Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

アルメニアあれこれ

2015-06-30 16:24:30 | コーカサス
アルメニア・アルファベット

マテナダランでたくさん見たとおり、アルメニアのアルファベットは独特の形をしていておもしろい。

 ディリジャンのおしゃれな土産物屋にはこのアルファベットのタイルがあったのでお買い上げ。
 アルファベットは絵葉書やマグネットにもなっていて、絵葉書の「405」はこの文字が作られた年号らしい。

ジョージアのアルファベットも独特なので同じような土産物はないかと探したが、残念ながら見つからず。

 これはワイン工場にあったピクトさん。
このかわいいアルファベットもTシャツにでもしてくれればいいのに。


アルメニアの車

アルメニアのバスがガスボンベを積んでいる様子は以前にもお見せしたが、
 ボンベを積んでいなくてもすごいのが走っている。

乗用車もアゼルバイジャンやジョージアではほとんどドイツ車やトヨタだったが、アルメニアでは
 
 
素敵なソ連車がいまだ現役、田舎ではこんなのばかり、首都のイェレバンでもいっぱい見られる。

キューバは古いアメ車が見られるので有名だが、古いソ連車が見たいならアルメニアに行くことをお勧めする。


アルメニアの忘れな草

アルメニアに入国するとあちらこちらでかわいい紫の花のシンボルマークを見かけた。

 
我々の観光バスの扉にもあったし、他の車にも同じステッカー。
 ホテルの回転扉にも貼ってあるし
  
街中のモニュメントや看板にもなっている。

この花、ガイドに聞くと忘れな草だそうで、実はオスマントルコによるアルメニア人大虐殺100周年のシンボルマーク。
第一次大戦の時、ロシア軍と内通することを恐れたオスマントルコが帝国内のキリスト教徒であるアルメニア人をシリア方面へ強制移住させ、その過程で100万人以上が殺されたと言う大虐殺。
アルメニア国内は元より、イランにまで展示があった
4月24日には100周年追悼の大イベントがあったそうで、その名残か、ホテルの前の橋は紫の看板でいっぱい。
 
「決して忘れないぞ」と言う看板はトルコに謝罪を要求するスローガンだろう、なにやら日本の隣国も思い出す。

アルメニア人は昔から商業の才にたけ、キリスト教でも独自の宗派であるために海外の移住先でも自分たちだけの強固なコミュニティーを作ったという点、ユダヤ人と共通するところが多いように思う。
プライドが高く金を持っていると敵を作りやすいと言うことか。

かわいい花のシンボルは意味を知ると複雑なのだった。


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増上寺の徳川将軍家墓所

2015-06-25 18:16:24 | 国内旅行
インドビザを無事に受け取った帰り道、せっかく芝に来たので増上寺に寄ってみた。

 
背後に東京タワーのそびえる有名なお寺だけれど、境内に入るのは初めて。
 本堂もさすが広くて美々しい。

ちょうど時分どきなので、境内の茶店でお昼をいただくことにする。
 
木陰にひっそりとある小さな店をおばさんが一人で切り盛りしているが
 ここのおばんざい定食、小魚の甘露煮にポテトサラダ、卵焼きにおひたしなど、地味~においしい。手前味噌だと張り紙のあったお味噌汁もさすがにおいしくて、なにげにこだわりの店っぽいところがいい。

さて、増上寺は浄土宗の大本山の一つだけれど、徳川家康の帰依以来、徳川将軍家の菩提寺として栄えたお寺。
家康はもちろん日光東照宮に葬られているが、ここには二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の墓所がある。
元々はそれぞれに立派な霊廟があり、今はプリンスホテルが立っている場所に立ち並んでいたそうだが、すべて第二次大戦の空襲で焼失してしまったとのこと。

中でも立派だったのは二代秀忠の霊廟だったのだが、その精巧な模型が1910年、ロンドンで開催された日英博覧会のために作られ、英国王室のコレクションの中に埋もれていたものが増上寺に長期貸与(実質返還)されたので、そのために宝物展示室が作られ、この4月から公開されている。

 
場所は本堂の地下。外から下に降りる階段を下りて行くとまるで劇場のような広々としたロビーがあってその先に展示室がある。
 展示室内は撮影禁止なのでこれはHPからお借りしたが、実物の10分の1というこの模型が立派なこと。
大きさもさることながら細かい細工も見事で、さすが東京美術学校が威信をかけて作っただけある。
実物の霊廟は焼失前は国宝だったそうだが、どれだけ豪華だったことか。

この模型の展示された部屋一つだけの宝物館を出てさらに境内の奥へ行くと、霊廟が焼失してしまったので各将軍の宝塔を1ヶ所に集めた徳川将軍家墓所への入り口がある。
 ここも以前は通常非公開だったものが、この4月から毎日公開されるようになったもの。

紫のちょっと安っぽい門をくぐるとその先にはずらりとお地蔵様と風車が並んでいてびっくり。
  
昭和50年から置かれているものらしいが、毛糸の帽子に苔むしているものまである。

この先に両脇に龍が彫られた葵の御紋の門があって、その脇の小さな入口から中に入ると6代の将軍とその正室の宝塔が並んでいる。
 
 これは二代秀忠とお江の方。
  
十四代家茂と正室の和宮は別々の宝塔が建てられているが、和宮の方がちょっと大きい。やはり見学に来ていたどこかのおじさんの解説によると「和宮は皇室の人間で将軍家より上だから大きく作ったんだ」って本当かね。

中央にある掲示板によると水色の部分が現在の増上寺の敷地、ピンクの部分が現プリンスホテルだそうで、霊廟群がいかに大きかったかがよくわかる。
 
焼失前の写真を見てもまるで御殿のようで
 宝物館、墓所あわせて1000円の入館料にはこの写真の絵葉書も付いてくる。

インドビザのおかげでも面白いものが見られた。


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新インドビザ申請センター

2015-06-23 16:36:05 | インド
まだすぐに必要なわけではないが、5年ぶりにインドビザの申請に行った。

以前は茗荷谷に申請センターがあったのだが、これが今年の4月から芝公園に移転している。
ところが「インドビザ申請」でネット検索をすると相変わらず茗荷谷のオフィスがトップで表示され、名前は「インドビザ支援センター」となって「申請業務は終了しました」なんて出るものだからぎょっとする。

そこでインド大使館のHPを見てやっと新しい申請センターの情報にたどり着くという不親切さ。
ちなみに新しい申請センターの名前は IVS Global Japan
なんでこれが検索のトップに来ないのかがインド的なミステリー。

さて、現在のインドビザはまずオンラインで申請書を埋めてデータを送り、そのプリントアウトと写真を持って申請センターに行かなければならない。
場所は芝公園駅から5分ほど、セレスティンホテルの裏手の目立たないビルの1階にある。
 

平日の午後に行ってみると待っている人はほんの数人。すぐに申請窓口に書類が出せて、1時間以上も待たされた前回より随分改善された、と思っていたらこれが甘かった。

ほんの5分ほどで名前を呼ばれたので行ってみると、「こことこことここが間違っているのでやり直し。写真のサイズも違います」と横幅が5ミリ足りない写真をはねられた。でも普通のスピード写真に5x5cmなんて設定はないんだよ。

そして問題は申請書の訂正。これがプリントアウトを修正するわけにはいかなくて、またオンラインで新しく申請しなおさなくてはならない。そのためにこの申請センターにはPCとプリンターが設置してあるのだが、「使用料は1820円になります」って、ビザ代が1890円なのに。

この高額の使用料に出直すことも考えたが、やっぱり時間の無駄なのでここで再申請。
自慢じゃないが自分は英語で飯を食っている、それでもこの申請書はわかりずらくて、案の定申請に来た人のほとんどがやり直しを言い渡されたり、書類の不備を指摘されたりで、一発で受理される人の方が少ない。
「こんなんじゃわからないよ」と文句をつけているおじさんに「私たちは決められた規則を守っているだけです」ともっともな返答の窓口のお姉さんたち、親切に教えてくれるだけに余計インド外務省に腹が立つ。

変なサイズの写真も結局はここのスピード写真で撮り直す羽目になって、このセンターはこれとPCの使用料でもうけているんじゃないか、なんて勘ぐってしまう。

幸いにして2度目の申請で無事受領。
ビザの交付は1週間後で、以前は夕方の30分だけしか受け取り窓口が開かなかったが、今は平日の営業時間中ならいつでも受け取れるようになった。これは確かに改善されているのだけれど。

このインドビザの申請方法、これからもコロコロ規則が変わるようで、まったくインドの不可解さはビザの取得時から実感できる。


過去のビザ申請シリーズ:

シリア大使館
バングラデシュ大使館
インドビザ申請センター
ネパール大使館
ミャンマー大使館


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コーカサス周遊 18 イェレバンから帰国

2015-06-21 14:31:37 | コーカサス
5月7日~8日

イェレバンの空港はズヴァルトノツ空港と名付けられている通り、遺跡からすぐに到着。
 
正面に変わった屋根が伸びるターミナルビル。
 
まだ新しいらしく、中もちょっと驚くほどきれい。

この洗練されたロビーで我々一行はちょっとした宴会。
というのも一行の中のお一人、ワインをしこたま買い込んで預け荷物が重量オーバー。アエロフロートの係員はあまりお目こぼししてくれなくて、結局3本をスーツケースから取り出す羽目に。
これをまさか捨てるなんてもったいないので、みんなで片づけるのを「お手伝い」。ワイン3本も16人ならすぐになくなるのだが、つい盛り上がってしまった一行に「ここで酒なんて飲んじゃいかん」と注意しに来た警備員、飲み終わってからやってくるとは気が利いている。

出国エリアにも予想外に充実した免税店。
 
アルメニア一の売りであるコニャックが大量に売られているのは当然、タバコも「アララト」やら「ガルニ」やらローカルブランドが充実。
 チョコレートまでアララト だが
 滑走路の向こうには本物のアララト山がばっちり見えて、ここは世界でも有数の景色のいい空港じゃないだろうか。

定刻に出発したアエロフロートでモスクワまで3時間。
 往路はちゃんとした機内食が出たが、復路は中途半端な時間のせいかサンドイッチとジュースだけ。

 モスクワでは混み合ったターミナルDで3時間ぼーっとして、ソウル行きの飛行機も定刻出発。

今度は残念ながらコードシェアの大韓航空機ではなくて
 夕食の具の見当たらないシチューのようなものもお粗末だったが
 この朝食はひどかった。
メニューには「とうもろこしのお粥」とあったが、あまりのまずさに一口でギブアップ。
サービスが向上したと聞いていたアエロフロートだが、さすが期待を裏切らなかった。

8時間のフライトで到着したソウルでは4時間の待ち時間。
外に出るには時間が足りないので、先のソウル旅行で気に入った乾燥ナツメを買いに行くことにする。
出発ゲートはメインターミナルにあるのだが、目的のお店はサテライトにあるのでシャトルに乗って移動。店もすぐに見つかって無事に欲しかったものをゲット、とここまではよかった。

ところがサテライトからメインターミナルに戻ろうとすると行き方がわからない。
シャトル乗り場に行こうとしても通行止めになっているので案内所で聞くと、「なんでこっちに来たの」と冷たいお言葉。
どうもこのシャトルは一方通行のようで、結局パスポート番号まで控えられて空港職員に連れられ、手荷物検査を2回も通り30分以上もかかってようやくメインターミナルに戻る羽目に。
しかしシャトルが一方通行とはどこにも書いてないし、やはり迷子になった旅行者が我々の他にも3人。空港職員のお兄さんはいったい一日に何回この面倒な案内をするのだろうか、といささか気の毒になった。

延々歩かされてお腹が空いたのでフードコートへ。
 久しぶりの麺はやっぱりおいしい。

 というわけでアシアナの機内食はティラミスを食べてコチュジャンをもらっただけ。

遠いけれど初めてのコーカサスは楽しかった。


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コーカサス周遊 17 エチミアジン大聖堂

2015-06-19 19:28:38 | コーカサス
5月7日

帰国日の朝、部屋のカーテンを開けると空は真っ青。
顔も洗わずに外に飛び出すと
 前日よりもさらに見事なアララト山のお姿。
富士山にそっくりな美しい円錐形の小アララトもくっきり見えて、今回もまずまず天気には恵まれた。

ホテルをチェックアウトしたらそのまま郊外に出てしまうので、イェレバンとはこれでお別れ。
 バクーやトビリシに比べると高いビルもなく、ぐっと地味なイェレバンだけれど
 
怪しげなバーがあったり、プー(?)が狸だったりして面白そうなのに町歩きができなかったのは残念。

町を出て空港を通り過ぎ、まず立ち寄ったのはリプシマ教会。
 
手前の野原にはケシの花がいっぱい、教会の向こうにはアララト山が見えて素敵な景色。

 
それほど大きくない教会の内部は暗く、小さな窓から入る光が印象的。
中ではミサが行われている最中だったが、その脇をこそこそと通って奥の部屋へ。
  
ここには時の王の求婚を断ったがために殺されてしまったという3世紀の聖女リプシマの墓がある。美女であったばかりに言い寄られて殺されるとは、美人も大変だ。

ここからすぐのところにあるのはアルメニア使徒教会の総本山、エチミアジン大聖堂。
 モダンな門で向かい合っているのはアルメニアにキリスト教をもたらした聖グレゴリウスと、世界で初めてキリスト教を国教としたトルダト3世。リプシマを殺したのも実はこの王で、そのためか重い病気になり、治らないのでグレゴリウスを地下牢から出してキリスト教を国教としたというのだからあまりほめられたものではないような。

敷地内に入るとさすがは総本山。
  
神学校などたくさんの建物があり、聖職者の姿も多い。
   
細工の見事なハチュカルは国中から集められたもの、門の向こうに見える建物は総主教のお住まいだそうだ。

さて、肝心の大聖堂はというと
  外面のお色直し中で足場に覆われている。
その下をくぐって華やかな入口を入ると
 
 
大きな教会ではないが、さすがにこれまでの装飾のほとんどない黒っぽい教会とは違い、美しいドーム天井。
 
主祭壇の下にもキリストとマリア、12使徒の絵がイコノスタシスのように並び
  
その手前にも聖書や十字架を並べた祭壇がある。
全体に豪華ではあるが派手さはなく、落ち着いた雰囲気が総本山にふさわしい。

この大聖堂の奥には宝物館があって、ノアの方舟の破片やらキリストを刺した槍やらが展示されているそうだが、所詮は信仰心のない異教徒、ここは遠慮をしておいた。

総本山の見学が済んだら最後の昼食。
 
最後もさわやかな東屋のテーブルで
 
お肉ゴロゴロのスープに、皿にまっすぐ乗らないチキンケバブとボリューム満点。

この後は空港方面に向かうが、観光はまだ一つ残っている。

 
アララト山を背に建つズヴァルトノツ遺跡。
 
柱だけが円形に並んでまるでローマ遺跡のように見えるが、これは7世紀に建てられた聖グリゴル・ルサヴォリチ大聖堂の跡。
 敷地内の小さな博物館に模型があるが、円形で3階建てのこの建物は高さが45mもあったとか。
10世紀の大地震で倒れてそのままになってしまったそうだ。

ところでこの遺跡の向こうにはアララト山がきれいに見えるが、振り返ると後ろにも高い雪山が見える。
 
そこでこちらはなんと言う山かとガイドに聞くと、これぞアルメニア最高峰のアラガツ山、4092m。
しかし山容はなだらかで突出した峰がないし、高さもまったくかなわないので、今はトルコ領ではあるけれどアルメニア人心の山はあくまでアララト山らしく、アラガツ山はなんだか不憫だ。

これにて今回のツアーの観光はすべて終了。
帰国のため空港へ向かった。


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コーカサス周遊 16 イェレバン市内

2015-06-18 19:45:36 | コーカサス
5月6日 続き

ゲガルト修道院の見学の後、近くの村のレストランで昼食。

このレストランにはパン焼き小屋があって、おばちゃん2人が実演中。
  
ある程度まで麺棒で伸ばした生地を手前のおばちゃんがピザ職人のようにクルクルと回して薄くした後、座布団のような台に広げて床下の窯の壁へペタン。するとほんの30秒ほどでもうパンが焼けてしまう。
 
ラワシュと言うこの薄いパンは中東方面の物とそっくりだが、焼き立てにチーズとハーブをくるんで食べるとうまい。
 
久しぶりに登場した魚もあっさり焼かれてうれしい。

その後はイェレバン市内に戻って、まずは古文書館「マテナダラン」へ。
 アルメニア文字による古文書の収集・分析をするこの施設、正面の像が5世紀にアルメニア文字を発明したメスロプ・マシュトツ。
アルメニア文字はギリシャ文字を元に作られたそうだが、ジョージア文字ともまた全く違っている。

館内に入ると正面に立派な階段があって、一般公開の展示室は3階。
 
 
大きな部屋が4つほどだが
 
たくさんの書架に貴重な本のページが広げられているので見どころ満載。正面の窓からは車で渋滞する市内が見える。

この古文書館、入場料は1000ドラム(約250円)だが、館内で写真を撮ろうとすると別途2500ドラムが必要。
その大枚(笑)をはたいたのは先にここを訪れたことのある友人におすすめされたからで
 
なにやら歴史的価値のありそうな古~い本や、見事な銀の表紙の聖書などもあるが
 
好物はもちろん凝った細密画や飾り文字。
 
鳥や花で飾られたアルメニア・アルファベットがかわいく
 
素朴なキリスト教の宗教画が多いが
  中にはペルシャ風の絵や医学書があったり
 
細かいところもおもしろくてたまらない。
 しかし何と言ってもすばらしいのは聖書の冒頭部分の装飾。
古い写本でも色が鮮やかに残っているが
 
絵具は植物や虫、鉱物を使っているという説明展示もある。

と言うことで館内で撮りまくった細密画はこちら↓


マテナダランを満喫した後は町の中心、共和国広場へ移動するが
 上からも見えたとおり道は渋滞していて、博物館の閉館時間が気にかかる。

と言っても大した距離でもなく、到着した広場を囲むのは
 
時計台のある財務省に、そのお向かいはご立派なマリオットホテル
 そして中央にあるのが国立博物館。

学芸員に急ぎ足で案内された広い館内は撮影禁止なので写真がないが、古代の土器から民族衣装まで、地味ながら一通り。
 中でも一番の自慢らしいのはこの写真の右上、まるで焼き芋のように見える物体。
これがイランとの国境付近で発見された世界最古、紀元前3500年ごろの革靴なんだそうで、実はこの写真はレストランにあったティッシュの箱。それほど自慢の一品らしい。
しかし我々には地下にある絨毯の展示の方が見事で見ごたえがある。

イェレバンの市内観光はこれであっさり終了。

  
夕食に案内されたレストランはなぜか天井からいろいろぶら下がったインテリアで、中には昔の5000万ドラム札なんてものまである。

コーカサスでの夕食も今回で最後だが
 
 
今夜のメインは真ん中に野菜とチーズの入ったハンバーグ。これもアルメニア料理なんだそうだ。
 
朗々と歌われるアルメニアの歌を聞きながらおいしくいただいた。


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青山でスロベニア料理@Francfranc

2015-06-17 17:30:42 | 食べ歩き
お友達、コッコロのマダムに誘われて、珍しく青山なんぞに出没した。

お目当ては「フランフラン」のカフェで1ヶ月だけ提供されている「スロベニア・メニュー」。
  
ということで2階のこぎれいなカフェで注文をして待っていると
 まずはこの日唯一あったお食事メニューの「そば粉パンのサンドイッチ」。
そば粉のパンはライ麦パンのような色をしているが味に癖はなく、普通のパンよりしっとり、というかちょっともちっとした食感。
中にはスモークサーモンとクリームチーズがはさまれているが、ちょっとだけ蜂蜜をたらしてあるのがおいしい。

 こちらはデザートプレート。
お皿に Love の字があるのは国名に Slovenia と「愛」が入っているのを最近は売りにしているからだそうな。
 そしてハート型のケーキはスロベニアを代表するデザートの「ギバニッツァ」だそうで、表面のしっとりしたクランブルもそば粉製、中には林檎、けしの実、くるみ、カッテージチーズが段々重ねになっていて、甘さは控えめ、いろいろな食感があってかなりいける。

アイスクリームの方にはこれまた蜂蜜と、スロベニアの名産と言うパンプキン・シード・オイルがかかっていて、これが不思議と脂っぽさを感じずにすんなり食べられる。

インテリアショップの片隅のカフェなので簡単なメニューしか提供されないのが残念だが、日本には京都に一軒だけスロベニア料理のレストランがあるとか。
そう言えば先日は中野にジョージア・ワイン専門のワインバーがあるというのもネットで見つけた。
世界百数十カ国、日本にレストランのない国の方が少ないのではないだろうか。

カフェに長居をした後はコッコロ・マダムのお伴で骨董通りなどプラプラ。
するとなにやらおもしろそうな店を発見。
 和柄の布製品の店なのだが、入ってすぐのところに華やかな柄の地下足袋がずらっと並んでいて圧巻。
欲しい、と思うもさすがにつま先の割れた派手な柄の物は履く勇気がないので
 普通のつま先の渋めの柄を選択。
こはぜの付いたものなんて履くのはずいぶん久しぶりだが、留めずに上を折り返して履くのもかわいい。

涼しげな縮のシャツなども揃っていて、さすが青山にはしゃれた店がある。
と言ってもこちらは実は京都が本店の店。
派手な地下足袋に興味のある方はこちらへ → 「Sou Sou」

ところで今回スロベニア料理を食べに行ったのは秋に予定している旅行のリサーチのため。
大抵のツアーではクロアチアのおまけのように扱われているスロベニア、へそ曲がりの我々はこちらの方にだけ行くのだ。
食べ物もおいしそうなスロベニアに、地下足袋履いてでかけるぞ。


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コーカサス周遊 15 イェレバン郊外

2015-06-15 17:17:23 | コーカサス
5月6日

イェレバンでの宿はちょっと古いメトロポール・ホテル。
 町の中心からはやや西にはずれたところにあるが
 
道を挟んだ隣は Noy、眼の前の橋を渡った所には Ararat とアルメニアを代表するコニャック工場に挟まれている。

朝、このホテルの窓から外を眺めてみると空は晴れている。
これは、と思って急いで眼の前の橋の真ん中あたりまで行ってみると
 おお、今日は5137mの大アララトも、3896mの小アララトもちゃんと見える。雪山に正面から陽があたってきれい。
 ちなみにこれは13年前のやはりGWにトルコ側のドゥバヤジットから見たアララト山。
アルメニア側からの方が雄大でかっこよく見えると思うが、この山を両側から見ようとは13年前には思いもしなかった。

本日の観光はまずイェレバンの郊外から。

果樹園などの続く中を小一時間走ってやって来たのはガルニ神殿。
 
きれいに整備された公園の中に建つ小さなヘレニズム式神殿は1世紀の物。17世紀の地震でバラバラになったものを1970年代に修復したそうだが中は空っぽ。
 他には隣に7世紀の教会跡があるだけだが
 
ここはまわりの景色が素晴らしくて、さすが大昔から神殿のために選ばれた場所だけある。

この神殿の入り口では近所の農家の奥さんたちがお土産を売っている。
 
いかにも自家製のジャムや野菜のピクルスがカラフルできれいだ。

ここからさらに山の中に入って行くと
 白い果樹に囲まれたゲガルト修道院が見えてくる。

 
がっちりした門をくぐって正面に見えるのは13世紀建立のカトジケ教会だが
 まずはその左手上方の岩に穿たれた入口を入ると
  
中はきれいな柱にドームを支えられたガヴィットで、端の方に開いた穴からは下の教会が覗けるようになっている。

最初ここに入ると中はフランス人観光客の団体でいっぱいで、中央では女性の4人組が聖歌を歌っていた。
 声が高い天井に美しく響いて素晴らしいハーモニー。
てっきりフランス人たちのためにアレンジされたものかと思ったら、彼らが出て行った後には我々のためにまた何曲か披露してくれた。
画面が暗くて残念だが、その様子はこちら↓


この女性たち、実は Luys というクインテット(この日は4人しかいなかったが)で、このパフォーマンスはCDのプロモーションのため。
 
しかしこんな素敵なロケーションですばらしい声を聞かされればCDを買うしかないでしょ、と言うことで自分も一枚お買い上げ。

  
次に入るのは正面扉の装飾が美しいカトジケ教会。
 
こちらにも凝った明り取り天井のガヴィットがあり、礼拝堂はその奥。
 
脇にも壁面彫刻がおもしろい礼拝堂があり 
 
一番奥の礼拝堂には願い事をかなえてくれると言う泉があって、熱心に祈る人もいた。

教会の周りの崖には小さな洞窟がたくさん造られていて、修道僧がこういうところにこもるのはどの宗教でも同じ。
 
 
壁を覆う十字架や入口の上の彫刻も面白くて、この教会も細部を見始めるときりがない。

見学を終えて駐車場に戻ると、この門前にも土産物屋が店を広げている。
  
おなじみのドライフルーツもここではきれいにつながれて、おじさんが持っているのはスイカだそうな。

そしてここならではなのはおばちゃんたちが売っているガタという大きな菓子パン。
 
 中には小麦粉と砂糖で作った餡が入っていて、味見もさせてくれるし、好きな大きさに切ってくれる。
4分の1で100円ぐらいなので買ってみたが、なかなかおいしかった。


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コーカサス周遊 14 ノラヴァンク~ホルヴィラップ

2015-06-13 19:43:17 | コーカサス
5月5日 続き

昼食後、門をくぐってノラヴァンク修道院へ。
 

山の中の修道院はさらに高い崖に囲まれ、ここも敷地内にいくつもの建物が散らばっている。

中央にあるのは14世紀に建てられたアストヴァツァツィン教会。
 
一階の入り口の両脇に2階に上がる狭い階段が付いている変わった造りで、危なっかしいので上らなかったが入った人によれば2階には何もないとか。

 こちらは13世紀の聖カラペト教会。
 
小さな入口の上にはカーペットに座った聖母子の姿があり
 
広いガヴィットの奥の礼拝堂には最近の物らしいイコンがあって、ここが現役の教会であることを示している。

聖カラペト教会の脇にくっついているのはこれも13世紀の聖グリゴール礼拝堂。
 
小さな室内の床はこの地を治めた王族の墓石で覆われているが
 
ライオンと人間を合わせたような姿が彫られていたり、なにやら異教めいた目があったりでなかなかおもしろい。

 敷地内には他にも修道僧のお籠りのためらしい小さな礼拝堂があって
 
中に見事な装飾の十字架がある。
  
他にも細かい彫刻の美しいハチュカルがたくさん散在していて、アルメニアはこれを見て歩くだけでも楽しい。

ノラヴァンクを出た後は時々羊に囲まれたりしながら高原を西へ向かい
 
そうするうちに次第に空が晴れてきた。

やがて到着したブドウ畑はアルメニアのシンボル、アララト山の手前にホルヴィラップ修道院が見えるという写真スポットなのだが
 雲が多いとは言え大アララトの頂上が見えたのは朝からの曇天を思えば上出来であろう。

さらに教会に近づくときれいな虹まで現れた。

 がっしりした石壁に囲まれたホルヴィラップ修道院に最初に教会が建てられたのは7世紀だが、ここが有名なのはこの地でアルメニアの聖人、聖グレゴリウスが時の王に13年間も井戸の底に閉じ込められ、その後改心した王がグレゴリウスを解放するとともに世界で初めてキリスト教を国教としたから。
 と言うわけでこのシンプルな外観の礼拝堂の中に入ると
 
祭壇には聖母子像があるだけだが、その脇に人一人がやっと通れるほどの四角い穴があり、鉄の階段が垂直に下に伸びている。この下に聖グレゴリウスの牢獄があるということだが、さすがに同行者の中にここを下りる人はいない。

この牢獄の向かいに建っている教会は17世紀の物。
 
人気の巡礼地だけあってこれまでの教会に比べると祭壇もしっかり飾られ
 立派な髭のおじちゃんがろうそくなど売っている。

ところでこの教会からトルコとの国境にある緩衝地帯まではわずか100m。
 この写真でわかるだろうか、手前に鉄条網のフェンスが一直線に伸びている。
さらにその向こうの緩衝地帯には畑があって、今でもちゃんと耕作されている。
アルメニアでもトルコでもない No man's land。国境が引かれる前から土地を所有していた人の物なのだろうが、税金とかどうなるのだろう。
アルメニア人自慢のアララト山は現在はすべてトルコ領内だ。

ホルヴィラップからイェレバンまでは1時間ほど。
さすがに一国の首都とあって郊外から家が増えてきたが、市の中心に入る手前に巨大な工場の廃墟があるのには驚いた。
何の工場だったのか、どう見ても操業しているようには見えなかったが、都心に近いところでもそのままなのは解体の費用がないのだろうか。
写真を撮れなかったのが残念。

夕暮れの市内に入るとすぐに夕食のレストランに連れて行かれたが、今夜は意外にもレバノン料理。
コーカサスの料理もトルコの影響が強いので大差があるわけではないが
 
豆のスープに大好きなホムス、ババガヌーシュ。
 
平たいファラフェルは微妙だったが、「チキンカレー」と言われた煮込みは辛くはないがスパイス使いがコーカサス料理とは目先が違って好評。
 どら焼きみたいなデザートまでおいしくいただいて、ごちそうさまでした。


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コーカサス周遊 13 ノラドゥーズ~セリム峠

2015-06-10 18:10:21 | コーカサス
5月5日

リゾートホテルでの朝ご飯。
 
さすがに品数豊富で、特にハム、サラミ類がおいしい。3色の巾着包みは中も外もチーズ。中にはナッツやハーブが入った凝ったものだが色による味の違いはなく、これもやっぱりしょっぱい。

ホテルを出てセヴァン湖のほとりを南下し、やってきたのはノラドゥーズ村。
 
くすんでぱっとしない村の高台に今も現役の墓地があるのだが
  
ここに12~13世紀ごろからのハチュカルがたくさんあるのだ。

ハチュカル(十字架石)は教会にもたくさんあったが、ここにあるものはもちろんすべて墓石。
  
 
 
彫られた模様は一つ一つ異なり、黄色い苔が複雑な模様をさらに浮き立たせてきれいだ。

この墓地には平石を立てたものの他に「ゆりかご型」と呼ばれる背の低い墓石もあって
  
 
こちらも十字架が彫られたものが多いが、中には埋葬者の職業や人生が彫られたものもある。
 これなどは結婚式の最中に騎馬の敵に襲われて死んだ者の墓とか。

この墓地には羊を連れたじいちゃんもいるが
 
目立つのは編み物をするばあちゃんたち。手編みの靴下などを売るためにいるのだが、これが愛想がなくてしかも結構しつこい。
アルメニア人はコーカサスの他の国に比べて総じて愛想がなく、あまり笑顔を見せないようだ。

ノラドゥーズ村を出てすぐにあるのはガヴァルの町。
 ここで目立つのは道沿いにずっと伸びる黄色いパイプ。道をまたいでまで伸びるこれが何かと聞くと何とガスの供給用。
実は同じものはジョージアの田舎にもあってこの辺りではありふれた光景なのだが、なんと首都のエレバン市内にもあるとポンポコ研究所では報告している。

さらにこちらはむき出しのガスボンベを屋根に乗せたバス。
 
この国でガスの事故はないのだろうか。

しばらく行ったところでセヴァン湖岸を離れ、道はどんどん高度を上げていく。
 
周りに雪の残るこの辺りは標高2000mほどだろうか、集落が見えるが野原に人の姿が見えたのでちゃんとここに住んでいるのだろう。

やがて到着したセリム峠は標高2410m。

しかしここには標識の一つもない。

ここからちょっと下った2350m地点にはキャラバンサライの跡がある。
 4世紀以来、ここをペルシャとアナトリアを結ぶシルクロードが通っていたそうだが、現在残る建物は1332年に建てられたもの。
 
入口には動物のレリーフが彫られ、中は天井から光が入る長~い倉庫のようになっている。

  
この周りにいっぱい咲いている花の写真など撮って遊んでいたら
 下から霧がどんどん上がって来て、やがて周りは真っ白になってしまった。

そんな山道を慎重に下って、やがて崖の上に見えてきたのはノラヴァンク修道院。
 
相変わらず教会は霧にかすんでいるので、見学の前に腹ごしらえ。

 教会のすぐ下にあるレストランで
 
本日のメインは羊の蒸し煮。あっさりとしているので羊が苦手な人達には評判が良かったが、脂がまったくないのでちょっとぱさついているのが羊好きには物足りない。

ところでサラダの上に見える脚の付いた台、アルメニアではどこのレストランでも登場したが、たくさんの皿が並ぶこの国らしくて便利だ。


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