Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

桃源郷で死ぬことについて

2007-10-31 16:48:03 | ブータン
山の上の農家でおいしいご飯をご馳走してくれた素敵なお父さん、実は昨年の秋に亡くなってしまった。
昨年の3月に再訪した時には既に歩くこともできないほど弱り、文字通り骨と皮になっていた。胃ガンである。

体調を悪くして病院でガンとわかり、でもブータンでは手術ができないので国のお金でインドのカルカッタへ送られた。が開腹した時には既に手遅れだったのだそうだ。

本人にはガンとは知らせなかったが、家に帰りたいと言うので連れ帰り、結局家族で看取ったという。

正確な年は知らないがまだ60にはなっていなかったのではないだろうか。
日本だったら早期に病気を見つけ、設備の整った病院で手術をして、もしかしたらあと20年ぐらい生きられたかもしれない。

ブータンで最も有名な日本人、農業指導のため30年以上も活躍された西岡さんは虫歯を放置して、敗血症で亡くなられたという。日本では考えられないことだ。

今年のラダックではバスの転落事故を見た。崖のカーブを回りきれず、100メートルぐらい転落していた。乗客の中には子供も何人かいて、事故直後に遭遇した旅行会社の社長夫人が事故処理のインド軍にすぐ病院に連れて行くよう頼んだが断られたと言う。インド軍の家族ではないから、ラダックで最も設備の整った軍病院に入れてもらえないのだ。オーストラリアで小児科ICUに勤める社長夫人は大変なショックを受けていた。もちろんオーストラリアでは考えられないこと。

桃源郷と言えども、僻地の医療はこれが現実。
暗い夜を祈りで過ごす生活がどんなに魅力的に見えても、便利になる生活を否定する権利は誰にもない。

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ブータンの秋 4

2007-10-30 00:16:07 | ブータン
農家滞在3日目。
今朝の朝食はブータン風のスイトン。
 日本のものとそっくりで懐かしい味だが、こちらではこれに山椒を入れていただく。ピリリとしてこれがおいしい。

出発する前に写真を撮らせて、と言ったらお父さんは一張羅に着替えてくれた。
 お父さんが男前だったから結婚したというお母さんは恥ずかしそう。
名残惜しいが、さよならをして山を降りる。

この後はパロの南、ブータンの自動車道路では最高地点になるチェレ・ラ峠を通ってハの町へ。
 
つい2,3日前から外国人観光客の訪問が許可されたとのことで、我々はたぶん日本人第一号。
 峠からはゾンを中心にした町が一望できる。
と言っても町の外にインド軍の駐屯地の広がる、あまり見所のない町。
 
 ブータン銀行ハ支店

この町にブータン人の友人の親戚が住んでいるのでそのお宅へ。
 ナドさんは南インドでゲシェ(仏教博士)になるべく20年以上勉強している人。ダライ・ラマにチラ似との声も。
大きくて立派なお家でハの名物料理をごちそうになる。
 そば粉でできた蒸し餃子がヘンテ。中身は青菜とチーズ。そば粉のクレープ、クレもほかではあまり見ない。
 これは特別な法要のためのお菓子。これを作る専門家がいるらしい。

ナドさんにお守りの紐と謎の丸薬をいただいてパロへ戻る。
今度は町の中の別のお家でホームステイ。
こちらも造りは同じで一階が家畜小屋や物置、2階の入り口を入ってすぐ台所。
 ここが一番暖かいので、みんなここにいることが多いらしい。
居間があって、その隣に仏間。

他にも何部屋かある大きな家で、ビデオを見るためのテレビもある。
が、この家にはなんとトイレがない。用があるときは「庭の隅に行って」。
来年はバスルームができる、と言っていたから、今はちゃんとトイレもあるだろう。
 この家の家族。
お父さんとお母さん、娘とマスオさんのだんな、子供二人。家を娘が継ぐのはパロの習慣だ。
マスオさんはブータンの航空会社、ドゥルック・エアにお勤め。帰りの飛行機に一緒に乗っていて、「バンコクに買い物に行くところ」と言うのには驚いた。

このおうちに一泊お世話になって、翌朝キラを着て出て行くとお父さんが「やっぱりキラはええのお」と目を細める。インドでもそうだが、女の民族衣装は男の方に人気があるらしい。


11月も第一週は暖かかったが、二週目に入ると急に冷えて冬の気配が漂ってきた。
今年のブータンもそろそろ冬支度だろう。

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ブータンの秋 3

2007-10-28 16:07:57 | ブータン
農家滞在2日目。
家からさらに山を登ったところにあるお寺へ参拝に行く。
途中、視界が開けた所でブータンの聖なる女神の山、ジョモラリ(7314メートル)がきれいに見えて感激。


近くの農家では脱穀作業中。
 
我々のガイドも棹をふるってお手伝い。

 山の上の僧院
 ここには子供の修行僧が一杯
 お昼は近所の村人がお坊さんたちのために持ってきた食事をお相伴させていただいた。山盛りのご飯に青菜の煮物と唐辛子、あとセンマイ(牛の胃袋)を煮た料理があったがこれがびっくりするほどおいしかった。
チベットのお坊さんは肉を食べる。野菜の採れない高地ではそうしなければ生きていけない。

帰り道、また別の尼僧院に寄るとここには重い経典が置いてあり、これを頭の上まで持ち上げられると幸運だという。
 30キロはあるこれを持ち上げたのはさすがトレッキングガイド。

山歩きで一汗かいて、夕方は隣の家へお風呂をもらいに行った。
風呂と言っても庭の隅に穴が掘られ、木の枠をはめ込んだ中に焼いた石を入れる石風呂、ドツォ。
 我々のために周りをシートで囲ってくれた。
 お見苦しい写真ですが、こんな大きさ、ということで。一人がちょうど入れる大きさ、お湯の温度は石の数で調節してもらい、これは想像以上の気持ち良さ。
 10年前、初めてブータンに行った時には、タクツァン僧院への道端でもドツォに入っているおばちゃんたちがいた。写真まで撮らせてもらったが、さすがに最近のパロではこんな姿は見られまい。

汗を流して、お父さんのおいしいご飯を食べて、

電気のない部屋の中では小さなケロシン・ランプが驚くほど明るく見える。
普段の夜は小さなマニ車を回してお祈りをして過ごすのだと言っていた。
この家にも去年は電気が来るようになっていた。

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恵比寿でイタリアン Da Dino

2007-10-27 19:17:44 | 食べ歩き
恵比寿でお気に入りのイタリアン、しばらくビンボーだったので自粛していたが最近はちょっと収入があったので久々にお出かけ。

ダ・ディーノ - 恵比寿 - Yahoo!グルメ


JRの線路脇、元ボーリング場のすぐ脇だが、知らなければ足を向けない静かな場所。このそっけない外観も隠れ家っぽくて好き。

遅刻して連れを大幅に待たせてしまったので着席、即オーダー。
 アミューズは〆鯖と毛蟹。
鯖もうまいが、その横の野菜がまたうまい。
 アカザ海老の下にトリッパのスープ。
イタリアンのトリッパ、大好き。パンにスープを吸わせるとこれがおいしくて。
 ポルチーニのスープ。
本日、唯一不満の一品。おいしいけどガーリックとパンの入ったスープはオニオングラタンスープみたいで、せっかくのポルチーニがもったいない。
 秋刀魚のパスタ。
ケッパーと松の実がいいアクセント。
でも友達のポルチーニと鴨のラグーはさらにおいしかった。
 メインは秋らしく蝦夷鹿。
ちょっと甘いソースと、付け合せのほろ苦いチコリがベストマッチ。
 友人のメインは窒息鳩のロースト。名前がインパクトありすぎだが、ハーブの利いた皮がこれまたうまい。足先がグロい、とか言いながら「ぽっぽっぽ」と歌いながら食べるのはやめてくれ、わが友よ。
 この季節、これを食べないわけにはいかない、マロンのタルト、ローズマリーアイスクリーム添え。中に熱々のマロンクリームが入っている。
 最後のプチフールはいつもの通りお持ち帰り。これ以上とても入りません。

窓際のテーブルまで満席だったためか、いつもは上げているロールカーテンが下がり、照明も前より暗くしているのでいっそう隠れ家っぽい雰囲気。ちょっと狭く感じるので個人的にはもう少し明るい方が好きだけれど、おデートにはぴったり。

ちょっととぼけた感じのサービスの方も以前どおりで、ここは絶対にはずれがないのがいい。

場所、味、サービス、すべて程よい居心地の良さ。ずっと変わらないでほしい大人の店。

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ブータンの秋 2

2007-10-26 14:55:01 | ブータン
にせブータン人はさらにブータン人に似ている友人とパロでホームステイをした。
場所は空港の滑走路を見下ろす丘の上。
 我々の足だと小一時間かかる。
 典型的なブータンの農家。
田んぼは山すその平地にあり、家の1階では牛を飼っている。
 この牛が賢くて、昼間は外で放牧されているが、夕方になると1人で勝手に帰ってくる。

住居は2階。階段を上がるとすぐにかまどのある台所。

その奥に薪ストーブのある居間。

さらに奥に仏間があって、客である我々はここ寝泊りさせていただいた。
 
 トイレは台所の奥。残念ながらウォシュレットではない。

着いて早々にお昼をごちそうになる。
 
これまた典型的なブータンの食事。赤米に大根と豚肉の煮込み、ケワダツィ(ジャガイモのチーズ煮)、青菜の煮物、バター茶。バター茶は右の木の筒にお茶、バター、塩を入れて攪拌する。我々のドライバー、コタがお手伝い。

この家の食事はすべてお父さんが作る。なぜ、とお母さんに聞いたら「お父さんの方が上手だから。」本当にお父さんの料理はおいしかった。
 米を炊くお父さん。
ブータンの米はたっぷりのお湯でゆでてから湯を切り、蒸らす。町では電気釜が普及しているようだが、この家には2001年当時、まだ電気が来ていなかった。

夜、退屈だろうからと近所のおばさんたちを呼んで歌と踊りを披露してくれた。
 日本の盆踊りにそっくり。
占いゲームのようなことをしたり、おしゃべりしたり。

外に出ると満天の星空に流れ星が見えた。

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ブータンの秋 1

2007-10-25 01:39:46 | ブータン
日本もようやく秋が深まってきた感じなので、秋のブータンの旅のこと。

2001年11月1日から11月11日まで

バンコクで一泊してパロ空港に到着。

すでに刈り入れの終わったブータンは新米の季節。こちらでも新米は一年の楽しみ、日本の米よりパサパサしたブータンの赤米も新米はもっちりしておいしい。

ティンプーでは早速市場へ。
 
ブータン人の必需品、唐辛子が赤いの、青いの、乾燥したのと、よりどりみどり。
 この赤くて大きいのはブータン人に言わせると辛くないそうで、大根や豚肉と煮込んでよく使う。

この時期は民家の屋根の上も唐辛子で真っ赤。
 
 窓にも吊るされている。
一体ブータン人は一年にどれだけの量の唐辛子を食べているのだろう。

 秋は野菜も豊富。でもこれだけいろいろな種類の野菜を食べるようになったのは最近のこと。30年ぐらい前は唐辛子が「野菜」だったのだそうだ。
 中国の雲南省から来るお茶。スジャ(バター茶)にして飲む。
 白い塊はチーズ。コテッジチーズのように癖がない。たいていの野菜はこのチーズと唐辛子と塩を入れて煮れば「ブータン料理」になる。
 こちらのぶら下がった四角いのは乾燥させたチーズ、チュゴ。硬くて絶対に歯が立たない。ずっとしゃぶっていなければならないが、塩気も何もなくておいしくない。

乾燥キノコや川のりを買って、市場は何度来ても楽しい。

昼食は友人のいとこのホテルでいただいて、併設の織物の工房をのぞかせてもらう。
 織り手は席を外していたが、とても手のかかる柄を製作中。これはすべて刺繍ではなく、織り込みの柄なのだ。
 模様は伝統的なものだが、最近は派手な化学染料の糸で織ったものが多い。
 こちらはアンティーク。色も柄もいかにも古風だ。

これに刺激されたわけではないが、この旅ではハーフ・キラ(スカート部分だけのキラ)を買ってにわかブータン人としゃれこんだ。
ブータン人なりきりツアーは続く。

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スリランカでアーユルベーダのはずが 7

2007-10-23 01:23:15 | 南アジア
バーベリン・ビーチ・リゾートで

ウェリガマのレストランは建物の3階にある吹き抜け。
 朝は特に気持ちがいい。 
 席は滞在中フィックスされ、食事の指示を書いた札が置かれる。
↑は朝食。薬草のスープと赤いハーブティーが毎朝出た。

同じ棟の一階奥がアーユルベーダの受付。その手前にはゆったりしたロビーがある。
 
 テーブルの上にはこんなかわいいチェスのセットも。

敷地の突端は崖になっていて波際に降りることができる。
 がベルワラに比べてこちらは波が荒いので、海で泳ぐことはできない。そのためこちらにはプールがある。

ホテルのあちこちに花を浮かべた水瓶  
 長い廊下は夜きれいだ 

 ホテルのオーナー氏とそのお姉さん。バーベリンは家族経営で、津波にあったベルワラの方は妹さんがオーナーをしている。そしてお姉さんは実は国連の難民弁務官事務所にお勤め。年末で帰省中に津波が起こった。そのためホテルでは寄付金を集めたり、近くの村へ行くボランティアを集めたりと本領発揮。寄付金は短期間にかなりの金額が集まったようだが、すべて村のお寺に預けて必要なものを買ってもらうようにする、と詳細な報告が掲示されていた。さすが仏教国スリランカ、村の中心はお寺らしい。

津波で犠牲になった人たちの供養のため法要も行われた。
 若いお坊さんばかりだったが、とても丁重に扱われていたのが印象的。

大晦日の晩には年越しのブッフェ。
 津波にあったことなど忘れる豪華メニュー。
 ウェイターさんたちも嬉しそう

元旦の夜はこんなテーブルセッティング
 
 
スリランカ料理の夕べでおいしかった。

こんな具合に快適に過ごしているうちに1月2日、帰国の日が来た。

飛行機は夜中の出発だがコロンボまで何時間かかるか分からないということで、昼食後、夕食用のお弁当と枕をお土産に持たされてホテルの人たちとお別れ。
 津波被害のひどい町を通り、
 きれいな夕焼けや蛍に送られて、6時間半かかってコロンボの空港に着いた。

チェックイン・カウンターでヘロヘロのチケットを渡し、津波にあったので、と言うとカウンターの中にいたスリランカ人たちがみんなで、「大変だったねえ、無事でよかったねえ」と大喜びしてくれた。
出国審査のおじさんも湿ってべろべろのパスポートを、わかってる、と一つうなづいてスタンプを押してくれた。

そんなわけで一生一度(じゃなかったら困る)の大天災遭遇体験、スリランカの人々にはいくら感謝してもしきれない。バーベリンのすばらしい対応は言うに及ばず、リゾートの外の人たちもみんな親切でやさしかった。被災地でも自分の見る限り略奪などまったくなく、みんな助け合っていた。

その後、ベルワラのバーベリン・リーフ・リゾートも無事に再建されて営業を開始したとニュースレターが届いた。スリランカには恩返しの意味でもまた行かねば、と思いつつ、いまだ果たしていない。

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スリランカでアーユルベーダのはずが 6

2007-10-21 22:00:06 | 南アジア
ウェリガマに落ち着いてしばらくしたところでホテルの外をちょっと散歩してみた。

高台になっているこのあたりでは道路にも被害はなく
 
道路脇の焼き物屋さんも普段どおりに営業中。
 
目つきの悪い鶏にもちょっと心惹かれたが、大好きな赤いポストの貯金箱をお買い上げ。

そのちょっと先には鉄道の駅。
 津波で列車は止まってしまったんだ、とおじさんが悲しそうに教えてくれたけれど、先日までいたベルワラで車両が転覆したことは日本に帰国してから知った。

 スリランカのおいしいバナナ
 かわいい女の子が塀の向こうからこんにちわ
 蚊取り線香はなぜか「ニンジャ」

別の日にはホテルの遠足で近場の紅茶園まで連れて行ってもらった。
 落ちてしまった橋や、海岸沿いにはバラバラになった家の残骸なども見えたが、道の反対側では何事もなかったかのように日常の生活が続いているように見える。
そんな中、バラバラの残骸の中で外国人の記者がレポートをしていた。テレビで見ればスリランカ中が破壊されてしまったように見えただろう。実際にはその隣にはちゃんと建っている家があり、横を観光客の我々がバスで通り過ぎたのだが。

そして到着した紅茶園は通常通り営業中。
 
 茶の花。茶は椿科と再認識。
 
製造工程を見学して
 テラスで優雅に試飲。
 
最後はもちろんお土産売り場。
 たくさん売れてお姉さんたちも嬉しそう。

災害現場も現実、いつも通りに続く生活も現実。

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スリランカでアーユルベーダのはずが 5

2007-10-20 23:42:15 | 南アジア
バーベリンのアーユルベーダ

ウェリガマに移って仕切りなおし、またドクターの診断からアーユルベーダのトリートメントを始める。
 
こちらのドクターは女医さんが二人。左の先生はちょっと愛想なしで怖い。もう1人の若い先生は小柄でおしゃれ。

ベルワラと同様、こちらでも体質に合わせたハーブの薬が毎日出される。
 自分の部屋番号の棚から毎日決められた時間にピックアップする。
 
飲み薬、粉薬、練り梅のようなお薬と皮膚に塗るオイルを処方された。それぞれ飲む時間も細かく決められている。さらに毎食時に飲むハーブ薬はテーブルに常駐。

トリートメントのはじめはオイル・マッサージから。
 このカーテンの奥がそれぞれ小部屋になっていて、マッサージは二人一組で施術してくれる。
 かわいい制服のお姉さんたち。後の蒸し器ではハーブボールが蒸され、マッサージの最後はこれでリンパ節を暖めてくれる。これが気持ちいい。
 マッサージの後は風通しのいいテラスで横になりながらハーブパック。体の悪いところにガーゼに塗ったハーブ・ペーストをぺたっと貼ってくれる。

これが終わったら一度シャワーでオイルを流して、次はハーバル・バス。
 こんな大鍋で煮出したハーブ・エキスの入ったお湯を頭から何回も何回もかけてくれる。

そして針治療。額と腕、脚に針を刺された状態で30分ほど横になるのだが、静かでふーっと力が抜けていくような雰囲気。周りには寝息を立てている人も結構いる。

この針の先生が優しくて本当に素敵。津波にあってこちらに移ってきたと言ったら「まあ、それは大変だったわね。でも得がたい、いい経験をしたわね」とやさしく言われてほろっとしてしまった。

体質や症状によってトリートメントの内容は変わるので友人たちはまた別のメニュー。
ここではシロダーラにもいろいろ制約があって、結局我々は受けられなかった。

ケララとはちょっと違う内容なのが面白かった。

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スリランカでアーユルベーダのはずが 4

2007-10-19 18:19:40 | 南アジア
12月27日 続き

お昼ごろだっただろうか、ホテルから荷物が届けられた。
私たちは3階の部屋だったため荷物はすべて無事、ベッドの上に放り出してあった「ダビンチ・コード」のペーパーバックまでしっかりスーツケースに入れて持ってきてくれた。ただし引き出しの奥に入れてあった財布と携帯は別に取りに行ってもらわねばならず、セーフティーボックスに預けた航空券とパスポートは帰国間際まで戻らなかった。でも何一つなくさなかった私たちは本当にラッキー。

ビーチコテッジに滞在していた人たちは悲喜こもごも。びしょぬれでも荷物が届いた人は幸運、すべて流されてしまった人も随分いたようだ。ホテルの2階の部屋でちゃんとパッキングをしてスーツケースを扉の外に置いてきたと言う日本人の女の子二人組はその荷物をどさくさにまぎれて盗まれてしまったようで、とうとう最後まで出てこなかった。何が幸いするかはまったく分からない。

やがてミニバスが用意されて、姉妹ホテルへ移動。30人ぐらい動いただろうか、日本人は大半が移動。即座に国に帰ろうとするヨーロッパ人に比べてやっぱり能天気かも。

海岸沿いの道を使えないので、内陸の細い道を4時間ぐらいかけてウェリガマのバーベリン・ビーチ・リゾートヘ。
Barberyn Beach Ayurveda Resort, Weligama, Sri Lanka
スリランカ島の南端、ゴールの町の近く、海を見下ろす高台にある。
 
 
 ロビーは広々とした吹き抜け
 
食堂やアーユルベーダ施設のある棟は真ん中に池があって明るい。

このホテルに到着したのは夜だったが、疲れてボーっとしているうちにいい部屋はさっさとチェックインした連中に取られてしまい、結局従業員用の部屋を借りることになってしまった。
 2段ベッドの並ぶ簡素な部屋だが、居心地は決して悪くなかった。この部屋を一人で使わせてもらった2晩、本来の部屋の持ち主はどこで寝たのだろうか。
 こちらはその後で移動した普通の客室。ベルワラの部屋よりも広い。

翌日からようやく本来のアーユルベーダの休日が再開した。

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