12月9日
長かったニュージーランド滞在もとうとう最終日。
冷蔵庫の食料を片付け、10時半にチェックアウトをしてスーツケースをフロントに預け、バス・インターチェンジへ。
案内所で確認してバスに乗り、15分ほどの乗車でWestfield Riccartonへ。
アナウンスも表示もないのでグーグル・マップを見ながら降りて、さらに住宅地の中を歩くこと10分。
大きな公園が見えて来たらそれが目指すRiccarton Bush。ここで毎週土曜日の午前中にファーマーズマーケットが開かれているというのでやって来た。
入ってすぐの場所では野菜や卵を売っていていかにもファーマーズマーケットらしいが
その先は軽食や飲み物の屋台が多くて、ブランチ目当てらしい人たちでなかなかの賑わい。
マーケットの真ん中あたりには19世紀末に建てられたRiccarton Houseと言うビクトリア調のお屋敷があって、土曜日以外は内部のガイドツアーもあるらしい。
食べ物屋台はイタリアやらオランダ、インド、韓国など国際色豊かで
日本人の出すお好み焼きなんてものもある。
中でいい匂いがして行列ができていたのがソーセージの屋台。
テントの脇には川が流れて芝生があるので
ここに座って屋台で買ったベーコン・バティなるサンドイッチをいただく。
大きなパンに挟まっているのはほんのわずかの菜っ葉と、あとは大量のベーコンにBBQソースとマスタード。ベーコン・サンドイッチはイギリス人のソウルフードだそうで、大昔、ヴァージン・アトランティックでこれを頼んだら本当にパンにベーコンしか挟まっていないのに驚いたことを思い出した。
お腹を満たしたら街の中心に戻り、閉鎖中のカンタベリー博物館の収蔵品を一部展示しているというCoca Galleryへ。
この小さな建物の2階に上がると
フロアのそのまた半分に本当に少しだけ展示品が並んでいる。
中で興味があったのは南極探検関連の物だけれど
壁に映し出されているのが日本の白瀬探検隊の記録映画なのには驚いた。これ、1912年に撮影された日本最古の長編記録映画だそうで、面白くてしばらく見入ってしまった。
次はすぐ隣のクライストチャーチ・アートギャラリーへ。
前庭に変な彫刻のある美術館の外観は東京の国立新美術館にちょっと似ている。
吹き抜けのロビーの天井からはマオリの伝統的な紐やら椅子やらが下がり
中の展示はゆったりしているけれど、モダンアートはあまりピンと来ない。
大きなギフトショップが一番面白いかも。
と入場無料の博物館2館で時間をつぶしたけれど、今夜の飛行機は20時発なのでまだまだ時間がある。が、この町で他に見たい所もないので
中央図書館1階のカフェでアイスチャイをいただき、後は閉館間際まで座り心地のいい椅子で本を読んで時間つぶしをさせていただいた。
17時にホテル近くのバス停から空港行きのバスに乗り、17時半にはターミナルに到着。
国内線ターミナルは広々としているけれど、18時には数少ない店が次々に閉まってしまってかなり寂しい。
ファーストフード店は何とか開いているので、今夜はお寿司。これとジュースでNZ$20.50とはバカ高いが、すし飯は意外にちゃんとしていてまともだった。
セキュリティ後の待合室も広くて、人がほとんどいないせいもあるが、こんなにゆったりした出発ロビーは初めて。
夕陽の中を飛び立ってオークランドまで1時間半。
到着したオークランドの国内線ターミナルから国際線へはシャトルバスもあるが、歩いてみると
案内の緑のラインは工事現場の横など寂しい所を延々と続いて
10分ほどでやっと到着。
出国したらプライオリティパスで使えるラウンジに行ってみるとここも広々。
そこそこ食べ物もあるがデザートだけいただいて真夜中出発の東京行きに搭乗。
今回も90%は日本人で満席の飛行機で、朝6時45分に成田に帰って来た。
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12月8日
朝食後、宿のすぐ近く、カテドラル・スクエアにあるノボテルの前で待っていると8時45分にツアーの車がやってきた。
毎日一便がアカロアと往復するツアーバス、自分の他に日本人女性の二人組、シンガポールの親子3人など合計9人の乗客を乗せてクライストチャーチを出発。
運転手のおっさんが途中いろいろとガイドをしながら平面に広がる町を抜け
しばらく平たい牧草地を行くうち、やがて大きな汽水湖を過ぎると山が見えてきた。
途中、リトルリバーという所でトイレ休憩。
ここには1888年から1962年までNZ製の機関車が走っていたそうで、駅舎だったという建物の裏にはわずかに線路が残してある。
ここから山を上がって行って、見晴らしのいい所でフォト・ストップ。
目の前に見える湾の向こうにあるのがこれから行くアカロア。風光明媚なこの土地、ガイドの説明によると元々マオリの集落があったが、端的に言えば部族間の争いを利用してヨーロッパ人が乗っ取り、イギリス、フランス、ドイツとそれぞれの町を作ったのだそうだ。
車は山を下ると湾の縁をぐるりと回り、アカロアのイギリス人地区の海辺で停車。
目の前にはビーチがあり
ヨットがたくさん浮かぶ海がきれい。
帰りの時間とピックアップ場所を確認したら後はそれぞれ自由行動。到着したのが11時、戻りは16時だ。
海に面した通りから一つ山側に入ると、大通り沿いに住宅が並び、19世紀末に建てられた木造の建物も見える。
小さな図書館に映画館もかわいい。
海べりにはカフェや土産物屋が何軒か並んでいるので、そのうちのパン屋でケーキとコーヒーを買って一休み。
12時になったら目の前の桟橋を渡って、迎えに来たゴムボートに乗り込む。
今日はこの湾でヨットに乗ろうと予約をしておいたのだ。
こちらが本日のヨット。乗客は自分の他にイギリス人が3人。
モーターで桟橋の近くを離れたら
エンジンを切って帆を上げる。操船をするのはニュージーランド人とタイ人の若いカップル。
大きな帆を広げ、あっちやこっちのロープを引っ張ったり、ヨットの操作は大変そうだが
快晴の空の下、音もなく海を滑るのは何と気持ちのいいことか。
ただしこれはお天気次第、「昨日は雨で寒くて大変だった」とはかわいいタイ人のお嫁さん。
しばらく行くうちにヨットの近くにイルカが寄って来た。
これはヘクターズドルフィンという世界最小のイルカなのだとか。人懐っこいらしく、しばらくヨットの周りを一緒に泳いでくれた。
他にも泳いでいるブルーペンギンがちらりと見えたが、こちらは立って歩いてくれないとなかなか他の海鳥と識別が難しい。
深く切れ込んだ湾の入り口が見えたら引き返して
小さな灯台を見ながら元来た桟橋に戻るまでたっぷり3時間。
今回の旅、本当によく船に乗った。
陸に上がったら海沿いを歩いてイギリス人地区からフランス人地区へ。
通りの表示がRdからRueに変わり、フランス語の店もあるけれど
かわいらしい建物にさほど違いは感じられず、ガイドブックが言うほど「フランス」は感じられない。
小さな教会を2つ見たら観光は終わりだけれど、静かに暮らすにはとても良さそうな所だ。
もう一つの桟橋から砂浜のビーチを見たら
ピックアップ場所でしばらく車を待つ。予約しながら来ないお客さんを待って出発が30分ほど遅れたが
途中のチーズ工場で買い物時間が7分(!)あり
きれいな緑の山を越えて18時にはクライストチャーチに帰り着いた。
今夜は久しぶりに外で食事。宿から5分ほどの所に小さなベトナム料理屋があったので
チキンフォー、NZ$18。
屋台に毛が生えたような店先で食べるにしては高いけれど、久しぶりの汁麺はおいしかった。
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12月7日 続き
クライストチャーチ植物園の正門の向かいにはクラシックな石造りの建物群がある。
門をくぐるとたくさんの建物が中庭を取り囲んでいる、ここは1877年から1976年までカンタベリー大学の校舎として使われていた所。2011年の大地震から修復が進み、現在はショップやギャラリー、イベントスペースとして使われているということなので覗いてみた。
23ある建物のうち3分の2は修復が終わっているそうで、中にはカフェやパブなどもある。
中で印象的なのはGreat Hallとよばれる講堂。
まるで教会のような重厚な造りで、窓のステンドグラスが見事。
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1938年に作られたこの窓は暴力や無知との闘いを表しているとか。たくさんの英国の「英雄」たちの姿があるのを探すのも面白い。
ここを見学している時に友人たちと入ってきた女性はもうすぐここで結婚式を挙げる、と嬉しそうに話していた。
他の建物も借りることができるようだが、覗いてみたショップやギャラリーには正直あまり食指が動かず。
そこで散策を続けると大きな市役所の前にはマオリのトーテムポールが立ち
さらに行くと南極探検で遭難したスコット大佐の真っ白な像が。スコット隊は南極への途上でクライストチャーチにも滞在したので、彫刻家だったスコット夫人に依頼してこの像が作られたのだそうだ。
クライストチャーチの街には壁画がたくさんあって
NZらしい鳥や
人物画なども。
町の中心部ではトラムがたくさん走っている。
お昼もだいぶ回ってお腹が空いてきた。川沿いにレストランの並ぶ一角があるので、そのうちの一軒、中華っぽい店に入ってみた。
Zodiacというこの店、内装が独特で創作アジア料理らしい。
ニュージーランドではとにかく羊、とRoti Lambなる料理を選ぶと、まるでタコスのようなものが出てきて面食らった。
がお肉はしっかりと煮込まれて予想外のおいしさ。ここは当たりだった。
追憶の橋からまっすぐ伸びる繁華街を歩き、
ちょっと脇に入るとリバーサイド・マーケットがある。
最近ヨーロッパによくある古い市場をフードコートに改装したような所で
ちょっとおしゃれなパッケージの食品や、いかにもニュージーランドっぽいケーキ類なども売っているが
当然のごとくラーメンや寿司の日本食もある。しかしラーメン一杯がNZ$18.5とか、高い!
というわけでここでは翌朝のパンだけ買って、
散策の最後は宿のすぐ裏のニュー・リージェント・ストリートへ。
トラムが走り抜け、ゴリラも座るほんの短いカラフルな通りを一往復して、本日の観光は終了。
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12月7日
部屋で朝食を摂ったらクライストチャーチ見学に出発。
玄関を出ると目の前にトラム。
クラシックな姿がかっこいいが、さほど広くない町の中心部を走るだけで1日乗車券が30ドルもする。
というわけで徒歩で歩き回ることにして、アーケードを出ると目の前はいかめしいレンガ造りの建物。
その斜め前にあるのが大聖堂だが、2011年の大地震で大破していまだ修復工事中。
そのすぐ前にチュランガと呼ばれる中央図書館があるので中に入ってみる。
中央に印象的な木の階段がある内部は広々と明るい。
案内表示はまずマオリ語で次が英語。館内にはマオリらしい装飾もある。
館内にはいろいろな国の雑誌も豊富に揃っていて、座る所もいっぱい。
上階のテラスからは大聖堂の修復の様子も良く見える。
図書館の隣は確かコンベンションセンター。
大聖堂の周りをぐるっと一周して東に進むと
この辺りの地震被害がひどかったのか、低層アパートをたくさん建設中で、すでに入居している真新しいテラスハウスも並んでいる。
地震からすでに10年以上も経っているのにまだあちらこちら建設中なのかと驚くが、大聖堂の修復さえ2020年に始まったばかりだそうで、町全体のデザインをじっくり考えてから着工したということなのだろう。
大災害があったらグランドデザインなど考えずにとにかく早く自分の所だけでも再建してしまおうとする日本とは根本的な考え方が違うようだ。
やがて見えてきたのは仮設大聖堂。
もはや追っかけと化している坂茂さんの設計はトレードマークの紙管を多用しているのでカードボード・カセドラルと呼ばれているそうだが、正面の大きな十字架まで紙管とは驚いた。
片隅には地震で亡くなった日本人28人のためのメモリアルもあって思わず合掌。
ロビーには本来の大聖堂のモデルがあったが、この姿に戻るのだろうか。
大聖堂を出たら今度は西に向かい、一番の繁華街に近い追憶の橋を渡ってしばらく行くと
クライストチャーチ植物園に入った。
園内にはエイボン川が流れていて、イギリスっぽい姿の船頭が竿で船を動かしている。
緑一色の園内には控えめな花が多いが
この大きな椅子のモザイクは地震で壊れた陶磁器で作られたそう。
ヘリテージ・ローズを集めた一角は地味で静かだったけれど
しばらく行くといかにも古めかしい温室が見えてきて
こちらの華やかなバラ園内は自分たちの写真を撮る観光客でいっぱい。
こじんまりとした温室内の熱帯植物など眺めてまたしばらく行くと
ガラス張りのビジターセンターがあって、中には大きなギフトショップや日本人ツアー客でいっぱいのレストランがあった。
大きな木が立ち並ぶ園内はとても広くて、天気のいい今日のような日はピクニックに最高。
派手な噴水が見えたらここがゲートで、今回は脇から入って正面に出た形。
ゲート脇のクラシックな建物はカンタベリー博物館。
入ってみたかったが残念ながら2028年まで大改装中とのことで中は見られなかった。
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12月7日
空港に着いたらプレハブ造りのような通路を通ってターミナルへ。
建物のかなり先にバス乗り場があり、ちょうど市内行きが停まっていたので飛び乗る。
運賃は現金払いでNZ$4。
30分でクライストチャーチ中心にあるバス・インターチェンジというターミナルに到着。
クライストチャーチのバスはほぼすべてこのターミナルを通るので便利だ。
オークランドと違い、クライストチャーチの街は平坦なので安心してスーツケースを引っ張って宿へ。
徒歩10分弱でやってきたのはQuest Cathedral Junction Serviced Apartments。
小さな古い建物内のフロントでチェックインすると、お姉さんが外へ案内してくれる。
フロントから角を曲がったアーケード内に目立たない小さな扉があって、その4階が今回の宿。
今度もキッチン付きを予約したのだが、部屋はなかなか広いものの、肝心のキッチンは食器類以外は電子レンジと湯沸かし、トースターだけと肩透かし。
窓の下には小さなアーケードのガラス天井が見える。
時間はすでに19時過ぎ、夕食を調達しようとすぐに外へ。
外扉の内側に「トラムに注意」と警告があるが
それも道理、扉のすぐ外にはトラムの線路が通っているのだ。
宿の名前の通り、ここはトラムの発着所になっていて、その天井がガラス張りというわけ。
アーケードを出て、すでにあまり人通りがない道をまた10分弱。
ちょっと大きめのスーパーへ。
ふざけたポテチの袋に笑いつつ食料を調達して
今夜は部屋でレンチンごはん。
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12月5日
航海の実質最終日は一日海の上。
早朝、最後の鳥撮影をしようと甲板に出ると、気温が明らかに上がっているのがわかる。
今回のクルーズではアホウドリをたくさん見たけれど
顔の白いの黒いの、眉毛があるかないかぐらいしか素人には見分けがつかない。
日中はプレゼンテーションがいくつかあり、スタッフへのチップの清算などしたら夕方にはキャプテンの挨拶があって、最後はフェアウェル・ディナー。
大きなエビやロブスターをいただいて、この船の食事は本当に良かった。
12月6日
船は午前3時半にブラフに入港したので
目覚めると既に港に停泊していた。
最後の朝食をいただいたら7時に大きな荷物を出し、7時半からはニュージーランドへの入国手続きをして、8時半に下船。
行先別の大型バスが待っていて
お世話になったスタッフとお別れ。
船は今夜には次のお客さんたちを乗せてまた出航するのだとか。
小さなブラフの町を出て
また羊だらけの風景の中、来た道を戻る。
途中、Lumsdenという、これも昔は鉄道が通っていた町でトイレ休憩。
ニュージーランドの公衆トイレはどこもきれいだけれど、男女が分かれていないのが日本とは違う。性別があやふやになりつつある昨今、これからはこれがスタンダードになるんじゃないだろうか。
3時間半でクイーンズタウン空港に到着。
すぐにチェックインしたけれど、自分の乗るフライトまでは4時間以上もある。
空港内にはお寿司屋さんもあるけれど
またパタゴニア・チョコレートのアイスクリームなどいただいて
建物の外に出てみると台湾人らしき団体が体操をしていた。この人たち、自由だわ。
オーストラリアへ帰るクルーズ仲間とおしゃべりしているうちに時間になって、やっとクライストチャーチ行きのニュージーランド航空に搭乗。
小さなATR72は満席。
空港を飛び立つと大きなワカティプ湖が見えて
雪山が消え、平らな緑の景色になったら
プロペラ機とはいえ1時間でクライストチャーチに着いてしまった。
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12月4日 続き
船で昼食の後、14時からまたボートを下ろして今度は島へ上陸。
研究者施設の桟橋があるので足を濡らさずに上陸できる。
桟橋の近くにはまた飛べないカモがいた。
この小さいカモは一度この島で絶滅したものを、ネズミの完全駆除の後に他の島から再移植したのだそうだ。
午前中は雪が舞っていたが、午後は日も差して暖かくなった。
桟橋から少し草地を上がって行くと
宿泊棟には「Beeman Cove Hostel」なんて表札がかかり、洗濯物も見えて研究者が駐在しているらしい。
この脇を歩いて行くとやがて木道が現れて
目の前の岩山を見ながらしばらく灌木の中を行くと次第に視界がひらけて
広々となんとも気持ちのいい景色。
枯草色に見える周りの草地の中にもよく見るといろいろな花が咲いていて
他の島でも見かけたなじみの花から
この島固有の花まで。
コケや地衣類だろうか、地面にへばりついた植物も面白い。
長く続く木道を上がって行くとやがて頭上を飛ぶアホウドリが見えてきて
向かいの山腹に白い頭が見えるのはサザンロイヤルアルバトロスの巣。
仲良さげなご夫婦の姿も見える。
風に乗って飛ぶアホウドリの姿はかっこいい。
来た道を折り返して戻ると船に日があたっている。
この島では年間の89%は雨が降るそうなので、今日の午後はかなり天気に恵まれたようだ。
3時間半の上陸を終たら、これで今回のクルーズの船外活動は終了。
お世話になった長靴ともこれでお別れ。
出航した船窓から外を飛び回るマダラフルカモメの写真など撮っているうちに
船は湾を出て島の北へ向かった。
すると外を見ろとの船内放送が入って甲板に出るが、はじめは何を見るのかわからなかった。
近くにいる人の双眼鏡を借りてようやく納得。
崖にびっしり見える白い点々はこの島にしかいないというキャンベル・アルバトロスの大営巣地。
この島にはアホウドリが6種類も生息しているのだとか。
たくさんの鳥たちに見送られて
キャンベル島を離れた。
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12月4日
朝早く、船はニュージーランド領最南端、南緯52度のキャンベル島に到着した。
火山活動によってできたという島。
島の中央に深く入り組んだ湾内に入ると、環境保護のための研究施設が見えた。
朝食後、10時からゴムボートによるクルーズを開始。
早朝は晴れていたのに、出発する頃には雨と粉雪も舞い始め、気温は3℃で今までで一番寒い。
背の高い草に覆われた所が多いが、なにやら大きなピンクの花も見える。
平らな所では19世紀末から1934年まで、植民者が牛や羊を飼おうとしていたのだとか。結局寒すぎて羊は育たず、1970年からは自然保護区として外来生物の駆除に乗り出し、1990年に完全駆除宣言が出たそう。
ボートのすぐ近くにはニュージーランド・アシカ。
岸辺にはカモメの巣やウミウがいっぱい。
草の上に座っていたモフモフは管鼻が見えるからオオフルマカモメのヒナだろう。
長い草の間に目を凝らすと白っぽいアシカが固まっている。
白っぽいのはメス、黒くて大きいのがオスなのでそろそろハーレムを作り出している様子。
縄張り争いもしているのだろう。
「なんじゃ」とにらまれたのでもう船に帰ろう。
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12月2日
前日はマッコーリー島のペンギンを満喫したが、夜になってからどうも悪寒がする。
2,3日前にラウンジに集まった時、すぐ近くのおばさんがいやな咳をしていて、うつされそうな予感があったのだ。
朝になると咳が出始めたので一番下のデッキにある船医の所に行ってみた。
船医は南アフリカから来ている若い女医さん。
体温を測ると37.5℃あって自分としては発熱しているのだが、「平熱ね」と言われてしまったのは白人はアジア人より平均体温が高いためらしい。
それでも簡単に診察をして、2日分の風邪薬と咳止めシロップをくれた。
後で請求書を見るとこれで一万円。
お高いクルーズ保険に入っていたのでなかなか治まらなかった咳のために日本で受診した分も含めて請求したが、診察料高~い。
この日の午前中も前日と同じSandy Bayへの上陸があったが、冷たい雨が降っているし、まったく同じところだというので今回はパス。
昼食も摂らずに部屋でうだうだしているうちに船は島の東岸沿いに南下して
部屋の窓から外を眺めていると大きなペンギン・コロニーがいくつも見える。
キノコか宇宙船のような施設は観測ステーションだろう。
今回は広い個室で良かった。
午後には島の南端に至り、その後は進路を東に向けてオーストラリアの領海を離れた。
12月3日
この日は一日航海日。
まだ少し熱っぽいので、必要なBiosecurity Check以外はプレゼンテーションにもあまり参加せずに部屋でゴロゴロしていた。
食事もあまり摂っていなかったが、夕食はさすがにちょっとお腹が空いてきたので食堂へ。
メニューに「焼うどん」とあるので、これはちょうどいいと頼んでみると
うどんならぬ黒いおそばに野菜炒め。
惜しい、おいしくなかった。
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12月1日 続き
昼食後、船は少し南へ移動してSandy Bayの沖へ停泊し、15時からボートを下ろして島への上陸を開始した。
島に近づくと浜にゴマ粒のようなペンギンたちの姿が見える。
石ころと岩だらけの浜に上がってまずは右手に歩いてみると
背の高いキングペンギンがどんどん増えて
大きなコロニーが見えてきた。
中に丸っこくて茶色い毛皮が見えるのはヒナ。
キングペンギンは南極大陸にいる皇帝ペンギンにそっくりだけれど、ヒナは全く違う姿なのが面白い。フワフワと丸っこいヒナから大人になりかけの情けない姿の子供も見える。
キングペンギンは横になっていると鳥らしいが直立するとやけに人間っぽく見えるのが面白くて
やけに哲学的な顔をしているように見える。
この浜にもミナミゾウアザラシの子供たちがゴロゴロしていて
コロニーの真ん中で大口開けてもペンギンたちはへっちゃら。
体を寄せ合って眠る子供たちはかわいい。
上陸場所から今度は左手に向かうとそちらにもたくさんのペンギンが見えて
手前にいるのはキングペンギンだが、その向こうで群れているのはロイヤルペンギン。
キングペンギンより小柄なロイヤルペンギンはオーストラリアのこの島辺りにしかいない貴重種。
イワトビペンギンのように頭に黄色い羽があるが、顔が白いのが特徴。
人間を恐れることもないが、けんかしちゃだめだよ。
この浜の群れの後ろには階段が作られていて、少し上がった草原の木道に通じている。
草原にいっぱい見えるのはメガハーブの一種。
ここでは花穂が長く伸びてきている。
木道の先には展望台が作られていて、ここに上がると
ロイヤルペンギンの一大コロニー。
周り中ペンギンたちのギャーギャーいう鳴き声でまことににぎやか。
ロイヤルさんたちの頭の金髪は良く目立つ。
コロニーの中では座り込んでいるものもたくさんいて
よく見ると体の下に黒いヒナがいるのが見える。親鳥は餌を獲るのに島から何百キロも離れたところまで遠征するのだそうだ。
いつまでもここでペンギンたちを見ていたいが、展望台は小さいので10分ほどで次の人たちと交替しなければならない。
浜に降りたら足元に一羽、海から上がって来てお互いにびっくり。
さすが、ここは圧巻だった。
2時間半ほどの滞在で名残惜しく島を離れた。
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