7月9日 続き
市場の見学を終えたらクタイシの街を出て、まずは西へ。
不思議なドームが見えて、さらに行くと空港が見えた。この空港、LCCが多く飛来する国際空港なのだそうだ。
少し郊外に出ると一軒家ばかりになるが
この辺りの家はみな高床式になって外階段が付いている。この土地は湿気が多いのでこのような造りになっているのだとか。
家の周りに見える黄色いパイプはガス管。以前もコーカサス中で見たが、地下に埋めるよりもこの方が問題があった時に修理が簡単で安全との説明に納得するようなしないような。
道は鉄道線路と付かず離れず進むが、この線路は黒海沿岸、ジョージア第三の都市、バトゥミに続いている。
しばらく行った所で進路を北に変え、スグディディという町に入ってお昼。
冷製のビーフサラダにポーク、たっぷりのクリームソースの中はチキンとお肉三昧。
朝は晴れ間も見えたのだが、どんどん雲が増えてこの街でとうとう雨になってしまった。
ここまでは大きなバスだったが、この先は山道ということで4WDに乗り換え。車はすべて三菱のパジェロだ。
スグディディを出てしばらくすると山道に入り、やがて左手にきれいな緑の湖水が見えてきた。
これはエングリ川がダムによってせき止められたダム湖。
この湖に沿ってくねくねとした道を進むと
道沿いのカーブには蜜蜂の巣箱がいっぱい並んでいる。
両側は高い山だが、今日は雲が低くて見るものもない。
スグディディを出て3時間半で本日の宿泊地、標高1500mのメスティアに到着。
宿は街の中心からはちょっとはずれたこちら。
ちょっと下に見える街の中にはこの地方名物の塔がいくつも見える。
きれいな部屋には小さなベランダが付いていて
もう夕方の6時を回っているので牛さんたちが自ら家路についているのが見えた。
夕食は1階の食堂でビュッフェ。
デザートは天敵のスイカだけれど、甘くておいしかったらしい。
暗くなってから外を見ると塔がライトアップされていた。
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7月9日
手作り風のものの多いホテルの朝食。
とうもろこしパンがどっしりしておいしい。
チェックアウトしたら高台にあるホテルからリオニ川を渡って街の中心へ。
まわりを劇場など立派な建物で囲まれた広場の中央にあるのはコルキスの噴水。
金色の馬や山羊などたくさんの像が並んでいるが、これらはこの街の周辺から出土した古代の黄金製品を象った物とのこと。この地域では昔砂金が取れ、その採集に羊毛を使ったのがギリシャ神話の金の羊毛伝説の元になったという説明に深く納得。
噴水から歩いてすぐ。
この小さな門を入るとそこはクタイシの市場。
広い野菜売り場にはほぼ毎食出る立派なマッシュルームも見えるし
ハーブ類も文字通りてんこ盛り。
果物も豊富で、特にサクランボや桃類が旬のよう。かご売りのラズベリーはジャムにするのだろう。
添乗員がメロンとスイカを買ってくれたが、スイカは1キロ1ラリ(約60円)だった、と添乗員氏、大喜び。
これまた毎食のように出るクルミもいっぱい、ジョージア人どれだけ食べるのやら。
果物の果汁を干したシートやナッツの周りにつけたチュルチュヘラも色とりどり。
野菜エリアを抜けると天井の高い建物に出て
片側にはチーズ屋さんが並び
もう片側はお肉屋さんエリア。
鶏、牛、羊、豚と何でも揃うが、この市場で魚は見かけなかったような気がする。
香辛料もたくさん売られているが、このカラフルな見せ方は中近東のようだ。
片隅では古着のような衣料品も少し売られているが、ほとんど食料品の広い市場。
グルグル歩き回って、戦利品はこちら。
サクランボは1キロはあっただろう、これで5ラリ。大きなクルミはちょっと高くて500gで10ラリ。
アカシアの蜂蜜も10ラリ。為替レートが悪いので残念ながら安くはない。
その手前のボールはイチジクやベリー類のドライフルーツを固めたもの。これが超うまい!
その隣のミックススパイスの小袋は2ラリ、その上の器に入ったアジカは5ラリ。
アジカとは唐辛子とハーブ類、ニンニクをすりつぶしたもの。売り場のおばちゃんには野菜を付けて食べろと教わったがかなり塩辛い。そこでネットで調べるとこれとザクロソースで肉をマリネするレシピが見つかったので試してみるとこれがおいしい。
冷凍保存してあるが次はどうやって使おうか。我が家には各地で買い集めた調味料類がいろいろあるが、適当に使うので二度と同じものができないのが玉に瑕。
どこの国でも生鮮市場は楽しい。
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暑すぎておいそれとは外出する気になれない今日この頃。
所要ででかけざるを得なくなった一日、ついでに上野まで脚を延ばした。
やって来たのはいつもの東京国立博物館。
お目当ては平成館の「古代メキシコ」展。
中南米のマヤ文明やインカ帝国、小学校の頃は夢中になって本を読んだ。
しかし知れば知るほど中南米の諸文化は血なまぐさい。捕虜の心臓を取り出したり、子供を人身御供にしたり。
独自に発展した文化とは言えいささか心が離れていたが、今回は入場に予約も必要なく、人も少ない所で涼もうとやってきた次第。
平日のお昼過ぎ、ガラガラかと思いきや
思ったより見学人多く、子供連れもちらほら。夏休みももうすぐ終わり、会期終了も迫っているので駆け込みが増えたのかも。
会場には大きな石彫の柱頭やレリーフもいくつか来ているが、多くは小さな土偶類。
動物を象った物も面白いが
人型の物が圧倒的に面白い。
何が興味深いかと言えばその表情がアジア人そっくりなところ。
中国の古代遺跡から出て来たと言われても納得してしまうほど技術も表現も素晴らしい。
特に最初のエリアにあったマヤの貴人像、1000年以上も前の物とは思えないきれいなブルーが残っていて、こういうものは大好き。
展示の目玉はパレンケから出土した赤の女王と呼ばれる女性の出土品。
顔を覆うマスクは緑のヒスイで作られていて、これも中国の出土品によく似ている。
中南米の原住民は遥か昔、アジアからベーリング海峡を渡ったとされているから顔が似ているのは不思議ではないが、埋葬の仕方も延々と伝わったものがあるのだろうか。
もう一つ興味があったのはマヤ文字。
子供の頃に読んだ本では全くの謎の文字とされていたが、今では7割ほどは解読されているのだとか。すごい。
今まで中南米方面にはほとんど興味がなかったけれど、メキシコ直行便も復活したことだし、そろそろ考えるかな。
などと考えつつ、せっかくなので東博本館にもちょっと寄り道。
すると小さな展示室で河口慧海の特集を発見。
明治時代にチベットに単独潜行した慧海、正直本を読んであまり好きにはなれなかったし、展示もたいしたものではなかったが
この標本箱のようなものだけは子供の自由研究のようで面白かった。
帰路にはあまりに暑いので上野駅でかき氷。
おいしいけれど、量が多すぎて最後は舌がマヒしてしまった。
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7月8日 続き
ゲラティ修道院を出たらクタイシのもう一つの名所、バグラティ大聖堂へ。
こちらも丘の上に立つ大きな教会。
鐘楼の先にはジョージア第二の都市、クタイシの街が広がる。
バグラティ大聖堂の創建は11世紀と古い。
歴代ジョージア王の戴冠式が行われるなど由緒ある大聖堂だったが、17世紀にオスマントルコによって破壊され、20世紀半ばまでは完全な廃墟だったのだとか。
写真を見ると本当に壁しか残っていないような状態。
これを復元、再建したとのことで
入り口脇の柱頭にはいかにも古そうなレリーフも見える。
正面のきれいなモザイクの下をくぐって中に入ると
とても高いドーム天井の下でミサが進行中。
教会の裏に回ると屋根が落ちた小さな礼拝堂があったが、この中にも信者らしき多くの人がいて何かの儀式が行われていた。
雑草の中にはワインを作ったクヴェヴェリの跡も見える。
裏から見ても堂々としたこの大聖堂、再建とは言えその工事中の1994年にゲラティ修道院と共に世界遺産に登録された。
ところがその登録が2017年には取り消されてしまう。
その理由がこちら。
教会の一角がそこだけモダンなガラス張りになっている。これがこの建物の建築的価値を下げたというわけだが、ジョージア人にとっては大聖堂の宗教的価値の方が大切なのではないだろうか。
最近の世界遺産の大安売りを考えても、登録にこだわる必要はないんじゃないかと思う。
大聖堂の見学を終えて、住宅街の狭い道を入った所にある今夜の宿へ。
アルゴ・パレスと立派な名前の小さなホテル。
ギリシャ神話でイアソンがアルゴ号に乗って金の羊毛を探しに来たのはこのクタイシだったのだそうな。
割り当てられた部屋は広さ十分。
しかし山の中から標高100mまで下がると夕方になっても暑い!
幸いにしてすぐ外にベランダがあって、外の景色もいい。
夕食はホテルのレストランで。
毎食、すごい品数の料理が出されるが、ここは家庭料理っぽいながら一段と多く、しかもおいしい。
シュクメルリのように白い鶏料理はマヨネーズのようなソースが独特。
ナスにクルミペーストをのせたおなじみの料理の横にあるのはジョージアの食卓に必ずあるプラムのソース、トゥケマリ。これが酸っぱくて、ピリ辛で、肉料理にとても合う。
ところで本日の夕食はワイン付き。と言うのも昼食を食べたレストランでツアーのお姉さまの一人が他のテーブルのジョージア人に愛想を振りまいていたらワインを2本ももらってしまったのだ。
キンズマラウリは前回のジョージア旅行で見学した大手のワイナリー。
(キンズマラウリはメーカー名ではなくワインの種類とのご指摘あり。下記コメント欄参照)
こちらのワインはデザートワインのように甘かった。
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7月8日
今朝もたっぷりの朝食をいただいて
宿の人懐っこい犬たちにバイバイ。
軍用道路を南に戻るが
途中にはミニミニパムッカレのような石灰棚があったり
緑の中にテント村があったりする。
ムツヘタの手前からは山岳地帯を出て高速道路に入り、進路は西へ。
平坦な高速道路はよく整備されていて快適。
右手には麦畑の向こうに低い丘陵が続くが、その向こうが問題の南オセチア。
スターリンの出身地として有名なゴリも通るが、2008年の南オセチア紛争ではこの町もロシア軍に爆撃されて大きな被害が出たとは、不勉強にして知らなかった。
南オセチアとアブハジアの分離はウクライナのクリミア半島の問題とよく似ている。ロシアがジョージアにちょっかいを出した時にちゃんと止めていれば、現在のウクライナの惨状は回避できたのだろうか。
さらに行くと2㎞の長さのリコティ・トンネルを通るが、ジョージアではこの東はアジア、西はヨーロッパと認識しているとか。
トンネルを出た所でお昼ご飯。
またドイツ風のビアホールだけれど
豆入りのロビアニもその豆を煮たものもおいしく、ケバブ巻きは大きいのが一人一本。
フルーツがモリモリに出て歓声が上がる。
この時期、特にサクランボがおいしいのだ。
朝9時にカズベギを出て、320㎞走ったクタイシの街には16時に到着。
そのまま山の中腹にあるゲラティ修道院へ。
門を入ると教会が3つと神学校の建物があるが
まずはこの修道院の創設者、12世紀のダヴィド4世の人に踏まれるべく置かれたお墓を見て
がらんとした神学校の内部も見学。ここは中世ジョージアの科学と教育の中心だったのだそうだ。
1階が吹き抜けになった教会は入ることができなかったが
一番大きな聖マリア教会は圧巻。
何しろこの教会は入り口からフレスコ画がいっぱいで
壁画フェチとしては興奮してしまう。
が、残念なことに内陣は盛大にやぐらを組んで大修復中。
なので鉄骨の隙間から壁画を眺めるしかないが
壁面を埋め尽くすビザンチン様式の壁画は素晴らしく、この修道院が世界遺産に登録されているのも当然。
外陣にはダヴィド4世と共にジョージアの黄金期を治めたというタマラ女王の壁画もあった。
最後は聖マリア教会の後ろにある少し小さな聖ゲオルギ教会。
こちらの内部もフレスコ画で覆われて見事なのだが、ちょうど子供の洗礼式の最中で写真を撮ることはできず。
しかし赤ちゃんのお父さんがあまりにも嬉しそうなので、こちらまでほっこりしてしまった。
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7月7日 続き
ハイキング後の昼食は宿の近くの別のゲストハウスで。
テーブルにはおなじみのナスの前菜やチーズたっぷりのクレープなどが並べられ、ピーマンの肉詰めにはお米もぎっしり。
そして登場したジョージア料理の代表、ヒンカリ。
この料理は元々この地方がルーツとのことなので期待していたが、なかなか出てこなかったのは作るのが大変だかららしい。こちらでもかなり時間がかかっていたが、以前に食べたものに比べて皮は厚くてむっちり、肉汁も少なくてちょっと残念。
なおヒンカリに関してはさぼわーるさんの記事がめちゃくちゃくわしいです。
もう一つ、ジョージアでぜひ試してみたかったものを初体験。
こちらではレモネードと呼ばれている炭酸飲料だが、タラゴン入りをぜひ試してみたかった。飲んでみると炭酸は弱く、タラゴンは青臭さくてハーブ好きとしては嫌いではないがかなり甘い。隣はブドウ味でこれは予想通りの味。試飲した全員、「これはファンタだね」で合意したが、タラゴン入りは人気がなかった。
食後はカズベギから少し南に戻った所にあるスノ村へ。
本来この日はスノ村の先にあるジュタ谷でハイキングのはずだったのだが、途中が土砂崩れで通れないとのことで予定変更になったのだ。
村の中心に立つのはこの村出身の5世紀の王様、ヴァフタング1世・ゴルガサリ。その脇にはまだ新しい小さな教会があるが、現在のジョージア正教会の主教もこの村出身なのだとか。
そこで川を渡って村の中を散策。
が、石造りの古い家が密集して並ぶなんということもない村。
ところでこの村に生えていたこちらの草。
これはイラクサ。実は午前中のハイキング中、この草に触れてしまい痛い思いをした者が自分も含めて何人も。とても細かい産毛が生えているのだが、これに触るとチクチクしてなかなか消えない。
昔読んだアンデルセンなどの童話に出て来たイラクサとはこれのことか、と納得。
スノ村のはずれにはこんな顔を掘った石が並ぶ原っぱがあるが、ここを過ぎ、カズベギも通り過ぎて軍用道路を北へ。
両側を山に挟まれた谷あいの景色のいい道を行くこと30分ほど、道路の先にジョージアの国旗が見えた。
これがロシアとの国境にあるジョージア側の通関ポイント。
この先には緩衝地帯があるのだろう、ロシア側のポイントは見えない。
このすぐ脇には大きなダリアリ修道院が建っている。
2011年に作られたという新しい修道院ということで、まずは教会の中へ。
すると聖女のイコンに地図があって、聞けばこの国境地帯にいくつも新しい教会や修道院を建設する予定とのこと。そしてその理由がこの先万が一ロシアに侵攻、占領されたとしても、この地がジョージア人の土地である証拠を残すためだとか。
ロシアとの厳しい関係に改めて目を開かれる思い。
教会を見学したら、この修道院のワイナリーの見学。
なにやらドスの利いたおじさんが案内してくれたが、ここではワインの名産地であるカヘティ地方からブドウを取り寄せ、クヴェヴェリという地下の壺の中で伝統的手法でワインを作っているとのこと。
ワインを買うこともできるが、試飲がないので重いワインを買うのは躊躇してしまう。
本日の観光はこれで終了、来た道を戻って宿で夕食。
今日もたくさんのお料理。
毎日出るジョージアのトマトがとてもおいしい。
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7月7日
早朝5時に目を覚ました。
ベランダに出ると気温は10℃ほど。
正面に顔を覗かせている雪山はジョージアで3番目に高いカズベギ山、5,054m。
時間が経つにつれて雲が晴れてきて、山に朝日が当たった。
朝食は8時から。小さなパンケーキがいっぱい。
濃厚ヨーグルトの隣の鉢は苺ソース。これがめちゃくちゃおいしい。
9時にバスで出発して、10分とかからず街の中心の駐車場へ。
ここに立つのは街の名前になった作家のカズベギの銅像。この街の現在の正式名称はステパンツミンダだが、普通は相変わらずカズベギと呼ばれている様子。
駐車場の少し先、橋を渡るとその先はゲルゲティ村。
きれいに晴れ渡った空にカズベギ山が白く見えるが、これからその脇の山頂に見える教会を目指す。
まずは村の家の間を抜け、牧草地を上がって行く。
他のグループとも抜きつ抜かれつしつつ上がって行くと街が眼下に見えてきて、周りには小さな花がいっぱい。
特に珍しい花があるわけではないけれど、今が盛りでどれもかわいい。
カズベギ山麓で見かけた花はこちら↓
上ること2時間10分で教会の下に到着。
ゲルゲティ教会は標高2,175m。
ここから見えるカズベギ山の美しいこと!
実はここまでは車でも来られるのだが、歩いてきてこそ感動も深いというもの。
カズベギの街とその後ろの山の景色もいい。
景色を堪能したら教会の中へ。
ここは最近「天国に一番近い教会」なんて呼ばれているらしいが、14世紀に建てられた小さな地味な教会。内部は撮影禁止になっている。
帰路は往路とは反対側の道を下りて行く。
牛がたくさん放牧されていて、子牛がかわいい。
途中では機嫌の悪い(笑)羊飼いなどに遭遇しつつ
古い見張り塔の下を通って
石造りの家も残るゲルゲティ村を通過。
帰りは1時間半でカズベギの中心に戻ってきた。
本日のハイキングは標高差400m、11㎞。
天気が良くて気持ち良かった!
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暑い日が続く中、久しぶりの女子会。
今回は我が地元でスペイン料理としゃれこんだ。
「スペイン食堂 石井」さんはほんの1月ほど前に武蔵小山に引っ越してきた。
以前は旗の台にあって、コロナが流行り始めて外食ができなくなった頃、一度テイクアウトをお願いしたことがある。それ以来の再訪だ。
場所は駅前のアーケードが尽きた先、業務スーパーの隣。
赤い看板がよく目立つ。
友人たちと合流してメニューを見ると、五郎さんメニューなんてものがある。
2017年の「孤独のグルメ」にこの店が登場していたとは、知らなかった。
五郎さんのメニューも見つつ、今回のオーダーは
ヒコイワシの酢漬けとサラダ。ヒコイワシは生ニンニクのすりおろしががっつりのっていてニンニク嫌いの友人は撃沈していたが、お酢は柔らかくておいしい。
焼きマッシュルームはこの店の看板メニュー。
これはいくつでも食べられる。
そしてスペイン料理と言えばパエリアということで
アサリの乗ったイカ墨パエリアと、鶏肉入りのバレンシア風を一人前づつ。
これを4人でシェアしたけれど、こちらの一人前は確かに一人でも余裕で行けそうな量。
イカ墨もいいけれど、自分はローズマリーが効いたバレンシア風が好きかも。
パエリアがぺろっといけたので、デザートにはバスク・チーズケーキを2つテイクアウト。
これは二人で1つがちょうどいいボリューム。
濃厚ながら甘すぎず、うまーい。
今回はグランドメニューからいただいたが、平日はランチセットもあって、お得でおいしそう。
さらにオーダーした時には気が付かなかったのだが、厨房の上の黒板に印刷したメニューにはないものがいろいろ書かれていたのだ。
最近、次々とお店が撤退する武蔵小山、こちらは長く続いていただきたい。
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7月6日 続き
道は次第に標高を上げて、遠くに雪をかぶった山も見えてくる。
周りの山の緑はゴルフ場のグリーンみたい。
山の斜面にたくさんのコテッジや大型ホテルが見えて来たらそこはスキーリゾートのグダウリ。
こんなホテルもあるここは標高2,200m。
グダウリを過ぎてしばらく行くと丘の上に目立つ建造物が見え、たくさんの観光客が集まっている。
これは1983年に建てられたジョージアとロシアの友好記念碑。
1783年にジョージアがロシアの保護領になったことをソ連が祝ったものなので
母なるロシアに子供のジョージアが守られている絵柄にガイド君は「ケッ」って感じの説明。
宇宙飛行士の姿も見えるデザインはいかにもソ連っぽくて嫌いではないが。
この記念碑の下は深い谷になっているので周りの景色が見事。
観光客の中にはアバヤをまとった中東からのお客さんも多く見えて、3時間ほどの飛行で気温40℃からこの爽やかな場所に来られるならそりゃ人気になるだろう。
さらに少し行くと軍用道路の最高地点、2,395mの十字架峠に到達。
道路脇にロシア語の石碑があり、名前の由来になった十字架はその少し上にあるので見に行くと、脇の家からおっさんが出てきて怒られた。ここは私有地だということらしいが、見るだけなのにケチだ。
峠を越えて40分ほどで宿泊地、標高1,700mのカズベギ村に到着。
今夜の宿であるゲストハウスは街の中心からはちょっと離れた場所にあるきれいな3階建て。
部屋にはシングルベッドが3つあっていささか狭いが、部屋にちゃんとお湯の出るシャワーも付いているのでなんの問題もなし。
ベランダからは周りの空き地に新しいゲストハウスがどんどん建てられているのが見える。
宿に着いたのが17時半、夕食は1階の食堂で19時から。
宿の奥さん方が用意してくれたお料理は野菜が豊富な家庭料理、ここのハチャプリはマッシュポテト入りでボリューム満点。
食後は近くに小さなスーパーがあるというので夕暮れの村をちょっとお散歩。
これはレストランの壁の絵。
スーパーはこちら。
Oyakataなるインスタントラーメンがたくさん並んでいるが、これはれっきとした味の素社の製品。
ビールは2.5リットル入りの大きなペットボトルがずらり。
しかし1ラリ=60円では何もかも高くて、結局見学するだけで終わってしまった。
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7月6日 続き
トビリシを出て45分、やってきたのは先日引退した栃ノ心関の出身地、ムツヘタ。
ここは8年前にも来た所で、その時と同様、まずは丘の上に建つ6世紀建立のジュヴァリ教会へ。
素朴な彫刻で飾られた教会内部中央には大きな十字架が立っていて以前は写真を撮らせてもらえたが、今は厳しくなって撮影不可。
しかし異教徒としては2つの川の合流点の見えるこの景色が一番の見どころだったりする。
丘を降りてムツヘタの街に入り、大きな駐車場脇の土産物屋街を抜けると
ジョージアにキリスト教を伝えた聖ニノゆかりのスヴェティ・ツホヴォリ大聖堂。
脇に立派な司教館もある大きな聖堂で
正面のイコノスタシス、中央の十二使徒の絵がかわいい。
ロシア正教のイコノスタシスが派手なのに比べて、ジョージア正教ではシンプルなのが特徴なのだそうだ。
しかしこの聖堂内には他にもいっぱいフレスコ画があって
壁画好きはうっとり。
特にこの大きな壁画が楽しくて、以前と同じような写真をいっぱい撮ってしまう。
ムツヘタを出たらトビリシからロシアのウラジカフカスまで伸びる軍用道路を北へ。
軍用道路とはソ連時代に作られたものだと思い込んでいたが、実際には18世紀の帝政ロシア時代に整備されたものとのこと。ロシアの侵略癖は今に始まったことではないのだ。
やがて鮮やかな緑色の湖水が見えてきて、これは人工的に造られたジンヴァリ貯水池。
湖畔に建つのは中世の貴族が造ったアナヌリ要塞。
城壁の中に教会が2つあって、手前の古い教会は入ることができず、壁面に大きな十字架のある聖マリア教会の中へ。
17世紀末に作られたという小さな教会内のイコノスタシスは新しいもののようだが
その脇の最後の審判のフレスコ画は最近まで漆喰に塗りつぶされていたものとか。
こうもりのような悪魔は何を抱えているやら。
ここを出てしばらく行ったパサナウリと言う町でちょっと遅めのランチ。
なんでジョージアでドイツのビアホールなの?と思ったが
おなじみのクルミペーストを巻いたナスやチキンスープから始まって
次々に運ばれてくるジョージア料理でテーブルはいっぱいになった。
おなじみのハチャプリ登場、と思ったらこれは中身が豆で、名前はロビアニ。金時豆のようなこの豆はよく食べられているようで、この後もあちらこちらでお目にかかった。
ビアホールのジョージア料理、侮るべからず。
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