという心願成就が果たせて感動もひとしおです。


   ◆   


 さて、少しは楽な下りの参道を降りてきたころにはちょうどお昼時。

 ここまで来たなら戸隠蕎麦を食べなくては、ということになりましたが、どこにしようか、と悩むこともなく、全員が参道を上るときから気になっていた看板に心を奪われていました。

 その看板とは道路の脇に立てられているあまり目立たない看板でしたが、そこには、お店の名前の横に、「美味しいそばは奥にあり」と添えられています。

 確かにそのお店は道路からは100メートルくらい参道に入ったところにあるのですが、道路際に数多くの蕎麦屋が林立しているこの戸隠にあって、道路からも駐車場からも遠いことをこれほど逆手にとった上手時なキャッチ。

 おまけにここは戸隠神社の奥社とあれば、わざわざ「奥」に来た人の心に訴える効果は抜群です。一同大いにうなったのでした。

 そしてそのお店は、奥社参道の入り口にある「なおすけ」

 戸隠そばの特徴の一つであるぼっちもりというひねりを加えた盛り方で、蕎麦は冷たく冷やしてコシも風味も大満足。

 この界隈には、"大久保の茶屋"や"うずら屋"さんなど、名だたるお蕎麦屋さんが多い中で決して負けていません。

 美味しい蕎麦にも出会えて、最高の戸隠観光でありました。


    ◆   ◆   ◆


 さて、大満足の戸隠観光を終えて、あとは20時過ぎの飛行機に乗るために羽田空港まで乗せてもらうつもりで高速道路の長野道へと入ったのですが、途中に事故渋滞が発生していて、空港までの時間が全く読めなくなってしまいました。

 車中で渋滞情報を収集する一方で、空港までの大体アクセスを車内で検討。

 やはり鉄道が良いだろうということで、渋滞する高速道路を下りて本庄早稲田駅へと向かい、そこから新幹線に乗って羽田へと移動しました。

 結果的になんとか間に合って、無事に飛行機にも乗れましたが、旅はこういうハプニングがあった方が印象的になりますね。

 掃除もドライブも、サポートしてくれた皆さんに改めて感謝いたします。 

 ありがとうございました。 

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山岳ガイドで自然に親しもう

2013-11-16 23:17:13 | Weblog

 

 妙高のペンションでのお掃除は無事終了。

 今回は参加者が11名と近年になく多いこともあって、全体としてスムースに事が運びました。

 お掃除はやればやるほど汚れに気が付くようになるので、決して終わりはありません。

 時間が来たところまでの限定作業と言ってもよいかもしれません。

 今回は初めての参加者が4名いましたが、皆さん一生懸命にお掃除に取り組んでくれて、「なんだか忘我の境地になりますね」という感想。

 マザーテレサの言葉に、「愛情の反対は憎しみではありません。愛情の反対は無関心です」という名言がありますが、まさに掃除とはその部分に愛情を注ぐ作業であり、それを阻害するものはその汚れに気が付かない無関心にほかならないのです。

 掃除を通じて人生の深みに触れることができるのです。


   ◆   ◆   ◆


 さて、今年も掃除ツアーで訪れたペンション・モンセルヴァンのオーナー敷根俊一さんは、妙高一帯で山岳ガイドとしても活躍されている方です。

「もう歳を取ってきて、山岳ガイドが辛くなって来たよ」と笑います。

「体力的にきついということですか?」と訊くと、「自分一人が自分のペースで登山するのはなんの問題もないんだけど、10人あるいはそれ以上の人たちを連れてペース配分、時間配分を考えながらしかも全員を安全にガイドするというのは実に神経を使います。それは、ガイドをする相手として高齢者が増えてきたこともあって、ペースがとても緩やかなんです。しかも山に登るのも遅いけれど下るのもまた同じくらい遅いので、いろいろとレスキュー道具を背負っていると体に負担が大きいんですよ」とのこと。

「若い人に任せろってことじゃないんですか(笑)」
「それはありますね。おかげさまで若い人たちがガイドとして働ける時代になりつつあって、それを目指す人が増えてきています」

「登山はやはり高齢者の参加者が多いんですか?」
「一時はリタイアしたら登山、という人が増えたんですが、今はちゃんとやる人だけは残っている印象で、高齢登山者はそれほど増えていない感じです。替わりに"山ガール"と呼ばれる若い女性が増えていますね。で、そうすると引っ張られるように若い男性の参加者も増えているという印象です」

「そういう男女がガイドを依頼してくるということもあるのですか?」
「最近不思議なのは、ネットで登山の参加者を募って、集合場所で皆初めて会い、それから登山をするというパターンがあるというのです。しかも山小屋でみんなが宿泊するのではなく、山の上では皆一人用のテントでそれぞれに宿泊するというのです。だから今は一人用のテントがとても売れていると聞きますよ」

「不思議な関係性ですね」
「そういう集団だと、いったい誰がリーダーかということがはっきりしないので、不安ですね。職業としての山岳ガイドの責任はとても重いものがありますから」

「大変な仕事ですねえ」
「はい、でも最近は山へ登らずに、平地で自然に触れ合うようなツアーも増えていますから、そういう形で自然へ誘う活動で貢献したいですね」


 妙高高原はスキーで有名ですが、こうした自然散策もあればフライフィッシングに適した渓流もあるようです。

 様々な自然を楽しむ拠点としての行きつけのペンションがあり、レベルの高いガイドがいるというのは素敵ではありませんか。

 自然をもっと楽しみましょう。  

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妙高高原お掃除ツアー

2013-11-15 23:45:22 | Weblog

 この時期恒例の、新潟県妙高高原での同窓会兼掃除ツアーに参加です。

 夕方の飛行機で羽田空港→友人と合流して車で関越道・長野自動車道を経て妙高高原のペンション「モンセルヴァン」へとやってきました。

 こちらのオーナーはかつて某市に努める技術公務員でしたがご家庭の事情でここ妙高高原でペンション経営へ転職したのですが、私も彼が霞ヶ関へ出向中に知り合った一人です。

 そして同僚や友人たちがここへ集ううちに、なかなか掃除が行き届かないという話を聞いて、掃除ボランティアとして支援を始めたもの。

 我々は「お掃除ツアー」と呼んでいますが、冬のスキーシーズン直前のこの時期の金曜日の夜に現地集合。土曜日の朝から夕方まで精一杯家中の掃除をして、夜は宴会、日曜日の朝に現地解散というわけです。

 例年北海道から参加している私や、大阪、九州と全国各地から仲間が集まるのでさながら年に一度の同窓会にもなっているのです。

 
    ◆   


 最初は天井の電気の傘を掃除するくらいから始まったものが、年を重ねるうちに効率的になったのと掃除技術も向上し、また前年に掃除したところはそれほど汚れがたまっていないこともあって、掃除をする範囲が広く、かつ奥深くなっていきました。

 こうして部屋の汚れを見れば見るほど、汚れへの眼力も強まって、どういうところがどのように汚れるかという想像力が働くようになっています。  


 掃除って、普段人の目と関心が向いていないところに光と愛情を注ぐ作業です。

 ほんの少し撫でてあげるだけで溜まった埃が取り除かれてその場所が息を吹き返します。

 掃除の最後には、汚れている所というよりも、(目の行き届いていないところはないか?愛情を注ぎそびれているかわいそうな部分はないか?)というような気分にすらなります。

  
 ときどきモンセルヴァンに泊まったお客さんが感想を書き込むようなサイトを覗いてみるのですが、評価の一つとして「きれいに掃除されていました」というコメントがあるとちょっと嬉しくなって、(また頑張ろう)と思うのです。


 夜の長野道を疾走してペンションにはジャスト夜中の1時に到着。

 さて明日はがんばるぞ、っと。

 

 

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怪我をしてわかること

2013-11-14 22:55:54 | Weblog

 

 皆さんは冬が近づいて寒くなると古傷が痛みませんか。

 二十代の時に、スキーをしていて変な形で転倒し、左肩を強打してしばらく痛くて肩が上がらないということがありました。

 若かったので、医者にも行かずに適当な湿布などをする内に痛みも取れ、治ったと思っていたのですが、それが四十代後半になってからときおり痛むようになりました。

 痛むと言っても常時痛いわけではなく、"コリ"というか"こわばり"というか、筋肉が固くなってこったような痛みが出てくるのです。

 よく「交通事故でケガの後遺症に悩まされる」と聞きますが、まさに同じように、そのときは治ったように見えても後から体の不調が出てくるというのは後遺症に似ています。

 
 同じようなスキーのケガで、左の膝をひねって靱帯を痛めたことがありましたが、このときはさすがに痛かったので、病院へ行って治療をしてもらいました。

 診てくれたお医者さんは触診の後に治療と称して、小さなハンマーのような形状で、ハンマー部分の先が柔らかくて暖かくなるような道具を取り出して、痛めた膝をぽんぽんぽんぽん、何度も軽く叩いてくれました。

「これはどういう治療なんですか?」
「ええ、こうやると早く治るんですよ」

 そのときは(こんなことで効くのかな)と半信半疑でしたが、今振り返ると、その後今に至るまで左膝に痛みが生じるということもなく、あの時の治療が良かったのだと思えます。

 
 スキーを巡る二つのケガの思い出としてはそれだけのことですが、ケガや病気を若いからと言って甘く見たり、それほど酷くはならないという素人の見立てで放っておかずに自分の健康にきちんと関心を持て、という生涯学習的な教訓にはなっているような気がします。

     ◆     

 それとあともう一つ。背中の肩甲骨付近の筋が痛い時には胸の大胸筋の真ん中辺りにコリができて、そこを指圧すると背中の痛みに効いてくるということがあります。

 これは、体の中の神経系統はある道筋で繋がっているという東洋医学でいう経絡(経脈・絡脈)の考え方が如実に分かる事実となっています。

 痛いところを直接刺激せずに、一見無関係な部位の指圧が効くというのは人体の不思議ですが、これもまた勉強すると面白い世界ですね。

 寒い季節、どうぞご自愛ください。

 

 

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問題もとらえ方ひとつ~苦しい時の心の持ち方

2013-11-13 23:46:16 | Weblog

 社会人になってもう30年以上が経ちますが、転勤でいろいろな立場を経験していると、仕事の種を蒔く時期があるかと思えば、先人の蒔いた種を刈り取る時期だったりすることもあります。

「あれは僕がやったのさ」などというのは、何人もがバトンをリレーしながら完成というゴールを目指す途中のほんの一人だったに過ぎないということがよくあるもの。

 逆に、自分一人ではできない仕事でも、完成してみると確かにその一部に参加していたことを誇りに思えるということもあり、謙虚に今自分ができることに立ち向かい続けることこそが大事だとつくづく思います。


   ◆   


 ところがそうした巡り合わせの数々の中で、問題があることは分かっていたけれど解決できなかった問題が一気に噴き出して、その矢面に立たされるということもあります。

 JR北海道のここ何年かの事故などの不始末や、いよいよ問題が顕現化してからも問題が一向に収まらない日々が続いています。

 全てが今のトップの役員の皆さんの直接の責任というよりも、過去何年も手が付けられずに来た懸案が一気に噴き出しているという印象を強く持ちます。

 しかし過ぎ去った過去を取り返すことはできませんし、同時に今背負っている立場の責任を逃れることもできません。

「運が悪い」と言ってしまえばそれまでですが、これもまた巡り合わせで、現在のスタッフに「始末をつけよ」という天命とも言えそうです。

 
 これは全くの感覚的なものですが、いろいろな問題が出るときには二通りあるように思われます。

 一つは「今のスタッフならば解決できる陣容が揃っているのだから頑張れ」という時で、もう一つは「今のスタッフでは解決できまい。もういいから退陣せよ」という二つです。

 しかし過去に解決できないまま今日を迎えたような問題は、「解決できる陣容」であることが多いのではないかと思います。

 仕事は成仏できずにさまよう浮遊霊のようなもので、(この人なら成仏させてくれそうだ)という人に憑りついて成仏したがるのです。

 だから長い間の問題が露見したような場合も逃げずにしっかりと立ち向かって、問題を『解決して成仏させる』という戦いに挑まないといけません。

 大変な状況が続いていますが、JR北海道には一日も早く問題を解決して道民に安全と安心を届けてくれることを期待したいと思います。

 
 私の場合も、過去の問題が噴出したようなときは、「今のスタッフなら解決できると、仕事の方が我々を指名したんだ」と考えて、職場のチームワークを高めて一丸となって対処するようにしています。

 そう考えると、やる気が出て苦労も吹き飛ぶような気がするのです。

 問題もチームをまとめる材料にできると良いですね。
 

 
  

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心のウォーミングアップ

2013-11-12 23:31:56 | Weblog

 

 子供の頃の初雪の思い出は、朝起きてカーテンを開いた時に曇りガラスの向こうが以上に明るいことでした。

 それを見て、(もしや!)と曇りガラスの窓を開けると見事に外は真っ白というのが、北海道の初雪の風景なのです。

 大人になってからの冬が子供の頃よりもワクワクしないのは、やはり冬を遊べているかどうかの違いではないかと思うようになりました。

 私の子供の頃は、雪が積もると物置の屋根から飛び降りたり、ツララを取ったり、落とし穴を掘ったりしてまあ遊びまくったものです。

 大人になると冬を遊ばなくなって、冬への感性が鈍ってくるのかもしれません。

 口ではいつも『日々新たに』、などと言いながらどこかで流されているのです。いかん、いかん。


    ◆   ◆   ◆


 昨夜の札幌は3センチほどの積雪があり、朝まで残っていましたが、日中の天気でほぼ消滅。

 雪を見慣れてしまった自分としては、あまり感慨が湧かないでいましたが、家路につく途中でふと、(これが南国からの観光客だったら狂喜乱舞して喜ぶんだろうなあ)と考えました。

 北海道に生まれ育ち、良くも悪くも冬という刺激を受け続けたために、感性が鈍っているに違いないのだ、と。

 そこでやおらカメラを取り出して、雪が美しい風景を撮影してみました。

 そんな風にしてみると、家の前に置かれた自転車に雪が降り積もるとこれまた絵になるではありませんか。

 ナトリウムランプの黄色い光の下で木にうっすらと雪が降り積もっている様は昨日にはなかった景色です。

 気持ちの持ち方ひとつで景色も変わって見えるのです。

 さて、冬を楽しく過ごすように心もウォーミングアップしておきますか。


 

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フィリピンの高潮被害と釧路

2013-11-11 22:32:42 | Weblog

 

 やはり釧路の暴風は相当なものだったようで、市内の各所で屋根のトタンがはがれる被害が続出したそうです。

 釧路では低気圧と風の被害を心配していましたが、あろうことか海外のフィリピンでは同じく低気圧によって途方もなく甚大な被害が発生しました。

 まだ被害の全貌すらつかめていない状況ですが、報道を見る限り強風による直接的被害に加えて、高潮による津波にも似た水位上昇による被害が甚大だったようです。


   ◆   


 高潮というのは低気圧の接近で待機の気圧が下がると水位が上がるという現象です。

 通常1気圧というのは1013hpa(ヘクトパスカル)という単位で表されていて、これより高いと高気圧、低いと低気圧ということになります。

 ここでいうパスカルとはそもそも圧力の単位で、これは空気の圧力として地上では1平方センチメートル(cm2)あたり1kgの空気の重さがかかっているという計算になるのです。

 なので、1hpa(=1/1013パスカル?約1/1000パスカル)に相当する空気の重さは約1グラムとなり、気圧が1hpa下がると約1グラムの重さが減り、その分約1センチ相当の水位が上がるという計算になるのです。

 台風のような熱帯低気圧だと中心気圧はかなり低くなりますが、それでも日本あたりではせいぜい960hpaだと「強い台風」と言われるくらいなもの。

 今回フィリピン中部を襲った台風30号は、中心気圧が895hpaというとてつもなく低い気圧で、またそれゆえ気圧の差からくる強風も最大で秒速90メートルに達したそうです。

 通常との気圧差は1013-895=118hpa=118センチと、気圧の差だけで約1メートルもの水位上昇が起きえたわけですが、さらにこのように風が強いと強い風が波を陸地に押しやって更に水位上昇を招きます。

 特に波打ち際の地形が遠浅であったり、V字型の湾になっていたりすると吹き寄せられる海水面は湾の奥でさらに上昇し、水の力がさらに強くなると言われます。

 報道ではそうした悪条件が重なったことで、水位上昇は数メートルになったとのことで、「気象津波」という言葉もあるそうで、被害の様相はまさに津波そのもの。

 あまりに強い低気圧による気象被害。地震津波よりは事前の予報がしやすかったでしょうに、これほどとは思わなかった人も多かったに違いありません。

 死者数も1万人に上るという情報があり、一日も早い救援と現地他作が望まれます。


    ◆    


 さて、私のいた釧路では街の中心部を釧路川が流れています。

 釧路川は上流部の岩保木というところに水門が作られていて、洪水の起きない川になったのですが、洪水はなくても高潮の被害の可能性はあり得ると考えられていて、その備えとして低い堤防が作られているのですが、その堤防が去る東日本大震災時の津波に対して効果を発揮しました。

 津波の高さは偶然にも高潮対策で作られた堤防の高さぎりぎりでしたが、それによって海水位の上昇を受け止めて、橋の上流部の右岸(北側)で繁華街末広町・栄町に水が流れ込むことが防げたのでした。

 被害が拡大しなかったのは実に不幸中の幸いでした。

 高潮と聞くと私は釧路の津波から繁華街を守った小さな規模の堤防を思い出すのです。

 フィリピンの一日も早い復旧・復興をお祈りします。

 
 

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