10日、地元の氏神さまを、再度訪れました。 2日に初詣に来たばかりです。
新車を買った愚息が、交通安全の御祓をしてもらうというので、付き合ったのです。
「謹賀新年」 の ‘立看板’ はもうはずされていました。 神社も日常生活モードに替わりつつあるようです。
それでもやはり、神社は神社。 境内には冷たい空気の中に、凛とした神聖な雰囲気が漂っていました。
絵馬がたくさん結ばれていました。
二つ三つ、こっそりのぞいてみると、
志望校に入れますように
今年こそ素敵な相手に巡り会えますように
子どもに好かれる保育士になれますように などなど・・・
どれも健気で、素直で、切なる祈りがこもっています。
人は苦しい時だけでなく、日々の素朴な願いも神様に託すものなのですね。
それが日本人の昔からの、祈りのあり方なのでしょう。
神様はもともと、庶民のこの素朴な祈りを寛容に、そして温かく受けとめてくれる存在だったのではないでしょうか。
だからこそこれまで、永く、日本人の心に受け容れられてきたのです。
‘美しい日本を守れ’、‘誇りある日本を目指せ’ などと、神様がわたしたち庶民にお説教を垂れるはずがありません。
神社は庶民の ‘心の拠りどころ’ であることを利用して、「誇りある日本を目指して憲法改正を推進します」などという、世間で今議論の大きく分かれる、きわめて政治的な問題に踏み込んではならないと考えます。