Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ラダック再訪 18 サフダルジャン周辺

2015-10-31 23:53:28 | インド
8月25日

アマリア・ヴィラの宿泊は朝食付き。
 ダイニングに行ってみると後から一人来ただけでとても静か。
ここは注文式だが黒板にあるものはもちろん、それ以外でも頼めば大抵のものは作ってもらえそう。
 
おしゃれなフルーツサラダにフランス式のクレープで、とてもインドらしからぬ朝食を満喫。

食後はスーパーに行きたいと思いホテルの人に聞いてみると、近所にローカルマーケットがあると言うのでそちら方面へ散歩に。
 
ホテルの前は大通りだけれど、脇道に入ると静かでお高そうな家が並ぶ高級住宅街。

そんな路上にたくさんいるのは野菜や果物を満載したカート。
  
 
こういう商売、日本ではすっかり見なくなってしまったが、アジアではまだまだ健在だ。

 
さらに行くと朝食屋台が出ていて興味津々だが、お腹いっぱいだし、さすがにこういうところで食べている女性は見当たらない。

この先には確かに小さな店がたくさん集まったサフダルジャン・マーケットがあったが、朝の10時前ではどこも店開きしていない。
かろうじて一軒だけ営業していたのはなかなかきれいで立派なベンガル菓子の店。
  
  
冷蔵ケースには銀箔を使ったきれいなお菓子がずらりと並び
 
その上にも揚げ菓子やスナック類が積み上げられていてどれもおいしそう。
 迷いつつ日持ちのしそうなスナックとクッキーを買って帰ったが、特に何かのハーブの入ったクッキーは甘くなくておいし~。これなら他にももっと買ってくれば良かった。

散歩で一汗かいたところでホテルに戻り、今度はやはりインド在住のブロガー、青蓮さんと初対面。
実はこのホテルも青蓮さんのブログで知って予約、お会いしたいと連絡したところ快く来てくださったのだ。

それではお昼へ、とオートで連れて行ってくださった先はなんと、さっき行ったばかりのベンガル菓子屋さんのすぐ隣。
 
この「ラージェンドラ・ダ・ダーバー」と言う店、元々はテイクアウト専門で夜など地元民に大人気なのだそう。
後からできたと言うレストランも大きくはなく、きれいだけれどどことなくオヤジっぽいここに我々が一番乗り。
注文はもちろん青蓮さんにお任せすると
 まず出てきたチキンのマラーイー・ティッカが香ばしくてむちゃくちゃうまーい!
 マトンのカレーはトマト風味、パニールはほうれん草で、奥のパンはミント・パラタ。やっぱりデリーで一泊した甲斐があった。

  食事の後は並びにあるコーヒーデイでアイスコーヒーを飲みながらさらにおしゃべり。初対面なのにすっかり打ち解けてしまって、青蓮さん、おいしい時間をありがとうございました。

最後は快く3時のレイトチェックアウトを承諾してくれたホテルでシャワーを浴びて、手配してもらった車で空港へ。
 
デリー空港、本当にきれいになったものだと感心しつつ、JL指定のラウンジは今はITCラウンジ。
 
以前のラウンジの方が見栄えは良かった気がするが、今度の方が広くて落ち着く。
  
用意されたホットミールはまたもやカレーなのでパイなどつまんでいると、なんとボーイさんがうどんを持って回っている(これはお腹がいっぱいで食べられなかった)。
さらに置いてあったポテチが辛いマサラ味ばかりだったので普通のはないのかと聞くと
 忘れた頃に「こちらをお召し上がりください」とわざわざ座っているところに持って来てくれた。
ITCラウンジのサービスはいい。

と感心したところで飛行機に乗って成田へ。

ラダックもデリーも、インドはやっぱり楽しい。


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ラダック再訪 17 ハウズカース・ヴィレッジ

2015-10-29 01:16:03 | インド
8月24日 続き

マッサージで体をほぐしてもらい、シャワーを浴びてさっぱりしたら、夕方涼しくなったところで
 オートに乗っておでかけ。

着いた先は今やデリーの原宿とも言われるハウズカース・ヴィレッジ。
 なるほど狭い通りがごちゃごちゃと入り組み、両側に並ぶ小さな店はカラフルでキッチュな若者向けのところが多く、夜になるにつれて増える若者たちはジーンズ姿ばかりで、サリーどころかパンジャビを着ている女の子もあまりいない。
ここに限らず、デリーではパンジャビ姿がめっきり減った。

この原宿通りをどんどん奥に進むと石造りの塀と門が現れる。
 
中にあるのは14世紀に作られた貯水池と、そのほとりに建てられたメドレセの遺跡。

 
結構な大きさの貯水池を石壁の上から見下ろすことができ
 
周りの遺跡も大きくはないがかなりしっかり残っている。

メドレセの中央にはこの学校を建てさせた皇帝、フェローズ・シャーのお墓もあり
 
 派手さはないが天井が美しい。

周りは芝生になっていて大勢の家族やカップル、若い子たちものんびり遊びに来ているが
  
塀のすぐ外にはインドらしいアパートが立ち並んでいて、ここはまさに都会の中のオアシス。
こんなところをちゃんと残すのがインドの余裕。

遺跡を見た後は自然派化粧品の店なども多いハウズカース・ヴィレッジをしばらく冷やかして歩き、最後は高級ブティックの「オガーン」にも入ってみるがここの服は高級すぎて眺めるだけ。

そこでこの店の2階にある「コースト・カフェ」でインド在住のブロ友、サントーシーさんと再会。
中は名前の通り明るくさわやかでインドを感じさせないしゃれたインテリアだったが、すぐにおしゃべりを始めてしまって写真を撮り忘れた。

メニューにはケララのお料理が多くて、選択肢の少ない粗食エリアから戻った身には魅惑的。
  
ケララ・フィッシュフライにケララ風エビカレー、インゲンをココナッツであえたトランもケララの料理。
 これらを米粉のクレープ、アッパムと食べればおいし~。
 チャイのアイスクリームも洗練されていて、都会はやっぱり違う。
と言ってまた喜んで僻地に行くのだけれど。

食後には大阪に帰る女の子を無事空港行きのタクシーに乗せて、サントーシーさんとはまたの再会を期したのだった。


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フランクフルト行きJLの機内食と映画

2015-10-25 23:56:25 | 機内食・映画・美術展
スロベニア旅行記の前に夏のデリーの記事を書きたいが、忘れてしまいそうなのでとりあえず行き帰りの機内で見た映画のこと。

今回のヨーロッパ行きにはJLのフランクフルト便を使用。
スロベニアのリュブリャナ行き航空券を探したところ、なんとJLが一番安かったのだ。

というわけでお昼前のJLに乗り込むと
 ちゃんと大好きな亀田のあられが出て
続いて出された機内食は「フードスタイリスト飯島奈美さんの監修メニュー」なんだそうな。 
飯島奈美さんって誰?なのだが
 選んだハンバーグは中から肉汁が流れるジューシーさでうまし。
周りを囲むのもしめじ入りサラダにおからサラダ、人参・ハム・クルミのメープルシロップあえと野菜が多くてうれしく女性受けしそうだが、男性や外国人にはどうなんだろう。
 デザートは定番のハーゲンダッツだが、いつの間にかJLの名前入りになっている。

とこれらをいただきながら見る一本目には前から観たかったインド映画を選択。
 PK

「きっと、うまくいく」に続いてのアーミル・カーンの映画で監督も同じ。インドでは「きっと、うまくいく」を抜いて興行収入歴代一位になったのだそうだ。

PKとは主人公の呼び名で、ヒンディー語映画を英語字幕で見ていたのでわからなかったが「酔っ払い」と言うような意味だとか。
なぜ「呼び名」かと言うと、主人公は実は地球調査のためにやって来た宇宙人。到着早々に帰りの宇宙船を呼ぶためのリモコンをかっぱらわれ、それを探すために勝手のわからないインド(笑)で右往左往するとみんなから「PK」と呼ばれてしまうのだ。

このPKの初登場シーンは衝撃的。大スターのアーミル・カーンはなんと全裸で登場し、しかもかなり背は低そうなアーミルだが、筋肉モリモリですごいのだ。
 肉体派でなくともこの筋肉、インドのスターって大変。

さてリモコンを探すPK、インド人たちには神様にお願いしろと言われる。
そこで神様を探すとそこはインド、ヒンドゥーからイスラム、ジャイナ教、シーク教、キリスト教に怪しげな新興宗教まで数えきれないほどあり、それぞれ言うことがみんな違う。

とこれがこの映画のテーマで、宗教対立のむなしさを純粋なPKの口を借りて訴える。
これ、宗教対立が深刻なインドでは勇気のいる主張だと思うし、それを笑えるコメディーにしているところがすばらしい。
この映画が大ヒットしたということは、このテーマに賛同するインド人も大勢いると信じたい。

続いて2本目には日本未公開のアメリカ映画。
 Me and Earl and the Dying Girl

自分に自信を持てない主人公の高校生、誰とでも広く浅く付き合って大過なく高校生活をやり過ごすことだけを願っているが、母親に強制されて白血病と診断された女の子の見舞いに行く。
このむりやり見舞いに行かせるところがアメリカ人のおせっかいらしくておかしいのだが、見舞いに行く方も来られる方も高校生らしく正直で、変な同情はしないところが気持ちよく、しかし病気のシリアスな部分もリアルに描かれていて説得力がある。
アールというのは主人公のほとんど唯一の友人で、2人で作る名作映画のパロディーが随所に挟み込まれてこれがおかしい。

この映画、サンダンス映画祭で賞を取ったそうだが、地味ながらしみるいい映画だ。

そうこうしているうちにおやつが登場。
 クリームチーズカリーパンはカレーは香りだけで辛さはない。

そして2度目の食事はJL得意のコラボメニュー、
 エア吉野家。
 
紙パックの中には皿に入った牛すき、その下にはごはんがあって、袋に入った溶き卵をかけてから牛すきを乗せる。
しかしこれ、いつもながらご飯があまりおいしくなくて、牛肉の量もちょっぴり。
エア吉野家よりエア・ケンタの方がよかったな。


帰りの便は夜の19時20分にフランクフルトを出発で、一食目は夕食。
 豚カツを選んでみたがやっぱりご飯がまずくて、肝心のカツはなんだかノンフライヤーで揚げた冷凍食品みたい。
 ハーゲンダッツはドイツ発の方が大きいんだね。

アイスクリームが解けるのを待ちながら、帰路の一本目は日本映画
 「あん」

樹木希林が永瀬正敏のどら焼き屋の店員になるのだが、小豆を煮る描写が丁寧でとてもおいしそう。
この老女の病気が映画のテーマなのだが、樹木希林の演技は前半ちょっとやりすぎの感があって、別の病気の話かと思ってしまった。
しかし全体に抑えすぎるほど抑えた話法で関係性のよくわからない登場人物などもいるのだが、現実にはすべて詳らかになることなどないのだからこれでいいのだろう。
テーマはとてもはっきりしていて、心にしみる。特に市原悦子の登場する辺りからが良くて、この人はさすがにうまい。
中学生の女の子役が演技はへたなのだがやけに存在感があって気になると思ったら、内田伽羅という樹木希林の孫、つまり本木雅弘の娘だった。

2本目はまたアメリカ映画。
 「アデライン、100年目の恋」 The Age of Adeline

アデラインと言う女性が偶然の重なりから29歳から年を取らなくなってしまったというファンタジー。
主演のブレイク・ライブリーが古風な顔立ちの正統派美人なので、時代ごとのメイクやファッションのどれもがよく似合い、彼女を見ているだけで退屈しない。
ただしストーリーの方はせっかくのこの設定でこんなに小さい話かい、というほどせせこましく、もっと面白い話にできただろうにともったいない。

この後は目をつむっているうちに眠ってしまって、気が付けば2度目のお食事。
 大きな焼き鮭はなかなかおいしかったけれど、朝食はインド線のようにおにぎりがいいな。

これを食べながらの3本目はフランス映画。
 「奇跡のひと マリーとマルグリット」 Marie Heurtin

どこかで聞いたことのあるタイトルだが、昔のヘレン・ケラーの映画は「奇跡の人」、同じ三重苦の女の子が修道女の熱意によって救われるこの映画は「奇跡のひと」。こちらも19世紀末のフランスの実話だそうだ。

三重苦のマリーが言葉を得るまでの過程は「奇跡の人」にそっくり。
一度言葉を知ってからのマリーが瞬く間に手話を習得してしまって優等生になるところはあっけないほどだが、この後には死に直面するマルグリットの話があって、こちらも重い。
全体にシリアスな映画ではあるが、フランスの景色の美しさもあって観終わった後の気分は明るい。
飛行機が成田に駐機したところでぴったり映画終了。


それにしても今回の映画のセレクション、こうして並べてみると病気がらみの物ばかりだった。


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スロベニアから戻りました

2015-10-23 18:43:48 | 雑談
初めてのスロベニアから昨日帰国。

スロベニアだけ、とか言いながら、実は帰路に回ったトリエステ、フィレンツェのイタリア滞在の方が長くなってしまったのだが、フィレンツェのあまりの観光客の多さ、観光客ずれした応対にはいささか辟易。
そのためもあってスロベニアの印象がなおさら良くなった。

何しろスロベニアではストレスを全く感じない。
町はきれいで道にはゴミ一つ落ちていないし、地方の雑貨屋のおばさんでさえ英語を話してくれるのでコミュニケーションに不自由をしない。
お店の人は親切でプロ意識が高く、愛想の良さや気配りも自然で実に気持ちがいい。
食事はおいしいし、小さな国ながら景色もバラエティに富んでいて退屈する暇もない。
このところの難民報道はいささか気にかかるが、スロベニア国内に滞在中は治安面でも全く不安を感じることはなかった。

これまで何十カ国か旅をしてきて、自慢じゃないが嫌いな国は一つもない。
しかしスロベニアの気持ちよさは特筆もので、好きな国のトップ5には入りそうだ。

旅行先としてのスロベニア、おすすめです。


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でかけます

2015-10-12 10:25:12 | 雑談
夏のラダック旅行記、まだデリーでの滞在があり、記事を終わらせようと思っていたのだが次のお出かけが来てしまった。

去年のボローニャが楽しかったので、今回も同じメンバーによる「コッコロ」ツアー。
行き先はツアーリーダーの発案によりスロベニア。
提案されるまでは場所も定かではなく、何も予備知識がなかったのだが、調べてみればなかなか魅力的なところ。
そこで通常のツアーであればクロアチアへのおまけのように扱われるこの国だけに滞在しよう、となったのはこだわり(へそ曲がり?)のコッコロ・ツアーならでは。

スロベニアの帰りには思わぬ寄り道もすることになったが、今回も行き先にスタバは存在しないはず。

と言うことで今から行って来ます。


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ラダック再訪 16 レー~デリー

2015-10-11 16:58:48 | チベット文化圏
8月24日

異変は夜中に起きた。

目を覚ますと急激な腹痛。
それからは1時間と空けずにトイレへ通う羽目になり、レーに戻って来てからでよかった、と心から思うが、それにしても何が悪かったのか。
ボリウッドスターも泊まったパンゴンツォ一のホテルのお昼か、レーでも評判のレストランのディナーか。

朝になってようやくトイレ通いはおさまったが、とても食事はできない。
最後の朝はきれいなお姉さんのいるフレンチ・ベーカリーへ行こうと思っていたのに。と涙を呑んでいつものネパール人のおじさんにお茶だけ出してもらう。

のんびり荷造りを終えて、一緒にヌブラとパンゴンツォへ行ったおじさまと時間通りに来てくれた迎えの車に。
別のゲストハウスでもう一人女の子を拾って、さあ、あと少しで空港に着く、と言うところで女の子が「宿に携帯を忘れた」と言い始めた。

飛行機の時間までまだ余裕はあるから、と宿に戻ると気を利かせて旅行会社の人にもう渡したと言う。
そこで今度は街中の旅行会社まで戻るとこちらには誰もいない。
携帯を忘れた子はパニクっているし、さすがにもう空港へ急がないと飛行機に乗り遅れる、とあせったところでようやく旅行会社の人と連絡が取れ、携帯を持って空港の入り口で待っているというので再び空港へ。

空港ゲートで無事携帯を受け取り、「急げばまだ大丈夫ですから」と言う言葉に送られて空港内に入ると、「飛行機にはもう遅いんじゃないの」と検問のお兄さん。
「いやいや、まだ大丈夫でしょ」と荷物をX線に通そうとすると係りのおじさんは通してくれない。
ロビーにももう誰もいなくて、おかしいと思いつつエア・インディアのカウンターに行くと責任者とおぼしきおじさんが怖い顔で「出発は10時20分、飛行機のエンジンはもう始動している」って、なに~。

この時、時計は10時15分、しかし我々のチケットには11時15分発とあったし、前日にこちらの旅行会社で時間変更はないと聞かされたばかり。
「そんな変更は聞いてない!これに乗れないと困るんだ!」と文字通り声を大にして言い張ると、「時間変更は何度も電話で連絡しようとした、旅行会社にも連絡した」って嘘つけ。
しかし今日のデリー行きはこれが最終、携帯を忘れた女の子は今夜の飛行機で日本へ帰るので「とにかくこれに乗れないと困る、乗せてくれ」と押しまくると、「ちょっと待ってろ」と責任者のおじさんがオフィスに引っ込んだ。

これは脈あり、とこちらは内心ほくそえんだが、携帯を忘れた子は「私のせいで~、え~ん」と声をあげて泣き始めた。
すると周りにいたインド人のおじさんたち、「泣いちゃだめだよ~」と困り顔になって、泣いている本人には悪いがちょっとおもしろかった。

やがてエア・インディアのおじさんが「急げ、走れ」とチェックインをさせてくれて、それでもこんな時だけくそまじめにチェックしようとするセキュリティもせかしてくれて、バスに乗る時には「良い旅を」「ありがとう!」とお互いににっこり。

 おかげで出発を20分ほど遅らせてしまったが、なんとか予定の飛行機に乗ることができて、ようやくほっ。
しかしこれ、日本だったら絶対にアウトだったろう。今回ばかりはインドのアバウトさに助けられた。

 1時間の機内ではサンドイッチを出されたが中身を見ることもなくお水だけいただいて
 
大きなビルなど見えだしたらエア・インディアだらけのデリー空港に無事到着。

空港からは手配しておいた車に乗って、30分ほどで今夜のホテル、Amarya Villa へ。
 南デリーの大通りに面しているが、一般住居のような門に控えめなプレートがかかっているだけなので、これはホテルの送迎を頼んでおいてよかった。
 
門からちょっと長いアプローチを通って屋内に入ると
 
なんとも華やかなロビー。
出迎えてくれた女性はアッサムかアルナチャールの方の人だろうか、我々と同じような顔だちでてきぱきとチェックインしてくれる。

通された部屋はこのロビーの奥。
 
とても小さな部屋だがかわいらしい内装と色使いで狭さをカバーしていて、このホテルのオーナーはフランス人だそうだがインテリアの勉強になる。
 
バスルームも小さいがもちろん清潔で、部屋には虫よけクリームやローカル用携帯まで備わっているのに感心する。
この部屋にあと冷蔵庫と湯沸かしさえあれば完全だったのにな。

荷物を置いたところで、今夜インドを発つ女の子とこのホテルのダイニング・ルームでお昼を食べることにする。
 
こちらはシンプルで落ち着いたインテリア。
 ようやくお腹が落ち着いてきたところだったので大事を取って野菜スープをお願いしたが、これが優しい味でとてもおいしい。
連れも昨夜から同じ症状だったらしいが、がっつりとタンダーリ・チキンのサラダを食べて、これもおいしかったらしい。

食後は部屋でお願いしてあったマッサージを1時間。
おばちゃんはいいオイルを使っているようで何ともいい香り。
ラダックとはまた別の世界にやって来たことを実感する。


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ラダック再訪 15 メラク村の朝

2015-10-09 15:36:01 | チベット文化圏
8月23日

メラクの宿で早朝に目を覚まし、外が明るくなってきたところで湖畔まで出てみた。

 山の端から太陽はまだ顔を出さない。
 やがて村の奥の雪山に陽が差してきて
 
だんだん山の下まで明るくなってくる。

湖からは鳥たちが飛び立つ。
 
首の長い鳥はなんだろう。

 村がすっかり明るくなったところでセルフポートレイト。
同行者たちも皆散歩に出ているはずだが人の姿は全く見えない静かな村の朝。
 
宿の窓辺では猫が日向ぼっこをしている。

台所ではお母さんがバター茶の準備を始めて、やがて朝ご飯。
 
ゆっくりチャパティーとオムレツをいただいて
 お世話になったアムチご夫妻にさようなら。

村を離れる前にまたみんなで湖畔へ。
  
山本氏が前の晩に予言した通り、パンゴンツォの朝は青空が広がって湖がことさら美しく見える。
 
離れがたいメラク村、ここまで来て本当に良かった。

 
湖水の青を堪能しつつ来た道を戻って、
 
まだ日帰り観光客の到着していない湖の西端でお茶をする頃には雲がだいぶ出てきてしまった。
パンゴンツォへ行くならやはり湖畔で一泊がおすすめ。

湖を離れて往路に生意気なマーモットがいたあたりまで来ると、あ、今日もいた!
 
ということでそろそろと近づいて撮影会。
 
意外と逃げないのでいい被写体なのだが、実はここのマーモット、インド人観光客がビスケットなど与えておびきだしているらしい。巣穴の近くにもよく見ればビスケット。本来は食べないものを食べるせいか、このエリアのマーモットの数は激減してしまったと現地ガイドは言う。
 こんな風に撮れるのは確かに楽しいけれどねえ。

道がチャン・ラ峠に向かって上がる前、タンツェの町でお昼休憩。
 
このエリアでは一番大きな町と言うことで通り沿いには商店が何軒か並び、入ったゲストハウスは「きっと、うまくいく」のスター達も泊まったホテルらしい。
 
華やかな食堂で本日もダルと野菜炒め。

 往路ほどは寒くないチャン・ラを越えて、夕方には無事にレーに到着、三度リンジー・ホテルへ。

これにて山本樹氏同行のラダック・ツアーは終了、ということで最後の晩もまたみんなで打ち上げの食事。
これまたラダック入りした最初の晩に行ったチョップスティック・レストランになったのは人気のあるレストランは限られていると言うことか。
  
毎度おなじみのモモと、もう一つはスキューというラダック料理。ちょっとピリ辛のカレーシチューのような汁の中にすいとんのような麺が少し入っている。

楽しくおいしくいただいたが、最後に波乱が待ち受けていようとは、この時点では知りようがなかった。


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ラダック再訪 14 メラク村の宿

2015-10-06 16:43:23 | チベット文化圏
8月22日 続き

午後2時半に本日の宿泊地メラク村に到着。
インド側パンゴンツォの南岸半分ほどの所にあるこの村は現在のところ外国人が入れる最東端。この先にも小さな村があるらしいが、そこには現地人しか行くことはできない。

 村の入り口にはホームステイの看板がいくつかあって
 
我々がお世話になるのは Amchi Homestay。
 外見もきれいだが3つほど客室のある室内もきれい。
5,6人は泊まれそうなこの部屋を今夜は女性3人で使用。
  
トイレは外と聞いていたが屋内にはちゃんと水洗の洋式トイレがあって、こちらを使わせてもらえることになったので一安心。

荷物を片付けたところで台所兼居間へお茶をもらいに行く。
 
こちらの食器棚も美しく、部屋の隅にはテレビがある。
ヌブラでは夜7時ごろから11時前までしか使えなかった電気が、この村では近くに小さな水力発電所があるおかげで24時間使用可。テレビでは衛星放送を見ることができるが、さすがにここにWiFiは飛んでいなかった。

 
こちらのご主人は宿の名前が示す通りアムチ、すなわちチベット医。柔和な表情の男前だが、我々のグループの一人がひどい咳を始めると途端に目つきがプロのするどさになって、そんなところも素敵
年老いたお父さんはずっとマニ車を回していて、この居間の居心地の良さに我らがドライバーたちもすっかりくつろぎムード。

奥さんの方はおとなしく、あまり笑顔も見せないので愛想がないなと思っていたら、なんでもひどい歯痛に悩まされていて夜も寝られないと言う。よく見れば頬から首まで腫れ上がっていて、見かねたグループの一人が医師に処方された痛み止めの軟膏を上げると翌朝には少し笑顔も見えたので効いたらしい。
アムチと言えども虫歯には無力、レーまで行けばちゃんと麻酔をかけて治療してもらえるが、この村では麻酔もなしで抜くしか手はないらしい 

しばらく居間でゴロゴロして、夕方ちょっと外へ出てみる。
 
家の周りは麦畑、隣のおじいちゃん、おばあちゃんの所には牛の親子がいる。

 
牛が放牧されている湖畔の草地まで行って振り返れば、村の高いところには小さなゴンパが一つ。
 
 
湖畔を散歩してみると
 
さざ波の寄せる水際には小さな貝殻が見つかる。水はとても冷たくて、なめてみると海水ほどではないがちょっと塩辛い。

 
やがて日が暮れて夕食の時間。

 お母さんが作ってくれたのはご飯にダル、ピーマンの炒め物。
ピーマンがすごくおいしいと言うと、アムチ特製のガラムマサラを使っているからだそう。
「ジーラ(クミン)を食べなさい、消化にいいよ」とさすがアムチ。

夜は湖に星が映っているところが見られるのではないかと期待したが今夜は残念ながら曇り空。
それでなくともパンゴンツォは常に波が立っているのだそうで、さすがにウユニ塩湖のような光景は見られないらしい。

旅行会社に借りた寝袋で寝たが、標高4100mでも心配したほどの寒さではなかった。


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ラダック再訪 13 パンゴンツォ

2015-10-05 21:46:11 | チベット文化圏
8月22日

早朝5時に起きて本日の朝ご飯。
 パンはムスリム・ベーカリーのもので、ちょっと乾燥してしまったがドーナッツ型の物は粉の味が良くておいしい。チーズはきれいなお姉さんのいるフレンチ・ベーカリーで買ったヤクのチーズ。これが濃厚でうま~い。 

ヌブラからレーに一度戻ってきたが、今度はレーの東、チベットとの国境にまたがるパンゴンツォという湖へ行く。
メンバーはヌブラから3人が抜けて6人のはずだったのだが、昨日の峠越えで具合の悪くなった若いカップルが抜けて4人となったので6時に車2台で出発。

 まずは初日に行ったへミス僧院への谷の入り口へ。
 
ここから北へ上がる道に入ったところにチェックポストがあり、道路脇の食堂の名前は早くも「パンゴン」。

 すぐに見えてくるのはチェムレ・ゴンパ。
ここも17世紀に建てられた古い僧院でティクセのように印象的な姿だが、本日は遠くから眺めるだけ。

この僧院の下に広がっているのがシャクティ谷で、緑の村がずっと奥までつながっている。
 
裕福な村らしく家々は立派で、刈り入れ間近の畑のパッチワークが美しい。

 
すっかり慣れたドライバー氏と遊びながら標高を上げ、
 
さらにぐんぐん上がって行く。

ヌブラでは連日いい天気だったが、今日はあいにくの曇り空。
 だから標高があがると道は雲の中に突っ込んで行き
  
チャン・ラの峠も霧の中。標識には5360mとあるが、手元の高度計では5200mほどとカルドゥン・ラと同じぐらい。しかしここは寒くて
  
レストハウスの熱いチャイがなによりのご馳走。

ここから今度はひたすら山を下って行くと
 
やがてヤクが現れ、そのうち馬や羊の放牧にもでくわす。
 マーモットがたくさんいると言う岩場では道路のすぐ脇に一匹発見。
岩に手なんかかけちゃって、生意気な姿がかわいい。

 やがて荒涼とした岩山の間にちらりと青い水が見えて、これが目指すパンゴンツォ。

12時ちょうどに湖の西の端に着いたが、小雨が降って寒いのでまずは昼食。

この湖は2009年のインド映画「きっと、うまくいく」(原題 3 Idiots)のエンディング・シーンのロケ地として有名になり、インド人が大勢訪れるようになったということで湖畔にはにわか作りのカフェがいっぱい。
  
 
どこも「ランチョ(主人公の名前)カフェ」なのが笑えるが、本日もおなじみのトゥクパ。 
 
食事を終えた頃にようやく青空も見え始めたので、改めてパンゴンツォにご挨拶。
 
 標高4300mにあるこの湖はこの角度から見るとあまり大きく見えないが、東西が113kmもある細長い湖で、その4分の3はチベットにある。

ちなみにこちらが2006年に見たチベット側のパンゴンツォ。
 
 こちらの湖畔には漢族経営の魚料理を出すレストランがあったが、インド側では魚を獲っている様子がないのがおもしろい。

インド側に戻ると、タルチョがかけられている細長く伸びた砂洲が映画のロケが行われたところ。
 
インド人たちが飛んだり跳ねたりして写真を撮っている。

レーから日帰りだとここで引き返すことになるそうだが、我々はまだ先まで行く。

 
宿泊用の常設テントがぎっしり立ち並ぶスパンミク村を過ぎると
  
空はますます晴れ、湖も青さを増してきた。
 水は澄んでとてもきれい。

 
たくさんの山羊とすれ違って、今夜の宿泊地までもうすぐだ。


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ラダック再訪 12 パナミック温泉

2015-10-03 13:17:37 | チベット文化圏
8月21日

ヌブラには温泉がある!

ということで今回の旅でもっとも楽しみにしていたことの一つがこのお湯に入ること。
ところがヌブラに入ってからの情報では8月頭の大雨、土砂崩れで浴槽がつぶれてしまい、道も通行不可能になっているとのこと。

がっかりしていたらスムルの宿の情報では道は何とか復旧し、お湯も出ているとか。
とは言え情報は錯そうしているし、行ってみなければわからない。
ガイドの山本氏は行きたくない様子がありありだったが、自分ともう一人がぜひ行きたいとお願いして、結局9人のうち4人だけが温泉まで行くことになり、まだ真っ暗な5時に宿を出発。

スムルから温泉のあるパナミックまではヌブラ川を北へ遡る。
通常であれば2,30分で行ける距離なのだが、途中の道は話に聞いていた通り荒れていて
 
山からの土砂で畑などがつぶされてしまった跡がありあり。
 特にパナミック村の近くではまだ岩がゴロゴロしている個所もあり、全員車を降りてなんとか通過。
こんな悪路にも慣れているドライバーだからこその技。若いドライバー君に感謝。

結局1時間以上もかかってようやく目指すパナミックに到着。
温泉施設は村の上方、山をちょっと上がったところにある。
 Panamic Hot Spring Kitchen と看板の掲げられたこちらの建物は見たところ無傷。きれいそうなこちらの施設には個室があり、手前の英語看板には入浴料30ルピーとあるが、早朝のこととて当然誰もいない。
 そこで裏手に回ると倉庫のような建物があり、ドアには男性、女性の表示。ここが元からある温泉施設のようで中には5メートル四方ほどのコンクリの浴槽があるだけ。
しかし中は泥で埋まり、ここですべって尻もちをついてしまったので写真も撮らずじまい。

  この建物の上からお湯が流れていて、本来はこれをパイプで温泉施設に送っている。
お湯の通り道は緑色に染まり、触ってみると47,8℃あるだろうか、かなりの熱さ。しかしこれをパイプで引けば、浴槽ではちょうどいい湯加減になるだろう。
 結局お湯を浴びることはかなわず、熱いお湯になんとか足裏を漬けるだけになってしまったが、ほんのわずか硫黄の香りがしてなめても癖のないこのお湯、漬けた後には足がすごく軽くなった。
看板には皮膚病、胃腸、関節にいいとあるが、温泉の効能おそるべし。

 
温泉からは眼下のパナミック村が一望でき、日本であればここに宿の一つも建てたい所。なにしろ標高3200mの温泉だ。
以前に行ったバドリナートの温泉は標高3100mほどだったから今まで行った温泉の中では最高所。そう言えば泉質も似ているような気がする。
しかし今日は滞在20分ほどで残念ながら撤収。
  
ようやく日の当たり始めた対岸の村など眺めながら宿に戻って朝ご飯。

 今朝はどっしりしたラダッキのパン。

本日この後はレーに戻るだけ。

 
再び河原の中の一本道を通り、ヌブラの村々に別れを告げてカルドゥン・ラへ向かって標高を上げて行く。

途中カルドゥン村で往路にも寄った茶店でまたチャイ休憩。
 仲良くお茶を淹れてくれる若夫婦。
 
我らがガイドが持っているのはお茶請けの炒った麦。ポン菓子のようなもので香ばしい。

とこの後、グループの中で一番若い男の子に異変が。
食べたものを戻してしまい、手足もしびれているとのこと。
旅行の疲れで高山病症状が出てしまったようだ。

対処法は標高を下げることしかないので
 道路工事などに会いつつも
 曇天のカルドゥン・ラをさっさと通過して、大事なくレーに帰着。

再びリンジー・ホテルにチェックインして、夜はツアーメンバーで一緒に食事。

選ばれたのは出発前に一人で行ったチベッタン・キッチンだったので、先日は頼まなかったチベット・メニューを注文。
 マトン・シャプタは肉と春雨、玉ねぎやピーマンのピリ辛炒め。
久しぶりのお肉はやっぱりおいしかった。


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コメント (4)
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