歩行者信号
ティラナの歩行者信号はよくある人のシルエットではなく「t」の文字。
しかも信号の柱まで緑や赤に光って、夜は特に目立つ。
この「t」はティラナのtらしく、他の町では普通の人型。
ただし横断歩道が紅白に塗られているのは他の町も同じだった。
ミネラルウォーター
アルバニアはミネラルウォーターが豊富な国で、食事の度に違うメーカーの物が出てくる。
ジロカストラ周辺の山の方へ行くとこれらの瓶詰工場が見えるが、道端には湧き水を汲むところがたくさんある。
こういう所に来ると我らがガイド氏は必ず車を停めて水を汲みに行く。実際こういう所の水の方が瓶詰の水よりおいしいのだ。散々飲んだけれど、一度もお腹を壊したりしなかった。
犬と猫
アルバニアは猫天国。街を歩けばいくらでも猫がいる。
ドライブインのお猫様は当然のように撫でられているし
飲食店の椅子を占拠してもお客も店員もお構いなし。
オフリドの宿の飼い猫は美猫、ジロカストラにはかわいい子ネコもいた。
犬もテスなどでは勝手に出歩いていたけれど
大きな顔の猫に比べてなんだか卑屈な姿。
戦利品
クルヤで買ったフェルトのスリッパにマグネット、柄が気に入ったトレイはベラトで購入。形が残る物はこれだけで、あとはいつもの通り、消え物ばかり。
と言ってもアルバニアのような小国で自国産の物を探すのはなかなか大変。
イチジクのジャムとドライフルーツを固めたものはシュコダル産。水汲み場で蜂蜜の他に買ったのは乾燥したオレガノとセージ、それぞれ一袋100レク(約150円)。アルバニア産のハーブ類は輸出もされているのだとか。
北マケドニア産を探すのも大変だったけれど、繁華街にあった派手なロクム屋。
ほとんどはトルコ産の中、「これはマケドニア産よ」とお姉さんが味見させてくれたものがとてもおいしくてお買い上げ。しかし5つで7€と超高級。
スーパーで見つけたオートミールも一応マケドニア産。
最後の小銭消化のために行ったティラナのスーパー。
左は日本の成城石井のような高級店でほとんど輸入品ばかり。右は庶民的な店で24時間営業。
しかしここにもアルバニア産品はほとんどなくて、スナック菓子はトルコ製、他のパッケージ製品はセルビア産が多かった。このエリアの勢力図がよくわかる感じだが、セルビア製品は実際おいしかった。
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9月29日
アルバニアのパイの朝食もとうとう最後。
ティラナのKotoni Hotelは家庭的で実に気持ちのいいホテルだった。
到着した時に出迎えてくれた運転手さんに送られて空港へ。
大きな空港ではないが、チェックイン・ロビーはたくさんの旅行客でいっぱい。
まだ残っていた現地通貨はイタリア系コンビニでなんとか使い切った。
出発ロビーはワンフロアーで窓が大きく明るい。
旅の初めの方で行ったクルヤの町が滑走路の向こうに見える。
周りには飲食店やデューティーフリー、お土産屋さんなど意外なほどの充実ぶり。しかし土産物屋の値段は「まじか」と言うほど高くて、売る気があるとは思えない。
そこですぐにプライオリティパスで入れるラウンジへ。
入口は本当にここでいいのかと疑うような地味さだが、入ってみればおしゃれな内装で人も少なく静か。
食べるものも結構豊富で、マウンテンティーがあるのもいい。
機内ではスナックしか出ないとわかっているので豆のスープとチョコレートケーキをいただいておいた。
11:30予定のITA Airwaysは15分遅れで出発。
アドリア海を一跨ぎすればすぐにイタリア、1時間25分でローマに到着。
さて、次のソウル行きまでには7時間もある。どうせ乗り継ぎのために一度入国しなければならないので、荷物を預けて近場に遊びに行くことにした。
ところがローマの空港、荷物預けの場所がわかりにくい。ネットで事前に見ていたのでわかったが、一度外に出て別の入り口から入りなおさないとたどり着けないなんて、どうしてこんな作りになっているのだろう。
が、どうにか荷物一つを10€で預けて、次は空港鉄道の駅へ。
ここからすぐ隣の駅にあるショッピングセンターへ行こうと思うのだが、券売機の前には長い列、しかもみんなうまく行かなくて戸惑っている。こういう機械には慣れているはずの我が同胞でさえ使えないのだからこれは無理、と判断してこれまた列の出来ている有人窓口へ。
こちらではすぐに切符を買えたが、たった一駅の乗車がなんと8€(約1200円)!どうやらゾーン制のようで、おそらくローマ中心部まで行っても同じ値段なのだろうが高~い!
すぐに出発する列車に乗って、10分ほどで最初の駅、Parco Leonardoで下車。
こちら、まわりはがらんとした中に駅前にはビジネスホテルやショッピングモール、マンションなどが立ち並ぶ新興住宅地らしい。
すぐ駅に繋がるモールに入って
ジェラートを食べて一息。
周りには日曜のためか中学生ぐらいの子供たちがいっぱい。日本の地方都市のイオンモールみたいだ。
ショッピングモールとは言え、円安日本人ではスーパーぐらいでしか買い物はできない。
大きいわりにあまり品揃えの良くない安売りスーパーだったけれど、お目当てのチーズは買えて、これがさすがにおいしくて安かった。
それでは早めに空港へ帰ろうと駅に戻ると、ここは当然のように無人で券売機しかない。
と、この券売機がまたダメで現金もカードも使えない。無賃乗車にはやたらに罰金の高いヨーロッパだけれど、カードも使えなかったというレシートがあるからなんとかなるだろうと空港に戻ると、こちらの改札は素通りだった。結局片道運賃で往復したことになるが、それでもこの運賃は高すぎる。そして機械類がすべてポンコツのイタリア、この国は大丈夫なのだろうか。
空港ではすごい数の中国人をかき分けてチェックイン、広いけれどわさわさして食べるものもあまりないプラザプレミアム・ラウンジでまた2時間ほど過ごし、暗くなってから無事にアシアナ航空に搭乗。
仁川空港ではおなじみの王様の行列を眺めながら
ラウンジで友人と辛ラーメンを味見。周り中でズルズルやられるとやっぱり食べたくなっちゃう。
羽田空港には21時過ぎに到着。家には真夜中に着いた。
乗り継ぎは面倒だけれど、時間がたっぷりあればこれもまた楽しい。
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9月28日 続き
ナウム修道院を出るとすぐにアルバニアとの国境。
小さな検問所で、北マケドニアに入国した時以上に簡単に国境通過。
少し行くとポグラデツと言う町があるが、その手前のビーチで少し駐車。
人の姿もほとんどない静かなビーチだが、この裏には大きな公園がある。
オフリド湖につながる大きな池があり、ボートに乗る人やピクニックを楽しむ家族連れでなかなかの賑わい。
ここはドリロンといって国立公園だそう。ガイド氏が子供の頃から来ていた所ということで紹介してくれたかったらしい。
ポグラデツの町では友人がカバンのロックを買いたいということで少し街歩き。
この町はオフリド湖のアルバニア側リゾートということで湖畔には大きなホテルやカフェがあるが
ちょっと中に入ればごく庶民的な商店街があって
たくさんのチーズやナッツ類、敷物屋が普段の生活を垣間見られるようで楽しい。
湖畔には薔薇でいっぱいの公園があって、ベンチには詩が書かれている。帽子をかぶり湖を眺めているのがこの町自慢のポラデシという詩人。アルバニア人は詩が好きらしい。
プロムナードや噴水もある湖畔だけれど、マケドニア側に比べると外人観光客の姿もなく、実に静かなリゾート。
オフリドの町は見どころ満載だったけれど、こちら側でのんびりするのもいいかもしれない。
湖畔に点在する町を眺めながら北上してオフリド湖を完全に一周した。
湖を離れたらエルバサンの町へ向かい、その郊外のレストランでお昼ご飯。
ここもガイド氏行きつけらしく、小川沿いのテラスが気持ちいい。
本日いただいたのは羊の肉やレバーをリコッタチーズで煮込んだ料理。タフコーシと似ているがあちらはヨーグルトで煮込んでいるのでちょっと違う。赤いソースがかかっているが辛くはない。焼いたチーズはガイド氏のおすすめ、キュキュッとした歯触りはギリシャのチーズに似ている。
これまで2度ほど通り過ぎたエルバサンの町中を今日はちょっとだけ観光。
町の中心にはオスマントルコ時代の城壁が残り、中を歩くと石畳の道。
王のモスクと呼ばれるこちらは1492年に建てられたアルバニアでは一番古いモスクなのだそうだ。
この町では行きたい所があったので観光はこれだけで切りあげ、すぐに郊外へ。
町を出て15分ほど、周りには何もない田舎道を走ってやって来たのはHotel Iliria。ネットでアルバニアの温泉を探していた所こちらを見つけ、HPを見ると立派なスパらしかったので来てみたのだが、駐車場に入ってもそれらしい建物は見えない。ただし強烈な硫黄の匂いがして、管理人らしきおじさんが来たので5€を払うと、物置小屋のような中で着替えるよう言われた。
そしてその先には確かにプールがあって、ここが匂いの元。
ワクワクと入ってみれば温泉はエメラルドグリーンで日本の国見温泉にそっくり。
湯面に膜が張っている所もそっくりながら、こちらは36℃の長湯仕様。大人気だったぺルメット温泉よりずっと温泉らしくて、わざわざここまで来た甲斐があった!
プールに入っているのは地元の年配者ばかり。
ガイド氏はこの温泉を知らなかったが、ここで偶然お母さんの知り合いを見つけ、ここは療養にいいとお勧めされたので次回は両親を連れてきたいとか。
ここでラッコちゃんとはしゃいでいた自分、変な犬の形のカメラで写真を撮っている、と話題になっていたそうな(笑)。みなさんの退屈しのぎに一役買えたかも。
強烈な温泉臭をプール脇のシャワーで流したら、ティラナまでは50分。
3たび舞い戻ったホテルに到着して、ずっとお世話になったガイド氏とお別れ。この方、ツーと言えばカーとこちらの意図を察してくれ、細かく気配りしてくれる本当にいいガイドさんだった。アルバニアのこともいろいろ教えてもらえて、初めての国でガイドはありがたい。
さて、アルバニアもとうとう最後の夜。
グーグルマップにある郷土料理屋を目指すも、あるはずの所に店はなく、仕方ないので近くにあった魚料理屋に入ってみた。
地下に降りるのでちょっと不安だったが、入ってみればこじんまりといい感じで、ローカルの親父さんたちが酒盛りをしている。
あまり英語が得意ではないウェイター氏から「うちの看板メニュー」と勧められた一皿と魚のミックスグリルを頼むと
陶器に入って来たのは濃厚なクリーム。中にはとても小さなエビがいっぱいで、ちょっと不思議な食感と味だけれど確かに慣れると癖になりそうな料理。
魚の方は左右が違う魚で、どちらも塩加減よくおいしい。アルバニア人は魚の食べ方を知っている。
今回の旅、食事は7勝4敗と言った所。最後は外さなくてよかった。
食後は残った現地通貨を使い果たすべくスーパーへ。
周辺のブロク地区は東京で言えば青山や六本木のようなエリアらしく、土曜日のこの夜、カフェやレストランはおしゃれした若い子たちでいっぱいだった。
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9月28日
今日もどピーカンのいいお天気。
昨日は食べられなかった朝食をしっかり摂ってホテルをチェックアウト。
車を停められない路地で待ち合わせしていたので早めに行って待っていると、約束の時間ぴったりに来たガイド氏、「時間厳守だね」と喜ぶ。「日本人だからね」と言うと、「イタリア人の場合には9時とか言えない。9時頃が精いっぱい」と笑う。
オフリドの町を出たら湖沿いの道を南へ。
途中、湖に浮かんでいるのは3,000年ほど前にこの辺りにあった水上生活村の復元だそうだ。
1時間で聖ナウム修道院に到着。
オフリドでも一番の観光地とあって駐車場は大型バスなどでいっぱい。
門をくぐって少し行くと左手には浅いけれどとてもきれいな池が広がっている。
この奥には泉があって、そこまで行く観光ボートもある。
さらに行くとほにゃ~とした銅像があるが、これがこれから行く修道院を始めた聖ナウム。ブルガリア王国時代の人で、聖クレメントと共にキリル文字を作ったとされている。
ここから少し坂を上って門を二つくぐる。
後の門の上は今はホテル。正面の白い建物ともども以前は修道士の宿舎だったそう。
そして庭の中央に建つのが聖ナウムの教会。
入口で150ディナールを支払って中に入ると
壁一面フレスコで素敵すぎる!
聖ナウムがこの修道院を創建したのは905年だがその後何度か破壊され、現在の建物とフレスコは16世紀のものとか。
奥のイコノスタシスの彫刻も見事で、天井ドームの天使がかわいい。
入口ホールからは右手に小さなお堂があって、ここが聖ナウムのお墓らしく、熱心にお参りする人たちが。
教会内は撮影禁止と聞いていたが、周り中スマホで撮影しまくっていてお咎めもないようなのでこちらも撮らせていただいた。カメラはだめだけれどスマホはいいというのが多くの場所で通例になっているようで、ありがたいといえばありがたい。
側面に回ると教会の造りがよくわかり、この前はテラス。
きれいな水の向こうに見える町はアルバニアだ。
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9月27日 続き
St. John of Kaneo 教会から背後の丘を登って行く。
意外な急坂は途中から林の中に入って、視界が開けると大きな白い建物が見えた。
ここはどうもSt. Clement という大学らしい。
これを過ぎると丘の頂上に立つオフリド城塞にたどり着く。
入るのには入場料が必要、城壁の中には何もないが
城壁の上から湖や市街地を見下ろせるのだから、やはりここに来ないわけにはいかない。
城塞が築かれたのは10世紀、市街にたくさんある教会の多くはビザンチン時代の13世紀頃の物、そして少し丘を下ると今度はローマ時代の古代劇場が見えてきた。
この町の歴史がいかに重層的かがよくわかる。今ここで記念撮影をしている団体は中国人だ。
ここから少し東にあるのは大きな Holy Mary Perybleptos 教会。
1295年創建のこちら、中のフレスコがきれいなのだが撮影禁止、なので画像はネットから拝借した。
教会の入り口にはパトカーが停まっていたが別に止められることもなかったので中に入ると、なにやらタカビーな女性が教会の人と打ち合わせ中。この後、例のハンガリーの首相がここを訪れたらしい。
教会の前からは先ほどまでいた城塞が良く見える。
敷地内にはイコンの美術館もあって、普通なら入る所だがもう疲れたし、おなかも空いているので今回はパス。
階段を下って湖畔近くにたくさんあるピザ屋の一軒へ。
アルバニアも北マケドニアもピザ屋がたくさんあるが、ここは可もなし不可もなし。
食事の後は2時間ほどホテルに戻ってお昼寝。
夕方、陽が傾いてからまたちょっと街の散策へ。
ホテルの前の坂をちょっと上がってみると、犬がぎゃんぎゃん吠える小さな教会があった。
St. Nicholas of Wonderworks という素敵な名前のこちら、管理人のおばさんが犬を押さえてくれたので入ってみた。
すると小さいながらここにも素朴なフレスコ画が残る。
最初は「写真禁止」と言っていた管理人、我々が日本人だとわかると「日本人、大好きなの!いくら写真撮ってもいいわよ」と大歓迎。入場料も取らなかったのは最初から無料なのかどうかよくわからないが、日本人の評価が高いのは実にありがたい。その名を傷つけないようにせねば。
教会を出る頃には丘のこちら側の家々はもう陰に沈んできた。
城塞の上の北マケドニア旗だけが明るく陽を受けている。
そこで湖畔まで下ると
サンセットクルーズに乗り込む観光客がいっぱい。これを見送って湖に沈む夕日を眺めた。
湖畔からは朝も通ったメインストリートへ。
この町にはアクセサリー屋がとても多くて、この通りにもいっぱい。というのもここにはオフリド・パールと言う特産があるから。パールと言っても貝の中で育てる真珠ではなく、貝殻粉末と魚のうろこを使って作るとか。なので値段はかなりお手ごろ。
スーパーを覗くとちゃんとマケドニア製品のコーナーができているのは気が利いている。
その多くは瓶詰なのだが
城から下りてくる途中では庭先でパプリカを炭火焼きして瓶詰を作っている人を見かけていた。このおばちゃんから一つ買えばよかった。
お菓子屋さんに並んでいるのはロクムやバクラヴァの類。
北マケドニアはアルバニアよりもトルコの影響が強く残っているように感じる。
さて、そろそろ夕食、と昼間目を付けていたレストランに行ってみると予約でいっぱいだと言う。
メインストリート沿いはカフェばかり、そこで仕方なくホテル近くの別のレストランへ。
伝統的建物の中で内装も雰囲気がいいのだが
ナスの詰め物は予想とはだいぶ違うもの。メインは地元料理らしいものがなくてシュニッツェルになってしまい、マケドニアの食事はちょっと残念だった。
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9月27日
朝、部屋のベランダからの眺め。
雲一つない、最高のお天気。
朝食をとるため、宿泊している建物を出て隣の建物の扉を開ける。
このホテルはワイナリーを経営していて、半地下のこの食堂の奥はワインセラーになっている。
野菜やチーズなどの他に卵料理も作ってもらえるが、昨晩はちょっとお腹の調子がよくなかったのでケーキをほんのちょっとだけいただくことにした。
商店が開き始める時間を待って街歩きに出発。
まずは昨晩も来た湖畔の広場へ。
ここから真っすぐ、一番の繁華街になるメインストリートが伸びている。
まずは両替屋で北マケドニアの通貨、ディナールを入手。
観光地であるオフリドでは大抵の支払いはユーロで大丈夫だが、教会の入場料に必要かと少し両替しておいた。
1€=60ディナール。
とてもきれいな図柄。この国ではキリル文字になる。
メインストリートの先も広場になっていて、左手上方にはキリスト教会。
右手にはモスクがある。
ショッピングストリートの視察を終えたら旧市街に突入。
まずやって来たのは小さな St. Bogorodica Bolnichka 教会。
入口を入ると銭湯の番台のようなブースがあって、ここで入場料50ディナールをお支払い。
小さな堂内正面のイコノスタシスは1833年に作られたものだが、壁面のフレスコ画は1368年に描かれたもの。
入口を入ってすぐの壁にもフレスコがいっぱい、修復作業もしている様子。
オフリドの教会入口にはどこも英語の説明があるのがありがたい。
この教会から細い路地を挟んだ斜め向かいには St. Nicola Bolonichka 教会。
こちらは先の教会よりちょっと古く1313年の建立。フレスコの状態はこちらの方が若干いい。
先の教会のおばさんがこちらも管理していて料金徴収、最初は「写真禁止」と言っていたのが「3枚までOK」になって、我々がおとなしく熱心に見ていたためかその後はいくら撮っても何も言わなくなった。
我々の見学が終わると「両方見るのは大変なのよ」とでも言っていたのだろう、ブツブツ言いながら前の教会に戻って行った。
次に入ったのは Robovi Family House。1864年、この地の豪商が建てた家が今は国立の博物館になっている。
入ってすぐの1階にはなぜかローマ時代の石柱などが並んでいるが、2階から上は19世紀のお屋敷。
細かな木彫りはこの地方の特産らしい。
博物館の少し先、一番観光客が多くいたのは St. Sofia Cathedral。
11世紀建立の大きな教会内には古いフレスコが残るが写真撮影禁止。
裏から側面に回ると大きさがよくわかる、威厳のある造り。
この少し先で湖岸の建物はなくなって、その先は水上を歩く木道になっている。
湖水は緑がかっているが澄んでいて、石のビーチではまだ泳ぐ人たちも結構いる。
ここは標高690mもあり、湖の水深は深い所で288m、ヨーロッパで一番古い湖なのだとか。
ビーチを過ぎるとその先の小高い岩の上に小さな教会が見える。
St. John of Kaneo 教会は13世紀末に建てられたもの。
小さな教会はこの裏の崖から見下ろす景観こそが有名。
天気のおかげで観光ポスターのような写真が撮れた。
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9月26日 続き
ベラトを出発し、まずは北へ向かう。
町を出てすぐに目に付いたのは交差点に置かれた古いミグ戦闘機。
この脇の広い敷地はアルバニアがソ連と仲良くしていた頃に作られた空軍基地で、それが今はNATOの基地になっている。アルバニアが2009年からNATOに加盟しているとは、不勉強にして全く知らなかったので驚いた。
その少し先に行くと小さな油井のやぐらがたくさん並んでいる所があった。
ここでは原油が採れる、が国内に精製施設がないのが問題とのこと。
オリーブ畑の続く中をしばらく行くと交通の要衝、エルバサンが近づいてきて
今度は大きな工場が見えてきた。これは中国と仲良くしていた時代に作られた鉄工所。が今はほんのわずかに民間企業が操業しているだけでほとんどは廃墟なのだとか。
アルバニアには鉱物資源などもあるがインフラが整っていないので活用できず、政治が腐敗しまくっているので有能な人材はみんな海外に行ってしまう、なんのための民主化だったのか、とガイド氏は嘆く。
時間はもう2時。なかなかランチ休憩にならないな、と思っていたらエルバサンの外のレストランに停まった。
車がたくさん停まっていて、広い店内にお客さんは少ないが、天気がいいのでテラスはいっぱい。
ここはビーフステーキで人気の店だそうで、なるほど、ここに来たかったのでお昼が遅くなったのか。
ということでガイド氏おすすめのTボーンステーキとピラフを注文。ステーキは脂身がなくて、ちょっと硬いがおいしい。ピラフにヨーグルトをかけると、「君も立派なアルバニア人になったね」とガイド氏ご満悦。この一皿が500レク(約800円)。
エルバサンを過ぎたら東へ向かう。
緑の山が続いてその中を線路が走っているが、今は列車は通っていない。
やがて道は山を登り始めて、とてもいい景色。
1000mを越える峠を過ぎた所でガイド氏は車を停めて何やら支払いをした。聞くとこれから北マケドニアに入る、するとアルバニアの車保険が効かなくなるので、ここで短期の保険に入るのだそうだ。
やがて右手に湖が見えてきた。これがアルバニアと北マケドニアの国境にあるオフリド湖。
すぐに国境の検問所があったが、車を降りることもなくパスポートを見せるだけ、10分もかからずに通過した。
ここを過ぎたら湖の北を回って東側にあるオフリドの町に入る。
が、町の手前にはパトカーがたくさん停まって脇道に入るよう指示され遠回り。後で聞くとちょうどハンガリーの首相が来ていたせいとのこと。
さらに旧市街に入ると狭い道が入り組んでわかりにくい。散々迷ってようやくホテルへの道にたどり着いたが、急坂の途中にあるホテルへは車が入れなくて、石畳を大荷物を引きずって入ることになった。
中も階段しかなくて苦労したが
部屋の外には小さなベランダがあって
赤い屋根の向こうにオフリド湖が見える。
すぐ下には石造りの小さな教会、急な坂はさらに上へ伸びて、いかにもオフリドの旧市街らしい。
ホテルに着いたのが夕方5時、一息入れているうちに日が暮れてきた。
そこで夕食を探しに行こうと暗くなった町へ。
石畳の続く街にはトルコ式に上へ行くにしたがって張り出す建物が並んで、それを模した街灯はどこか日本の提灯っぽい。
ホテルから遠くない所に伝統料理をうたうレストランがあったので本日はここ。
アルバニアで出される無料のパンは普通の食パン型が多かったが、ホームメードというここのパンはアツアツ、ムッチリですごくおいしい。
ピーマンの肉詰めだけではちょっと物足りなかったのでバクラヴァを頼むと3つも来てしまったが、これもおいしく完食。支払いはユーロでOK、21€。
食後に湖畔に出てみると、広場にはカフェがいくつもあって外でくつろぐ観光客がいっぱい。
しかしベラトのようにやかましいこともなく、にぎやかだけれど落ち着いた感じ。
が、湖から吹いてくる風は冷たくて寒い。
早くホテルに帰ろう。
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9月26日
ホテルのベランダから見る朝のベラト。
ホテルは旧市街の端にあるので新市街側も見える。
1階にあるレストランはテラスもあってなかなかいい雰囲気。
朝食のセットメニューはパンにシリアル、クレープにフルーツ、さらにオムレツまで来てすごいボリューム。
朝食を済ませたら朝のベラト散策へ。
ホテルのある路地から出るとオスマントルコ時代のパシャの宮殿の一部が残っていて、角を曲がると小さなモスク。独身者の寄進によるモスクとか。
その先にあるのが昨晩はやかましかったマンガレム地区だが、朝の光で見ると白い壁でおとなしく見える(笑)。
まずは対岸から歩こうと、2002年に作られたという割にはグラグラする橋を渡ってゴリカ地区へ。
こちら側は山の影でまだ日が差さず、石壁に囲まれた石畳の町は歩く人も少なくてとても静か。
ホテルになっているお屋敷があったり、窓から猫が顔を出していたり、朝の散歩にぴったり。
地図に教会があったので行ってみる。ゴリカ地区の上の方にある聖スピリドン教会。
扉が閉まっていたので中を覗いただけだが、正面のアーチがいい雰囲気。
坂を降りたら石橋を渡ってマンガレム地区へ。
目の前にそびえる岩山のてっぺんに城壁が見え、岩壁の途中にはどうやって行くのか、教会も見える。
マンガレム地区の家並みの中に入って行くと、こちらの方が坂は急で家々の間の道も狭い。
中には両腕をいっぱいに開けないような通路もあって、この中をフラフラ歩くのは楽しい。
見晴らしのいい所へ出れば新市街方面も一望できる。
2時間ほど旧市街の散歩を楽しんで10時半にホテルをチェックアウト、ガイド氏の車で山の上の城塞へ。
この城塞は紀元前2300年前から存在しているそうで、全長1キロ以上あるという城壁内はいくつもの教会やモスク、人家もいまだに100軒以上あるという一つの町になっている。
城壁内に車を停めて、まず向かったのは18世紀に作られた聖ニコラス聖堂。
外からはそれほど大きく見えないが、中は立派で正面のイコノスタシスも見事。
この裏に回った所にはフレスコ画も残っている。
さらに聖堂の奥はオヌフリ美術館になっていて、見事なイコンがいっぱい。
オヌフリとはアルバニア一の名人と言われる16世紀のイコン画家で、一番右がその作品の一枚だが、鮮やかな赤色は彼以外には出せないのだそうだ。
人家やカフェなどある道を通って次に入ったのは16世紀の聖ニコラス教会。
ここは壁両面がフレスコ画でびっしり。
大きな頭(誰だか忘れてしまった)の上に建つのは城壁内に残る中で一番古い13世紀の教会。
こちらのフレスコ画はオヌフリの息子によるものとか。
ガイド氏が一番好きだと言うのは14世紀の聖三位教会。
こちらにはビザンツ様式のフレスコが残る。
この教会の上からの景色もみごとだけれど、さらにその先の展望テラスに上がると
下を流れるオスム川の対岸、ゴリカ地区の家々を上から見下ろせ
新市街の先まで見える。
昨晩着いた時にはちょっとがっかりしたベラトだけれど、昼間歩いてみるとしっとりと静かで、城塞内の教会も素敵だった。
印象が悪いままで終わらなくてよかった!
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9月25日 続き
昼食を終えたらテペレーナの近くの橋で川を渡り東へ向かう。
道の両側に山が迫り、いい景色だ。
川に沿ってしばらく行くと対岸にペルメットの街が見えるが、これを過ぎてさらに脇道に入って行く。
昼食を摂ってから2時間、川岸を浚渫しているような所に来るとたくさんの車が停まっていて、
その先のかっこいい石橋付近には水着姿の人がたくさん見える。
橋に上がってみればすぐ下には小さな浴槽、少し先には大きな浴槽が見えて、これぞ目指していたパルミット温泉。
ガイド氏も家族とよく来ると言う通り、思っていた以上に人気があるようだ。
周りには小屋の一つもなく、皆さん岩陰などで着替えているが、こちらは服の下に水着を着てきたので早速大きな浴槽の方へ。
水色の湯はにごって底が見えないが1mほどあるだろうか。駐車場に降りた時にはわずかに硫黄の匂いがしたが、入ってみると匂いはあまり感じず、持参したラッコちゃんによると水温は29℃。温泉というより温水プール。
この大きな浴槽は一番人気で人が多いが、そのためか底はヌルヌル、濁りも温泉成分のためというよりお湯がなまっている感じであまり気持ち良くない。
そこで川のそばの小さくて浅い所に入ってみると
細かい砂の間からぬるいお湯が湧き出しているのがわかる。が、ここはあまりにも浅くて
結局橋のたもとの浴槽が一番気持ちよく、ここに落ち着いたが、こちらも水温は29℃で日本人的には物足りない。
川の上流はLengorica渓谷といってハイキングができる様子。
ここは暑い時に来て一日のんびりする所だろう。
ということで我々は1時間で切り上げたが、周りにはアルバニア人だけではなく外国人もたくさん来ているようで、こんな辺鄙な所なのに、とまた驚いた。
来た道を戻るとガイド氏はぺルメットの町の中心に車を入れてくれた。
この町のことは全く知らなかったが、ここから東へ向かう道の景色がとてもいいそうで、実際大型バスでドイツ人のツアーも来ていた。ジャムが特産だそうだが、残念ながらお店は既に閉店。
川のほとりには大きな岩のそそり立つぺルメットは花の町として現在売り出し中とのこと。
この近所に住むガイド氏はもっとこの町を案内したかったようだが、遅くなるので出発。
針路を北にとり、3時間でもう暗くなったベラトの町に到着した。
ベラトは斜面に家々が立ち並ぶ千の窓の町として世界遺産になっているが、到着してみると普通のアパートなどがたくさんある新市街がずっと広がっている大きな町で、静かな村を想像していたこちらはまたまたびっくり。
今日はなにかと予想外が続く日だ。
それでも宿は旧市街にあるいい雰囲気の建物。
最上階の大きな部屋にベッドをもう一つ入れてもらった。
とりあえず夕食を摂りに行こうと外へ。
するとなるほど斜面に家が並んでいるが、音楽がガンガン鳴ってやかましい。
そこで少し脇道に入ってみるといかにも家族経営らしいアルバニア料理のレストランがあったのでそちらへ。
Pispiliはほうれん草がいっぱい入った卵焼き。イランでハーブがいっぱい入った卵焼きを食べた、それに似ている。
Qofte Shtepieは素朴なハンバーグ。いかにも家庭料理と言う感じ。
食後は川沿いを散歩してみる。
ベラトの旧市街は中央を川が流れていて、対岸のゴリカ地区を見ながら趣のある石橋を渡り
にぎやかなマンガレム地区を見ながらこちらは趣きのない電飾の橋を渡って戻ってきた。
マンガレム地区の斜面にも少し入ってみると
ここが騒音の元だったか、大音量のライブをやっているバーがあった。
ここもまた想像と違ったけれど、明日改めて町を散歩してみよう。
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9月25日
今日もテラスでおしゃれな朝食をいただき、
チェックアウトをすると宿のオーナーがお土産として自家製のオリーブオイルをくれた。
この宿、部屋もロケーションも良く、無料で洗濯もしてくれて言うことなし。最初の晩のレストランのおすすめだけが残念だった(笑)。
今日は昨日とは打って変わって朝からの晴天。
ヒマラを出て少し行った高台でガイド氏が車を停めてくれた。
とてもきれいなビーチのある湾だけれど、よく見ると右手にトンネルがある。
共産党時代、ここは潜水艦の秘密基地だったのだとか。
何隻の潜水艦を持っていたのか、現在はもちろん一隻もない。
そのまた少し先にはわずかの砂洲でつながった島があって、高い所に城というか要塞が見える。
19世紀の初めにこのエリアを支配していたアリ・パシャが作った城とのこと。
一昨日来た道をサランダに向かって戻って行くが、アップダウンを繰り返しながらカーブを曲がるたびに山の上には古くからの集落が見え
眼下には良さげなビーチがいくつも現れる。
いきなり羊の群れに囲まれることもある楽しい道だ。
サランダを過ぎたら内陸に入り、出発から1時間半ほどで最初の目的地、ブルーアイに到着。
北のテスにもブルーアイがあったが、元々はこのサランダ近郊のブルーアイの方が有名。
田舎道をしばらく行った所にあり、周りには何もない、とネットで見ていたが来てみてびっくり。
広い駐車場には車がびっしり、大きな観光バスもいるし、入場料0.5レクが必要になって入り口には列ができているではないか。
入場ゲートを入るとすぐに大きな池にかかる橋を渡る。
ここからブルーアイまでは2kmあるが
歩きたくない人には真っ赤な汽車が走っているし、電動バイクのレンタルもある。道は完全に整備されて、少しののぼりだが誰でも歩ける。
やがて小川を渡る小さな橋が現れて、さすがにここには「ブルーアイまで30m」とわかりやすい看板。
と、きれいに澄んだ水の池があって、大勢の人が群がるテラスに上がって覗き込むと
真っ青な水が底から湧き上がってきているのがよくわかる。
この水の湧き口はとても深くて、潜水調査をしてもよくわからないとか。
陽の光が差したブルーアイは本当にうっとりするような色で、人の多さには驚いたが、やっぱりこちらにも来て良かった。
ここを出たらジロカストラの町を通り過ぎ、先日蜂蜜を買った所でランチ休憩。
建物の下を湧き水が流れるレストランのテラス席に座るとその脇を水が流れていて涼しくてきれい。
メニューはガイド氏おすすめの子牛肉のシチュー。優しい味でとてもおいしく、パンは無料で付いてくるがガイド氏は必ずピラフとそれにかけるヨーグルトも頼む。ガイド氏、なかなかのグルメらしく、昼食場所は安くておいしい所を選んでくれる。ここは3人で1400レク(約2250円)、普通の食事はこんな値段らしい。
店の前には蜂蜜と大量のハーブが売られていた。
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