Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

六本木でアフリカ料理@「アフリカンホームタッチ」

2018-11-29 18:12:55 | 食べ歩き
旅行三昧のkimcafeさんが1ヶ月に渡る西アフリカ旅行から戻られたので、今度は珍しいアフリカ料理店で帰朝報告会。

 「アフリカンホームタッチ」

場所はドンキホーテの先、昔懐かしロア・ビルの向かいのビル3階。
六本木なんて随分久しぶりに来たけれど、ロア・ビルはいまだ健在なのだね。

結構広い店内だけれど、平日の夜のせいか我々の他はアフリカ系のお客さんがパラパラと来る程度でほぼ貸し切り状態。
 先に揃っていた皆さんが飲んでいたのはちょっと甘みのあるアフリカのビール。飲めない自分はMaltaなる物を頼んでみたが、ガラナだと言われたこれは甘いコーラ。

注文はもちろんアフリカ帰りのkimcafeさんにおまかせ。

 まず登場したのはヤム芋フライ。添えられたお味噌は他の料理にも付いてきたが、タイのエビ味噌のような風味がある。
 こちらは山羊肉のフライ。これが臭みなどまったくなく、スパイスがほどよく効いてすごくおいしい。

 サラダと共に登場したのはアフリカン・ミスト。しっかりした白身魚のフリットで、サクサクした衣がてんぷらよりさっぱりしていい。

ここからがメインで、まずはフフとピーナッツスープ。
 
フフとはプランタン(料理バナナ)を搗いて作るものだそうで、店内にも緑のプランタンがあったがこれは箱に入ったフフの素で作ったものかな。餅のようと言われるが確かに柔らかくて弾力があり、食感も味も北海道のイモ餅に近いと思う。
ピーナッツスープの方はちょっとピリ辛で香辛料の種類が違うカレースープと言ったところ。ピーナッツの味はほとんどしないが、フフを漬けて食べるとなるほどアフリカの食事という感じ。

 
続いては唐揚げにしたテラピアと、ラップに包まれているのはバンク―。こちらは発酵したとうもろこしでできているそうだが切るとういろうのような感触で、食べるとかなり酸味があって、これは今までに食べたことのない味。

西アフリカにはこのような穀類の粉を練った主食が何種類もあって、材料の違いで名前が違い、さらに部族ごとに呼び名が変わるのでややこしい、と西アフリカの屋台を食べ歩いたkimcafeさん。
こちらのレストランのメニューにもケンキーとかガリとかまた別の練り物が載っているが、今日はできないとのことで食べ比べが出来なくて残念。

 ワーチェは朝食によく食べられるというお米の料理だが、小豆のような豆が入って赤いそうで、堅めのリゾットのようなもちっとした食感。癖のない味でおいしく食べられる。

ここで本日のスペシャル登場はkimcafeさんのお土産、ガーナの食べる石。
 
気が動転して写真がぶれた(笑)わけではないが、これはどう見ても石と言うより粘土を丸めたもの。
ガーナ出身のママ・シェフが早速食べて見せてくれたが、確かにガーナでは女性が良く食べるそうで、特に妊婦にいいとされているとか。ただし当然のことながらいくつも食べるものではないらしい。

そこでこちらもいただいてみると、齧ると意外に簡単に割れる。
しかし食感も味もチョークみたい(食べたことないけど)で、口の中で粘土に変わる。
珍しいものをいただきました、がおいしくはない。

 ということでココナッツ・アイスでお口直しをして〆。

珍しい食事と楽しいお話しで満腹して、家に帰りついたらkimcafeさんにいただいたブードゥー人形のお土産を店に忘れてきたことに気が付いた。
kimcafeさん、スクムビットさん、ごめんなさい 絶対にわざとじゃありません。


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プーリアの旅 14 バーリ散策

2018-11-27 12:42:53 | ヨーロッパ
10月18日 続き

アパートに落ち着いたところでお昼を食べに行くことに。
壁の情報ボードにおすすめレストランの一覧があるので、その中のシーフードレストランに行くことにする。

アパートがあるのは新市街になるが、ブランドショップの並ぶショッピングストリートをまっすぐ突き抜け、10分ほど歩くと旧市街に入る。
  
ここも狭い石畳の両側に石造りの家が並ぶ街並み。
10年ほど前までは治安が良くない所だったそうだが、今はゴミもなく何の心配もいらない。

やってきたのはLa Tana del Polpoと言う店。
 ポルポとはタコのことなので
 
天井では大きなタコが目を剥き、お皿の上にもタコがいる。

席に案内されメニューを渡されると、英語を話す店のおやじが魚の乗った皿を持ってやって来る。
 メインはこの中から適当な種類と大きさの魚を選び、料理法を指定する方式。
4人なので一番大きな四角い頭の魚を選択。これはホウボウかな。

 
前菜に頼んだリコッタチーズの方はあまり記憶にないが、タコのサラダは柔らかくて味付けもばっちり。
さすが店名にするぐらいだから自慢の一品だろう。

そしてやってきたメインはトマトなどと煮込まれたアクアパッツァ。
 
これをお兄さんが丁寧に骨からはずしてくれて、別にやって来たパッケリというパスタに絡めて食べる。
パスタにはエビやムール貝の入ったソースがすでに絡めてあるのだが、これが魚介だしが良く出ていてものすごくおいしい。

お兄さんは「骨が残っているかもしれない、ごめんね。でも君たちは日本人だから大丈夫だよね」と我々が魚を食べ慣れていることをよくご存じ。
今回の旅最初のシーフードには大満足。

お腹が満たされたところでバーリの町の見学へ。

レストランからちょっと歩くとメルカンティーレ広場がある。
 
その一角にあるライオンに守られた柱は借金を返せなかった者を縛り付けて鞭打つためだったらしい。

ここを抜けるとその先には海。

海岸線がよく整備されていて、ジョギングしている人がいっぱいいるところ、ここは都会だ。

旧市街の中に戻ると大きな教会がある。
  
 ここはサンタクロースのモデルとも言われる聖ニコラが眠るサン・ニコラ聖堂。
  
12世紀に建てられたロマネスク様式の外面はどっしりとシンプルだが、扉まわりなど古い彫刻が残っていて面白い。

  
内部も天井がバロック風になっているだけで身廊のアーチが印象的。
 祭壇もすっきりとして荘厳な感じがする。

そしてこの教会の主役である聖ニコラは地下礼拝堂に葬られているのだが
 
ここは女性の参拝者でいっぱい。
ローマ・カソリックの教会だが、ここはイコンなど東方教会のにおいがする。

  
教会の周りにも狭い路地が続き土産物屋などが並ぶが、適当に歩いているとまた大きな教会の前に出た。
 
こちらはこの町の大聖堂。サン・ニコラ聖堂よりも古くて大きな教会だが、ちょうどどなたか偉い方のお葬式が行われていたので早々に退散。

さらに行くと大きな城が見えてくる。
 
これがスヴェヴォ城。ローマ時代の要塞を歴代の支配者たちが増改築して使って来たそうだが、複雑な歴史のプーリアの城はどこも実用的で無骨だ。

これでバーリ旧市街の見どころは一回り。
 
旧市街と新市街の境目にはヴィットリオ・エマヌエル2世通りという大通りがあって
 その突き当りにはマルゲリータ劇場と旧魚市場があるが、どちらも改修中のようで入れず。

この後はスーパーに寄って食料を調達。
 こういう食事ができるのがアパートのいいところ。


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プーリアの旅 13 フィスキエット博物館

2018-11-25 16:21:47 | ヨーロッパ
10月18日

5泊もさせてもらったルティリアーノの町ともいよいよお別れ。
最後にこの町の誇る郷土工芸、フィスキエットの博物館を見せてもらうことにした。

場所は町の図書館の中。
  
いかめしい入り口をくぐり、2階に上がると博物館の入り口があるが、ここは普段は閉ざされているのでお願いをしないと見ることができない。

入ってすぐのガラスケースは空っぽで、これはかなり寂しい博物館かと思ったら
 
実はなかなか広い館内に展示品の詰まったケースがずらりと並んで壮観。

フィスキエットとは土笛のことなのだが、よく見ると必ず吹き口がついているものの現在はほとんど置物と化していて、毎年1月にはこの町でプロの作家たちによるコンテストがあり、ここにはその歴代優秀作品が集められていると言うわけだ。

ケースはテーマごとに分けられていて
  
 
オリーブの収穫やオレキエッテ作りなどプーリアらしいものがあったり
 
その制服が人気だと言う憲兵隊の人形もいっぱい。

 
鶏がいっぱいいるのはこれがこの町のシンボルだからで
  
ガラス窓にも、図書館前の広場にも鶏がいる。

 
いかにもイタリア人が好きそうな政治家や聖職者を風刺したものも1ジャンルになっていて
  
元ネタはわからないが、大体何を言いたいかはわかる気がする。
日本でも羽子板やひな人形に時事ネタがある、あれと同じだろう。

たくさんの作家がいる中で、特に作品が多く、特別な展示もされているのは名人と言われるVito Mocciaさん。
  
 
確かに造りも表情も他からは飛びぬけている。

一つ一つ見ていたらきりがないほどここの展示品は面白くて、案内してくださった博物館の方、ケイコさんのご家族に感謝。
せっかくの郷土の誇り、もっと簡単に見られればいいのにと思うが、観光地ではないのでそうそう見学者はいないか。

博物館を出たら車で送ってもらって、30分でプーリアの州都バーリの街中へ。
今日からの宿泊はまたアパートなので、オーナーに引き渡されてケイコさんとはお別れ。
最後の最後まで本当にお世話になった。

さて、そのバーリのアパートはBooking.comで見つけたVUEMME 149
 この格子のはまったドアを開けると1階にはドアマンがいて、古くて一度に3人しか乗れないが一応エレベーターもある。
上階に上がってドアを入ると
 
廊下の右手に調理道具から食器、調味料まで揃ったキッチン。
 
その奥にベッドルームが一つ、廊下の左手にはソファベッドのあるダイニングルーム。
 
さらにその並びにもう2つベッドルームがあって、バスルームも2つ。
120㎡もあるこのアパートでは4人がそれぞれ個室を使えると言うありがたさ。

その上テラスから外を見れば
 
下は車の通らない通りがまっすぐ町一番のショッピング街につながり、右手の突き当りに見えるのは駅と言う便利さ。

てきぱきと親切なオーナーからいろいろと説明を受けて鍵を受け取ったら、バーリ生活の始まり。


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プーリアの旅 12 オートラント

2018-11-22 18:03:41 | ヨーロッパ
10月17日 続き

レッチェからまた1時間、本日最後の訪問地はブーツのかかとも端に近いオートラントという町。

イタリア最東端で紀元前からの長い歴史のある町だそうだが、旧市街で存在感を放っているのはオートラント城。
  
15世紀にアラゴン王が建てたもので、その城壁をくぐると
  
車の入らない石畳の小路にはかわいらしい店が並ぶ。
人口6000人のこの町も夏にはバカンス客でいっぱいになるらしいが、10月も半ばではしっとりといい感じだ。

この町で一番の見どころは大聖堂。
 11世紀に建てられたロマネスク教会の正面はどっしりとシンプル。
 
中に入るとフレスコ画や天井も美しいのだが、有名なのは床一面を覆うモザイク画。
 
12世紀にパンタレオーネという修道僧が一人で作ったもので、生命の木を中心に聖書や神話、伝説などを題材に様々なモチーフが描かれているのだが
 
アダムとイブ、カインとアベルなどおなじみのお話しも見えるものの
 
絵ははっきり言ってヘタウマ
  
と言うよりかなり変、でだからこそ面白い。

 側廊にももう一本木があるが、その先のチャペルを覗くと
 
その壁を飾っているのはたくさんの骸骨。
1480年にこの町がオスマン・トルコに占領された際、改宗を拒んだ市民が大量処刑された、これはその殉教者たちの骨なんだそうだ。

さらに地下礼拝堂があって
  
 
こちらはたくさんの柱と壁のフレスコ画が静謐な雰囲気。
いろいろと面白い教会だ。

大聖堂から少し行くと小さな教会があって、こちらは10世紀に建てられたサン・ピエトロ教会。
 
残念ながら扉は閉ざされていたのだが、格子窓から中を覗くと古そうなフレスコがなかなかきれいに残っている。
ここは入ってみたかった。

 
城門の上に出ると小さなヨットがたくさん係留された港があり

小さな湾の向こうにも町が広がっている。

左手に小さなビーチがあるので行ってみると
 10月半ば、もう午後5時になろうというのに泳いでいる人たちがいる。
確かに今日は暑かった。

と言うことで、車に乗る前にカフェで一休み。
 いただいたのはレッチェ風のアイスコーヒー。
グラスの底に入っているのはコンデンス・ミルクのように甘くて濃いアーモンド・ミルクで、独特の風味がおいしい!

これで本日の観光は終了、2時間でルティリアーノに戻り、今夜はホテルで夕食。
メニューは日替わりの定食になっていて、本日は
 
なすのロールと、カヴァテッリというパスタ。
 牛肉のタリアータにも付け合せに野菜がいっぱい。
 
デザートはフルーツとクリームの入ったパイ。

素朴だけれどアグリツーリズムらしい食事で満足。


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プーリアの旅 11 レッチェ

2018-11-19 22:25:50 | ヨーロッパ
10月17日 続き

ポリニャーノ・ア・マーレから1時間でやってきたのはレッチェの町。

 
元は修道院、現在は市役所になっている建物をくぐるとその先が旧市街の中心。
 
振り返るとこちら側の戸口や窓の周りには装飾がいっぱい。
 
花やら果物やら天使やら、レッチェ・バロックと呼ばれる17,18世紀のこの過剰な装飾でこの町は有名なのだ。

その中でも最も有名なのがこの市役所の隣に建つサンタ・クローチェ聖堂の正面ファサードなのだが
 残念なことにただいま修復中で、覆いの写真しか見ることができない。
偏執狂的とさえ言われるこの装飾が見たかったのだが。

気を取り直して中に入ってみると
 
白い大理石が目立つ正面は意外に派手ではないが、側面にいくつもある祭壇が凝りまくっていて
  
 
この教会に彫像は全部で何体あるのだろうか。

サンタ・クローチェの先にあるのはこの町の中心、サントロンツォ広場。
 ここにはアッピア街道の終点、ブリンディシから運ばれたと言う紀元前2世紀の碑柱があるのだが、こちらも修復中で覆いの中。
 
その足元にはローマ時代の円形闘技場がある。

  
周辺の道は狭くて、あちらこちら教会だらけ。観光客もマテーラより多いかもしれない。

 
高い鐘楼のあるこちらはレッチェの大聖堂。12世紀の建物に派手なファサードが17世紀に加えられたとか。

主な見どころは案内してもらったので、後は面白い装飾を探して旧市街を適当に歩くことにする。
 
威圧感のある石造りの建物の間にはローマ街道の一部があったり
 古いお屋敷らしき建物もたくさんあるが
  
  
期待したほど街中にバロックの装飾は多くなくて、正直シチリアのラグーザの方が面白かった。

ところでレッチェの町にも名物のパンがあって、トマトなどが入って赤いパンの隣がルスティコと呼ばれるパイ。
 
ベシャメルソースの入ったこれが本日のお昼だけど、特に変わった所はなし。

こちらアルヴィーノは町で一番有名なカフェ。
 
ここのパスティチョットと言うお菓子もレッチェの名物だというので、これはお持ち帰りにした。
 
で、ちょっと崩れてしまったこのお菓子を翌朝食べてみたところ、しっとりとフィナンシェのようなタルトの中にほどよい甘さのカスタードクリームがぎっしり詰まっていて、これはおいしい!
本日運転手をしてくれているおじさまも奥さんに申し付かったと半ダースも買っていた、そのわけを納得。

レッチェで一番の収穫はお菓子だったかも。


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チームラボ ボーダレス@お台場

2018-11-17 18:09:05 | 機内食・映画・美術展
開館した時にテレビで見て以来気になっていたチームラボの常設展、夏は混んでいると言う噂だったがもうそろそろ落ち着いただろうと友人を誘って行ってみた。

場所はお台場のパレットタウンということで東京テレポート駅へ。
りんかい線も初めて使ったのでまったくのおのぼりさん状態。
大きな観覧車の下をくぐって建物内に入れば、そこがチームラボ ボーダレスの入口。
 
平日の午後だったのだが、予想に反して入口には大勢の行列。
若いカップルと、来場者の3割以上は外国人ではないだろうか。

チケットは事前にネット購入しておいたので、行列の割にはサクサクと進んで入場。
すると入口には矢印が3方向にあるが、場内に順路はなく、地図もなくて、自由に歩き回っていろいろ発見、体験するのがコンセプトとのこと。

そこで適当に真ん中から入ると
  
 
まわりの壁も床も華やかな花畑。暗い中に花が色や形を変えながら動き、しかしよく見ると鏡の壁が多くて思いのほか部屋は狭く、気を付けないと鏡に激突しそう。途中にある階段を上がると上から全体像を見ることができる。

ここを抜けるとその先に大きな部屋があって
 
正面の壁から築山のような所へ水が流れるようになっているのがとてもきれい。
 
壁の和風のイメージもどんどん変わる。

 
牛車に乗ったカエルやウサギが動き回る廊下に出ると行列ができていたので、何のためかよくわからないがその後尾についてみる。

 
すると目指す先はたくさんの電球が天井から吊り下げられた部屋。ここも実はとても小さな部屋なのだが、壁と床がすべて鏡張りになっていて電球が無数にあるように見える。一定の人数で入れ替え制にしているので行列ができるのだ。
 
順番が来て部屋に入っているうちに電球の色が変わって行く。部屋にいたのは3分ぐらいだろうか。
チームラボはプロジェクションだけだと思っていたので、電球というハードウェアを使っているとは意外だった。

次にやって来たのは周囲の壁に波が砕ける部屋。
 
ここはあまり意外性がなく、ちょっと退屈。もっと長くいれば映像が変わったのかもしれない。

適当に行くと長い階段があり、華やかな壁を見ながら4階まで上がる。
 
この施設、年寄りには向かない。

上がった先は「運動の森」と名づけられていて
 
トランポリンのような床や滑り台があったり
 
床がデコボコしている所や、ゲームのようなものがある部屋も。
どれも人の動きにつれて映像がインタラクティブに反応するようになっている。

 
これも刻々と色が変わる風船がたくさん置かれている部屋。まるでエイリアンの卵みたい。

 こちらの部屋では大勢の人たちが熱心に机に向かって塗り絵をしている。
 
これは自分の描いた絵が壁の海を動き回るというもの。皆さん、なかなか絵がお上手で、見ていて楽しい。

この階は見つくしたのでまた1階に戻ろうとすると、途中にカフェがあったので一休みすることに。
 
メニューは熱いのと冷たいの各2種のお茶のみ、入口でオーダーとお会計を済ませると一人分の茶葉を渡され、コの字型のテーブルが並ぶ暗いカフェスペースへ。
 すると目の前には空の器が置かれ、茶葉は持ち去られるが、周りのお客さんたちはなにやら光る茶碗に見入っている。

やがてお姉さんがポットを持って戻ってきて、それぞれの器にオーダーしたお茶を淹れてくれる。するとなんと、
 
お茶の中に花が咲き、器をずらすとその花が散って行くではないか。
 
どういう仕組みになっているのか、器を動かしてもちゃんとそこでまた花が咲き、しかもお茶の種類によって咲く花も違うよう。
飲んでしまうのが惜しくなるがオーダーしたほうじ茶ラテもおいしかったし、これは500円の価値あり。

1階に戻り、また滝の部屋に出たのでこれで終りかと移動すると、違う部屋に出た。
 
ここはたくさんの小さな電球がすだれ状に垂れ下がっていて、音楽と共に色や点滅の仕方が変わる。
 
部屋の隅にはコントローラーがあって、象形文字のようなマークを選んでスワイプするとそれに合わせて色が変わる。
これがとてもきれいで見飽きることなく、いくつも動画を撮ったのだがなぜか編集が出来なくて、アップできないのが残念。
 
ここも床が鏡張りになっていて、下を見ると吸い込まれそうな錯覚を起こす。
大勢のお客さんが来ているのに床も壁もとてもきれいなのは、これも大勢いるスタッフのおかげ。

これに大満足したので、それでは出口へ、と移動するとまた新しい部屋に出た。
 
蓮の葉のような円盤がゆるい傾斜に並び、映し出されるイメージは四季を表しているよう。
秋、冬、春と見て夏を待っていたら映像が止まってしまったのでようやく出口へ。

出て見ると入場から3時間経っていて、3200円はちょっと高いけれど、これは確かに楽しめた。
暗くて足元が不安定な所もあるのでスニーカーは必須、三半規管が弱くて乗り物酔いするような人にもきついかもしれないし、うっかりすると見逃してしまう部屋が出るかもしれない仕組みも一考の余地はあるように思うが、一度は行く価値あり。


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プーリアの旅 10 ポリニャーノ・ア・マーレ

2018-11-14 22:47:54 | ヨーロッパ
10月17日

 朝、改めて見るホテルのお部屋。

屋上に上がる階段があったので上ってみると

まわりはネットをかけたブドウ棚だらけ。その向こうに見える大きな建物はパスタやクッキーなど小麦製品の会社で、日清もここに小麦の買い付けに来たりするんだそうだ。

 敷地内にはブドウ畑はもちろん
 
人懐こいうさぎやあひる、山羊やポニーもいて、夏には家族連れでにぎわうのだろう。

 朝食はこちらで、7:45という中途半端な時間から。
 
テーブルにはリコッタやハム、ブドウなどが並ぶが、イタリア人を見ているとこれも何種類も並べられた甘いケーキとコーヒーだけで簡単に済ませて出て行く。朝は甘いものしか食べないって本当だったんだ。

さて、本日もケイコさんに案内されて、今度はプーリアの南を見に行く。
まずは車で30分、海辺のリゾート地、ポリニャーノ・ア・マーレへ。

海沿いにはもちろん真っ白なリゾート・マンションやペンションがいっぱい。
しかしこの町、実は紀元前4世紀からの歴史があるそうで、ちゃんと旧市街がある。
   
 
門を入るとすぐに広場があって、その脇の鐘楼があるのが宇多田ヒカルが結婚式を挙げた教会とか。

  
狭くてくねくねと曲がる小路沿いの家はこぎれいで
 
小さな礼拝堂はイベントスペースに変わってしまったようだが、あちらこちらに聖母像が見える。

そしてポリニャーノと言えば有名なのはこの景色。
 
小さな入り江の水の色がものすごくきれい。ここの崖の上からのダイビング・コンテストも有名なのだそうだ。

 町は崖の上に建てられていて、この崖下の洞窟レストランも有名。
 
釣り糸を垂らすおじさんはなにやらカラフルな魚を釣り上げていた。

せっかくのきれいな海なので、手の一つも浸そうと先ほどの有名なビーチへ降りてみる。
 この橋の下へ降りると
 
石ころだらけのビーチには勇敢にも水着姿のおばさんが。水はまだそれほど冷たくなかったが、さすがにおばさんも足を漬けるぐらいで泳ぎはしなかったよう。
この小さなビーチが夏には足の踏み場もなくなるほどの人で埋まるらしい。

町の郊外にはバーリ生まれの芸術家、ピノ・パスカルの小さな美術館がある。
 
と言っても1960年代に32歳の若さで亡くなったと言うこのアーティストのことは何も知らないのだが
  
 
かわいらしい美術館の窓から見える海がきれい。

今日は晴れてよかった。


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プーリアの旅 9 カステル・デル・モンテ

2018-11-13 16:50:50 | ヨーロッパ
10月16日 続き

モンテ・グロッソの村を出てオリーブ畑の中を30分走ると、小高い丘の上に城が見えてくる。
 
これが本日最後の訪問地、カステル・デル・モンテ。

レストランでゆっくりしていたので、ここに到着したのはすでに午後6時近く。
 夕方の空に石造りの端正な建物がそびえたつ。

  
建物に入り、すぐ反対側にある戸口を抜けると
 
真ん中は中庭になっていて、上を見上げれば正八角形の空が見える。
 模型を見るとよくわかるが、この城は八角形のドーナッツのような形になっていて、角ごとにまた八角形の塔が付いた不思議な構造。

 13世紀にこの城を建てたのはフェデリーコ2世。
神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世と呼んだ方が日本では通りがいいだろうが、彼はシチリア王でもあり、生涯のほとんどをシチリアとその領地であった南イタリアで過ごしたようだ。

そんな王が建てた城ではあるが、ここは戦闘や防衛のための城ではなく、どうやら狩猟のためのものだったらしい。
そのため家具や装飾は何も残されていない城内にはフェデリーコが好んだと言う鷹狩りに関する展示が少しあるだけ。
  
 この鷹の絵がかわいい。

 地上階を一回りしたら狭い階段を上がって2階へ。
大きな建物だが天井の高いこの城は2階建て。
  
ここにも何もないが、角ごとにある八角形の塔の隅にはトイレがあって、壁にちゃんとろうそくを立てるための穴まである。
このトイレ、西洋の城では最初期のものだそうで、ヨーロッパ各国人にユダヤ人やアラブ人も同居していたシチリア育ちのフェデリーコは時代の最先端を行っていたらしい。

 
2階の窓から外を見れば、360度まわりの平野がよく見渡せる。
食事の2時間前にこの窓から合図をすると、一番近い村から食べ物が届けられたとか。この城に台所はないのだ。

 印象的な姿を外からも一回りしたら、夕闇の迫るお城に別れを告げてルティリアーノに帰還。

今夜からは同じ町ではあるが、市街地の外にあるアグリツーリズモのホテルに泊まる。

 
Lama San Giorgio は19世紀のマッセリアを改装したホテル。
  
本館のダイニングルームやフロント前の暖炉など雰囲気がある。

この本館にも宿泊できるのだが、我々に割り当てられたのは50mほど離れた所に新しく建てられた別館。

もう暗くなってから到着すると平屋建ての建物が2棟、L字型に並び
 
手前のプールはライトアップされている。

 
真っ白で清潔な部屋には小さな冷蔵庫も完備。
 ジェットバス付きの浴槽があるのも夜には寒くなるのでありがたい。

 今夜はもうこんなものしか入らない。


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プーリアの旅 8 モンテ・グロッソの菜園レストラン

2018-11-11 19:56:31 | ヨーロッパ
10月16日 続き

アンドリアの町から30分でやってきたのはモンテ・グロッソという小さな村。

ここにイタリア版ミシュラン、ガンベロロッソで最高評価のフォーク3本を取っているレストランがあり、なかなか予約が取れないというこの店で本日はランチなのだ。
 
村とは言え意外に新しくこぎれいな住宅街の中に、これまたすっきりとしたレストランがある。
これが目指す Antichi Sapori

表のガラスにはベタベタと様々な旅行社などのステッカーが貼られていて、3つ星レストランのイメージとはずいぶん違う。

中に入ってみるとこじんまりとした店で、内装にも気取った所はまったくない。
 
最初の写真は食後に撮ったものだが、14時に我々が着いた時には当然どのテーブルも埋まって、皆さん楽しそうに食事をしている。
 テーブルの背後の窓からは忙しそうな厨房も覗ける。

さあ、それでは我々も、とすぐにパンとワインが運ばれてくる。
 
すると雑穀入りのこのパンがものすごくおいしくて、これはやばい。これから料理がたくさん出るのだからパンを食べすぎるわけにはいかない。
シェフの名が付いたハウスワインも飲めない者が言うのもなんだかおいしくて、運転手2人も当然飲む。
食事は何時間も続くから無問題という説明につい納得してしまう(笑)。

ケイコさんにおまかせのお料理、まずは優しい味のヒヨコ豆スープからスタート。
 
パンの上に乗っているのはルッコラとリコッタのペースト。

 一口サイズのナスのトルタとかぼちゃのラザーニャが来て
 
石の器に突き刺さって来たのはソーセージとチーズ。チーズはカプリーノという山羊のチーズだそうだが、これが独特の癖もなくてうまーい!
緑の四角はスフォルマートという野菜のオーブン焼き、イランのハーブオムレツを思い出す。

 
オレンジ色のかぼちゃペーストの上の丸いものはオリーブの素揚げ。通常は生食できないオリーブだがこの種類は可能、今の時期しか食べられない季節ものはほろ苦い大人の味。
玉ねぎのオーブン焼きは甘くて
 
プーリアで人気の豚首肉のサラミとフォカッチャに続いては
 これもおもしろい石の器に乗った作りたてリコッタ。
牛乳の風味が甘く広がるリコッタはもちろんおいしいが、添えられたセロリのジャムがまた絶品。

と、ここまで12品がすべて前菜。
料理が出るたびに写真を撮り、メモを取っていたので忙しいが、それを本日の運転手のおじさまが面白がるので「日本には写真を撮ってからでなければ食べてはいけないと言う法律があるのだ」と言っておいた。

次に来るのはイタリアでプリモと呼ぶパスタで
 一品目はヒヨコ豆ソースのオレキエッテ。こがし小麦と言うものを使っているので色が黒っぽく、これにもチーズがたっぷり。
 もう一つはラグーソースのパケッリ。巨大なマカロニのようなパスタで、これもこの辺りで人気があるようだ。

このあたりでもう相当お腹いっぱいなのだが、メインはこれから。

 口直しに生のニンジンとフィノッキオ(フェンネル)がどーんと運ばれてきたが、このおいしいこと。
特に日本では珍しいフィノッキオ、独特の香りがあってはまる。

そしてお肉は7人でシェアしたが
 
自家製ソーセージに子豚の炭火焼。
 そして豚首肉のローストにはオレガノやタイムのハーブの他にスパイスも効いて、これは最高においしかった。
 
付け合せのサラダやローストポテトも奇をてらわずにおいしい。

もう入らん、と言う所で運ばれてくる食後のリキュール
 リモンチェロとノッチーノに酒飲みチームは大喜び。
一緒に出される糖衣掛けアーモンドもおいしい。

これで食事は終了と思いきや、ケイコさんのご主人が食べたかったのか、さらにデザートが登場。

 
アイスケーキのカッサータにババ。
 
フォンダンチョコレートもおいしいけれど、地味~な見た目の洋ナシのケーキが実は一番おいしかったりする。

最後はコーヒーで締めて、ここまで2時間半。
どれもとてもシンプルな料理で、以前行ったやはりガンベロロッソやミシュランで最高評価の「オステリア・フランチェスカーナ」とは全く方向性が違う。
しかしこういう素材そのもののような料理も評価するとは、さすがイタリア人。自分はこういう料理の方が好きだ。

 
外に出て見るとレストランの奥にはハーブ類がたくさん育てられていて、一仕事終わったシェフのピエトロさんも出てきてくれた。
イタリアでは有名人のようだが、とてもシャイな人だ。

このシェフが見て行ってくれ、と言うのでレストランから徒歩5分の菜園へ。
  
 
温室も見える畑の土はいかにも柔らかそうで、周りにはラベンダーやローズマリーが植えられていい香り。
レストランの野菜はほとんどが15000㎡あるこの菜園のものとのことで、シンプルな料理がおいしい理由も納得。

 この菜園に案内してくれて、農具を前にケイコさんのご主人とおじさまに熱弁をふるっているのはシェフのお父さん。代々この村の農民だったと言うルーツを大切にしているのがよくわかる。

3ヶ月も前に予約を入れてもらったおかげで得られたおいしい食事にゆったりした時間。
それにしても全24品、よく食べた。


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プーリアの旅 7 モンテ・サンタンジェロ

2018-11-10 18:38:50 | ヨーロッパ
10月16日

今日から2日間はケイコさんにプーリアの見どころを北から南まで案内していただくことになっている。

一日目は早朝7時にご主人とおじさんの車2台がやってきて、分乗したら早速車内で用意された朝食。
 至れり尽くせりとはこういうことを言う。

車はまっすぐな高速道路を北に向かい、途中で一度トイレ休憩。
 
PAにはタラッリやオレキエッテなどプーリアの特産品が山と積まれていて、イタリア人もやっぱりこういうお土産を買うのね、と納得。

土地のほとんどが起伏のあまりないプーリアだが、やがてちょっとした山が見えてきた。
 
ここがガルガーノ岬と呼ばれるエリアで、
 車はクネクネとした山道を登って行くが、雲が低く垂れこめてやがて霧の中に突入した。

しばらく行くうちに山の頂上と思われるあたりまで来ると、驚いたことに家やアパートがいくつも出現して町がある。
ここが目的地のモンテ・サンタンジェロ。大きな駐車場で車を降りると目の前には大きなお城が霧の中にぼんやりと見える。
 
これはノルマン人が建てたものだが
 
その脇の石畳の道を下りて行くと、降りきった所に大きな鐘楼と教会がある。
これが本日一つ目の目的地、サン・ミケーレ聖所記念堂。

眺めているうちに霧が少し晴れてきた。
 
正面の入り口の上にいらっしゃるのがここの主役、大天使ミカエル。
5世紀にここに姿を現したということでここが聖所となり、中世にはフランスのモンサンミッシェルからここに巡礼し、さらにエルサレムに向かったのだとか。

 わかりにくい図だが、正面の入り口から入ると長い階段があり、礼拝堂は地下の洞窟の中にある。
写真撮影は禁止と言われ、カメラをしまって下に降りると礼拝堂内ではミサが行われていて中は信者でいっぱい。
 そこで脇の売店で絵葉書を買った、これが聖堂内。
壁や天井は洞窟の岩肌がそのまま、声が反響して確かに特別な感じがする。

やがてミサが終わると皆さん写真を撮りだしたので、こちらも便乗して撮らせていただく。
 
左手にあるのが一番古いという聖母の祭壇、中央の祭壇には大天使ミカエルの大理石像。
手前の部分は天井が高く広がっていて、さすが立派な聖堂だ。

教会の外に出ると人気の巡礼地らしく、参道にはお土産物屋が並ぶ。
  
 ここもパンが有名だそうだが、さすがにこの大きさでは買うわけにいかない。
そこで買ったのはこれも名物だと言うお菓子
 
ミサで使われる聖餅の間に飴掛けアーモンドが挟まれているもので、なかなかおいしい。

山を下りてくると相変わらず雲が低いが、海辺のマンフレドーニアという町の港が見える。
 
手前に広がるのはひたすらオリーブ畑だ。

ここから1時間半走って、次にやって来たのはアンドリア。
バルレッタ=アンドリア=トラーニ県の県都で人口10万というなかなか大きな町で
 お役所も立派。
ただし街中には落書きなども目立って、治安はあまりいい感じではない。

観光地でもないこの町だが、お役所の裏に回り、案内表示に従ってやってきたのは
  
 お菓子博物館。

と言ってもMucciというお菓子屋さんなのだが
  
 
中はクラシカルでとても優雅。
ここはアーモンドにチョコレートと糖衣をかけたドラジェの名店だそうで、結婚式にここの製品を出すのがこの辺りではステータスらしい。

 
これも優雅なレジで3ユーロを払うと「博物館」の案内をしてもらえて、まずはカウンターでお姉さんがたくさん並ぶ製品の説明。
合間にはもちろん試食があって、ドラジェというと硬くて甘いだけのものだと思っていたが、ここのは糖衣も薄く、中のチョコレートも香りが良くて、さすが名店と言われるだけある。

博物館スペースにはチョコレートを作るための道具が並んでいるが、昔チョコレート会社に勤めていた者には懐かしい。
 
昔のレトロなパッケージがおしゃれだ。

見学が済んだらもちろんお買いもの。
 
みんなであれこれ選んでいたら創業者の4代目が顔を出してくれた。
今も家族経営だそうだが、若くてもなかなかしっかりしていそう。

おいしいお土産を買ったら、そろそろお腹が空いてきた。


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