かなり大衆性に軸足を置いた「みじかくも美しく燃え」「ジョー・ヒル」「サッカー小僧」「刑事マルティン・ベック」など日本公開作もかなりあるが、これは初期作品とあってかタイトルからして厳しい内容。
冒頭の裏町で遊ぶ子供たちの背景の汚れ具合が白黒画面で映し出される。35mm上映なのでなおのことマチエールが稠密でリアル。
1936年と字幕で示され、スウェーデンが舞台であってもヒットラーの演説がちらっと聞こえるのが時代を示す。オリンピックが開催された年で、ラジオで中継されるところが後で出てくるが、これがまさにナチスがプロパガンダに使ったベルリン・オリンピックなのだ。
そのサッカーの試合でスウェーデンの相手をするのがなんと日本で、この第一回戦で日本が勝ったのは日本国内ではベルリンの奇跡と呼ばれたとウィキペディアにある。
「スウェーデンのラジオ放送の実況アナウンサーのスヴェン・イェリング(スウェーデン語版)が『Japaner, Japaner, Japaner(日本人、日本人、また日本人)』と連呼したこの試合は、スウェーデンのスポーツ分野においても歴史的出来事のひとつとして記憶されている。」とウィキにはあるが、この上映での英語字幕ではJapaneseと共にJapsがまじえて使われていた。
日本が勝ちそうになると、ぼそっと父親が「ドイツが優勝するさ」と言う。枢軸国が優勢な時期なのを踏まえて、アジア人よりかはヨーロッパ人が勝つ方がいいということか。ちなみに実際に優勝したのはイタリア。
主人公の青年がサッカーをやっているシーンがあるが、この頃のスウェーデンでも貧しい子供でもできるスポーツの代表だったのだろうか。
作家志望の息子とチラシ配りやサンドウィッチマンで糊口をしのいでいる父親と主婦の母親の三人暮らしの一家が中心で、最初のうち小さな妹が出てくるのだがすぐ亡くなってしまう。
腹痛を起こしているのが前日にアイスクリームを食べ過ぎたせいかと思っていると、ぽんと葬儀にとび、その葬儀の葬列を鐘の音をバックに長い移動撮影をまじえてえんえんと描く描き方が独特。
デパートにできた「自動階段」(字幕ではそう訳してあったが、もちろんエスカレーター。エスカレーターにあたる言葉は使っていなかったということか)で遊ぶのが一家の遊園地代わりという貧困の描き方。
手に届くモノが皆無というわけではなく、すぐ食うに困っているわけでもないが、いったん底が抜けると支えるものが皆無というのが、今の日本にむしろ近く見える。
父親が高級ホテルのナプキンだけ集めて食卓をせいぜい演出して逼迫した状況を取り繕ったり、働いて(というか途中で投げ出して)帰ってきた顔に白い布をかぶってソファに横たわっているところなど生きながら半ば死んでいるような描き方。
うがいだ、などと言いながら昼から隠したポケット瓶から酒をあおっているなど明らかなアルコール依存症。結婚する前からそんな調子だったと後に母の口から語られる。
作家として芽が出そうになってストックホルムの出版社(ストリンドベリの胸像がものものしく置かれている)に招かれたのを両親ともども揺り椅子に三人乗ってはしゃぐシーンはこの映画の中で少ない前向きなシーンだが、リアルな中に危なっかしさも暗示しているのがすぐれた描き方。
その出版社でどう応対されたのか直接描かないで後で帰ってきた息子のモノローグとして描くのも、客観的にどうだったのかよりどう感じたのかを優先させた、内面に迫るようなリアリズム。
息子だけでなく、父親にも母親にもそういう内面をえんえんと吐露するモノローグが用意されていて、じっくり見せて、聞かせる。
息子が被害者一方でなく相当悪質な、父親以上に悪質な加害者になるまでに煮詰まったところで言い争っていた母親とふと同じ方向を見てしまい、窓の外の帰ってくるサンドウィッチマン姿の父親の姿のロングショットにつなぐ、そのつなぎが鮮烈。
自分が生まれる前の父母の関係を酔った勢いで父が話してからがらがらっと雪崩をうったように親子関係も婚約も崩壊していくラスト近くの展開の勢いが怖い。
葬儀に対応するようにまた使われる長い移動撮影にかぶさる音楽だけヘンデル風に明るくのは対位法か。
Kvarteret Korpen