11月6日
昨晩泊まったのは出雲市街から離れた海岸ぺりにあるキララ多岐。
目の前に日本海が広がるが、残念ながら今朝も雨模様。
またバスの中で朝食を食べながら出雲大社へ。
今朝は仮本殿で神在祭があるので席取りのため早く宿を出たのだ。
なにしろ仮殿前のテントはこの通り。
まだ続々と参拝者がやってくる。
やがて時間になり、国造を先頭に神官たちがぞろぞろと御殿に入り神事がスタート。
しかしテント内に座れたとはいえ、見えるのは表にいる楽士ぐらい。
そのため行事が進行中はマイクで実況中継が行われる。
「ただいま宮司がご挨拶をしております」とか「どこそこで採れたなになにをお供えしております」とか。
行事の中心は米やら酒やらを神前にお供えすることのよう。
五穀豊穣を願う、いかにも古くからの信仰だと思う。
さて、国造と呼ばれる出雲大社の宮司だが、これは前にも書いたとおり、奈良時代から延々と続く役職で、おそらくは古代の出雲族が大和朝廷に征服された時に任ぜられたものと言うから恐れ入る。
地方に行くと江戸時代の大名家がいまでも大切にされていることが多いが、出雲の国造家である千家家はその上を行き、ガイドさんの口ぶりからすると準皇族のようなうやまわれかたをしているらしい。
結婚式の祝電など、元首相の竹下登などより千家家からのものの方がずっと価値がある、と言うのが何とも愉快。
小泉八雲が初めて出雲大社にお参りした時、外国人として初めて本殿に上がることを許され、時の宮司、千家尊紀氏に迎えられたというくだりがあるが、現地で話を聞いてはじめて、それがいかに特別な待遇であったかが実感される。
そんな風に由緒ある千家家だが、一子相伝の国造職が南北朝時代に兄弟争いが元で二つに分かれ、北島家というのができた。この二つの家でしばらくは出雲大社の神事を平等に分担していたらしいが、明治の神仏分離、戦後の政教分離でいろいろあり、今は千家家は出雲大社教として大社の神事を司り、北島家は出雲教という別の宗教法人になっている、とここいらへんは急になまぐさくなる。
大社の境内のすぐ隣にある、これが北島家の出雲教本部。
北島家より千家家が優勢な訳は「政治力の差でしょう」というあたりも、俗人には面白い。
仮本殿でのお祭りが終わると、神官たちがあちこち移動して他の社で神事を行う。
この細長い十九社というお社は八百万の神様の出雲滞在中の宿舎で、本殿の左右に一つづつある。
この行事に参加していた地元の小学生、「ここ、普段は扉が閉まっているのに」とさすがによく知っていて感心する。
大社の境内を離れた外のお社でも祝詞があげられる。
稲佐の浜に近い上宮は簡素な造りながら、ここで神様方が集まって会議をすると言われる。
黒服、スキンヘッドのお兄さん方が真剣にお参りしているのがちょっとこわい。
昨晩は真っ暗だった神楽殿の巨大な注連縄をあらためて眺めて。
次に向かったのは命主社。
民家の間にひっそりとある小さなお社だが、到着した時にはちょうど近所の人たちが周りを掃除していて、大切にされている神社だとわかる。
さらに昔ながらの細い道を歩いて出雲井社。
山のふもとにある一段と小さなお社だが、ここは道案内の神様とのことなので旅行者一同でお参り。
出雲大社は確かに立派だけれど、こういうひっそりしたお社こそその位置や周りにある神木、岩など、信仰の原点が見えて敬虔な気持ちになる。
たくさんの神社にお参りして、ここでやっとお昼。
さすがに最後はバスの中ではなく、「ほう吉」という日本料理屋さんで郷土料理。
ぬたにも揚げた里芋豆腐にも蜆がいっぱい。
蜆だけが入った茶わん蒸しがとてもおいしく、お吸い物も当然しじみ汁。
どれもとてもおいしかったけど、いったい何匹の蜆をいただいたことか。
時間も差し迫ってきたが、最後の最後まで見学をするのがこのツアーの特徴。
最後はまた出雲市内に戻って松林寺。
これまた民家の間にひっそりとある小さなお寺で看板も出ていないが、江戸時代に出雲大社から仏教色が一掃された際、大社にあった観音菩薩、不動明王などの像がこの寺に移されたとのこと。
さすが出雲大社にあっただけあってどちらも見事な仏像。
さらにこの寺の境内には国造家歴代の墓があるが、葬儀などの行事はすべて神式で、この寺の僧侶は関与しないのだそうだ。
昔の神仏習合、その後の神仏分離でなんともややこしい。
このお寺の境内にはもう一つ崩れそうなお堂があって、この中もとても面白そうだったのだが、残念ながらここでタイムアップ。
バスまで急いで戻り、さらに気の毒な運転手さんをせかせてなんとか出雲市駅にすべりこむ。
これで今回のマニアック出雲ツアーは終了、空港へ向かう添乗員氏へのあいさつもそこそこ、この後はまた自分のプログラムに戻る。
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昨晩泊まったのは出雲市街から離れた海岸ぺりにあるキララ多岐。
目の前に日本海が広がるが、残念ながら今朝も雨模様。
またバスの中で朝食を食べながら出雲大社へ。
今朝は仮本殿で神在祭があるので席取りのため早く宿を出たのだ。
なにしろ仮殿前のテントはこの通り。
まだ続々と参拝者がやってくる。
やがて時間になり、国造を先頭に神官たちがぞろぞろと御殿に入り神事がスタート。
しかしテント内に座れたとはいえ、見えるのは表にいる楽士ぐらい。
そのため行事が進行中はマイクで実況中継が行われる。
「ただいま宮司がご挨拶をしております」とか「どこそこで採れたなになにをお供えしております」とか。
行事の中心は米やら酒やらを神前にお供えすることのよう。
五穀豊穣を願う、いかにも古くからの信仰だと思う。
さて、国造と呼ばれる出雲大社の宮司だが、これは前にも書いたとおり、奈良時代から延々と続く役職で、おそらくは古代の出雲族が大和朝廷に征服された時に任ぜられたものと言うから恐れ入る。
地方に行くと江戸時代の大名家がいまでも大切にされていることが多いが、出雲の国造家である千家家はその上を行き、ガイドさんの口ぶりからすると準皇族のようなうやまわれかたをしているらしい。
結婚式の祝電など、元首相の竹下登などより千家家からのものの方がずっと価値がある、と言うのが何とも愉快。
小泉八雲が初めて出雲大社にお参りした時、外国人として初めて本殿に上がることを許され、時の宮司、千家尊紀氏に迎えられたというくだりがあるが、現地で話を聞いてはじめて、それがいかに特別な待遇であったかが実感される。
そんな風に由緒ある千家家だが、一子相伝の国造職が南北朝時代に兄弟争いが元で二つに分かれ、北島家というのができた。この二つの家でしばらくは出雲大社の神事を平等に分担していたらしいが、明治の神仏分離、戦後の政教分離でいろいろあり、今は千家家は出雲大社教として大社の神事を司り、北島家は出雲教という別の宗教法人になっている、とここいらへんは急になまぐさくなる。
大社の境内のすぐ隣にある、これが北島家の出雲教本部。
北島家より千家家が優勢な訳は「政治力の差でしょう」というあたりも、俗人には面白い。
仮本殿でのお祭りが終わると、神官たちがあちこち移動して他の社で神事を行う。
この細長い十九社というお社は八百万の神様の出雲滞在中の宿舎で、本殿の左右に一つづつある。
この行事に参加していた地元の小学生、「ここ、普段は扉が閉まっているのに」とさすがによく知っていて感心する。
大社の境内を離れた外のお社でも祝詞があげられる。
稲佐の浜に近い上宮は簡素な造りながら、ここで神様方が集まって会議をすると言われる。
黒服、スキンヘッドのお兄さん方が真剣にお参りしているのがちょっとこわい。
昨晩は真っ暗だった神楽殿の巨大な注連縄をあらためて眺めて。
次に向かったのは命主社。
民家の間にひっそりとある小さなお社だが、到着した時にはちょうど近所の人たちが周りを掃除していて、大切にされている神社だとわかる。
さらに昔ながらの細い道を歩いて出雲井社。
山のふもとにある一段と小さなお社だが、ここは道案内の神様とのことなので旅行者一同でお参り。
出雲大社は確かに立派だけれど、こういうひっそりしたお社こそその位置や周りにある神木、岩など、信仰の原点が見えて敬虔な気持ちになる。
たくさんの神社にお参りして、ここでやっとお昼。
さすがに最後はバスの中ではなく、「ほう吉」という日本料理屋さんで郷土料理。
ぬたにも揚げた里芋豆腐にも蜆がいっぱい。
蜆だけが入った茶わん蒸しがとてもおいしく、お吸い物も当然しじみ汁。
どれもとてもおいしかったけど、いったい何匹の蜆をいただいたことか。
時間も差し迫ってきたが、最後の最後まで見学をするのがこのツアーの特徴。
最後はまた出雲市内に戻って松林寺。
これまた民家の間にひっそりとある小さなお寺で看板も出ていないが、江戸時代に出雲大社から仏教色が一掃された際、大社にあった観音菩薩、不動明王などの像がこの寺に移されたとのこと。
さすが出雲大社にあっただけあってどちらも見事な仏像。
さらにこの寺の境内には国造家歴代の墓があるが、葬儀などの行事はすべて神式で、この寺の僧侶は関与しないのだそうだ。
昔の神仏習合、その後の神仏分離でなんともややこしい。
このお寺の境内にはもう一つ崩れそうなお堂があって、この中もとても面白そうだったのだが、残念ながらここでタイムアップ。
バスまで急いで戻り、さらに気の毒な運転手さんをせかせてなんとか出雲市駅にすべりこむ。
これで今回のマニアック出雲ツアーは終了、空港へ向かう添乗員氏へのあいさつもそこそこ、この後はまた自分のプログラムに戻る。
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