Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

アディスアベバでお買い物

2019-04-23 19:01:14 | アフリカ

今回の旅、最終日までは本当にお金を使うところがなくて、ジブチなんてアッサル湖の丸い塩に2ドルを使っただけ。

そんなわけで1日しか滞在しないアディスアベバでやっとお買い物。

まず案内されたスーパーはFriendship、つまり中国資本の友諠商店。
 
中国人出稼ぎ者向けであろう店内は広くもきれいでもないけれど、一通りの物は売られていて
 さすがにコーヒーの品ぞろえは豊富。

輸入品が多い中、エチオピア製を探して買ったのは
 ピーナッツバターと蜂蜜。
ピーナッツバターが36ブルに対して蜂蜜は140ブル(約550円)とこの国の物価からしたらとても高い。添乗員がこの国の特産品と紹介していたイチジクの蜂蜜などはもっと高くて、蜂蜜は高級品らしい。

 
なぜか黄色いパッケージばかりになってしまったが、ポテチはパッケージデザインはいいが中身はちょっと油っぽくていまいち。その手前に並んでいるクッキーの方はあっさりしていて、家族にも好評のおいしさ、一袋5ブル(約20円)。
透明袋に入っているのは麦やピーナッツを炒った伝統的なお茶請け。ほんのり塩味で香ばしくて、これはおいしい。
マンゴージュースはしっかりしたパウチ入り、カルダモン・パウダーは一瓶40ブル。

こちらはアディスアベバで一番有名なコーヒー店、トモカ・コーヒー。
 
本当に小さな店だけれど、店内は中でコーヒーを楽しむ人、お土産を買おうとするツーリストで大混雑。
 
クラシックなレジの飾られたカウンターで買った、これはコーヒーの発見マンガのついたコーヒー缶。
 250g入りの袋と合わせて14ドル。
スーパーでも1袋買い、旅行社にもお土産に1袋もらって、しばらくは香り高いコーヒーが楽しめる。

このトモカ・コーヒー、なんと東京の代々木上原にも店があるというのには驚く。

もう一か所、お願いをして寄ってもらったのはこちらのビル。
 わかりにくい階段を上がって2階へ行くと
 
目指す靴屋、Sole Rebelsの本店があった。
本店と言ってもサイズや色柄など店頭に出ているものしかないのだが、こちらは皮や布などエチオピア産にこだわり、靴底は古タイヤを使って雇用を促進しているというフェアトレードの店。
ネットで見つけてぜひ来てみたかったのだが、お店のお姉さんによるとJICAの人たちもお客さんとか。
 試し履きしまくってサイズの合うこの2足をお買い上げ。
細かく見れば造りはいささか雑で、2足89ドルは決して安くはないのだが、かわいいし素足に履くと気持ちいいので大切に履こう。

 おつりでやっと現地通貨にお目にかかった。


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北東アフリカの旅 16 アディスアベバ

2019-04-22 23:57:40 | アフリカ

2月19日

朝の便で小さなメケレ空港から
  
 アディスアベバへ。

アディスアベバはさすがに首都。

 
おなじみ中国企業がビルをガンガン建設中、道には車があふれて空気は悪い。

町に出たらまずはスーパーに寄って、すぐに昼食。

 
こんなビルの中にギャラリー併設のイタリアン・レストラン。
  
ピザが2種類にラザニアやお肉など、ボリュームありすぎ。
 これがティラミスと言うのには首をひねったが。

食後は今回の旅の現地旅行社の中庭でエチオピア・コーヒー。

 
優雅なマダムのセレモニーはまずは乳香を焚くことから始まり、炭火でコーヒー豆を炒り始めると思いのほか早く豆は黒くなる。
  
これを叩いて粉にするが、使っている棒は鉄製で持たせてもらうとずっしり重い。これを独特の形のポットに入れるが、この細い首がどうもサイフォンのような役目をするらしく、できあがったコーヒーは香り高くて、お湯に直接粉を入れていてもトルココーヒーのようにカップの中に粉が沈殿することはない。
この小さなお茶碗で3杯いただくのが作法だとか。
 
さらにコーヒーと一緒に「ルイ」という小さなハーブが回されたが、庭に生えていたこの葉もさわやかないい香り。
乳香にコーヒー、そしてこのハーブと、エチオピアのコーヒー・セレモニーはどうやら香りを楽しむものらしい。
コーヒーもバランスの取れた味でおいしくて、キャンプ中も、どこのドライブインでもインスタントコーヒーなどは一度も出されなかったのはさすがと言うべき。

おいしくコーヒーをいただいてまた町中に出ると
 
ミッション系の学校だろうか、すごい人数の学生たちの下校時間に当たった。
かわいいスクールバスもたくさん走っていて、若い子たちの多い国のエネルギーを感じる。

次に向かったのはメルカートと呼ばれる市場。
治安があまり良くないということで、ごちゃごちゃと人や物であふれたかなり広い市場エリアを大きなバスで通り抜けたが
 
やっぱり面白い恰好をしたマネキンの並ぶ衣料品エリアから
 
屋根の上にまで商品ともゴミともつかぬ物を積み上げたスラムのようなエリアまで、ありとあらゆるものが
  
 
あらゆるスタイルで売られている。
面白いけれど、確かにこの中を日本人のツアーご一行様がぞろぞろ歩くのは無理そう。

 
これもまた中国の会社が作ったという市内電車を見ながら
 
やって来たのはエチオピア・ジブチ鉄道の旧駅舎。
エチオピアとジブチを結ぶ鉄道は1894年着工、1917年に全線開通と歴史のある路線とのことで、この駅舎もなかなか優雅な建物。
しかしこの路線は2017年に中国企業によって全線電化されて駅も移転、この駅舎は使われなくなってしまったのだが
 
駅の背後には広大な空き地、その向こうはスラムということで、ここをドバイ資本が再開発しようとしているらしい。この駅舎は再開発後のイメージ図には入っていないので、もしかしたら取り壊されてしまうのかも?もったいない。

最後にバスの中から見たのはマスカル広場。

ここであのアベベが練習していたと言う。

そして夕食はこの公園のすぐ近くのレストランに連れて行かれたが
 
最後はなんと中華料理。せめて最後ぐらいエチオピア料理屋に案内してもらいたかったが、添乗員はどうしても行きたくなかったらしい。
 
料理人はたぶんエチオピア人、どこかエチオピア風味が混じっている気がする。

このレストランで時間を潰して、22時半発の飛行機に乗るべく空港へ。
 
夜もにぎやかな国際線ターミナル内にはそれなりに土産物屋も並んでいるが
 
ここでも隣国のプレゼンスは大きい。

帰路の仁川空港では2時間ほどを過ごして、無事日本に戻った。


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北東アフリカの旅 15 メケレ

2019-04-19 17:14:18 | アフリカ

2月18日 続き

ウクロの町に戻って昼食。
 
今日もまた持ち込みのパスタだけれど、24時間ぶりに復活して食事ができた。

  
この店のお姉さんたちは美人ぞろいだ。

またしばらく高原を走って、次はこのあたりに住むティグレ族のお宅訪問。
 
と言っても中庭のかまどを見せてもらっただけ。
今回の添乗員はこういったことにはまるで関心がないらしく、見学があっさりすぎて拍子抜け。  
集まってきた子供たちが人懐っこくて、警戒心の強いアファール族との違いを感じる。

ここからほどなく見えてきたのはティグレ州の州都、メケレ。
 
エチオピアで5番目に大きな町だけあって、久々と言うか、今回の旅で初めての都会らしい都会。

 
ホテルもこの旅で唯一の高層ホテルだが、
 
立派なロビーの時刻表示がへん。

実はこれエチオピア時間で、エチオピアでは日の出の時刻を0時と数えるのだそう。
日の出が大体午前6時なので、それから8時間半経った午後2時半はエチオピア時間で8時半。
ロビーのニューヨーク時計が西洋式の時刻を表しているらしい。

 部屋も普通に快適で、お湯は出るだけラッキー。


この町も標高が2000m以上ある。

午後は自由だというので、早速一人で町の探索へ。
と言ってもホテルの前の大通りを歩いてみただけだが
 
ビルの並ぶ通りは広々として、車が多すぎることもなくこぎれい。

 
しゃれたカフェがたくさんあって、どこも盛況。

 
ファーストフードの店もある。

 
洋品店のマネキンが独特で楽しく、
 貸本屋の屋台があるのはこの町に大学が多いからだろうか。

ところで町にたくさんあるのはフレッシュ・ジュース屋さん。
 
いくつもの銀行ATMで現地通貨を入手しようとしたが失敗、そこで特にたくさんフルーツを並べていた店でUSドルでもいいかと交渉してみた。
  
どうしても飲んでみたかったのはkimcafeさんが紹介していたこの3色のジュース
今回は下からパパイヤ、アボカド、マンゴーで、これに付いてきたライムを絞るとおいし~!
濃厚なので飲むというよりスプーンですくって食べるが、単体で食べても、全部混ぜて食べてもおいしい。
USドルがエチオピア通貨でいくらになるかわからず、お店の人も知らないので適当に1ドル渡したが、あとで聞くと1ドルは現地の28ブル、このお店のジュースは20ブルと言っていたので悪くない取引だったよう。
周りの人たちが食べていたフルーツサラダもすごくおいしそうで、あれも頼めばよかった、と後で後悔。

 
ホテルの食事がツアーメンバーのバースデーケーキまで含めてもいまいちだったのでなおさら。

 ホテルのお向かいにあったレストランで生肉が食べたかったな。
しかしこればかりはツアーの悲しさ、好き勝手するにも限度がある。


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北東アフリカの旅 14 アハメッド・エラ~ウクロ

2019-04-17 21:55:52 | アフリカ

2月18日

7時半に曇り空のアハメッド・エラを出発、気温は25℃。

出発してしばらく行ったところでS社名物、アポなしお宅訪問ということで、道路わきのアファール族の集落に立ち寄り。
  
 
このあたりではあの丸いテントではなく、家はトタンづくりになっているが、中を覗かせてもらっても家具などは一切ない空っぽ。
天気が悪いのでみんな寒そうにしている。

  
家の前では我々のガイドとこの集落の顔役らしき男が交渉中。
写真を撮らせてくれた若いお母さんはたぶんまだ15,6歳、ほかの女性は「自分の物」というように扱われていて、う~んと考えさせられる。

この先は道がどんどん上りになって
 
標高2000mほどまで上がると激しい雨、厚い雲の中に突入して周りは真っ白になった。

やがて峠を越えると雲は晴れて青空が広がり、
  
このあたりでも標高は2000mもあるが久しぶりに農耕地が広がり、遊牧のアファール族の土地から農耕のティグレ族の土地に入った。

  
  
家もカラフルになって、なんとなく空気が穏やかな感じがする。

 
しばらく行くと突如巨大なリゾート施設建設予定の看板が現れて
  
その先の町は建築中のビルだらけ。ウクロと言うこの町はなにやらとても景気がいいらしい。

 
ムスリムの多いアファールの土地からクリスチャンの多いティグレの町に来ると、女性の装いも華やかなスカートに白いショールに変わる。

 この町から幹線道路をはずれて30分ほど。

  
やってきたのはアブレハ・アツバ教会。
 
崖を横に掘った岩窟教会で創建は4,5世紀ごろとエチオピア正教の教会としては最も古いらしいが、正面の張りだしたポーチは植民地時代のイタリア人が作ったらしい。

 
木の扉を開けてもらうとまわりはエチオピア教会独特の壁画だらけ。
  
大きな目の天使や、馬に乗った聖ジョージが特に目立つが
 
これらはビールのラベルにもなっている。

奥に行くほど絵も古そうで
  
アダムとイブなどわかりやすいが、あとは殉教者の姿だろうか。ロンプラによれば17,8世紀のものらしい。

 悪魔とおぼしきこれなどはチベットのヤマーンタカみたいだし
 
教会の一番奥には司祭しか入れないところがあるのは神社のよう。

  
入り口の脇には祭事に使う太鼓や鈴が置いてあったが、その横にあったT字の杖は、「休憩の時にあごを乗せるもの」というのには笑った。

壁画をじっくり見せていただいて外に出ると、門の近くには大きな木がある。
 
いちぢくの木だそうだが、旅行中何度か飲んだAmboというソーダ水のラベルはこの教会のこの木なんだとか。


この周辺にはこういう教会が100以上もあるそうで、すでに欧米人には人気だそうだが、マイナーな教会ばかりをめぐるのも面白そうだ。


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北東アフリカの旅 13 アサレ湖

2019-04-11 19:07:58 | アフリカ

2月17日 続き

ダロール火山を下りたらアサレ湖の次の見学地へ。


カッパドキアの超小型版のような景色だが、そそり立っているのはすべて岩石ならぬ岩塩。

 
近くで見れば塩と泥が縞模様になっているのがよくわかってここも珍しい景色なのだが、このすぐ先はエリトリア、この地域でも過去に外国人観光客が襲われたことがあるということで、本日も銃を持った護衛付き。

塩で真っ白なアサレ湖の中に突き出ているのは、これは岩山のアサレ山。
 
ほんの低い岩の塊なのだが、これがこの地では聖なる山とされているとか。
その足元にはまるで魚釣りをするために開けたかのような穴が開いていて、車で走り回っているこの塩の層の下は水だと教えてくれる。
この水をちょっとなめてみたら当然のことながらめちゃくちゃしょっぱかった。

さらに進んで、この塩の採掘場へ。

セメントブロックを積み上げた建築現場のように見えるが、この灰色のブロックがすべて塩。

 
地面の塩の層に割れ目を入れたらそれを棒ではがし、
 
それを手斧で同じ大きさの四角いブロックに成形する。
これを昨日見たようにロバやラクダで60キロほど離れた町まで運び、その先は今はトラックでメケレまで出荷するわけだ。

見ていると長さを測ったりすることもなく、目分量で大きさを整えているが、なかなか大変そうな作業。
 そのためか作業場の中にはオープンカフェ(?)もある。

午前中の見学はこれで終了、キャンプに戻って昼食。

 
またまた大量のパスタに今日はピザを用意してくれていたが、この頃から一人二人と体調を崩す人が出てきて、自分も朝ご飯がまったく消化できていない。
胃が動かなくなったのは初めてではないので、この後は絶食。

昼食後はしばらくのんびりして、夕方またアサレ湖へ。

天気が良く、条件が整えばここでも南米のウユニ塩湖のような光景が見られるとのことだったのだが

本日は終日どんよりと曇って風もある。

  

 
ということで、足を濡らして塩の結晶を見ただけでキャンプへ引き上げ。
おかげで一日涼しくて快適だったが。

 
夕食もパスで、シェフのお姉さん、ごめんなさい。


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北東アフリカの旅 12 ダロール火山

2019-04-09 19:46:29 | アフリカ

2月17日

標高の低い海面下のアハメッド・エラのキャンプ、夜は暑いかと思いきや意外に涼しくて、寝袋にくるまって快適に寝ていたものの、明け方にご近所のロバの鳴き声に起こされた。

 
たっぷりのフルーツでおいしく朝食をいただいたが、これが仇になろうとは、この時点では知る由もなく。

朝8時に出発してすぐ近くのアサレ湖へ。
 
湖とは言えほとんどが干上がって塩の分厚い層になった上を走っていくが、場所によっては亀の甲羅のような模様になっている。

やがて目的地に到着して車を降り、目の前のなだらかな丘に登る。
 丘の麓で標高マイナス125m、頂上に上がってもマイナス50mなのだが、これが陸上では世界で一番低いところにあるダロール火山。

岩がゴロゴロする道を上がっていくとやがて
 
足元に不思議な岩が表れてきて、さらに先には
 噴煙が上がっているのが見えてくる。

ふと横を見ると

まるで失敗した目玉焼きのような光景。

その先には一面の黄色。
 
これがこの火山の火口で、硫黄や硫化鉄がなんとも派手な景色を作っている。

水が溜まっているところでは緑色の強酸性の池ができ、
 

 
 
 
これが棚田のようにも見えて美しい。この光景こそが見たくてここまで来たのだ。

 
熱い蒸気や熱水を噴き出す噴出孔もあるし
 
 なにかの生き物が孵ったあとのように見えるものもある。

  
   
  
今までどこでも見たことがない光景ばかりで、しかもこんなに間近で見られるのが不思議なほど。

おかげでここはすでに各国からの観光客だらけなのだが、セルフィーに夢中な人たちが大勢いても絶景スポットもたくさんあるので困らない。

今日はあいにくの曇天で青空をバックに、と言うわけにはいかないが、添乗員の曰く「晴れていたらとてもこんなに長くここにはいられませんでしたよ。」
ロンプラにもここは「34.4℃と世界でも最も年間平均気温が高いところ」とあるので、30℃はなかったであろうこの日はラッキーだったらしい。

  
この向こうはエリトリアだという景色を後に丘を下りると、麓にはさらに車が増えていた。


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北東アフリカの旅 11 エルタ・アレ~アハメッド・エラ

2019-04-08 19:02:12 | アフリカ

2月16日

疲れていたのでさすがに良く寝られた翌朝。
 しっかり朝ご飯。

8時半に出発して、またひどい悪路を1時間。
 
今日もエルタ・アレは盛んに噴煙を上げている。

 11時にようやく舗装路に戻り、ドライバーたちもほっと一息。

今日は天気が悪く、どんよりと曇って時折雨までぱらつくが、長距離の車での移動中は日差しがない方が楽で助かる。

お昼は道沿いのドライブインで
  
 
今日もまた持ち込みのパスタとオイル・サーディン。
こういう店はテーブルを貸して、冷たい飲み物とコーヒーだけをツーリストに提供する。

今日はどんよりと曇って時折雨もぱらつくが、長距離の車移動では日差しがない方が楽で助かる。

そんな天気の中、車は標高1600mまで上ったり下りたり。
  
 
途中に見えたこの木は竜血樹だそうだが、有名なイエメンのソコトラ島の木とは少し形が違う。

標高が少し高いところでは幾分緑も見えて
  
 
立派な牛やたくさんの働くロバさんたちと行き会う。

途中、またドライブインでお茶休憩。
  
 
羊もうろつく店内にいたのはアビシニアン・キャットじゃないだろうか。

 日もだいぶ傾いてきたところでぐんぐん坂を下り、前方には次の目的地であるアサレ湖が見えてきた。

すると路上でロバとラクダのキャラバンに遭遇。
  
 
ラクダたちが運んでいるのはアサレ湖で切り出された塩の塊。
このラクダのキャラバンもこのコースの目玉だったはずなのだが、最近は舗装道路をトラックで運ぶようになり、このような光景もすっかり減ってしまったのだそうだ。
 哀愁のキャラバンを見送ったら今夜の宿泊地はもうすぐ。

 
高い鉄塔が立つ集落が標高マイナス55mのアハメッド・エラ村。学校の建物から道を隔てて我々のキャンプ地がある。

 17時に到着した今夜もテント泊だけれど
 
ここにはしっかりした水洗トイレが作られていて、この個室で水が浴びられる。
 その水は村の井戸からこんな風に運んでもらうのだからありがたい限り。しかも水は生ぬるくて、頭からかぶるのにちょうどいい。

 
食事はこの「小屋」が食堂とキッチンになっているが、さて、このパスタは何度目の登場だろうか。


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北東アフリカの旅 10 エルタ・アレ火山

2019-04-06 16:11:33 | アフリカ

2月15日

野天のベッドからは午前2時半に起床、3時に出発してエルタ・アレの山頂を目指す。 日が昇るととても暑くなるので、この山へは暗い中を歩かなければならないのだ。

ヘッドランプを頼りに歩く最初の1.5kmは平たんな砂地。 そこから急に整備された砂利道になるが、これは中国企業が請け負っている観光道路だそうで、前日に見たまっすぐな舗装道路はここにつながるのだとか。 最終的にはどこまで工事するつもりなのか、何年後かには山頂まで車で行くことになるんじゃないかと空恐ろしい。

砂利道も1.5kmほど続いて、そこからようやく上り坂になるが、勾配はゆるく、なんと言っても標高が低いので息が上がらない。
昨夏のザンスカールに比べたらなんと楽なことか(笑)。

途中、一日早く到着していたS社の別グループとすれ違い、驚いたことに夕食後に出発したE社の下山にも遭遇。外国人グループとも何組かすれ違って、強行スケジュールだと昼間の火口は見ることなく帰ってしまうらしい。

この上り道の距離は6km。予定では夜明け前には山頂に到着するはずだったのだが、グループの1名がかなり遅れてしまったので途中休憩が多く、
 
途中で日が昇ってしまった。

やっと周りが見えるようになった中を登っていくと
  
いかにも流れてきた溶岩が固まったようなものが見えてきて
 稜線に小屋が見えてきたらそこがゴール。
4時間半かかって朝の7時半に到着。雲が多い天気だったので、この時点での気温は23℃。

  
この山頂には石壁に草ぶきの屋根を乗せたシェルターが隙間なくぎっしり立ち並び、それぞれ旅行社によって使う場所が決まっている。
このシェルターの後ろを覗けば


これがエルタ・アレのカルデラ。火口は2つあって、どちらも噴煙を上げている。

山頂には麓とは別のキッチン・スタッフが待機してくれていて
 
到着したらすぐに朝食とは、なんとも贅沢。

朝食後はガイドに先導されて、北側の火口を見にシェルター群のちょっと先へ。
 
写真で岩の上に人が立っているところがエルタ・アレの一番高いところで海抜613m。


こちらは上がってきた方向で、この下のどこかにベースキャンプ。


すぐ目の下には火口が見えるが、ここでは溶岩は見えない。
 地面には卵の殻が割れたようなガスの噴出孔が一杯見えて、ガスは硫黄のにおいというよりのどを刺して息が苦しくなる。

というわけでここは撤収して、
 次は崖を下りてカルデラの中へ。

  
  
一番最近では2017年にこのカルデラ内まで溶岩があふれ出したそうで、足元ののたくった粘土のような岩は実は軽くて、下手に歩くと踏み抜いてしまうので注意が必要。
 岩の間に見える細い糸のようなものは溶岩が引き延ばされたもので、「ペレの毛」と言うのだそうだ。

 南の火口はこの通り、すぐ脇まで行けるがやはり赤い溶岩は見えず、念のためにと用意されたガスマスクを着けて記念撮影。

南の火口見学を終えたら早くもお昼で
  
 たっぷりのトマトサラダがうれしい。

その後雲が晴れてきたが、そうなると暑くてシェルターの中はおそらく40℃以上、マットを用意してくれていたがとても寝ていられず、みんな少しの日陰に固まって噴煙を眺める。

夕方の17時半には早くも山頂で3度目の食事。
 
スープ付きだけれど本日もパスタ。

と、これを食べている間、添乗員はなにやらソワソワとカルデラを覗いていて、やがて「溶岩が見えるらしい」と叫ぶので急いで崖を下りて火口へ。

こわごわと噴煙の上がる火口の奥を覗き込むと
 
おお、確かに赤い溶岩が見える!

旅行パンフレットに載っているような火口いっぱいの溶岩ではまったくないが、2017年の噴火以降は溶岩だまりが沈下してしまったそうで、この1年ほどは現地ガイドもまったく溶岩が見られなかったとか。
自然現象だからこればかりは仕方ない、ちょっとでも赤いものが見られた我々はラッキーと思わねば。

 
そうこうしているうちにガスはひどくなってきて、シェルターまで戻ってものどを刺激されて咳が止まらない。
予定ではこの後シェルターで仮眠を取って夜明け前に下山だったが、ガスが危険ということで19時にふもとに向かって出発。

帰路はひたすら暗い中を足元だけを見ながら歩くので、下りとは言えこれがなかなかつらい。
9キロの道のりがやけに長く感じられて、それでも3時間40分でベースキャンプに無事帰着。

また野天のベッドで寝ることになったが、この夜は涼しくて、初めて持参した寝袋が役に立った。


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北東アフリカの旅 9 ダナキル砂漠

2019-03-21 18:21:40 | アフリカ
2月14日

風と波の音で騒がしかったテントでの一夜、夜明け前の午前5時ごろになったら周りが一段とにぎやかになった。

それというのも塩田の労働者たちが仕事前に一風呂浴びに来るからで、これは予想していなかったのでいささかびびったが、アファール族の男たちは礼儀正しくてツーリストのテントにちょっかいを出すことなどなく、キャンプ場の治安で問題なのはむしろ外国人なのだ、とは添乗員の弁。

現地人に交じって朝風呂をいただき、
 6時半ごろ、湖から日が昇るのを眺める。この時点で気温は27℃。

明るくなると子供連れが温泉にやってくるが
  
こちらの子供は目がクリクリとして本当にかわいい。

今日も出発はゆっくりということで、朝食後、添乗員に引き連れられて湖の周りを囲む塩田の見学へ。
  
塩湖の水をくみ上げて徐々に天日で塩にするおなじみの工程。
 
土混じりの塩だけれど、ちょっと失敬してきた。

10時にアフデラ湖畔を出発して北西に向かうが、しばらくは舗装道路が続く。
 
道路脇には石を積み上げたものがあるが、これはアファール族のお墓なのだそう。

やがて舗装道路をはずれていよいよダナキル砂漠に入って行くが、
 
この中をまっすぐ突っ切る道路を中国企業が工事中。この道、なんとこれから向かうエルタ・アレ火山へ行くための観光道路とのことで、いやはや、びっくり。

 
車は土漠から完全な砂漠に入り、風が吹くと周りが何も見えなくなるような砂嵐。
途中4台のうちの2台とはぐれるが、今日から乗ってきたアファール族ガイドがしっかり見つけてくれたとのこと。
 
さらにこの何の目印もなさそうな砂漠の中をナビして村に到着。

クルスワッド村というこちらの、小屋の中で本日の昼食休憩となったが
 
掘っ立て小屋のようでも中に入ればちゃんと風をよけられることに感心。

 
キャンプから持参したランチのメニューはマカロニと野菜炒め。
 
本日から同行してくれるアファール族のお巡りさんも一緒。
このエリアはエリトリアと隣接していて、ツーリストが誘拐されたり殺されたりしたこともあるのでツアーには同行必須なのだが、銃を持っていても緊張感はゼロ。

村を出てしばらく行くと遠くに低い山が見えてきて、これが目指すエルタ・アレ火山。
 
しかしここからの道がすごい悪路で、久しぶりに上下左右にゆすぶられた。

この道に耐えること1時間、14時にエルタ・アレの麓のベースキャンプに到着。
 
すでに車がたくさん来ているここには石を積み上げ、草ぶきの屋根を乗せたシェルターがたくさん作られている。
 中にはゴザが敷かれているが、この中にいても38℃もあって暑い!

と言うことで小屋の裏の日陰に座って外を眺めていると、エルタ・アレの山頂からは煙が上がっているのが見え
 
夕方になるにつれてラクダたちに荷物が載せられて出発の準備が始まる。
このシェルターの周りにはラクダ使いがたくさんいて、火山に上る観光客やその荷物を運ぶ仕事をしているのだ。

日暮れ近くなると車の数はますます増えて、何十台あるのかすごいことになった。
 
その隙間で、どのグループも夕食が始まる。
 
今夜もシェフが作ってくれた豆スープとお肉、野菜などなど。

その後、夜8時ごろから現地旅行社の混載ツアーや、日本のE社の若い女性だらけのツアーなども山登りに出発して行ったが
 我々はこの簡易ベッドを外に並べて、野天で就寝。
この夜は風もなく、外は暑くもなくて意外に快適に寝られた。


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北東アフリカの旅 8 アフデラ湖と温泉

2019-03-20 15:29:36 | アフリカ
2月13日 続き

カフェでしばらく休み、3時半に今夜の宿泊地に移動。

 
やってきたのはこちらのキャンプ地、スタッフがすでにテントを用意してくれている。

 一人一張りのテント内にはマットが一枚。

そして徒歩5歩の場所にアフデラ湖。

 
敷地内には今年になってから設置されたというトイレがあるが、テントから遠いのがありがたいと言うか不便と言うか。

さて、ここに到着した時点で外の気温は37℃、テントの中は52℃もある。
そこですぐに水着に着替えて、湖へ。

 
ここも塩湖で死海よりも塩分濃度が濃いとのことなので、30℃はあるだろう、生ぬるい水の中にゆっくり腰を落とせば体が浮いて足を上げられる。
 しかしこの辺りは遠浅で腕を下ろせば底に着いてしまうほど、風も強くてそのせいか湖とは言えかなり波もある。ヨルダン側の死海で初めて浮遊体験をした時ほどの気持ちよさはなくて、ちょっと残念。

しかしこのアフデラ湖には死海にはない素晴らしいものがある。
 
我がテントのすぐ後ろに湖に流れ込む天然温泉があるのだ。

 
お湯は地面の下から川のように流れだしていて、湯温は体感40℃ほどだろうか、自然のままでパーフェクトな熱さ。
 底にコケが少し生えているものの、水は湖に流れ出しているので常に新鮮なかけ流しでとてもきれい。においや味はないが、わずかにツルスベ感はあるので少しアルカリ性だろうか。
暑い中でもこのお湯に首まで浸かれば、気持ちいい!
 夕方になると塩田で働く人たちも汗を流しに来て大賑わいになったが、皆さん体を洗う時は下流と温泉マナーをちゃんと心得ていて感心した。

 湖に浮き、温泉に浸かっているうちに他のツーリスト・グループも次々に到着して駐車場も混みあってきた。
 
駐車場の脇の緑の小屋は現地人スタッフの宿泊所、その隣がキッチンで、食事はその前に並べられたテーブルで摂る。
 各グループ専属のコックを用意していて、我々のシェフは冷蔵庫付きのキッチンカーで来てくれたこちらの女性。
 
夕食は豆のスープから始まってチキンの煮込み、野菜もたくさん用意されて、デザートにはバナナフランベまで。
ホテルの食事よりずっとおいしい。

食後、寝る前にもう一度温泉に入ってテントに入ったが、暑いうえに外は強風、波の音もすごくて、熟睡とはいかなかった。


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コメント (2)
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