11月18日 続き
モザイクタイルミュージアムからバスで駅前に戻り、せっかくなので多治見の街をお散歩。
JRの線路と並行して伸びる「ながせ商店街」は人の姿も見えないシャッター通りだが
ところどころに古くて風情のある建物が残り
歩道にタイルの装飾があったりする。
多治見橋で土岐川を渡ると
その先に続くのは「本町オリベストリート」。
ここは明治~昭和初期まで多治見の商業の中心地だったそうで、古い商家や蔵が雰囲気良く残されて骨董屋や陶磁器の店になっている。
交番の外見も気を使ってこの通り。
この通りの真ん中に「陶都創造館」という施設があり、品ぞろえのいい陶器店が3軒と奥には多治見市PRセンターもあり、現在は大河ドラマの影響で明智光秀押しだが
それ以上に「うながっぱ」を強力プッシュ。
うながっぱグッズもろもろにペットボトルまで作る力の入れよう。
かっぱはながせ商店街にもいて、多治見の街はかっぱだらけ。
陶都創造館の隣にも雰囲気のいい陶器屋さんがあって
もともと器好きなのでこの通りを見て歩くのはとても楽しい。
というわけで陶都創造館で気に入った美濃焼の器を一つお買い上げ。
物産コーナーでは冬青(そよご)の蜂蜜なるものを買ってみたが、さらっとして食べやすい。
買い物を終えるともう日は傾いて夕方。
うなぎ押しの多治見なので夕食を食べて行こうと目当ての店へ行ってみるとなんと定休日(詰めが甘い)。
そこで途中に通り過ぎたその名もずばり「うなぎや」さんに17時開店と同時に入店。
こちらは創業安政6年というから江戸末期からの老舗だそうで、壁の絵も雰囲気。
注文はもちろんひつまぶし。本場のこれが一度食べてみたかったのだが
蓋を開けてその量とワイルドな盛り付けにびっくり。
こちらのひつまぶしはうなぎ5切れで3980円。
食べてみるとうなぎは関東とは焼き方がちがうので皮がパリパリ。身も蒸していないのでしっかりしているが、タレの味が濃い!濃すぎてうなぎの味がわからないほど、出汁をかけてほっとする。
3切れ丼を注文した友人にも少し手伝ってもらってうなぎは完食したが、このタレの濃さはこの店だからか、この地方はこうなのか。
苦しいお腹を抱えて名古屋に戻った。
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名古屋には仕事で2,3回行ったことがある。
が、遊びで行ったことはないのでちょっとでかけてきた。
11月18日
東海道新幹線で名古屋へ。一度改札を出て大きな荷物をコインロッカーに入れ、中央本線で35分の多治見駅で下車。
ここは愛知県ではなく岐阜県。
構内の観光案内所に寄るとこの町のキャラクター、うながっぱに遭遇。
市内を流れる土岐川に出たという河童とこの町自慢の鰻が合わさっているそうだが、赤塚不二夫のウナギイヌみたい。
本日のお昼はピンクのコミュニティバスを見ながら
名古屋駅で買った「ぴよりん」。
ババロアの中にプリンが一つ入って甘さ控えめ、とさかやくちばしのチョコレートがおいしい。
この駅前からバスで20分。
やって来たのは「多治見モザイクタイルミュージアム」
なんとも不思議な姿のこの建物は路上観察学会で有名な藤森照信さんの設計。
近づいてよく見ると土壁には陶器の破片が埋め込まれている。
入場料310円を支払い、スペインか北アフリカのような階段を上がってまずは4階へ。
明るい室内に名前の通りのモザイクタイルがいっぱい。
クラシックな洗面台やお風呂が昭和生まれの友人と自分には懐かしい。
このフロアの真ん中には天井に穴が開いたところがあって
外からも穴が見える。ガラスもはまっていないようだが、床がタイルだから大丈夫ということだろうか。
3階は多治見タイルの歴史がわかるコーナー。
多治見のモザイクタイルは昭和初期に始まったそうで、木枠の中に小さなタイルを並べる作業なんて、自分でもやってみた~い。
面白かったのはインドに輸出されたというマジョリカタイルの紹介。
1930年代に作られたものだそうで、図柄はポスターを写したものとか。インドに行けば今でも同じようなポスターがたくさん売られているので古さも感じず面白い。
日本製のマジョリカタイルは1920年頃から第二次大戦の始まりまで作られていたそうで、実はこれが見たくてここまで来た。
その歴史はわかったが実物はあまり展示されていなくて、その点はちょっと残念だったが、展示されていたこのコースターもかわいい!
2階は現在のタイルメーカーのショールームのようになっていて、1階に降りると
タイルで覆われた車。
その奥にミュージアム・ショップと体験工房があって、予約をすればタイル張り細工ができる。見ていると面白そうなもので
袋に詰め放題の小さなタイルと充填剤を買ってしまった。さて、これで何を作ろうか。
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会食はマスクしながらせよ、なんて変な要請のある昨今、そんなことは軽く聞き流して5人集合の「ヤムの会」。
今回の会場は曙橋にあるチベット料理屋「タシデレ」。
本格的チベット料理屋としてチベット・ファンの間では有名なので、ここは一度来てみたかったのだ。
場所は曙橋の駅から徒歩3分、中央大学のお向かい。
店内の天井一杯に5色のタルチョが張り巡らされ、チベット国旗が掲げられた横のモニターではYouTubeのチベット舞踊などが流されている。
さらにこの店で月2回行われているというチベット語講座の案内もあって
会話はともかく、読む方は「チベット文字が読めると望ましい」っていささかハードルが高すぎる。
さてそれでは注文、とメニューを見るとチベット料理屋だけれど南インド風のカレーなどが多い。なぜと思うも、亡命チベット人のコミュニティが南インドに多いとの説明があって納得。
チベット料理の方はそもそもバラエティーがないので
まずは丸く包まれたビーフ・モモと木の葉型のベジチーズ・モモ。ベジ・モモが生姜が効いておいしい。
そして本日のメインはKimcafe会長に予約してもらっていたギャコック鍋。
本格的な銅鍋の蓋を取ると
具材がいっぱいで思わず「おお」。
上に載っているのはラム、鶏のつくね、豚肉の揚げ物に厚揚げ、この下に白菜、大根、セロリ、じゃがいも、きのこなどたっぷりの野菜に春雨が隠れていて、具材が多すぎて入りきらない鶏だしの濃厚スープは大きなピッチャーで来た。
どの具材も出汁をよく吸っておいし~。
具を食べた後は店主のお勧めに従ってご飯を入れて雑炊に。
これがおいしくないわけがない。一鍋を5人で食べて満腹、大満足。
ところでギャコック鍋はチベット本土やネパールに行った時に食べたことがあるが、鍋の形以外は記憶にないのはそれほど特徴的な内容ではなかったからだろう。
写真がないかと探してみたら2010年に東チベットで食べたものが1枚だけ見つかった。
野菜が多くて今回の物に比べるとぐっと質素だけれど
他の食事は普通の中華料理ばかりだったので、この「チベット風鍋」はうれしかった。
ちなみに初めてチベット本土に行った2000年にチベット料理レストランで出された料理はこちら。
これに今回のような鍋が付いた記憶があるが昔は料理の写真をあまり撮らなかったのが残念。
ついでに東チベットで行き会ったチベット人巡礼のお食事風景。
大きな肉の塊をゆでたものをナイフで切りながら食べ、あとは平たく焼いたパンやジャガイモ、バター茶で練ったツァンパ。
チベット本土には東チベットから追い出された2010年以来行っていない。
今はどうなっているだろうか。
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天気の良い週末、家族とのドライブで房総半島へ。
やって来たのは「道の駅 保田小学校」。
開業したばかりの頃に一度来て、それ以来ほぼ4年ぶりだが相変わらずの盛況。お昼ちょっと前に着いたので校舎の近くに駐車できたのはラッキー。
昼食には少し早いのでまずは体育館を覗くと
以前から充実していた保田小オリジナル商品がますます充実して、校長が顔出しまでしている。
ソフト麺食べ比べセットとか給食カレー、ランドセル型パッケージにペン型ふりかけと商品作りが実にうまい。
高級感あるプレミアム・スイーツまで保田小ブランドで出しているとは恐れ入る。
それ以外にもこちらの販売所はユニークで
このエリア特産のクジラ製品がいっぱい。
ご当地サイダーがやたらに充実していて、千葉しょうゆやら鰻コーラは果たしておいしいのか。
しかしご当地米の名前が「地すべり米」はいかがなものか。地すべりを起こすような地形でできる米がおいしい、ということらしいがおいしそうには感じない。
おもしろ商品を一通り見たところで本日の目的へ。
以前入ることができなかった給食室「里山食堂」。
これが念願だった「房州アジフライ給食」。
3枚も乗ってくる揚げたてアジフライの衣はほとんど感じないほど薄く、完璧に骨抜きされた身はホクホクで最高においしい。
小袋入りの「味噌ピー」は千葉県民ならわかる千葉らしさ。
こちらは弟が食べた「保田小給食」。
おかずがハムカツと鯨の竜田揚げ、甘口のカレーシチューに先割れスプーンが付いてくるところがツボだが、これにはソフト麺をつけてほしいところ。
1100円の高級給食は交通費をかけても行く価値があるのだ。
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今回の壱岐・対馬旅行、参加したツアーがGo Toキャンペーンの対象、しかもちょっとお高い旅行費用だったので地域共通クーポンなるものが23000円も付いた。
ところが島ではこれを使えるところも少なくて、特にS社は通常土産物屋に寄らないことを売りにしているので常連さんたちはこれを使い切るのに四苦八苦(笑)。
まず壱岐では温泉の往復にタクシーを使って5000円消費。
タクシー代にクーポンが使えて助かった。
一支国博物館の売店では古代米のセット。
赤米、黒米、白米とそれらのミックスが一袋づつ。普通のお米1合に大匙1混ぜて炊くのがお勧めとか。
壱岐では他に買い物をするところもなく対馬へ移動。
こちらの「ふれあい処つしま」に島の名産品が揃っているので
家族の好物である穴子を中心にめぼしいものを大量購入して宅急便を利用。
ここでは対馬にしかいないという倭蜜蜂の蜂蜜なるものも買ったが、これが120gで2000円もする高級品。島のあちこちに蜂洞なる巣箱が置かれているのを見たが、実際には蜂の数が減って空き家になっている巣が多いのだそうだ。
お昼を食べたお蕎麦屋さんでは対州そばコーヒーなるものと、ヤマネコのパッケージがかわいい対馬紅茶。対馬には茶農家が1軒だけあるらしい。
お茶菓子は厳原の老舗、渡辺菓子舗さんで。
店頭の看板には「創業以来150年」とあるが、その文字のカスレ具合から見るとさらに何十年か経っていそう。
壱岐、対馬とも代表的なお菓子は餡子をカステラで巻いた「かすまき」なのだが、壱岐の博物館で買ったものに比べてこちらのものはカステラの風味が良くてさすがにおいしい。
しかしそれ以上にクッキーの間に餡をはさんだお菓子がおいしくて、特にこれの抹茶味は絶品。
結局島ではクーポンを使い切れなくて、最後は博多駅の土産物屋街で
壱岐では買えなかったウニを買い
空港の売店で買い物終了。
旅先で買い物をするのは好きだけれど、これほどの金額を使ったのは初めてかも。
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10月23日
対馬滞在も最終日、幸いにして昨日とは打って変わった雲一つない晴天。
最後は浅茅湾をクルーズするので晴れてほしかった。
途中お菓子屋さんに寄りながら、宿から30分ほどでクルーズの出発点に到着。
ここは市営の渡海船も出る所。
我々の乗るパール・プリンセス号も待機している。
ところが乗り込むとクルーの若いお兄さんたち二人、「今日は波が荒くて市営船も欠航になった。それでも行くか」と添乗員と相談。
結局当初予定していた和多都美神社に海から参拝するルートはあきらめ、距離が短く風の影響を受けにくい万関橋に行くことになった。
クルーズは我々9名の貸切。ほとんどのお客さんは風の当たらない船室にいたが
このお天気で外に出ないのはもったいない、と上甲板へ。
風は冷たいけれど海も空も真っ青で気持ちいい!
島の中央に深く入り込んだ湾の奥なので揺れも大したことはない。
しばらく行くと筏がいくつも浮いているのが見えてくる。
丸いのはマグロの養殖。
ブイがたくさん浮いているのは真珠の養殖。
実は対馬はこの養殖業が盛んで、真珠など宇和島に次ぐ全国2位の生産量なのだとか。
しかし宣伝が下手でブランド化していないので知られていないとはもったいない。
やがて小さな白い灯台を過ぎ、運河に入って万関橋の下をくぐる。
掘削された部分は500m、わずか2分で通り過ぎてしまうが、船で通ると橋の上から見たほど狭くはない。
島の東側、三浦湾に出たあたりでUターンして来た道を戻る。
帰路には船室でお菓子と対馬産紅茶をいただき、1時間でクルーズは終了。
海側から和多都美神社を見られなかったのは残念だが、普段は行かないというコースを行けたのはかえってラッキーだったかも。
この後は厳原に戻り、昼食は自由だというので
港に近いKiYoというこちらのお店で
牛肉のパティにひじきが入り、上にはイカが乗った対馬バーガー。
正直ひじきはわからないし、イカは取ってつけたようだが、牛肉パティと照り焼きソース、それにパンもとてもおいしい。
韓国人旅行者が多い頃はこの店には行列ができていたそうだ。
食後は徒歩5分の港に出て、13時発の「ヴィーナス 2」に三度目の乗船。
帰路は団体ツアーが何組も乗っていて一番お客さんが多かったが、風が強くてもジェットフォイルの乗り心地は快適で、2時間15分で博多港に無事到着。
ツアーはここで解散。
帰りの飛行機までは時間があったので
最後は港にある「波葉の湯」で一風呂。
ここは以前にも入ったことがあるが、岩盤浴が充実しているし手ぶらで行けるのでとてもいいのだ。
ということで初めて行った壱岐・対馬、どちらも海産物がおいしくて景色も良く、観光地としてのポテンシャルはとても大きそうだが開発の余地はおおいにありそう。
特に壱岐は博多からわずか1時間で行けるのだから、星野リゾートのようなおしゃれなホテルでもできれば人気が出そう。
壱岐よりも対馬の方が道幅を広げたり観光施設の整備を始めているようだが、こちらは正直観光スポットはあまりないので、歴史なりマリンレジャーなりテーマを絞る必要がありそう。
両島とも人口は3万弱でそれも減少の一途とか。
Go Toで復活したという観光客がこれからも続くことを祈る。
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10月22日
昨晩から降り出した雨、朝まで残っていたが9時に宿を出発する頃には傘も必要ないほどになったのはラッキー。
それでもどんよりと灰色の空の下、こちらでもジャンボタクシーでやって来た最初の観光スポットは万関橋。
南北に細長い対馬の島は上下2つに分かれていてこの橋が唯一それを繋いでいるのだが、元は1つだった島の一番狭い部分を明治34年に日本海軍が掘削して水雷艇が通れるようにした。
そのころ警戒していたロシアの艦隊が島のどちら側に出没しても素早く対応できるようにと掘られたそうだが、現在でも幅40m、深さ4.5mのこの水路、完成当時は幅25m、深さ3mだったそうで、上から見てこんなもので役に立つのかと思うほど狭いが、島をぐるりと回らずに東西を行き来できるのは当然ながら便利なのだそうだ。
次に立ち寄ったのは西漕手と呼ばれるところ。
万葉時代にはここから大陸に向かう船が出たそうだが、緑の水面に周りの木々が映って、紅葉の季節にはきれいだろう。
島の中央を深くえぐっている浅茅湾を回って次に訪れたのは和多都美神社。
海の中に鳥居が2本立っていて、水上から参拝するようになっているのはいかにも島の神社らしい。
祀られている彦火々出見尊とは日本神話の山幸彦。竜宮城の豊玉姫を妻に娶った。
境内には三柱鳥居や奉納相撲のための土俵などもあって、いかにも古いパワースポットと言う感じがする。
ここから山を上がった所にあるのが烏帽子岳展望台。
標高は176mだが周りを360度見渡せるようになっていて
あいにくと雲が低いが、入り組んだ湾や山ばかりの地形がよくわかる。
ここから韓国の釜山までは50キロほどしかないが、この天気では当然のことながら影も見えない。
この後は島の上部へ移動。壱岐に比べると移動距離がずっと長く感じる。
途中、そば打ちもできるというお蕎麦屋さんで昼食。
ツアーの案内には「いりやきそば」とあったので焼きそばが出るのかと思ったら
「いりやき」という肉や野菜を煮たものを汁そばに乗せたもの。対馬のそばは対州そばといって原種に近いものだそうだが、店内の表示に収穫量が少ないので九州産と混ぜているとあり、特に違いは分からず普通においしいおそば。
デザートに頼んだそばアイスはきな粉アイスのよう。ツシマヤマネコの器がかわいい。
食後は島の北端の韓国展望所へ。
ここが韓国に一番近いわけだが
やっぱり韓国の姿は見えず。
展望台の中には夜景の写真が飾ってあったが、居合わせた別のツアーのガイドさんによると見える時は車のヘッドライトが動いているのまでわかるのだそうだ。
ところでこの展望所の周りには変わった花がいっぱい咲いている。
そこで例のアプリで検索してみると「唐綿(トウワタ)」と出たので同じツアーの人に教えると周りにいた人たちまで「トウワタですって」と伝言ゲーム。違っていたらどうしよう(笑)。
比田勝は島の北東にあって釜山からの船が着くところだが
国際ターミナルには当然人影もない。
もっとも韓国からの観光客がいなくなったのは今年に始まったことではなく、昨年の徴用工問題で日韓関係が悪化して以来だとか。一般の韓国人の対日感情がそれほど悪くなったわけではないが、日本より同調圧力の強い国のこと、来てもSNSで写真を上げるわけにいかないし、買った日本製品を見せびらかすわけにもいかないからだそうだ。
途中、台風で葉が落ちてしまったかわいそうな「琴の大銀杏」を見て、2時間ほどかかって下対馬の西岸へ。
こちらの椎根という集落にあるのは石屋根倉庫群。
文字通りの倉庫だが、屋根に使われている石材がとんでもなく重そう。
この倉庫の裏には藁が積まれていたので今も現役なのだろうか。
衣類や穀類を格納したものだそうで、火災から守るために倉庫だけを人家とは離して、しかし倉庫同士は密接して建てられている。
今は石屋根を普通の瓦に変えてしまっている所も多いようだが
この石屋根はかっこいい。
本日の観光はこれにて終了。
夕食は宿の外に出て
こちらの料理屋さんのお座敷で
お寿司にお刺身、天ぷら、唐揚げ、とんちゃん焼き、とメニューにあるものみんな出しましたと言う感じ。
島の食事には旅行社も苦労するようだ。
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上野から秋葉原を回って有楽町。
博物館に続いては久しぶりの映画館。なんと今年の2月に「パラサイト」を見て以来だ。
ヒューマントラストシネマ有楽町の小さなスクリーンで見たのは
「パピチャ 未来へのランウェイ」 Papicha
映画の舞台は1990年代のアルジェリア。
登場する女の子たちは寮に住む大学生でクラブで踊ったり、おしゃれをするのが大好き。タバコを吸ったりちょっと不良がかっているが、ごく普通の女の子たちだ。
しかしこの時代のアルジェリアはフランスからの独立後の政治不安が激化、テロが横行し、イスラム原理主義グループの活動も盛んになるばかり。
主人公の女の子は普通の洋装をしているが、しだいにそんな恰好をするな、スカーフをかぶれ、と抑圧され、背景がよくわからないがジャーナリストのお姉さんは殺され、学校もひどいことになって、それらを語るのが普通の女の子目線だからこそ生々しく恐ろしい。
アルジェリアには2007年に行ったことがある。
その時には内戦状態も落ち着いたということでタッシリナジェールの岩壁画が見たくて行ったのだが、何事もなく帰って来たものの道中のあちこちでやたらに検問はあるし、行程の一部ではツアーバスに警察の護衛が付いた。
その6年後には日本人9人が殺害される事件も起きて、アルジェリアはまた行きにくい国になってしまった。
しかしそれ以前のアルジェリア国内がいかにひどい状態だったか、この映画を見るまでわかっていなかったとはまったく能天気だった。
服装についていえば、2007年のアルジェリアではアルジェでこそスカーフもかぶらず普通のスカート姿の女性たちもいたが、地方に行けば頭にスカーフ、長いコートを着ている人ばかり。
特に保守的なムザブという地方では頭からすっぽりと白い大きな布をかぶって片目だけを出している姿も見たが、このスカーフは映画の中でも重要なアイテムとして登場するので感慨深かった。
この映画の監督はアルジェリア内戦時にフランスへ移住した女性だそうで、ちょっと冗長じゃないかと思うシーンもあるものの、自身の経験に基づいているからこそメッセージが明確で強い。
主役を演じた藤田ニコルによく似たリナ・クードリという女優もアルジェリア出身だそうで、国を出て活躍しているからこそ「私はこの国を離れる気はない」という主人公のセリフが悲痛に響く。
ちなみに「パピチャ」とは「常識にとらわれない自由な女性」という意味のスラングとか。
この映画、アルジェリアでは上映禁止だそうだ。
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昨年の9月に買った東京国立博物館のメンバーズパス、春に3か月間休館だった分を延長してくれたし、特別展の鑑賞券もまだ一枚残っていたので上野へ。
正面の大きなユリノキも黄色くなりかけている中
今回見に来た展示は「桃山ー天下人の100年」。
室町末期から江戸時代初期まで、各地の大名たちが天下取りで戦いの絶えなかった時代なのになぜこんなに華やかなのか。
一番見たかった上杉家本は展示が終わってしまっていた(詰めが甘い!)が、少し時代の下る舟木家本など他にもいくつもある「洛中洛外図屏風」が楽しくて、大きな障壁画がたくさん出ているのも迫力満点。
長谷川等伯の「松林図屏風」は何度見てもうっとりするし、狩野派の元信、永徳、探幽が横並びにされているのも時代の差がわかってとても面白い。
絵画の他に茶道具がたくさん出ているのも興味深く、茶道はまったくわからないが、千利休が朝鮮の雑器やゆがんだような器に付加価値を付けたのってかなりへそ曲がりだったんじゃないのか、なんて思ってしまう。
時代が時代なので甲冑や刀も多く出ていて、これもまた価値はわからないが、今ちょうど司馬遼太郎の「関ケ原」を読んでいるので知った名前が出てくると「おお」と思う。
平日のお昼に行ったがいつもより男性客の割合がずっと多く、一人で来ている人がほとんどなので会場内はとても静か。
推奨鑑賞時間は90分だがとてもそんな時間では見終わらず、出るのに2時間半もかかってしまった。
期待以上の充実した内容で満足。
ところでこの展覧会、普通に鑑賞券を買うとなんと2400円もする。
メンバーズパスは5000円で鑑賞券が4枚付くが、来年には大幅値上げをしそう。
値上げの前にまた買っておかないと。
桃山美術は満喫したが、お腹は空いているので秋葉原へ。
ものすごく久しぶりに来た肉の万世の1階で
パーコー麺。あっさりしたスープで太麺がするする入るが、本場台湾のパーコーが早くまた食べたい!
ところでわざわざ秋葉原で降りたのは実はここに来たかったから。
高架下の「Chabara」。
日本各地の特産品が売られていて、日本一の缶詰売り場があったり、戦国武将の醤油があったり、こういう所は大好き。
ほしかったのは長崎県で作られているこの抹茶バター。
100gで950円といいお値段なのだが、抹茶が濃くておいしい。
と、これだけを買うつもりだったのに
思わぬ散財をしてしまった。
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10月21日 続き
壱岐から対馬も穏やかな航海、1時間で対馬の厳原(いずはら)港に到着。
港から徒歩で町の中心に向かうと早速ハングルの看板。
町を流れる川の欄干には朝鮮通信使の絵が描かれている。
本日のお昼は街中のお店で「とんちゃん焼き」。
韓国料理の影響を受けているというが、辛さは全くない豚肉と野菜の甘みそ炒め。普通においしい。
食後は「ふれあい処つしま」へ。ここは観光案内所や食堂、土産物屋などが入った施設で、ここの「観光の間」で本日のガイド氏と合流。
床に描かれた地図が実に分かりやすくて、ここでまず対馬の位置などの説明。
恥ずかしながら日露戦争の「日本海海戦」が対馬沖の出来事だったとここで初めて知った。日本海というからもっと新潟沖ぐらいだと思っていた。
他にもこの島特有の生き物の展示などもあり、最近はツシマヤマネコが売りのようだが野生では100頭ぐらいしかいないので遭遇することはまずなく、保護センターは休館中なので生きたヤマネコにお目にかかることはできなくて残念。
それではこれから徒歩で、まずは清水山城跡へ向かう。
赤い矢印の所が目的地だが、その手前の大きな建物が気になる。聞いてみるとこれは現在建設中の博物館、建物が完成しても歴史資料の保存のためには建材の化学物質などが抜けるのを待つ必要があるので開館は3年後ぐらいになるとのこと。この島は歴史こそ面白いので博物館には期待できそう。
この博物館の裏を通り、民家の間の急坂を上がると山の中に入る。
20分ほどで三の丸に到着。
厳原の町が一望にできる。
この清水城は豊臣秀吉が朝鮮出兵の折に壱岐の勝本城同様に作らせたもの。
居城ではなく要塞のようなもので、遠くからも石垣が目立つように作られていたらしい。
二の丸、一の丸にも上がれるというので、カロリー消費のために出発。
良く残った石垣を見ながら一部急な山道を上がると
ここはあまり見るもののない二の丸。
さらに少し上がると
一の丸に出た。ここまで上がるとさすがに見晴らしがいい。
石組が二の丸、三の丸とは違うのは請け負った大名が違うからではないか、とガイド氏。
朝鮮出兵のためだけにこんな城をいくつも作らせた秀吉、晩年の誇大妄想の罪は深い。
この山城を降りたら次は万松院へ。
ここは鎌倉時代から明治まで続いた対馬藩主、宗家の菩提寺。
宗家は江戸時代、朝鮮との外交を担い、朝鮮通信使の接待を行っていた藩なので本堂には朝鮮国王から贈られた三具足なるものもある。
百雁木と呼ばれる132段の石段を上がると
宗家一族の立派な墓所。
中でも宗義智は朝鮮出兵後の日朝関係修復に功のあった人だが、この人のお墓は他よりも小さくて奥方も隣に葬られていない。奥方は小西行長の娘でクリスチャン、そのため家康の時代に離縁されてしまったのだが、今は別の神社(!)に祀られているとか。こういう話はガイドさんがいてこそ聞ける。
ところで江戸時代の朝鮮通信使、12回も来ているが日本側からあちらに出向いたことは一度もない。あのプライドの高い朝鮮王朝がなぜ、と聞くとガイド氏「僕も不思議だったんですが、どうやら朝鮮出兵に懲りて国内情勢を探らせないためだったんじゃないかと言われています」とのことで納得。
ついでに宗家の子孫は現在千葉県在住。しかし行事の折などには今も島に来て特別な存在なのだそう。
博物館の脇に立つ宗家の金石屋形跡の大手門を過ぎて、出発点に戻ったら3時間の観光は終了。
島外からの移住者というガイド氏のおかげで面白かった。
そのまま歩いて今夜の宿へ。
昔ながらの小さな旅館だが、部屋は10畳もあって広々。
夕食のために大広間に行くと
テーブルにはお刺身の他に対馬特産の穴子の天ぷらや珍しいイカの内臓の酢味噌和え、それになぜか中華のエビチリとクラゲが乗っていて
メインは石の上で焼く海鮮。穴子、エビ、イカにヒオウギ貝、ブリと鯛の大きな切り身もあってすごいボリューム。
さらに鍋仕立てになっていたのは「ろくべえ」というこの島の名物。
これはさつまいもを粉にして乾燥させたせんだんごと言う保存食を水で戻して押し出して作るもの。見た目は黒い糸こんにゃくのようだがそれほどの弾力はなくて柔らかいタピオカみたい。それ自体に甘みや味はほとんどないが汁をよく吸って、いかにも米の取れない土地の食べ物だけれど、これはきらいじゃない。
せっかく山でカロリー消費したのに、元の木阿弥。
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