Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ラジャスタン横断 23 グルガオン

2011-03-30 19:02:08 | インド
12月28日 続き

インドの旅もいよいよ大詰め、夜の出発まで余った時間をグルガオンで買物をしてつぶすことにした。

グルガオンはデリーの郊外にある新興都市、日本で言えば横浜のみなとみらいのように真新しく大きなビルが立ち並んでいる。
日本の企業の多くがここにオフィスを構え、日本人も多く住んでいるので「ここは日本人町だ」と我がドライバー、そういうことだけは言える。

  
大きな通りの両側には大きなショッピングモールが続々と並び、無国籍な店内はジーンズ姿の若者でいっぱい。
今までいたところもインド、ここもインド。

  
スーパーがあるというこちらのデパートで
 クッキーなど買い込んで買物終了。

小腹が空いたので小さなフードコートでインド風スナックの食べ納め。
 さすが都会ではビニールのキャップに手袋をつけている。
  
ドーサにもいろいろ種類があって、マイソール・ドーサというのを頼んでみたら内側にびっちりオレンジ色のソースが塗られた。これが辛くて、ちょっと失敗。
 インド風お好み焼きのウッタパムは食べやすい。
 でも一番好きなのはこのパニプリかも。
丸く膨らんだ殻に穴を開け、右側のポテト、緑色のスープ、赤いソースを好みで入れて食べる。
ジャイサルメールのおいしいというパニプリもやっぱり食べてみればよかったな。

と、またまたインドに心を残しつつ、霧もだいぶ晴れてきたデリー国際空港で運転手とお別れ。
 
コミュニケーションには苦労したけど、とにかく全行程1800キロ、事故を起こさず無事に運んでくれたのでよしとしよう。

 新装成った空港は出発ロビーも以前とは見違えるほど。
  
いささか落ち着かないが、ラウンジもかなり立派になった。

JAL便は定刻どおりに出発して12月29日日本着。


いやはや、それにしても長い旅行記になってしまった。


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ラジャスタン横断 22 ニムラーナのFlying Fox

2011-03-27 19:34:22 | インド
12月28日

インドに来て以来ずっと雲ひとつないピーカン続きだった天気、朝起きてみたらどんより曇り、サモードを出発するとやがて土砂降りになった。この時期にラジャスタンに雨が降ろうとは。

さらにデリーへの幹線道路を走るうち、霧が深くなってきた。
冬のデリー周辺はよく霧が出ることで有名。2,3日前からはその霧が深くて飛行機が飛ばなかったりしていたようだが、今夜の我々のフライトは果たして大丈夫だろうか。

そんな心配をしつつ高速を飛ばして2時間ほど、ちょっと脇道に入ってやってきたのはデリーから100キロのニムラーナ村。
 ここにも15世紀に作られたという砦があり、今はホテルになっている。
  
門番に予約票を見せて大きな門をくぐると、続く廊下には花びらで模様が描かれている。
 見上げる砦は雨にぬれているせいもあって、灰色の空を背景にいかめしい。

さて、このホテルにやって来たのは宿泊や食事のためではない。
お目当てはこちら
  
食堂脇のテント内で営業中の Flying Fox というアトラクションのため。

Flying Fox とはオーストラリア英語で普通はジップラインというようだが、要は高いところに張られたワイヤーロープを小さな滑車で滑り降りるという遊び。
ヨーロッパで始まり、今は世界中あちこちにあるようだが、インドでは脱サラしたイギリス人によってここニムラーナとジョドプールで営業している。

あらかじめオンライン予約をしていたので受付で名前を告げると、こまごまとした注意書きを渡され、これにちゃんと読みましたというサインをしないと参加させてもらえない。

結構な雨が降っているが中止はしないのかと聞くと、強風の時以外は雨天決行とのこと。
この時点で同行の友人は雨に濡れたくないと脱落。ヨーロッパ人の家族も午後に延期すると抜けたが、自分はこれがやりたくてニムラーナまで来たのだから、とあくまで参加。他にはインド人の若いカップルが一組いるだけ。

テントの中で両足を通すハーネスをつけ、手袋と水筒の入ったポーチを渡されたら準備は完了。
インド人の若い兄ちゃんの後について砦を出て、裏山の急な小道を15分ほど登る。
 この登りが結構きつくて、しかも先導の兄ちゃんが早足だからこちらはぜいぜい。
しかし砦を出た途端にあれほど降っていた雨がぴたりとやみ
 地上を這う濃い霧の上に山の頭だけが姿を見せ始めた。
「こんな景色ははじめて見た」ともう1人のイギリス人のインストラクターも大喜び。
これは以外にラッキーだったのかも。

砦を見下ろす小高い山の頂上にはまるで洗濯物干しのような練習用のワイヤーが張られ、ここで説明と練習。
 ぶら下がっている間の姿勢と必要な場合のブレーキのかけ方、さらに途中で止まってしまった場合の対処法を教わる。

これが済んだらまずはイギリス人インストラクターが先導。
 要はロープを滑り降りるだけだから早い、早い。

さて次は、というところでインド人の彼氏が男の沽券を見せねばと思ったのかすぐに手を挙げた。その次は当然彼女だから自分は3番目になった。
前の人が到着したのを確認してからプラットフォームを蹴って出発。
 ロープから足元の地面まではたいした高さではないが、ちょっと脇を見ると砦を真上から眺められ、そのまわりの景色も見通せて気持ちいい~。

とごきげんで滑り降りたのはいいが、終点の10メートルほど手前で失速して停まってしまった。こうなったらあとは自分の腕でロープをたぐって終点まで行き着かないといけない。これがきつくて、あとで腕とわき腹が筋肉痛になった。こつは足を胸元に引き付けて重心を後ろに持っていくこと。3本目のラインでこれがやっとわかった。

こうして滑り降りるロープは全部で5本。
 
一番長いロープで400メートル、短いので90メートル、全長は1265メートル。

  
いろいろな角度から砦を見ながら降りられるようになっていて、この設計が実にうまい。
 霧にけぶる村の景色も雰囲気がある。

所要時間は2時間と聞いていたが、参加者が3人しかいなかったので1時間で終わってしまった。でもおもしろかった!こんなに楽しいならジョドプールでも行けばよかった。高い所好きにはたまりません。

と大満足して、さてではホテル内でゆっくりお茶と見学でも、と思ったら今日はインストラクターに見送られてすぐにホテルを出ないといけないと言う。と言うのもこれからホテルを貸しきった結婚式があるからとか。
そう言えばホテルに着いた時に大きなビデオカメラとレフ版を持ちこんだ連中がいたし、入り口の花びらもそのためだったのか。
そもそもはじめはこのホテルに宿泊しようとしていたのにどうしても予約が取れなかった、その理由がやっとわかった。
どれだけ盛大な結婚式か、それを覗けなかったのが残念。

砦を出た後は村の中を通って、この村に残る階段井戸を見に行く。
  
装飾性はないが、思っていたよりもずっと大きくて立派な階段井戸。
  
底に水はなく、ゴミが散らばっているだけだけれど 
  
18世紀に作られたと言う階段の状態は悪くなく、全体にすっきりした造形が美しい。

やっぱり階段井戸が好きだ。
今回は残念ながらデリーの2つも、アーバネリーも見逃してしまった。
これはやはりリベンジせねば。


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ラジャスタン横断 21 Samode Palace

2011-03-24 23:47:03 | インド
当初の予定ではジャイプールの次にはアーバネリーにクンダ(階段池)を見に行き、アルワールで1泊するはずだった。

ところが前日、現地旅行会社の社長から連絡が入り、ラジャスタン州の東部はデモ隊が鉄道線路と道路をブロックしているので入れないと言う。
新聞を見ると確かに鉄道は止められており、道路も通れないらしい。もっとも誰がどんな理由でデモをしているのかははっきりせず、「デモ隊は封鎖した線路上で歌ったり、踊ったりしている」とあったから危険なデモではなかった様子。

ともあれ予定変更ということで、ならば最後の1泊はこれまでよりもちょっと贅沢なところに泊まってみようと急遽ジャイプール郊外の Samode Palace をあたってもらうと、ラッキーなことにクリスマス客が帰ったばかりということですんなり予約が取れた。

ジャイプールから北へ40キロ、幹線道路をはずれた低い丘陵地帯にサモード村はある。
砂色の建物の間の狭い道を通り、突き当りの大きな門を入ると
 そこがサモード・パレス。
19世紀の始めごろから拡張されたと言う建物の正面は威圧感がある。

階段を上がり、中庭に面したフロントでチェックインをして、部屋の用意ができるまでお茶をいただく。
 
日陰は涼しいというより寒いぐらいで、熱いチャイがうれしい。

やがて案内された部屋はあの威圧的な建物の1階にある。
 この3つの窓がすべて我が部屋。
  
広々とした部屋に清潔なベッド。
 これまた広いバスルームにはバスタブもある。

これまで泊まってきたホテルは1部屋が5000円から1万円ぐらい。それに較べてここは3万円以上するのだから部屋が良くて当たり前。思ったほど「豪華」ではなかったけれど、なによりぴかぴかに清潔で居心地がいい。値段の違いほど部屋に差があったとは思わないけれど。

午後早い時間にホテルに入ったが、さすがに旅の疲れが出てきたのでもう村まで出ることもやめてホテルの中を探検する。
  
以外に複雑な造りの建物で、館内案内もないのでふらふらしていると思わぬところに出る。

そんな風に偶然迷い込んだのはダルバール・ホール。
 表はこんな感じだけれど
 中の大広間は豪華絢爛 
  
壁から天井まで手書きの細密画で美しく飾られている。

さらにそのまわりの部屋も
 美しいブルーの部屋とか
 ミラーワークの部屋とか
  廊下の隅々まで装飾で埋められている。

ホテル棟の2階に上がってみると
  
中庭を見下ろすバルコニー部分にこんな美しい一角があった。
  
  
天井の染付のような白と藍色の模様も美しく、
  
壁の細密画もすばらしい技量。

このすぐ脇の部屋にもお客さんが泊まっていたが、中はどんなだったろうか。覗かせてもらえなくて残念。

華麗な装飾に興奮した後は、プールサイドにあるスパで最後のマッサージ。
チベット系のような容貌のマッサージ嬢はとても上手で気持ちよかったが、フロントに言わせると「ここに来るのは中国本土と台湾からのお客さんばかり。日本人はあまり来ないねえ」とか。

そして最後の夕食はこのホテルの「創作インド料理」レストランで。
  
バルコニーにもテーブルが並んでいたが、寒い夜だったのでさすがにヨーロッパ人もシックな室内で食事をしている。

 まずはアミューズで冷たいなすのお料理。
よく覚えていないがおよそインド料理らしくなく、そこが「創作」のゆえんか。
 前菜には「ピンク・ジンジャーとビーツのサラダ」と言うのを頼んでみたが、ピンク・ジンジャーとはなんとガリ。合うような合わないような。
 お口直しにおいしいグアバ・シャーベットが出て
 メインにはハリームという羊肉と小麦、米を3時間もついて作という料理を頼んでみた。
ほとんど肉を感じさせずとてもおいしかったが、マッシュポテトのようなアクセントのない食感なので正直途中で飽きてしまった。
 奥は友人の頼んだカシミリ・モレル・カレー。
モレルとはなんぞや、と思っていたところ、これがモレル茸だった。まさかインドでモレル茸がとれるとは。
手前にあるのは7種類のパン。ココナッツ入りやら全粒紛やら、おいしくて楽しい。
 そして食後の締めはレモンジンジャー。
温かいこの飲み物がさっぱりとしてとてもよかった。

旅の最終日に泊まった高級ホテル、急な予定変更ではあったが結果的には吉と出た。


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リビアのこと

2011-03-22 17:38:28 | 雑談
いま東北は大変なことになっている。
関東では福島原発の放射能汚染におびえ、さらに西へ脱出する人たちもいる。

そんな時に遠い北アフリカのことなど気にかけていられない、と言う人がほとんどだろう。

だからこそあえて言いたい。リビアが大変だと。

命を亡くされた多くの方には大変に申し訳ない言い方だと承知してはいるが、地球の身震いを止めることは人間には出来ない。

でもリビアで今起こっていることは人間が原因。それもたった1人のエゴ、その一族の強欲が引き起こしていること。そのために本来死ななくてもいい人間が命を落とすなんてひどすぎる。

リビアに遊びに行ったのは2006年の正月のこと。
テロ国家という悪いイメージにもかかわらず、実際に訪れてみたリビアはインフラは整備され、治安も良くて平和そうに見えた。

なによりリビア人は楽天的で明るくて、砂漠ツアーのドライバー達にはどれだけ楽しませてもらったことか。
街中で会う人々もあまり来ない外国人観光客を喜んでくれて、みんな穏やかで親切だった。

もちろんカダフィが独裁を続けていることは承知していたし、国中いたるところカダフィのナルシスト全開な巨大ポスターだらけだった。
でも外への過剰なポーズはともかく、国内はそこそこまじめに治めているのだろうと思っていた。

あるいは政権をとったばかりの頃は理想に燃え、その後の社会の安定は自分だからこそと言う自負もあったかもしれない。
しかし権力と富を独占し、それを維持するためには自国民を犠牲にすることなどなんとも思わない今の姿は狂気の沙汰としか思えない。
欧米で教育を受け、西側にお友達の多かったはずの息子も、テレビでふんぞり返ったあの姿を見ればやはりまともであるはずがない。側近はもちろんイエスマンしかいないはずだし、となれば内部であの狂気を収めることは不可能なのか。

であるとしても欧米による空爆もいかがなものか。
トマホークなど打ち込まれれば、一般市民に犠牲が出ないはずがない。
自国の支配者には外国人傭兵部隊をけしかけられ、助けてくれるという欧米からは空爆されては一般市民はどこにも逃げ場がない。
そしてこれらはすべて起こる必要のない人災なのだ。

天災はともかく、こんなことも血を大量に流さなければ解決できない現代文明とはなんと無力なことか。

東北の地震以上に何もできないけれど、せめてこの日本からもリビア情勢にちゃんと目を向けていたい。
そしてリビアで会ったすべての人々がどうか無事でありますように。


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ラジャスタン横断 20 シティパレス

2011-03-19 02:21:12 | インド
12月27日

ジャイプールのシティパレスは旧市街のほぼ中央に位置する。

 車の往来する道路からはこの門をくぐってさらに奥まったところ。
ジャンタル・マンタルを作ったジャイ・シングが1733年にアンベールから移り住み、その後も増築を重ねて現在もその末裔が住むと言う宮殿はかなりの広さを占めている。

入り口を入って目の前にあるのはムバラク・マハル。
 イギリス人のサミュエル・ジェイコブ設計のこの建物は、現在は内部がテキスタイル博物館になっている。
撮影禁止の展示の中心はもちろん昔のマハラジャやマハラニが着用した豪華な衣装だが、中に一着、巨大なズボンがある。これを着用したマド・シングと言う王様は250キロの巨体だったそうだが、この衣装を見ればさもありなん。

 
ここからまた一つ門をくぐった先にあるのが謁見の間。
  
入り口にイギリスに行った王様がガンジス川の水をこれに入れて持って行ったという巨大な銀の水がめが展示されているが、その間で愛嬌を振りまいているサンタが場違いで不気味。

この奥にこれまた撮影禁止の巨大で豪華な部屋があるのだが、そこに数多く飾られているのは最後のマハラジャ、マン・シングII世の写真。
 1949年にインドが共和制になるまでマハラジャだったこの人、男前なだけではなく、ジャイプールの近代化に努めた名君だったそうな。

そしてさらに人気があったのはこの人の奥さん、ガヤトリ・デヴィ。
 ヴォーグ誌で最も美しい女性10人の1人に選ばれたというのもうなづける。

この二人も住んでいたであろう一角はチャンドラ・マハル。
 
ここには現在もマハラジャ一族が居住しているとのことで、下々が入れるのは中庭まで。

この中庭にはきれいな門が4つあって、
  
緑の門は春
   
蓮の門は夏
  
孔雀の門は秋
  
薔薇の門は冬をそれぞれ表しているのだそうだ。

門だけでもこれだけの装飾の施された宮殿、内部はいかほどかと思うが、しかし毎日観光客の押しかけるところに住むのはどんなものだろう。

 中庭には金色の天蓋のプレートがついた車が駐車していたが、これはマハラジャ警護の車だろうか。

美男子マハラジャの末裔には残念ながらお目にかかることはできなかった。


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ラジャスタン横断 19 ジャイプールのジャンタル・マンタル

2011-03-16 16:10:46 | インド
12月26日 続き

風の宮殿の屋上から西側を見ると、大きな中庭を一つはさんで巨大なオブジェが立ち並んでいる一角が見える。
 
これが昨年世界遺産に登録されたばかりのジャンタル・マンタル(天文台)。

1734年、ジャイプールの町を作ったジャイ・シング王は学問に熱心で、サマルカンドのウルグ・ベク天文台をモデルにデリーをはじめあちらこちらに巨大な天文観測施設を作ったが、ジャイプールのものがその中でも一番規模が大きいのだそうだ。

宮殿から見えたのですぐに行けるだろうと思ったジャンタル・マンタル、表通りから行こうとしたら入り口がわからなくて迷いまくる。実はシティパレスの隣にあるのだが、その入り口がまたわかりにくい。こんな時だけはガイドがいたら便利だと思う。

世界遺産に登録されたばかりだからか、夕方でも入り口はインド人観光客で大混雑。横入りしようとするインド人と格闘しながら入場券を買って入り口を入ると
  
  
まるでエッシャーの絵が立体的になったかのような建造物の数々。

  
一体どのように使って何を測るための器具なのか
  
  
それぞれに英語の説明はついているし、ガイドは熱心に説明していてインド人の皆さんも一生懸命に聞いているが、何しろ天文学の知識が皆無なので、おそらく日本語で説明されてもわからないだろう。

これらの器具は今でも測定に使えると言うことだが、単なるオブジェとしても魅力的で、装飾だらけの建築物ばかり見てきた目にはとても新鮮に映る。

日も傾いてジャンタル・マンタルを追い出された後はジャイプールの町をうろついてお買物。

買いたかったのはキルティングのお布団。
  
どこのホテルでも使われていたお布団は軽くて、インドらしいプリント柄がかわいらしい。
安いものは数百円で買えるけれど、ちょっと良い品を置いていたこの店でのどが痛くなるまで兄ちゃんと値段交渉して買ったハンドプリントのものは2000円。まだ高かったかもしれないけれど、夏掛けとして活躍してくれるだろう。

電球に煌々と照らされたマリーゴールドのお供え屋台を通り過ぎ
  
夕食に選んだのはこちら
 LMBレストラン

 入り口を入るとお菓子のショーケースがずらりと並んでいるが
  
奥まですすむと立派なおひげのドアマンがいて、その先がレストランになっている。
ファミレスのような感じのカジュアルなレストランだが、ガイドブックにも載っている有名店なので外人観光客もいっぱい。

メニューを開いて何を頼もうかと迷うが、ここはラジャスタンの料理がいろいろ食べられるターリにしよう。
 まずは辛酸っぱいスープが来て
 ど~んと12種類の小皿が載った巨大なターリ盆が登場。
隣にいたヨーロッパ人に「写真撮らせて」と言われるほどの迫力。
 ←メニューはこちら。クリックすると大きくなります。

しかしこのターリは実は失敗。注文する時、「辛さはどうする?」と聞かれて「中ぐらい」と答えたら、これが辛いのだ。辛すぎて辛いのと甘いのぐらいしか味がわからない。正直、お昼のレストランの方がずっとおいしかった。

 アイスクリームもジョドプールの市場の方がおいしかったなあ。

それでも食後にショーケースを見るとお菓子も試してみたくなる。
 と言っても日持ちのしないものは買えないので
 クッキーを買って日本に持ち帰った。

そして後日食べてみてびっくり。6種類も入っていたクッキーと言うかパイのようなお菓子、これがまたどれもスパイシーで辛いのだ。

インドの辛さをなめてはいけないのであった。


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ラジャスタン横断 18 風の宮殿

2011-03-15 15:24:20 | インド
12月26日 続き

午後はジャイプールの市内観光と決めていたが、昨日の大渋滞にはうんざりしたので徒歩で行くことにする。

まずは旧市街に入る前に腹ごしらえ。
  
門の前にあるちょっとこぎれいなレストランに入ったらここが大当たり。
右の豆のカレーもおいしかったが、左の Kadai Gosht というマトンカレーが辛さも程よくものすごくおいしい。
入り口では炭火でチキンやナンを焼いていたし、階下のエアコンなしの食堂は大入りだったし、ここはどうやら正解だったようだ。
それにしてもカレーって絵にならんな。

  
旧市街への門をくぐると、あれ、今日は渋滞していない。
 昨日はこの道が車やバスやリクシャでギチギチだったのに、とちょっと拍子抜け。

 
でもこの町独特のオレンジピンクの商店街を歩くのは楽しくて
 
雑穀屋さんがあったり
  
お菓子屋さんがあったり
  
露天で壷や野菜を売っていたり。

2キロほど歩いてこの町で一番有名な「風の宮殿」に到着。
 
この美しい窓だらけの宮殿は1799年に時のマハラジャ、サワイ・プラテープ・シングが宮廷の女性達が外が見られるようにと建てた物。
だからなのか、実際に来て見るとこの有名なファサードは狭い道幅の道路脇に突然そびえていて、前面に広場などがないのでちょっとびっくりする。

入り口はこのファサードの裏側。
  
切符を買って中に入ると中庭があるが、建物のこちら側は表とは違って白っぽい。

 そして階段を上がって中に入れば、この建物がほとんど窓のためだけの薄っぺたい構造であることがよくわかって面白い。

部屋の中も空っぽだが
  
カラフルなステンドグラスが女の子っぽくてかわいらしい。

 上から見下ろすジャイプールの町は「ピンクシティ」というよりやっぱりオレンジ色かな。 

 周りを囲む山の上にはいくつも砦が建っている。

 夜になればライトアップされる風の宮殿。

やはり印象的な建物ではある。


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地震で夜の東京を歩く

2011-03-12 01:36:08 | 雑談
いつもは自宅で仕事をしているのだが、今日の午後は所用で青山にいた。

地震が起きた時は建物の中。まだ建ったばかりの新しい建物なので心配はしなかったが、震度5強はさすがにこれまでに経験がなくちょっと怖かった。

それでも都内では目に付く被害はなかったので何も考えずに地下鉄の駅に行くと電車が止まっている。
1時間もすれば動き出すだろうとコーヒーを飲んでいたが復旧のきざしはなし。
すわり心地のいい椅子があるので先ほどまでいたビルのロビーに戻り、7時過ぎまでいさせてもらったがやはり電車は動かない。JRがもう今日は復旧しないとの情報を受けたところで意を決し、ビルの人に地図をもらって家まで歩いて帰ることにした。

外に出てみれば歩道はサラリーマンやOLでいっぱい。同じように歩いていけるところまで行こうという人が今夜は何十万人もいただろう。
中には会社で支給されたヘルメット持参の人も結構いて、でも東京では交通機関が麻痺している以外には被害はないからなにやら滑稽な感じさえする。

青山から麻布、広尾と歩いていくと途中のおしゃれなレストランには優雅に食事する人も多数。電車が動くまでのんびり食事しようということなのだろうが、これまたちぐはぐな感じがしてなんだかシュール。

ともあれ渋滞する道路を横目に道路標識を見ながら歩けば意外にもするすると目黒まで到着。大行列のタクシー乗り場を横切り、エネルギー補給にラーメンを食べて、さらに歩いて我が家のある武蔵小山に無事到着した。
所要時間は1時間半。でも帰ってから地図を見れば青山から我が家までは8キロほどしかない。近くて助かったわけだが、ちょっと拍子抜け。

しかし帰ってからテレビをつけて事の重大さにびっくりする。
特に津波の映像は生々しくて、スリランカの体験がよみがえる。あの時は幸運にもそれほど怖い思いをしないで済んだけれど、津波ってこんなに恐ろしいんだ。

震度5でも麻痺してしまう東京の交通網、肝心の時に使えなくなってしまう携帯電話にも不安。今回の地震が東京で起きていたらどうなっていたことか。

なにはともあれ、東北地方の皆様に心よりお見舞い申し上げる。


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ラジャスタン横断 17 サンガネール

2011-03-10 01:01:41 | インド
12月26日

ラジャスタン、特にジャイプール周辺は伝統工芸が盛ん。
というわけでジャイプールから16キロ、ブロックプリントで有名なサンガネールへ車を出してもらった。

 ジャイプールからの道路上に広がるのは何の変哲もない郊外の町。
行けばそこらじゅうにブロックプリントの工房があるのかと思っていたらそういうわけではないらしい。
「これからどこに行けばいいんですか」って、運転手のあんたがどこか知っていると思っていたのに。

仕方ないので適当な横道に入ってもらうと
   
なるほどここには軒並み版木を彫る工房が続いていた。

  
きれいな包み紙のようなものから下絵を書き写していたり、木を彫ったり、すべて素朴な手作業。
  
我々の顔を見るとすぐに出してきた象やラクダはお土産に売れるのだろう。

版木工房の間に一軒だけ小さなプリント工房があった。
  
大きなテーブルの上に広げた布にブロックをペッタン、ペッタン。かなりの速さでリズミカルに押していくが、ちゃんと唐草模様がつながるのが見事。

もっとこんな工房が見たいが周りには見当たらない。
運転手がそこいらへんを歩いている人に聞いてなんとか工場のありかを見つけた。
しかし入ってみるとそこはシルクスクリーンプリントの工場。
「ブロックプリントが見たいんだけど」と言うと工場のおじさん、「私のお茶が終わるまで待ってなさい」

でバイクで先導してもらって住宅地の中にあるもう一つの工場へ。
  
小さな学校のような建物だが、半地下から3階まで大きな部屋にずらりとテーブルが並び、布がかけられている。
  
  
が作業工程は小さな工房とまったく変わらず。木製のブロックをペッタン、ペッタン。
唐草だろうが直線だろうが、ろくに確認している風でもないのにちゃんと模様が連続してしまうところがすごい。

この単純な作業を飽きもせずに眺めていたら「ボスから電話だ」と工場のおじさんに携帯を渡された。わざわざ日本人が工場を見に来たのでビジネスだと思ったらしい。
すいません、私達は単なる観光客なんです。

とは言えペタペタしているプリントはかわいいし、ちょっと布を買って帰りたい。
しかしここは工場そのもの、お土産に出来るような布など売っていない。
おそらくツアーで来ればお土産を買えるような工房に連れて行ってくれるのだろうに、とこんなところで不自由な思いをする。

工場を出て表通りに戻ってもちょっとした布が買えるような店は見当たらない。
代わりに紙工房の看板が出ていたのでそこへ行ってみる。

行ってみるとそこは結構大きな工場。申し込むとすぐに工場見学をさせてくれるが
 
ここではぼろ布を裁断、粉砕してそれを手漉き紙にしている。
  
できあがった紙は色とりどりで華やかだが
  
これを手作業で袋や箱にしているのには驚いた。
おじさんたちがずらっと並んで、紙に糊を塗るだけの人、紙を折るだけの人。まるで小学校の工作みたい。
 こちらの女性達は袋に紐をつける作業中。
確かにオール・ハンドメイドではある。

工場見学の最後にここには売店がある。
 
ここでやっときれいな包装紙が買えたけれど、布が買えずに欲求不満のサンガネールであった。


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ラジャスタン横断 16 Alsisar Haveli

2011-03-07 15:57:13 | インド
ジャイプールの宿は旧市街の城壁から道一本隔てた外にある Alsisar Haveli

  
入り口の門は立派だが門前の道路沿いにはバイクの修理屋などが並び殺風景。あらら、こんなところ、と思いながら門をくぐる。

 入った先にある玄関もずいぶん控えめで、これまでに泊まってきたお城とはだいぶ趣が違う。

  
がここにはフロントロビーがあるだけ。落ち着いたインテリアのロビーからその先の中庭に出ると
 よかった、立派なお屋敷がある。

  
マハラジャ一族のお屋敷らしい豪華な応接間の脇には見事な螺鈿細工が施された扉が。
この奥も客室になっているが、我々は階段を上って最上階へ。
 広々とした屋上の周りに並ぶ部屋の1室があてがわれた。

屋上にあるということは召使部屋かな、なんて思ったが
  
シンプルながらも部屋は広く、柱つきベッドのカバーもかわいらしい。
 きれいなタイル張りのバスルームにはバスタブも付いてこれなら満足。

一夜目の夕食は疲れていたのでこのホテルのダイニングルームへ。
  
外から見ても中に入ってもとてもきれいな大食堂。
ここもディナーはビュッフェのみだが、ビュッフェとしてはここの食事が一番おいしかった。

 夜のお屋敷の外見もロマンチック。

ただ一夜目は外から大音量の音楽が一晩中聞こえてきてうるさかった。
土曜だったからか、クリスマスだったからか。でもどう聞いてもインド風の音楽だったし。
二晩目は静かだったが、あれは何だったのだろう。


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