Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ミャンマー周遊 15 ピンダヤ

2013-03-30 17:29:03 | 東南アジア
1月22日

朝の飛行機でマンダレーを発ち、シャン州のヘーホーへ。

  
30分の飛行はエア・マンダレーで。フリーシーティングで一番前に座ったらCAさんが目の前。制服もかわいい。

 到着したヘーホーは小さな田舎空港。
迎えの車に乗って早速観光に出発。

車は北へ向かうが、走り出した途端に今までいた中部平原とは景色が全く違うことに気がつく。
  
これまでの景色が茶色い平面だったのに比べ、柔らかい起伏に畑がカラフルなパッチワークを描き
 なんと桜まで咲いているではないか。
もうこの景色だけでシャン州を気に入る。

  
ぎっしり乗った耕運機トラックの乗客はカラフルなスカーフを頭に巻き、シャン・バッグと呼ばれる頭陀袋を本当にみんな肩からかけているのが面白い。
 我らがドライバー氏もシャン・パンツを着用。幅広パンツは快適そうだ。

 途中にはミカンの産地があり、道端には露天が並ぶ。
でもこのおばちゃんの所のミカンは種が多くてちょっとぼけた味だった。

次に車が止まったのはやはり道端のこちらのお店。
 
たくさん並んだ袋の中はページョーというヒヨコ豆の揚げ物。これがパリパリと軽く揚がり、プレーンな塩味ですごくおいしい。  
 
裏でお姉さんが揚げていたのはこれも豆粉のお菓子。こちらは甘くてかなり油っこい。 
そしておばちゃんが持っているのは自家製と言うお茶の葉の漬物、ラペットゥ―。味見させてもらうと、これが今まで食べた中でも一番おいしい。日持ちもするというので同行者と半分こすることにしてお買い上げ。ヤンゴンっ子のガイドさんも買い込んでいたが、シャン州はお茶の産地なのでさすがに味が違うんだそうだ。

やがて車は小さなピンダヤの村に到着。
ちょうど昼時ということで今日も一麺、またも道端の屋台店に寄ってもらう。
 
 
本場のシャン・カオスエはあっさりと食べやすくてもちろんおいしいが、それ以上においしかったのは揚げ豆腐。ヒヨコマメでできた揚げ豆腐は外がカリカリ、中はねっとりとして、これをまたヒヨコマメのペーストや香草を加えたピリ辛のタレにつけて食べるとうまーい!

喜んで食べていると賢そうなお姉ちゃんと弟がお母さんの麺を食べに来た。
 
さらに子守中のおじいちゃんがやって来て、我々が日本人と知ると「去年は40人ぐらいの日本人がこの村に来たよ」と教えてくれる。なんでもどこかの大学からホームステイにやってきてしばらく滞在していたらしい。
お姉ちゃんに「日本に行きたい?」と聞いたら、「遠いからいやだ」って。

さらに近所で仕事をしていたお姉さんたちがお昼をしにやってきた。
 
揚げ豆腐を注文して、あとは持ってきたお弁当をみんなでシェアするんだそうな。なんだか楽しそう。

昼食の後、やっと目的地であるピンダヤの洞窟寺院へ。
 本来は下の村から階段を上ってくるべきなのだろうが、いつものごとく車で乗り付け、右手に見えるエレベーターへ。
 
エレベーターおじちゃんの操作で上へ上がれば、下から続く階段と周りの景色が良く見える。

 到着したところには立派なホールがあり、階段を上がると
  
 
洞窟の中に金色の仏様がぎっしり。

あまりにも多くの仏像が密集して置かれているので初めはわからないが、迷路のような通路をすり抜けていくと洞窟は奥へ奥へとかなり広い。
 

8000体以上もあるという仏像は18世紀ごろから置かれているらしいが、ミャンマーでは美しく修復することが功徳と考えられているのでどれもぴかぴか。しかも次々と新たに置かれるものだけではなく、修復したものにまで最近の寄進者の名前が書きこまれているので一見どれが古いものだかよくわからない。
しかしよく見ればなかなか味わい深い仏様もあり
 
  
とにかくこの熱意には圧倒される。

洞窟寺院を出たら参道のお土産屋さんをひやかしてみる。
 
シャン州特産のお茶とお茶請けを売っている店が多いが
 
気前よく試食させてくれるのはどこの店も一緒。蟻んこのふりかけみたいなものも試食したと思うが、どんな味だったか、忘れてしまった

ちなみにここで買ったシャンのお茶、飲みやすいウーロン茶のようでとてもおいしかった。
もっといっぱい買ってくれば良かった。


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ミャンマー周遊 14 マンダレーの人形劇

2013-03-28 17:58:04 | 東南アジア
1月21日 続き

マンダレー市内に戻るとガイドさんが「マンダレーの羊羹を買いに行きましょう」と言う。

車で乗り付けたのはこちら。
 店名は・・・読めない。
(※店名はMyint Myint Khin(ミンミンキン)とミャンマー通、狸田ポン太先生よりご指南あり)

店内にはかわいい売り子さんたちが大勢ガラスケースの前に並び、有名店らしく次々にやってくるお客さんの接客をしている。
 
ケースの中のお菓子はトーモゥンと言うそうで、ナッツ入りやらココナッツ入りやら、10種類ぐらいあっただろうか。
 すぐに試食用の皿が差し出され、頼めば他の種類もいくらでも切ってくれる太っ腹さ。
お菓子はもち米に油を混ぜて蒸したものと思われ、羊羹と言うよりもオイリーだがういろうにそっくり。甘さも程よく、ういろうは好きではない自分にもおいしく食べられる。

そこで4種類を混ぜて詰めてもらい、さらに果物屋に寄ってもらう。
 
お昼が重かったので今夜はこれが夕食。

と言うのも今夜は8時からまた出かけたから。
お出かけ先は「マンダレー・マリオネット」。
 
 
40席ほどの小さな劇場で、舞台の下には伝統楽器の並ぶオーケストラボックスがある。

8時半に開演するとまずは「ビルマの竪琴」の演奏と生の踊り。
 
かわいい踊り子さんは男の子なのか女の子なのか、性別不明。

そして人形劇が始まるが、面白いのは演目の途中で上半分を隠しているカーテンを上げて人形を操っている様子を見せてくれること。
 
演目はラーマーヤナやジャータカ物語に題材を取ったものが多いらしいが
 
 サッカーをするお人形なども登場する。
 人形と踊り子の共演も面白い。

そして最後は「人形遣いマスター」の登場。
  
左から2人目の枯れたおじいちゃんが「マスター」なのだが、声に素晴らしい張りがあって思わず聞き惚れてしまう。

公演は全部で1時間ほど。
終了後はマスターが客席まで下りてきて見送ってくださり、一緒に写真まで撮っちゃった。
マスター、まだまだがんばってね。
 


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ミャンマー周遊 13 インワ

2013-03-26 15:13:24 | 東南アジア
1月21日 続き

エラワディ川に架かる橋は有事の際は重要な戦略拠点。
 第二次大戦中は日本軍の侵攻を止めるため破壊されたので、現在かかる2本の橋はもちろん戦後にかけられたもの。

橋を渡ったら小さな船着場から渡し船に乗り、今度はエラワディ川の支流を渡る。
 渡った先がマンダレーやアマラプラ以前に王都だったインワ。

  
船着き場にはにこやかなお兄さんが待っていて、上がるとそこは木陰のレストラン。

ツーリスト向けのメニューには残念ながらあまりそそられるものはないが、200円もしないから大した量じゃなかろうと「野菜天ぷら」を頼んだら
 こんなに来ちゃった。
 
焼きビーフンも野菜炒めもてんこ盛り。

大量の昼食と格闘し、あえなく敗北してしばらく休んでいるとしょぼくれた馬車が一台やってきた。
 ここインワでは馬車に乗って観光するのがお約束。
なのでこの小さな馬に御者を含めて4人を運んでもらわなければならない。

 元王都のインワには修復された城壁もあることはあるが
 
道端では住民がおしゃべりしていたり、牛が木に一頭づつつながれていたり。
 
田んぼの間に遺跡が見え隠れはするが、道を牛車と馬車がすれ違うのんびりした田舎の村だ。

そんな光景を眺めながら到着したのはバガヤ僧院。
 
ここもサレーやマンダレー同様、19世紀半ばに建てられたチーク材の建物。
  
 
木彫こそマンダレーほど華やかではないが、本堂の柱は高くて立派。

そして次々に訪れる観光客にもかかわらず、お堂の隅では子供たちがお勉強中。
 
一番奥に座るお坊さんの先生はこわそうだけれど、小さい子たちはなんだか自由気まま。
君たち、まじめに勉強したまえよ。

 
  
ヤシの木に囲まれたかわいい遺跡にも立ち寄りながら、馬車は城壁の中へ入る。
 城壁の中もバナナ畑が続いていたりするのだが。

そんな中に残っているのがマハーアウンメーボンザン僧院。
 
やはり19世紀の半ばに建てられた僧院だが、時の王妃が建立したレンガ造りの大きな建物。
中は一体の新しそうな仏像を除きがらんとしているが
 
僧院の裏手からはエラワディ川とその対岸のサガインが見えて景色がいい。

建物の陰にはおデート中のカップルなどもいて、アルジェリアではローマ遺跡でデートしていたけど、ミャンマーではお寺でデートなのね。

 たくさんの馬車が集まる船着き場からまた川を渡って、マンダレーに帰ろう。


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2013年3月の枡ざき

2013-03-24 20:31:50 | 食べ歩き
久しぶりに御成門の枡ざきさんへ。
思えば去年も3月に伺って桜づくしのお料理をいただいたが、今年はもう桜が咲いてしまって季節の進行が早い。

一品目は暖かい茶わん蒸し。
桜の香りがつけられ、竹の子のたくさん乗った一品は春にふさわしいが、不覚にもカメラを忘れてきてしまったので写真はなし。

しかし次にこんなお料理を出されては画質の悪い携帯写真とは言え、記録を残さないわけにはいかない。
 左はイチゴのウニ和え最中、右はウニアイスクリームの最中。
甘酸っぱいイチゴに甘いウニは初めての味、ウニアイスはソルベなので思ったほどの違和感はない。
枡ざきさんはこういうびっくりが大好き。こちらも大歓迎。

 前菜はにぎやかな10品盛り。
 美しいグリーンピースのお椀は中にやさしい卵の蒸し物入り。
 いつもの通り盛りだくさんのお造りはつまの一つ一つまでがおいしい。
 桜鱒の桜餅は昨年も楽しませていただいた一品。
 豚角煮の新玉ねぎソースは少し食感を残しながらとろとろになって、昨年よりも進化している。こごみに桜エビの衣のてんぷらもおいし~。
 揚げ物は自家製ベーコンとチーズを巻いた太刀魚。燻製の香りがいい。

そして期待の土鍋ごはん。
 ふたを開けた途端に立ち上る春の香りと鮮やかな色合いがたまらない。

ここまででもう十分に満腹。
なのでデザートは「フツー」をお願いしたのだが
 フルーツにメロンムース、苦みが効いてとてもおいしい抹茶わらびもちにもう一品出てきた。
コ―ヒーパウダーをまぶされたトリュフはなんと里芋で、しかも真ん中には生クリーム入り。

本日もおいしく楽しいお食事、堪能させていただきました。


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ミャンマー周遊 12 マンダレー~サガイン

2013-03-22 17:38:54 | 東南アジア
1月21日

マンダレーでのお泊りはホテル・マンダレー。
 
部屋は広く、隣にはスーパーもあって便利だが、中国系のビジネスホテルと言った感じ。

ホテル代は朝食込だが、ガイドさんが気を利かせて外で食べましょうと提案してくれた。

向かったのは大通りから細い路地を入った、住宅の間の中庭のようなところにある小さな店。
 
実はここ、前日の昼に寄ったところ、すでに売り切れで食べられなかったのだ。
地元運転手さんのおすすめらしくいかにもおいしそうで、我々が残念がっていたのでガイドさんがまた連れてきてくれたわけ。
できますものはマンダレー・モンティ。
 
5種類ある麺から好きなものを選ぶとチャチャッとゆがき、肉やつみれをのせて何種類かのタレと豆の粉をかけ、最後に揚げた麺を乗せてくれる。
豆の粉のおかげでタレがもっちりと麺に絡み、ちょっとカルボナーラのようになってこれはうまい!
自分は細い麺を選んだが、太い麺だとなおパスタのよう。

さらに食後はローカル・カフェでお茶。
 
新聞や雑誌を読みながらくつろぐ地元民といただくミャンマー・ティーはコンデンスミルク入りでこってりと甘い。
 
カフェにはインドっぽいサモサやヴァーダ、中国っぽい油條や汁麺もあって、両国の影響がしっかり共存しているのが面白い。

素敵な朝食で気分良く、本日の観光に出発。

まずは市内南にあるマハムニ寺院。
 
例によって参道には土産物屋が並ぶが、ここは特にその数が多く、不思議な人形も並んでいたりする。
 本堂の入り口には金箔を売る窓口があり、次から次へと購入する信者さんたち。
  
で購入した金箔は正面に座る仏様に貼り付けるのだが、こちらはミャンマーでも最もありがたい仏様とされているのであまりにも多くの金箔が貼られてお体はボコボコになっている。
 境内に飾られた写真を見ると1901年には仏様は普通に彩色されていた様子。それが1935年には全身金ぴかになり、お体がボコボコになってしまったのはここ20年ほどのことのよう。

なお内陣に入って仏様に触れられるのは男性だけ。
  
なので女性たちは金箔はお布施箱に入れ、囲いの外から仏様を拝む。間近にお顔を拝見するためにはビデオモニターも設置されて、ミャンマーのお寺は妙にデジタル。

マハムニ寺院からは南西のサガインへ向かい、町の北にあるカウンムードー寺院へ。
 別名「おっぱいパゴダ」の名前の通りのお姿。
造られたのは1636年と古く、元々は真っ白だったのだそうだが、最近になって信者たちの反対にもかかわらず金色に塗られてしまったのだとか。
ミャンマーと言えば金ぴかの仏塔をすぐに思い浮かべるが、昔からなんでも金ぴかだったわけではないみたい。はて、誰が何の意図で金ぴかを推進しているのやら。

 
このお寺は内部もキラキラと明るく、やっぱりデジタル。
日本人としては歴史を感じずありがたみがないなどと思ってしまうが、これは余計なお世話と言うものだろう。

町中に戻り、車はサガイン・ヒルを登る。
 
頂上には日本人戦没者の名前を記した日本パゴダが建ち、その周りにもたくさんの慰霊碑が並ぶ。
パゴダには県別に分けられ多くの名前が刻まれているが、一番下に女性たちの名前があり、読むと赤十字から派遣された救護班の方々。こんな遠くまで軍隊と共に来て命を落とした女性たちがいたとは、胸が痛む。

日本パゴダのすぐ下にあるのはソンウーポンニャシン寺院。
 
 
真っ白な仏様の隣になぜかニンジンをかじるうさぎがいたり、回廊に仏教説話のヘタウマな絵が並んでいたりしてなかなか楽しいお寺。

 
ベランダからは白い仏塔があちこちに建つまわりの丘が見渡せ、その向こうにはエラワディ川が流れ、大きな橋が2つかかっている。

丘を降りて橋を渡ろう。


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ミャンマー周遊 11 マンダレー

2013-03-20 17:17:47 | 東南アジア
1月20日 続き

アマラプラの観光を終え、マンダレー市内に入ってお昼。

1日1麺をお願いしてある(笑)ので、本日はこちらのお店。
 
調理場前にはビルマ語でたくさんのメニューが並んでいるが、ここの得意料理はモーゴ式のミーシェだというのでそれを注文。
モーゴとはマンダレーの北にある町で宝石の採掘で有名なところ。中国系が多い所らしく、この料理もそうめんのような麺に甘酸っぱい汁がかけられとてもさっぱりしている。鶏肉がふんだんに乗っているので麺にしては高級な1000チャット(約100円)。

ついでに言えばマンダレーの町も宝石取引きが盛んなので住み着く中国人がどんどん増えているとのこと。
ぼやぼやしているとこの国は中国人に乗っ取られてしまうんじゃないか、と余計な心配をしてしまう。

ホテルでちょっと休んだ後はマンダレー市内の観光へ。

  
シュエナンドー僧院は19世紀後半にマンダレーに遷都したミンドン王の居室だったが、その死後に息子のティボー王によって王宮外に移築され、おかげで第二次大戦で王宮が焼けてしまった後も無事だったとか。
移築された後は僧院として使われていたそうだが、細部の装飾が見事。
 
  
 
 

 ちなみに左がミンドン王、右がティボー王。
ティボー王は後継者争いに際して最も無欲だったので父親に選ばれたのだが、野心的な王妃の尻に敷かれ、無能でもあったのでイギリスに国を乗っ取られてインドに亡命、ビルマ最後の王様になってしまった。当然、人気はない。

次に向かったのは同じく19世紀半ばに造られたクドードゥ寺院。
  
華やかなエントランスを入り、境内の真ん中には例によって金ぴかの仏塔がそびえるが
  
仏塔の周りには何列もの小さな祠が並び、その中には両面に経文の掘られた石碑が一つづつ納められている。
 全体像は模型で見なければよくわからないほど。 

陽もだいぶ傾いてきたところで定番観光地、マンダレーヒルへ。
 
下から徒歩で登る階段もあるが、我々は途中まで車で登り、やたら立派なエスカレーターに乗って230メートルの頂上へ。
 
てっぺんにはキンキラの寺院があり、四方に仏様がいらっしゃる。

ここからは360度周りの平野を見回すことができるが
 
まるでホワイトハウスのような建物の向こうに広がる半円形の敷地はマンダレー刑務所。でかい。

 
バガン同様、ここにも夕日を見ようと外国人観光客が大勢集まっているが、面白いのは外国語を勉強中の若い学生たちがやはり大勢来ていて、みな積極的に外国人に話しかけていること。
 
呑気に景色を見ている坊主たちもいれば、やはり一生懸命英語で話しかけているお坊さんたちも。
この前向きな姿勢、どこぞの国の若い子たちにも見習っていただきたいものだ。

 そうこうしているうちにエラワディ川の向こうに夕日が沈む。

そして今夜の夕食は街中のこちら。
  Aye Myit Tar Restaurant
簡素なイスとテーブルがぎっしり並ぶ、ごく庶民的なミャンマー料理屋。

 
席に着くと何も注文しなくてもサラダ類が並べられるが、これがまずおいしい。
 そしてメインには魚のカレー(左)とエビのカレー(写真なし)、鶏モツのカレー(右)を注文したが、レバーと砂肝の鶏モツカレーがくさみもなくねっとりとして絶品。ガイドさんが自分用に追加注文したぐらいだからミャンマー標準からもかなりおいしかったと思われる。

ちなみに我々日本人はすべての料理をシェアしていたが、ミャンマーではセットで出てくる副菜はシェアして、メインの一皿は別々にオーダーして一人で食べるものらしい。
またご飯をおかわりする時は、皿が空っぽになる前によそってもらわないといけないとか。

今日もおいしく一日が終わった。
  


    
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ミャンマー周遊 10 アマラプラ

2013-03-19 17:15:17 | 東南アジア
1月20日

朝、7時にホテルを出発。

 朝焼けの空からは遊覧を終えた気球が次々に降りてくるところ。
先日事故を起こしたエジプト同様、ここバガンでも気球観光はお金持ち観光客にとても人気があるらしい。

ニャウンウー空港からはまたエア・バガンでマンダレーまで。
 
ミャンマーではCAさんもロンジー姿。
乾燥した大地を30分飛ぶと、やがてやけに立派なまっすぐなハイウェーが見えてきてマンダレーに到着。

 
ミャンマー第二の都市、マンダレーの空港もちょっと驚くほど大きくて立派。ボーディングブリッジも並んでいるが、国内線は小っちゃいので使えず、結局ぼろバスが迎えに来る。
 到着エリアには国際空港として入国管理があり、ベルトコンベアもやたら大きいが、現在国際線は飛んでいないんだそうだ。

 
空からも見えたハイウェーを通ってマンダレーまでは40分ほどかかるが車はほとんど走っていない。途中で市内への道から分岐してハイウェーをはずれると人間と荷物でてんこ盛りの車。

到着したのはマンダレー郊外のアマラプラだが、まずは学校の寄宿舎のような建物の立ち並ぶ一角に連れて行かれる。
  
ここは1914年創立のマハー・ガナヨン僧院。数千人の僧侶が勉学に励む僧院と言うことで、信者の寄進によると思われる写真のような立派な宿舎が何棟も並ぶさまはまさに学園都市の趣。

こちらはその数千人の僧侶たちの食事を用意する厨房。
 
  
肉や野菜を切り、大きな鍋釜で調理するのは在家の世話人の方々。

この調理の様子を眺めていたらガイドさんに移動を促された。
 移動した先には観光客がわんさか。
と言うのも、ここで僧侶たちの食事風景を見学するのが定番観光コースになっているのだ。

やがて時間になるとえんじの衣をまとい、鉢を持った僧侶たちが列を作り、食堂に入り始めた。
 
2列に並んで延々と通り過ぎる大勢のお坊さんたちは確かに壮観。
 こちらの白い服の子供たちはお坊さん見習い。僧侶になりたいというよりも、僧院には孤児院のような役割もあるそうだ。

お坊さんたちの行列がすべて食堂に入るまで10分ほどもかかっただろうか。
ユニークでエキゾチックな光景ではあるが、これを観光名所としてしまっていいんだろうかという罪悪感が残る。

そんなことを思いながら厨房の横に戻ると、お坊さんたちに寄進をした人が同じ食事をふるまっており、ガイドさんによるとご相伴に預かれるというのでずうずうしく上がり込ませていただいた。
 
メニューはご飯にすっぱいスープ、魚のカレーに春雨サラダや肉じゃがのような料理もあり、どれもやさしい味ですごくおいしい。
ここのお坊さんたちの食事はなかなか充実していると見た。

僧院を出ると有名なウーベイン橋はすぐ近く。
 
ミャンマーでも有数の観光名所とあって、橋の手前から橋の上まで土産物屋が並んでいたのはいささか興ざめ。
放して功徳を積むための鳥屋さんもいる。
 
が何しろ全長1.2キロもある橋なので、途中からは炎天下に売り子はいなくなり、乾季で目立つチーク材の橋脚が延々と続く。
  
橋の下にはタウンタマン湖の水よりも畑が目立つが、雨季にはまた違った景色なのだろう。
 
長い橋の途中にいくつかある休憩所で休みながら、お坊さんたちについてずっと先まで橋を渡って行きたいが、ガイドさんが退屈して待っているのでそろそろ戻ろう。

マンダレー市内に戻る前にはもう1ヶ所、絹織物の工房に連れて行かれる。
  
 
ここの絹織物は結婚式の時などに着る高級品だそうだが、織り手の若い女の子たちがかわいい

 皆様も一枚、いかがですか。


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シンガポール国立博物館

2013-03-16 02:58:41 | 東南アジア
今回のシンガポールでのお泊りは「ランデブー・ホテル」
 まるでラブホのような名前だが、自称4.5星の高級ホテル。
オーチャード・ロードまでも歩ける距離にあって立地はいいが、部屋にバスローブはおろか、スリッパも水もないところは久しぶりなので驚いた。

そんなランデブー・ホテルからいつもの通り朝のお散歩。

歩いてすぐの所にあるのはシンガポール美術館。
 
隣には別館もある大きな美術館だが、本館は古い教会を利用していて素敵な建物。

シンガポールには古い教会がたくさん残っていて、美術館のすぐ隣にも2つある。
 

さらにこちらの「チャイムス」
 元は修道院だったところを今はレストランやバーにしてしまったとは、罰当たりな。

美術館の建物が風情があるので、その中のカフェでゆっくり朝ごはん。
 しかしこれで約1200円とは、最近ミャンマーやインドネシアばかり行っていたので、日本並みの物価がひどく高く感じる。

ホテルの目の前に広がるのはシンガポール経営大学のキャンパス。
  
さらに道を渡ったところには美術大学。 
どちらも町のど真ん中にあるしゃれた建物で、学生たちもゆったりしている。
高学歴競争の勝者たちなのだろうが、シンガポールの学生生活は優雅そうだ。

経営大学を突っ切り、道を渡ったところにある大きな建物はシンガポール国立博物館。
 
元々ラッフルズ図書館および博物館として1887年に建てられたもの。植民地経営の一環としてこういうものを必ず作るのがいかにもイギリスらしい。
 
正面入り口を入ると頭上には大きなドーム、階段を上がると並んで建てられたもう一棟への渡り廊下があり、頭上はガラス張りで明るい。
写真を撮っていると警備のおじさんがやって来て、「このガラスはヨーロッパから取り寄せた特別なガラスで」と説明が始まり実に親切。

廊下の先には2006年に新設された新館があり、こちらの歴史ギャラリーに入場するにはS$10が必要。
 
入場券を見せてゲートを通るとその先には係員が待ち構えており、「なに人?」と確認すると有無を言わせずそれぞれの言語に合わせた携帯端末を渡される。

で初めに入るのは巨大な球形の部屋。
 
まずは空中の渡り廊下を通り、さらに下から見上げるようになっているのだが、回りにはシンガポールを象徴したビデオ作品が映写されていて圧巻。

ここからはシンガポールの歴史を説明する展示が始まるのだが、各展示に説明はほとんどなく、すべて携帯端末に番号を入れての音声ガイドになる。
はじめはうっとおしいと思ったガイドだが、日本語は完ぺきだし、芝居仕立ての説明があったり、さらに詳しい解説があったり、いたれりつくせり。
 
  
歴史が短く、考古学的、美術的な価値のある収蔵品もないので、その分ビデオなどを使って見せ方には非常に凝っている。

 
イギリスの植民地支配に抵抗する中国人秘密結社とかアヘン窟とかのダークな展示もあるし
  ←クリックすると大きくなります。 
からゆきさんの展示には泣かせるものがある。
ボルネオなどに日本の貧しい娘たちが娼婦として渡っていたのは知っていたが、シンガポールにも6,70年に渡るからゆきさんの歴史があったとは、不勉強にして知らなかった。

もちろん第二次大戦と3年間の日本占領にも多くのスペースが割かれ、見学に来ていた小学生たちに先生が説明をしていた。
 
シンガポールが昭南島と呼ばれていたことも恥ずかしながら知らなかったのだが、「ダイトーアコドモノウタ」なんて展示をシンガポールの子供たちはどう思ったのだろう。

歴史ギャラリーを出て旧館に戻ると、こちらにはリビング・ギャラリーと呼ばれる部屋がいくつかある。
 50年代~70年代のシンガポールのファッションを紹介していたり
  
写真ギャラリーでは日本人からゆきさんも含め、様々な人種の生活を写真パネルとその裏のビデオで紹介している。
  
さらに奥の部屋にも写真屋で撮られたたくさんのポートレートが飾られ、大きな箪笥の引き出しは開けると中から古い写真を発見するような演出になっている。

よく工夫された展示で思いのほかたくさんのことを教わったシンガポール国立博物館。
博物館好きなら一度は足を運ぶ価値がある。


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JL機内で「ルーパー」&「ヒッチコック」

2013-03-13 03:13:15 | 機内食・映画・美術展
去年までは全くの他人ごとだった花粉症。
それが先々週あたりからとうとう症状が出始めた。
特に花粉が多いという日に外出すると鼻は垂れるし、目がかゆい。とうとうスギ花粉の許容量を越えてしまったらしい。

そんなところへシンガポール出張。スギ花粉の飛んでいないところは大歓迎。

今月の東南アジア行きエコノミーの機内食は
 「J級よくばりエビ飯」だそうで
エビフライの下のソース味のご飯がどれだけ「本物」に近いのか、岡山に行ったことがないのでわからない。

シンガポールまでは7時間以上あるので、今回もゆっくり映画が見られる。

1本目に選んだのは 「ルーパー」

高校生の頃、古典と言われるSF作品は片っ端から読み漁ったので特にタイムパラドクス物は大好き。
進行の早い映画では話が複雑だとついて行くのが大変だが、やっぱり期待して見てしまう。

今回の映画で面白いのは現在(と言っても2044年)の主人公のもとへ30年後の未来から年取った本人が殺されるために送られてきて、いきなり「本人同士」が顔を突き合わせてしまうこと。これってタブーじゃなかったのか。
でジョゼフ・ゴードン=レヴィットがブルース・ウィリスの若い頃を演じているのだが、メイクで似せている以上にちょっとした表情のくせとかをうまくとらえていて感心してしまう。

がまず2044年と言いながら、バイク以外にはまったく未来らしさがないところにがっかり。2044年の必然性がないのだから、ならば2013年に舞台を設定すればいいのに。未来の設定ならば「ブレードランナー」のような徹底した世界観を期待してしまう。

もう一つのがっかりは途中からタイムパラドクス物ではなく、別の古典的SFテーマに物語がすりかわってしまうこと。しかも元ネタの予測が付きそうなありきたりの設定だし、そのせいでスピード感がなくなり、後半がひどく長く感じる。

ラストは意外と言えば意外だが、同じブルース・ウィリスの「12モンキーズ」のような、タイムパラドクスが解消した時の余韻やカタルシスがまるでない。

リドリー・スコットやテリー・ギリアムなみとは簡単に行かないだろうが、この監督にはSFセンスがあまりないんじゃないだろうか。


がっかりしつつもう一本、次は 「ヒッチコック」 を選んでみた。

これも学生時代、一番好きな監督はヒッチコックで、戦前の作品を除けば彼の映画はほぼすべて見ているし、トリュフォーとの対談本は卒論にも使った。

だからこそ興味もありつつ、へたな映画だったらどうしようという不安も大きかった。

蓋を開けてみれば、これはヒッチコック好きによる、ヒッチコック好きのための映画。
元ネタを知らなければどこがおもしろいかわからないかもしれないが、知っていればクスクス笑えるエピソードが満載。
ヒッチの悪趣味なジョークやら金髪美女への執着、覗き趣味まで、よく遺族がOKを出したものだ。

ヒッチコックを演じるのはアンソニー・ホプキンスで、肥満メイクをしてあの独特のしゃべり方を真似てみせるのは得意技だろう。
しかしこの映画でうまいのはヒッチの妻、脚本家のアルマ・レヴィルを演じるヘレン・ミレンで、そっくりさん演技をしないで済む分有利とは言え、ヒッチを完全に喰っている。さすが名女優。

「ヒッチコック劇場」のような始まりと締め、おなじみのテーマ曲とシルエットもどこで登場するかお楽しみ。

この映画の面白さは年寄りにしかわかるまい~ 


到着したシンガポールで食べたアッサム・ラクサは
 辛かった・・・。


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ミャンマー周遊 9 ポッパ山のおかま

2013-03-10 14:33:31 | 東南アジア
1月19日 続き

サレーを出て進路を東に取る。

やがて見えてきたのは標高1518メートルの大ポッパ山と、その手前の標高737メートルのタウン・カラッ、通称小ポッパ山。
 小ポッパ山は土着信仰の聖地とされているが、この印象的な姿を見ればむべなるかなと思う。

車はまずは大ポッパ山を上り、中腹にあるポッパ・マウンテン・リゾートへ。
 
ここのテラスに設えられたレストランからは頂上にパゴダのならぶ小ポッパ山が眼下に良く見える。 
 と言うわけで聖地を見下ろしながらチキンサラダのランチ。

昼食を終え、それではいよいよあの岩山を登ろうと麓の駐車場で車を降りると、近くからにぎやかな音楽が聞こえてくる。
 出所はこの屋台に囲まれたシンプルな建物。
 
こここそミャンマーの土着信仰、37人のナッ神を祀るところということで建物の奥には華やかなマネキンのような神像がいっぱい。様々なお供え物があがり、熱心に祈る人たちも次々にやって来る。

ナッ信仰は仏教伝来以前から存在し、昔の日本のように神仏習合されたもののようだが、ガイドさんによるとナッ神はみな元は実在した人間で、事件や事故などで不遇の死を遂げたのだという。その魂を鎮め、たたりをなさないように祀るというのは日本の菅原道真や平将門が神様になったのと同じだろう。
元々人間と言うことでナッ神は人間臭く、酒好きでギャンブルの神様、なんてのもいらっしゃる。

でここからにぎやかな音楽が聞こえていたわけは、ちょうど誰かの寄進により神寄せの儀式が行われていたから。
この神寄せのためにオカマさんたちが呼ばれ、踊っているところに来合わせたのだ。

  
飛んだり跳ねたりしたあげく、なぜかバナナを口移しするおかまさんたち。
 こちらのおじさんというかおばさんはナイフを振り回して踊る。
  こちらのキレイどころ(?)におひねりが渡されるとお札が頭からつりさげられる。
 見物人には子供も多く、みな口を開けてオカマさんたちの踊りを見ている。若い女の子たちはゲラゲラ笑いながら見ており、まさにゲテモノを見物しているという感じ。
ガイドさんによると昔はあちこちでよく見られたらしいが最近は減って、ここで見られたのはラッキーらしい。

岩山を登るよりこちらの方が面白いという連れを残し、ガイドと二人で参道へ。
 
二匹の象の間の階段を上ると、まずは例によってお土産屋さんがずらり。
 
ミャンマーだるまはどこでも大人気、瓶に入った黄色い花はこのエリアの特産だそう。

土産物屋街を抜けると靴を脱ぐところがあり、その先は階段が急になる。
  
階段には掃除をしてチップをもらう人があちこちにいるが、その理由は階段に猿がいっぱいいるから。
 
こいつら、時に参拝者の持ち物を奪うなどの悪さをするということで悪名高いが、この時期はお客さんが一杯で食べ物も豊富にあるからおとなしいとのこと。襲われずに済んでよかった。

途中この山にゆかりの伝説など聞きながら階段を上ること20分。
777段の階段は急だが、ずっと屋根がかかっているので思ったほど大変でもない。
  
 
電飾で飾られた小さな祠や金色の仏塔の並ぶ頂上は特に見どころもないが、風の吹きわたる中で見下ろす周りの景色は広々と気持ちがいい。

祠の中で異色なのはちょっと目つきの悪いおじさんが祀られたこちら。
 
姿はちょっと仙台四朗に似て、しかし顔つきはやくざの親分みたい。
実はこのお方はボーミンガウンと言って、この山で修行をした超能力者。写真があるのだからそれほど昔の人ではないらしいが、いつの人なのか、どのような能力があったのかはガイドに聞いてもいまいちよくわからない。しかしミャンマーではとても人気があるらしく、ここに限らずどこのお寺の参道にもポスターや人形が売られている。

山から下りてもオカマさんたちの踊りは続いていたが、連れをピックアップしてバガンへ戻る。

途中、ヤシ砂糖やヤシ酒を売る売店に寄り
 

バガンの町では漆細工の工房を覗く。
  
夕方だったのでちょうど日払いの給金を渡しているところだったが、聞けばこのようなところの日給は3000チャット(約300円)ほどだと言う。

最後にバガンのお寺をもう一つ見学。
バガンで一番背が高いというゴードーパリン寺院。
  

今日も一日、盛りだくさんだった。 


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