11月16日 続き
アジア文明博物館を出ると目の前はボート・キー。
それを眺めるのは最初にここに上陸したというラッフルズ卿。
その先にある国会議事堂の前を通って
やってきたのはシンガポールのナショナル・ギャラリー。元のシティホールと最高裁判所という2つのビルを繋いで2015年に完成したそうで、入り口はどこかと思ったら2つの建物の間、巨大な葦簀のような屋根の下だった。
扉を入ってみると天井はガラス張りで明るく
両側の建物はファサードが昔のままに保たれているので重厚でかっこいい。
さてこの美術館、現在は東南アジアの現代アートを展示しているのだが、シンガポール国民は無料ながら外国人は入館料が20S$(約2000円)とお高く、大体現代アートには興味がない。
ではなぜわざわざここまで来たかと言うと、この巨大な建物には無料でも入れるところがたくさんあるから。
レストランだけでも各国料理がなんと11店も入っているとのことで、まずは脚を休めるべくコートヤード・カフェへ。
ここは最高裁判所の入り口だったところ。正面の列柱がいい雰囲気で、こちらのアイスコーヒーをいただきながら
ランチには朝ホーカーズで買ってきたニョニャ菓子。
やわらかいお餅の中に黒糖、ココナッツ、ピーナッツの餡がぎっしり入って、おばさまの言葉通り、すごくおいしかった。
お腹を満たしたら広い館内をうろうろ。
至る所に現代アート作品が飾られていて、入館しなくてもいろいろ見られる。
大きなミュージアムショップがあって、ここの品ぞろえもなかなか面白い。
そしてやってきたのは屋上庭園。ここも無料で入れるのだが
ここからの見晴らしが素晴らしい。同じ階には高級レストランが4軒もあるので、夜はさぞかし素敵だろう。
建物の中もまだ探検しがいがありそうだ。
ナショナル・ギャラリーを出たら近くのラッフルズ・シティで最後のお買い物。
と言ってもいつものごとくスーパーしか行かないが、シンガポール産のものを見つけるのはなかなか大変なのだ。
ホテルに戻るべく地下鉄のブギス駅で下車。
アラブ人街には古い建物がうまく残されていて、周りの高層ビルとの対比がすごい。
夜はシンガポール人の友人がホテルに来てくれて
すぐ近くのゴールデン・マイル・フード・センターへ。
こちらのホーカーズは2層に分かれていて、上は中華系、下はハラルの店とうまく分けられているのだそうだ。
子供の頃この近くに住んでいたという友人のお勧めに従ってまずは下のインド系揚げ物屋で
エビの載ったヴァーダ。これが中はふんわりとちょっと甘くて、インドで食べたものよりおいしい!
メインは上階で砂煲飯。
こちらの店のメニューは鶏、豚、中華ソーセージのミックス一択、タレを回しかけて、おこげがうま~い。
隣のデザート屋で生姜湯に入ったピーナッツ団子を食べればお腹いっぱい。
食後は腹ごなしに近くのゴールデンマイル・コンプレックスの見学へ。
ここは通称リトル・バンコク、中はタイ料理屋にタイ・スーパー、マッサージ屋にカラオケ屋、とまさにタイ。
旅行に出られない間はここのスーパーに来ていたという友人も大の旅行好き。
なので持って来てくれたお土産もちゃんとシンガポール産と心得ている。
次にまた会うのは東京かな。
11月17日
朝、ホテルに頼んで6時にタクシーを呼んでもらった。
シンガポールではGrabよりタクシーが安いと学習、実際早朝では空港までわずか15分、25S$もかからなかった。
空港では新しくできたジュエルが面白いらしいが、早朝なのであきらめてラウンジへ直行。
JLのラウンジは「マルハバ」と案内されたが、これは以前の「dnata」の名前が変わっただけ。
なにやらこじゃれた給湯器でお茶を淹れ、お粥の朝食をいただいて機内へ。
到着した成田からは京成線の脱線事故で思わぬ時間がかかったが無事に帰宅。
一度やってみたかった陸路でのマレー半島縦断、2週間の一人旅は予想以上に楽しくて、これだから旅行はやめられない。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
11月16日
シンガポール滞在は実質1日、なので朝から早速始動する。
ホテルから一番近い地下鉄駅に向かってスルタン通りを歩いて行くと
ホテルのすぐ脇にはアラブ学校、その少し先にはまだ建設中らしいかわいらしいモスクが見えてアラブ人街らしい。
地下鉄のラベンダー駅では切符の件でジタバタしたけれど、タッチ式クレジットカードで無事タンジョン・パガーへ。
駅から数分でやってきたのはタンジョン・パガー・プラザ。
この2階がシンガポールならではのホーカーセンターになっている。
おなじみのお粥やチキンライスなど中華系の店が多いけれど、Japanese rice houseなる日本食の店などは少し前にはなかったと思う。日本食と言っても鶏唐揚げや照り焼き、カツカレーなどなのだが。
さて、わざわざここまで来たのは朝食としてぜひ食べたいものがあったから。
それは客家料理ながらシンガポールで独自の進化を遂げた擂茶。10年前にMaxwell Food Centreで初めて食べて気に入り、前回はサンテックモール内のこぎれいなフードコートで食べたのでまた別の所で食べてみようとここまでやって来た。
こちらのものは青菜にいんげん、大根の漬物にピーナッツと厚揚げが入ってベジタリアン仕様。青汁のようなスープはあっさりとして、今までで一番癖がなかったかも。これで4.5S$は今は450円。毎日でも食べたいぐらい、やっぱり擂茶が好きだ。
この擂茶屋さんの隣にはニョニャ菓子の店もあって
やさし気なおばさまが「おいしいよ」とカラフルなお菓子を勧めてくれる。これも全種類買いたいほど好きだけれどそうもいかないのが残念。
タンジョン・パガーからは駅を一つ戻ってラッフルズ・プレイスへ。
シンガポール川の河端にはシンガポールの歴史を表す彫刻がいくつか並んでいる。
カベナ橋を渡って正面に見えるのはビクトリア・コンサート・ホール。
その隣が目指すアジア文明博物館。
ここは4年前にも来たけれど、その後服飾関連の展示室ができたということなのでまた来てみたのだ。
そこで以前見た1,2階は飛ばしてすぐに3階へ。
布関係の部屋は小さくて展示品も少なく、かなり期待外れ。
KLのイスラム美術博物館や繊維美術館を見た後なので余計そう感じたのかもしれない。
が、階段を挟んで反対側には宝飾品の部屋があって、こちらは期待していなかった分うれしい驚き。
宝石店のショーケースのような入り口を入ると民族衣装の女性たちの等身大写真が並んでいて
この写真のおかげで宝飾品がどのように使われていたかが実に分かりやすい。
民俗的な宝飾品はどれも魅力的で
特に渦巻型のアクセサリー、以前北ベトナムの少数民族が着けているのを見たことがあるがかわいくてほしくなる。
以前も見た陶磁器の部屋や2階の展示はざっと通り過ぎたが
かわいいものがいっぱいあって、やはりこの博物館は楽しい。
3階にはまだ使われていないスペースもたくさんあるようなので、何年後かにはまた変わっているかもしれない。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
11月15日 続き
マラッカからシンガポールへ移動するべく、バスの出発点の707ホテルへ。
宿泊していた宿からは車で10分ほどの場所、周りは新興ビジネス街と言った所で、バス会社の経営らしいこのホテルもビジネスホテルっぽい。
時間の余裕をもって行ったところ、余裕がありすぎてしまったので
近所のカフェに入ってマンゴーかき氷。ただしこのマンゴーはいまいち。
時間になってやって来たのはこちらのバス。
豪華ではないけれどフットレストも付いた座席は合格点の乗り心地。
この出発点からは4人しか乗らなかったが、この後マラッカの街中2ヶ所に立ち寄り、最終的には17人の乗客になった。
しかしマラッカ市内を回るのに小一時間もかかって、バスに乗ったのは14時だけれどマラッカを離れたのは15時近く。
シンガポール行きのバスは何社もあって乗車地もいろいろ。この選択はなかなか難しい。
マラッカを離れるとバスは高速を快調に飛ばして
出発後2時間半の Yong Peng と言う所のPAでトイレ休憩。トイレはきれいだし、ちょっとした売店もある。
やがて高層のビルが見えて来たらジョホールバル。
そこからすぐの Tanjung Kupang に着いたのが17時45分、18時にはマレーシアを出国できた。
すぐにジョホール水道を渡って、シンガポール側の Tuas checkpoint が見えたので楽勝と思ったら
ここから通関するのに1時間半もかかったのはリアルタイムで書いた通り。
マレーシアからシンガポールへ陸路の入国ポイントは現在2つあるが、シンガポール人に言わせると物価の安いマレーシアに頻繁に買い物に行かないよう、わざとシンガポール入国を大変にしているのだとか。
結局バスの終点、Queen's St. に着いたのは20時半で予定よりも2時間半遅くなった。
すぐにGrabを呼んでホテルに向かったが、わずか10分の距離に10ドル(約1000円)もかかってショック。マレーシアだったら200円ぐらい、マラッカからのバスでさえ65リンギット(2000円弱)だったのに、確かにこの物価の違いは大きい。
シンガポールでの宿泊はアラブ人街にある The Sultan。
築100年のショップハウスを10棟つないでいるというホテルの外観やロビーはなかなか雰囲気があって素敵だが
部屋は機能的ながらもとても狭くて、これで1泊140ドル(約14,000円)は東京のビジネスホテルよりも高いかも。
しかし最近は慢性的にホテルが不足しているシンガポールなので、友人によればこの値段は破格なのだそうだ。
さて、ホテルに荷物を置いたら時間も遅くなったのですぐに夕食を食べに出かける。
この近所にもショップハウスが並んでいるが、シンガポールではきれいに修復され過ぎて生活感がない気がする。
徒歩5分強でやってきたのはスルタン・モスク。
この目の前に2軒レストランが並んでいるので、空席が見えた手前の Victory に入店。
メニューは豊富にあるけれど、食べたかったのは店頭でおじさんが作っているムルタバ。
薄いクレープ生地の中にひき肉でぎっしり、生地がムチムチしておいしい!今までシンガポールに来てもこれを食べていなかったのがもったいなかったぐらい。
マトンムルタバが7ドル、お茶が2ドル。シンガポールの物価に早く慣れないと。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
11月15日
夜中、すごい物音で目を覚ました。
気が付くと外は豪雨、すさまじい雷鳴で建物が振動していたのだ。
ここまでの雷は初めて、さすが熱帯と感服する。
朝には雨も上がったので、昨晩行って気に入った茶店へ。
するとお向かいに市場があるのに気が付いた。
場内は8時過ぎで既に営業が終わってしまっていたけれど、場外では揚げパン屋さんやココナッツ屋さんがまだお仕事中。
本当にローカルの小さな市場、もう少し早く来ればよかった。
目当ての茶店ももうお客さんでいっぱい。昨晩人気で行列の出来ていたお粥を食べようとやって来たのだが、なんと朝はやっていない。
そこでずっと空いているすぐ隣の茶店に入ってシンガポール・ビーフンを所望。
こちらはまた一段とローカルで常連客しか来ないという風情だが、若いお兄さんが作ってくれたビーフン7.5リンギット(約230円)、あっさりとした味付けでおいしかった。
朝食が済んだらそのままGrabを呼んでマラッカ島にあるマラッカ海峡モスクへ。
島とは言え橋でつながっている所だけれど、公共交通機関はないのでこういう時Grabは本当に便利。
2006年に完成したというこちらのモスク。
警備員の他に人影はないが、スカーフをかぶって中へ。
すっきりとした礼拝堂内は特に見るものもないが
正面にはマラッカ海峡が広がっている。遠くに見えるのはタンカーだろうか。
この島は最近になって開発が始まったようで、モスクの周りは新しいアパートなどがあるだけ。しかしその住宅地にもあまり人けはなくて、他に見るものもないので30分で撤収。
ここは夕陽の名所ということだが、連日午後や夜には雨が降るこの時期ではきれいな夕焼けは望めない。
街中へ戻ったらホテルをチェックアウトして、まだちょっと早いけれどマラッカ最後の食事なので名物のチキンライスを食べに行く。
しかし一番有名な店は店舗改装中でお休み、もう一軒気になった店もまだ開店していない。
そこでジョンカー・ストリート入り口の開いている店に入ってみると
チキンはスチームとローストがあるので半々にしてもらい、これが名物の丸いご飯は3つにしてもらって24リンギット。
チキンはまあまあだけれど特筆することもなく、ご飯は鶏だしも感じなくていまいち。
なぜか店の人がピーナッツをサービスに配ってくれたけれど、名物はこんなものなのか、他の店なら違ったのか。
まだ時間があるので近くにある「鄭和文化館」という所に入ってみた。
入ると正面に鄭和の胸像が迎えてくれて
館内は思ったよりも広くて展示も充実。鄭和は宦官だったので去勢のための道具まで展示してある。
鄭和はその生涯に7度の大航海をし、何十隻ものその船団には毎回28,000人ほど同行したとか。
となると長い航海中、食料はどうしたのかが気になる所だが、そこはさすが中国、燻製や塩漬けなど食品保存技術がすでに発達し、船内で野菜や家畜を育て、釣りもしたというからヨーロッパの大航海より食糧事情はずっと良かっただろう。
船内の生活場面に麻雀があるのも面白い。
鄭和の航海はあくまで通商目的で平和的なものだった、と強調されているのはいささか中国の宣伝臭さも感じるが、ポルトガルが武力でマラッカを強奪したのとは明らかに違う。だからこそ河辺にまで鄭和の石碑があるのだろう。
これでマラッカ観光も終わり、この街を離れよう。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
11月14日 続き
午後はマラッカの旧市街のショップハウスを見て歩く。
まずは静かなヒーレン・ストリート。
通りの入り口にあるヒーレンハウスというホテルやそのほかの家を見ても、この通りに並ぶ家々の間口が狭く、奥に長く伸びている造りがよくわかる。
通り沿いにずらりと路上駐車の車が並んでいるが人通りは多くなく
建物の正面をきれいに修復している所も多くて
よく見れば軒に陶器やタイルを使った凝った飾りもあって
この通りは絵になる。
小さなホテルになっている所も多い中、Malaqa Houseという一軒が内部を公開しているので入ってみた。
縦に並ぶ部屋を抜けて行くと途中に2つ中庭があり、一番奥が台所でその先に厩舎があったらしい。
2階は板張りの床、正面の窓もいい感じだ。
ヒーレン・ストリートをさらに行くとヨーロッパの宮殿を小さくしたような建物が現れるが
これはチー家という富豪が1925年に建てたお屋敷。
その少し先にあるこちらはババ・ハウスというホテルになっている。
ヒーレン・ストリートを通り抜けて右に曲がると正面に教会が見える。
タミール・メソジスト教会とある、ここはインド系のクリスチャンのための教会らしい。
この前から昨晩はナイトマーケットになっていたジョンカー・ストリートが始まっていて
昼間見ればこちらの通りのショップハウスも上を見ればきれいに修復された建物がある。
ただしこの通り沿いの1階はどこもお店になっていて、飲食店や土産物屋が多いものの
中には激渋の昔ながらの店もちらほら。
そんな一軒にお菓子屋さんがあったのでパイナップルケーキを買った。
下は台湾でも見かけるタイプのパイナップルケーキだが、上がマラッカ式。一口サイズのクッキーの上にパイナップル餡が乗って、こちらの方が手軽に食べられて好きかもしれない。
ずっと歩き回っていたので、ちょっと脇道に入ったおしゃれなカフェで一休み。
一息入れた所でそろそろ夕食を考えるが、マラッカ名物のチキンライスの店は昼間しか営業しない所がほとんどで入ろうとしたらもう閉店と断られてしまった。
一人でニョニャ料理は厳しいので、ネットで見つけたローカルの茶店に行くことにした。
観光エリアとは離れた所にある「東方茶園」というマレーシアの典型的茶店。
オーナーは飲み物だけ売り、何軒か入った店子が料理を売る。
今夜は一軒でサテーを買い、もう一軒で青菜炒めを頼んだ。
サテー屋さんにあった四角いパッケージも頼んでみると中は餅のように固められたご飯。
サテー6本に青菜、アイスティーも入れて16.5リンギット(約500円)と安上がり。
周りは一人で食べるおじさんや老夫婦、家族連れと様々だがローカルばかりで実にいい雰囲気。
日が暮れると宿の前の通りも静かでいい感じになった。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
11月14日
夜中はかなり雨が降ったようだが、幸いに朝には上がってくれた。
まずはATMを目指して宿の前の道をオランダ広場とは逆方向に歩く。
この通り沿いは建物がすべてレンガ色に統一され、道路までレンガ色だ。
少し行くと白いセント・フランシスコ・ザビエル教会。
敷地内に入ることはできなかったが、柵の中を覗くとちょんまげ姿の像がザビエルさんと並んでいて、プレートには「やじろう Yajiro Angero」の文字が見える。
やじろうとはザビエルがマラッカで出会い、それを契機に日本布教を決意した日本人初のキリシタンなのだそうだ。
この先はインド人街になっているがここで川を渡り、チャイナタウンのハーモニー・ストリートへ。
ショップハウスが並ぶ通りだが朝は静かで、すすけた壁が絵になる。
途中、ヒンドゥー寺院など見ながら
朝ごはんを食べに来たのは栄茂茶楼という飲茶の店。
蒸篭の中を覗かせてもらって食べたいものをピックアップ。お茶を頼んだらティーバッグだったのは驚いたが
カスタード饅は中がトロっとしてうまし。
7品も食べたので30リンギット(約900円)になってしまったけれど、お味は正直ハジャイの飲茶の方がおいしかった気がする。
この飲茶屋さんの目の前に見えるのはカンポン・クリンというモスク。
誰もいなかったが用意されたスカーフをかぶり、靴を脱いであがらせていただいた。
1748年に建てられたというこのモスク、小さいけれど様々な文化が混ざっている様子がマラッカらしいと言っていいだろうか。
さらにちょっと先へ行くと今度はチャン・フーン・テンという中国寺院。
こちらは色彩も華やか、至る所に細かい彫刻があって
ケープを掛けられているのは虎か獅子か。
ここから北東へ折れるとまたマラッカ式のモスクがあって
小さな遊園地や壁画の遊歩道があるマラッカ川端に出た。
この先にマレー式の家が残るマレーカンポンという地域があるというので大きなショッピングモールを回ってテクテク。
すると川の向こうにそれらしき一角が見えて
確かにマレー式の家々が立ち並んでいるがここは今も現役の住宅街。人の姿は見えないがごく普通の住宅地で観光するところではない。
旧市街へ戻ろうと大きな通りに出ると目の前に素敵な建物が。
これは5つ星のマジェスティック・ホテル。かっこいい。
さらに行くとインド人街の門があった。
中にはいかにもインドな服や飾り物を売っている店もあったが、時間のせいか開いている店は多くなくて通りに活気はない。
門の近くでは立派な建物を修復中だったので、この通りもこれから復活するのかもしれない。
宿の近くに戻って、グーグルマップで見つけたココナッツ・デザートの店へ。
暑い中を歩いたので冷たいシェイクがうれしい。
すぐにホテルに戻って一休みできるのも町の真ん中に宿を取ったおかげ。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
11月13日 続き
マラッカには以前一度来たことがある。が、確認してみたらなんともう25年前。
その時はマレーシア人の友人と日帰りで来て、ニョニャ料理を食べただけでとんぼ返りだった。
今回はゆっくり観光しよう、とホテルを出るとすぐ目の前はマラッカ川が流れ
両岸は遊歩道になっている。
ホテルのほぼ隣にあるのがレンガ色の建物の並ぶオランダ広場。ここが観光の中心でツーリストで賑わっているのだが
目立つのはこの人力車。昔もここに観光リキシャがいたと思うが、キティちゃんやらドラえもん、スパイダーマンなどけばけばしい飾りが付き、さらに大音量でインド音楽を流しながら走る、このセンスの悪さはどうしたことか。
この人力車をかき分けつつ、今は博物館になっているスタダイスへ。
入場料10リンギット(約300円)を支払って1650年にオランダ人によって建てられた建物の中に入ると
まずは1511年にポルトガル、1641年にはオランダ、1824年からはイギリスに植民地化された歴史が展示されているのだが、最新の武器で暴力的に占領したポルトガルの印象が最悪で、それをスルタンと協力して追い出したオランダには好意的なのが面白い。
マレーシアの生活の展示はかなり古めかしく
外側の廊下を戻るとオランダ時代の大きなパン焼き窯も残っている。
さらにイギリス時代や日本占領時の部屋があって、この先のわかりづらい階段を上がると
最上階には鄭和の部屋があった。
明代、中国からアフリカまで大航海をした鄭和はその旅の途中、マラッカに立ち寄ったということで
中庭には堂々とした石像も立っている。
最上階からは広場の時計塔や噴水も見えていい感じだ。
スタダイスを出てその脇の道を行くといくつも博物館が並んで、文字通り博物館通り。
そのうちの一つ、建築物博物館に入ってみた。
中は読む展示が多くて、これを一つ一つ見ていたら大変なのだけれど
マレーシアの建築物、ショップハウスなどの精巧な模型で中の造りを説明していたりして、ここは小さいけれどなかなか面白い博物館だった。
さらに行くとポルトガル人の造ったサンチャゴ砦の跡があって、その後ろの丘を上るとセントポール教会がある。
ここに一時安置されたということで正面にフランシスコ・ザビエルの像が立っているが
その視線の先、町の向こうにはマラッカ海峡が見える。
教会は1521年にポルトガル人によって建てられたそうだが
今は屋根もなく、ザビエルの安置されていた場所がフェンスで囲われ、中に残された墓碑はオランダ人の物のようだった。
丘を降りたら川を渡り、ジョンカー通りの前を過ぎて川沿いの住宅地の中にあるサテー屋さんへ。
牛と鶏を5本づつで14リンギット、パイナップルを使っているというタレが甘辛くておいしい。
さて、それではにぎやかな方へ戻ろうと歩き出すといやな風が吹いてきて、やばいと思ったら雨が落ちてきた。
なんとかマッサージ屋の並ぶ通りにたどり着いたところで土砂降りになった。となればノーチョイス、1時間の足裏マッサージを頼むと58リンギット(約1750円)。台湾のような足裏で悪くはなかったけれど、やっぱりマッサージはタイに限る。
マッサージを終えて外に出るとちょうど雨も止んでくれて、この小路から出た所が一番の繁華街のジョンカー通り。
ここは週末のみナイトマーケットになるのだがこの日はちょうど日曜日。
雨も上がったので屋台も出ていたが、売り物はどこかで見たことのあるようなものばかり。
食べ物屋台が集まった一角はお客さんで賑わっていたがもう一つそそられるものがなく
炒めた大根餅とオタオタを買ってみたがどちらもはっきり言っておいしくなかった。
黒糖の入った餅菓子でお口直しをしたけれど、こんなことならサテー屋さんでもっとしっかり食べればよかった、と反省。
オランダ広場に近い入り口には巨大な虎、川沿いにはイルミネーションが点いて
派手な人力車はさらに派手になった。
う~ん、この街のセンスって・・・
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
昨年末、「ミセス・ハリス」を見た時に予告編で知った映画を見にまた日比谷へ。
「モリコーネ 映画が恋した音楽家」 Ennio
言わずと知れたイタリア映画の巨匠音楽家エンニオ・モリコーネは2020年に91歳で亡くなったが、これは「ニューシネマパラダイス」で音楽を付けてもらったジュゼッペ・トルナトーレが生前の彼にロング・インタビューをし、それに他の音楽家、映画関係者など多数のインタビュー、そしてモリコーネが音楽を付けたたくさんの映画の場面をつないだドキュメンタリー映画。
音楽家ではあるけれどさすがイタリア人のモリコーネ氏、実に雄弁に自分の作品を語る。
映画は彼の人生を時系列に追っていて、トランぺッターだった父親に強制的に音楽学校に入れられ、やはりトランペットから入ったもののやがて作曲に興味を持ち、しっかりとアカデミックな音楽教育を受けたことが語られる。その流れで前衛音楽なども経験し、それらが彼の映画音楽を他とは違うレベルに引き上げたことが納得できる。
しかし音楽学校の生徒のほとんどは裕福な家の子弟、卒業後も純粋音楽を追求するのが高尚とされるなかで家族を支えるためにポップスの編曲を手掛け、やがて映画音楽も作曲するようになったモリコーネはずっと劣等感に苛まれていたようで、小学校の同級生(!)だったセルジオ・レオーネのマカロニウエスタンで有名になるものの、「ウエスタンの音楽は気に入っていない」と言うあたりが彼のプライドの高さをうかがわせる。
結局モリコーネ氏、500本以上の映画音楽を手掛けたそうで、次々に紹介される映画の断片を見ていると片っ端からまた見たくなってしまう。特にレオーネのマカロニウエスタン、そしてジャン・ギャバンの「シシリアン」とか、かっこいい!
公開初日の朝一に見に行ったら結構いい入りのお客さんの半分以上は中高年のおじさん、というかおじいさんたちだったが、この映画を楽しめるのは自分も含めてこういう古い映画を見ていた人たちだろう。
と言うのもこの作品、モリコーネの功績をわかりやすく紹介はしているものの、ドキュメンタリーとしてはあまり面白くない。たくさんのインタビューの中にはハンス・ジマーの「最初の音を聞いただけでモリコーネとわかる」なんて印象的な言葉もあるのだが、ほとんどは一方的な賛辞ばかり。音楽家の人生に波乱はないし、なかなか取れなかったアカデミー賞もイーストウッドから名誉賞を受け取り、その後で無事に音楽賞ももらうが、このくだりもそれほど盛り上がらない。
157分もある長い映画が数分の名画の断片とその音楽に全くかなわないのだ。
トルナトーレ監督の「ニューシネマパラダイス」はあざとくて好きになれず、音楽と最後のキスシーンのモンタージュだけがいいと思った。
この映画の中で新人だった自分の映画に音楽を提供してくれたモリコーネへの感謝を述べているが、その恩があるので甘くなってしまったか。
やっぱりトルナトーレとは相性が良くないようだ。
映画の後はすぐ近くにある鹿児島県のアンテナショップのレストランへ。
テーブルにお醤油が2つあるのは鹿児島の醤油がすごく甘いから。
黒豚ねぎしゃぶのスープもすごく甘くて、入っていると思ったおそばが入っていなかったのは残念だったが、たっぷりのネギでおいしかった。
日比谷からは六本木に移動。
すごく久しぶりにサントリー美術館に来てみると、こちらも中高年でいっぱいで入場には列ができていた。
見に来たのは「京都・智積院の名宝」。
秀吉が最初の子、鶴松の菩提を弔うために建てた祥雲禅寺の長谷川等伯による金碧障壁画が一度に見られるということでやって来たのだが、あまり広くない会場なので5枚の国宝が一目で見渡せるのが圧巻。
等伯の楓や松ももちろん素晴らしいのだけれど、それ以上に息子の久蔵の桜図がなんとも清楚でいいのだ。
等伯は跡取りとして期待していた久蔵が若くして亡くなってしまったのでとても気落ちしてしまったそうだが、さもありなん。
この一枚を見るだけでも来た甲斐があった。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
11月13日
6泊したKLのアパートともいよいよお別れ、最後の朝食は一番近いインド・レストランに行ってみた。
この店、朝から夜遅くまで営業していてお客の入りもいいのだが、むさい男性客が多くてなんとなく入りづらかった。この朝はまだお客がほとんどいないので入ったのだが
ロティ・チャナイを頼んでみるとこれがおいしい!
ロティはしっとり、添えられた黄色とオレンジのカレーに具は入っていないが辛すぎずに食べやすく、これでたったの2リンギット(約60円)。
看板をよく見ると「Malaysia's No.1 Bukhara Biriyani」なんて文字も見えて、メニューを見るとビリヤニがずらり。なんでもっと早くここに来なかったのか、と後悔するも後の祭り。
他にもまだ入ってみたかった店がいくつもあるし、またKLのこのアパートに来たいな。
ゴミを片付け、カードキーをテーブルに残してアパートをチェックアウト。
Grabで30分ほどでTBSバスターミナルへ。
まるで空港ターミナルのように大きな建物に入ると、入ってすぐの所はがらんとしていたが
その先のメインロビーは旅行客でいっぱい。お店もいっぱいあって活気がある。
なにしろすごい数のバスがここから出発するらしい。
これからマラッカへ行くのだが、チケットはタイの寝台車でもお世話になった 12Go で予約した。
と言うのもマレーシアにはバス会社がたくさんあって、こちらのサイトが一番比較しやすかったから。
するとメールでバウチャーが送られてくるのだが、KLではこのターミナルのカウンターでチケットに交換しなければならない。
カウンターはいくつもあって、どの窓口でもすべての会社のチケットを発券してくれるのだが、一人一人結構時間がかかるので長い列はなかなか進まない。
結局20分ほどかかってやっとチケット入手。バウチャーには出発30分前には来いと書いてあるが、時間に余裕を持って来てよかった。
ゲートを通って、出発は1階下。
今回はTransnasionalという会社を利用、乗り心地はごく普通、大きなバスだが乗客は8人だけだった。
12時ちょうどに出発して広い高速を飛ばすこと2時間。
14時にマラッカのバスターミナルに到着。このバスの運賃が15リンギット(約450円)なのだから、マレーシアの交通費は本当に安い。
こちらのバスターミナルもとても大きくて、中はまるでショッピングモールのよう。
正面出口ではみんな当然のようにGrabを呼んでいる。
ここからマラッカの旧市街までは15分。
途中に見えるモスクが独特の形をしている。
こちらでの宿はオランダ広場のすぐ脇にある Jonkered Heritage Hotel。
名前の通りオレンジ色の古い建物だが、中はカジュアルな感じで
コンパクトな部屋に必要な物はちゃんと揃っているが
建物の造りのせいだろう、バスルームだけがやたらに広い。窓の外は駐車場で、おかげで夜も静かだった。
荷物を置いて一息入れたら、さあ、マラッカの観光に行こう。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
11月12日
早朝に目覚めてマラソンを目撃した後、また近所に朝ごはんを食べに出る。
昨日の魚頭麺の店のまわりにも壁画に飾られた店が何軒かあって
そのうちの一軒に入ってみる。
マラソン帰りの人やらご近所さんやらで盛況な店内で
今日はごく普通のナシレマとテタレの典型的マレーシア朝食、9.8リンギット(約300円)。
ナシレマはどこで食べてもはずれがなくて、食べれば食べるほど好きになる。
本日はKL滞在もいよいよ最終日、また電車に乗ってバトゥ洞窟にでも行こうかと思っていたが、少し疲れてしまったので近くのスーパーに行くだけにする。
アパートからモノレールを挟んだ向こう側にある大きなショッピング・モール。
初日の朝にATMを探しに来ただけだったが、中央には大きなイベントスペースもあり、この日は学生たちのITイベントがあった様子。
お店はいろいろ入っているけれど、地下の食料品にしか興味がないのはいつものこと。
レストランなども何軒か入る中、大きなスペースを占めているのはNSKというスーパー。
ニンニクや生姜、イカンビリスが大量に売られているのが面白くて
魚売り場には鮫まで丸々売られているのにはびっくり。これ、どうやってたべるのだろうか。
ただしこの売り場はいささか生臭くて、ものは市場の方がずっと良さそうだ。
最近はどこの国でも見かけるお寿司も当然並んでいて
いなりずしがユニークな進化を遂げていたりもする。
こちらのスーパーでお土産に買いこんだのはマレーシアでお気に入りのスナック。
不気味(笑)な赤ん坊の絵がシンボルのこの魚味スナック、これがまた食べたくてマレーシアに来たというほど気に入っている。業務スーパーあたりで仕入れてくれないだろうか。
そしてもう一つ、量り売りしていたアラブ菓子。
ナッツがいっぱいでシロップに漬かったアラブ菓子も慣れるとはまる。この店のものも甘すぎずにおいしくて、日本でももっと買えるようになってほしい。
アパートに帰ったらあとはダラダラとソファで本を読んだり、Netflixの「ザ・クラウン」の最新シーズンを見たり。
お昼に大きな赤バナナを食べたら胃もたれしてしまって
KL最終日の夕食はマンゴーとヨーグルトで終了。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。