Luntaの小さい旅、大きい旅

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五島列島の旅 10 福江島北部

2010-12-02 02:00:54 | 国内旅行
11月3日

 本日もまた伊勢えびのお味噌汁をいただいて宿を出発。

福江の町の真ん中には立派なお堀と城壁が残るが、明治維新の直前、外国船からの防御目的にやっと許されたと言う城は既になく、お堀の中にはなんと高校がある。
 

福江の町を出て島の北をめざし、まずは楠原教会。
 1912年にできたと言う重厚なレンガ造りの教会はこれも鉄川与助氏の設計施工。が残念ながら扉が閉ざされていて内部を見ることができず。

 この教会のすぐ近くにあるのは楠原牢屋を再現した建物。ここも牢屋の窄同様、明治の初めに名乗り出たキリシタンが迫害されたところだという。

さらに北の海岸に出ると魚津ヶ崎公園。
 
この湾からさらに回り込んだところに港があり、そこが遣唐使船の日本最後の寄港地だったのだそうだ。

この公園からも遠望できるところにあるのが真っ白な木造の水ノ浦教会。
  
1938年にできたこの教会は鉄川与助氏が直接手がけた中では最後の教会のよう。
 
内部まで淡い色調でステンドグラスも清楚な感じ。 
 入り口がちょっとイスラム風にも見えるのは何を参照したのだろうか。
鉄川さんの好奇心は年をとっても衰えることがなかったと見える。

次に向かったのは白石のともづな石。
小さな港に面した民家の中に入っていくとなにやら大きな石がある。
 これが「ともづな石」かと思うとさにあらず、これは単なる記念碑で、肝心の石はその横の物置のような建物の中。
 祭壇の下、まるで隠すように置かれているのが遣唐使船をつないだと言う石。
近所の人たちによって海上安全の神様として祭られているらしい。

ここから島の西岸にでるときれいな砂浜が見えてきた。
  
日本の渚100選の一つと言う高浜海水浴場。設備もちゃんと整った海水浴場だが、この季節なのでいるのは管理人さんとサーファーが1人だけ。こんなところを独占できるなんて、なんと贅沢なことだろう。

さらに北上して渕ノ元カトリック墓碑群。
  
景色のいいお墓だが、それよりこちら
  
かんころ餅の原料になるさつま芋干しの方が気になる。

 島の西北端にあるのは空海の記念碑「辞本涯」 
  
このあたりは白い砂浜ではなく、真っ黒い石の浜辺。波も荒く、こんなところから箱のような船で出かけて行ったのだから、遣唐使達はまさに命がけ。生還率は50%あったのだろうか。嫌がって逃げ帰った貴族もいたというが、むべなるかな。

 ツアー最後の食事は道の駅・遣唐使ふるさと館で。
   
五島うどんをはじめ、島の野菜を多く使ったバイキング形式。
クリームと餡を包んだ和風クレープが「やっつけ」というのも面白いが、表の売店で売っているコーヒーゼリーソフトが絶品。

昼食の後はツアーもいよいよラストスパート。

今回最後の教会は堂崎教会。
  
1879年に創建された五島で最初の教会で、このイタリア製赤レンガ造りの建物も1908年にできたとのことだが、現在内部はキリシタン資料館になっていて、ここだけは入場料が必要。内部も残念ながら撮影禁止になっている。
  
とてもきれいなステンドグラスの写真が撮れずに残念、と思っていたら長崎空港でしおりになっているのを見つけた。

五島の教会には花のモチーフが多いが、そのほとんどは島の特産の椿の花。堂崎教会のステンドグラスも椿ではないかと思うが、本来五弁の椿を五島の教会では十字架にちなんで四弁で表すのだそうだ。

教会の見学が済んだらあとは福江の町に戻り、飛行機の時間をにらみつつ駆け足で最後の見学をこなす。

  
明人堂は明の貿易商人、というか倭寇の親分、王直が建てたというお堂。
 この六角井戸も中国人が作ったものといわれている。

倭寇には大いに興味があるが海賊となれば残っている資料もあまりないだろうし、今回はともかくここで時間切れ。

福江空港で大いにお世話になった秘境添乗員・金子氏、ツアーのみなさんとお別れをして、友人と自分の二人は福江港に向かった。


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コメント (6)
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