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Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

クアラルンプール お宅訪問

2007-03-31 02:23:59 | 東南アジア
今回の旅行はインドが目的地だが、クアラルンプール経由の航空券だったのでKLの友人宅に寄っていくことにした。

2007年3月15日マレーシア航空で17時にKL到着。
友人宅はKLの郊外、タクシーで約40分。タクシーは前払いのチケット制で目的地別の明朗会計。運転手は英語も通じるし安心、高速も使って66リンギット(約2300円)だから安い。

到着した友人宅は新興住宅地のテラスハウス。敷地の入り口には門番もいるが、ほとんどノーチェックなので「役立たず」とは友人の弁。

 
建物は3階建てだが、1階と2階の半分は隣家、友人宅は2階の半分と3階部分という造り。
2階に20畳ほどのリビング・ダイニングと8畳ほどのキッチン、3階には寝室が3つ。
  
特筆すべきは3つの寝室それぞれにバスルームがつき、2階にも一つトイレがあること。この一軒の家にトイレが4つ、しかも友人は一人暮らしなのだ!

ここからKLの中心までは車で30分ほど、車で5分ほどのところにはシネマコンプレックスやIKEAも入った大きなショッピングモールがあって便利。
3年前の建築前に購入したときは日本円で1000万ちょっとだったが、今は4000万ほどとか。車がないと不便だが、マレーシアでは一家に車2台は当たり前、ガソリンがリッター35円ぐらいだからみんな車なのだ。

周りの住人を見ても普通の子供連れ家族だし、これがKLの中流の暮らしと言っていいだろうと思う。物価は安いし、暮らしの質は明らかに東京より上だ。

うらやましいぞ、ジェニー。

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インドから戻りました

2007-03-30 01:40:36 | 雑談
昨晩、無事インドから帰国しました。
今回のデカン高原はとにかく暑かった!連日40℃以上、もう毎日汗だく。
そんななか、朝昼晩と調子に乗ってインド料理をたらふく食べていたら、10日目にして胃袋がストを起こしてしまった。インド人体型になりかかった腹が元に戻ったのはいいけど、あのカレーもこのカレーももっと食べたかった・・・
まずはこの意地汚さを治さないと。

ぼちぼち写真を整理しつつ旅行記録を残します。

ところで2週間ぶりの風呂からあがってテレビをつけたら、なんと20年前のNHKシルクロードでラダックをやっているではないか。この番組がラダックまでカバーしていたとは知らなかった。
煌煌とライトに照らされたアルチの壁画は薄暗い中、目を凝らしてみるものとは別物のよう。今は入れない2階、3階まで映していて、く~、録画すれば良かった。

デカンもいいけど、やっぱりチベット文化圏はいいなあ。
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デカン高原

2007-03-14 11:22:21 | インド
明日からマレーシア経由でインドのデカン高原に行ってきます。
今度は記憶の新しいうちに記録を残そう。
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「スピティの谷へ」

2007-03-13 21:46:10 | チベット文化圏
もう一冊、本の紹介。
「スピティの谷へ」は著者の謝孝浩氏と二人のカメラマンが数年にわたってスピティに通い、作り上げた本。

Amazon.co.jp: スピティの谷へ: 本: 謝 孝浩,丸山 晋一,三原 久明

ダンカル・ゴンパのリンポチェも登場するし、郵便やさん、牧童、7歳で出家する男の子、養女になったネパール人の女の子など、スピティで出会う様々な人の姿が柔らかな視線で描かれている。

著者の謝さんにはもう10年近く前、ブータンのツアーの添乗員としてお世話になったことがある。
その時もとても優しい雰囲気の人だと思ったが、文章も人柄がにじみ出ている感じ。あの頃から将来は文筆業と決めていらしたから、この本が出た時は他人事ながらとてもうれしかった。

この本は写真も多くて、それがまたすばらしい。余計な物音が一切しない、空気が薄く透き通っていて、空が近いスピティの雰囲気がどのページからも感じられる。

ところでこの本にはスピティの「夜会」の話が登場するが、しばらく前にNHKの「地球に好奇心」でスピティの結婚の話を取り上げていたのを思い出した。年老いた母親の世話をする末娘と、土地の相続権を持たない次男坊が祭りの後の夜会で知り合い、恋仲になるが結婚を認めてもらえず悩む話。これも確かラルン村の話だった。

辺境の平和で静かな村にも、どことも同じように悩みがあり、悲しみがあり、楽しみや喜びがある。

できたら透明人間になって、本の著者たちのようにスピティの四季をそっとのぞいてみたいものだ。

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Among the Tibetans

2007-03-11 03:28:21 | チベット文化圏
イザベラ・バードというおばさんがいる。
と言っても1904年に亡くなったイギリス人なのだが、病気療養のためにアメリカを旅行したことがきっかけで旅行作家となり、40歳を過ぎてからアジア各国を旅行して回るようになる。

が、このおばさんの旅行、並大抵の旅ではない。
1878年に日本に来た時も、日本人の通訳を一人連れただけで東北から蝦夷のアイヌまで行ってしまうのだ。

130年ほど昔の日本、この人の「日本奥地紀行」を読むと、それこそ「秘境」だ。
農民は裸同然だし、子供たちは皮膚病だらけ、宿に泊まれば蚤や南京虫に襲われる。それでも日本は美しく、日本人は勤勉だと言うこのおばさん、よっぽど旅行が好きだったんだろう。

さて、イザベラおばさんは1889年、58歳のときにチベットへ行く。その記録が "Among the Tibetans" という本。

チベットといってもチベット本土はこの頃、鎖国中なので、カラチからカシミールを通ってラダックに入り、ヌブラまで足を伸ばしてから南下して、キーロン、ロータン・パス、シムラと旅している。

今、車で旅行しても大変なこのルートを、おばさんは馬やヤクで旅したのだからすごい。カシミールからラダックに入る峠越え、さらにレーからヌブラへの峠越えが大変だったと書いているが、それはそうだろう、ヌブラへのカルドゥン・ラ(峠)は5600メートルあるのだから。現地人のポーターや馬も鼻血を出して苦しんだという。

このカルドゥン・ラ、昨年ザンスカールに行った帰りに峠の上まで車で行った。
峠からレー方面

看板には「世界一高い自動車道」とある。
世界一かどうかはいまいち怪しいが(何しろインドや中国はすぐ世界一と主張したがる)、5000メートルをゆうに越えているのは確かなので、ザンスカールで高地順応していてもうろちょろすると頭がふらふらする。

そんな峠道を欧米人は自転車でやってくる。それも結構な年のおじさん、おばさんだ。この日見かけたのはオーストリアからの団体。

おばさんの一人がふらふらになりながらも無事上ってきたのでみんなが拍手して迎えたら、おばさん、感激して泣き出した。見ているこちらももらい泣き。

やっぱり肉食の欧米人はイザベラおばさんの時代からタフだ。

ところでイザベラおばさん、カシミール人にはよほどいやな思いをしたらしく、カシミール人は「背が高くハンサムだが、うそつきで、卑屈で、疑り深く」、それに比べてチベット人は「チビで醜く無骨だが、正直で親しみやすく、最高に感じがいい」とベタ褒めだ。

100年ちょっとで変わったもの、変わらないもの。昔の旅行記も面白い。

Amazon.co.jp: Among the Tibetans: 洋書: Isabella L. Bird,Edward Whymper

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インド ヒマーチャルの旅 3

2007-03-09 01:04:24 | チベット文化圏
8月24日の宿泊地、チョッタ・ダーラは石の川原。


テントでの食事はおいしかったが、背中が痛くてよく寝られなかった。テント泊ではたいていよく寝られるのだが。
 

8月25日、出発してしばらくは川原をドライブ。道ではなく、本当に石の上をジープでずんずん進む。車の中はミキサー状態。

山道に入り、今度は勇壮な断崖を見ながら進む。
 
スケールが大きすぎて写真ではまったくわからない。
「日本にこんなところがあったら国立公園か世界遺産だよ」とはツアー同行者の弁。

午後、ようやくマナリからの舗装道路に出て、ラホール地方の中心地、キーロンへ。この道をずっと北上すればラダックのレーに行ける。


キーロンは結構町らしい町だが、やたらに美人が多い。チベット系にほどよくアーリア系の血が混ざった感じ。
 
皆えんじ色の学生服のような格好をしているが、これはおばちゃんたちも着ているこの地方の衣装だ。

女の子たちに比べて男の子はあまりぱっとしない。

美男と美女がなかなか共存しないのはなぜなんだろう?

8月26日、キーロン郊外で法事に遭遇。ラダックから来たリンポチェ(活仏)の説法だそうだ。
 
集まっているのは女性ばかり。お菓子の用意もあって、なんだか楽しそうだった。

午後は有名なロータン・パス(3980メートル)へ。
 
一番高いところにはタルチョがいっぱいはためいていたが、この峠を越えればチベット文化圏とはさよならだ。

緑も花も少ない北側に比べて、峠の南側は花でいっぱい。
   

たどり着いたマナリの町は久々の「インド」だった。


8月27日、マナリのヒンドゥー寺院、ハディンバ寺院へ。

木造の小さなお寺で、日本の農家のようにも見える。

その後は山をひたすら下ってチャンディガールへ。
 
緑の中にはでなヒンドゥー寺院。

8月28日、チャンディガールからまたシャダブディエクスプレスでデリーへ。
デリーではパンジャビ・ドレスを作ったり、アーユルベーダ・マッサージを受けたり。

8月29日、ラールキラー(レッドフォート)見学。
いきなりムガール、これはこれですてき。でも今回はチベット仏教圏の旅。
夜、デリーを発って東京へ。

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インド ヒマーチャルの旅 2

2007-03-08 01:15:03 | チベット文化圏
8月22日、今回の旅行のハイライト、タボ・ゴンパ。

岩山のふもとに広がるタボの村、ゴンパはホテルのすぐ裏に見える。
 
外からは土の塊にしか見えないが、10世紀にロツァワ・リンチェン・サンポによって創建されたという由緒ある寺で、内部には貴重なカシミール様式の壁画がかなり良い状態で残る。墨の下書きが残るところなど、その線の美しさにうっとり。千仏画などはアジャンタにも似ている。残念ながら内部の写真撮影は禁止。

古い寺ながら今も活発に活動している寺で、幼い小坊主もたくさん抱えている。

村では近在の子供たちを集めた寄宿学校も経営していて、寄付金集めのために中を見学させてくれた。
  
先生も若い!

寄宿舎は整理整頓。

夕食の時、現地ガイドがいとこと伝統的衣装を見せてくれた。
 
カーペットを巻きつけたような肩掛けが特徴的。華やかな模様だが、最近の合成染料を使っているのがちょっと残念。

ちなみにスピティの案内をしてくれたガイド氏、元は僧侶だったのだが女性と深い仲になって還俗したとか。その女性とどうなったかは忘れてしまった。

8月23日、タボからスピティ川を遡り、ダンカル・ゴンパへ。

12世紀に建てられた岩山の上の寺で、てっぺんのお堂にはまたぎっしりと壁画が。

色鮮やかな大きな仏画は最近の修復だが、その下に15世紀以前のものと思われる古い絵が残っている。
 
女性たちが踊る姿はグゲのツァパラン遺跡にもそっくりな絵があって興味深い。

この寺の座主は80歳を超えたゲシェー(仏教博士)。チベットから苦労して逃げてきた話をしてくださった。


同じくダンカル・ゴンパの新堂。現在勤行などに使われているのはこちらなのだが、電飾がなんとも・・・


ダンカルの後はさらに谷の奥の小さな村、ラルンへ。
ここで昼食のお弁当を広げていると子供たちが集まってきて珍しそうに見学。
 

この小さな村の小さなゴンパはやはりリンチェン・サンポによって建てられたという古い寺。外からは想像できないほど中はにぎやかで素晴らしい。
 
 天井までこの華やかさ。
 仏教というよりキリスト教の壁画のよう。

夕方、この辺りでは大きな町、カザへ。

8月24日、スピティで最大のキ・ゴンパ。
 
村の上に聳え立つ要塞のような寺、姿はラダックのティクセにそっくりだ。
ここも10世紀とか11世紀とかの創建らしいが、現在の建物はごく新しいもので中にもあまり見るべきものはない。

アメリカなどに有力なスポンサーがいるようで、羽振りはずいぶん良さそうだ。

昼食の後は「世界一高い村」4205メートルのキッバル村へ。

しかし、隣の村の方がどう見ても高いところにある・・・

4551メートルのクンズム・ラを越えればスピティからラホール地方へ。
 
氷河を見ながらさらにすすんで、この夜は川原でテント泊。

つづく。

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訪問国一覧

2007-03-07 02:34:23 | 訪問国
簡単に訪問国マップを作ってくれるサイトを発見。

これまでに行った国、46ヶ国、世界の20%だって。



create your own visited country map
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インド ヒマーチャルの旅 1

2007-03-07 01:40:36 | チベット文化圏
またチベット文化圏に戻って、先日のザンスカールの南、ヒマーチャル・プラデシュ州の記録。

2003年8月17日から8月30日まで、インド ヒマーチャル・プラデシュ州のキナール、スピティ、ラホール地方へ。

まずはデリーからシャダブディ・エクスプレスでチャンディガールまで。車内ではお茶と朝食のサービスあり。
 

チャンディガールからはジープに乗ってイギリス統治時代の避暑地、シムラへ。
今は田舎の町だが、ぽつぽつとヨーロッパ風の別荘が残り、ホテルもそのような建物の一つ。

夕方の雨のあとには霧が出て、写真だとなかなかロマンチック。
 

8月19日、緑の多い山道を延々と走ってサラハンへ。
ここにはヒマーチャル独特のスタイルのヒンドゥー寺院、ビーマカーリー寺院がある。
 
木と石を組み合わせた下層より上部の木造部分が張り出した形。スレート葺きの屋根の反りもなんだか東洋的だ。

8月20日、サラハンから東に走り、キナール地方に入る。
この地方で独特なのはフェルトの帽子で、男性も女性もかぶる。へんな石像のおじさんも。
 

宿泊はカルパ。ホテルから村までりんご畑を見ながら散歩。

村には動物の彫刻が面白い素朴なヒンドゥー寺院がある。
 

雲の多い一日だったが、夕方になって雲の切れ目ができ、キナール・カイラスの山に夕日が差した。

チベットのカイラス山に形が似ているからキナール・カイラスと呼ばれる6050メートルの山。この時期にこれが見られたのはラッキーだった。


8月21日、サトレジ川を遡ってスピティ川との合流点。だんだん緑が少なくなってくる。
 

カルパから先はもうチベット文化圏。ナコの村のゴンパは西チベット風だ。
 

このあと、前年の大雨でがけ崩れがあった場所でジープを一度降り、何十メートルかのがけを下って上ってお迎えの別のジープに乗り換え。

スピティ地方に入って、タボには夜到着。

つづく。

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イエメンの食とカート

2007-03-06 01:48:11 | 中近東/北アフリカ
イエメンの食事はおいしい。何の予備知識も期待もなく行ったので、これはうれしい驚きだった。

到着してそうそうの朝食でまず食べたのが豆の煮込み。白いんげんのような豆がトマトベースのソースで煮込まれているのだが、これにたまねぎ、唐辛子、オリーブオイルなどを適当にトッピングして食べる。これが毎朝、どのホテルでも出て、味を比べるのも楽しかった。イエメンでは味噌汁のような存在らしい。

次の昼食に出たのは魚。

タンドールのような窯で焼かれていて、見た目よりずっとおいしい。
同じ窯で焼かれた薄いナンのようなパンと食べる。

イエメンの名物料理として有名なのはサルタ鍋と呼ばれるもの。

これも見た目はぱっとしないが、野菜をいろいろなハーブや香辛料で煮込んだ料理で、最後に卵でとじてある。フェヌグリークという、日本ではなじみがないがカレーに入っているらしいハーブが決め手らしく、ちょっとした苦味がある。レストランによっては石鍋で作られていて、これだけは店の正面で作っていたりする。

よく出たのはローストチキン。道路脇のドライブインでおじさんが炭火焼きしてくれたチキンは特においしかった。

滞在中、羊は一度も出なかったが、これは日本人のための手配だろう。羊好きとしては残念だったが。

サラダ類もよく出た。市場でもいろいろな野菜を売っていたし。
 
で伝統的には床に座って、パンでおかずをつまみながら食べる。

食後のデザートでおいしかったのはデーツ(なつめの実)。それまでおいしいと思ったことがなかったのだが、イエメンで目覚めてしまった。もっともなつめをよく食べる国にはそれほど行っていないので、イエメンが特においしいかどうかはわかりません。

もう一つおいしかったのは街中のフルーツジュース屋。果物を選ぶとその場でジューサーにかけてくれる。にんじんを頼んだらジョッキ一杯に4,5本絞ってくれて、値段は確か30円ぐらいだったと思う。おすすめ。

カートの話

さて、昼食が済むとイエメン人はカートの時間。

 
市場で仕入れたカートの葉をまた念入りに選別して、あとは午後じゅうもぐもぐと葉っぱを噛み続けるのだ。しかも噛んだ葉は口の中にためておくので、午後会うイエメン人は皆、こぶとり爺さんのように片ほほがふくらんでいる。

軽い覚醒作用があるというカート、少しもらって試してみたが、お茶の生葉を噛んでいるようで何がよいのかさっぱりわからない。
しかもこのカート、結構な値段するのだ。もちろん質にもよるだろうし、具体的な値段は忘れてしまったが、日給の半額ぐらい毎日カートに費やすと聞いてびっくりした覚えがある。TV Bros の記事でも「貨幣流通の半分近くがカートに流れる」とあるので聞き間違いではなかったようだ。

けして豊かではないイエメン経済で、単なる嗜好品に莫大な費用がかけられている。しかもこのカートのために輸出作物であったコーヒーの畑がどんどんつぶされているという。経済にはど素人が考えてもこの状況はまずいだろう。

カートにはもう一つ困ったことがある。カートを買うとビニール袋に入ってくるのだが、イエメン人はこの空き袋をそこいら辺に放り投げる。そのためイエメンはどこへ行ってもビニールのごみだらけ。特に紅海沿いの幹線道路など、道端の潅木にびっしりとビニール袋がからみついてまるで花が咲いたよう。今まで行ったどの国よりごみが多かった。

よその国の嗜好品のこと、外国人がとやかく言えるものではないが、せめてビニール袋のポイ捨てはやめてほしいものだ。素敵な国なのだから。

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