Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

鳥取・島根の旅 8 神在祭

2011-11-30 14:30:11 | 国内旅行
11月6日

昨晩泊まったのは出雲市街から離れた海岸ぺりにあるキララ多岐。
  
目の前に日本海が広がるが、残念ながら今朝も雨模様。

 またバスの中で朝食を食べながら出雲大社へ。

今朝は仮本殿で神在祭があるので席取りのため早く宿を出たのだ。
 なにしろ仮殿前のテントはこの通り。
まだ続々と参拝者がやってくる。

やがて時間になり、国造を先頭に神官たちがぞろぞろと御殿に入り神事がスタート。
 しかしテント内に座れたとはいえ、見えるのは表にいる楽士ぐらい。
そのため行事が進行中はマイクで実況中継が行われる。
「ただいま宮司がご挨拶をしております」とか「どこそこで採れたなになにをお供えしております」とか。

行事の中心は米やら酒やらを神前にお供えすることのよう。
五穀豊穣を願う、いかにも古くからの信仰だと思う。

さて、国造と呼ばれる出雲大社の宮司だが、これは前にも書いたとおり、奈良時代から延々と続く役職で、おそらくは古代の出雲族が大和朝廷に征服された時に任ぜられたものと言うから恐れ入る。
地方に行くと江戸時代の大名家がいまでも大切にされていることが多いが、出雲の国造家である千家家はその上を行き、ガイドさんの口ぶりからすると準皇族のようなうやまわれかたをしているらしい。
結婚式の祝電など、元首相の竹下登などより千家家からのものの方がずっと価値がある、と言うのが何とも愉快。
小泉八雲が初めて出雲大社にお参りした時、外国人として初めて本殿に上がることを許され、時の宮司、千家尊紀氏に迎えられたというくだりがあるが、現地で話を聞いてはじめて、それがいかに特別な待遇であったかが実感される。

そんな風に由緒ある千家家だが、一子相伝の国造職が南北朝時代に兄弟争いが元で二つに分かれ、北島家というのができた。この二つの家でしばらくは出雲大社の神事を平等に分担していたらしいが、明治の神仏分離、戦後の政教分離でいろいろあり、今は千家家は出雲大社教として大社の神事を司り、北島家は出雲教という別の宗教法人になっている、とここいらへんは急になまぐさくなる。

 
大社の境内のすぐ隣にある、これが北島家の出雲教本部。
北島家より千家家が優勢な訳は「政治力の差でしょう」というあたりも、俗人には面白い。

仮本殿でのお祭りが終わると、神官たちがあちこち移動して他の社で神事を行う。

  
この細長い十九社というお社は八百万の神様の出雲滞在中の宿舎で、本殿の左右に一つづつある。
この行事に参加していた地元の小学生、「ここ、普段は扉が閉まっているのに」とさすがによく知っていて感心する。

大社の境内を離れた外のお社でも祝詞があげられる。
 稲佐の浜に近い上宮は簡素な造りながら、ここで神様方が集まって会議をすると言われる。
黒服、スキンヘッドのお兄さん方が真剣にお参りしているのがちょっとこわい。

 昨晩は真っ暗だった神楽殿の巨大な注連縄をあらためて眺めて。

 次に向かったのは命主社。
民家の間にひっそりとある小さなお社だが、到着した時にはちょうど近所の人たちが周りを掃除していて、大切にされている神社だとわかる。
  

さらに昔ながらの細い道を歩いて出雲井社。
 山のふもとにある一段と小さなお社だが、ここは道案内の神様とのことなので旅行者一同でお参り。

出雲大社は確かに立派だけれど、こういうひっそりしたお社こそその位置や周りにある神木、岩など、信仰の原点が見えて敬虔な気持ちになる。

たくさんの神社にお参りして、ここでやっとお昼。
さすがに最後はバスの中ではなく、「ほう吉」という日本料理屋さんで郷土料理。
 
ぬたにも揚げた里芋豆腐にも蜆がいっぱい。
 
蜆だけが入った茶わん蒸しがとてもおいしく、お吸い物も当然しじみ汁。 
どれもとてもおいしかったけど、いったい何匹の蜆をいただいたことか。

時間も差し迫ってきたが、最後の最後まで見学をするのがこのツアーの特徴。

最後はまた出雲市内に戻って松林寺。
  
これまた民家の間にひっそりとある小さなお寺で看板も出ていないが、江戸時代に出雲大社から仏教色が一掃された際、大社にあった観音菩薩、不動明王などの像がこの寺に移されたとのこと。
さすが出雲大社にあっただけあってどちらも見事な仏像。

さらにこの寺の境内には国造家歴代の墓があるが、葬儀などの行事はすべて神式で、この寺の僧侶は関与しないのだそうだ。
昔の神仏習合、その後の神仏分離でなんともややこしい。

  
このお寺の境内にはもう一つ崩れそうなお堂があって、この中もとても面白そうだったのだが、残念ながらここでタイムアップ。

バスまで急いで戻り、さらに気の毒な運転手さんをせかせてなんとか出雲市駅にすべりこむ。
 

これで今回のマニアック出雲ツアーは終了、空港へ向かう添乗員氏へのあいさつもそこそこ、この後はまた自分のプログラムに戻る。


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トゥールーズ=ロートレック展@三菱一号館美術館

2011-11-26 22:54:43 | 機内食・映画・美術展
外出ついでに思いついて「トゥールーズ=ロートレック展」へ。



2010年の春に開館したばかりの三菱一号館美術館。
1894年に建てられたが1968年に解体されてしまった建物を設計図を元に忠実に復元したそう。
  
レンガ造りの小ぶりな建物はヨーロッパ風で、ロートレックに似つかわしい。

今回の展示は美術館自体が所有しているポスターとリトグラフが中心。
大きな油彩画の展示がほとんどないのが寂しいが、建物の内部も昔の通りなのだろうか、小さく区切られた部屋が多いので大きな作品の展示には向かない。
画家の筆致を細かく見られるリトグラフにこそふさわしいサイズと言うべきか。

そのリトグラフは今回180点も展示されていて、予想よりずいぶん見ごたえがある。
これだけまとまって見ると日本の浮世絵とドガの影響が色濃く見えて、ロートレックというのは独自性のある芸術家というより、商業的にすぐれたグラフィック・デザイナーだったのではないかと思ってしまう。
好きな画家の一人ではあるけれど。

またまとめて見ると画家の絶頂期とその衰えも見えるもので、ロートレックが活躍したのはわずか10年ほどだそうだが、1891年にムーラン・ルージュのポスターで有名になってからの5年ほどが活躍期、その後は精彩がなくなっていくのがよくわかる。
昔モディリアニの回顧展を見た時にも思ったが、夭折する画家はその才能も早く燃やし尽くしてしまうのだろうか。

地味だがなかなか楽しめたロートレック展。
ただしこの美術館は展示室が小さいだけに混雑したら最悪だろう。
またここは床が木張りなのでハイヒールを履いていくと音が響いて大変。次回は絶対スニーカーで行こう。


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鳥取・島根の旅 7 古代出雲歴史博物館と神迎祭

2011-11-25 19:59:24 | 国内旅行
11月5日 続き

出雲大社に軽くご挨拶した後は歩いて5分ほどの島根県立古代出雲歴史博物館へ。
 2007年にできたまだ新しい博物館。
  
ロビーは広々と明るく、中二階にはおしゃれなカフェがある。

 館内に入ると中央にこの博物館の目玉の一つ、出雲大社から出土した平安時代の柱の実物。 
↓ これは出雲大社の宝物殿にある模型と、現在の本殿前、柱が出土した位置の印だが、この大木の柱をこんな風に3本束ねて一本の太い柱とし、本殿は9本の柱の上に載っていたのだそうだ。
 

この柱の太さから建物の規模を推定してみた模型がこちら
 現在の本殿の高さ24メートルに対して、最大48メートルあった可能性があるとか。
せっかく建て替え中の本殿、どうせならこの規模に復元してもらいたいものだが、一宗教法人となった現在では出雲大社といえども無理か。

この博物館のもう一つの目玉は荒神谷遺跡の出土品。
 上段の金ぴかの剣はもちろん複製だが、その下に緑青に覆われた本物がずらりと並んで壮観。

 加茂岩倉遺跡出土の銅鐸も
  
近くで見ると細かい模様が美しい。

   
数は少ないが見事な埴輪や豪族の乗馬姿の復元模型。
 古代の合コンの様子の模型もあっておもしろい。

それほど大きな博物館ではないが、根を詰めてみるとくたびれる。
というわけで中二階のおしゃれカフェで一休み。
 ここのメニューがなかなか凝っていて、これは飛鳥時代に作られていたチーズの一種、「蘇」。
牛乳を3時間かけて煮詰めて作るそうだが、癖のない濃厚チーズでおいしい。

さて、一休みの後がいよいよ本番。
八百万の神様を稲佐の浜でお迎えする神迎神事を見学するためバスで移動。

ほんの短い距離の移動だが、寸暇を惜しんで夕食のお弁当が配られる。
 がすでに道路は海岸へ向かう車で渋滞しているのでなかなか前に進まず、食事をするにはちょうどいい。
そして食事を終えたら相変わらず動かないバスを降りて大勢の人と一緒に暗い道を会場へ。

 ブレブレの画像だが砂浜への入り口には玉串をもらう人たちがすでに長い行列を作っている。

その横をすり抜けて浜辺へ出ると、ここもすでにすごい人垣。
 中央では盛大にかがり火をたいているが、それもかろうじてのぞける程度。

朝から降り続いていた雨は幸いにして夕方やんだが、いつまた降るかもしれない空模様なので、通常ならかがり火の前で行われるとおぼしき神事も海岸に建てられたテントの中。
海岸でしばらく待つうち祝詞が聞こえてきて神事が始まったが、姿を見ることは全くできず。
しかし周りは静まり返り、肉声と思われる国造の声が驚くほどよく聞こえる。

自分は気が付かなかったがこの間、テントの上を白い鳥が一羽ずっと飛んでいたそうな。
そして一連の祝詞が終わるとにわかにそれまで聞こえなかった波の音が聞こえてきたとか。

それと同時にまるで待っていたかのように雨粒が落ちてきた。
八百万の神様の先導役は龍神なので、雨は神様がいらっしゃった証、とは我が添乗員の弁。

 これは町の写真屋さんの店頭にあった写真で、神様は大きな榊の枝に移られ、これを白布で囲みながら神官たちが出雲大社までお連れする。
通常ならこの行列が海岸から大社まで町を歩き、信者はその後ろをついて歩くのだが、「本日は荒天のため行列は中止」とのアナウンスがすでに神事の前にあった。
その時点では雨は降っていなかったので、なんで、と思ったが、実際に神様がおいでになると雨が降り出したのだからまるでわかっていたかのよう。

この後は大社の神楽殿でまた神事があるので、そちらへ移動しようと砂浜を離れる。
そして通りに出るとなんと
 神様方がバスに乗り込むところに遭遇してしまった。
しかしお榊を布で囲ったままバスに乗り込むところ、不遜ながら事件の犯人をブルーシートで囲って護送する姿にそっくり・・・。

しかも大勢の人と大社に向かって歩き近くまで行くと、先に見送ったはずのバスがなぜか後ろから来て、今度はバスから降りるところも目撃。
真っ暗な中を降りると、神官たちはまるで走るようにすごいスピードで神楽殿へ向かう。

神楽殿に入る時も真っ暗なまま。
そして神様が座につかれるとおもむろに明かりがつけられる。
 神楽殿の前を埋め尽くす人の波。

神事は続いているが到底何かを見られるような状況ではないので暗い出雲大社の構内をうろうろ。
そろそろ行事が終わるころに神楽殿から大社に入る入り口で待っていると案の定、また白布で囲われたお榊が運ばれてきて、神様方の宿舎である十九社に入られるところが見えた。

神様が無事に宿に落ち着かれると神楽殿の前では餅やお神酒がふるまわれる。
 こうして本日の行事は終了。

何が見えたというわけではないが、浜辺での雰囲気が独特で得難い経験であった。


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鳥取・島根の旅 6 荒神谷~出雲大社

2011-11-22 01:37:56 | 国内旅行
11月5日

前日まで素晴らしい好天だった今回の旅、立久恵峡で目を覚ますとどしゃぶりだった。
 宿の前の「絶景」も雨に煙る。

 そんな雨にめげず、露天風呂に入り、出雲ヨーグルトをいただいていざ出発。

まずは弥生時代の青銅器が一度に380点も発見されたという荒神谷遺跡。
 ここにも立派な博物館があり、学芸員さんのとても分かりやすい説明を聞き、よくできたビデオを見る。
 
そして外に出て木の茂った丘に入ると青銅器の発掘現場が保存されている。
銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本がまとめて埋められていたところ。
ただし誰が何のために埋めたのかはいぜん謎のまま。

 
こちらの銅剣や銅矛はもちろんレプリカだが、実物と同じ重さのものを手に持ってみることができる。
持ってみると銅剣は思いのほか軽く、銅矛の方はかなり重い。

ミュージアム・ショップも充実したいい博物館で感心したが、肝心の出土品の実物は実はここにはなく、出雲の島根県立古代出雲歴史博物館の方に展示されている。
八雲立つ風土記の丘でも感じたが、各所に建つ立派な博物館、展示物をいかに充実させるかには相当苦労している様子。
博物館の建設や維持の費用はどこから出ているのか、とつい余計な心配もしたくなる。

次に訪れたのは長浜神社。
 
国引き神話の八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が主祭神なので
 
ご祈祷を受けた拝殿には太い綱がある。これで島を引っ張ってきて島根を大きくしたというわけだが、綱引きの元祖ゆえにスポーツの神様ってのはいささか強引すぎないか。

この神社は他にもいろいろ商売上手で
 こんなおみくじまで販売中。
 さらにおみやげにいただいたのは名前入りのマッチ。
北斗七星が描かれているのはこの神社が北極星・北斗七星を信仰する妙見神社でもあったからだが、なぜ今さらマッチ?

愉快な長浜神社のあとは出雲文化伝承館の中にある羽根屋さんで出雲と言えば、の割り子そば。
 
松江で食べたそばもおいしかったが、ここのおそばはまた一段と細くて上品でとてもおいしい。
そば好きの我がベテラン・ドライバーも絶賛していたそうなのでここのおそばは出雲でもおいしいらしい。
年越しそばにしようとこちらの乾麺を買って帰ったが、店で食べるのにはかなうまい。

昼食を終えたらいよいよ今回の旅の主目的、出雲大社。

まずは今は使われていないJR大社駅でボランティアガイドさんと待ち合わせ。
 
神社仏閣めぐりがいきなり鉄ちゃんの旅のようになってしまったが、1924年に作られ、90年まで使われていたという駅舎は和風の造りがかっこいい。
  
ここは廃線になった大社線の終点なので線路もここで行き止まり。線路の向こうには大きな白い鳥居が見える。

 その白い大鳥居をくぐると神門通り。
 
土産物や食べ物屋の並ぶ通りだが、休日とは言え若いお姉ちゃんたちの姿がとても目立つ。
出雲が縁結びを売りにしているのは知っていたがこれほどとは、とガイドさんに聞いてみると、パワースポットがはやりだした3,4年前から若い観光客が増えたのだそうだ。

この通りをまっすぐ行くと本来の一の鳥居。
 
まずは入ってすぐの祓社にお参りするのが作法だそうで
 その先の松並木の参道は緩い下り坂。
 お姉ちゃんたちでごった返す手水舎で手と口をすすいで
 ようやく拝殿へ。
その奥の本殿は現在建て替え中なので現在はこちらに神様がいらっしゃるとか。

二拝四拍手の出雲式でまずはご挨拶しておいた。


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鳥取・島根の旅 5 安来~立久恵峡

2011-11-20 00:56:06 | 国内旅行
11月4日 続き

お鮨を食べながら到着したのは安来市の造山古墳。

  
小高い丘の上に3世紀から4世紀に作られた豪族の古墳があり、一帯がきれいに公園化されているのだが、説明されなければ芝に覆われた単なる斜面。到着した時にはちょうど幼稚園児が遠足に来ており、斜面を滑り台にして遊んでいる、そのような過ごし方が最も似つかわしい。

そこへ汗を拭き拭き教育委員会の担当の方が来て説明をしてくださる。
この辺り一帯は掘ればどの時代かの遺跡が出るようで、それでも鳥取で出たような弥生時代の遺跡がまだ出ないのがくやしいらしい。
鳥取、松江近辺、出雲周辺が出土する遺跡で競い合っているようなのがとてもおもしろい。

次は平安時代にくだって平濱八幡宮。
 
ここのお社は手前に応神天皇を主祭神とする平濱八幡宮、その後ろに武内宿祢命を祭る武内神社がある。
 宮司さんからこの左右非対称の屋根について何か説明を受けたが、すいません、なんだか忘れてしまった。

忙しく時代をさかのぼって「八雲立つ風土記の丘」
 この辺りには古墳時代から奈良時代までの遺跡が密集しているということで立派な展示学習館がある。
  
ここに展示されている鹿の埴輪や出雲型子持ち壺がとても興味深いのだが、強烈な個性のボランティアガイドさんはガーッと説明したらどんどん先へ行ってしまう。
今回はずいぶん多くのボランティアガイドさんたちのお世話になったが、どの方もとても熱心で個性的。ガイドさんたちを見比べるのも楽しかった。

猛烈ガイドさんに連れられて次に向かったのは神魂(かもす)神社。
  
1346年に作られ、現存する最古の大社造りという本殿はどっしりとしてなにやらひどく威厳がある。
 その横にあるこれがまた不思議な感じ。
なにやら呪術的なにおいがしてミステリアス。

 こちらも大社造りの六所神社。
しめ縄がいよいよ出雲風に太くなってきた。

  
この神社の裏に広がるのは奈良時代の国府の跡。
ここにどんな建物が並んでいたのか、想像する知識がないのが悲しい。

風土記の丘から移動して次も神社。
  
出雲国一宮として出雲大社と同格、あるいは出雲より上とされたこともある熊野大社。
 ここには出雲から餅が届けられ、それにいちゃもんをつけるという行事が毎年あるのだそうだ。

さらにこの神社が特別なのは出雲大社の宮司である国造が代替わりする際、この神社内の小屋で火をおこし、食事を作って神様と食べ、はじめて国造と認められる儀式があること。
  
この小さな小屋で神職の持つような道具を使って火をおこすそうだが、「すいません、私、くわしいことはわかりません」って、そりゃ何十年に一度の儀式だもの、若い神職が知るはずがない。

出雲大社の「国造」は名前の示すように奈良時代から世襲され、現在は84代目という恐ろしく由緒ある役職。そのすごさは出雲でたっぷり聞かされることになる。

 最後はヤマタノオロチが住んでいたという天が淵を覗いて本日の観光終了。

今夜の宿は立久恵峡、絶景の宿・御所覧場。
 到着した時にはもう真っ暗だったが
  
宿の前にそびえる崖はライトアップされ、露天の温泉から眺めることができる。

癖がなくぬるめの温泉にはまた明朝ゆっくり入るとしよう。
 
 


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鳥取・島根の旅 4 大山~妻木晩田

2011-11-17 23:59:08 | 国内旅行
11月4日

本日は5時に起床、5時半に宿を出て真っ暗な中、阿弥陀堂への参道を登る。

  
阿弥陀堂は古い建物の多くが失われてしまった大山寺では貴重な室町時代の建物。
重文指定をされており、普段は扉が閉ざされているのだが、今朝はこの中で座禅をするため、宿坊のご住職に開けていただく。

上の写真はお堂を出た後に撮ったものだが、到着した時はまだ薄明り。
お堂の中に電気は通っておらず、お仏前にろうそくを何本か灯してご住職のお話を聞く。

  
このお堂のご本尊は名前の通り阿弥陀如来、向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩。
阿弥陀様の頭は天井に着きそうなのだが、これは元々の大きな建物が洪水で流されてしまい、今のこじんまりとした建物は残った建材で建て直されたためとか。

それから座禅の説明を受けて「体験座禅」。
お尻に円座を敷き、脚はあぐら、目は閉じると寝てしまうので半眼にしてひたすら自分の呼吸を数える。

扉をあけ放った入り口からは冷たい空気とともに鳥の声が聞こえ、次第に明るさが増してくる。
背筋を伸ばして呼吸に神経を集中していると確かに余計なことはあまり考えず、感覚が鋭くなったような気がする。
前を歩く住職の足元だけが見え、長い時間のような、ほんの短い時間のような。

リンが次第に大きく鳴らされて座禅体験終了。
「5分経過です」と言われるかと思ったら20分近く座っていたらしい。
へえ、って感じだが、嫌いじゃないかも。

   
阿弥陀堂から延びる道の両脇には昔は僧房が何十と並んでいたという。
最盛期には何百もの僧侶、さらに多くの僧兵を抱えていた大山寺も現在はたった5人のお坊さんがいるだけとか。
我が住職も童顔で一見とても若く見えたが、お話の巧みさから思った以上に経験を積んでいらっしゃる様子。ライバルの三徳山の住職とは180度違うタイプだったが。

宿坊に戻って出発前にあわただしく朝食。
 朝は精進じゃない。

大山からは海辺へ戻って名和へ。
  
この町の長綱寺という小さなお寺の裏に名和一族の墓がある、それを見に来たのだ。

名和一族とはこの地にいた、おそらくは漁師などを束ねていた有力者。後醍醐天皇が隠岐から脱出して再起しようとした時、大山にいた弟の信濃坊源盛、それが引き連れてきた僧兵ともども幕府方と戦って、善戦むなしく破れてしまったという。
  
一族郎党おそらくは皆殺しにされて、しかもこの墓は人目を忍んで埋められていたらしい。
そんな話を郷土史家から伺おうとしたのだが、こんなところに来るからには当然名和氏のことはよく知っているだろうという前提で話されるものでこちらはちんぷんかんぷん。
お互いにもったいないことだった。

次に向かったのはぐっと時代をさかのぼった弥生時代の遺跡、妻木晩田。これで「むきばんだ」と読む。
 広い敷地の真ん中にはりっぱな展示館があり、ここで模型など見ながら説明を受けてから遺跡の中へ。
  
一番見晴らしの良い所にあるのは王族の墓。
  
その近くに復元されているのはシャーマンの家とされているそうだが、なにしろ記録もない2000年近くも昔のこと、すべては推測と想像をするしかない。その推理過程の話が面白かったりする。

ここからは道を西にとって鳥取県を離れ、島根県へ。

お昼はバスの中で
  吾左衛門鮓「燻し鯖寿司」。
なんと箱の中にオリーブオイルとブラックペッパーが入っていて、これをつけ、赤ワインを飲みながら食べるとおいしいというおしゃれ鮓だが、これが立派な鯖で本当においしい。

揺れるバスの中で食べるにはおしい鮓だったが、これぞ秘境添乗員ツアー。
遺跡めぐりはまだまだ続く。 


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目黒のフルーツパーラー 「果実園」

2011-11-16 20:32:26 | 食べ歩き
フルーツパーラーと聞くとその名称だけでなんともレトロな感じがする。

目黒の駅ビルに入っている「果実園」もまったくレトロ。

飾り気のない店内にごく普通のテーブルや椅子、お客さんまでレトロで、平日の昼間に入ると平均年齢は65歳を絶対に越えている。
駅ビルの2階にある割には恐ろしく入り口がわかりづらい店なのにいつも高齢者で混み合っているのは昔から地元で親しまれてきた店の証明だろう。

混み合っているのも道理、ここはなにしろコストパフォーマンスがいい。

食事時に行くとパスタ(というよりここではスパデティがふさわしい)やマカロニグラタンといった懐かしいメニューにサラダが付くのだが、これがフルーツてんこ盛り。さらに少しの追加料金でフレッシュジュースにできる、これがおいしい。

ショーケースにはこれまたフルーツをふんだんに使ったズコットやタルトもあってこれらも魅力的なのだが、ここで食べるべきは「パルフェ」。

これは7月に行った時の「今月のパルフェ」

フルーツでは唯一嫌いなスイカが乗っているのは計算違いだったが、その他にメロン、マンゴー、サクランボにイチゴ。ためしにちょっとかじってみたスイカもとても甘かった。

そして今日も同じメニューを頼んでみると
 秋らしく柿とリンゴの大盤振る舞い。他にメロンとイチゴ、ブラックベリーが乗り、真ん中のイチゴアイスとメロンシャーベットがまたおいしい。

「おいしかったですか~」と気さくに声をかけてくれるレジのお姉さんに「さっきのはこの柿なの?」とレジ脇に並ぶ美しい柿を指すと「そうじゃないですか~、その日に店にあるもので作ってますから」ってアバウトなお返事。
そりゃ店にないものでは作れないよな。

しかしこれで1000円札でおつりがくるのだから、高野なんかにはもう行けない。
フルーツサンドもめちゃうまで、ああ、また食べたい。


ところでフルーツとは全く関係ないが、昨日からブータンの国王夫妻が国賓として来日中で、各局のニュースで毎日取り上げられている。
ついこの間まで「ブータンって何?」とか言われていたのにこんなにメジャーになって、ブータン・ファンとしては感慨無量。

若い新王妃様はずいぶん緊張しているようだが、日本での新婚旅行をぜひ楽しんでいただきたい。


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鳥取・島根の旅 3 鳥取~大山

2011-11-14 19:27:23 | 国内旅行
11月3日

盛りだくさんの秘境添乗員ツアー、初日のしょっぱなから朝食はバスの中でお弁当。
 忙しいのでのんびり旅館で朝食を食べている時間なんてないのだ(笑)。

まず向かったのは今回の神社訪問1社目、因幡一之宮、宇倍神社。
 
360歳でお隠れになった(亡くなったのではなく、履物を残して消えてしまった!)武内宿禰命がご祭神なので長寿の神様、明治31年に建てられた社殿が大正、昭和の古い高額紙幣の図柄に採用されたのでお金の神様なのだそうだが
 手水の使い方の説明が妙にファンシーだったり
  
立て板に水の宮司さんの説明に相方(?)の動作が息もぴったりでまるで漫才みたいで、なかなか愉快な神社。

次に向かったのはこのツアーには珍しくメジャーな観光地。
  
鳥取砂丘。
ここも何十年も昔には遭難しそうな「砂漠」だったそうだが、今は緑地化に成功してすっかり規模が小さくなってしまっているのは喜ぶべきことだろう。

とは言えサハラだタクラマカンだと海千山千のツアー参加者には単なる砂山でしかなく
 興味があるのは鳥取砂丘ソフトだけ。
でもこれ、ニ十世紀梨の味はほとんどしない。

海岸線をすすんで次は白兎神社。
 小さな神社だが、例の因幡の白ウサギがご祭神。
 これが大国主命に教えられてウサギが身を浸した池。
 神社の目の前にある、これがウサギが流されて困った島なんだそうだ。
こんなに近くならたとえウサギでもワニをだまさなくても泳いで帰って来られそう。

ここから海岸を離れて三朝温泉の近くの三徳山三仏寺(みとくさんさんぶつじ)へ。
関東の人間なので知らなかったが、ここは山の中のお堂で有名らしい。

  
離れたところから遠望してやっと見える崖の下のお堂、役行者が法力でお堂を投げ入れたので「投入堂」というそうだが、土台の柱などは修復されているものの、国宝指定されているお堂そのものは平安後期のものらしい。

この近くに行くだけでも木の根の絡まった急斜面やら鎖につかまって渡らなければならない崖があったりでスリル満点らしいが、先を急ぐ我々は残念ながら本堂とその脇の宝物殿に寄っただけ。
  
宝物殿には投入堂にあった蔵王権現像があって、これが修験道のご本尊らしくすばらしい。

 この本堂の先に進むにはこの受付で服装チェックを受けなければならないそうだが、往復1時間半の行程とはいえ、「毎年何人かは滑り落ちて死ぬ人がいます」とはまるでお寺らしからぬ面白いガイドさんの説明。そう聞くとますます行きたくなる~。

お昼はこの山内の宿坊で精進料理。
  
こんにゃくやらお豆腐、栃餅など出ておいしいのだが、食事中にお話しされた住職がまた面白い。この三徳山は戦国の頃まで大勢の僧兵を抱えた寺で大山とはライバル関係だったらしいが、住職の話は司馬遼太郎(この寺の豆腐を本の中でほめている)の記念館へ行けだの、三朝温泉に泊まれだの、はては地元の名物の団子を買えだの、観光大使みたい。

あまりにもだんごを絶賛するので素直なツアー一行はわざわざバスをドライブインに寄らせて団子を購入。
 なぜか打吹公園だんごという不思議な名前のこのお菓子、でも本当に上品な甘さでおいしい。

この後は三徳山のライバル、大山へ。
 三徳山も結構な人出だったが、紅葉のこの時期、大山の参道は大にぎわい。

  
奈良時代から山岳信仰の地として栄えた大山寺、中世には大変な勢力だったそうだが、明治の廃仏毀釈ですっかり廃れ、火災にもあってこの本堂は昭和26年に再建されたもの。

  
この本堂からさらに入っていくと目の前に大山の稜線。
今やこの山は信仰の場所というよりハイキング・コースのようだ。

 そしてたどり着く、大山寺とは分離された大神山神社。
 
本殿の脇にある小さな下山神社には神様の通り道(?)が作られていて反対側がのぞける。

日暮れまで山の中を歩き回って山の精気をたっぷり吸いこみ、やっと参道に戻って今夜の宿の宿坊へ。
  
二間続きの部屋にバス、トイレはないが、テレビまであって旅館と全くそん色はない。

今日は夜の食事もお精進。
 山の中とあって「山菜精進」だそうだが、きのこが何種類もあってきのこ好きにはとてもうれしい。
  
その他にも黒米やら赤米やら、さらには炊き込みご飯まで出てお腹いっぱい。

明日に備えて早く休もう。


  
 
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鳥取・島根の旅 2 松江

2011-11-11 01:07:10 | 国内旅行
11月2日

松江駅前の観光案内所で地図をもらって、松江城方面に向かって歩き出す。

実は松江に来ようと決めてから泥縄式に小泉八雲をアマゾンで取り寄せて読んできた。
がこれが大正解。
お、これがお寺だらけの寺町だな、とか、これが八雲の書いていた橋だな、とか、何でもない景色にも興味がわく。

寺町で通りかかった鼕(どう)の倉庫。
  
京都の公家のお姫様が松江の殿様のところに嫁入りした際、町民が寂しくないようにとこの太鼓を鳴らしたとかで、町内ごと、松江全体では20以上あるのだそう。

  
橋を渡る下駄の音で朝目が覚める、と八雲が書いた松江大橋。
もちろん今は現代風に架け替えられているが、これも本に言い伝えが書かれている人柱にされた源助の記念碑がちゃんとある。

この橋を渡ると飲食店の多い京店商店街。ここから「ぐるっと松江堀川めぐり」の船に乗る。
 名前の通り、松江城のまわりの堀をぐるっと回るこの観光船、乗り場は3ヵ所あって乗り降り自由、全部で40数隻もあるのであまり待つこともなく乗ることができる。
  
船頭さんの解説や歌を聴きながらめぐるこの船、乗る時は靴を脱ぐお座敷船なのだが
  
堀にかかる低い橋の下を通る時にはレバー操作で屋根が下がる、その時には乗客も頭を下げなければならないのが面白い。

狭い堀端では草刈りや花の手入れをしていて、その人たちが通りかかる船に丁寧にあいさつをしてくれる。
観光客の多い街とはいえ、その丁寧さになんだか感動する。

  
やがて内堀に出ると松江城が見えてくる。

ここで一度船を降りて松江城の天守閣へ。
  
1611年に完成したという松江城、黒い板張りの外観が男っぽくかっこいい。
  
どっしりとした桐の階段も、鉄輪で締められた寄木柱もいかにも頑丈そうで実用本位。
  
最上階は360度周りを見はるかす望楼になっていて、南には宍道湖が見える。

松江には漠然と女性的なイメージを持っていたが、この男らしい城には満足。

天守閣を降りて北へ向かうとお稲荷さんがあった。
  
八雲が勤め先の学校に通う際に通りかかっていたという城山稲荷。古い狐の石像が並ぶ様が面白かったらしいが、その前に並ぶ後ろ足を立てた狛犬は出雲スタイルだ。

さらに静かな道を行くとお茶屋さんがあった。
朝食を食べていなかったのでここで一休み。
  
いただいたのはのれんにもある「ぼてぼて茶」。茶せんで泡立てたお茶にほんの少量のお赤飯、豆、お漬物を入れて食べるという不思議なお茶。飲んでみるとかなり渋みがあるのでどんなお茶かと聞いてみると番茶だがお茶の花が入っているので渋いのだとか。
珍しいけど、おいしいとは言い難い。

さらに歩いて武家屋敷が並んでいたというお堀端の塩見縄手へ。


まずは小さな小泉八雲記念館。
  
展示室が一つあるだけだが、八雲の生涯がコンパクトに紹介され、奥さんや子供たちの手紙まで展示されているのがほほえましい。
八雲先生、日本には14年いたが日本語はあまり上手にはならなかったみたいで、日本人の奥さんは最後まで英語がしゃべれなかったらしい。それでも二人の間では「八雲語」でちゃんと意思の疎通ができていた、というのがなんだかいい。

この記念館の隣には八雲が暮らした武家屋敷。
  
  
松江と言えば小泉八雲だが、実は彼がこの地に滞在したのはわずか1年3か月、この家にはたった5ヶ月しか住んでいない。
それでもこの小さな庭がよほど気に入っていたらしく、我々の目にはごく普通の日本家屋の庭が八雲には愛すべき小宇宙だったというのが本を読み、実際にこの家に来てみるとよくわかる。

塩見縄手をさらにすすんで武家屋敷。
  
1733年に建てられた中級武士の社宅のようなものだが
 来客用の表側に対して
  
裏側の家族の居住部分が質素なのが面白く
  
それでも屋敷内に湯殿があるところが庶民とはちがうのだろうなあ。

ぼてぼて茶だけではおなかが満たされなかったので武家屋敷の隣のそば屋「八雲庵」でお昼。
島根でそばと言えば割り子そばが定番だが、割り子はこの先に食べる予定が入っているのでここはあえて暖かいおそばを、と岩のりそばというのを注文。
 来てみると岩のりの他に山芋とろろとネギがたっぷりのり、下のおそばは上品な細切り。おだしはちょっと甘めだが、そばの香りもよく実においしい。
出雲そば、毎日でも食べたいかも。

この後はまた船に乗って出発地点に戻り、今度は新しい宍道湖大橋を渡って宍道湖のほとりの白潟公園へ。
  
左手には島根県立美術館の大きな屋根が見え、右手には松江温泉のホテルが並ぶが、八雲の時代にはこの湖岸にはなにもなかっただろう。
この湖を船で渡って出雲大社へお参りに行った話を思い出しながらしばらくぼーっとしていたが、時間も早く、何より曇り空で有名な夕焼けは見られそうもないので腰を上げる。

松江駅に戻って特急スーパーおきで1時間半、鳥取駅へ。
  
このスーパーおき、特急とはいえ通勤電車のような車両で、たったの2両しかないのには拍子抜け。

今夜の宿は駅から徒歩10分の温泉宿「観水庭こぜにや」
 鳥取は駅前に温泉が湧くのだそうで
 
ここもちゃんと源泉かけ流しとか。無色透明ながらちょっと癖のある匂いのお湯に合流したツアー同行者とゆっくりつかり
 湯上りには鳥取県民がこよなく愛するという白バラコーヒー牛乳。これは本当にさっぱりとおいしい。
もう一つ、これまた鳥取と言えば、の二十世紀梨シャーベットの方はあまり香りを感じなかったけれど。

秘境添乗員のマニアック・ツアーはいよいよ明朝から始まる。


  
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鳥取・島根の旅 1 サンライズ出雲

2011-11-08 17:14:51 | 国内旅行
2011年11月1日から11月7日 神話の国出雲の真髄に迫る旅

11月1日

去年は五島列島に連れて行ってくれた秘境添乗員、金子貴一氏

今年は出雲に連れて行ってくれるというので、前々から行ってみたかった所であるし、遷宮で建て替え中とは言えスーパー解説付きでめぐるチャンスを逃してはならじと「神話の国出雲の真髄に迫る 出雲大社・神迎祭 神在祭と神仏霊場めぐり」という長~いタイトルのツアーに参加した。

さて金子氏の国内ツアーは現地集合、現地解散が基本。
なので最初のお楽しみはどうやって往復するかのプランニングにある。

今回はこれまた前々から乗ってみたかった寝台特急、サンライズ出雲での往路を選択。

出発日の1ヶ月前に無事予約を確保し、早々と東京駅に行って大好きなグランスタをうろうろする。

といつもは長蛇の列のかりんとう屋さん、閉店間際とあってだれもいない。
ならば、と店員のお姉さんとおしゃべりしながら野菜やきんぴらごぼうのかりんとうを購入。
 食べてみるとなるほどさくさくとしておいしい。
これならまた買ってもいいけど、でもやっぱり並ぶのは嫌だな。

やがて時間が近づいたので東海道本線のホームへ。
とどこぞで事故があったとかでダイヤが乱れており、サンライズの入線も遅れた。
 やっと来た2階建て車両、みんなバチバチと写真を撮り、いそいそと車内へ。

今回の予約は2階の個室、スタンダード・シングル。
  
狭い廊下の両側に扉が並び、引き戸を開けるとすぐにベッド。
本当にベッドだけでいっぱいの空間で、まるでカプセルホテルみたい(泊まったことはないけど)。
 
しかしベッドの脇には荷物を置くスペースがあり、正面には小さなテーブルと鏡、頭の横には照明のスイッチや時計が配置されて不足はなし。
清潔なシーツ、毛布、枕の他に浴衣とスリッパが用意されているところが日本らしい。

列車は定刻より15分遅れて、22時15分に東京駅を出発。

長距離列車に乗ったら駅弁を食べなければならないとなぜかインプットされているので、遅い時間だけれどさっそくお食事タイム。
 
今回の駅弁は東京ではなく、なぜか仙台。
鳴子のお米「ゆきむすび」を使っているというおにぎりはまるでもち米のようにもちもちしており、仙台らしいおかずがちまちまと入ってバランスがいい。
 ついでに京はやしやのリンゴパフェあんみつ。
夜中なのにねえ。

おなかが落ち着いたところで電気を消して毛布をかぶる。
車内は静かだけれどベッドは固く、やっぱり寝付けなくてうとうとするぐらい。
プライバシーはしっかり保たれているし、足を延ばして横になれるので飛行機のエコノミー座席や夜行バスよりずっていいが、どうしてもぐっすりというわけにはいかない。
昼間、普通の電車やバスに揺られるとすぐ眠くなるのになぜだろう。

やがて早朝の5時45分、車掌のアナウンス。
列車が45分以上も遅れているため、先を急ぐ人に新幹線への乗り換えを案内するためだ。

 外は朝焼け、もうじき姫路に着くところ。

こちらはもちろん急ぐ旅ではないのでそのまま寝台の上でゴロゴロ。
  
2階座席は窓が大きくて空までよく見える。
岡山、倉敷を過ぎると景色はすっかり田んぼや畑、山の中になる。しかし思ったほど紅葉は進んでいない様子。

 さらに米子に近づいて見えるのは大山。

そして予定よりちょうど1時間遅れて10時30分にようやく松江に到着。
 サンライズ君、ご苦労様。
きれいで快適だったけれど、こんなに遅れたら世界に冠たるJRもインド国鉄と大差ないぞ。

 駅に荷物を預けて、さあ、散歩に出発しよう。 


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