Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

キプロスの旅 8 アヤ・ナパ~ラルナカ

2010-09-28 19:18:20 | ヨーロッパ
8月14日

ニコシアのホテルを出て南キプロス最東端のアヤ・ナパへ。

ここはロンプラでは通俗的なリゾート地としてぼろくそに書かれているが、なるほど町に入ると安っぽいレストランやら雑貨屋やらが立ち並んで、リゾートというより「海水浴場」。九十九里とか江ノ島を思い出す。
  
レストランの中にはロシア料理屋も多いようで、最近のお客さんの中心は北欧とロシアの若い子たちらしい。

この町がリゾートになったのは1974年に北のファマグスタのリゾートがトルコに占領されて以来のこと。それ以前は修道院が一つあるだけの静かな漁村だった、ということでその修道院へ。
  
小さな中庭の周りを建物が囲み、これまた小さな教会があるだけ。
門の前にある樹齢600年とやらの大きな木が一番印象的。

町には他に見るものもないので、後は海岸の「名所」巡り。

  
ここの海岸線には砂浜よりは岩場が多いようで、ちょっとした洞窟になった所がたくさんある。ボートに満載のお客さんたちは次々に海に入ってシュノーケリング。

  
ここも階段を下りたところにあるちょっとした洞窟。まるでプールのような静かな水溜りの海水はきれいで、足をつけると冷たくて気持ちいい。

 
他にもこんな石のアーチがあったり、アヤ・ナパ港の近くは遠浅の岩場。

島の西側のアフロディーテ海岸やパフォスよりこちらの方が海水はきれいで、せっかく時間があるならここで半日海水浴というオプションがあってもいいと思うのだが、このツアーではそんな融通はきかない。

足を海につけただけでラルナカの町へ帰還。
この町での観光は聖ラザロ教会。
  
キリストの奇跡によって死から蘇ったラザロが2度目に亡くなった後、ここに葬られたとされる。

 地下にはラザロのものとされる石棺があるが、中の遺骨は890年にはコンスタンチノープルに移され、その後はマルセイユに持っていかれたのだそうだ。

  
由緒ある教会らしく、石造りの内部には威厳があり、イコノスタシスも立派。

ここからちょっと歩けばすぐにラルナカのビーチに出る。
  
ここも大勢の海水浴客を眺めるだけで、これでキプロスの観光は終了。

 早々ときれいな空港でチェックインを済ませ、あとは免税店をひやかして時間をつぶす。

ここでチョコレートなど物色していたら見知らぬイギリス人のお姉ちゃんに声をかけられた。「これからヨーロッパ以外の国に帰るの?もしそうなら代わりにタバコ買ってもらえない?イギリスで買うと死ぬほど高いの。」EU圏以外の人間しかここでは免税にならないらしい。喫煙者は大変ね。

 こんなところのフードコートにさえ Sushi があることを確認して機内へ。

ドバイを経由して8月15日に無事帰国。

キプロスも暑かったが、帰ってきた日本はさらに蒸し暑かった。


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キプロスの旅 7 北ニコシア

2010-09-25 16:21:41 | ヨーロッパ
8月13日 続き

キレニアで昼食後、ニコシアの旧市街に今度は北側から入る。

  
大通りに大きな違いはないが、脇道に入ると南よりちょっと薄汚れて景気が悪い感じはする。

 
昔のキャラバンサライなども残り、一部カフェや店舗になっているところもあるが修復具合はいまいち。

やがて到着したのは展望台から見えていた大きな教会。
   
元々は13世紀に建てられたゴシック式の聖ソフィア教会がファマグスタのムスタファ・パシャ・モスク同様ミナレットを加えられ、今はセリミエ・ジャミィと呼ばれている。
 
内部の壁が真っ白に塗られ、絨毯を敷き詰められているのも一緒。

このモスクからすぐのところには1939年の年号のついたベレディエ市場がある。
 
  
ロンプラの解説には活気のある市場とあるが、商品の積みあがった生鮮食品のあたりにも、土産物屋の並ぶ一角にも客はまったくおらず、閑散としている。
うだるように暑い午後の時間帯だったからか、ラマダン中だったからか、いつもこうなのか。
  
アタチュルクだらけの土産物屋やロクムが山盛りのお菓子屋はまさにトルコ。

ここからしばらく歩いて前日見たレドラ通りの検問所の北側入り口に到着。
 まずは北トルコ側でパスポートを見せ、
 こんな塀で囲われた通りを30メートルも歩き
 キプロス共和国側でまたパスポートを見せれば難なく南に戻れる。

通常はスタンプも押さないようだが、添乗員が別紙にわざわざ出入国のスタンプをもらってくれた。

パスポートに押されてもイスラエルのような不都合はなさそうだが、グリーンラインの南側の壁には「1974年にはこんなことが起こった」という展示の数々。

簡単に行き来できるようになっても感情の壁はまだまだ高そうだ。


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キプロスの旅 6 キレニア

2010-09-23 15:03:35 | ヨーロッパ
8月13日

朝、ニコシア市外の検問所を通って再び北キプロスへ。

 乾いた畑の向こうに見えるのがキレニア山脈、これを越えるとすぐに海岸線が見える。

まず向かったのはキレニア城。
  
9世紀のビザンチン時代に創建されて以来、ルジニャーノ朝、ベネチア、オスマントルコと持ち主が代わる度に増築されて、見る人が見ればどの壁がどの時代のものかわかるらしいが、中世の城の例に漏れず、ここも中は石の壁しか残っていない。
 広い中庭の向こうにあるのはルジニャーノ朝時代の宮殿跡。
この中が今は難破船博物館になっていて
  
1967年に発見された紀元前300年の難破船とその積荷を展示している。
その頃からアーモンドや穀類、ワインをアナトリア~ギリシャ間で取引していたらしい。

  
城の屋上に上ると背後にはキレニア山脈、目の前にはキレニアの港が見える。
 港側から見るキレニア城はなかなかの威容で、キプロスで見た城の中では一番立派かも。

ここから少し山道をあがり、ベラパイス修道院へ。
 12世紀末、パレスチナから逃れてきたオーガスティン派修道会によって建てられたこの修道院は典型的ゴシック建築。
 
  
その後ギリシャ正教のものとなった教会や、今はイベントスペースとして使われているらしい集会所など良く残っている。
  
眼下にはキレニアの町とその向こうに海、背後にはキレニア山脈が迫ってすばらしい景色。

  
修道院の周りの村もこじんまりとかわいい家が並んでいて、ちょっと雰囲気のいいゲストハウスもちらほら見える。
こんな村にしばらく滞在するのも気持ちが良さそうだ。

この日はラマダン入りだったはずだがトルコ側とはいえ観光地ではまったく関係ないらしく、ベトナム人ウェイトレスさんたちにサーブされながら修道院の目の前でお昼をいただいた。


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キプロスの旅 5 ニコシア

2010-09-21 18:01:59 | ヨーロッパ
8月12日

パフォスで泊まったリゾート・ホテル、ここの一夜は散々だった。
というのもようやく眠りについた午前1時過ぎ、音楽が鳴り出して目が覚めてしまったのだ。
音源はホテルの外のようだが、ディスコのような音楽がずっと続き、やんだのは4時過ぎだったろうか。
週末ならばまだしもこのホテルに泊まったのは水曜日。ということはシーズン中は毎晩こうなのだろう。ならばせめて防音をしっかりしてもらいたいところだが、いやはや。

 夜が遅いせいか朝の浜辺は静かなもの。

ここからは東に引き返してリマソールを通り過ぎ、さらに東のキロキティア遺跡へ。
  
ここは同じ遺跡でもローマよりはるかに古い紀元前7000年ごろのもの。残っているのは急勾配に残された住居跡の丸い石組みだけなので、言われなければ何のことやらさっぱりわからない。
 というわけで復元された住居があるのだが、コンクリート造りでは感じが出ない。一応ここも世界遺産なのだから、もうちょっとどうにかしたらいかがか。

ここから道を北上するとキプロスの首都、ニコシア。
この町の名はギリシャ側がニコシア、トルコ側がレフコシャと添乗員に説明されたが、現地の道路標識などはギリシャ語でもレフコシャになっている。が町に入るとニコシアの名前も見受けられ、まぎらわしいことこのうえない。

新市街をしばらく進むとやがて旧市街を囲むベネチア時代の城壁が見えてくる。
 さほどの高さはないが、よく保存されてきれい。
 ファマグスタ門は元々あった3つの門のうち東側にあるものだが、今はここをくぐって出入りするわけではない。

ニコシアの市内に入り、最初に訪れたのはキプロス大司教公邸
  
この中は見学できないが、このすぐ隣に聖ヨハネ教会があり、さらに奥にはビザンチン美術館がある。

  
17世紀に建てられた聖ヨハネ教会の天井はフレスコ画に覆われていてきれいだが、残念ながら内部の撮影禁止。

 ビザンチン美術館内部も撮影禁止だが、内部はかなり広く、11世紀頃からのイコンがキプロス中から集められていてなかなか壮観。

中で最も印象的なのはこれらのモザイクの断片。
  
"A Journey through the Painted Churches of Cyrus" より

6世紀頃に作られたこのモザイクは北キプロスのパナギア・カナカリアという教会にあったのだが、1974年のトルコ軍の侵攻後、トルコ人によって教会の天井からはずされ、売りに出されていたものを取り返したのだそうだ。
モザイクのかけらの美しさもさることながら、その波乱の顛末とうらみのこもった展示がとにかく印象的。

次に向かったのはキプロス博物館
 
1883年に建てられたという建物は古く、内部もそれほど大きくないが、中の展示品はかなりおもしろい。

ここで特に有名なのは「ソリのアフロディーテ」と呼ばれるこの石像(写真は博物館のHPから)
  
15cmほどの小さな石像で、しかも部屋の隅のキャビネットにほかのものと一緒にごちゃごちゃ展示されているのではじめは見逃してしまったが、キプロス発行の1ユーロ硬貨にデザインされているほど有名なのだ(ならもっとかっこよく展示してあげればいいのに・・・)

ほかにギリシャ時代以前の陶器もユニークな絵付けのものが多くて実に楽しい。
が残念ながらここも内部撮影禁止、その上改装のためにミュージアムショップが閉められていて本や絵葉書も買うことができない。楽しいと言う記憶しか残らないなんて、ああ、もったいない。

次の観光もガイドさんはまた別の博物館に行こうとした。ところが行ってみると博物館はなんと休館中。
そこで急遽、旧市街一の高さと言うデベナムズ・デパートの上にある展望台に行くことになった。
 
これが怪我の功名、360度周りが見渡せるここからの景色はかなり興味深い。
 北をのぞむと大きな教会が見えるが、そこはもうトルコ占領地。
その向こうにそびえる山の斜面には
 写真では薄ぼんやりとしかわからないが、大きなトルコと北キプロスの国旗が描かれている。
そしてこの北キプロス旗、なんと夜には電飾で光るのだ。
これはやっぱりけんか売ってるとしか思えまい。

  
展示室の真ん中にある空撮写真を見ると城壁にぐるりと囲まれた町の様子がよくわかる。今はもちろん城壁の外に新しいビルがどんどん建っている。

デパートの下はニコシアの銀座ともいうべきレドラ通り。
 
とは言え、夏の暑い昼下がり、歩いている人はあまりいなくて閑散としている。
夕方には人通りも増えるようだが、町一番と聞いていたデベナムズ・デパートも田舎のイトーヨーカドーよりしょぼい品揃えで、いまや郊外にたくさん建てられている巨大ショッピングモールにお客を取られている様子。

このレドラ通りをまっすぐ北上するとやがて北とのグリーンラインにつきあたる。
  
「最後の分断都市」との看板が悲壮だが、南から北への通行はノーチェック、北から南へ入る人だけパスポートチェックをしている様子で緊迫感はまるでない。写真を撮っていてもまったく問題なし。

その北ニコシアは明日の観光に回し、宿泊先のホリデイ・インに入ってみると
 
なんと、回転寿司がある。

夕食は幸いにしてイタリアンだった。 


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2010年9月の「枡ざき」

2010-09-19 14:05:44 | 食べ歩き
ようやく涼しい風が漂いだしたので、秋のお料理をいただくべく芝大門の「枡ざき」へ2度目の訪問。

懐席桝ざき - オフィシャルWEBサイト ←HPもできました

 カウンター席に座ると目の前にはこんなしつらえが。
そういえば子供の頃、母の田舎で白玉団子作ってお月見したなあ。

とろりとした玉露の先茶からはじまるコースももちろん季節感一杯。
 昆布でできた小さなかごの中は銀杏とむかご
 味噌漬けの卵黄はもちろんお月様
 イカしんじょにりんごのソースは珍しい取り合わせ。りんごの甘味が意外なほどイカに合う。
 大徳寺麩と柿のしらあえ。
しらあえになっているので姿は定かに見えないが、スポンジのような面白い食感のものが大徳寺麩らしい。
 お椀はこれまた秋らしい紫芋のしんじょ
  
今日はお造りがすごかった。はじめにイカの糸作りがワタのつけダレと出されて、これをおいしい、おいしいと食べていたら「メインはこちらなんですが」とさらに2段重ねのお重が登場。計7種のお魚のどれもおいしい!
 この後出されたイカの塩辛。右は作りたてのもの、左の帽子のような器の中には1週間ほど寝かせたものが入っていて、これはたまりません。酒も飲めないくせにこういう酒肴は大好き。白味噌をちょっと加えていると言うこちらの塩辛なら丼でご飯が食べられる。
 アイナメの上に百合根をのせた焼き物
 凌ぎ茶は抹茶入り茶碗蒸し
 エビ芋と炊き合わせたいこみごぼう、うまし。
 牡蠣も豚肉と大葉、のりで巻いたものが揚げ物になっていて手が込んでいる。
 なまこと山芋豆腐をさっぱりいただいたら
  
本命の土鍋ご飯。本日の秋刀魚ご飯の、このきれいなこと。きのこや銀杏、むかごもたくさん入ったこのご飯を食べて、
ああ、幸せ。
 食後はまず栗蒸し羊羹とお抹茶をいただき
 さらに水菓子。真ん中にあるのはパッションフルーツのプリンで、この酸味は鮮烈。食後にはぴったりのさわやかさで、前回よりも今回のデザート構成は進化している。

味はもちろん、目にもおいしいこちらのお料理。聞くとなんと器は1000点以上、そのために部屋を借りるほど用意しているそう。どうりでねえ。

残った土鍋ご飯は折りにしてお持ち帰り。
とオーナー、「来月の土鍋ご飯はですねえ・・・」となんと予告が出た。「ズワイガニにイクラをたっぷり散らして」とこれはたまらない。

来月の予約を入れ、大満足で店を出た。


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キプロスの旅 4 リマソール~パフォス

2010-09-18 03:04:22 | ヨーロッパ
8月11日

リマソールのホテルを出て、まず向かったのは町の郊外にあるコロッシ城。
 
12世紀に聖ヨハネ騎士団によって建てられた城だが、現在残っているのは15世紀の建物。入り口の上にここから煮立った油や汚物を侵入する敵に落としたというでっぱりがあるほかはなんの装飾もない四角い直方体で、城と言うよりはちょっと大きめの倉庫のよう。
  
内部も飾り気のない3階建てで、大きな暖炉だけが部屋のアクセント。
 屋上から周りを見るとリマソール郊外が見渡せ、その他はブドウ畑や果樹の畑が広がる。
聖ヨハネ騎士団はここでワインや砂糖を作っていたというから、普段は質素な修道生活だったのだろうと想像する。

コロッシ城を出てほどなく、ちょっとした山道をあがるとそこがクリオン遺跡。
紀元前13世紀ごろからミケーネ人が定住したと言う町の遺跡は様々な時代の遺構が広い敷地に散らばっているが、メインの見所は5世紀の「ユーストリウスの館」。
  
  
モザイクの残る床を大きな屋根で囲っているのだが、その向こうに海の広がる景色がいい。

 すぐ近くの円形劇場も海を見下ろして気持ちがいいが、だんだん空が晴れてきて暑くなってきた。

これまたすぐ近くのアポロン神殿に着いた頃にはピーカン晴れ。
  
写真映えはするけど、こうなると遺跡なんてどうでもいい。

ここから進路を西に取り、海岸線に出るとキプロスで最も有名な海岸に出る。
 アフロディーテ誕生の地と言われるペトラ・トゥ・ロミオ海岸。

ボッティチェリの絵にも描かれていると言うのでチェックしてみたら
 確かに背景の海岸線の形はそっくり。
ボッティチェリがキプロスに来たとは思えないし、ほかの絵でも参考にしたのだろうか。

  
浜辺に下りてみればさすが人気の海岸は海水浴客でいっぱい。
水は遠くから見るほどきれいではないが、こんな暑い日には海水浴が正解だよなあ、と足をつけるだけの時間しかもらえない弾丸ツアー客は悲しく思う。
 海岸脇の崖がハートに覆われているのはご愛嬌。

この海岸のさらに西、パレ・パフォスにはアフロディーテの神殿跡と言う遺跡があるが
  
ここで盛時を想像するには相当の知識が要求され、厳しい。
敷地の奥の小さな博物館にある「ご神体」もただの大きな石。かなり古い時代の信仰の跡だろう。

昼食をはさんで昼下がりの一番暑い時間、パフォスの町の北にある「王族の墓」へ。
 
目の前に海が広がるが草一本はえていない広大な荒地。
この敷地のところどころに穴があって、その下に紀元前3世紀頃の地下墳墓がある。
  
立派な柱が中庭を囲み、その奥の部屋に棺が置かれるニッチがうがたれた造りはこの頃キプロスを支配していたエジプトの影響とか。
なかなかおもしろい造りだが、中には飾りも何も残っていない。19世紀のアメリカ領事をはじめとする墓泥棒にすべてかっぱらわれたんだそうだ。

暑さにへばりながら観光はまだ続く。
パフォスの港の近くにこれまた広大な面積で広がるパフォス考古遺跡。このあたりは掘ればどこかの時代の遺跡が必ず出てきてしまうのだろう。

 
この遺跡の中、巨大な工場のような建物がここの目玉、「ディオニソスの館」。
おなじみローマ時代の屋敷跡のモザイク床に屋根をかけ、見学通路をつけたものだが、ここは規模も大きく、モザイクもきれいで見ごたえがある。
 ギリシャ神話をモチーフにした物語絵もおもしろいが
  
洗練された幾何学模様の床がおしゃれ
 
動物の動きもイキイキしている。

ローマ時代のモザイクの後はちょっと歩いて港から突き出したパフォス要塞へ。
 
14世紀にルジニャーノ家が作ったというこの小さな要塞も空っぽで、屋上から港を見るも目の前のイベントスタンドが邪魔。

小さなヨットがたくさん係留されたこの港でつかの間の自由時間がもらえた。
 
辛党はビールを飲みに走り、甘党はジェラートに走ってやっと一息。

  
この後チェックインしたホテルは海辺の典型的リゾートホテル。

紀元前から中世まで、盛りだくさんな一日だった。


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キプロスの旅 3 ペドラス村とオモドス村

2010-09-13 18:23:03 | ヨーロッパ
8月10日 続き

キコス修道院を見学後、道を戻ってペドラス村へ。

 立派なギリシャ正教の教会が目立つこの村はさくらんぼで有名なのだそうだが、
  
この季節の村の家々はどこもぶどう棚が涼しげな陰を作り、実がたわわに実っている。

  
表通りにはちょっとした店も並ぶが、店の人に愛想はない。不親切ではないのだが、キプロス人は総じてあまり愛想が良くないよう。

この村で昼食後、本日3つ目の教会、アルハンゲロス・ミハイル教会へ。
  
15世紀に作られたこの教会も世界遺産。地面まで届く片屋根がなんとも個性的な外観。

ぎっしりとフレスコ画に覆われた内部、ちょうど管理人がいなかったので「フラッシュなしなら」とガイドから撮影の許可が出た。ラッキー!
  
 ビザンチン様式のフレスコは1980年に修復されたこともあってとても良い状態。
  
教会の名前にもなっている大天使ミカエルに聖ジョージはおなじみのモチーフ。

壁画フェチとして今回のキプロスで一番の興味はこのトロードスの教会だった。
実際見てみると、ビザンチンの影響が濃いながらやはり鄙びて素朴な印象。そして内部の壁画よりも実は教会の建物の方が印象に残りおもしろかった。
 博物館で買ったこの本を見るとキプロス中に魅力的な教会はたくさんある。今回のツアーでは残念ながら3ヶ所しか見ることができなかったが、ひたすら古い教会ばかり巡ったらさぞ面白いだろうと思う。そんなマニアックな旅、普通の旅行社のツアーにはならないかもしれないけど。

ペドラス村からは山を下ってオモドス村へ。
  
周りをブドウ畑に囲まれた明るい「昔ながらの村」で、駐車場には観光客の車がたくさん停まっている。
  
村の中心にはお土産屋さんが軒を連ねているし、
  
この村名物のレースを編むおばあちゃんは「買いなさい!」と結構強引だったりするが
  
ちょっと奥に入ると普通の生活が静かに続いていて
 その合間に古いブドウ絞りの小屋が残されていたり、ガラスの工房があったりするのがほどが良くてよろしい。

  
 村の中心にある修道院もいまだ現役。

歴史ある村は生活が続いてこそ魅力的なのだと、有名になるとすぐ村全体をディズニーランド化してしまう某国は早く学んでほしいものだ。


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基隆の夜市

2010-09-12 02:21:34 | 東アジア
金山からバスに乗って基隆駅前へ。
駅の前には港があり、山の斜面にはハリウッドばりにKEELUNGの文字。
  
港を見晴らすウォーターフロントは広々としたウッドデッキになってきれいだが、残念ながらこの海はよどんだ潮のにおいでかなりくさい。

さて、台北にまっすぐに帰らずに基隆に立ち寄った理由は2つある。

その一つはこの店↓でパイナップルケーキを買うため。
 いまや台湾土産といえばパイナップルケーキだが、基隆のこの店がその元祖で、しかも他に支店は出さないという。
噂にたがわぬ人気店で大勢のお客でにぎわっているが、店はごく小さく、パイナップルケーキのほかには2、3種類の中華菓子を売っているだけ。

 
さっそくその元祖パイナップルケーキと、もう一種類「蛋黄酥」というおまんじゅうを買ってみる。
パイナップルケーキの方は皮がぽろぽろとして塩気がけっこうあり、そのせいか中のパイナップル餡があまり甘く感じない。悪くはないがそれほど特別な感じはなし。
それよりも「蛋黄酥」の方がおもしろくて、名前から想像はしていたが、小豆や緑豆の餡の中に塩漬けの卵黄が一つ丸々入っている。こちらもまわりのパイ皮に塩気があり、卵黄とパイ皮、餡の味のバランスが絶妙。あまり日持ちしない(6日ほど)のが残念だが、パイナップルケーキよりこちらの方が台湾らしいと思う。

この店からお土産をぶら下げてまっすぐ歩けば、基隆のもう一つの目的地にすぐ着く。
 
通称基隆夜市の「廟口小吃」。
狭い通りの両側にテーブルを出した屋台店がぎっしり、さらにこの道と交差する道にも食べ物屋ばかりがずらりと並ぶ。

土曜の夜とあって夕方早い時間から通りはもう人でいっぱい。あまりの人出に引き返そうかとも思ったが、この町一番の名物となれば一応見ておかなければなるまい、と意を決して前に進む。

 屋台店の上にはそれぞれ番号と売り物、店名の書かれた看板があり、有名店を間違いなく見つけられるようになっている。

 こちらはこの屋台街のそもそもの成立理由である廟。
もはや人出をちょっと逃れてゆっくり食べるための避難所のようになっているが。

この夜市で人ごみにもまれながらいただいたもの。
  
まずはこの夜市で人気らしい「天婦羅」。ようはさつま揚げだが、ちょっと甘めながらあっさり。しかし特筆すべきものでもなし。

 一個10元の肉餅は、まあ、10元なりの味。

 港町の基隆とあって海鮮料理の屋台も多く、台湾の皆さんにも人気のようだが、一皿200元ぐらいするし、屋台の海鮮ははずれることが多いのでこれはパス。

  
牡蠣オムレツやクラゲのような形の海鮮入りの揚げ物もおもしろいけど、これ一つでお腹一杯になりそうだし。

と悩みつつ歩いていたら気になる屋台を発見。
  
ちょっときれいな奥さんと気難しそうなだんながやっている漢方スープの店。
あまりお客はいなかったけれど、なんとなくピンと来るものがあって鶏とクコのスープを頼んでみたところ、これが大当たり!きれいに澄んだスープが実に上品ないい味で、こんな屋台で、しかもたった75元(約200円)でこれほどおいしいものにありつけるとは思わなかった。

この後は「三兄弟」で豆花を食べて、7時ごろにはもう通りは歩くのも大変な大盛況。

基隆の駅へ戻り、帰りはローカル列車で台北まで戻ることにする。
 
バスなら30分のところ、各駅停車のローカル列車だと50分。ほんのちょっぴり安く帰れる。

金山温泉に基隆、一日よく遊んだ。


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台湾 金山温泉ではしご湯 2

2010-09-09 19:28:25 | 東アジア
金山温泉3湯目は水尾地区にある「舊金山総督温泉」
 日本統治時代からある温泉で、「総督」の名は台北の総督府の余り資材で建物が作られたからだそうだが、現在の建物は最近建て直されたもの、と入り口近くに説明書きがある。

  
入り口を入ると階段がちょっと雰囲気。階段の脇には「総督浴池」というこれは昔の浴室を残した部屋もあって、ここは貸切で入れるらしい。

 ここにはSPAや個室もあるが、もちろん裸で入れる4階の露天風呂を選択。300元を払うと小さいタオルとバスタオルを渡されるので階段を上がる。

 のれんをくぐって屋上に出ると、目の前には浴槽、左手にコインロッカーと鏡台がある。

 
浴槽は3つに分かれ、一番大きい浴槽には屋根がなく、真ん中の浴槽には源泉がそそがれ、その脇には小さなジャグジーがある。
一見誰もいないのかと思ったら入り口すぐのデッキチェアでおばさんが1人タオルをかぶってお昼寝中。なもので変な写真になってしまった。

シャンプーやボディソープ完備のシャワーで汗を流して早速入湯。
ここのお湯は金山温泉よりやや濃い茶色、同じように鉄くさく、なめると塩味がする。傷のあるところにピリピリしみるのは塩分のせいか、お湯が酸性なのか。

源泉のそそがれている浴槽は温度計によると44度、一番大きな浴槽は42度ぐらいだろうか。家で入るなら適温だが、暑い日中ではそう長く入っていられない。
ところが一番小さなジャグジーは真水。水温は20度くらいか。これに入って体を冷やし、冷たくなったところで真ん中の熱いお湯に入ると、おお、極楽。

 この露天は海が見えるのが売りなのだが、残念ながら海の方を向いているのは男湯。女湯からは格子の隙間からかろうじて見える程度。それでも目の前には緑の山、そよそよと風も吹いて、しばらくお湯に漬かり、デッキチェアで寝そべってを繰り返すと実に気持ちがいい。300元の価値はおおいにある。

かなりの時間ここでのんびりさせてもらったが、そのうちお客さんが増えてきたので退散することにする。がまだ日は高く、先に見た公共浴場がやはり気になる。

ということで再び加投地区へとってかえし、「加投社区公共浴室」へ。
  
この浴室、上は小さな池に面した休憩所になっていて、お風呂は半地下に降りていく。
短い廊下を入ると右手に浴槽のある部屋、壁に仕切られてお湯を汲むところとさらに大きなテーブルやベンチの置かれた部屋がある。

 床に並んだたくさんのバケツには源泉がどんどん注がれている。これがちょっと熱いので、汲み置いたバケツの中から自分の好みの温度のお湯で体を流す仕組み。これは賢い。

浴槽の方は床からさらに掘り下げられた四角い石造りで10人ぐらいは入れる大きさ。お湯はちょっと白濁していて、部屋中に強烈な硫黄の香りが充満している。見ると水の中から泡が時々あがってくるので床下から源泉が湧いている様子。温度は44度くらいだろうか。熱いが入っていられない温度ではなく、これぞまさに「温泉!」という感じ。個室風呂もおもしろいけど、やっぱり大浴場がいいなあ、としみじみ思う。

この浴室は「公共浴場」なので入浴無料。こんないいお風呂があったら有料のところにわざわざ行く必要はない。300元のお風呂も良かったけれど、結局ここが一番好きかも。

パラパラと入っていたおばさんの1人、こちらに言葉が通じないとわかると日本語で「アツイネー」。
地元の人の善意とマナーで維持されている温泉に入らせてもらって「謝謝、再見!」

お風呂は十分に堪能したので、バスに乗る前に金山老街をちょっと歩いてみる。
 土曜日の昼下がり、温泉にはそれほど人がいなかったが、こちらの老街はたいした人出。台湾の人たちはこういうところが本当に好きだ。

  
金山の名物はさつまいもらしく、いたるところで様々な種類のさつまいもを売っている。さつまいもチップスや大学芋、その他にもアイスクリームやらジュースやら、食べ物の店がずらりと並ぶ。

 これは台湾のおばちゃんたちがお風呂で使うもの。これでお腹やお尻をばしばし叩くのだが、さすがにこれを買うのはちょっと、ね。

老街のちょうど真ん中あたりには道教の廟があった。
  
ここがやたらとにぎわっているので皆さん、どれだけ信心深いのかと思ったらなんと、廟の手前は厨房になっていて、みんな次々に出来上がった料理の皿を受け取り、少し離れたテーブル席に持っていく。これは一体お寺の商売なのか、場所を借りているだけなのか。

金山温泉の一日、おもしろかった。
さあ、おんぼろローカルバスに乗って基隆に戻ろう。

ところで今回の温泉行きの参考書はこちら↓
 台湾にはまだまだ行くべき温泉がいっぱい。


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台湾 金山温泉ではしご湯 1

2010-09-08 01:07:37 | 東アジア
仕事の終わった土曜日、帰国を一日延ばして台北近郊の金山温泉に行ってみた。

金山行きのバスは台北駅西バスターミナルから15~20分おきに出ている。
 
なかなか乗り心地のいいバスだが、30分ほどは市内をぐるぐる回ってシティホールのバスターミナルへ、そこから高速に乗るのでシティホールから乗る方が早いかもしれない。

バスは高速で西へ向かい、基隆の市街をかすめて海岸線を北へ向かう。
 萬里という町を過ぎてからやっと見えてくる海。
対岸の岬の突端は国立公園になっている野柳だ。

1時間半ほどで金山の町に到着。
 表通りはどこにでもありそうな田舎町。

この町のどこかに温泉があるはずなのだが地図がないのでよくわからない。
適当に人の多そうな方向へ向かうと一本裏は金山老街というお土産通り。ここをまた適当に流し、横道があったので入ってみると
 あった、「金山温泉浴池」
  
1945年創業というこの温泉、大浴場はなく番台で1人部屋か2人部屋か家族部屋かを選ぶ。1人部屋100元(約300円)なりを支払うと奥の薄暗い廊下に案内され、ドアを一つ示される。
暑い土曜の午前中、老街に人はあふれているものの温泉に来る人は他に誰もおらず、しんとしてドアだけが並ぶ廊下はちょっと刑務所みたい(入ったことないけど)。
 
小さな1人部屋は2畳ぐらい。カラフルなタイル張りの浴槽のほかには壁に荷物掛け用の釘と小さな洗面器があるだけでなにもない。
お湯も張っていないので蛇口を回すとお湯は50度以上あるだろうか、かなり熱いので水も盛大に出すと浴槽はすぐに一杯に。

温泉は鉄分などの鉱物を多く含んだ中性とのことで、味は特にしないが黄色がかって鉄くさい。
部屋は小さいけれど壁の上が開いているし、換気扇もちゃんと付いているので思いのほか息苦しさはない。1人風呂も気楽でいいかも、と30分ほど入って風呂から上がる。
とあがってしばらくしたら滝のような汗。はしごした中ではここが一番汗をかいたかもしれない。

「金山温泉浴池」を出たらバス通りをちょっと基隆方面へ戻って隣の加投地区へ。
10分もかからないほどの距離だが、こちらにくると硫黄の香りがして道の両脇にはちょっとこぎれいな温泉施設が並んでいる。

その中で自分が目指したのはこちら
  
まるで駐車場のような外観の「大埔硫黄泉浴室」。

この建物の奥には大浴槽もあるが、そちらは水着で入る台湾でいうところのSPA。
裸で入れるのは両脇にずらりと並ぶプレハブの小部屋で、ここは一律一部屋150元。
 
入ってみるとこちらは4畳半ほど、床は板張りでお風呂も木造り。2人は十分入れる大きさで、部屋の隅には便器もある。

こちらもお湯を張っていないので「熱水」と注意のある右下のレバーを回すと、ドバドバと勢いよく出てきたのは手もつけられない熱湯。白く濁り、硫黄の香りがプンとしてもったいないのだが、2つある蛇口からあわてて水を出す。はじめなぜ水の蛇口が2つあるのだろうと不思議に思っていたがこれで納得。お湯の2倍は水を出さないととても入れないのだ。

何とか入れるまでに加水してやっとお湯の中へ。中に段の付いた木の浴槽は心地よく、ちょっと塩気のあるお湯は薄めたとはいえ肌にまとわりつくような質感というか重さがある。
いいお湯だあ、と思うが熱くてそうは入っていられず、浴槽の縁で休み休み入浴。

部屋を出たら冷たいお水をもらってホッ。
しばらく休んでから外に出るとすぐ隣になんともそそられる公共浴場を見つけたが、この強烈なお湯に続けて入るのはさすがにためらわれる。

というわけで地図もないけどたぶんこちらだろうと目星をつけて海べりまで散歩してみる。
 
温泉街の裏に出るとそこはのどかな畑。その向こうには雲のかかった陽明山が見える。
畑の傍らに立つ仏教寺院もいかにも南国の風情。

どうやらだいぶ遠回りをして、しかしなんとか水尾漁港に近い海岸に到達。
 遠浅らしい海はこうして写真で見るときれいっぽいが実際にはそれほどきれいではなく、この周りは観光地化しようとして失敗した感じでいささか寂しい。

歩いて汗をかいたことだし、これを流してまた新たな汗をかきに、さあ3軒目の温泉へ行こう。


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コメント
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