Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ボローニャのポルティコ

2014-12-30 13:32:49 | ヨーロッパ
旅行記の中でも小出しにしていたが、ボローニャの町はとにかくポルティコだらけ。
旧市街の建物の80%にあり、全長は38キロと言うからそこらじゅうポルティコだらけなのも当然。

 通りの両側にずっと続いているが、ぴったりくっついてはいるが別々の建物なので造りも少しづつ違う。

  
そのどれもが実に絵になる。

サント・ステファノ教会へ向かう道の入り口にあるのはボローニャでも最古と言われるポルティコ。
 
始まりは13世紀ごろ、ボローニャ大学の学生が増えて、建て増しして張り出した部屋を支えるために木製の柱を立てた。それがこの建物を横から見るとよくわかる。
 こちらはそのポルティコへの進化過程と言ったところだろうか。

 
宿の近くにも木柱のポルティコはあった。

町の中心に行けば大きな商店の並ぶポルティコは天井も高くて立派。
  
前を歩くダンディーなコート姿のおじさん、「さすがイタリアのおしゃれ男は靴まで素敵」と同行者がつぶやいた途端、靴屋のウィンドーに吸い寄せられた。

 天井からこんなかわいい看板が下がるところもあり

  
特に夜は雰囲気がある。

出かける前にアマゾンで買ってしまったアメリカの某ガイドブック(ラベンナ以外は全く情報がなかった)には「ボローニャは立ち寄る価値なし」なんて一刀両断されていたが、名所はなくとも素敵な町だった。
この町の価値のわからないアメリカ人なぞ来ないことを幸いとしよう。


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10年目の手紙

2014-12-28 15:24:05 | 雑談
おととい、スリランカからメールが入った。

送り主はバーベリン・ビーチリゾートのオーナーさん。
そう言えばスマトラ沖地震はクリスマスの翌日だった。
あれからもう10年経ったということで、その日にリゾートに滞在していた宿泊者にその後の報告を入れてくれたわけだ。

スリランカで津波に遭遇して避難するはめになったことは以前に記事にした → くわしくはこちら
今まで経験したことのない大天災、それに旅行先で出くわしてしまったわけだが、この時に滞在していたリゾートの対応が素晴らしくて、おかげでまったく苦労することなく、予定通りに休暇を過ごして、帰ってから家族に「バカ」と怒られた。

このリゾートの対応が素晴らしかったわけは、ここが大資本のチェーンなどではなく、地元出身の家族経営だったからではないかと思う。
そのため大変な状態にもかかわらずスタッフはすばらしい接客を続けてくれたし、安全な避難場所も提供してもらえた。

さらにオーナー一家は意識が高く、数日してお客さんが落ち着くと、地元住民のための寄付を募り、集めたお金は法要にも呼んだ地元のお寺を通して分配すると報告してくれた。

おととい届いたメールによると地元への支援はそれにとどまらず、その後基金を作って幼稚園の開設と大学への奨学金制度を始めたとのこと。学生の中にはもう卒業して地元社会に貢献を始めた者もいるらしい。

この世話になったバーベリンへは津波の6年後に再訪してみた → その時の様子はこちら
リゾートは見事に復興して以前に勝る盛況ぶり、まわりの村にも災害の跡は少なくとも表面上はもう見えず、ほっとしたものだった。

スリランカで津波を経験した時には、その後に自分の国でも大災害が起こるとは夢にも思わなかった。
東北の復興は遅々として思うように進まないようだが、スリランカのその後のように早く復活してもらいたいもの。

そう言えば日本の災害の後は略奪などが起こらなかったと海外から随分お褒めいただいたが、スリランカの津波の後も自分の知る限りでは暴力沙汰などなく、住民の皆さんは静かに助け合っていた。

いろいろな意味で素晴らしいスリランカにぜひまた行きたい。


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北イタリアの旅 16 ボローニャ後編

2014-12-26 21:35:20 | ヨーロッパ
11月3日 続き

解剖学教室のあとはまたマッジョーレ広場へ戻り、にぎやかなウーゴ・バッシ通りをしばらく行く。
 
すると服屋や靴屋の間に埋もれたようにあったのが、市場の入り口。
まるでデパートの入口のようだが
 裏から見るとこんな感じ。
  
中も整然として、規模はそれほど大きくないが中央に八百屋
 
壁際に肉屋やチーズ屋、パン屋などがあるのはモデナの市場と同じ。

どの店も大きくはないものの、おいしいらしいトロペアの赤玉ねぎとか生のオリーブとか
 
見たことのないようなトマトとか 
   
 
カリフラワーまでカラフルでおしゃれで、やっぱりもうあと2,3泊この町にいたかった。

12時に部屋を空けるとオーナー氏と約束していたので一度宿に戻り、パッキングをして荷物を玄関脇に置かせてもらい、ツアー4名でそろって最後のランチへ。

やってきたのはここもオーナー氏推薦のピザ・レストラン。
 
大学地域にあるのでまわりには若い子も多いが、ここは落ち着いた店内でお客さんも大人ばかり。
 モッツァッレッラも、パルミジャーノが山のようにかかった牛肉のカルパッチョもうまーい。
 
生ハムのせピザを頼んだがどうも生ハムが見当たらない。食べてもやっぱり生ハムの姿が見えないのでツアーリーダーが聞いたら乗せるのを忘れてたって。ということでハムは後乗せ。まあ、どうせそういう料理だけど。
 デザートはウェイター氏おすすめのリンゴのケーキ。
これが見た目はぱっとしないがしっとりとして甘みもちょうどよく、おすすめするだけのことはある。

オーナー氏のおすすめにもはずれはなく、ああ、他のレストランにも行ってみたかった(泣)。

昼食を終えたところで空港に向かうまであと2時間弱。
しかし行きたい所はもう一つある、とまた二手に分かれる。

帰る前にどうしても来たかったのはサント・ステファノ教会。
 
ガイドブックには昼休みが3時半までとあるが、ダメもとで来てみると、ラッキー、教会の扉は開いている。

 
入口を入ると中は装飾もなく、石造りの壁は重厚で半地下のクリプトもいかにも祈りの場という雰囲気。

ここに来てみたかったわけは模型で見てこそよくわかるが、この教会が何世紀にも渡って増築され、異なる時代の建物がつながっているから。
 
堂内には教会建物の変遷を示す図もあってわかりやすいが、最初に入った正面の教会は11世紀のもの。

ここから左手に行くと八角形のいかにも古い造りの建物に入る。
 ここは写真撮影禁止なのでこれは絵葉書の写真だが、この内部は禁止と言われなくてもシャッターを押せないような荘重な雰囲気があって圧倒される。
伝承では5世紀以来、ローマ神殿の上に建てられたとされているそうなので古くから信仰の場所だったのだろう。
八角形の造りはラベンナにいくつもあったのでやはり同時代、6世紀ごろのものかもしれない。

ここから中庭に出れば八角堂の外観が見られる。
  
 壁のレンガ装飾がかわいい。

中庭の向かい側には2人の聖人を祀った12世紀の教会。
  

 その先にはもう一つ回廊に囲まれた中庭があって、周りの建物は13世紀のベネディクト派修道院だそうだ。

この回廊の一角には売店があり、3時半きっかりに愛想のない修道女が扉を開けた。

この奥は小さな博物館になっていて
 
毎度おなじみの聖母子像や祭壇画と並んでなにやら動物が描かれた木のパネルがあって面白いが、教会の装飾だったのだろうか。説明などは何もない。

ここを急ぎ足で一回りし、手前の売店をチェックすると
 お菓子やリキュール、修道院コスメまで売られていてなかなかの充実ぶり。
地味な外観だが結構商売上手な教会だ。

ここでとうとうタイムアップ。
  
塀の外から八角堂をもう一度眺めたらきれいな教会前広場を通って宿へ。

荷物をピックアップしたらお世話になったオーナー氏に別れを告げて、時間通りに来てくれたタクシーでボローニャ空港へ。

 さすがおひざ元、フェラーリ・ショップもある空港から定刻通り、イスタンブール経由で東京へ。


11月4日

トルコ航空は遅れることもなく、無事成田到着。

わずか6日の滞在ではあったが、久しぶりのイタリア、初めてのエミリア・ロマーニャは今まででもっともエンゲル係数の高い旅行だったと思うが密度濃く、楽しかった。

ツアー企画者のコッコロ・マダム、同行者の皆様、お世話になりました。


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北イタリアの旅 15 ボローニャ前篇

2014-12-22 19:51:06 | ヨーロッパ
11月3日

イタリア滞在、早くも最終日。
現地6日では本当にあっという間だ。

とは言え4泊もしたボローニャをほとんど見ていない。
出発が夕方なのでそれまで観光に走り回る。

まずは最初で最後のカフェでの朝食。
 せっかくのキッチン付きアパート滞在だし、毎朝早くから列車に乗ってしまったのでバールでコーヒーを飲むこともしなかったが、最終日ぐらいは、と宿のオーナーおすすめのこちらへ。
  
するとこれがおしゃれな店で、イケメンのお兄さんがフルーツをいっぱい入れてくれたヨーグルトもおいしい。
こんなイケメンがいるならもっと早く来ればよかった。

エネルギー補給をしたところで、観光の手始めは高いところから。
 
ボローニャのシンボルとも言うべき12世紀に建てられた2本の斜塔。背の低い方は傾きすぎて入れないが、97mのアシネッリの塔は傾きが中心から1.3mということで登ることができる。
  狭ーい入口を入って少し階段を上ったところで切符を買い
 
あとはひたすら498段の階段を上がる。
木製の階段はすり減っているところもあり、最後の方は踏み段の幅がとても狭いが、塔の中は照明が明るいし、両側に手すりが付いているので思ったよりは楽に上れる。
 ただし下を見下ろすとヒッチコックの「めまい」みたいだ。

そしててっぺんまで上がると、おお、さすがにいい景色。ボローニャの旧市街が一望、その向こうに新市街のビルも見える。
 
隣の低い塔の先も足の下だ。

 
2本の塔の影の向こうには他の塔もいくつか見えるが、12世紀にはこの町に200本近い塔が建っていたそうで、Wikiから借りた絵を見るとマンハッタンも真っ青。町の有力者たちが見栄を張りあってこんなことになったらしい。

 
マッジョーレ広場の先、山の上にはマドンナ・ディ・サン・ルカ教会が見える。その下に続くのは世界一長いポルティコだそうで3.8キロもあるとか。時間があれば歩いてみたかった。
それにしても今日もいい天気。この1週間はほとんど雲を見なかった。

塔を下りたら上からも見えたマッジョーレ広場へ。
 
市庁舎とその前に立つネプチューンの銅像
 サン・ペトロニオ大聖堂を今度は日の光の下で見るが、ここは今日も外を見るだけ。

 ポルティコの下を歩いてやってきたのはアルキジンナシオ宮殿。
 
現在は市立図書館になっているが、ここは1563年から1805年までボローニャ大学であった建物。
ボローニャ大学と言えばヨーロッパ最古、1088年には創設されたという名門なので 
 
 
廊下から階段、天井までびっしりと装飾。 
 
壁を埋め尽くす紋章は大学に在籍した学生たちの家紋だそうだ。

この建物の2階、 この入口の向こうにあるのが
  
17世紀に作られた解剖学教室。中央には大理石の解剖台、周りの座席は階段になっていて、壁はすべて杉材。
 
壁には有名な医学者たちの像、天井にはアポロンととても美しい教室で
  正面の2つの像が皮を剥かれた姿なのが解剖学教室らしい。

この素晴らしい教室、実は第二次大戦時に爆撃を受けて破壊され、その後再建されたが、できる限り元の材料を使って再現されたのだそうだ。

 さらにこの教室の先、美しい廊下を歩いて行くと
  
ここも紋章だらけの大講堂。  

こういう重厚さはヨーロッパならでは。


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北イタリアの旅 14 サヴィーニョ村のトリュフ祭

2014-12-20 20:02:09 | ヨーロッパ
11月2日 続き

フェラーラから戻って一休みしたら、再びおでかけと今日は忙しい。
ツアーリーダー、コッコロのマダムの行きたいレストランが辺鄙なところにあるので、ツアー4名にイタリア在住のお知り合いも合わせて、車をチャーターして向かうのだ。

目的地はボローニャの南西30キロの位置にあるサヴィーニョ村。
出発したのが6時だったので外はすでに真っ暗、幹線道路をはずれて山道に入ると人家の明かりもほとんど見えなくて、ここはどこの国だろう。

45分ほどかかって到着したところは山の上。
 石造りの村役場もかっこよく、思ったより家が立ち並んでいるが人口は2700人ほどとかで、昼間見れば初日のアグリツーリズモから出かけた村のようなたたずまいではないかと思われる。

さて、なぜこんな辺鄙なところに有名レストランがあるかと言うと、この村ではトリュフが獲れるから。
しかもこの日はちょうどトリュフ祭が開催されていて
  
村のメインストリート沿いには屋台がずらり。

と言っても到着した時間にはもう観光客も帰ってしまって、どこも撤収作業の真っ最中。
それでもテーブルを覗き込むと
 おお、フレッシュトリュフがある、ある。
 
黒いトリュフももちろんあるが、ここの売りはそれより高級なホワイトトリュフ。
まるで出来の悪いジャガイモのように見えるが、かぶせていたガラスの蓋をはずされると、うひゃ~、すごい香り。
離れていてもどこにあるかわかるほど強烈で、なるほどブラックとはずいぶん違う。
 指の先ほどの大きさで10ユーロだけれど、これってお安いのだろうね。

 こちらの大テントの中もトリュフ屋さんばかりで
 
大きいものはまるで宝石のような扱い。聞きもしなかったが値段も宝石並みなのだろう。

このテントの中は白トリュフの香りが文字通り充満していたが、初めて嗅いだフレッシュトリュフの香り、正直自分にはいいにおいとは思えなかった。まるでガスか、誰かの体臭のようと言ったらグルメには怒られるだろうか。
しかし日本であがめられる松茸だって、いっぱい獲れるブータンでは「くさい靴下のにおい」とちょっと前まで現地人は見向きもしなかった。
珍味は文化、というか所詮豚に真珠か。

店じまいの屋台の奥には普通のお店がまだ開いていて
 
かわいいお店に並べられていたこんな道具でトリュフを掘り出すらしい。

    
こちらの肉屋さんにも道具がディプレイされているけど、店頭の縛られた豚さんと言い、なかなかダークな趣味の店だ。

トリュフの香りを嗅ぎつつうろつきまわっているうちにようやく開店時間になったのでレストランへ。
  
Amerigo dal 1934
レストランの入り口は左側だが、右側にはこの店のソースやらペーストやらの瓶詰が売られていて、これらは実は日本でもイータリーなどで買うことができる。こんな辺鄙な村のレストランなのに、とその商才に感心するとともに期待も高まる。

ここを通って2階に上がると、案内されたのはこんな部屋。
  
壁によく見るといろいろな動物が描かれていて、我々のテーブルの正面には犬がいる。

思いがけない内装に驚きつつメニューを受け取ると、日本人の料理人が説明に来てくれた。
1ヶ月前に店に来たばかりとのことだったが、イタリアンやフレンチのシェフのみなさんは本当にいろいろなところで修業していらっしゃる。

通常のメニューとは別に、今がシーズンということでこんな白トリュフのメニューもある。
 
トリュフは時価(この日はグラム2.7ユーロ)、一皿の値段の内トリュフの値段はいくらとまで明示してあるところ、実に良心的だ。

とは言え散々嗅いだ白トリュフの香りが結局あまり好きではないとわかったので、トリュフ料理ではなく季節のコース(55ユーロ)を選択。

 サービスで出されるスプマンテと、とうもろこし粉(たぶん)の甘くないクッキーをつまみつつ待っていると 
 一皿目はまるでデザートのように見えるが、これは赤い生牛肉を黒トリュフではさんだ前菜。白で鼻が麻痺したか、香りは感じなかったがお肉はおいしい。

 2皿目はポルチーニのパスタ。
厚みのあるパスタは何もはさまれているわけではないが食べごたえ十分。ポルチーニは期待通り。

 3皿目もきのこなのだが、こちらはアンズ茸だろうか。
ただしきのこはちょっとで、下のラザーニャが大きい。しかもラグーソースもチーズも味が濃くて、パスタも前の皿とかぶるのでもてあます。次の皿を考えて残したら体に白トリュフのにおいの染みついた(笑)オーナーのおっさんに「食べるまで次は出さないぞ」なんて言われたが、これは無理だって。

 そしてメインは豚首肉のロースト。
写真では小さく見えるがこれが結構な大きさで、肉自体はおいしいのだがこれも味付けが濃いというかしょっぱくてまたもてあます。

 
口直しに出されたランブルスコのシャーベットはアルコールが強すぎたので酒飲みにまわし、さてデザートと期待すると洋ナシとりんごのコンポートもワインが効きすぎ、しかもナイフが入らないぐらい固い。
キャラメル味のアイスクリームだけおいしくいただいて食事終了。

お腹はいっぱいになったが、正直に言うとここのお料理にはかなりがっかり。
ただしこれはこちらのオーダー・ミスで、田舎らしく料理が大盛りで出されるこの店ではまわりのお客さんたちのように前菜をシェアし、この店自慢のトリュフかジビエの一皿だけを頼むべきだったのだ。

アウェイはこういうところが難しいが、これも経験のうち。
なにより本物の白トリュフの香りをいやと嗅ぐなんて日本ではとてもできないこと。
ここまで来た甲斐はあった。

星空の中をドライブして、宿には11時過ぎに帰り着いた。


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有楽町で「インターステラ―」&「ゴーン・ガール」

2014-12-18 19:41:49 | 機内食・映画・美術展
レディース・デイの水曜日、見たい映画があるけど1本ではもったいない、といつものごとく貧乏性が出て有楽町ではしご。

まずは朝一、丸の内ピカデリー2で
 「インターステラ―」 Intersteller

宇宙に旅立つ父と娘の愛情うんぬんというお話だと言うし、169分もあるのであまり興味はなかったのだが、わりと見た人の評判がいいようなので選んでみた。

結論は、う~ん、自分の好みではなかった。

まずはストーリーの無茶がどうしても気になる。
環境破壊が進んで植物が次々に死滅し、食料はなくなるし将来的には酸素が足りなくなって人類の危機、ってわりにはなんだか世界は普通に動いていて緊迫感がない。
最優先事項は食料生産なので技術革新は止まってしまってなんでも昔のまま、というのはまあ説得力もあるが、移住先の惑星を探しに行くためのロケットや、それをサポートする万能ロボットを作れるぐらいならその技術を環境の改善や食料生産に回せばいいんじゃないの、と思ってしまう。

なんと言っても移住に都合のいい惑星がそう簡単に見つかるわけはなく、宇宙旅行につきもののタイムパラドックスを考えたら「帰ってきたら人類はとっくの昔に滅亡していました」となるのがおち。
しかも人類の存亡を賭けた探索なのに、ほんの数人ででかけるなんて。

主人公が出発を決断するところが唐突なのは時間配分から言ってしかたないにしても、娘とは散々別れを惜しみながら、息子や間違いなく二度と会えないであろうじいさんとはやけにあっさり別れるのも納得がいかない。
えこひいきがひどくて、これじゃ息子はぐれるよ。

アン・ハサウェイ演じる女性科学者は役立たずだし、天才であるはずのマット・デイモンはどこがって感じで、なにがしたかったのかよくわからない。
映画冒頭に現れる「幽霊」についてはなんとか説明をつけたにしても、惑星探検の端緒となったワームホールは誰が作ったの?とこのパラドックスは結局解決されない。

ストーリーに穴がぼこぼこ開いていても絵に魅力があれば救われるが、これも宇宙シーンはなんだか古臭い。
この手の映画にしてはCGをあまり使わなかったらしいが、おかげで一番魅力的なのは冒頭のトウモロコシ畑と、アイスランドでロケしたという氷原の風景。話の割にスケールが小さい。

ストーリーに突っ込みを入れまくりながら見ていたせいか、3時間近い割にはそれほど退屈しなかったが、これも刈り込めば2時間半ぐらいにはなったんじゃないか。

スぺオペじゃないSFは好きなのだが、どうも最近当たりがない。


当たりのSFと言えば「エイリアン」。
このシリーズの3作目を撮ったデヴィッド・フィンチャーは最近一番好きな監督なので、2本目こそ本日の本命、TOHOシネマズ日劇で
 「ゴーン・ガール」 Gone Girl

ベン・アフレックとロザムンド・パイクの結婚5年目のカップル、ある朝妻が突然失踪して、理想的に見えた夫がもしや殺したんじゃないかと疑いがかかる。
妻の両親は子供の頃から娘をモデルに児童書のベストセラーを出していて、この両親が当然のように乗り込んできてテレビに出たり、広告を出したりする。
最初は同情的だったテレビのワイドショーがそのうちに夫のあらさがしを始めて犯人と決め付け、家の周りをカメラとレポーターが包囲するところなどもいかにもアメリカで、あの事件、この事件と思い出す。

観客が夫に同情を持ち始めるあたりで、今度は妻の日記がはさみこまれて妻視線で夫婦の過去が描かれ、今度は妻側に気持ちが移りそうになる。
とここで失踪事件の真相が明かされて、えっ、もう明かしちゃうの?早すぎるんじゃないの?と思っているとここからがまた怒涛の展開、先が全く読めなくなるが、このあたりからようやくこれがクライムサスペンスではなく、思いっきりブラックなコメディーなのだとわかってくる。

デヴィッド・フィンチャーの映画はとにかくシニカルに現代社会を見ていて、これが好き。
登場人物の誰もがくせもので、でも結局この事件で金儲けするんだろうな、とこれもいかにもアメリカ。

ベン・アフレックはだいぶ太ってしまって、トレードマークの割れあごも埋まりそうだが、これは倦怠期の夫の演出だろうか。
妻役のロザムンド・パイクは衣装やメイクが変わるとがらりと印象が変わって、この女優さんは化けるのがうまそう。どんな役でもできそうだ。

こちらの映画は期待通りで、おかげで長丁場も疲れずに済んだ。


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北イタリアの旅 13 フェラーラ後編

2014-12-16 18:43:59 | ヨーロッパ
11月2日 続き

昼食後は巨大なエステンセ城内へ。

 1385年に作られたこの城の主は12世紀末以来フェラーラを治めたエステ家。13世紀からはモデナとレッジョも領有したルネサンス期の名門で、ダ・ビンチに肖像画をねだったもののスケッチしか描いてもらえなかったイザベラはここからマントヴァへ嫁に行き、その弟のアルフォンソ1世の嫁に来たのがルクレツィア・ボルジア、とここいらへんは昔懐かし、塩野七生先生の「ルネサンスの女たち」を出発前に復習してきた。

 
城の一階はがらんとしていて飾り気もなく、ここは厨房などもある使用人たちの仕事場だった様子。
今はエステ家に関する説明パネルが並んでいる。

  
ここから地下に降りたところにあるのはドン・ジュリオの牢屋。
ジュリオはイザベラの弟だが、ルクレツィアの侍女と恋仲になり、それを横恋慕した別の弟の枢機卿に目をくりぬかれたのでアルフォンソに訴えたが政治的理由から取りあってもらえず、恨みに思って反乱を企てていたら捉えられてこの牢屋に放り込まれてしまったと言うなんとも救いようのない話。
 しかもこの狭い牢屋になんと56年も幽閉されて、81歳でようやく釈放されたと言うのだからすさまじい。

 陰惨な地下から上階にあがるとオレンジの木の並ぶテラスがあり、その先に続くのは主たちの部屋。

  
たくさんの部屋に今は家具も壁の装飾もないが、天井の見事なフレスコ画だけは残され、これを見上げなくても見られるように各部屋には大きな鏡が置かれている。
 
この鏡の大きさと角度が絶妙で、隅々までよく見えるのには感心してしまう。

様々な部屋の中でもおもしろいのは「ゲーム・サロン」と呼ばれるところで 
  
 
天井で裸の男たちがボール遊びをしたり、風呂に入ったりしている。

  
他にもさまざまな天井のスタイルがあり
 壁に周辺の地図が描かれた部屋や
 歴代枢機卿や教皇の紋章を描いた部屋もある。

城の特に奥の方は今は役所として使われているそうなので入れないが、見たところだけでもとても広い。
 やっと出口の中庭に戻ると壁には消えかけたフレスコ画があり、昔はすべての壁が色鮮やかなフレスコ画で覆われていたというのだからエステ家の財力には恐れ入る。

エステンセ城を出た後は広場からはちょっと離れた小路に入る。
 このアーチの先に続く石畳のヴィア・ヴォルテを中心にフェラーラの町は7世紀ごろから発展したそうで
  
   
狭い通りの頭上をまたいでまで建てられた家々は14,5世紀以来の物らしいが、今も普通に人が住んで生活のにおいがするところが素晴らしい。

ここからさらに進むと周りは落ち着いた住宅街になって、住むならこんなところがいいかも、と思う。
しかしこの町は予想よりずっと大きくて、次の目的地までは随分歩く羽目になった。

ようやくたどり着いたのはスキファノイア宮殿。
 
14世紀に建てられたエステ家の娯楽用別邸を拡張したのは15世紀のボルソ・デステ。

そしてわざわざここまで歩いてきた理由はこの人が作らせたこの部屋のため。
 フレスコ画で覆われた「月暦の間」。
 入口の右手は残念ながら剥落してしまっているが
  
左手と、特に正面の上部には華やかなフレスコが残っていて、壁画好きにはたまらん。

「フラッシュなしなら写真を撮っていい」と見張りのおばさまの許可をいただいたので、もちろんシャッター切りまくり。
15世紀のフェラーラ派の画家たちによって描かれているのは12か月の寓意や12星座を表す絵、最下段はボルソ公の宮廷のシーンなどだが
 
 農民から貴族、馬や犬まで生き生きと描かれていて、細部を見れば見るほど楽しい。ここまでやって来た甲斐があった。

ということで細部はこちら↓


スキファノイア宮殿は博物館になっているので他にも展示室はあるようだったが、疲れてしまったのでこの部屋を見ただけで見学終了。
受付のお姉さんに乗り場を聞いて、帰りは駅までバスで10分ほど。
 
この町のバスチケットはタバコ屋ではなく、車内で買えるようになっているのも気が利いている。

無事に駅に着くと乗ろうと思っていた列車の発車時刻10分前でパーフェクト。
と思ったらなんと、券売機に大勢並んでいて、しかも例によって一人一人時間がかかるのですんでのところで一本逃してしまった。きーっ。

  しかたないので、1時間後の列車まできれいなお姉さんに作ってもらったオレンジジュースを飲んで一休み。

フェラーラは広いし、見どころも多くて一日では足りなかった。
落ち着いて住み心地の良さそうなこの町、もう一度行って今度はルクレツィアの墓参りがしたい。


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北イタリアの旅 12 フェラーラ前篇

2014-12-15 18:35:44 | ヨーロッパ
11月2日

 昨晩の焼き栗やみかんで簡単に朝食をとり、今日も朝から駅へ。

30分でやってきたのはボローニャの北にあるフェラーラ。
 
思っていたより大きな駅は例によって旧市街の中心からは離れているので地図を頼りに歩き出すと
 大通りの脇には自転車専用道路もあり、町はラベンナはもちろん、モデナよりも大きくて、なるほどこれは自転車が便利かも。

20分ほど歩いてようやく町のシンボルであるエステンセ城が見えた。
  
が城の見学は後回しにして門をくぐると
  
まず迎えてくれたのはこの町出身のサヴォナローラ。フィレンツェからメディチ家を追い出し、ルネサンスを終わらせた狂信者のイメージだが、この町では人気があるのだろうか。
その先の広場に面しているのはフェラーラの大聖堂。

 
とても印象的なファサードのこの教会は12世紀に建造が始まったので下の方はロマネスク様式、その後に作られた上部はゴシック様式とのことで
  
入口にはモデナの大聖堂と同じようなライオンがいるし、上の方には最後の審判の場面らしいが鬼のような悪魔がいておもしろい。

中では日曜のミサが行われていたので建物のサイドに回ると
 こちらもたくさんのアーチが続いて面白い造り。
広場に面した一階には商店が入っているが、これは中世以来続いているのだそうだ。

この広場では週末のアンティーク市を開催中。
 
と言ってもめぼしいものもなさそうなので

  
その脇にある大聖堂博物館へ。ここも元は教会だった建物だが
  
広い空間を活かして大きなタペストリーや15世紀フェラーラ派の祭壇画が展示され
  まわりにはこれも15世紀の聖母子像や
  
 
それより古い時代のレリーフなど、元々大聖堂にあったものが間近に見られてなかなかいい。

それでは現在の大聖堂の内部はどうなっているかというと
 
17世紀にバロック様式に作り変えられたということで、趣味ではないのですぐに退散。

大聖堂を出たら、その向かいにある市庁舎の中庭へ。
 
こちらではこじんまりと農産物市が出ていて
  
  
野菜の他にもチーズやらサラミやら、やっぱりアンティークより食べ物の方が面白い。
本屋にはこの町の支配者だったエステ家関係の本が並ぶが、この市庁舎も16世紀に隣のエステンセ城に移るまではここがエステ家の居城だったそうだ。

 それではエステンセ城の方も見ようと城門をくぐるが
   
その前に軽く腹ごしらえをしておこうと中庭の隅にあったカフェに入ってみると、ここが静かでとてもいい雰囲気。
壁にはフェラーラを舞台にした古いイタリア映画のパネルが飾られていて、この写真の女性はドミニク・サンダだって。懐かし~。

おしゃれなこのカフェは穴場だ。


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北イタリアの旅 11 チェゼナティコの魚祭り

2014-12-12 18:30:36 | ヨーロッパ
11月1日 続き

クラッセ駅からはリミニ行きの2階建て車両に乗車。
 
リミニと言えばアドリア海に面した港町でフェリーニの故郷だが、本日はその手前のチェゼナティコで下車。
この町も海に面したリゾートで、ちょうどこの週末に「魚祭り」なるものが開催されていると言う情報を入手したので来てみたのだ。

駅前には大きなキャンピングカーでいっぱいの駐車場があり、これをすぎると運河に突き当たる。
  
この町はもう少し内陸にあるチェゼーナと言う町への入り口として14世紀に開かれたが、16世紀の初めにはチェーザレ・ボルジアによって重要視され、この運河にはチェーザレに招かれたレオナルド・ダ・ビンチの手が入っているとかいないとか。
  
そう聞くとがぜん興味が湧くが、運河にはたくさんのヨットが停泊し、鏡のような水面に影が映ってとてもきれいだ。

 この運河沿いが「魚祭り」の会場で、屋台がずらりと並ぶ中、道はそぞろ歩くお客さんでいっぱい。

この運河沿いの通り、並ぶ建物のほとんどは魚を食べさせるレストラン。
この中にはこの町出身の元サッカー日本代表監督ザッケローニの息子の店もあるらしい。
でこれらの店が屋台でお安く名物料理を食べさせてくれるというのがこの祭りなのだが
 
まだ夕食には早すぎる時間と言うことで、どのレストラン屋台も休憩中。店頭のサンプルをむなしく眺めるしかない。

しかし幸いにしてそれ以外の物販屋台は元気に営業中。
 
チーズやらサラミ、ハムなどを売る店が多くて「どこが魚祭りなの?」という感じではあるが
 
珍しい果物があったり
 
ちょい悪風おやじがおしゃれな瓶に入ったビールを売っていたり、正直そうなおじさんがはちみつを紹介していたり
  
おばちゃんが試食させてくれたピアディーナは焼き立てでおいしく、焼き栗などほおばりながら歩くのが楽しい。

 運河は途中に橋が一本かかっているもののその先にはなく、代わりにこんな渡し船がわずかな距離を行ったり来たりしている。

 陽気な音楽を奏でるバンドを聞いたりしているうちに
  
すっかり夕方になった。

と言ってもイタリア人のディナータイムにはまだ早いので
 
しかたなくこんなファーストフードっぽいスタンドでどうしても食べたかったフリットミスト。
がこれが意外にもおばちゃんたちがきちんと作っていて、ポテトが多かったものの、エビもイカもおいしかった。

これを食べ終わって外に出てみれば
 日はすっかり落ちて人出はさらに増えた。

と、ようやく営業を開始したレストラン屋台があり、陽気な若いお兄ちゃんおねえちゃんのところでイワシのピアディーナを注文すると
 
 
「作るところをそばで見なよ」と中に入れてくれてみんなで大騒ぎ。
コイワシも、ラベンナより薄いピアディーナもおいしくて楽しかった。

 
いよいよディナータイムに突入の他の屋台もすごく魅力的だが、残念ながらここでタイムアップ。
数少ない列車に乗り遅れるとボローニャに帰れなくなる。

というわけで最後に
 
肉詰めオリーブのフライ(うまい!)とミカンを買って
 運河にさよなら。
 これまた無人のチェゼナティコ駅から2時間かけて宿に戻った。


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北イタリアの旅 10 ラベンナ後編

2014-12-10 17:32:08 | ヨーロッパ
11月1日 続き

ピアディーナで栄養補給した後はネオン洗礼堂からモザイク詣でを再開。

 大聖堂の近くの八角形の建物は5世紀初めに建てられたラベンナに現存する中でも最古の建築物の一つで、アリウス洗礼堂のモデルだそう。
  
青を基調としたモザイクはガッラ・プラキディア廟堂を思い出させるが、やはり5世紀中頃と同時代の物。
 
最下段には各面にくぼみがあって、その周りの金の唐草模様が美しく
 
窓の上には神の国を表す玉座。その上の12使徒のモザイクも後の時代の物より写実的で見事だ。
 中央にはキリストの洗礼図があるが、アリウス洗礼堂よりこちらのキリストの方が年がいっている。そしてこちらのキリストも性器が見えているのだが、こちらはアリウス派ではなくオーソドックスに分類されると言うからややこしい。
宗派の違いなんてよそ者から見れば微々たるものだが、それを異端とか言って火あぶりにまでしちゃうこともあるんだから恐ろしい。

洗礼堂を出たら、大聖堂にくっついている大司教博物館へ。
  
地味な入口を入り、2階に上がるとその一室に6世紀初めの聖アンドレア礼拝堂がすっぽり収まっている。

ここだけは写真撮影禁止なので、画像はネットから拝借。
  
 
アリウス派全盛の時代に作られたカソリックの礼拝堂ということだが、違いはやっぱりわからん。

博物館には他にもビザンチン時代の彫刻などがあるようだったが、急いでここを出てすぐ近くのカドゥティ広場からバスに乗る。
 隣の町へ行くためだが、バスは休日には1時間に1本しかないので、先にインフォメーションで時刻表をもらっておいてよかった。

 
ラベンナの町を出ると何もないところを15分ほど走ってクラッセという町に到着。町はずれの芝生には牛の姿が見えるが、これは実は作り物で一応「芸術作品」らしい。
  
その向かいにあるのが目的であるサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂。シンプルな外観だが、想像していたよりもずっと大きい。
教会の前にアウグストゥスの像があるのはここがローマ時代には重要な海軍基地だったから。その後はキリスト教の巡礼地として栄えたのでこの大きな教会があるわけだが、周りの町というか村は今は居眠りをしているように静かだ。

通常は拝観料が必要なこの聖堂、この日は祝日のために無料とのことでラッキー。
 喜んで中に入ると、眼の前にいきなりピラミッド。
これも聖堂の精神性に敬意を表したコンテンポラリーアートなんだそうだ。

 このピラミッドを回り込むとやっと祭壇が見えた。
 
この聖堂は6世紀前半に建てられ、側面の装飾はなくなってしまったが、建物自体と祭壇のモザイクはほぼ創建時のままとのこと。
 
中央には星空に囲まれた十字架があり、その真ん中にはよく見ると小さなキリストの顔。
 その下にいるのがこの地域で最初の司教であった聖アポリナリスで
  
まわりには信徒を表す羊がいっぱい。パステルカラーの色合いもやさしくて、思わずハイジの歌を歌いたくなる。
 
側面には大天使ミカエルとガブリエル
 
内陣の壁にはビザンチン皇帝コンスタンティヌス4世の像と神に羊を捧げるアブラハムらの像。
   
窓の間に立っているのはラベンナの司教たちだそうだが
 一番上にいるキリストの顔はちょっと怖い。

この柔らかい雰囲気の聖堂でゆっくりして、ラベンナのモザイク見学は終了。
一日で見どころのすべてをまわったが、5,6世紀の美術を堪能できた。

眠っているような村でかろうじて開いていたバールで一息
 へたなラテアートもご愛嬌。
ここでものんびりさせてもらったが、退屈してきたので聖堂から徒歩5分ほどの国鉄駅へ移動。

 
絵にかいたような田舎駅は無人で券売機があるだけだが、幸いにしてここの機械はちゃんと動く。
しかし列車はまだ来ない。

 日向ぼっこをしながら、単線の線路を見つつぼーっ。


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