博物館めぐりをした翌日は定期観光バスに乗ってバンドゥンに行こうと思っていた。
ところが申し込んでいたホテルのフロントから前日に連絡があり、悪天候のためツアーキャンセルになったとのこと。雨季の西ジャワ、山の方は土砂崩れなども多いらしいが詳細は不明。でもないものはないのだから仕方ない。
と言うことで日曜日はジャカルタの北、コタ地区と呼ばれるエリアに行ってみることにした。
ブロックMからコタまではトランスジャカルタで1本、始発から終点まで乗るだけ。
日曜だから空いているだろうと高をくくっていたらバスは始発から満員、専用レーンを走るとは言え各駅停車なのでコタまで丸1時間かかった。
バスのターミナルは交差点のど真ん中にあり、丸い窓が見える建物は鉄道駅。
周囲にそびえる立派な建物は日本で言えば三菱や三井にあたるような銀行の建物。今は博物館として内部を無料公開しているらしい。
この駅前広場からコタ地区の中心、ファタヒラ広場へ行こうと歩行者専用の小路に入ると
家族連れやカップルですごい人出。
食べ物の屋台を始め、手相見やら携帯釣りゲームやらでにぎわうさまはちょっと台北郊外の淡水みたい。
ファタヒラ広場の正面にそびえるのは1627年、オランダ人によって建てられた市庁舎。今はジャカルタ歴史博物館になっている。
で広場の中もまたすごい人だかり。輪になった中心を覗いてみると、馬の頭とお尻を付けた人を長い鞭で叩いていてその音が広場中に響き渡っている。どういう意味のある見世物なのだろうか。
やがて楽隊を従えてこんな像もやって来た。この日は中国正月の最終日だったのでそれと関係があったのか。
他にも大砲の隣で銅像のふりをしている芸人がいたり、まさにお祭り状態。
広場の周りはワヤン博物館を始め、いかにもヨーロッパ風の建物が取り囲む。
中でもこのカフェ・バタビヤはいい雰囲気だ。
このカフェにも入って見たかったが、まだ着いたばかりなのでもうちょっと散歩することにする。
広場を離れてもヨーロッパ風の建物が多く残っているが、すでに廃墟のようになってしまった物が多いのはもったいない。
やがて淀んで汚い川に突き当たると、そこにオランダ風の跳ね橋がかかっている。
昔はたくさん掛かっていただろう物の最後の一つらしいが、今は観光用として鉄柵で囲まれ、中では雑誌か何かの撮影をしていた。
この先には港と魚市場があるはず、とさらに歩いていくと人気が少なく薄汚い場所に出てしまった。
真昼間だったのが幸い、足早に通り抜けるとまたオランダ風の建物。
おそらくは昔の商品倉庫が今は中華レストランになっていて、そのうちの一軒はその名も「VOC」、東インド会社だ。
さらにその先には海洋博物館があり
いかにも漁師村のようなところに入り込んだ。ここが朝は魚市場なのかな??
家や防波堤に阻まれて港や船も見えない。
ここをうろつく頃にはもう汗だくでヘロヘロ。
なのでカフェ・バタビヤならぬローカルな店で麺をすする人たちに混じってオレンジジュースで生き返る。
ファタヒラ広場まではもう歩く気力も失せたので、10,000ルピア(100円)が高いと知りつつバジャイに乗車。
広場に戻ったところでやっと旧市庁舎の中へ。
天井の高い建物の中は「歴史博物館」と名乗ってはいるが見るべきものもなし。
ただ入り口ロビーにある絞首刑場面に旧植民地の恨みが見える。
広場ではまだ馬の鞭打ちが続いていた。
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ところが申し込んでいたホテルのフロントから前日に連絡があり、悪天候のためツアーキャンセルになったとのこと。雨季の西ジャワ、山の方は土砂崩れなども多いらしいが詳細は不明。でもないものはないのだから仕方ない。
と言うことで日曜日はジャカルタの北、コタ地区と呼ばれるエリアに行ってみることにした。
ブロックMからコタまではトランスジャカルタで1本、始発から終点まで乗るだけ。
日曜だから空いているだろうと高をくくっていたらバスは始発から満員、専用レーンを走るとは言え各駅停車なのでコタまで丸1時間かかった。
バスのターミナルは交差点のど真ん中にあり、丸い窓が見える建物は鉄道駅。
周囲にそびえる立派な建物は日本で言えば三菱や三井にあたるような銀行の建物。今は博物館として内部を無料公開しているらしい。
この駅前広場からコタ地区の中心、ファタヒラ広場へ行こうと歩行者専用の小路に入ると
家族連れやカップルですごい人出。
食べ物の屋台を始め、手相見やら携帯釣りゲームやらでにぎわうさまはちょっと台北郊外の淡水みたい。
ファタヒラ広場の正面にそびえるのは1627年、オランダ人によって建てられた市庁舎。今はジャカルタ歴史博物館になっている。
で広場の中もまたすごい人だかり。輪になった中心を覗いてみると、馬の頭とお尻を付けた人を長い鞭で叩いていてその音が広場中に響き渡っている。どういう意味のある見世物なのだろうか。
やがて楽隊を従えてこんな像もやって来た。この日は中国正月の最終日だったのでそれと関係があったのか。
他にも大砲の隣で銅像のふりをしている芸人がいたり、まさにお祭り状態。
広場の周りはワヤン博物館を始め、いかにもヨーロッパ風の建物が取り囲む。
中でもこのカフェ・バタビヤはいい雰囲気だ。
このカフェにも入って見たかったが、まだ着いたばかりなのでもうちょっと散歩することにする。
広場を離れてもヨーロッパ風の建物が多く残っているが、すでに廃墟のようになってしまった物が多いのはもったいない。
やがて淀んで汚い川に突き当たると、そこにオランダ風の跳ね橋がかかっている。
昔はたくさん掛かっていただろう物の最後の一つらしいが、今は観光用として鉄柵で囲まれ、中では雑誌か何かの撮影をしていた。
この先には港と魚市場があるはず、とさらに歩いていくと人気が少なく薄汚い場所に出てしまった。
真昼間だったのが幸い、足早に通り抜けるとまたオランダ風の建物。
おそらくは昔の商品倉庫が今は中華レストランになっていて、そのうちの一軒はその名も「VOC」、東インド会社だ。
さらにその先には海洋博物館があり
いかにも漁師村のようなところに入り込んだ。ここが朝は魚市場なのかな??
家や防波堤に阻まれて港や船も見えない。
ここをうろつく頃にはもう汗だくでヘロヘロ。
なのでカフェ・バタビヤならぬローカルな店で麺をすする人たちに混じってオレンジジュースで生き返る。
ファタヒラ広場まではもう歩く気力も失せたので、10,000ルピア(100円)が高いと知りつつバジャイに乗車。
広場に戻ったところでやっと旧市庁舎の中へ。
天井の高い建物の中は「歴史博物館」と名乗ってはいるが見るべきものもなし。
ただ入り口ロビーにある絞首刑場面に旧植民地の恨みが見える。
広場ではまだ馬の鞭打ちが続いていた。
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