北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

助かった!~情報化社会のモノを仲介しないサービス

2015-08-12 21:27:04 | Weblog

 この夏休みに東京の娘が飛行機で帰省してくるのには、ANAの株主優待券を使いました。

 飛行機会社にとって夏休みの稼ぎ時は航空運賃も値上がりをして羽田~新千歳空港では片道で4万円以上にもなります。

 ここで力を発揮するのが株主優待券で、ANAの株主になれば持ち株に応じて年に何枚かが発給されるのと、無記名なので市中の金券ショップで購入すればそれを使って割安に登場することもできます。

 金券ショップではだいたい一枚4千円から5千円程度で売られているので、片道4万円が半額の2万円になるのであればその差額でも相当にお得です。

 特にぎりぎりまで乗る日取りも決まらないというようなことであれば、乗る日にちが近くても比較的空いているので乗る便にも困らないことでしょう。


 さて、この株主優待券ですが、以前は株主優待券で予約すると、旅行会社や空港のカウンターで購入する際に本人確認と優待券を持参していなくてはなりませんでした。

 ところが今回道北キャンプをしたあとに娘が稚内空港からの予約便に乗る段になって、その株主優待券を札幌で渡すのを忘れたことに気がつきました。

「え~?優待券がないと株主優待料金じゃ乗れないかも。痛いな~」と空港めがけて車を走りらせながら車中は思い空気に。

「まあまずはANAの予約センターにどうしたらいいか訊いてみようよ」ということで、車中から電話をしてみました。

「株主優待券を忘れてしまったのですが、それでも乗れますでしょうか」

 すると電話口のオペレーターは、娘の名前と乗る便を確認した上で、「お客様の株主優待券はスクラッチ付きのパスワードがついているものでしたでしょうか」と訊ねてきました。

 妻に訊くと「あ、確かスクラッチ付きの優待券で、(娘の)携帯にそのパスワードをメールしてあったはず」とのこと。

 先方もすぐにそれがわかって、「お客様の予約はパスワードも登録されていますので、あとは空港でご本人様が確認できればそのままご登場していただけます」とのことで、実際空港では娘の本人確認ができると何の問題もなく優待券価格で登場することができました。

 今年度の上期の発給から優待券のシステムは、券の登録番号とあとはもらった本人がパスワードをスクラッチになったパスワードを削りだしてそれを伝えることで券の所有が確認できるというシステムになっていたのでした。

 情報が登録されていれば、券や紙などのモノを介在しなくてもサービスが受けられる社会になっているという現実を見て、(そうか、デジタル社会ってこういうサービスが可能になるんだな)と改めて社会の進歩に気が付きました。。


         ◆  
 

 ところがその一方で、「JR新幹線がインターネットで事前に簡単に予約できない」という声が聞かれるようになりました。

 それは海外からのインバウンド観光客が日本を旅しようと思って予定を立てても、ネットでの予約が簡単ではないという現実があり、日本の旅を不便にしているという議論です。

 ネットの東洋経済onlineにはこんな記事もありました。

【プロから見て、新幹線には大きな欠点がある
 ネットを通じた予約が世界の常識!~東洋経済ONLINE】
 http://toyokeizai.net/articles/-/78833

 
 「おもてなし」を売りにしていながら、笑顔と心配りにばかり関心が向いて、社会の便利という真のおもてなしができていないのではないか。

 航空会社の対応とJRの対応を比べて、IT技術にしても制度資本にしても、社会が便利になることはやっぱり社会が進歩することです。

 そして改めて、海外観光客に対してもこちらの独りよがりではなく、ユーザー目線のサービスこそおもてなしであり、まだまだ足りないことは多いものだと感じたのでした。

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本当の日本最北の地と国土保全

2015-08-11 22:34:14 | Weblog

 私がいま所属している稚内開発建設部には「りんどう」という名の港湾業務艇が一艇あるのですが、今日はその船で宗谷岬の低潮線を視察してきました。

 低潮線というのは「海で一番潮が引いたときに出てくる陸地のこと」で、領海はここから12海里離れたところになり、排他的経済水域(EEZ)もここが起点となります。

 そのためこれがもし波で崩されてなくなってしまうと、領海が後退し排他的経済水域が小さくなるので、これを保全するのは国家として領土保全の観点から大変重要なのです。

 一番典型的な例が日本の沖ノ鳥島です。海の上にこの小さな島があるおかげで周辺200海里が我が国のEEZと認められ、さらにこのおかげで日本単独のEEZによって囲まれた地域も海底資源の開発を我が国が独占的に行うことが認められています。軽く見ることはできませんね。


           ◆    


 この低潮線、所管は都道府県や国において見回りや管理をしていますが、わが宗谷管内では宗谷岬にある宗谷港の港湾区域内に低潮線があります。

 そのためわが稚内港湾事務所が低潮線保全区域における行為規制や定期的な巡視などの管理を行っており、今日はそれを船で間近に見てみようと「りんどう」で稚内の港を出発したのです。

 今日の海上は東風が吹いていて、稚内から宗谷岬に向かう船は向かい風の中を進みます。波は2メートルといったところで途中からはうねりもはいってきて、ときどき船体が大きく上下動します。

 内心、(これは船酔いするかな)と心配になり、椅子から立ち上がって船の揺れを身体で吸収するようにして凌いでいたところなんとか船酔いを避けることができました。

 今日は宗谷丘陵全体に低い雲が垂れ込めて、すばらしい景観は得られませんでしたが、宗谷岬へ行く途中に岬の北にある弁天島近くを航行してもらいました。

 この弁天島は、宗谷岬よりもさらに北に位置しています。北方領土の択捉島の最北地はもっと北にあるのですが、実効支配している領土としては宗谷岬よりも北にあるこの弁天島が我が国の事実上の最北の地というわけです。

 島は無人島で、数多くのカモメとウミウが休んでいましたが島はこの鳥たちの糞で真っ白でした(笑)。この島に渡る観光プログラムなんてあるのでしょうかね。

 
 さて、船を進めて宗谷港の低潮線視察。低潮線となっている岩は岸から離れた島防波堤の両端に位置していて、黄色い鉄製の印が置かれています。

 これを守ることが国土を守ること。最北の低潮線を見ながら最南端の沖ノ鳥島まで思いを馳せると、国土を守るという仕事の重要性がよくわかります。

 誰も何をしなくても守られているわけではありません。地道に誰かが守っているから守られているということ。

 船に揺られながら改めて気が引き締まりました。

 

 

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できないからこそ工夫したこと

2015-08-10 23:30:39 | Weblog

 今は愛知県に住んでいる高校時代の同級生がバイク旅行で稚内へ来るというので、出迎えて一杯やりました。

 彼に会うのは高校の同窓会以来で数年ぶり。お互いに歳を取ったなあ、と笑いつつも、彼は今まさにバイクにはまっていると言います。

「バイクなんて、子供に手がかからなくなって目覚めたのかい?」
「うん、小さいバイクには乗っていたんだけど、まさに子供に手がかからなくなって400ccに乗り換えたんだ。終活かな(笑)」

「終活なんて、まだ人生を終えるのは早いだろう(笑)」
「でも車の旅ならもっと歳を取ってもできるだろうけど、バイクに乗るには年齢的な限界がありそうだ。やりたいことをやれるうちにやっておこうと思ってね」

 趣味でも社会活動でも、自分の人生の意義を見出すなにかを今のうちに見つけておくことは大切なことですね。


      ◆ 


 いろいろな話をしているうちに若い時の恋人同士の連絡をどうしていたか、という話題になりました。

 今なら携帯電話やスマホがあって、いつでもメールやLINEで連絡を取り合うことが可能ですが、我々がお付き合いをしていた頃なんてそんなものはありませんでした。

 彼は「僕は就職したての頃には会社の寮に入っていたんだ。こちらから電話するときは寮内の公衆電話で電話をしたけれど、向こうから連絡が来たときは寮長か誰かが電話を取って、それを三台ある内線につないで、呼び出されたやつがそこで電話をしていたんだ。ところがその電話がいつも満席(笑)。
 今思っても一体どうやって連絡を取り合っていたのかなあ」

 私の家でも家に電話がついたのは高校生か大学生になってから。今みたいにいつでもどこでも好きな相手と連絡が取れるということは、「やろうと思うとやれること」が増えたという意味で豊かな時代と言えるかもしれません。

 しかし、かつては「やろうとしても出来ないこと」があるためにそれをどうしようか、という工夫に知恵をこらした時代でした。

 暑い夏を涼しくできないならば、涼を楽しむために風鈴を下げたり金魚を飼ったりする。そういう工夫の中に面白みや粋や文化が誕生する素地があったように思えます。

「結局連絡を取る最後の手段は手紙だったよな(笑)」

 科学技術が日々不可能を可能にしている昨今。不可能に美学を求める様な生き方は古いでしょうか。

 今日のオレンジ通りは南稚内神社のお祭りで、普段にはない大盛況。こんなに賑やかな通りの風景は初めてみました。そんななか久しぶりに友達と会えて楽しいひと時。これも神様の御利益かな。

 

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砂金堀体験場でほぼ確実に体験できること

2015-08-09 23:12:33 | Weblog

 中頓別での最後の一日。お約束のアクティビティはペーチャン川での「砂金堀体験」です。

 お隣の浜頓別町にあるウソタンナイ川も砂金の掘れる川として良く知られていますが、つまりは上流の北見山地が金の算出の元ということ。鴻ノ舞(こうのまい)など教科書にも載っているような有名な金山もありましたね。

 ペーチャン川の砂金堀体験上は、川筋が左に大きくカーブする内側にあります。砂金は比重が大きいので、川の内側に溜まる傾向にあるので、こういう地形は砂金が溜まりやすいというわけです。

 さらに川土の下の方に沈んでゆくので、砂金堀は川のできるだけ下の泥をすくってそれを篩にかけ、溝のついたお皿で回しながら石や砂を遠心力で洗い流します。

 どんどん流してゆくと最後は重い砂鉄が多くなりますが、その中に砂鉄よりもさらに重い金の粒があればそれが残るというわけです。

 その一粒も本当に小さな粒で、何度かのトライアルの末にようやく一粒が見つかるかどうか、というくらいの確率。欲に目がくらんでいなくても、何時間も挑戦しなくては量は取れません。我々は約一時間で四粒みつけましたが、砂金堀は確率の低い挑戦でした。


      ◆ 


 現地の管理小屋には管理人さんが一人いて、体験希望者にクワや洗い皿を貸し出したり砂金の掘かたを教えてくれたりしています。

 長靴も貸してくれるということだったので足のサイズを合わせて借りようとしたところ、「お貸ししている長靴なんですが…」「はい?」「ここにあるのは経年劣化をしておりまして…」「はい」「ほぼ百パーセントの確率で穴が開いております」

 「え?どれもですか?(笑)」「はい、ほぼ確実に水が入りますのでご容赦ください」

 砂金がみつかる確率は非常に低いのに、借りた長靴に水が入る確率はほぼ百パーセント。実際、長靴を借りたわが家族は全員水が入りました(笑)

 ちなみに私はこのことを一切批判的に思いません。かえって旅の思い出としてとても面白い体験でした。まあウェーダーや長靴を持参できる人は持ってくるに越したことはありませんが。 

       ◆  


 ところで、管理小屋には大きなツーリングバイクが置いてあって、(遠くのライダーが砂金堀に来ているんだなあ)と思っていたところ、「これ、実は私のバイクなんです。高知から三ヶ月道内を旅していて、その途中でここで一か月砂金堀の管理人をしています」とのこと。

 聞けば金融機関勤めをリタイアして、好きなバイクに乗り夏は気ままな道内旅行を趣味にしているのだそうで、二年に一度はここ中頓別で夏の砂金堀管理人をしており、もう四度目になるんですって。

 夏場のたった一か月の仕事なんて不安定でなかなかやってくれる人がみつかりにくいものですが、リタイアした旅人に地域の仕事を担ってもらうというというのは実に興味深い関係性だと思います。

 人柄も面白い方で、客あしらいも上手。まさにこういうところの管理にぴったりの方でした。この方と話しているだけでも価値ある時間でしたよ。

 中頓別町のペーチャン川、どうぞ一度お試しあれ。

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中頓別で釣りガイド&鍾乳洞探検~不思議な魅力が満載

2015-08-08 22:13:17 | Weblog

 キャンプ二日目、今日は中頓別をしゃぶりつくす一日です。

 まずは早朝から頓別川の支流、ペーチャン川でヤマベ釣り。中頓別町長のご紹介で、釣りに詳しい方からお薦めのポイントを紹介していただきました。

 教えていただいたポイントは入渓もしやすく、川の流れも急な流れや深い溜まりなど変化に富んでおり、いかにもヤマベの好みそうな渓相です。

 

今回は妻とともに、東京に住んでいる次女もやってみたい、ということで私はガイドに専念して、妻と娘に釣らせることにしました。

 使ったフライは前回抜群にヒットしたアント(蟻)に似せたもので勝負です。

 ヤマベの反応はよくて、割と早くからがんがん食いついてきます。最初のうちは容量が分からなくて食いついても合わせられなかったのですが、だんだん慣れてきて、ついに一匹をゲット!初めてにしてはよくやりました。

 そこからは、ポイントをちょこちょこ変えながら上流めざして上ってゆきます。娘の竿にもよくかかってくれて全部で6匹、さらに最後のドン深のたまりでは18センチ以上の良型ヤマベを吊り上げました。

 すれていない素直なヤマベたちのおかげで良い思い出ができました。頓別川の支流はどの川もすばらしいですね。


       ◆ 


 続いて午後は鍾乳洞を見学。

 現地で管理をしている三浦さんにガイドをお願いして、ふれあい公園内の園路沿いの植物や動物を教えていただきながら、鍾乳洞へと向かいます。

 鍾乳洞は第四洞窟までありますが、来園者が中へ入って見学できるのは第一洞窟だけ。他の洞窟は崩れたり埋まってしまったりして今は見学ができません。

 内部は狭い空間が多くて、入り口でヘルメットと懐中電灯を借りて入るのが良いでしょう。

 中頓別の鍾乳洞は奥行きは約60mほどだそうですが、中に階段が設けられていて、狭い洞窟の中を建物三階くらいの高さまで上がって見学ができるようになっています。

 水の流れが石灰岩をうがち、削ったり溶かしたりした跡が不思議な形になっていてとても面白い空間が楽しめます。

 中に入るとひんやりとして涼しい風が吹いてきます。夏は涼しいのですが、冬になると逆に内部の温度はあまり変わらないために、冬の外気に比べると温かいと感じるそう。

 中頓別の鍾乳洞は、道内の他の鍾乳洞と比べてとても若く、約一千万年前くらいにできたものなのだそうです。どうしてここにこんな地形が生じるのか不思議に思いますが、夏休みの宿題になりそうな動植物や地形地物のコンテンツが満載。

 今日は砂金堀に行く時間が無くなってしまいましたが、明日こそ一攫千金を夢見て砂金堀に挑戦です。

 中頓別は面白い。 

 

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稚内にあるロシア食文化、バルティカビール

2015-08-07 23:27:57 | Weblog

 

 朝四時半に札幌の自宅を出発。高速道路で深川留萌道へ入り、日本海川沿いをひたすら北上して稚内を目指します。

 稚内には11時に到着し、そこで荷物を整理したり買い物をしてから中頓別へと折り返しました。

 
 稚内では地域の名物としてロシアのビールを調達。スーパーマーケットのユアーズにはサハリンビールが置かれていますが、もう一つ忘れてならないのはロシア最大のビール会社バルティカのバルティカビール。

 以前副港市場でサハリンの音楽集団ルースキー・テーレムが演奏を見せてくれた時に同僚がバルティカの缶ビールを買ってきた記憶があって、副港市場の食品売り場へ行ったところ「ああ、以前は置いていたかもしれませんが、今はありませんねえ」という答え。

(あれれ、どこで買ってきたのかなあ?)としばし復興市場周辺をうろうろしていたところ、ロシア風居酒屋「ペチカ」の看板に、まさにバルティカビールの写真が載っていました。

 営業の時間にはまだ早かったのですが、裏手へ回ってみるといつもお世話になっている女性が仕込みの作業中で、快く売ってくれました。

 お釣りをくれながら、「バルティカビールは今はここでしか売っていませんもんね」とちょっと嬉しそうにしてくれた笑顔がステキです。


 さてバルティカの缶ビールは二種類あって、青い缶には数字の「3」が、赤い缶には数字の「9」が描かれていてどちらも500ml缶で売られています。

 バルティカNO.3の方はアルコール分が4%以上5%未満と日本のビールとあまり変わりませんが、バルティカNO.9の方はアルコール分がなんと8%と日本のビールには見られない強さです。

 酒に強いロシア人の好みに合わせるとビールもこうなるのでしょうか。ちなみにお値段は1本650円でした。


 味の方は日本のビールとそれほど大きな違いはなく、違和感がなく飲めます。

 こうしたロシア風俗に慣れ親しめるというのは稚内の地域アイデンティティの一つであり観光コンテンツとしても価値あるものに違いありません。

 互いの料理やお酒など、食文化による交流で地域を盛り上げましょう。稚内のお土産に困ったらぜひロシアビールをどうぞ。


       ◆ 


 お酒を仕入れてからはまだ日本の北端を見たことがないという娘のために宗谷岬を巡ってから中頓別町へと向かいました。

 今日一日での走行距離は500㎞ほどにもなり、さすがに長女の旦那さん、つまり義理の息子に時々運転を変わってもらいながらの運転で疲れました。

 明日は中頓別朝を堪能する予定です。

 

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札幌での休暇終了~明日から道北入り

2015-08-06 22:47:17 | Weblog

 早朝にざっと通り雨が降って、気温が一気に下がった今日の札幌。過ごしやすい一日となりました。

 札幌での休暇は今日でおしまいで、明日からは道北中頓別町でのキャンプに向かいます。

 札幌では孫の守りばかりしていたような気がしますが、まあ日々変化する孫の成長の一日を見守れたというわけですからありがたい。

 子供も孫も油断するとあっという間に成長してしまって、次に会えるときには覚束なかったときなどなかったかのようにケロッとしているもので、今の姿はすぐに記憶のかなたに消えてしまいます。

 少し前にはびびってできなかったことが、一つずつできるようになっている姿を見るのも驚きです。

 写真やビデオも良いですが、まずは精一杯見てあげて声をかけることが一番。もう自分だけの楽しみと満足にとどめておかずに、子や孫のために何ができるか、を考えていたいものです。

  
 さて明日からのキャンプ。東京の娘は「中頓別で砂金を掘る」と言ったら職場で大受けだったそう。

 ふふん、娘には東京の人にはわからない地域の魅力をせいぜい味わわせてやるといたしましょう。

 

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始まる縁と離れ行く縁

2015-08-05 23:54:03 | Weblog

 

 私の夏休みに合わせて東京の次女が帰省してきました。

 駅で待ち合わせて会った瞬間、開口一番「暑い~、なにこれ」

 今日の札幌の最高気温は34.6℃だそうで、東京並みの暑さでした。

 娘は今日から週末まで行動を共にして、今週の後半は中頓別でキャンプをし、そのまま稚内空港から東京へ戻る予定。早く涼しい道北へと行きたいものです。

 
 娘が帰ってきたところでできたばかりのお墓を訪ねて墓参りをしてきました。私もできたお墓を見るのは初めて。
 似たようなお墓が並ぶ中で、娘にもお墓の場所も教えられてよかったです。


 今までは随分遠くまで祖父母の墓参りに行っていたのがぐっと近くなりました。それと同時に、今まで両親と行っていた親類の墓参りをやめることにしました。

 新しく始まるものと終わらせるもの。これも人生の断捨離の一つです。

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暑さと不快を逆手に取った文化で売る

2015-08-04 23:30:58 | Weblog

 札幌の今日の最高気温は32℃だったそう。

 日中は確かに暑く、外出して家に戻ると家の中は蒸し風呂状態。もちろんエアコンなどはないので涼しくなるまでは大変ですが、そこは札幌、夜になると外気はどんどんさがって25℃を下回ります。

 夜になると20℃台前半くらいにまでさがるでしょうから、まあ窓を少しでも開けておけば朝方は寒いくらいになるのが本州の都会とは圧倒的に違うところです。

 
 さて、暑いとか寒いとか、とかく人間は不快なことをネガティブに捉えがちですが、どっこい、それを逆手に取って面白がって地域の新しい文化を作り上げるとそれはオリジナルな観光資源になります。

 実は多治見市や熊谷市が日本一暑い自治体として話題になる前は、山形市が長く「日本一暑い自治体」の称号を手にしていました。

 フェーン現象という、熱い空気が山を越えて水分を放出した後に駆け下ったときは前よりも温度が上がるという気象現象があって、このために1933年に40.8度という記録的な暑さになったことがあるのです。

 ところが山形市ではこの暑さを逆手に取った地域文化を生み出します。それが「冷やし中華発祥の地」であったり「冷やしシャンプー」という床屋さんのサービスです。

 夏には「冷やし中華始めました」という看板と同じように「冷やしシャンプー始めました」という看板が床屋さんに出るのだとか。

 そういう文化は実に面白いと思うのですが、ところが山形の県民性というか東北人の人柄というか、そういうことをあまり外に向かって自慢したがらないところがあって、世の中の宣伝力が極めて弱いというちょっと残念なことになっています。

 


 同じようなことが釧路でもあって、「釧路でもビアガーデンをやりたいんです」という若い人たちがいたので、冗談半分本気半分に「釧路が涼しさを売りにしたいんだったら、どこにでもあるビアガーデンじゃなくて『冷やガーデン』ってほかのどこにも無い特徴を売ったら良いのではないですか」と言ったところ、「それ、いいかも」ということで『ヒア(冷)ガーデン」ということで夏の期間に繁華街でイベントをしていました。

 ところが今年は釧路もだいぶ暑いようで、「冷ガーデン」も「ヒアガーデン」に名を変えてしまったみたい。

 私だったらもっと新しい「冷やし文化」「涼しさ文化」を毎年毎年、これでもか、と打ち出せば良いと思うのですが、二の矢、三の矢が弱くてちょっと弾幕が薄い感じです(笑)。

 夏は暑く、冬は寒いほうが経済は動きます。そこをどうくすぐって地元利益に結びつけるのか。地方創生はそういうところだと思うのですがねえ。  

 

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健康に自信はありますか~ドックで体の中を見る

2015-08-03 22:39:38 | Weblog

 年に一度の人間ドック。今年は今日に指定されたので、札幌へ来てついでに夏休みを合わせたというわけです。

 今年は久しぶりに胃カメラと大腸内視鏡までフルにやろうと意を決して人間ドックに臨みました。

 胃カメラは、ちょっと苦しい思いをしたこともあって鎮静剤を打ってもらい意識が朦朧とした中での検査に。(のどに今カメラが入ったなあ…)と思うまもなく意識が遠のいて、気がついたときにはカメラをもう抜くところでした。

 終わった後は鎮静剤の影響でフラフラになるので、車椅子で移動して簡易ベッドで小一時間ほど眠らせてもらいましたが、総じて楽な検査となりました。

 血液検査や肺活量、心電図にエコーなどその他の検査を終えたところでいよいよ大腸内視鏡検査の準備に入ります。

 下剤と共に腸の中をきれいにする薬剤2リットルを、10分にコップ一杯ずつコンスタントに飲んでいきます。

 ひとたび排便が始まると、短時間の間に何度もトイレを往復するか最後はトイレにこもりっぱなしになって出てくるものがきれいになるのを待ちます。この間がなかなかつらいところ。

 大腸内視鏡検査では、更衣室でお尻側に穴の開いたパンツに履き替えてから検査台に乗り、あとはカメラをぐんぐんと腸の中へ入れられます。しかし何箇所か入りにくい場所があるらしくて、そこは強烈につつかれるので強い痛みがあってそのときだけがちょっとつらい時間でした。
 
 さんざん奥まで入れたらあとはカメラを引き抜きながら写真を撮りつつ腸の中を診てもらいます。まあつらさはありますが、健康のためには必要な時間と割り切りましょう。


      ◆ 


 全部の検査を終えて、イレギュラーに数値の上がった項目もありますが総じて問題なし。胃カメラと大腸検査でも異常はありませんでした。

 日々の精進を重ねて健康を保ち、職場にも家族にも迷惑をかけずなにより自分自身の活動の基礎を築きたいですね。

 自分の健康に関心を持ち実践を通じて健康を保つのは、生涯学習的生き方の柱の一つです。

 

 

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