Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

バスクでくいだおれ 11

2008-03-30 03:19:01 | ヨーロッパ
8月26日

今日もビルバオの町を探索。
まずはホテルの前の停留所から市電に乗って旧市街に向かう。
 
 この緑の芋虫のような市電がかわいい 

最初にのぞいたのはお約束の市場。
  
立派な建物でバリバリ現役。
 上の階には八百屋と
 肉屋!
 下の階には魚屋が並び、料理人らしき人たちも大勢来ている。
 たくさん売られていた「亀の手」はバスク名物らしい。フジツボの一種で強精剤とか。日本で一度食べたことがあるが、ちょっと磯くさい貝のよう。

  
また旧市街をうろつくが、本日は祝日のためお店がみんな閉まっている。買い物ができなくてちょっとつまらない。
というわけでまたバルへ。
 こんなおしゃれなカフェのようなバルでは
 スシ・タパス!
パンの上に乗っているのがなんともおかしい。
 やっぱりこっちの方がおいしい、鰻の稚魚にイワシの酢漬け。
 こちらのバルは煮込みがいっぱい。
 イカの墨煮に今日もピーマン。

腹ごしらえをすませて、いよいよ最後の観光、グッゲンハイム美術館へ。
  
正面の巨大な犬はジェフ・クーンズの作品。収蔵品もモダン・アートなので、そちら方面にあまり興味がない者には美術館の建物そのものが一番の見もの。ちょうど開催されていた「大ロシア展」のイコンが自分的には一番好きだった。

ビルバオ滞在中はちょうど観光客誘致のためのフェスティバル週間で催し物が多数。あまり興味がないので素通りしたが、最後は花火大会。
 肩車されたベビー達と見物。

帰りはカラトラバ設計のかっこいいビルバオ空港からパリ経由、日本へ戻った。


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バスクでくいだおれ 10

2008-03-29 00:49:33 | ヨーロッパ
サンセバスチャンからビルバオまでは高速道路を使って1時間ほど。
いつもの通り、すぐに町の探索に出かける。

まずはホテルの目の前のネルビオン川に沿って遊歩道を歩く。
 ビルバオは斬新な建築物で町おこしに成功した所。こんな階段さえなんだかおしゃれ。
 川にいくつもかかる橋もそれぞれ個性的で、こんな木の橋もある。
 こちらはサンティアゴ・カラトラバ設計のズビズリ橋。正面から見ると何の変哲もないつり橋だが
 横から見るときれいなカーブを描いている。さらに夜になるとガラスの床下からライトアップされてとてもきれい。

そしてこの川沿いにはあの有名な
 グッゲンハイム美術館。
巨大なリボンをぐにゃぐにゃさせたような建物を見るには川の対岸がベストポジションだ。

さらに歩いて旧市街に入ると
 アールヌーボー様式のビルバオ駅あり
  古い教会あり。 
 
いろいろな時代の建物が入り混じって面白い。 
 バスク・ベレーのお店も発見。

そして今夜もバル巡り。
 渋い親父の店で
 小さな貝を針でつまみ出したり、
 赤いとさかのパンク兄ちゃんと生ハムをつまんだり。
 ビルバオの旧市街をうろつくのも楽しい。


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バスクでくいだおれ 9

2008-03-28 01:05:30 | ヨーロッパ
8月25日 

午前中、最後のサンセバスチャン観光。
と言ってももう見るところはほとんどない。
 新市街の大聖堂をちょっとのぞいて、
あとは早々と旧市街のバルをめぐってお昼にする。
  
どれもこれもおいしそうで、あれも食べたい、これも食べたい。
 絶対外せないピーマン。これはいくら食べても飽きない。
で、こんなものをつまみながらお客さんを眺めていると、お昼の地元民はぷらっと入ってくるとチャコリを一杯きゅっとひっかけ、つまみを一品つまんですぐに出て行く。
 その様がいかにも粋。
  
バルのお兄さんやおやじさんも妙な愛想など振りまいたりしない所がバスク人らしくて渋い。

ところでバスクのバルめぐりでは一つ困ったことがある。
と言うのも、タパスが目当てとは言えバルは酒場。酒の飲めない人間は肩身が狭いのだ。飲み物を何も頼まないわけにはいかず、かといって水やジュースはそう飲めない。しかもそんなものの方がワインより高いのだ。

そんなことをぐちりながら最後に行った一軒。
  
教会の前にあるこの店はバルだけれど注文してから料理を作るスタイル。
 イカのグリルに
 フォアグラのソテー
どちらもソースが凝っていておいしかった。

まだまだ入ってみたい店はいっぱいあったけれど、おなかもくちくなったので新市街のバスターミナルからビルバオの町に移動した。


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アルジェリアから絵葉書

2008-03-26 23:37:00 | 中近東/北アフリカ
昨日ポストをのぞいたら絵葉書が届いていた。

これがなんと、去年の大晦日にガルダイアのホテルの前のポストから自分宛に出した絵葉書。
もう届かないとあきらめていたので、これはうれしい驚き。

届いてほしかった理由はこれ↓
 
ドライバーさんにトゥアレグ文字を書いてもらっていたから。
左側が「おはよう」、右のちょんちょんがたくさん並んでいるのが私の名前。
トゥアレグ族でも書ける人は少ないようなので、これは貴重品なのだ。

それにしてもこのはがきを投函したのが12月31日、ガルダイアの消印は3月15日になっている。ということはこのはがき、2ヵ月半もあのポストの中で眠っていたのか。

それでもちゃんと届いたのだから、アルジェリア・ポスト、えらい!


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バスクでくいだおれ 8

2008-03-25 02:29:58 | ヨーロッパ
8月24日

サンセバスチャンを離れ、海岸線を西へ、ゲタリアの町まで行ってみる。
 道路から下がった所にこじんまりとした町が広がる。

あいにくの天気だがかわいいビーチと小さな漁港が見える。

階段を下りていき、漁港に面したレストランの2階へ上がる。
 ここは昨日のガイドさんお薦めの店。親切にも予約を入れ、メニューの指定までしてくれたのだ。
 いかにも海辺のレストラン。明るくて気持ちがいい。
 まずはアジの塩焼き。これにご飯と味噌汁があればそのまま日本のごはん。
 魚のスープ。濃厚でおいし~。たっぷりつがれるのでこれだけでおなか一杯になってしまう。
しかしメインはこれから。
 
大きなカレイがどーん。薄っぺたな魚とは言え、これを2人で食べるのだから食べでがある。しかもこのカレイ、今まで食べた中でも1,2を争うおいしさ。ああ、もう一度食べたい。
 デザートにはカスタードパイ。
もう動けない。

おいしい食事に大満足して、港をブラブラ散歩。小さな教会をのぞいてみたり。
  
坂を上がって街の中心を出るとブドウ畑が一面に広がる。
  
バスクでよく飲まれているのはチャコリと呼ばれる白ワイン。ゲタリアはその生産地の一つなのだ。自分は下戸なのでよくわからないが、さわやかで飲みやすく、おいしいらしい。しかも1本7ユーロぐらいと安い。
 ブドウ畑の中を通る細い道にはホタテ貝の印の道標が立っている。ここもサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路なのだ。

こんな道ならずっと歩いていくのも楽しいかも、と思いつつローカルバスでサンセバスチャンへ帰還。
至れり尽くせりなガイドさんのおかげでとてもおいしい一日になった。


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バスクでくいだおれ 7

2008-03-22 23:36:07 | ヨーロッパ
美食クラブですっかり満腹になったので、午後は腹ごなしに街の裏の山に登る。

眼下にはヨットハーバーが見え、

対岸には前日に行ったイゲルドの山が見える。

こちら側の山は全体が公園になっていて、頂上には古い要塞の跡とキリスト像が建っている。
 
 これは公衆トイレ。
しゃれた外観なので入ってみたが、中は普通にきれいだった。

天気がいまいちなのでヨットハーバーにあるかわいい水族館に入ってみる。
 
 小さいが水中トンネルまであってなかなか楽しい。
さっきまでおいしい、おいしい、と仲間を食べていたんだけど。

  
旧市街の教会を見学し、広場でのんびりお茶をする。
 今日もバル巡りの人で通りは一杯。
しかし我々はお昼をガッツリ食べすぎて夕食が入らない。
 ガイドさんが街歩きの途中で見つけて説明してくれたバスクのお菓子をホテルに差し入れてくれたので、夜はそれですましてしまった。

エッグタルトや日本の鶏卵素麺のようなあまーいお菓子は、ポルトガルのお菓子に似ていた。


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バスクでくいだおれ 6

2008-03-21 02:12:20 | ヨーロッパ
さて、いよいよ美食クラブである。

美食クラブというのは女人禁制、男同士で集まって自ら料理を作り、酒を酌み交わしながら楽しむという会員制クラブで、サンセバスチャンには300近くもあるという。それぞれが厨房を備えたクラブハウスを持ち、それを最近は平日の昼間に限って女性もOKの料理教室に貸し出す所が出てきた。

我々が行ったのはここ。
 旧市街を見下ろす場所にある 
Cofradia Vasca De Gastronomia
 
簡素な内装だが木を多用した天井には船の舳先飾りがあって海辺の町らしい。
 そして広々と立派な厨房。

ここで生ハムをつまみながら教わった料理。
 ピーマンをフライパンに入れ、上からオリーブオイルをかけて(ここがポイント)火にかけ、焼きあがったら皿に移して塩を振る。それだけ。だがバスク名物のこの細長いピーマン、ちょうど旬ということですごくおいしい。日本では万願寺唐辛子が近いかもしれない。
 これは珍味、メルルーサのあご下のピカタ。市場で魚のあごだけを売っていて、これは当然1匹に一つだから結構な高級食材。これに小麦粉と卵をつけて焼くだけなのだが、これがコラーゲンたっぷりでうまい!!日本でも手に入らないかなあ。
 アンコウのロースト。日本だったら鍋にするところだが、こちらでは塩を振ってオリーブオイルをたんまりかけてオーブンへ。焼きあがったらイタリアンパセリを振りかけて出来上がり。弾力のある身で食べ応えがある。
 そしてメイン料理、メルルーサのバスク風。これも作り方は簡単で、
1.鍋にオリーブオイルを入れ、にんにくのみじん切りを炒める。
2.小麦粉をまぶしたメルルーサの切り身を入れ、両面を焼く。
3.白ワインとスープストック(お湯でもOK)を入れ、アサリを投入。
4.蓋をして、アサリの口が開いたらイタリアンパセリ、塩を入れて出来上がり。
日本でもカジキやタラで試してみたが、失敗のしようがない。

最後のデザートにはマミーア。
この作り方はもっと簡単で
1.羊乳を人肌に暖める。
2.器に入れ、凝固剤(にがり)を1滴入れる。
3.かき混ぜたりしないでただ待つ。
以上。
これより簡単にはできない、というほど簡単だが、日本では材料が揃わないので作りようがない。

どれもメモを取る必要もないほど簡単な料理ばかりだが、おいしい食材は下手な手を加えないのが一番。どの料理もおいしくて大満足の料理教室、というよりお食事会だった。

ところで帰国してしばらくたったある日、ディスカバリーチャンネルの「アンソニー世界を喰らう」という番組を見ていたら、なんと、あのホセチョが出ている!サンセバスチャン一の料理教師、ルイス・イリサールの右腕ということで顔を出していたのだ。

誰よりもよく食べ、それ以上にがばがばワインとシードルを飲んでいた気さくなホセチョ、ほんとに偉い人だったのねー。おみそれしました。


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バスクでくいだおれ 5

2008-03-20 00:35:11 | ヨーロッパ
8月23日

本日はこの旅のハイライト、美食クラブでお料理教室。

昨晩のガイドさんに連れられて、まずは旧市街にある料理学校「ルイス・イリサール」へ。
  
ここはサンセバスチャンでも有名な料理学校だそうで、世界中から生徒が集まっている。日本からももちろん大勢来ているらしく、ほっとくと日本人だらけになってしまうので人数制限しているとか。

本日の講師はこの学校のナンバー2、ホセチョ。
 
体のでっかいこのおっさんに連れられて、まずは市場に食材の買出しに行く。

 旧市街の端に建つ2つの大きな建物、昔は野菜市場と肉・魚市場だったそうだが、今は上がショッピングセンター、地下に生鮮食品の市場がある。
 建物の外にはいかにも近所で採れたという顔の野菜。
 かぼちゃもかわいい。

地下に降りると生ハムのぶら下がる肉屋が並び
 
 さらに奥には魚屋が並ぶ。
さすがビスケー湾に面したサンセバスチャン、魚の種類は豊富だし、活きがいい。
 
 ディスプレイが独特で大笑い。
 魚を買えばもちろん下処理もしてくれる。ここではアンコウを買ったが、なかなか見事な包丁さばきに見ほれる。おもしろいのは魚屋でイタリアンパセリを必ずくれること。ここの魚料理には不可欠らしい。

魚の他にも生ハムや羊乳を買い込んで買出し終了。食材費は教室代とは別で、バスクらしい珍しいものが食べたい、とかわがままを言ったおかげで結構な費用になってしまった。ただし今回は手配会社の社員と社長夫人が視察のために合流してくれたので、割り勘になって助かった。

さあ、いよいよ美食クラブ、と思ったらその前に一杯飲みにバルへ寄り道。
  
開店して間もないというこのワインバー、壁の黒板がおしゃれで、トイレの個室の壁も全面黒板で落書きできるようになっているのが面白かった。

ホセチョのガソリンを充填して、いざ美食クラブへ。


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バスクでくいだおれ 4

2008-03-18 20:58:34 | ヨーロッパ
8月22日

バイヨンヌを離れる日の朝、町をゆっくり散歩する。
 
町の一番高い所にそびえるゴシック様式のサント・マリー聖堂を見学してからニーヴ川沿いのマルシェへ。
 こじんまりときれいだが、あまり活気はない。
ここでお惣菜を買い込んで列車に乗り込み、国境の町エンダイユ、イルンを経由してスペイン側バスクのサンセバスチャンへ。TGVを使えば1時間ほどで着いてしまう。
 到着したサンセバスチャンは結構大きな駅。国境を越えた辺りから家や工場が多くなって、フランス側ののんびりした田園風景とは雰囲気が違う。「バスク=田舎」という思い込みが崩れ去る。

ホテルに荷物を置いて早速街の探索へ。
高い所の好きな友人と私、真っ先にケーブルカーに乗って町を見下ろすイゲルド山の山頂を目指す。
 
天気に恵まれたこの日、展望台からの眺めは最高。

ちょっと子供だましな遊園地のある展望台でしばらく過ごし、下りは徒歩にしたら思ったより距離があってヘロヘロ。
 たどり着いたビーチはこのにぎわい。

夕方、ホテルで日本人ガイドさんと合流。今夜はサンセバスチャン名物、バル巡りに連れて行ってもらうのだ。
 旧市街の脇を流れる川沿いにはこれからバルに繰り出そうという人が一杯。
  
橋の欄干の町の紋章がかわいい。

旧市街に入ると狭い道の両脇にバルが軒を連ねる。
 どの店も人で一杯。
この立ち飲みの人ごみを掻き分け、カウンターにたどり着いたらまずは飲み物の注文をする。後はカウンターの上の食べ物を勝手に食べて、支払いの時には自己申告するんだそうだ。やっぱり初日はガイドさんを頼んでよかった。慣れれば簡単だけれど、最初は何をどうすればいいのかとまどってしまう。それにしてもおおらかなシステムだ。
 上の店はキノコで有名なので、カウンターには様々なキノコがてんこ盛り。これはもちろん焼いてもらう。
 でもこの店でおいしかったのは左下の鱈子。たぶんワイン蒸しだったと思うけど、これはうまかった!

で2,3品つまんだら次の店へ。
 この店は天井からたくさんの生ハムがぶら下がっている。
 もちろんいただく。

こんな調子で初日に4,5軒。
サンセバスチャンのバル巡りは始まったばかり。


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チベットとバスクについて考える

2008-03-16 18:57:41 | チベット文化圏
バスク旅行記を書いている最中にチベットの抗議行動が炎上(暴動とは呼びたくない)してしまったので、この両者について考えてしまった。

バスクというのもヨーロッパでは少数民族。独自の言語と文化を持つが、現在はフランスとスペインの2ヶ国に分断されている。フランス側のことは不勉強にして知らないが、フランコ独裁政権下のスペインではバスク語の使用が禁止され、不当な差別を受けた結果独立運動が燃え上がってテロ活動にまで発展してしまった。マドリッドで列車爆破の大惨事までひきおこし、そのためちょっと前までのバスクのイメージは「危険」の一語だった。

スペイン側のサンセバスチャンでバスク人と結婚している日本人ガイドさんから話を聞くことができた。いわく、旦那様の両親はバスク語を禁止された世代なので民族意識が強くスペインを嫌うが、バスク語が解禁された後の旦那様の世代はバスク人の誇りは持ちつつも、むしろスペイン人の意識の方が強いとのこと。

さらにスペイン側バスクは現在ビルバオを中心に経済が絶好調で、スペイン中でも一、二を争うほどの急成長中。それもあって少なくとも過激な独立運動はすっかり影を潜めてしまったようである。

これに学べばチベットの問題を解決するのは簡単。

1.チベット文化の尊重。ダライ・ラマの帰国を認め、チベット民族の誇りを持たせる。
2.西部開発おおいに結構(自然破壊しすぎなければね)。その代わり、漢民族だけではなく、チベット人にも富が分配されるようにする。

民族的誇りと経済力が保証されればたいていの人間は満足するのだ。
これが実行できれば漢民族もチベット人も共存共栄できるはずなのだが、現実にはこれが難しい。なぜなんだろうか。

チベット問題のやさしい解説は長田幸康氏のこちらのブログで。
チベット式: 【2008年チベット動乱】よく聞かれる質問集


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