10月8日
楽しかったポーランドもとうとう帰国日。
アパートの食材も片付けたので、最後の朝食はまたまた例のドーナッツ屋へ。
昨日のプレーン・ドーナッツをもう一度食べたかったのだが
今朝はまたジャム入りしかなくて残念。
この美しい広場ともお別れ。
車の入れるソフィテルの前でUberを呼ぼうとすると、残念ながら150円のWiFiの効力がとうとう切れてしまった。
幸いにして普通のタクシーが停まっていたので空港までお願いしたが、おかげで残っていた100ズロチほどの現金をチップも含めてほぼはたくことになった。
旧市街から30分ほどのヴロツワフ空港は小さな地方空港。
とは言えまだ新しいのだろうか、きれいで効率的。
プライオリティパスが使えるラウンジもあって飲食コーナーもなかなか充実。お腹がいっぱいでヨーグルトとコーヒーしかいただかなかったが
受付に置いてあった飛行機型クッキー、一つもらえばよかった。
大きな小人(笑)に見送られてワルシャワ行きの小型機に乗って飛び立つと
ガスっているがヴロツワフの町が一望。丸いドーム型の建物は見に行かなかったが世界遺産に指定されている百周年記念ホール。
40分の飛行で、パッチワークの畑が見えてきたらもうすぐワルシャワ。
高層ビルと呼べるものがあるのはこの町だけだな、と改めて思う。
到着したら出国手続きをしてボレロ・ラウンジへ。
ここでしっかり食べていたおかげで食指の動かない東京行きの機内食は食べずに済んだ。
スケジュール通り、朝の成田に到着して13日間のポーランド旅行終了。
次はワルシャワより北へ行こう、と再訪する気満々。
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10月7日 続き
第一希望に振られたので駅まで戻って線路をくぐり、10分ほど歩いて第二候補のレストランに到着。
田舎家風のかわいらしい外観のこの店
中も山小屋風でとても感じがいい。お客さんはどうも外国人観光客が多いようだが
ポーランドらしく、とクワスとコンポートを飲むうち運ばれてきた料理は
キノコと豚肉の煮込みも、かりかりベーコンのたっぷり入ったサラダも量がたっぷりでおいしくて、しかもこれらすべてで36.5ズロチ(約1100円)とびっくり価格。
壁際に置かれていた素朴な見た目のデザートもおいしそうだったので食べたかったのだが、「時間がなくなる」と友人に言われて泣く泣くお会計。
それと言うのもわざわざこの町までやって来たのは表題のポーリッシュ・ポタリーを買うため。
石巻(!)の食器屋でとてもかわいいのが並んでいるのを見て、それまでポーランド行きにあまり興味を示さなかった友人が「行きたい!」となったのだ。
レストランの庭には巨大な土鍋や食器類が飾られているし
交差点にも大きなポットとカップが並んでいるように、ボレスワヴィエツこそポーリッシュ・ポタリーの生産地なのだ。
そこでまずはレストランに一番近く、各メーカーのアウトレットがずらりと並んでいるこちらへ。
それぞれ入り口の装飾もかわいく
中に入ればこの状態。
形も大きさも様々、各店見比べると柄にもそれぞれ個性があって、もう見て回るだけでもうれしい悲鳴。
時節柄ハロウィーンやクリスマスの柄もあって、これがまた楽しい。
ここに並んでいる10軒ほどをすべて見て回り、次は道を隔てたお向かいの大きなメーカーへ。
ここは動物の置物が得意と見える。
その隣のメーカーは売店の前の飾り付けがかわいかったので入りたかったのだが、残念ながら閉まっていて入れず。
そして最後の一軒は駅に一番近く、売店も一番大きかったこちら。
売店の前にはアウトレット品のテントまであったが
やっぱり正規品の方がいいものがある。
というわけでお昼を食べてから2時間見て回り、結局4軒のお店で買ったのはこれら。
全部合わせて188ズロチ(約5640円)がどれだけ安いかはわからないが、どれもとても使いやすくて、特に右上のボウルが使い勝手が良い。わざわざポーランドの隅の町まで行った甲斐があったと言うもの、もっと買いたかったがさすがに重さを考えてブレーキがかかった。
雑に紙でくるまれただけの食器類に気を付けつつ、列車の時間に合わせて駅に戻る。
と、予定していた列車が遅れていて、上下線とも同じホームに止まるもので逆方向の列車に乗ってしまった。
検札に来た車掌さんが親切に「次の駅で降りて待てばいいからね」と超過料金も取らずに教えてくれたが
おかげで周りに全く何もない駅で30分ほども待つ羽目になり
ヴロツワフに着いた19時前には暗くなりかけていた。
この後は最後の買い出しにスーパーに行ったりしてさらに遅くなったので、ポーランド最後の夕食はまたアパートのある中央広場の店にした。
締めもポーランド料理が良かろうと選んだこの店、内装はいい感じだったのだが
タルタルステーキもビゴスもいまいちでがっかり。
いつも最後の食事は外してしまう気がするのはなぜだろう。
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10月7日
さて、ポーランド滞在もいよいよ実質的最終日。
最終日にしてようやく今回の旅の一番の目的を達するべく、まずは駅へ向かう。
旧市街の外もどっしりとした建物が並ぶ中トラムがたくさん走っているが、歩いて行くと面白い時計台があり、さらに行くと
地面に沈み込んで行く人たちがいて
道を渡った先ではまた地面から出てきている。
Jerzy Kalinaという人のPassageという作品なのだそうだ。
こうして遊びながら歩いてアパートから駅まで20分。
駅の北側はオレンジ色も鮮やかでまるでお城のような外観。
2つの塔のある中央口から入ると
広い構内にはたくさんの人が行き交っている。
構内を突き抜けると反対側の出口は現代風の造り、目の前には大きなバスターミナルがある。
実はこの町に到着した時にはホームの端の出口からこちら側に出てしまい、反対側にあんな立派な建物があるとは気が付かなかった。
さて、本日はこの駅からローカル列車に乗ってドイツとの国境に近い西に向かう。
列車はなかなかきれいで、目的地までは一人往復37.4ズロチ(約1100円)。
駅までの途中、昨日見かけたドーナッツ屋のウィンドウを見ると、昨日とは違う種類が並んでいる。
どうやら出来たものから並べているので、何に当たるかはタイミング次第のよう。
中にシンプルな丸いだけのドーナッツがあったので車内で食べようと買ってみると
これが大当たり!
むっちりとした生地が甘すぎなくてとてもおいしい。これなら確かに並ぶ価値がある。昨日はみかけなかったけれど。
とドーナッツに感激しつつ行く車窓は今度も平らな農地。
1時間半の乗車で到着した目的地はボレスワヴィエツ。田舎駅の前には公園があり、降りた人たちに着いて歩いて行くとちょっとしたショッピングセンターなどのある町の中心に出る。
現代的な一角の先には高い塔のある教会があり、小高くなったこの正面から下を見ると
ここもまたカラフルでかわいい建物に囲まれた中央広場。ヴロツワフの広場を2回りほど小さくしたような感じで
中央にあるのは旧市庁舎。
紋章があったり、クラシックな水道があったり、周りにはベンチもたくさんあっていい感じだ。
ぐるりと囲む建物は本当にかわいらしいけれど、この町も例によって第二次大戦時には大きな被害を受けてその後再建されたとのこと。ただ表のペンキを最近塗りなおしたのか、ちょっときれいすぎてヴロツワフに比べるといささか作り物めいて見える。
平日の昼間のせいかとても静かなこの広場に目当てのレストランがあったので、少し早いが行ってみた。
鮮やかな黄色のこちらの店、11世紀に創業し、なんと1812年にはナポレオンが2度ここで食事をしたという。
お店の人が店頭にかぼちゃを並べていたので入ってみると、どんな事情やら今日はお休みとのこと。がっかり。
仕方がないので第二候補に向かうとしよう。
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さて、ヴロツワフの町の名物の一つは「小人」。
到着早々、アパートを出て旧市庁舎に向かった所で早速第一小人発見。
大きさは20㎝ぐらい、みんなに触られるのか、手だけがピカピカしている。
さらに市庁舎の入り口には3人組。
「見ざる、聞かざる、言わざる」ならぬ障害小人3人組?
この小人像、始まりは1980年代にヴロツワフ大学の学生が共産主義支配に抗議するために壁に描いた小人の落書きだそうで、その運動を記念すべく最初の銅像が作られたのは2001年。
小人パパと呼ばれるこれがその1号だが、これだけは台座も入れると1メートル以上あり、姿かたちも他とは違っている。
先に見つけたような小さな銅像が作られ始めたのは2003年以降のことだそうで、今では旧市街に限らず、町中に300以上もあるとか。
駅前には大きな旅行鞄の上に小人がいるし
大学の入り口には学者小人がいる。
小さな小人を探して下の方ばかり見ていると
街灯の上の方にいたりもして神出鬼没。
これを探して歩くのが実に楽しくて、誰かがかがみこんでいればそこに小人がいる。
そんなわけで、我々が街歩き中に見つけた小人像は全部で43個。
土産物屋では「ヴロツワフ小人マップ」なるものも売られているが、歩きながら「こんなところにも!」と発見した方が楽しいと思う。
ただし自力で300体見つけるのは相当大変そうだ。
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10月から開催されていた展覧会に今頃気づき、閉会3日前に慌てて出かけた。
六本木の国立新美術館で開催中の「カルティエ、時の結晶」展。
週末は20時まで開館とのことなので土曜日の17時ちょっと前に行くと、「ただいま入場まで50分待ちです」と無情なお言葉。
しかしもうすぐ終わってしまうし、せっかく来たのだからと長い列の末尾に着く。
こんなに人気があるとは思いもしなかった。
若いお姉さんたちが多いけれど、カップルのおデートも多い。
結局40分ほどで入場出来て、最初の部屋には一番の目当てだったミステリークロックが10点も展示されていて興奮。
1920年代に作られたアールデコのものが洗練されすぎていて、その後に作られたもの、特に最近のものは宝石で飾られすぎて無粋に見える。
その先にはハイジュエリーがいやというほど飾られて、途中からは本当にうんざりするほどのダイヤ、サファイヤ、ルビーにエメラルドなどなど、宝石の洪水。
カルティエの代表的なデザインが生まれたのは20世紀初頭で、その頃のものと、その流れをくむ最近のものが並べて展示されているのがとても興味深く、おっと思うものは自分の好みのためでもあるだろうが1910年代、20年代のものがほとんど。
カルティエの腕時計が生まれたのも1906年だそうだが、1910年代のサントスやトノー、タンクも展示されていて、これがまったく古臭く見えないのが驚異的。むしろ最近のものよりも100年前のカルティエ・ウォッチがほしい!
最後の部屋だけは写真撮影OKとなっているので、他の部屋も渋滞していたけれどここはさらに人の列が進まなくて大変。
こんなウィンドウにみんなへばりつく。
この部屋には他文化や自然からモチーフを取られた作品が並んでいて
これらは日本風のデザイン。
印籠そのもののヴァニティケースも1930年のカルティエ製。
動物がお得意のカルティエのパンテールももちろん展示されていたが、その他にも
鳥やへび
虎やワニまでジュエリーになっている。
でもやっぱり惹かれるのは100年も前のデザイン。
と、大いに目の保養をさせていただいた展覧会だったが、会場は「お好きな所からご覧ください」と動線が決まっていないので混雑していると非常に見にくく、各作品の説明もスタイル重視で小さな文字が暗い会場では読めない。
が、19時に会場を出ると入場の列はもうまったくなくなっていて、この時間に入れば悠々と会場を回れたはず。
空いた中で見られれば会場全体の印象もだいぶ変わっただろう、とその点がもったいない展覧会だった。
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すねこすりさんのブログで紹介されている映画に興味を持って、渋谷のミニシアター、ヒューマントラストシネマに初めて足を運んだ。
「テルアビブ・オン・ファイア」 Tel Aviv on Fire
エルサレムに住むパレスチナ人監督によるこの映画は、パレスチナ側のテレビのメロドラマ脚本を巡るコメディー。
主人公のパレスチナ人青年はプロデューサーであるおじさんのコネでやっと番組のアシスタントに雇ってもらっているダメ男なのだが、仕事場であるラマッラと自宅のあるエルサレムの間の検問所でユダヤ人係官に絡まれ、脚本に口出しされるようになると意外にもこれが受けてしまって正式な脚本家になってしまう。
係官が脚本に口出しするのは実は奥さんが「テルアビブ・オン・ファイア」というパレスチナ製ドラマの大ファンだから、という設定から面白い。
パレスチナのテレビ局というのは実際にあるようだが、そこでメロドラマなど作られているのかどうかはわからないし、ましてその番組をユダヤ人が見るとはあまり考えられないのでここはファンタジーではないかと思う。
そのドラマの中ではパレスチナ人女性スパイがイスラエル軍の将校に近づくのだが、検問所のおやじはユダヤ人将校をかっこよく見せたくて、この二人が恋に落ちて結婚するよう脚本を変えろ、とダメ男のIDカードを人質に取ってまで迫る。
そんな無茶な設定、できるわけないじゃないかー、とダメ男がやっと頭を働かせるようになり、これをどう解決するかがラストのオチになっていて、これは本当に意外なオチで笑わせてくれる。
パレスチナ人の主人公が強引なユダヤ人おやじにあれこれ指図されながら、結構仲良く二人で脚本を書いて行くところもおかしい。
映画には検問所やパレスチナ人地区の高い塀なども出てくるし、中東戦争を経験したおじさんはドラマの主人公たちの結婚式に爆弾を持ち込もうとしたりして、現実のユダヤ人とパレスチナ人の関係はもちろんずっと厳しいだろう。
しかし反日だ、嫌韓だと言いながら韓国の若者たちが日本のアニメに夢中になったり、日本のおばさんたちが韓流ドラマにはまったりするように、エンタメは国境も人種も越えられる。
ファンタジーではなく、パレスチナとイスラエルの両方で受ける番組があったらどんなにいいだろう。
厳しい現実を皮肉や笑いに包んで見せるこの映画も大成功。
それにしても途中で出てくる「パレスチナ一番のフムス」がおいしそうで、これを食べにパレスチナに行きたいぐらい。
缶詰でもいいからフムスが食べたい!
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10月6日 続き
お腹を満たしたら大学のすぐ隣に建つイエズス聖名教会を覗かせていただく。
ロンプラに言わせると「ヴロツワフで最も美しい教会」だけれど、バロック・ロココはいささか苦手なのですぐに退散。
オドラ川べりを東に進むとこの町の屋内市場が見えてくる。
入り口には1908年の銘も見えて、市場好きとしてはぜひ営業中を見てみたかったが、ここも日曜のため残念ながらお休み。
市場のすぐ前にはトラムも通る赤い橋があるので、ここでオドラ川を渡ってカテドラル島へ。
ヴロツワフの町は7,8世紀にこのカテドラル島から始まったそうだが、13世紀にタタール(モンゴル人)に破壊され、その後現在の旧市街に町の中心が移されたのだそうだ。
島には名前の通り教会が多くて、この縦長の教会は砂上の聖母教会。
教会の前にはなぜかムスタングが何台も並べられて、お兄さんたちが熱心にエンジンなど覗き込んでいる。
その先にあるのが洗礼者ヨハネ教会。
ここも例によって戦争でひどく破壊されたが、現在は針のような尖塔まで見事に復元されている。
近くに来てみると入り口周りの彫刻もきれいで
薄暗い内部もステンドグラスや聖歌席の彫刻など見事。正面にはヴィト・ストヴォシュ派の祭壇があるはずなのだが、修復中とみえて写真を写した布が掛かっているだけ。残念。
やっぱりロココよりゴシックが好きだ。
この教会の尖塔にも登れる、ということで本日3か所目の高い所へ(笑)。我々どれだけ高い所が好きなんだか。
入り口こそ石段だが、その先にはエレベーターがあるのでここは楽ちん。
3か所の中でもここが一番高くて、旧市街の外に新しいアパート群がどんどん建てられている様子がよくわかる。
この後はまた旧市街に戻って、これは中央市場のすぐ隣につながる塩の市場。
と言っても今は塩ではなく花屋が並んでいる。
凝った建物を眺めながらさらに歩いて
新市街の目抜き通りらしき所へも足を踏み入れてみると、そこだけ行列の出来ている店がある。
すぐにネットでNasza Paczkarniaと言う店名を調べてみると、この町で有名なドーナッツ屋らしい。
それでは、と我々も列に並んでカスタードクリームのドーナッツを一つお試し。
フワフワと軽くて甘すぎないが、特筆すべきでもないような。
この後はスーパーでお土産を買おうと大きなモールに行ってみたが、なぜか日曜も営業しているはずのカルフールがお休みで、他のスーパーも閉まっている。
お惣菜を買って今夜はお家ごはんにしようと思っていたのに。
仕方がないのでzabkaというポーランドのコンビニへ。
このお店、年中無休、6時から23時まで営業とヨーロッパとは思えないほど勤勉で、店内もそこそこ清潔で品数もある。
というわけで今夜はスープ2種類にタイグリーンカレー、ビーツサラダにソーセージ入りのプレッツェル。
タイカレーとエスニック風味のスープ、ずっとポーランド料理だったので新鮮でおいしく感じた。
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10月6日
今日は昨日とは打って変わって素晴らしい晴天。
カラフルな中央広場の建物群が青空に映える、映える。
この市場の角、アーチでつながった2つの細長い建物はヘンゼルとグレーテルと呼ばれていて
その奥には83mの塔を持つ聖エリザベート教会があるが、日曜の朝なのでミサが行われていて中には入れず。
そこで次には広場の反対側にあるマグダラのマリア教会へ。
なぜか外観を撮り忘れてしまったが、こちらも一段と大きな赤レンガ造りの教会で14世紀の創建。
こちらにも72mの塔があって登れるのだが、ここはツインタワーになっていて
アパートのベランダからも見える「懺悔の橋」を渡れるとなれば登らねばなるまい。
教会の脇から入ると土産物も並べた切符売り場があって8ズロチ。
狭い石段を上がった先にある橋はしっかりした造りで怖さはなく、欄干の小さな魔女たちが人気の的。
街並みの向こうにも尖塔を持った教会がいくつも見える。
こちらのミサも終わったので教会の中も見学させていただくと
1940年、ソ連軍によってポーランド軍の将校たち4000人以上が殺された「カチンの森事件」追悼のパネルとステンドグラスがあった。ただしカチンは現ロシア領にあって、ヴロツワフの近くではない。
教会を出て次の目的地に向かっていると、かわいい小路があった。
ここはかつての肉屋通りだそうで、そのためか動物たちはみな悲しげに首を垂れている(笑)。
今はギャラリー風のちょっとしゃれた雑貨を売る店が並んでいるが、日曜のためほとんど閉まっていたのは残念。
さらに進んで、旧市街の北を流れるオドラ川べりに建つヴロツワフ大学へ。
1702年設立の名門で3万人以上の学生がいるという大学の、これは1742年に完成された建物。
青字に金の装飾の美しい扉から中に入ると中央階段も華麗で、大学と言うよりも宮殿のよう。
この建物中央の屋上は数学の塔と名付けられ、外に出ることができる。
四隅に彫像の立つこの屋上は天気もいいので大人気。
下に降りると教室らしき部屋の並ぶ廊下が伸びているが、この先は観光客立ち入り禁止。
反対側の華やかな扉の奥はレオポルディナ講堂で
現在修復中のこの部屋のなんと華麗なこと!
さらにこの下の階にもマリアヌム礼拝堂という一回り小さな部屋があるが
こちらもこの豪華さ。
ヨーロッパの大学のこういう所を見ると、文化の厚みと大学が選ばれた人たちのための場所であることを痛感する。
最後はノーベル賞受賞者を11人輩出したというこの大学の博物館展示も拝見して、見学料は13ズロチ。
と現在は美しいこの建物も、構内にある写真を見ると第二次大戦でひどい被害を受けたことがわかる。
ポーランド人の「復旧」にかける執念には頭が下がるばかり。
さて、時刻はお昼時。大学の扉を出るとお向かいのガラス張りの建物に人が並んでいる。
これがカフェテリアで、食べ物はなんでも100g3.98ズロチ(約120円)の量り売り方式。
料理の種類も豊富で、セルフ式は料理が熱々じゃないのが残念だが、スープとかサラダがおいしい。
きれいで気持ちのいいカフェテリアだ。
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10月5日 続き
アパートを出た中央広場の真ん中には高い時計塔を持つ旧市庁舎がある。
入り口前の石畳には中央に洗礼者ヨハネの首が描かれた市の紋章。
ヴロツワフは1000年以上もの歴史を持つ町で、この市庁舎も14世紀から16世紀にかけて作られたものだが、チェコやらハプスブルグ・オーストリアやらプロシア、ドイツと統治国が次々に代わってその度に紋章も変わり、現在の紋章が制定されたのは1997年ということらしい。
市庁舎の内部は現在は博物館になっているので入ってみると
一番奥の部屋では古いランプの特別展を開催中。
周りには執務室だったのか、部屋がいくつもあって、
見事な細工の扉があり、フレスコ壁画が残っている部屋もある。
さらに2階に上がると大広間があって、いかにもゴシックらしい天井が見事だが
紋章の入った窓がかわいい。
鋳鉄好きの心をくすぐる細工もいっぱいあるし
銀器やガラスの展示などもあって、地味だけれど予想よりも見どころのある博物館だった。
17時の閉館になったので外に出て建物の南側に回ると
こちら側には凝った出窓や彫刻がいっぱい。
さらに回り込んで建物の東面を見ると
こちらはまた様式が変わって違った顔を見せる。
この周りにはアパートの窓からも見えた通り、カラフルな建物が並んでとてもきれい。
しかし通りに掲げられた写真を見ると1945年の第二次世界大戦直後は悲惨な状況。
当時この町はドイツ領の東端にあたり、町の75%が廃墟になったのだとか。
現在のように美しく復興したのは1980年代以降らしい。
この後はスーパーに買い出しに行って、夕食はアパートのすぐ下のレストランへ。
オープンキッチンでカジュアルな感じの店だが
アミューズの姿から期待した通り
飽きもせず頼んだジュレックも、カボチャのスープも
リゾットもビーフサラダもとてもおいしかった。
デザートにはアイスクリームを2つ頼んで、85.5ズロチ(約2600円)のお値段にも大満足。
食後にまた市庁舎を見てみると
ライトアップされた姿もまた素敵。
超満員のバスで戻った甲府駅前には信玄公。
山梨のお土産と言えばそのお名前を冠した信玄餅。
信玄餅と言えば少し前までは何社かが競合していたと思うのだが、いつの間にやら桔梗屋さんが天下を取っていて、甲府駅の中はとにかく桔梗屋さんだらけ。
オーソドックスな信玄餅はもちろん山積み。
黒い袋は「2021年 信玄公生誕500年記念」なのだそうだが、「中身は一緒です」とみんなに聞かれてうんざりしているのか、店のおばちゃんの言い方は冷たい。
桔梗屋さんが最近すごいのは信玄餅の派生商品を次から次へと出していることで
最新作は最中と、サブレの間にマシュマロをはさんだ信玄軍配。
とにかくきなこと黒蜜、餅を入れればすべて「信玄餅」なので
アイス系もこの充実度。
駅構内にはこんなソフトクリームまである。
さらに大手メーカーとのコラボまでしていて、不二家のペコちゃんはミルキーバームクーヘン、キットカットにキャラメルは桔梗屋製。
ホームに降りても桔梗屋さんは圧倒的で
キオスクには信玄餅の中央線限定パッケージまである。
ここまで徹底的に制覇されれば素直に従うしかなく
お土産も信玄餅づくし(オリジナルはないけど)。
ちなみに帰りのあずさの中で食べたアイス最中はお高いカップアイスより食べやすいしおいしくて、これはぜひ山梨以外でも売っていただきたいところ。
ほうとうチップスはさすがに「信玄餅」をうたっていないが、これも桔梗屋さん。
桔梗屋、おそるべし。