Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

イランの旅 12 パサルガダエ~ヤズド

2014-06-27 16:39:04 | 中近東/北アフリカ
4月30日

ホテルでの朝食。
 左はコーングリッツのような穀物のお粥、右は豆や野菜類のおじやのようなもの。どちらもイランの朝食メニューと聞いたが、このホテル以外ではお目にかかれなかった。

早めの8時にシラーズを発ち、ペルセポリスを通り過ぎてパサルガダエに到着したのは10時。
ここはダリウス一世のパパ、キュロス王が紀元前546年に築いた都ということで、まずはそのキュロス王のお墓を見学。
 
のちの王たちの崖に穿たれた墓とは全く違う形式でシンプルだが、堂々と威厳を感じる。

このお墓の周りはその昔は庭園だったそうだが、アレクサンダー軍に蹂躙されて今は平らな原っぱ。
 
その原っぱの中に宮殿の跡がある。

 
キュロス王の私宮殿や
 
謁見のための宮殿跡。
 
ゲートハウスと呼ばれるこの宮殿跡に一本だけ残る柱には不思議な頭飾りを付けた有翼の人物像がかろうじて残る。
 
それ以外の彫刻や装飾の跡もよく見なければわからない程度で、ペルセポリスの階段のような派手な見どころはない。
 
しかし風の吹きぬける花咲く草原に柱がわずかに残る景色は、遺跡としてはペルセポリスより好きかもしれない。
 ただしここも日陰がなくて暑いので、丘の上の城塞跡は下から見るだけで終了。
 車に戻れば運転手さんがこんなフルーツプレートを用意してくれている。

この後は一路ヤズドを目指すが、途中にめぼしい町はなく、黙っているとお昼が相当遅くなりそうなのでガイドさんに頼んでまた道端のドローカルなサンドイッチ屋に寄ってもらう。
  
今日もファラフェルサンドになってしまったが、この店でようやくザムザムコーラを発見。イランと言えばこのブランドのはずだったのに、今やペプシとコカコーラに席巻されて見つけるのも難しくなってしまった。
都会っ子のガイドさんには「そんなもの飲むの」みたいな顔をされたが、めったにコーラなど飲まないので味の違いは判らない。

しばらく行った先、ちょっと大きなアバルクの町にあったのは「昔の冷蔵庫」
  
今はもう使われていないが、氷を入れて物を冷やした氷室だそうで、ロート状に積み上げた泥煉瓦が見事だ。

この町のもう一つの見どころはこちらの杉の木。
  
近くの看板によると高さ25メートル、幹の直径3メートルのこの木は樹齢4000年だそうだが、その木に落書きしちゃいかんだろう。

 
道は砂漠のような平地から岩山の間を走り抜け 
 後ろを向いた鷲のような大岩の横を通り過ぎて


低い家並みが広がってきたらそこがヤズドだ。


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イランの旅 11 夜のシラーズ散歩

2014-06-25 12:24:49 | 中近東/北アフリカ
4月29日 続き

本日の観光を終え、シラーズ一番の目抜き通り、ザンド大通りに来ると車でいっぱい。
 
衣料品などの店が並ぶ通りは、昼間はそれほど人がいないが夕方からにぎわってくるようだ。 

お昼にたくさん食べたので、今夜の夕食は軽食にしようと何かテイクアウトできそうな店を探してもらう。
 
入ったのはサンドイッチ屋さん。
 
店先にあった春巻きのようなものとサモサの中身はカレー味ポテト。ファラフェルサンドは野菜がたっぷり入ってボリューム満点。こういう食事だと一人100円ぐらいで済んでしまう。

食後は昨晩気になった物を確認しようと、再びホテル近くのアイスクリーム屋さんへ。
 
今夜も行列ができているが、無事にゲットしたのはこれこそこの店の売りである「ファルーデ」。
写真ではわかりにくいが、細いそうめんというかビーフンのようなものが凍っていて、それにレモン味のシロップがかけられている。口に入れるとパキパキとした食感で、甘すぎずさわやか。昨日のアイスクリームは微妙だったが、これはおいしい。

  
もうちょっと散歩しようと、左手にライトアップされたキャリーム・ハーン城塞を見ながら行くと、昨晩のパン屋さんもまた行列。

さらにちょっと行くとザンド大通りに出た。
 
広い通りには電飾が掛けられ、夕方よりさらに多くの人が出ている。
  
歩道は露天商と化し、よく見るとジャスティン・ビーバーのポスターまであるよ。

ぶらぶら歩きまわってホテルの前に戻り、本日2軒目のアイスクリーム屋さんへ。
 
こちらは老舗有名店よりぐっと洋風で派手な造り、アイスやファルーデもいろいろなフレーバーがあるのでチョコレートアイスにザクロ味ファルーデにしてみたが、おお、これもおいしい。
実はこの通り沿いには他にも何軒かアイスクリーム屋が並んでいて、イラン人よほどアイス好きとみえる。

シラーズの街路は大通り以外はそれほど明るいと言うわけではないが、夜遅くでも家族連れがたくさん歩いているし、中には暗がりでピクニックをしている家族などもいる。
夜更かしらしいイラン人のおかげで、夜の散歩も安心して楽しめるのだった。 



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イランの旅 10 シラーズ市内観光

2014-06-23 16:40:36 | 中近東/北アフリカ
4月29日 続き

昼食後、シラーズ市内に戻って定番観光地巡り。

まずは13世紀の詩人、サアディーのお墓。
 
きれいに整えられた公園の中の立派な廟は1864年に建てられたもの。
 
内部もきれいで壁に詩の一節が掲げられているが、詩人に思い入れも何もないこちらにはあまりおもしろいところではない。

廟の脇には地下に降りる階段があり、美しいタイルで飾られた真ん中を覗き込むと水が流れている。
  
通称「魚の池」と言うこの水は近くの泉からカナートと呼ばれる地下水路を通って運ばれ、ここで願い事をするとかなうと言われて有名らしい。

次に向かうのはハーフェズ廟。
 こちらは14世紀の詩人で、まわりはやはり公園になっている。

お墓は公園中央の東屋の下にあるのだが、そちらに行ってみるとたくさんの人が並んで「シラーズ、シラーズ」と歌を歌っている。
 
よく見るとビデオカメラマンやら監督やらもいて、どうやらシラーズの観光ビデオを撮影中らしい。
真ん中のはげのおっさんはプロらしいが、周りはたまたま居合わせた学生や観光客らしく、何やら書いた紙を持たされて撮影されている外国人もいる。どんなビデオができたのか、見てみた~い。

この一団の裏に回るとハーフェズさんのお墓。
  
この周りでは熱心に本を広げている人たちが何人もいて、これは占いたいことを心に浮かべながら適当にページを開くとそこに書いてある詩が答えという「ハーフェズ占い」なんだそうだ。各詩には現代語の解釈も付いていて、ガイドさんが我々のために近くの人の本を借りてくれたが、結構面白い。
サーディー廟よりも明らかにこちらの方が人気があるが、しかし観光でこんなに詩人の墓参りをする国が他にあるだろうか。

市内観光の最後は世界遺産になっているエラム庭園。
 夕方で涼しくなってきたからか、外国人だけではなくイラン人にも大人気。

19世紀のガージャール朝時代に作られた庭園だそうだが、一番目立つこの建物はエラム宮殿。
 
 
西洋風とペルシャ風の混ざった華やかな建物で下には宝石屋などが入っているが、一般人は2階には上がれない様子。

  
シラーズ大学の管理下にあるという広い庭園内には花壇や温室、背の高い並木が続いて気持ちよく
  
写真を撮りあうきれいな女の子たちを見ているのも楽しいが、木陰にはおデート中のカップルが隠れていたりもする。

ところでシラーズと言えばバラの町として有名なので、この庭園にはさぞかしバラが咲き乱れているのだろう、と期待していたのだが、庭園を散歩してもあまり見かけない。
バラはどこ、と案内図を見ると入口のすぐ脇がバラ園となっているが
 
えっ、ここなの?と疑ってしまうほど寂しい景観。背丈が低い木ばかりなのは最近植え替えたのだろうか。
  
 
 
でも近くでよく見ればいろいろな種類があってきれい。

シラーズは確かに詩とバラの町だった。


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イランの旅 9 ナクシェ・ロスタム&ナクシェ・ラジャブ

2014-06-20 19:35:47 | 中近東/北アフリカ
4月29日 続き

ペルセポリスの次に向かうのは6キロ離れたところにあるナクシェ・ロスタム。

  
アケメネス朝の王の墓が崖に4基あるが、左から3番目がダリウス一世のものという以外、あとの3人、ダリウス二世、アルタクセルクセス一世、クセルクセス一世についてはどれが誰のものか、確定されていないらしい。

それというのもどの墓も造りや装飾がまったく一緒。王の名前などは刻まれていないらしい。
 
ペルセポリスの背後の丘にあった2つの墓もこの様式を踏襲しているが、この崖にスペースがなくなったので後の時代の二人はあちらに葬られたとか。

大きな墓の下には大小の騎馬人物像などが7つあるが、これらは墓が作られた時代よりも800年も後のササーン朝時代のもの。
 
 
ササーン朝の王たちの偉業を記録するのに古いお墓の威光を借りた、というところだろうか。レリーフそのものも昔のものを利用したらしく、確かに様式の全く違う彫刻が隅に残っていたりする。

 4つの墓の向かい側には四角い建物が一つ、ポツンと建っているが、アケメネス朝時代のこの建物の用途はわかっていないらしい。

ナクシェ・ロスタムからペルセポリス方面に少し戻ったところにあるのはナクシェ・ラジャブ。
  
入口からは大きな岩がゴロゴロしているのしか見えないが、近くに寄ってみると小さな空間を囲む三方の岩にレリーフが3つある。
 
これもササーン朝のものだが、正直ペルセポリスの階段浮彫を見た後ではいささか魅力に欠ける。

遺跡見学はこれにて終了、ということでこのすぐ近くのツーリスト向けレストランへ。
 この周辺で食事ができるところはここしかないらしく、一足早めに行動していた我々が着いた時はまだ席に余裕があり、ビュッフェ・テーブルにも人がいなかったが、少ししたら欧米人の団体でいっぱいになった。

これはあまり期待できないかな、とちょっとがっかりしたが、あにはからんや
  
サラダ類をはじめ料理はバラエティ豊富で味も悪くない。フレッシュなハーブがごっそり用意されているのがうれしく
 特にこのハーブがこれでもか、と入ったクークーイェ・サブジーという卵焼きがよかった。この料理、イランではとてもポピュラーだそうで、スーパーではこれ用のハーブミックスが冷凍になっているものも見た。ただし家庭料理らしく、レストラン・メニューには見当たらないので、ここで食べられたのはラッキー。
ツーリスト・レストランにもたまにはあたりがある。

ところでここから定番観光ルートなので大量に見かける外国人観光客、フランス、イタリア、ドイツ人あたりが多いようだが、面白いのは女性陣の服装。
みなさんもちろんスカーフをかぶっているのだが、特にイタリア人などはいかにおしゃれにスカーフをかぶるかに腐心していて、まるでターバンのようにしている人までいる。本来なら首筋が隠れないのでアウトなのだが、外国人はうるさく言われないし、なによりその創意工夫ぶりに感心する。
上着はと言えばほとんどの人が着ているのがインドのブラウス。腰まで隠れるし、薄い生地なのでこの時期のイランにぴったり。
ああ、みなさんもうインドは行ったのね、というのがよくわかっておかしい。

そういう自分も、もちろんこの日に着ていたのはインドのブラウス。


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イランの旅 8 ペルセポリス

2014-06-19 18:01:00 | 中近東/北アフリカ
4月29日

今日はイラン観光の目玉の一つ、ペルセポリスへ。

 朝食は典型的イラン式。ジャムがサクランボとニンジンなのもイラン式。

遺跡は暑くなるから、と早めの朝8時に出発。
 
途中の八百屋さんで果物を仕入れたが、野菜類の色鮮やかなこと。

ペルセポリスの遺跡にはシラーズ市内からちょうど1時間で到着。
 
まだあまり車の入っていない大きな駐車場に車を停め、土産物屋の前を通って広い通路を遺跡へ。
本日の天気は薄曇り。青空をバックの写真を撮れないのは残念だが、早くも暑くなりはじめているのでこの天気は幸いかも。

少し行くと見えてくる宮殿への大階段。馬で登りやすいように段差が低くなっているそうだが、早くも観光客でいっぱい。
 

ペルセポリスは紀元前520年に即位したアケメネス朝ペルシャのダリウス一世が着手し、その後150年に渡って建設が続けられたと言う宮殿。ただしアケメネス朝の首都はスーサにあり、他にも夏宮や冬宮があって、ペルセポリスは春の正月儀式のために1年間に12日間しか使われない宮殿だったとか。たったそれだけのためにこんな規模のものを作ってしまうとは。
アケメネス朝ペルシャ、ダリウス大王と言う名前も懐かしく、ロマンがいっぱい。学生時代にヘロドトスの「歴史」を読もうとしたけど、最初の数ページで挫折したっけ。

階段を上がったところにあるのは万国の門。
  人面有翼獣に守られたここを通り抜けると
 儀仗兵の通路。両脇に居並ぶ兵士の前を要人が通ったのだろう。
  
柱頭に乗っていたであろうホーマー(イラン航空のシンボルの鷲)や牡牛が今は地面に置かれている。

ここを右に折れるとたくさんのレリーフを刻まれた門があるが
 
 
これは紀元前331年にアレキサンダー大王がこの宮殿を破壊してしまったために未完成に終わったのだそうだ。

そんなわけでその先に広がる100柱の宮殿も
 柱がゴロゴロ転がるばかり。

そしてこの右手にあるのが
 
謁見の間への階段。
謁見の間そのものには柱がわずかに残るばかりで、そこも現在は修復中で入ることができない。
しかし階段の壁には兵士やら文官やら貢物を捧げる外国人たちの姿がびっしりと浅浮彫にされていて、2次元フェチにはたまらない。
  
 

というわけで、2500年前の見事なレリーフはこちら


 謁見の間の隣にはダリウス一世やクセルクセス一世の私的な宮殿跡があるが、ここも現在修復中で立ち入り禁止。
 その前に広がる広大な敷地は宝物庫の跡。ここにあったお宝はすべてアレキサンダーが何千頭ものラクダやロバに積んでかっぱらっていったんだそうだ。

宮殿の見どころはこれで一回りしたが、宝物庫の向こう、丘の中腹には王様の墓があるのでそこまで登ってみることにする。
  
乾いた土にけなげに咲く花を見ながら登ると
 
丘に向かって右側がアルタクセルクセスⅢ世、左側に少し離れてアルタクセルクセⅡ世の墓だが、様式は全く一緒。

ここからペルセポリスの全景を見渡すことができる。

さて広大な遺跡を歩き回って、その規模は実感できたが、階段のレリーフ以外に往時の壮麗な姿を想像させるものは少ない。
そこでロンプラに紹介されているのがこちらのサイト。
http://www.persepolis3d.com 
彩色された壁や、レバノン杉でできていたという屋根があった時にはどのような姿だったかがわかりやすくてすごい。

ついでにこちらはルーブル美術館にあるスーサ出土の彩色タイルの壁。
 
ペルセポリスにもこんな装飾があっただろうと考えるとドキドキする。
この写真はなんと17年も前のものだが、ルーブルの中東・イスラム部門は最近リノベーションされたらしいので、また行ってみたいなあ。

薄曇りとは言え、謁見の間の階段部分以外日陰のない遺跡めぐりで大汗かいた。
これでピーカン晴れだったらどれだけ大変だったことか、とバスでいっぱいになっている駐車場まで戻ると
 運転手さんが氷で冷やしたスイカを切っていてくれた。申し訳ないがスイカはきらいで食べられないと言うと、すかさずメロンも切ってくれる。
この先ずっとテヘランまで運転してくれるこのドライバーさん、細かい気配りで素晴らしかった。

一息入れたところで、さあ、次へ行こう。


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イランの旅 7 マシャド~シラーズ

2014-06-17 18:21:44 | 中近東/北アフリカ
4月28日 続き

昼食の後、空港に向かうにはまだ時間があるので、またもロンプラ頼みで紹介されていた昔のハマムを利用した博物館に行きたいとお願いする。

ここもガイドさんは来たことがなくて探すのに苦労していたが、ハラムのすぐ脇、昼間でシャッターを閉めたアーケードを抜けると
 
「人類学博物館」の看板があり、ハマムの明り取りがたくさん見えるので確かにここらしい(ロンプラの地図は全く違っている)。
ところが周りを歩いても入口が見当たらず、どうも門が閉じられている様子。インターフォンでガイドさんが聞いてみると午前中のみの開館なので今日はもう閉めてしまったとのこと。
屋根を見ると大きなハマムだったようなので、見られなかったのは残念。

  
すぐ脇には昨日入ったのとは別のイマーム・レザー廟への入り口があり、アプローチには真新しい店が並んでいる。
 スーパーまであるが、ここはイマーム・レザー廟の経営とか。寄進の多い宗教法人が潤い、多角企業化するのはどこの国も同じらしい。
下見にのぞいた店内で目についたのは
 なんと、にんにくシャンプー。
髪がきれいになるとイラン人女性に人気だそうで、におい付だのにおいなしだの、バラエティもいっぱい。
同行の友人がおもしろがって買っていたけど、使い心地はどうなんだろう。

そうこうしているうちに時間になったのでマシャドの空港へ。
 
ここは国際線も発着する空港、実はドーハからここに直接来ることもできる。
巡礼者たちのためのお土産売り場もいっぱいで、おかげで嵐を避けるためとやらで出発が1時間遅れたが退屈しなかった。

 本日の飛行機はイラン航空のフォッカー100。

タラップを上がって機内に入ると「日本人?こんにちわ」とまったくなまりのない日本語でパーサーのおっさんに挨拶された。
このおっさん、すぐ後ろにいたアメリカ人の団体にも愛嬌を振りまいていたが、飛び立ってしばらくすると空いていた自分の隣に座りこんで話を始めた。
日本語がやけにうまいと思ったのはイラン航空が日本に就航していたころ、毎回日本に4,5日滞在していたためらしい。
愛想がいいのはいいが、しかし他の若い女の子たちが一生懸命機内サービスをしているのに、パーサーが遊んでいていいのか?しかも女の子の前でフェースブックのアドレスまで寄こすし。
我らがガイドによると「CAさんたち、怒ってました」って、そりゃそうだろう。イラン人、自由すぎ。

 怒っていたかもしれないCAさんにもらったのはチキンの載ったごはん。結構な量があって、お腹いっぱい。

 飛行2時間で到着したシラーズは小さな地方空港だ。

さて、すぐにチェックインしたホテルは旧市街の中心、キャリーム・ハーン城塞のすぐ横。
すぐ近くに人だかりがしている店があり、ガイドさんによると有名なアイスクリーム屋だと言う。
夕食は機内食で十分なので、それではデザート、と荷物を置いて外に出る。
 時間はもうすぐ10時、でもこのにぎわい。
 
店内は飾り気もなく、ひげのおじさんがひたすらアイスクリームをカップによそって客に渡している。
英語表記もなにもなく、前払いなのでとりあえず「アイスクリーム1つ」と言って20,000リアル(約60円)で何やら書かれた紙をもらい、無事にアイスクリームをゲット。
 これが妙に伸びるアイスで、トルコのドンドゥルマによく似ているが、ミルクの風味が独特でおいしいような、おいしくないような。でも食べているうちに癖になる味。
しかし同行の友人たちによると、他のお客さんたちは別のものも食べているようだと言う。これはまた明日リベンジせねば。

と道端でアイスをなめていると、焼き立てのパンを持った人たちがたくさんやってくる。
うらやましそうに見ていたせいか、メガネをかけて優しそうな女性が「どうぞ」とパンを差し出してきた。遠慮なく少しいただいてみるとおいし~。

お腹が空いているわけではないが、どんな店か見に行こう、とちょっと歩くと
 オリーブやらピクルスやらをたくさん並べた店が何軒かあり
 
その先にまた人だかりがしているパン屋があった。ここは機械で焼いているが、薄いパンは窯から出てくる端から売れていく。
これを面白がって見ていたら「一枚もってけ」と迫力あるパン屋のおじさんにまたもらっちゃった。

中東は来るたびに何かもらうな、と思いながらホテルに帰ろうと歩いていると、先ほどのメガネの女性が「車で案内しますからシラーズの観光をしませんか」と声をかけてきた。どうやら家族でパンとアイスを買いに来たらしく、車にあと3人乗れるとはちょっと思えない。夜も遅いから、と辞退させていただいたが、これがうわさに聞くイラン人のホスピタリティーか。

シラーズのような観光地でもこの親切にはちょっと感動してしまった。


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イランの旅 6 トゥース

2014-06-15 19:45:35 | 中近東/北アフリカ
4月28日

本日はゆっくりの出発。
なのでホテルでの朝食の前にちょっと外に出る。

やってきたのは昨日メロンジュースを飲んだジュース屋さん。
ここでイラクから来たというご夫婦がすごくおいしそうなものを飲んでいたのでそれを試しに来たのだ。
 目を付けたのは一番右端のミキサーの中身。チョコレートにココナッツやらアーモンドなどのナッツ、それにゴマがたくさん入っている。
でこれを注文すると、撹拌してカップに注いだ上にさらにアイスクリーム、ホイップクリーム、ナッツ、バナナにはちみつが乗せられ、登場したのがこちら。
 
ストローがささっているがとても吸うことはできない濃厚さ。たくさん入ったゴマが香ばしくて、これはおいし~ 
店主のオッチャンの得意顔もむべなるかな。
マージュンというこの飲み物、フルーツジュースが5、60円なのに300円ほどもする高級品。しかしこの一杯で食事代わりになるほどお腹がいっぱいになるし、朝食にはぴったり。

といいつつ、ホテルの朝食もちょっと覗いてみると
  
薄いのから厚いのまで何種類ものパンが並んで、飲み物は壁の蛇口から出るのが面白い。

ホテルをチェックアウトした後、向かったのはマシャドの北22キロにあるトゥース。
14世紀にモンゴル軍に破壊されるまではこの地方の中心都市だったところだが、現在の見どころはただ一つ
  
10世紀の国民的詩人、フェルドーシ廟。広い公園の中央にあるこの廟は1964年に建てられた新しいものだが、四方の壁にはフェルドーシの詩の一節が彫られている。
 
中に入るとすっきりとしたタイル天井の下、中央にフェルドーシの墓。
 周囲にはフェルドーシの詩の場面が見事なフリースになっている。

イランの人たちは本当に詩が好きと見えて、みなさんお墓の写真を撮りまくり。
タジキスタンではルダーキが国民的英雄になっていた、と話すとガイドさん憮然として「でもルダーキはペルシャ人ですよ」。きっとそう言うと思った。

 池の端にいた、こちらがフェルドーシさん。

さらに公園の奥に行くと
 
10世紀に作られトゥースの町を囲んでいた壁の一部が残っている。レンガ積みがきれいだ。

トゥースの観光はこれだけなので、マシャドへ1キロ戻ったところにある渋いドームも見学する。
  
ハルーニエと呼ばれるこの建物は14世紀初めごろのものらしいが、最近になってきれいに修復されている。
誰かの廟か修道院だったと思われるが、実際何のための建物だったのかは不明らしい。
  
 
ドームが美しく、簡素な建物だがこういうのも好きだ。

マシャドに戻ったらお昼の時間。
  
門前にラクダの隊商がいるこの建物は昔のキャラバンサライを修復したもので、周囲にはブティックなどのお店が入っている。
  
正面から入るのがレストランで、中は雰囲気たっぷり。
 
絨毯に座り、中央に広げたシートの上に食事を置くのがペルシャ式。 
 
必ずパンとご飯の両方が出てくるのもペルシャ式で、ご飯には昨晩のバザールで見たサフランとゼレシュクが使われている。
柔らかく煮込んだチキンも羊もおいしかったけれど、ここで特筆すべきはナスの一皿。たっぷりのハーブソースとヨーグルトをかけたとろとろナスがパンにもご飯にも合う。

食後は絨毯に転がってお昼寝も可能。
おいしくていいレストランだった。


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イランの旅 5 マシャドのバザーレ・レザー

2014-06-14 21:02:58 | 中近東/北アフリカ
4月27日 続き

イマーム・レザー廟の見学が終わり、やっとチャドルを脱ぐことができた。
と言っても聖地に敬意を表して着ている薄いコートはまだ脱ぐことができず、気温は30℃以上ありそうで暑い。

のどがカラカラだがこの町にはしゃれたカフェのようなものは見当たらず、かろうじてあるジュース屋さんで一休み。
 おいしいメロンジュースで生き返る~。

さあ、それでは、とホテルのまさに目の前にあるバザールへ突入。
 バザーレ・レザー
  
屋根つきの建物は800mもの長さがあり、2本の通路の両側にお店がぎっしり、お客さんもびっしり。
ただしここは巡礼者たちのための土産物屋ばかりで、生鮮食品などはない。

ここで一番目立つのは特産品のサフラン。
 
ペルシャ料理ではご飯をはじめよく使われている。
 
中東ではおなじみのスパイスのディスプレイも美しく 
 
こちらの赤い山は同じくご飯に使われるゼレシュク。英語ではバーベリーというスグリの一種だそうだがとても酸っぱい。やはりこの地方の特産だというので買ってみたら、写真の袋でたったの30円!少なく見えるが実はこれで普通のジャム瓶一本分ある。隣のパックに入っているのはミックスベリーのジャムだが、これもすごく酸っぱい。イランの、特に女性は酸っぱいものを好むので有名なんだそうだ。

 女性たちが熱心に選んでいるのはお祈りグッズを置いたり包んだりするための布。
  
聖地だけにチャドル屋もたくさんあって、小さな子供用まであるが、それよりは華やかなスカーフ屋の方がずっと人気がある。

 最近人気らしい合成写真屋もたくさんあるし
 
ペンに名前を彫ってくれるサービスも人気。一本お願いしてみたらこれがまたかわいい箱まで付いてたったの30円。
このバザールでは買おうかどうしようかと迷う方がばかばかしい。

この地方の特産としては他にトルコ石があり、これは我らがガイド嬢が熱心に見ていたが、バザールの半分ほども行くと珍しいものもなくなるので、ホテルに引き返して夕食にする。

ホテル代に含まれていると言う夕食は
  
こんなのいいの?というサラダ・ビュッフェあり、きちんとナプキンに包まれ、保湿機に入れられたパンあり
 
濃厚なスープに、メニューから選んだ鱒のムニエルもおいしかったが、これがかなり珍しいレストランであるとは、旅の初めでは知る由もなかった。


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イランの旅 4 マシャド、イマーム・レザー廟

2014-06-12 22:49:08 | 中近東/北アフリカ
4月27日 続き

陽もちょっと傾きだした午後、ようやくこの町の目玉を見学にホテルを出発。

  
ホテルのすぐ前には大きなロータリーがあり、ここから伸びる道にはお土産屋さんがいっぱい。
 
石鹸のように見えるものはシーア派の信徒がお祈りの際に額を付けるもの、お供え物のセットのように見えるものは巡礼記念のお土産、とさすが聖地だ。

ここをちょっと行くともうイマム・レザー廟の敷地が始まり、いくつものモスクや神学校、中庭を擁するエリアはハラム(聖なる場所)と呼ばれている。

イマム・レザーは9世紀のシーア派指導者。世俗の政争のためにこの地で毒殺され埋葬されたので、以来この地はシーア派にとってメッカに次ぐほどの巡礼地となり、ハラムは寄進によって今もどんどん膨張しているんだそうだ。

 ハラム内に入るにはまずここでバッグやカメラなどをすべて預けなければならない。そして女性は長いコートやスカーフをかぶっていても必ずチャドル着用なので、必要であればここで借りることができる。
レンタル・チャドルはきちんとアイロンまでかけられ、ビニール袋に入れられた清潔なものなのに感心。
 その後は男女に分かれて小さな入口を入り、簡単なボディチェックを受けてやっと敷地内へ。

さて、初めてのチャドル。自分はてっきり四角い一枚布だと思っていたのだが、実は大きな半円形になっていて、だから後ろがゆったり下まで隠れるのだとやっとわかった。
しかしそのおかげで足元に絡みつき、前をしっかり掻き合わせないと自分の裾を踏んづけて転びそうになるし、頭はずれるわ、しっかり掻き合わせると暑いわで、想像していたよりもずっと大変。

で前髪が少々(どころか大幅に)見えても街中では何もとがめられないが、さすがにこの聖域内では怒られる。
そのために「風紀委員」のボランティアが大勢いるのだが、これがおかしくて
 この緑のダスターが風紀委員の印。これで「こらこら」と指されるわけだ。
上の写真はマシャドではなくイスファハンで撮ったので、どうもどこでも係りはダスターを持っているらしい。
しかしなんでダスターなんだろうか。自分は最初、お掃除の人に注意されたのかと思った。
 

敷地内ではまず博物館に入る。
ここには英語のボランティアガイドがいて、ハラム内ではこの人について行かなければならない。
がガイドと言っても説明は必要最小限以下、すごいスピードでどんどん先に行ってしまうのだが、このガイドの役割は異教徒が進入禁止の所に入らないように見張り、なるべく早く敷地内から出すことだと見た。

博物館の中は玉石混交、モスクの古い扉や道具類もあるが、寄進されたオリンピック・メダルやら絵画やら、わけわからんものもいっぱいある。

次に入った中庭にはきれいな黄金屋根の手洗い場があり、その奥に大きな青いドームのゴハルシャード・モスクが見える。
イラン人は盛んに携帯で写真を撮っているのでガイドに聞いてみると、「ここはカメラは禁止。でも携帯はカメラじゃないでしょ。だからいくらでも写真撮っていいんだよ」と、融通が利くんだか利かないんだかわからないお返事。
しかし携帯はOKらしいと言う噂を信じてポケットに入れておいてよかった。これで正式にお墨付きをもらえたので、この先は遠慮なく写真を撮らせていただく。と言ってもガイドが走るように行ってしまうので思うようには撮れなかったのだが。

 
ゴハルシャード・モスクは15世紀、ティムール朝時代のもの。残念ながら異教徒は入れず、
 
中庭の周りの建物は新しいものだろうが、タイルは見事。

  
こちらの建物は扉の中を覗くと、どうも小さな鏡のモザイクになっているらしい。

途中の外国人用情報センターでは短いビデオを見せられ、
 イマーム・レザーの教えのパンフレットやらきれいな写真集やらをお土産にいただく。ここには立派な広報室があるようだ。

さらにすすんでジョムフーリエ広場。
 
ここにはたくさんの絨毯が敷かれ、大勢の人たちがのんびりとお祈りの時間を待っているが
 正面には金色に輝く入口があり、この奥にこそ異教徒立ち入り禁止のイマーム・レザーのお墓がある。
 その金色のドームは遠くからは見えるが敷地内では他の建物に隠れて見えない。
 お土産にもらった写真によるとこんな姿。内部はさらに豪華らしい。

ここを抜ければまた新しいミナレットを建設中の正面広場に戻ってツアー終了。
 
もっとじっくり見たかったが、とにかく広い境内、チャドルと格闘しながら走り回り、写真を撮っていたらくたびれ果ててしまった。

ついでに夜中、ホテルの部屋の窓から首を伸ばすとライトアップされたハラムが見えた。
 入口の広場にはまだ結構な人影が見え
 
輝くドームは神秘的。

やっぱり中も覗かせていただきたいイマーム・レザー廟だった。


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イランの旅 3 キャン村

2014-06-11 19:51:04 | 中近東/北アフリカ
4月27日

早朝に目を覚ますとちょうど日が昇ろうとしているところ。
 小さな駅をいくつも通過するが、夜中にはこのような駅に何度か停車していた。

 外の景色は緑のほとんどない砂漠。トルクメニスタンとアフガニスタンの国境が近い。

昨夜配られたお菓子と、テヘランで買ってきた果物を食べているうちに建物が増えてきて、7時15分、マシャド駅に到着。
  
ここも大勢の人が乗り降りする大きな駅。
  エスカレーターにチャドルの裾注意のサインがあったり、駅の入り口が男女分かれているのが面白い。
 駅の全景はまるで空港のように立派だ。

さて、マシャド(マシュハッド)ではほぼ丸2日あるが、町の観光には半日もあれば十分なので他に行きたいところはないかとガイドに聞かれる。
そこでロンプラに乗っていたキャン村と言うところに行きたいと言うと、ガイドは知らなかったが迎えに来てくれた地元のドライバー氏は知っていると言うので、早速そちらへ向かう。

  
市内を通ると道は広くて車でいっぱい、沿道の家々はきれいだし巨大なショッピングモールは建設中。途中から地上を走る地下鉄も真新しくて、テヘランよりも近代的な大都会に見える。
マシャドはシーア派の聖地として有名なのでてっきりお寺があるだけの町だと思っていたがとんでもない。
実はここはイランでもテヘランに次ぐ2番目に大きな町、近郊に鉱山があったりして工業も盛んなのだそうだ。

市街地を抜けると乾燥した景色になるが、やがて車は脇道に入り、低い山を上るうちにまわりは緑になってきた。
小さな川沿いにしゃれた別荘が見えてきたと思ったら、満開の桜の木がいっぱい現れた。
  
 
これはすべてさくらんぼの果樹園らしいが、まさに今が見ごろで、まさかここで花見ができるとは思ってもいなかった。

途中、散歩などしながら、出発から1時間半ほどでキャン村に到着。
どこがビューポイントなのかよくわからず、Y字路でまずは右手にいくと村のてっぺんに出た。
 
まわりにはさくらんぼの花が咲き、家が下へ下へと重なり合っている。
 さてどこへ行ったら村の全体像が見えるか、と考えているとヤギの鳴き声がする。門の隙間から中をのぞいていると通りがかった人が知り合いだから、と門を開けてくれた。
 
するといたいた、子ヤギを従えた親ヤギに、鶏や七面鳥も中庭を走り回っている。
 
こっちの子ヤギは昨日生まれたばかりとか。子供のいいおもちゃだ。

家の人にはお茶のお誘いを受けたが、村の景色が見たいので辞退してY字路を今度は左に行く。
 すると今度は村の一番下に出た。
 
ここから少し歩き、廃屋の脇を通り、よそ様の畑の中を適当に通って見晴らしのよさそうなところを探すと

おお、この景色が見たかった。

ガイドブックには "stepped village" とあったが、ほんとに人の家の屋根に次の家が乗っている。ベランダを細い柱で支えているのも面白い。

村の景色を堪能したあとは、来たときに見かけた川沿いの茶屋で一息入れることにする。
  
この道沿いにはこのようなチャイハネがたくさん並んでいて、週末などは避暑客でにぎわうのだろう。
  
お茶と目玉焼きも屋外でいただくとおいしい。
 しかしこのポットの怪しさは・・・。

これぐらいではおなかを満たされないので、また1時間半かけてマシャドに戻ったらすぐに昼食。
  
案内されたのは羊肉料理で有名だというこちらのレストラン。かなりの大箱で団体ツアーも来ていたが、しばらくすると地元の人もいっぱい。
 一番人気というこの骨付き肉はなるほど柔らかくて絶品。
しかし大きいので我々は一皿を二人でシェアしたが、まわりのイラン人たちは一人で一皿、ご飯も一人一皿平らげている、我々は3人でも一皿食べきれないのに。イラン人の食欲、恐るべし。
 そしてこちらはガイドさんおすすめのオリーブ。ざくろシロップとくるみで作られているというまわりのペーストがおいしくて、出てきた時は既製品かとがっかりしたが大いに気に入る。

食後はホテルにチェックインして一休み。
 
マシャド観光の目玉、イマーム・レザー廟は目と鼻の先だ。


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