家族の写真の後ろにボルヘスの「幻獣辞典」や、宮本常一の「忘れられた日本人」があるのが見える。
インテリ青年が本棚に置いておきそうな本が多いけれど、実際に読んでいるだろう手元に出してある本はミステリっぽい(確認要)。堅い本に救いを求めている一方で実際に気晴らしになるのはもう少し柔らかい本かと思わせる。
小道具にも細かい神経がいきわたっている。
終盤まで新体操の練習の現実音扱いのBGM以外音楽なしで、緻密につけられた環境音がよく空間を出して緊張感を保つ。
ひきこもりといってもありがちなネットやゲームでヒマつぶし、という描写は避けている。
というか、この鈴木家、娘以外インターネットを使っているのだろうか。タイトルにある「嘘」は通常のネット使いだったら簡単にバレてしまうようなもので、ネットがなくても電話の使い方次第でバレるような話だが、まあ岸部一徳、原日出子といった人だとまあなんとなく使っていなくてもおかしくない感じではある。
ボランティアが介在してなかなか表立って話せない家族の話を似たような境遇の人が集まって話す会合に来る人の中でやたら大声で押しつけがましく喋るおばちゃんやボランティアの男の描き方などひとひねりしてあっているのが周到。
大森南朋の世にもちゃらんぽらんで調子が良くて無責任な叔父さんが深刻になりそうな調子を救っている。
正直いって、2時間13分は長くて、特にひとつの山場になる結婚式のあと新しい登場人物が出てくるというのは今から新しい話をするのかとちょっと困った。
監督の実体験がもとになっているというが、おそらく監督の分身であろう役を演じる、出演者の中で一番キャリアの浅い(出演二作目)の木竜麻生が堅いなりに表現力豊かで、性別を変えた分一定の距離感が出たのも良かった。
ソーメンや蝙蝠といったディテールが何度もニュアンスを変えて使われる構成が緻密。
新宿ピカデリーでこのところ独自路線で連続上映している日本映画は、息子をなくした母親、自殺、ひきこもり、鬱、虐待といったハードなテーマを扱っている割にやたら深刻にならずにそれぞれ見せる工夫をして一定の質をクリアしているのが頼もしい。
「鈴木家の嘘」 - 公式ホームページ
「鈴木家の嘘」 - 映画.com