Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

久々香港出張

2007-06-30 14:01:26 | 東アジア
2年半ぶりに香港に出張で行ってきた。

初めての日本企業の出張、飛行機は当然エコノミー、4時間の飛行時間なら文句も言えないけどね。某アメリカ企業は無駄に贅沢だったなあ。

お泊りはコーズウェイ・ベイのパーク・レーン。一流ホテルとは言えないが部屋は広いし、目の前が公園で眺望がなかなかよろしい。
 
 周りのアパートはますます高くなる一方。この国で高層アパートには住みたくない。
 公園ではおじちゃん、おばちゃんが朝から太極拳や不思議なダンスをしている。

香港は雨季の真っ最中。日本も蒸し暑いが、香港の湿度はもっと高い。外にいるとお肌が結露しそう。それでいてビルやホテルの中は冷房の効きすぎで寒い。省エネへの道は遠い。

滞在一日目の夜、クライアント様と会食というので豪華中華料理を期待したら、なんとあちら様の希望で日本食の居酒屋になって愕然。こういう店の存在理由をはじめて得心。

普通に中華や海鮮も食べさせてもらったが、時間を見つけて一人で食べに行ったこういうものの方が楽しい自分は貧乏性。
 エビワンタンメン。こちらの細い、ゴムのような食感の麺、初めて食べた時はゲッと思ったが、慣れればこれもあり、とおいしく感じる。
 デザートの楊枝甘露。マンゴー、タピオカ、ポメロが入っている。

こちらはさらに庶民的な食堂。
 店内はおやじばかり。
パンからお粥、麺類、定食類、なんでもあり。
 牛肉入りの米麺。
しょうがの利いた牛肉がゴロゴロ入って、これでHK$16、日本円で250円ちょっと。

デザートには亀ゼリー。
 テイクアウトしたこれはHK$50、800円もする。が、量はたっぷり、一度では食べきれないほど。苦味よりも漢方薬のにおいが強くて、シロップをたっぷりかけて食べる。おいしくはないんだけど、やっぱり癖になる味。
 こちらはお土産用、HK$35。冷蔵で賞味期限2週間。

雨の季節はマンゴーの季節。
 いろいろな種類があるが、これはチャボの卵ほどの大きさで、英語では Kidney Mango とあった。スーパーで11個でHK$11と安い。皮をむくのがいささか面倒くさいが、甘みも酸味もしっかりあって結構おいしい。

これも時間を見つけて行ったお茶屋さん。
 
 ポーレイ茶を得意とする店で、古くて高いものは鍵のかかったケースに入っている。そういうのは味見させてくれないので、一番安くて飲み易いものを購入。

仕事の後は足裏マッサージでよだれをたらして、やっぱりアジアの出張は楽しいな。

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チベット人スタッフのこと

2007-06-26 14:13:59 | チベット文化圏
西チベットの旅で世話になったスタッフのこと。

まずは英語ガイド。
 貫禄があるがこれでもまだ20代。
7歳の時に他の子供たちとコーディネーターに連れられてヒマラヤを越え、インドのダラムサラで10年勉強してきたと言う。本人も家族も大変だったろうと思うが、事もなげにさらっと言う。
7年前の英語ガイドも同じ境遇で、そのような経歴だと公の職には就けないと言っていた。
チベットからインドへ行って帰ってくる子供はどのくらいいるのだろうか。

それにしてもラダックに行った時も思ったが、チベット人の英語にはなぜインド訛りがないのだろう。インド人はいい学校の出でも強烈な訛りがあるのに。
カルマパのマントラ入りCDを聞かせたら一緒になって唱和していたし、ダラムサラでの教育はかなりしっかりしていると見える。

ドライバーたち。
 
みんなチベット人で信心深い。特にリーダーは朝からお経を唱えながら運転していた。親切で、慣れると楽しい人。
2番のドライバーはおとなしくて、でも頼りになる人。
3番はすばしっこくて、体は小さいがけんかっぱやい暴れん坊。
4番は経験が少なくて、ちょっと頼りない。
言葉が通じないので慣れるまで時間がかかったが、一緒にいるところを見ているだけでも面白かった。

料理長。
 カイラス・ダイエットに失敗したのはこの人のおかげ。
こんな格好で毎回手際よく料理を作り、限られた食材を本当においしく食べさせてくれた。
しかもいつも素敵な笑顔で、この人が怒っているところは一度も見たことがない。
でも正直、私たちに出してくれたものより、スタッフ用の食事はもっとおいしそうだったぞ!


若いがキッチン・スタッフのリーダー格だった子。とても気のつく働き者。
車に乗るとすぐ寝てしまう癖があって、おかげで他のメンバーにこんな落書きをされてしまった。


スタッフ最年少のキッチン・アシスタント。いつもニコニコと愛想がよくて、この写真では分かりづらいがとてもかわいい顔をしている。きれいに洗って日本に連れて来ればジャニーズに売れるんじゃないか、と日本の心の汚いおばさんは思ってしまった。

チベット人はシャイで、簡単に馴れ馴れしくしたりしないところがいい。
みんなのおかげで快適に楽しく過ごせました。

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西チベットの旅 17

2007-06-25 12:52:17 | チベット文化圏
6月30日 カシュガル

午前中は自由行動、なので旧市街に散歩に出た。
エイティガール寺院の裏手にはウイグル人の住居が続く。
 
狭い通路の両脇の土壁が日陰をつくり、家は扉を閉ざしてよそ者を締め出す。
 でも時々開く扉の中にはきれいな中庭が見えて快適そうだ。
イスラムの国にはこのようなつくりの家が多いが、異教徒から見るイスラム教の姿を象徴しているようにも見える。

昼食の後、今度はガイドさんに連れられて町を歩く。
 
どこの国でも職人さんは魅力的。
 
市場のディスプレイもかわいい。
 お寺の中庭で昼寝をする人。
こういう姿って何百年も変わらないんだろうなあ。

夕食はガイドさんお薦めのローカル・レストランで。

ジョッキに入っているのはジュースといろいろなフルーツ。強力にお薦めされたのでみんな飲んだが、これが甘い!
大人気のレストランなので、途中ウイグル人の家族と同席になったが、この人たちは食事の前にアイスクリームを食べていた。ウイグル人は甘党なのだろうか。

写真のご飯を食べ終わる頃になって羊のスープが出た。羊くさいけどコクがあってものすごくおいしい。もっと早く出してくれればいいのに、やっぱり出てくる順番が謎。

7月1日 カシュガルから北京

ラサからずっと乗ってきたランドクルーザーで空港へ。
 
 
ガイドとドライバーたち、百万ドルの笑顔のシェフが見送ってくれる。
みんな個性的で楽しかった。3週間も一緒だったのでお名残惜しい。

飛行機でまずはウルムチへ。乗り継ぎの時間がたっぷりあるので町中のレストランで昼食。ウルムチは中国の大都会。空気がどんよりとほこりっぽく、チベットの高地がもう恋しい。

ウルムチから北京行きの飛行機は2時間遅れた。おかげで北京のホテルにチェックインしたのが11時近く。添乗員と楽しみにしていた最後の足裏マッサージには間に合わなかった。残念。

7月2日

予定通り成田到着。23日間の旅行終了。

家に帰って体重計に乗ってみたら、出発前と1キロも変わっていなかった。3キロは減ると言われたカイラス・ダイエット、看板に偽りあり。

振り返るだけでも長い旅だったが、やはり得がたい経験だった。

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西チベットの旅 16

2007-06-24 14:50:20 | チベット文化圏
6月29日 つづき

キャンプ地を出発、一路カシュガルへ。タクラマカン砂漠が見えてくる。
 遠くには石油精製所の火を噴く煙突がいくつも見える。

そしてとうとう新蔵公路の出発点、アーバーで西域南道に突き当たる。
 
添乗員が一番うれしそうだ。
 道はいきなり片側3車線の美しい舗装道路、バスやガソリンスタンドなんて久しぶりに見た。
 
 こんな西域らしい乗り物も通るけど
 ポプラ並木もいかにもシルクロードらしい

 
ヤルカンドの町でラグメン。うまい!
 道路わきにたくさんいた杏売り。この杏が甘くてものすごくおいしかった。

インシージャを通って、とうとうゴール、カシュガルに到着。
ラサからここまで3300キロ


夕方、食事がてらエイティガール前の広場へ。
 
 すっかりきれいに整備されて、みやげ物のモールまである。
でも一歩入れば西域らしい屋体街。
 チベットでは考えられないフルーツの豊富さ。大好きなぺっちゃんこの桃がふんだんにある。
 一度は食べてみたい羊の頭。でも誰も賛同してくれない。

本当に遠くまで来た。

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西チベットの旅 15

2007-06-23 17:51:02 | チベット文化圏
6月28日 カンシワからクティ

道は険しい岩山が両側に迫る間を抜け、アップダウンを繰り返しながらチベットを離れていく。
 
今日は天気もどんよりと暗く、景色は灰色一色だ。

4000メートルを越える峠がいくつも続く中、日本人のチャリダーに遭遇。
 パキスタンからクンジェラブ峠を越えてきて、これからラサまで行くと言う。クンジェラブを越えてきただけでもすごいが、この先にはあのアクサイチンが待っている。くれぐれも無理をするな、と言い聞かせ、あまっているお菓子や薬を持たせて別れたが、無事ラサまでたどりついただろうか。

最後のピクニック・ランチも岩山の中。
 旅の終わりが近いチベット人スタッフはうれしそうだ。

しかしこちらはチベットを離れるのがさびしくて仕方ない。
標高3790メートルまで降りたマザルにはパスポートのチェック・ポイントがあったが、ここの役人はもうウイグル人だった。
 荷役用の動物ももうヤクではなくラクダだ。

くねくねとした道はどんどん高度を下げて行く。悪路だが途中、ところどころに舗装箇所がある。


最後の野営地をめぐってスタッフの間でひと悶着。もうこのあたりの村はすべてイスラム教徒で、チベット人たちとしては居心地が悪いらしい。
実際、はじめに泊まろうとした村では村人たちの雰囲気が非常に悪かった。異民族同士の葛藤を垣間見た思い。

結局、予定より遅くなったがプシャ近くまで行き、きれいな村のお向かいの空き地にテントを張らせてもらった。
 
 
この日の夜はテント泊最後ということで、日本食の大放出。それでも随分食糧があまったようだ。

6月29日 プシャからカシュガル

朝、食事の前にウイグル人の村をお散歩。

イスラムの人たちはきれい好きで、朝から玄関の前をきれいに掃き清めている。
 
かわいいお嬢さんとその家族にご挨拶。お母さんが何か一生懸命に言ってくれるが、さっぱりわからない。
 
水汲みのお嬢さんたちもぐっとエキゾチックな顔立ちだ。

出発の準備が整い、ここですっかり荷物の減ったキッチン・カーとはお別れ。

気のいいキッチン・スタッフ達と別れるのは名残惜しい。
毎朝分けてもらっていたツァンパ、ご馳走様でした。

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西チベットの旅 14

2007-06-22 19:49:49 | チベット文化圏
6月26日 アリからドマル

アリを発って新蔵公路をカシュガルへ向かう。ラサに通じる道の中でも最も荒涼としている道だ。

岩山とたまに見る羊以外、何もない道をずっと行く。
お昼になってようやくパンゴン・ツォ到着。

標高4300メートル、東西に113キロもある細長い湖で、西側4分の1はインド領になっている。これを渡ればラダックのレーまですぐだ。
穏やかな湖で、いとも簡単に越境できそうだが、さすがに国境らしく、湖畔のお昼を食べた食堂には中国軍の人間がやはり食事に来ていた。
つまみ食いさせてもらった魚つみれの揚げ物がむちゃくちゃおいしかった。

湖のしばらく先に湿地帯があり、そこにオグロヅルがたくさんいた。

夏はチベットにいて、冬になるとブータンへ越冬に行く。英語ではブラックネック・クレーン、日本語ではオグロヅル。確かに首も尾も黒いけどね。

標高4450メートルのドマルはトラック・ステーションのような所。

ここに軍の駐屯地がある。

まだ十分明るいのでしばらく先へ進み、きれいな川の流れる平坦な草地でキャンプを張る。
 
お隣さんは羊飼いのテント。
 
彼らの番犬が一晩中、狂ったように吠えていた。

6月27日 ドマルからカンシワ

ドマルから先、また標高が上がる。
 ここでは6月の末でも川が凍っている。

 だらだらとした坂を上がっていくと
 きれいに雪をかぶった山が見えてきて、これを過ぎるとこの道の最高地点、界山大坂。
 碑には6700メートル(!)と書いてあるが、腕の高度計では5200メートルほどしかない。1000メートル以上もサバを読むなんて、インド人だってここまではしない。さすが中国、白髪三千丈の国だ。

ここを過ぎていよいよアクサイチン。中国とインドで領有権争いをしている土地だが、中国人が道路まで作ってしまって実効支配している。

標高5000メートル前後、草一本、虫一匹いないような砂地が延々と続く。

こんな所を取り合ってどうするんだろう、とつくづく思う。

 お昼もこんな景色の中
 おなじみのメニュー
 おなじみのトラブル。
とは言え、こんな所に取り残されたら死んでしまう。

アクサイチンを通り過ぎるのに5,6時間かかっただろうか。
久しぶりの町、ターホンリュウタンはまたトラックのための町。
 

こんな素晴らしい英語の看板もあり。

この先、カンシワの草地にテントを張り、大事なトイレを掘って宿泊。
 

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西チベットの旅 13

2007-06-21 02:30:05 | チベット文化圏
6月24日 ピヤン・トンガ

朝、ツァンダの町を出て、ピヤン・トンガへ向かう。土の山が続く中、かなりの悪路を2時間半かけて行く。

ようやく到着したトンガ村、より正確にはドゥンカル村というそうだ。
 
グゲ以上に楽しみにしていた遺跡なので、喜び勇んで石窟がボコボコ穿たれた岩山に登り始める。

と、下の方から大声で呼び止める声。何事かと思ったら、なんと鍵番がアリの町に出かけてしまっていないと言う。他に鍵を預かっているものはなく、責任を取れないので山に登ることもまかりならん、と言うのだ。
大ショック
ここの壁画が見たくてこんな遠くまで来たのに、と泣きそうになる。
私の壁画好きを知っているチベット人ガイドも気の毒そうな顔をしてくれるが、彼にもどうしようもない。それにしても、なんという不運。カイラス巡礼までしたのに、まだ徳が足りなかったか。

恨みのトンガ遺跡を目前に眺めながら、他にすることもないのでピクニック・ランチ。でもショックでご飯がのどを通らない。
「若いんだから、また来ればいいじゃない」と同行者に言われたが、ここまではそう簡単に来られない。ネパールとの国境でも開かないかぎりはねえ。
とにかくここ何年かで最大のがっかり。

↑こんな景色の中、来た道をがたがたと戻り、午後時間ができたのでもう一度ひとりでトリン寺を見に行く。
と、ここの守番がまたいやそーな態度。懐中電灯を持ってついて来るが、さっさとしろ、という態度がありあり。こちらは拝観料を払っているんだから、と懐中電灯をひったくって思う存分見て差し上げた。

6月25日 ツァンダからアリ

3泊したツァンダを離れ、来た道とは別の北側の道を通って219号線に戻る。
3週間もチベットにいるとなんだか目が良くなって、遠くの羊飼いもやけによく見える。
 


 北側の道も南側に劣らぬ難路で、峠をいくつも越える。

ナムルという町のちょっと先でようやく219号線に再合流。ほっとしたとたん、道がいきなりアスファルト舗装の直線道路になった。
 ドライバー達がうれしそうにとばす、とばす。
 そして見えてきたアリの町。

タクシーもスーパーもある大都会だ。
 シガツェ以来10日ぶりのバスルームのついた部屋。もちろんお湯も出る。
 しかし標高4300メートルでエレベーターのない5階の部屋はきつかった。

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西チベットの旅 12

2007-06-19 13:53:59 | チベット文化圏
6月23日 つづき

午後はツァンダ郊外、ツァパランのグゲ遺跡へ。

荒涼とした景色の中に、今は砂の塊と化したような王城がそそり立つ。16世紀にはここに数千人が住んで、交易都市として大繁栄したのだという。

今もその当時の面影を残すのはラカン・マルポ(紅殿)
 
と、その下のラカン・カルポ(白殿)だけ。中にはトリン寺同様、後期グゲ様式の壁画がぎっしり。
特にラカン・マルポにはお祭りの様子や寺を建立したときの様子などの細かい絵があって楽しい。

堂内は撮影禁止なのでこの写真は「中国地理紀行 2002年2月号」から。
これと同じような絵はスピティのタボやダンカル・ゴンパにもあった。繋がっているのが確認できてうれしい。

それにしても写真がないと壁画を思い出すのは難しい。トリン寺とグゲは同じ時代なのでなおさら。残り少ない脳細胞ではせっかく長旅をして見ても、記録がないと記憶からこぼれ落ちてしまう。

 
急な石段を上がり、狭いトンネルをくぐって山のてっぺんの王宮跡へ。中には何もなく、お姉ちゃんが飲み物を売っている。
そしてここからの眺め!

世界を征服した気分になれる。

しかしここまで苦労して登ってきたのは世界征服したいからではない。高木辛哉氏が「西チベット ウルトラガイド」の中で一番いい壁画があると書いているキルコルカンの中が見たかったからなのだが、
 
鍵がかかっている!飲み物売りの姉ちゃんは分からないの一点張りだし、うう、悔しい。

悔しすぎるので陰になっている小さな石窟のかろうじて見える壁画をドアの隙間から盗撮。
 ラクダに乗った美女の図。
部屋の奥にはさらに壁画があるようで、ああ、もっとちゃんと見たい!

 
城の上にはタルチョが翻り、添乗員は1人物思いにふける。
 
城の下を流れる川に水はほとんどないが、素晴らしい景色だ。

降りる途中、冬宮入り口という表示を見つけたので急なトンネルに入ってみた。
 
中は岩をくりぬいた廊下の両側に部屋が並び、飾りも何もない。
つい先日、ディスカバリー・チャンネルのグゲ特集を見たところ、ここはどうやら篭城戦のための倉庫だったらしく、このおかげでラダックとの戦いの時、長いこと持ちこたえたのだそうだ。飲み水確保のため、下の川までトンネルは続いているそうで、実際迷子になりそうであわてて元来た道を戻った。

集合時間が近づいたのでラカン・マルポまで戻ると、遺跡の管理責任者のおじさんが別のグループを案内していて、こちらが日本人と分かると壁画の前の柵の内側まで入れてくれた。ついでにキルコルカンも見せて、と言いたかったが時間がなく断念。ラカン・マルポをじっくり鑑賞して引き上げた。

不完全燃焼ではあったが、グゲはやっぱり素晴らしかった。

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西チベットの旅 11

2007-06-18 14:24:57 | チベット文化圏
6月22日 タルチェンからツァンダ

旅のハイライト、カイラス巡礼は終わったが旅はやっと折り返し点。これから自分的にはさらなるハイライトであるグゲへ向かう。

薄雲の中のカイラスを惜しみつつ道を行くと、チベット・ガゼルがお見送り。
 
 一段と広々とした景色の中をすすみ、メンシという小さな町で西への公路をはずれ南に入り、ティルタプリへ。グル・リンポチェも、アティーシャも、ミラレパも訪れたという由緒ある聖地だ。
 このゴンパは80年代に再建された新しいもの。
 奥にはたくさんの洞窟、門前には長ーいマニ壁や無数のチョルテンがあって、なるほど聖地らしい雰囲気がいっぱい。
 崖下の川をまたいでタルチョが何本も掛けられている。
 
川の脇にはかなり熱い温泉が湧き出している。なにやら工事中だったので、そのうち宿泊、入浴施設ができるのだろう。温泉の縁には白い沈殿物がたまっていて、その白いコロコロしたものを酒に漬けておくと薬になるのだとチベット人ドライバー達が一生懸命集めていた。何にどういいのかは今ひとつわからず。

また公路に戻り、パルでツァンダへの道に入る。高度が一気に上がり、道はがたがただ。

緑はほとんどなく、人はおろか動物の姿も見かけない。
荒涼とした高地をしばらく行くと、やっと峠の上に出た。

眼下には土林と呼ばれる渓谷が広がり、その向こうにはヒマラヤの山々。写真ではとても捕らえきれない、すごい景色。
 
道を下っていくと、まるで粘土が解けたような崖が両側に迫る。雨が降ったらこの道がどうなるか、容易に想像がつく。恐ろしい。
 川沿いにわずかな緑が見え出したら高台にやっとツァンダの町が姿を現した。
 これから3泊する古格賓館。
 3人一部屋だが広い。
 中国軍の駐留する町のメインストリート。いろいろなところからやって来た人たちが飲食店を開いている。中国人の町で食べるものには困らない。
 早速ウイグル人の店でシシカバブをつまみ食い。このお兄さんのシシカバブはおいしかった!

6月23日

朝食の前に町をお散歩。メインストリートの裏にはチベット家屋が並び

 その奥にトリン寺がある。

ホテルのすぐ裏のそのトリン寺へ。
 
 
ラカン・カルポ(白殿)とラカン・マルポ(紅殿)の内部には15世紀グゲ様式の壁画がきれいに残っていてすばらしい。壁にびっしり描かれた絵を懐中電灯で必死に見る。
内部は写真撮影禁止だし、暗くて照明なしには到底無理なのだが、入り口外の美女達だけ盗撮してしまった。
 
ふくよかな美女たちの衣装はインド風だ。

ラカン・マルポの裏にはギャセル・ラカンという建物があるが、こちらは文革中に徹底的に破壊されたとのことで現在修復中。中を見ることができたが、破壊された仏像の頭だけ残っていたりして、涙が出る。永久に残るものなどもちろんないが、人間の非寛容によって美しいものが壊されるのは悲しい。

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西チベットの旅 10

2007-06-17 15:08:44 | チベット文化圏
6月21日 カイラス巡礼3日目

朝、目を覚まして外を覗くとまた雪でテントが埋まっていた。
 
でも空は快晴、周りの山がきれいだ。

歩き出してしばらくして逆方向から回ってくるチベット人とすれちがう。
 ボン教徒だ。

すぐに巡礼路3番目の寺、ズトゥル・プク・ゴンパに到着。
 
 ミラレパゆかりの寺で、奥に彼が開いたという石窟がある。

このお寺を出る頃には早くも雪は消えてきた。今日は道も割合に平坦だし、ゴールまでの距離も短いので気が楽だ。
 顔を出したマーモット。
体長50センチほどのこいつらはチベットで一番よく見かける。東チベットでもザンスカールでも道端をのそのそしていた。
 お尻もかわいい。

本日のお昼はチベット・パン。
 昨日は何も食べられなかったが、今日は何とか食べられる。もそもそしたパンだが、噛み締めるとおいしい。

 ランガク・ツォが見えればゴールは間近。
 そしてゴール!

思わず同行者と抱き合ったが、達成感というよりは「ああ、やっと終わった~」という安堵感。標高5000メートルで50キロを歩き通したという自信や満足感より、こんなにしんどいものだったか、というのが正直な感想。山を3日歩いたぐらいで人生観が変わるわけもない。

荷物を運んでくれたヤクくん、お馬さんたち、

ご苦労様。

タルチェンに戻ってから町の美容院(!)に洗髪に行った。中国人のお姉さんがガシガシ洗って、びしょ濡れで解放してくれる。荒っぽいが久しぶりにさっぱりした。

夕食のレトルトカレーがおいしかった。

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