興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

文章を考える場所

2017-04-14 | 言葉ウォッチング

「三上(さんじょう)」という言葉がある。
文章を作るのに適した三つの場所を言う言葉だ。

広辞苑を見ると、

「三上 = [欧陽修、帰田録]文章を作るに最もよく考えがまとまるという三つの場所、即ち馬上・枕上・廁上。」

とある。

馬上は文字通り馬の上。枕(ちん)上は寝床。廁(し)上は手洗い(トイレ)のこと。
(欧陽修<「欧陽脩」とも>は宋の学者・詩人。「帰田録」はその著書)

わたしは馬に乗って文章を考えたことはないが、枕上、廁上ならある。
このブログ用にいったん書いた文章を、夜寝床で反芻し、翌日修正を加えることなどしょっちゅうである。

「馬上」を現代風に「歩いているとき」と考えれば、これもなるほどと思う。

ただ、わたしの場合、「三上」は、単に文章を作るときだけでなく、何かを考えたり、思い出したり、アイデアを思いついたりすることの多い時間でもある。

というと格好いいが、雑念、妄想の多いわたしにとっては、いわば 妄想時間 であると言ってもいい。(「瞑想時間」ではない)

              

そう考えると、わたしの妄想時間はこのほかにもある。

鏡前(きょうぜん)・・・鏡の前。洗面所で歯をみがき、ひげを剃っているとき。
 ひげを剃りながら声を立てて ‘思い出し笑い’ をし、ときどき家内にあきれられている。

床前(とこぜん)・・・布団(床<とこ>の上げ下ろしをしているとき。
 何か動作をしているときのほうが妄想世界に入りやすい。

景前(けいぜん)・・・目の前の景色・情景を見るともなく眺めているとき。
 例えば喫茶店の窓際に座って、ぼんやりと道行く人や外の情景に目を向けているとき、など。

以上の三つである。(いずれもわたしの造語)

これをとりあえず、妄想の三前(さんぜん)とでも呼んでおこうか。

              

ところで、わたしは小さいころから引っ込み思案で、優柔不断なタチであった。行動より不安や心配が先に立つのだ。(先に立つのは「怠惰」も、じゃない?)

「やらなきゃなんないことは、考えてないでサッサとやんなさい」
と、母によく叱られたものだ。

今考えてみればそれは、遅かれ早かれどうせやらねばならないことは、後に引き延ばさず、「覚悟を決めて」やりなさいという母の教えであったのだ。

こういう教えのことを一般に、妄想三前の教えと言う。(言わないって)

2017.4.14

*上の写真は菜の花と蜂。本記事と関係ありません。