しばらくアジアの話が続いたので方角を変えよう。
2005年12月24日から2006年1月4日まで リビアの旅
夕方、羽田を発って関西空港、夜中発のエミレーツでドバイ経由、リビア。
トリポリには13時半に着いたが、ここで問題発生。
ツアー一行は21名いたのだが、そのうち私と私の友人2名、他にもう2名の荷物だけ出てこないのだ。調べたらドバイの空港に置き去りにされたとのこと。
思えば羽田でチェックインの時、ANAのコンピューターが一時的にダウンして、関空のエミレーツのチェックインがなんだかおかしかった。随分旅行はしているがこんなことは初めて。砂漠のキャンプのためにいろいろ用意してきたのに。
翌日の便に乗せて送ると言うが、我々はもうすぐに砂漠へ発ってしまうのだ。本当に荷物が追いつくのかなあ。
国内線の乗継まで随分時間はあるが外には出してもらえず、夜の便でリビア南部の町セブハへ。9時に着いた途端、速攻で買い物に出る。なにしろここを出たら本当の砂漠の中、何も買えなくなってしまう。店が遅くまで開いていて助かった!
エミレーツからもらった5000円ほどのお金をにぎりしめて買ったもの。
寝巻き代わりのトレーナー、タオル、キャンプの必需品、懐中電灯など。
苦労したのはコンタクト・クリーナーで、砂漠の中の町にはコンタクトの人間などいないらしく、3、4軒薬屋を回ってやっと見つけた。
不思議だったのはパンツ。自分は決してお尻の大きい方ではないと思うのだが、店で売っているものはどう見ても小さい。子供用品の店ではないはずなのに大きいものがない。立派な体格の現地人はどうするんだ。
トレーナーの隣のTシャツはトリポリ空港で友人と3人、お揃いを買った。
で、砂漠の中でカダフィごっこ(バカ)
12月26日
朝、ホテルの屋上から見ると、セブハは結構大きな町だ。
ここから西へ、まずはジェルマという町を目指す。
この町の郊外の、ガラマンテス人の都の跡というのを最初に見学。
紀元前2世紀から4世紀ごろまで栄えたとのことだが、なにしろ相手のことをまったく知らないので、こういう廃墟は厳しいものがある。
見学を終えて門を出ると、いつの間にかトゥアレグ族のみやげ物売りが集まっていた。
でも商売っ気、まるでなし。
町を離れ、さらに西へ。道はどんどん砂漠の中に入っていく。
お昼の休憩の時、ドライバーの1人が砂漠の中でお祈りを始めた。その姿のはるか向こうにはかすかに油田の煙突が見えていた。
お昼はこれから毎日、木陰や岩陰にテーブルを並べて。キャンプのためにキッチン・カーと料理人がついているのだが・・・。
夕方、予定通りアカクス山中への入り口、アウィナートという町に到着。
ここでのお泊りはかわいいバンガロー。
狭い部屋の中にはベッドがあるだけだが、ここまではお湯のシャワーと水洗トイレが使える。
食事のクスクスも決して悪くなかった。
ところがここでまた問題発生。ドアのロックをしなかったお客さんの1人が一眼レフカメラを盗まれてしまったのだ。
今夜には追いつくと言われていた我々の荷物も当然のごとく届かないし、添乗員さんは大変。
エミレーツからのお金をもう一日分いただいて、我々は町(と言うか村)へまたお買い物へ。この先、砂漠から戻るまではもう絶対に荷物とは会えないのだから。
でも村にはテントの屋台のような店しかなく、売っている衣類はすべて中国製。
安いシャツと暖かそうな靴下を買って翌日からの砂漠に備えた。
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2005年12月24日から2006年1月4日まで リビアの旅
夕方、羽田を発って関西空港、夜中発のエミレーツでドバイ経由、リビア。
トリポリには13時半に着いたが、ここで問題発生。
ツアー一行は21名いたのだが、そのうち私と私の友人2名、他にもう2名の荷物だけ出てこないのだ。調べたらドバイの空港に置き去りにされたとのこと。
思えば羽田でチェックインの時、ANAのコンピューターが一時的にダウンして、関空のエミレーツのチェックインがなんだかおかしかった。随分旅行はしているがこんなことは初めて。砂漠のキャンプのためにいろいろ用意してきたのに。
翌日の便に乗せて送ると言うが、我々はもうすぐに砂漠へ発ってしまうのだ。本当に荷物が追いつくのかなあ。
国内線の乗継まで随分時間はあるが外には出してもらえず、夜の便でリビア南部の町セブハへ。9時に着いた途端、速攻で買い物に出る。なにしろここを出たら本当の砂漠の中、何も買えなくなってしまう。店が遅くまで開いていて助かった!
エミレーツからもらった5000円ほどのお金をにぎりしめて買ったもの。
寝巻き代わりのトレーナー、タオル、キャンプの必需品、懐中電灯など。
苦労したのはコンタクト・クリーナーで、砂漠の中の町にはコンタクトの人間などいないらしく、3、4軒薬屋を回ってやっと見つけた。
不思議だったのはパンツ。自分は決してお尻の大きい方ではないと思うのだが、店で売っているものはどう見ても小さい。子供用品の店ではないはずなのに大きいものがない。立派な体格の現地人はどうするんだ。
トレーナーの隣のTシャツはトリポリ空港で友人と3人、お揃いを買った。
で、砂漠の中でカダフィごっこ(バカ)
12月26日
朝、ホテルの屋上から見ると、セブハは結構大きな町だ。
ここから西へ、まずはジェルマという町を目指す。
この町の郊外の、ガラマンテス人の都の跡というのを最初に見学。
紀元前2世紀から4世紀ごろまで栄えたとのことだが、なにしろ相手のことをまったく知らないので、こういう廃墟は厳しいものがある。
見学を終えて門を出ると、いつの間にかトゥアレグ族のみやげ物売りが集まっていた。
でも商売っ気、まるでなし。
町を離れ、さらに西へ。道はどんどん砂漠の中に入っていく。
お昼の休憩の時、ドライバーの1人が砂漠の中でお祈りを始めた。その姿のはるか向こうにはかすかに油田の煙突が見えていた。
お昼はこれから毎日、木陰や岩陰にテーブルを並べて。キャンプのためにキッチン・カーと料理人がついているのだが・・・。
夕方、予定通りアカクス山中への入り口、アウィナートという町に到着。
ここでのお泊りはかわいいバンガロー。
狭い部屋の中にはベッドがあるだけだが、ここまではお湯のシャワーと水洗トイレが使える。
食事のクスクスも決して悪くなかった。
ところがここでまた問題発生。ドアのロックをしなかったお客さんの1人が一眼レフカメラを盗まれてしまったのだ。
今夜には追いつくと言われていた我々の荷物も当然のごとく届かないし、添乗員さんは大変。
エミレーツからのお金をもう一日分いただいて、我々は町(と言うか村)へまたお買い物へ。この先、砂漠から戻るまではもう絶対に荷物とは会えないのだから。
でも村にはテントの屋台のような店しかなく、売っている衣類はすべて中国製。
安いシャツと暖かそうな靴下を買って翌日からの砂漠に備えた。
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