北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

食マルシェと南中ソーラン~もうこれは郷土芸能

2015-08-22 18:46:16 | Weblog

 

 今日と明日は北防波堤ドーム公園で「最北端・食マルシェ」が開会中。

 ここ宗谷管内と稚内の美味しいものが大集合で過ぎゆく夏を楽しみます。

 肉系、海産物系、ラーメンにカレーと自慢の料理があって目移り。こういうときって、「人間ってお腹が減っているとたくさん食べられるようで実は少ししか食べられないものだ」と思いますね。

 そんななか、地元勇知地区で産する「勇知いも」というひと味違って美味しいイモの詰め放題がありました。

 知人がいたので挨拶しましたが、一袋200円で詰め放題は大人気。みるみるうちに用意したイモがなくなっていました。

 詰め放題のイモは赤い色をしたアンデスレッドという品種のものでしたが、「今回はこれしかないのですか?」と訊ねると、「これからはこれを主流にして行こうかと思っていまして」とのこと。

「前はもっと大きいイモもありましたよね」
「そう、農林一号っていう品種があってこれが良かったんですが今は全道的にこれが作られなくなっているんです。人間どころか家畜も食べないってんでね」

「美味しくないんですか?」
「それが他の地区じゃ美味しくできないんだけど、ここだとそれがすばらしく美味しくできる。だからしょっちゅう『そちらの農林一号の種イモが欲しい』と言われるんだけど、(そちらじゃ美味しくならないでしょ)と思いますし、あげられるほどもできないんです」

 他の地区では美味しくできないのに勇知地区だと美味しくなるってのが面白いですね。ゲットできたので美味しく食べてみようと思います。


       ◆  


 今日の食マルシェに合わせて今日行われているのが「南中ソーラン全国交流祭」。

 これはよさこいソーランの曲と振付なのですが、特に稚内南中学校が作り上げた振付を民謡歌手の伊藤多喜雄さんがアップテンポにアレンジした曲に合わせて踊る南中オリジナルのスタイルのこと。

 一説にはかつて校内暴力で荒れていた稚内南中学校がこれでひとつになった、と思われていますが、実際はそうではなくて落ち着いた後に作り上げられたのだそう。

 踊りはニシン漁にインスパイアされた網揚げの動作などがダンスパフォーマンスとして練り上げられていて、漁師町の雰囲気に充ちたノリの良い出来になっています。

 この踊りスタイルが今では市内の幼稚園・保育園から小中学校まで各学校で行われる郷土芸能になりつつあります。

 今日の催しは「全国交流祭」と銘打って、市内はもちろん、利尻礼文の離島、さらには本州からの参加も得て三年に一度行われる南中ソーランの競演イベント。今日は全部で27団体、1500人以上の踊り手が午後から夕方まで踊り明かします。


 まずは南中卒業生による団体である南中ソーラン連によるデモ演舞。若々しくて切れ味があって良かった。続いては市内の幼稚園のちびっ子たちの登場。

 運営が上手だと思ったのはステージのすぐ前に「我が子観覧席」というエリアが作られていて、自分たちの子供が登場するときに親御さんたちの優先席になっていたこと。チームが変わるたびに次の親御さんたちがわらわらと導かれて写真やビデオが存分に撮れます。これは素晴らしい運営と感心いたしました。

 ステージの裏手に回ってみると、次の出番を待つちびっこたちが、前の人たちの音楽に合わせてちょっと緊張しながら振りつけの練習をしていたりして微笑ましい風景が。

 秋風吹く稚内の一日は美味しい食べ物と共に過ぎてゆきました。

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稚内珪藻土~吸水効果抜群のその辺の石

2015-08-21 22:30:47 | Weblog

 私の住む宗谷管内。地域の売り物は何かとつらつら考えるに、酪農での牛乳、ホタテ・サケ・昆布・ウニ・なまこ・たこなどの海産物、最近では風力による電気…などと挙げられるのですが、もう一つ知られざる特産品として人気が上がっているのが「珪藻土(けいそうど)」です。

 先日、この珪藻土を産出・販売している(有)稚内グリーンファクトリーの渡辺社長をお訪ねして、現場見学やビジネスの現状を伺ってきました。

 珪藻土というのは、かつて海水や淡水にいたプランクトンである珪藻の殻が堆積して岩や土になったもの。柔らかいものは珪藻泥岩と呼ばれ、これにもう少し圧力や熱が加わって硬くなったものを珪質頁岩(けいしつけつがん)と呼んでいます。

 稚内周辺地域ではこの珪藻が堆積した地層が広く分布していて、特に硬くなった頁岩の状態で出るところが多いことから「稚内層珪質頁岩」と呼ばれています。

 この珪質頁岩は、粉砕して粒度を調整することで粒状から粉状までのいくつかのタイプとすることで「珪藻土」と呼べる形になり、様々な用途に使うことができます。

 
           ◆   


 この珪藻土のウリは、なんといってもその吸湿性の高さです。湿度が高ければ空中の水分を吸着し、逆に乾燥していれば自分の中の水分を放出する機能があるのです。

 もちろん珪藻土はここだけではなく国内でも何カ所かで産出しますが、稚内珪藻土の特徴は他の珪藻土と比べても遙かに吸放湿性能が高いことです。秋田や石川など他の地域のものと比べると3倍から5倍という高い性能をもっています。

 一般に家造りではこうした湿度管理のために炭(木炭)がもてはやされていますが、稚内珪藻土の性能は備長炭のなんと8倍以上の性能をもっているとのこと。

 実は我が家では部屋の一部を漆喰にしているのですが、これに珪藻土を混ぜていれば湿度調整能力は格段に上がっていたことでしょう。知らなかった…

 
 住宅用建材としての使い方は、漆喰として塗るようなものもありますが、実際に需要が多いのは珪藻土を焼き固めて施工しやすくしたタイルやパネル状にするもの。リフォームするんだったら押し入れやクローゼットの内壁に調湿機能の高い珪藻土パネルがおすすめです。

 実際に作っている大手の住宅メーカーさん関連の企業からの受注を受けて、珪藻土は原料として年に数回稚内港から千葉や愛知方面の港へ積み出しているのだそうですよ。

 またこの吸湿性が良いというので最近は牛舎の地面に敷き詰めるという農業需要もあるそう。いろいろに使えるのです。

「このあたりはどこからでも出てくるような珪藻土ですが、これがビジネスになるというのは、採取する場所から稚内港が近くて輸送コストや保管コストが低く抑えられているからなんです。これが港から遠いところで採取されてもそれではコストが合わないと思いますよ」とは渡辺社長の言葉。なるほど港がこういうところでも役に立っているとは。


          ◆ 


 続いていよいよ珪藻土の採取現場である山を見せてもらいました。

 赴任する前に、「稚内は珪藻土が今有名になりつつあるんだよ」と言われていたのですが、そのときのイメージは「珪藻=プランクトン」という連想で、海の中の泥を救い出すようなものでしたが、実際の現場は完全な地山。

 しかもこのあたりならどこででも出てくるような岩を採取するというものでした。

 実際の石を見た瞬間、「なんだ、この石のコトかよ!」と思わず突っ込みを入れたくなりました。というのも、稚内に住んでいた小学生時代に、家の裏の道路の法面にゴロゴロあったのがまさにこの石だったのです。チョークの代わりに落書きをしたりするのにも使えて「かけ(描け)石」と呼んでいたのです。

 一見硬い石のように見えますが、手にとってきゅっとひねるとぼろっと砕けるくらいのちょっと不思議なもろい石。

 これが売れるとは幼いときには想像もできませんでしたねえ。


 吸湿性を見るのにこの珪藻土を焼いて作ったコースターに水をかけてみました。こんなにあっさりと水を吸うので、冷たい飲み物を乗せたときにグラスの水滴を吸い取って周りがべちゃべちゃになることもありません。

 稚内珪藻土が日本の快適な住まいにもっと貢献する日が来ることを期待したいですね。

【珪藻土のコースターに水をかけてみよう】

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氷雪の門と九人の乙女たち

2015-08-20 23:46:24 | Weblog

 今日は第53回氷雪の門・九人の乙女の碑平和祈念祭が執り行われました。

 七十年前の八月十五日に日本は終戦を迎えました。

 しかし終戦間際に参戦したソ連軍はその後も樺太各地を襲い、自体は予断を許さない状況になりました。

 既に八月十二日には樺太西海岸の真岡からの緊急疎開が始まっていましたが、電話交換業務は女子職員によって行われており、皆がいなくなってしまうと通信が確保できなくなることが予想されました。

 そのため真岡郵便局では、電話交換業務の移管が行われるまでは業務を遂行しなければならないとして、残って交換業務を続けてもらえるものを募集し、これに二十名が応じる形になったと言います。

 八月二十日になるとソ連軍が真岡に上陸、民間人への攻撃も激しく戦闘に巻き込まれて亡くなった人も多くいました。

 そんななか、真岡郵便局も艦砲射撃で被弾するようになり別館の二階に女性のみが孤立するようになり、九人の若き乙女たちが「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」という言葉を残して、壮絶な服毒自殺をとげ職務に殉じたのでした。

 

 
 稚内公園に立つ本郷新による「氷雪の門」は、カラフトでの物故者たちのための慰霊碑です。

 そしてその慰霊碑の横にはこの最後の戦闘に巻き込まれて殉職した九人の乙女の像が建てられています。


 今日の平和の祭典では、実行委員会委員長である工藤稚内市長の式辞についで全国樺太連盟の会長ら来賓の挨拶が続き、日本郵便株式会社の北海道支社長、とNTT東日本の北海道事業部長も挨拶を行い、通信の大切さとそれを守り抜いた崇高な使命感に対する安らぎの言葉を述べられました。


 かくも悲しい事件ではありますが、われわれはやはりこれを忘れてはならない、伝え続けていかなくてはならないのだと思います。

 恨みや怒りを伝えるのではなくあるいは忘れてしまうのではなく、その悲しみを伝え続けることが残された者たちの使命であろうと思います。

 今日は樺太の島影が実にくっきりと見える一日でした。

 稚内へ来たらどうぞ氷雪の門を訪ねて、今は異国となった樺太の地に思いを寄せていただきたいと思います。


 

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ロシア風味が稚内の持ち味

2015-08-19 23:56:01 | Weblog

 今日も知人とロシア風居酒屋ペチカで飲んでおりました。

 三十人くらいしか入れない店内は予約と早くから来たお客さんで七時過ぎにはほぼ満員。

 それでもまだ「入れますか~?」と観光客が引きも切らず押し寄せてきます。外国人観光客も一人でふらっと入って来たりして、いくつかのテーブルでは相席で受け入れて和気あいあいの雰囲気。

 一緒に飲んでいたジモティの知人は「見ていても地元の人はほとんどいなくて皆観光客ですよ。道路標識にロシア語表記もあったりするので、こういうロシア風居酒屋って珍しいのと稚内らしさが感じられるんでしょうね」と解説してくれました。

 はるばる来たのなら、地元らしさを楽しめるところで思い出を作りたいし、そう考えると『ロシアを感じさせる雰囲気』というのは案外稚内のイメージを形成しているのかもしれません。

 
 私たちの隣に座ったのは、宮城県から来たご夫婦で二人がそれぞれバイクに乗っての道内ツーリングの途中なんだそう。

「今回は苫小牧港で降りて、一度はこだてに下りそこからは海沿いを北上して今日稚内に来たんです。明日はこの地域を観光してその後に国道40号線で名寄まで降りて行きます」

「利尻、礼文へ行ったことはあるのですか」
「いえ、北海道は数回来ていますが離島はまだ行ったことがありませんでした」
「それは残念。ぜひ次回は島へも行ってみてください」

 できるだけ効率的に北海道を旅行しようと思うとどうしても離島は眼中になくなってしまうのかもしれません。「そこまでが北海道ですよ」と大いに宣伝をしておきましたが、実際に行くとするとどれくらいの時間と費用で回れるかというようなことも知らない様子。

 そこまでの情報はなかなか伝わらないようです。難しいところですね。


   ◆  


 すると一緒に飲んでいた地元の知人が「最近はサハリンへのバイク旅行者が年々増えていると聞きました」と言い出します。

「サハリンって日本と違って、都市部を出るともうほとんど道路を舗装なんてしてなくて、砂利道やダートの道路ばっかりなんです。でもそこがワイルドで未開の地らしさを醸し出すので、オフロードバイク愛好者がツアーを組んで行くみたいですよ」
「サハリンって、郊外に行くともうガソリンスタンドなんてないような印象なんですが…」

「そう、だからツアーの運営者側でサポートとして燃料や食料を積んで後からバイク軍団を見守るというところまで用意されているんですよ

「なるほど、私も稚内に来るときには『小松さんのところを拠点にしてサハリンに釣りに行きましょう』と言われたものです。サハリンでの釣り経験者によると、日本語を話して釣り場まで案内してくれるガイドがサハリンに二人はいるそうなので、釣りも楽しむ受け皿はあるみたいです」
「そうですね。確かに秋になると川はもうサケの遡上で真っ黒になると言いますから、もはや北海道ですら失った本当の自然はサハリンに行かないと体験できないかもしれませんね」

「北海道も心底手つかずの自然はもうよほど探して歩かないとたどり着けませんからね。その点サハリンはいいかもしれませんね」


 横で偶然一緒に飲んでいたサハリン通の知人は、「ロシア人って物を作ることができないんじゃないか、と思いますよ」と言い出します。
「え?どうしてですか?」

「なんといっても工学的技術の蓄積がありません。だから道路をどう作ったらいいのかも良くわかっていないんです。知っていますか?港の施設なんて大正時代に当時の日本の国が作った施設を今でも使っているんですよ。これっても新しい港湾を建設する技術のないことの裏返しに過ぎませんよ」


 ロシアの自然も町並みも、そして日本統治時代の名残の建物などを見られるだけ見てこようと思います。

 町なかの居酒屋でロシア談議に花が咲く当たり、これが稚内らしさと言えるのかもしれませんね。

 まずは来月上旬にこの目で見てこようと思います。

 


 

 

 

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地域で活躍される方たちとの対談をアップしました

2015-08-18 22:57:42 | Weblog

 わが北海道開発局では金融機関である北洋銀行さんと連携協力協定を結んでいて、お互いに連携協力しながら地域活性化に寄与することになっています。

 この度、稚内開発建設部管内において『地域で活躍される方の声』と題して、様々な方々に対談形式で地域の話題を掘り起こしてみよう、ということを企画したのですが、その第一弾を北洋銀行の稚内支店長今野徳幸さんにお願いしました。

 我々は公共事業はインフラという観点から地域を見て回りますが、地域の金融機関からはこの宗谷管内がまた違った角度から見られていて興味深い対談でした。

 興味深かったことは、私はこの稚内にサハリンからロシア人が多く来ていると思っていたのですが、実はウラジオストックからも結構多く来ているのだそう。

 で、そうしたロシア人はドル紙幣を持っているのですが、稚内では両替ができる場所が少なくて買い物に困っているのだそう。地域の受け皿としては両替ができるお店を増やすとかドルでも買い物ができる店を増やすなどといった対応があるのではないか、というお話。

 両替は昔は銀行でなくては行けなかったのですが、今は少額で一定の金額以下であれば普通の店でも両替商ができるのだそう。こういうことを地域で協力して受け皿になると良いのに、という情報。金融機関らしい情報ですし、地域のおもてなしの足らざる部分を教えてもらいました。

 もっとも今はロシアからのカニの密猟が厳しく制限されたことがあって、稚内に来るロシア人が減っているので、これも地域経済にとっては打撃です。

 将来のビジネスの芽をしっかり育てて、地域経済に貢献していただきたいものです。

 
 私自身、この手の対談は大好きなので今後もいろいろな方との対談を企画してアップしていきたいと思います。

 宗谷地域を様々な角度から多面的に切り出してみましょう。


 対談はこちら↓

稚内開建のホームページより

【そだてる・うみだす・やってみる~地域で活躍する方との対談】
 

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うっ?これも自然との闘いか…

2015-08-17 22:35:21 | Weblog

 昨日の釣りは早朝4時から8時過ぎまでカラフトマスを狙ったのは昨日お伝えしたとおりですが、せっかく枝幸町まで来たのですから、ついでに近くの渓流でヤマベ釣りも楽しみました。

 ある川ではかわいらしいヤマベが釣れてそこそこの釣りを楽しみました。

 この川、途中のカーブに水がたまるどん深の大きな淵があるのですが、前回はここでそれなりの大きさのヤマベが釣れました。今回もそこでもっと大きなヤマベを釣ってやろうと楽しみにしながら川の中を歩いて行きました。

 いよいよ目的のポイントについて、さて一丁やるか、と思った瞬間、視界の端で何かが動く気配がしました。同時にドブンという水音。

 (熊か!?)と一瞬ぞくっとしたのですが、見ると相手はもっと小さくてすばやい様子。よく見ると真っ黒な鳥が水面から顔を出してキョロキョロしています。どうやらカワウのようです。

(かわいいなあ…)と思ったのもつかの間、そいつは水に潜って十秒ほど水面下を泳ぐと突然まるで反対側に顔を出します。なるほど、水中で魚を追って食べまくっているようです…。ってことは、そのたまりでは釣りになりません。

 くっそー、せっかくここまで歩いてきたのに。

 あまり悔しいので石を投げてみましたが、当たりもせず全く動じる風もありません。悠然と潜っては魚を食べ散らかしているに違いありません。

 どうにもこうにもあいつがいる限り、食べつくされるか魚に警戒されるかで、もうここでは釣りにはなりません。ポイントを一つ潰されましたな、こりゃ。

 まさか鳥と喧嘩する羽目になるとは思いませんでしたが、これも自然との闘いでしょうか。

 いやはや、勉強になりました。 


      ◆ 


 川から上がって車を止めたところまで歩いていると、道端に捨てられたペットボトルが一つ。

 こういうときには背中に背負っているネットが役に立ちます。ごみを拾いながら歩くのは遊んでくれている川と自然への恩返しです。

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フライがカラフトマスに通じた…が…

2015-08-16 22:35:39 | Weblog

 行ってきました、枝幸町の岩浜でカラフトマス狙い。

 朝四時にポイント近くの駐車場で待ち合わせましたが、さすがにまだ日の出には早くあたりは真っ暗。

 キャップに取りつけるLEDライトを貸してもらって、急な坂を浜まで降りて行きます。

 ところが既に周りには30人ほどの先行者がいて、釣れそうなポイントは抑えられています。シーズンの休日ですから仕方のないところですね。

 それでもガイド役の知人は空いているポイントを見つけて、「お、ここで釣りましょう」と狙いを定めます。

 私の方は重く作ったフライをチョイスして投げ込み始めましたが、しばらく使っていない長い竿なのでなかなか調子が上がらず遠くまで飛びません。

 フライをだんだん軽めのものに替えつつ調子を整えていると、「来た!」と知人の竿にカラフトマスがかかりました。

 ちょっと小さめの50センチくらいでしたが、少しだけ竿を借りてリールを巻いてみましたがズンと重たい手応えでした。これがもっと大きいとどうなることやら。

 
 ところがしばしただ竿を振るだけの時間が続き、油断していたところへ突然のヒット!かなり大きいです。
(でかい!)と思い、竿を立てリールで巻こうとした瞬間に「あっ!」、突然引きが消えました。

 どこがどうした、とラインを見ると糸が切られていました。残念…。

 ヒットはその後ももう一度会ったのですが、それもバレてしまいました。しかしその感触を手に感じただけで体内でアドレナリンが出て、延々竿を振り続けることが苦ではありませんでした。

 結局朝四時前から八時過ぎまでの四時間、途中休憩10分ほどで竿を振り続けました。最後はなんとか少しフライが遠くへ飛ぶようになりましたが、それでも届かせたいポイントにはちょっと不足。フライでは魚がもっと近くへ寄ってくれるような条件でないと難しそうです。

 まあ私のフライがなんとか通じることが分かったことがせめてもの救いです。

 それにしても知人は、海底の地形や潮の流れなど周囲の環境を多面的に見定めてポイントを選定していて、相当な経験に裏打ちされた眼力があればこそですね。

 周囲の釣り人達は結構釣りになっていたのですが、なかには折角かかったのに竿を折られる人もいたりしていて、やはり大物相手は興奮もしますが厳しい勝負という感じです。

「鮭類は日本海側でも釣れますが、日本海側の鮭は陸の川に戻る体になるのが早く、釣り慣れた人はオホーツク海側の方が海の魚らしくて面白いという人が多いですよ」とは知人の弁。

 これを目当てにテントはもちろんキャンピングカーで何日も長逗留する人も多いのですから、魅力あるアクティビティなのでしょう。北海道の数ある魅力の一つにこういうネイティブな魚相手のフィッシングも加えるべきでしょう。

 その片鱗だけを感じた一日でした。それにしても悔しい…

 行ってきました、枝幸町の岩浜でカラフトマス狙い。

 朝四時にポイント近くの駐車場で待ち合わせましたが、さすがにまだ日の出には早くあたりは真っ暗。

 キャップに取りつけるLEDライトを貸してもらって、急な坂を浜まで降りて行きます。

 ところが既に周りには30人ほどの先行者がいて、釣れそうなポイントは抑えられています。シーズンの休日ですから仕方のないところですね。

 それでもガイド役の知人は空いているポイントを見つけて、「お、ここで釣りましょう」と狙いを定めます。

 私の方は重く作ったフライをチョイスして投げ込み始めましたが、しばらく使っていない長い竿なのでなかなか調子が上がらず遠くまで飛びません。

 フライをだんだん軽めのものに替えつつ調子を整えていると、「来た!」と知人の竿にカラフトマスがかかりました。

 ちょっと小さめの50センチくらいでしたが、少しだけ竿を借りてリールを巻いてみましたがズンと重たい手応えでした。これがもっと大きいとどうなることやら。

 
 ところがしばしただ竿を振るだけの時間が続き、油断していたところへ突然のヒット!かなり大きいです。
(でかい!)と思い、竿を立てリールで巻こうとした瞬間に「あっ!」、突然引きが消えました。

 どこがどうした、とラインを見ると糸が切られていました。残念…。

 ヒットはその後ももう一度会ったのですが、それもバレてしまいました。しかしその感触を手に感じただけで体内でアドレナリンが出て、延々竿を振り続けることが苦ではありませんでした。

 結局朝四時前から八時過ぎまでの四時間、途中休憩10分ほどで竿を振り続けました。最後はなんとか少しフライが遠くへ飛ぶようになりましたが、それでも届かせたいポイントにはちょっと不足。フライでは魚がもっと近くへ寄ってくれるような条件でないと難しそうです。

 まあ私のフライがなんとか通じることが分かったことがせめてもの救いです。

 それにしても知人は、海底の地形や潮の流れなど周囲の環境を多面的に見定めてポイントを選定していて、相当な経験に裏打ちされた眼力があればこそですね。

 周囲の釣り人達は結構釣りになっていたのですが、なかには折角かかったのに竿を折られる人もいたりしていて、やはり大物相手は興奮もしますが厳しい勝負という感じです。

「鮭類は日本海側でも釣れますが、日本海側の鮭は陸の川に戻る体になるのが早く、釣り慣れた人はオホーツク海側の方が海の魚らしくて面白いという人が多いですよ」とは知人の弁。

 これを目当てにテントはもちろんキャンピングカーで何日も長逗留する人も多いのですから、魅力あるアクティビティなのでしょう。北海道の数ある魅力の一つにこういうネイティブな魚相手のフィッシングも加えるべきでしょう。

 その片鱗だけを感じた一日でした。それにしても悔しい…

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ミニドラゴンの挑戦

2015-08-15 19:15:57 | Weblog

 知人に誘われて、カラフトマス釣りに出かけてきます。

 カラフトマスが沿岸に近づいてきて釣れる時期は、このお盆の頃から九月上旬くらいまでとのこと。それ以降は秋サケの到来です。

 ガイドをしてくれる知人はいつもはルアーで釣るというのですが、私は敢えてフライにこだわって、フライで挑戦してみようと思います。

 まあダメだったら知人のタックル(釣り道具)を借りても良いので、まずはこの地域の釣り文化を見てみるということを第一目的に、釣りの様子を見てきます。

 フライにこだわるのは良いのですが、そうなるとカラフトマス用のフライを作らなくてはなりません。

 稚内ではなかなかフライ用の各種素材が手に入りにくいのですが、幸い近くの釣具屋さんにそれらしいものがあったので買いあさりました。

 カラフトマスはとにかく赤い色に反応するというので、ネットを見てみると赤いフライ作りが検索にヒットしてきます。

 そこで見よう見まねで似たような感じのフライを作ってみました。

 少し沈めて使うために重りとしてボールチェーンを切って目玉の様にしてくくりつけてあります。

 なんだかミニドラゴンのようでかっこいいでしょ。さしずめ「ミニドラゴン小松スペシャル」ってところ。

 
 明日は朝4時前に枝幸町集合なので、今日は夜のうちに移動して現地で車中泊かライダーハウスかなと思います。

 さてミニドラゴンはカラフトマスに通じますかどうか。

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地方のガソリンスタンドが消えてゆく

2015-08-14 21:40:26 | Weblog

 稚内へ来てから週末の釣りなど地域を巡るのにはレンタカーを借りるのですが、最近のレンタカーは燃費の良いのに驚きます。

 借りる車種もそのときによって様々ですが、1500cc前後の車だとトヨタのヴィッツという車の燃費がすばらしい。

 この地域ではほとんど信号のない道路を一定のスピードで走り続けられるという特性もあるのか、ガソリン一リットルで30km以上も走ります。ハイブリッドじゃなくても良い燃費が出るのが最近の車の進歩です。

 一日走るくらいであれば途中で給油をする必要はありませんが、北海道は町と町の間の距離が遠いので、途中でガソリンスタンドがないというのは不安のタネです。

 そんな記事がネットにありました。


【『ガソリンスタンド過疎化問題』電気自動車の板挟みで苦悩する経産省】


 記事の趣旨はまさに、地方でガソリンスタンドが激減していることをとらえたもので、その原因は車の燃費もありますがやはり人口減少だとのこと。

 さらには2010年の改正消防法によって、「埋設してから40年以上経過したタンクには漏洩対策を施さなければならない義務を課した。漏洩対策工事には、2000万円近い費用が伴う。地方都市では、『2000万円出して対策工事をしても引き合わない』という諦観していた経営者が多く、自主廃業を選択した」とあります。

 地方でガソリンスタンドがなくなると困るのは、車が移動するための主たる手段になっているだけではありません。

 記事では「寒冷地では暖房器具やお湯を沸かす燃料もガソリンスタンドが供給しています。また、農業が盛んな地では、トラクターなどの燃料も必要になります。普段はそれほど意識しないが、地方都市にとってガソリンスタンドはなくてはならないものなのです」という業界関係者の声も紹介されていました。

 
 エネルギー供給を支えている民間企業の力が衰えてなくなってしまうと地方の暮らしはなお一層不便になるか成り立たなくなってしまいます。

 特にガソリンは、扱いが難しく個人で運搬するのには制限もあって大量に保管することが難しい。
 
 実は津波災害があったときに、救援に駆けつけた部隊が困ったことの一つが車を動かすガソリンの取り扱いでした。 

 道路が開かれず物流も途切れがちでなかなかガソリンが被災地に届かないために思うような移動や作業ができない、ということがあったのですが、そのときに頼りになったのはディーゼルエンジンと自衛隊の車両だったとのこと。

 自衛隊の車両から軽油を借りてディーゼルの車を動かしたりディーゼル発電機を動かしたというのです。

 そういう経験を経て、我々の組織でも事務所などに配置する車や発電機については、全部ガソリンエンジンのものにするのを止めて一部をディーゼルにしておこうという動きが出ています。

 ディーゼル機器はガソリンに比べるとちょっと割高なのですが、リスクを分散するという意味がありますし、また軽油はガソリンよりも扱いやすいので、家庭や事業所で保管できる量も多くすることができますね。


     ◆  

  
 さて上記の地方都市のガソリンスタンドの存続問題ですが、これは地域全体で需要と供給を話し合ったり、タンクの改善のために地域や公的な資金の供給、さらには経営安定化のための地域内での問題意識の共有などが必要ではないでしょうか。

 そのことを考えずに安いところだけを探して遠くのガソリンスタンドを使っていたらある日近くのスタンドが突然廃業になり地域全体の暮らしのレベルが下がるということのないように、事前に行政も交えて問題意識を地域で共有し、地域のあり方を全体で考えなくてはならない、そんな時代が近づいているような気がします。

 人口減少下の地方都市においては、全てを民間に任せてしまうと民間の都合が優先して、社会全体でパフォーマンスを落としてしまうということがおきやすくなります。

 人任せにせず地域社会を自分たちのことと考えることから地方創生も始まるのだと思います。

 

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私はそれが嫌やねん、それが悔しいねん!

2015-08-13 22:37:38 | Weblog

 人間学を学ぶ雑誌「致知」、今月の誌面の中に会社単位でこの「致知」を読んで勉強する社内木鶏会の全国大会がこの五月に札幌で開かれたときの模様が紹介されていました。

 これは社内木鶏会を続けることで、社員が変わり企業がどう変化をしたのかを事例紹介し合う催しです。

 今回発表したのは北は北海道から九州代表までの五社で、参加者全員の投票により感動大賞に選ばれたのは関西地区代表のヒロセという会社でした。


 以下、誌面の一部を紹介します。

 

 …「一人のめざめは百人に及び、百人のめざめは千人に及び、千人のめざめは社会全体に及ぶ」
 社内木鶏企業の発表を聞くたびに胸に浮かぶのは、この松下幸之助氏の言葉である。一人の社長のめざめが周囲を大きく変えていく実例が、社内木鶏企業の発表には溢れている。

 特に今回、大賞に選ばれたヒロセの社員、松谷晋さんの発表には心を揺さぶられた。「人々の心の中に明徳と名づけたる無価の宝あり」(全ての人の心の中に明徳という値段のつけられない宝がある)と中江藤樹は言っているが、社内木鶏こそその明徳を発揮させる最高の同情になると、松谷さんの発表で教えられた。

 松谷さんは三十三歳でヒロセに途中入社した。頭は金髪。気に入らないと上司だろうと食ってかかっていく。そういう社員だった。

 社長が社内木鶏を始めることを告げたときも、「なにィ、本を読んで感想文を書くゥ?人前で発表するゥ?」と反発。「たかが汲み取り屋、ゴミ取り屋やん。何でそんなことせなあかんねん」と社長に直談判に及んだ。

 社長は言ったという。
「私はそれが嫌やねん。あんたたちが自分の仕事に誇りも持てへん。世間からは、きつい、危険、汚い、レベルの低い社員って思われているのが、私は悔しくてたまらんのや。そやから私は木鶏会を通じて本を読む力、読んで感想を書く文章力、感想を人前で発表する発言力をつけて、あんたたちが世間に馬鹿にされない、自分の仕事に誇りを持てる会社にしたいんや」

 涙声だった。社長の熱い思いは電流のように松谷さんを貫いた。
「冷め切っていた心に熱い火が灯り、この社長に応えたいと思い、真剣に社内木鶏に取り組むようになった。最初は一、二行だった感想文も、今では用紙いっぱい書けるようになった」と言う。

 最後にこう締めくくる。
「こんな私を見捨てずに根気よく、熱い思いでまっとうな人間に導いてくれて、人を思いやる心、感謝、感激、感動の心を養わせてくれた社長に、心から感謝します。そして木鶏会を通じて教養力、自分の仕事に誇りを持てるように導いてくれた致知出版社の方々に、心から感謝致します」

 力闘向上。松下幸之助の言葉である。
「事業を経営することも商売を営むことも、そのこと自体が真剣の戦いである以上、これを戦い抜く精神が旺盛でなければ、結局敗者にならざるを得ない。ただし、その戦いたるや、正々堂々でなくてはならぬ。よい意味における闘争心、正しい意味における競争精神なきところ、事業の成功も個人の向上も絶対に望めない」

 三K(危険、汚い、きつい)の三文字を「感謝、感激、感動」に変えたいと決意し、全社員の反発に遭いながらそれを果敢に実行、貫徹した女性社長の姿に、力闘向上の精神の化身を見るのである。 (引用ここまで)


        ◆   

 人はいつでもどこでも、誰かにそして何かに出会うことで変わることができます。

 しかし往々にしてその自分が変わるきっかけをみすみす見逃してもいます。

 社長の思いが電流のように身体を貫いた松谷さんはそのときに心のスイッチが入ったのでしょうね。
 
 自分の人生の中で心のスイッチはどこにありましたか。これからもすぐ近くにありますよ、きっとね。

 

コメント
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