4月8日
本日も初めての高雄で定番観光。
まずはローカル朝食をいただこうとホテルから15分ほど歩いてこちらへ。
朝食屋が2軒並んでどちらも盛況だが
右側の興隆居は店頭で蒸し上げられている湯包という肉まんを求めて行列ができている。
そこでまずはこちらに並ぶと、少し待つうちに新しい蒸篭が蒸しあがって、出来立てを1つゲット。
それを持って、次には隣の店で大好きな鹹豆漿を注文。
こちらの店頭のテーブルで大阪で花見をしてきたというおばさまと筆談をしながらいただく。
鹹豆漿22元はちょっと薄めであまり好みではなかったが、湯包18元は名前の通りかじるとスープが飛び出してさすがのおいしさ。
40元(約145円)でおなかいっぱい、大満足の朝食。
と言いながら、ホテルも朝食付きだったのでこちらも覗いてみる。
明るくてきれいな食堂に、品ぞろえは予想通り。しかしサラダや野菜炒めがあるのがありがたく、炭水化物過多になりがちなB級グルメにここでビタミン補給をさせていただく。
食事が済んだらMRTの美麗島駅へ。
地下のステンドグラスで有名な駅だが、地上の中央ロータリーにはガラスのピラミッドのような入口がある。
ここから橘線の終点、西子湾駅まではわずか3駅。
レンタル・バイク屋が呼び込みをしている駅前を抜け、旗津へ渡るフェリー乗り場へ。
ちょうど一隻が出て行ったばかりだったのでほぼ先頭に並び、次の船が来たら悠遊カードをかざして船内へ。40元の料金がカードだと20元になるらしい。
船の1階はバイクのジモティーだらけ、2階には座席もあるがもちろんデッキに出る。
ターミナルのこちら側には「哈瑪星」という漢字に「Hamasen」の表記が。この名前は日本統治時代の港をつなぐ鉄道路線が「浜線」と呼ばれていた、その音が残ってそこに中国式の漢字を当てたものだとか。
前方を見ると小高い丘の上に灯台が見えて、このフェリーの行き先はその左手のちょっと高い建物の所。
なので出港するとほんの5分で着いてしまうが、潮風に吹かれるのは気持ちいい。
到着する旗津(チージン)のターミナルはレトロなレンガ造り。
船から降りた人たちは皆まっすぐ前方に伸びるにぎやかな通りに行ってしまうが、こちらはまず船上から見えた灯台まで行ってみようと海沿いに歩いてみた。
土曜日のためか、岸壁には釣り人がいっぱい。対岸の右手には高雄で一番高い85階建てのビルが見える。
ちょっと遠回りしながら、標識の通りに歩いて行くと
普通の住宅の間を抜けて丘の麓に着き、そこから結構急な坂道を上へ。
20分ほどで真っ青な空に映えるかわいらしい高雄灯台に到着。
気温は30℃はないぐらいだがこの日差し、日本との温度差に慣れていないせいもあってもう汗だく。
1883年に建てられたというこの灯台は今も現役とのことだが、1階には小さな展示室がある。
そして外を見回せば
細長い旗津半島と高雄港。
港の出口に西子湾が見える。
この景色を眺めながらしばらく休憩して、
汗が少し治まったらこんな山道を5分ほど歩くと
1875年に清朝によって築かれた旗後砲台に到着。
これはもちろん高雄港の守りとして築かれたものだが、1895年に日本軍に攻められた時には清の司令官がとっとと逃亡してしまったので大砲を5つ放っただけですぐに占領されてしまった、と入口の説明に書いてあった。
ここからは外海に浮かぶたくさんの貨物船が良く見え、
眼下には砂浜も見える。
そこで今度はその砂浜を目指して丘を下って行くと
丘の下に大勢の観光客が通るトンネルを発見。
結構長くて中央辺りでは足元が暗くなるこのトンネル、星空隧道と名付けられて天井には星座が描かれているが、ブラックライトで光るはずのこの星座はほとんど見えない。
しかしトンネルを抜けると脇は高い崖。
眼の前には長い防波堤が伸びていて
人は多いがなかなかいい景色。
トンネルをまた引き返して砂浜に出てみるが
ここは砂が黒いのであまり美しく見えないのが残念。
ビーチの入り口には屋台がたくさん出ていて
その先には海鮮レストランがずらり。
氷の中から頭だけ出した魚がおもしろいが、一人ではこういう所には入れない。
最後はフェリー・ターミナルからも見えた旗後天后宮にお参り。
こちらに祀られている媽祖様は船乗りの守護神だそうなので、拡大解釈して旅の安全をお願い。
細かい彫刻で埋められた中にこの廟の古い写真があったが、英語で「Takao, Hatatu」とあるから日本統治時代のものだろう。廟の前の通りは現在よりもずっと広い。
またフェリーに乗って本土に戻った。
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本日も初めての高雄で定番観光。
まずはローカル朝食をいただこうとホテルから15分ほど歩いてこちらへ。
朝食屋が2軒並んでどちらも盛況だが
右側の興隆居は店頭で蒸し上げられている湯包という肉まんを求めて行列ができている。
そこでまずはこちらに並ぶと、少し待つうちに新しい蒸篭が蒸しあがって、出来立てを1つゲット。
それを持って、次には隣の店で大好きな鹹豆漿を注文。
こちらの店頭のテーブルで大阪で花見をしてきたというおばさまと筆談をしながらいただく。
鹹豆漿22元はちょっと薄めであまり好みではなかったが、湯包18元は名前の通りかじるとスープが飛び出してさすがのおいしさ。
40元(約145円)でおなかいっぱい、大満足の朝食。
と言いながら、ホテルも朝食付きだったのでこちらも覗いてみる。
明るくてきれいな食堂に、品ぞろえは予想通り。しかしサラダや野菜炒めがあるのがありがたく、炭水化物過多になりがちなB級グルメにここでビタミン補給をさせていただく。
食事が済んだらMRTの美麗島駅へ。
地下のステンドグラスで有名な駅だが、地上の中央ロータリーにはガラスのピラミッドのような入口がある。
ここから橘線の終点、西子湾駅まではわずか3駅。
レンタル・バイク屋が呼び込みをしている駅前を抜け、旗津へ渡るフェリー乗り場へ。
ちょうど一隻が出て行ったばかりだったのでほぼ先頭に並び、次の船が来たら悠遊カードをかざして船内へ。40元の料金がカードだと20元になるらしい。
船の1階はバイクのジモティーだらけ、2階には座席もあるがもちろんデッキに出る。
ターミナルのこちら側には「哈瑪星」という漢字に「Hamasen」の表記が。この名前は日本統治時代の港をつなぐ鉄道路線が「浜線」と呼ばれていた、その音が残ってそこに中国式の漢字を当てたものだとか。
前方を見ると小高い丘の上に灯台が見えて、このフェリーの行き先はその左手のちょっと高い建物の所。
なので出港するとほんの5分で着いてしまうが、潮風に吹かれるのは気持ちいい。
到着する旗津(チージン)のターミナルはレトロなレンガ造り。
船から降りた人たちは皆まっすぐ前方に伸びるにぎやかな通りに行ってしまうが、こちらはまず船上から見えた灯台まで行ってみようと海沿いに歩いてみた。
土曜日のためか、岸壁には釣り人がいっぱい。対岸の右手には高雄で一番高い85階建てのビルが見える。
ちょっと遠回りしながら、標識の通りに歩いて行くと
普通の住宅の間を抜けて丘の麓に着き、そこから結構急な坂道を上へ。
20分ほどで真っ青な空に映えるかわいらしい高雄灯台に到着。
気温は30℃はないぐらいだがこの日差し、日本との温度差に慣れていないせいもあってもう汗だく。
1883年に建てられたというこの灯台は今も現役とのことだが、1階には小さな展示室がある。
そして外を見回せば
細長い旗津半島と高雄港。
港の出口に西子湾が見える。
この景色を眺めながらしばらく休憩して、
汗が少し治まったらこんな山道を5分ほど歩くと
1875年に清朝によって築かれた旗後砲台に到着。
これはもちろん高雄港の守りとして築かれたものだが、1895年に日本軍に攻められた時には清の司令官がとっとと逃亡してしまったので大砲を5つ放っただけですぐに占領されてしまった、と入口の説明に書いてあった。
ここからは外海に浮かぶたくさんの貨物船が良く見え、
眼下には砂浜も見える。
そこで今度はその砂浜を目指して丘を下って行くと
丘の下に大勢の観光客が通るトンネルを発見。
結構長くて中央辺りでは足元が暗くなるこのトンネル、星空隧道と名付けられて天井には星座が描かれているが、ブラックライトで光るはずのこの星座はほとんど見えない。
しかしトンネルを抜けると脇は高い崖。
眼の前には長い防波堤が伸びていて
人は多いがなかなかいい景色。
トンネルをまた引き返して砂浜に出てみるが
ここは砂が黒いのであまり美しく見えないのが残念。
ビーチの入り口には屋台がたくさん出ていて
その先には海鮮レストランがずらり。
氷の中から頭だけ出した魚がおもしろいが、一人ではこういう所には入れない。
最後はフェリー・ターミナルからも見えた旗後天后宮にお参り。
こちらに祀られている媽祖様は船乗りの守護神だそうなので、拡大解釈して旅の安全をお願い。
細かい彫刻で埋められた中にこの廟の古い写真があったが、英語で「Takao, Hatatu」とあるから日本統治時代のものだろう。廟の前の通りは現在よりもずっと広い。
またフェリーに乗って本土に戻った。
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