練習がないと1日中畑仕事にこき使われます。どちらかと言えば畑仕事は苦手な方です。今日は玉ねぎの収穫。100個や200個の数なら我慢も出来ますが、1000個以上はあります。85歳を過ぎても杖をつきながら野菜作りをする母に飽きれています。家族3人でどう料理して食べるの?「人に上げればいい」の一言。今日から毎日玉ねぎ料理が出て来ると思うと・・。さて、話題を陸上競技に戻すと、全国大会は、インターハイ、国体、全日本ユ-ス・ジュニア大会があります。ユ-ス大会に向けては、男子100m、200m、400m、の3種目、齋藤諒平(2年)が参加標準記録を突破しています。(200mはジュニア記録も破っています)男子800mの佐藤駿太(2年)も突破、更にやり投げの佐藤佑祐(2年)も突破しています。女子は100mHの茨木凛(1年)が突破、で今のところ4名が参加できます。あと一息は女子800mの長沼明音(1年)、男子400mHの尾箸亮太(2年)。ジュニア(高3と大1)は記録レベルが高いのですが、菊地葵(3年)にチャンスがあります。8月31日までに破る事が条件ですので頑張らせたいと思います。(女子400mR47秒40)にもチャレンジします。常に目標を持ちながら挑戦させて行きたいと思います。部員の方は明日からテスト開始です。しっかり頑張りましょう。
40年連続インターハイ出場を決めた九里陸上ですが、一人の同じ監督が成し遂げた記録としては全国に例がないと思います。大卒で教員になりすぐにインターハイ出場させたとしても40年後は定年を過ぎるているからです。10年に1度、1人をインターハイに出場させる事でさえ至難の業、陸上競技を指導している人間ならば誰もが分ると思います。40年連続出場の中に地元、米沢・置賜地区中学卒の選手がいることも、他地区や他県から選手を集めている強豪校と言われる全国優秀校とは意味が違います。監督の偉業はもとより、米沢女子高時代から現在の九里学園高までの部員の頑張りを讃えたいと思います。苦しかったのは最初の20年間、当時、米沢中央校(男子)の刈田先生と年間で何度も何度も合宿しながら大会で一喜一憂していた時代が懐かしく、1番の楽しい思い出でもありました。その後はHBG校や多くの人達の助けもあり、あれよ、あれよ、の20年間でした。初出場がS・52年の岡山インターハイ、そして40年目が同じ岡山。今年は刈田先生退職後、初めてトラック種目でインタハイ出場を決めた米沢中央高校、刈田先生来ないかなァ。その内、家に遊びに行きます。さて、HBG校の皆さん、インターハイ入賞を目指し頑張りましょう。ランキングは関係ありません。九里陸上のインターハイ初入賞は米沢女子高時代の35年前、ランキング32位の100mH選手でした。「やればできる」今までの指導経験をフルにいかして臨みたいと思います。