prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

12月25日(火)のつぶやき その1

2018年12月26日 | Weblog

「キラー・インサイド・ミー」

2018年12月25日 | 映画
ジム・トンプソンの原作は1952年に書かれたというからずいぶん前だし、時代色がしっかり出ているのだけれど、なぜ殺すのか自分でもよくわからないまま内なる衝動に駆られてやたらと暴力をふるい人を殺す内容は現代的。もっともそれを客観的に見る存在がないので、不快感や
違和感が宙に浮いて平板な感じにもなっている。

監督がイギリス人のマイケル・ウィンターボトムというのが意外に思えたが、考えてみるとテレビ「心理探偵フィッツ」を演出しているのだから陰惨な犯罪ものの経験もあるわけだ。もともと極端にいろいろなジャンルを手掛ける人ではあるが。



12月24日(月)のつぶやき

2018年12月25日 | Weblog

「くるみ割り人形と秘密の王国 」

2018年12月24日 | 映画
チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」の映画化なのかと思ったら、音楽はちらっとモチーフが出てくる程度。
まあ、大もとはE.T.A.ホフマンが書いたメルヘンで、それをデュマが書き直したのをさらにマリウス・プティパがバレエ用台本に仕立てたという経緯をとったものらしく、よく考えてみると音楽はよく知っていてもどんなストーリーだったのかはよく知らないことに気づいた。

実のところ、この映画を見ても話の骨格は案外とつかみにくい。最終的には悪者が退治される話には違いないのだけれど、脇のキャラクターが豪華キャストの割りに機能していない。

ディズニーのことだからディズニー式に仕立てているのだろうなと思うし、実際豪華というよりシュガー・プラムとかスイーツ・カヴァリエといったキャラクターの名前そのままに砂糖菓子のような美術・衣装で、なんだか胸がやける。ブリキ人形の兵隊たちがCGの無機質な感じで不気味。悪役のシュガー・プラムがすごく憎々しくて誰かと思ったらキーラ・ナイトレイ。

エンドタイトルにちょっと出てくる何人かが踊るバレエ(スイーツ・カヴァリエ役のセルゲイ・ポルーニンはもともと超一流バレエ・ダンサー)がすごくて、本格的なバレエ版の方がむしろ見たくなった。

「くるみ割り人形と秘密の王国 」 - 公式ホームページ

「くるみ割り人形と秘密の王国 」 - 映画.com

12月23日(日)のつぶやき その2

2018年12月24日 | Weblog

12月23日(日)のつぶやき その1

2018年12月24日 | Weblog

「おとなの恋は、まわり道」

2018年12月23日 | 映画
87分という最近では最も短い上映時間、セリフがあるのがキアヌ・リーヴスとウィノナ・ライダーの二人だけ、というミニマムな作り。ただし、そのセリフの量が膨大で、訳すの大変だったろうなと思わせる。

これだけのセリフを当たり前に自然にこなすのだから役者というのは大したものだないと変な具合に感心。特に前半は口喧嘩続きなのだけれどとげとげしくはならずコミカルに見せるが、英語ではもっと面白いことを言っているのではないかという余計なことも考えるのが困る。

びっちり二人の芝居で埋め尽くしていても重ったるい熱演にならないのが持ち味。ロードムービーといえばいえるのだけれど、あまりそういう型にこだわった感じも薄い。

エンドタイトルを見ると、役名があるのも二人だけで、二人が出席する結婚披露宴(元カレ、元カノ同士!)も人は来ているのだけれどまったく話しもしていない。二人ともよせばいいのにケンカを続けていること自体がつまりこじらせ具合の表現ということ。普通だったら元カレ、元カノを巻き込んでドタバタにもっていきたくなるところをぐっとこらえて二人だけに絞っているのが逆に特別なパートナー感を出す。

各章に皮肉なタイトルが出るのだけけど、一部Fuckingと横棒で消しているのは初めて見た。
えっちする時でも喋りっぱなしで、はっきり描いている割に露骨でもなしかといって無理に隠している感じでもないさじ加減。ふつうだったらもっとロマンチックなおぜん立てを整えそうなのを相当トンデモな設定にしている。

「おとなの恋は、まわり道」 - 公式ホームページ

「おとなの恋は、まわり道」 - 映画.com

12月22日(土)のつぶやき

2018年12月23日 | Weblog

「貧民街」

2018年12月22日 | 映画
ボー・ウィデルベルイ監督(1930~97 この国立映画アーカイブの特集ではウィデルベリ表記)の長編第二作。原題 Kvarteret Korpen、63年作。

かなり大衆性に軸足を置いた「みじかくも美しく燃え」「ジョー・ヒル」「サッカー小僧」「刑事マルティン・ベック」など日本公開作もかなりあるが、これは初期作品とあってかタイトルからして厳しい内容。

冒頭の裏町で遊ぶ子供たちの背景の汚れ具合が白黒画面で映し出される。35mm上映なのでなおのことマチエールが稠密でリアル。

1936年と字幕で示され、スウェーデンが舞台であってもヒットラーの演説がちらっと聞こえるのが時代を示す。オリンピックが開催された年で、ラジオで中継されるところが後で出てくるが、これがまさにナチスがプロパガンダに使ったベルリン・オリンピックなのだ。
そのサッカーの試合でスウェーデンの相手をするのがなんと日本で、この第一回戦で日本が勝ったのは日本国内ではベルリンの奇跡と呼ばれたとウィキペディアにある。

「スウェーデンのラジオ放送の実況アナウンサーのスヴェン・イェリング(スウェーデン語版)が『Japaner, Japaner, Japaner(日本人、日本人、また日本人)』と連呼したこの試合は、スウェーデンのスポーツ分野においても歴史的出来事のひとつとして記憶されている。」とウィキにはあるが、この上映での英語字幕ではJapaneseと共にJapsがまじえて使われていた。
日本が勝ちそうになると、ぼそっと父親が「ドイツが優勝するさ」と言う。枢軸国が優勢な時期なのを踏まえて、アジア人よりかはヨーロッパ人が勝つ方がいいということか。ちなみに実際に優勝したのはイタリア。

主人公の青年がサッカーをやっているシーンがあるが、この頃のスウェーデンでも貧しい子供でもできるスポーツの代表だったのだろうか。

作家志望の息子とチラシ配りやサンドウィッチマンで糊口をしのいでいる父親と主婦の母親の三人暮らしの一家が中心で、最初のうち小さな妹が出てくるのだがすぐ亡くなってしまう。
腹痛を起こしているのが前日にアイスクリームを食べ過ぎたせいかと思っていると、ぽんと葬儀にとび、その葬儀の葬列を鐘の音をバックに長い移動撮影をまじえてえんえんと描く描き方が独特。

デパートにできた「自動階段」(字幕ではそう訳してあったが、もちろんエスカレーター。エスカレーターにあたる言葉は使っていなかったということか)で遊ぶのが一家の遊園地代わりという貧困の描き方。
手に届くモノが皆無というわけではなく、すぐ食うに困っているわけでもないが、いったん底が抜けると支えるものが皆無というのが、今の日本にむしろ近く見える。

父親が高級ホテルのナプキンだけ集めて食卓をせいぜい演出して逼迫した状況を取り繕ったり、働いて(というか途中で投げ出して)帰ってきた顔に白い布をかぶってソファに横たわっているところなど生きながら半ば死んでいるような描き方。
うがいだ、などと言いながら昼から隠したポケット瓶から酒をあおっているなど明らかなアルコール依存症。結婚する前からそんな調子だったと後に母の口から語られる。

作家として芽が出そうになってストックホルムの出版社(ストリンドベリの胸像がものものしく置かれている)に招かれたのを両親ともども揺り椅子に三人乗ってはしゃぐシーンはこの映画の中で少ない前向きなシーンだが、リアルな中に危なっかしさも暗示しているのがすぐれた描き方。

その出版社でどう応対されたのか直接描かないで後で帰ってきた息子のモノローグとして描くのも、客観的にどうだったのかよりどう感じたのかを優先させた、内面に迫るようなリアリズム。
息子だけでなく、父親にも母親にもそういう内面をえんえんと吐露するモノローグが用意されていて、じっくり見せて、聞かせる。

息子が被害者一方でなく相当悪質な、父親以上に悪質な加害者になるまでに煮詰まったところで言い争っていた母親とふと同じ方向を見てしまい、窓の外の帰ってくるサンドウィッチマン姿の父親の姿のロングショットにつなぐ、そのつなぎが鮮烈。

自分が生まれる前の父母の関係を酔った勢いで父が話してからがらがらっと雪崩をうったように親子関係も婚約も崩壊していくラスト近くの展開の勢いが怖い。
葬儀に対応するようにまた使われる長い移動撮影にかぶさる音楽だけヘンデル風に明るくのは対位法か。

Kvarteret Korpen

12月21日(金)のつぶやき その2

2018年12月22日 | Weblog

12月21日(金)のつぶやき その1

2018年12月22日 | Weblog

「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」

2018年12月21日 | 映画
キーイメージである白い布をすっぽりかぶった古典的な幽霊の姿はちょっと可愛くしたらオバQみたいなマンガチックなものになるだろう。
時間も空間も自由に飛躍する構成など、突飛な連想かもしれないが、なんだか手塚治虫みたいとちらっと思った。

言葉に頼らず、映像と音楽と音で構成していく野心的な作り。

角が丸くなったようなスタンダードサイズというのは珍しいのでは。IMDbで調べてみたが特にtechnical specsが載っていないので、どんなカメラを使ったのかとか正式のスクリーン・サイズはわからず。
なお、「千と千尋の神隠し」も影響を与えたとIMDbにあり。「カオナシ」ですね。もっと遡れば諸星大二郎の「不安の立像」。

製作費はなんと10万ドル。日本でいうと「カメラを回すな」くらいの感じの低予算。
オープニングのウィークエンドで製作費分は稼いでしまった。アメリカ国内で今のところ150万ドルは大した数字ではないが、率はいい。
主演のケイシー・アフレックもルー二ー・マーラもギャラの安い俳優ではなかろうに、どうなっているのだろう。

「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」 - 公式ホームページ

「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」 - 映画.com


12月20日(木)のつぶやき その2

2018年12月21日 | Weblog

12月20日(木)のつぶやき その1

2018年12月21日 | Weblog

「ぼくの好きな先生」

2018年12月20日 | 映画
まだ出来たてで来年3月のK's cinemaでの公開時にはエンドタイトルをもう少し修正するとのこと。
公開のためのクラウドファウンディングに参加したリターンで完成したての作品を東北芸術工科大学学舎にて鑑賞。

前田哲監督はもともとここで取り上げられている画家の瀬島匠氏と同じこの大学で教えていたのだが学科が違うのでほとんど接触はなかったのだが、あるとき学科を超えて催されたコミュニケーションの講座か何かで遭遇してなんだこの人はという興味から個人的にカメラを回しているうちにだんだん撮った映像の分量が増えて、家族や先生、教え子、さらになぜ30年描いているモチーフのルーツも入ってきたので作品としてまとめてことにしたというもの。

その何だこの人はという興味と実態がそのまま作品になった感。
監督の撮影しながらのインタビューもジャーナリストがやるような他人行儀な感じではなくもっとずけずけ踏み込んだ感じ。
アクション・ペインティングのような創作風景。できると模型飛行機を飛ばすのが、文字通りぶっとんだ感じ。

サンサーンスに乗せて海外で巨大な絵を仕上げるほとんどアクションシーンのようなシーンのカッティングの冴えに、監督が自分で編集したのかと思ったら大学の優秀な教え子が担当したとのこと。

瀬島氏はスクリーンの中でも外でも猛烈におしゃべりで、トークイベントでも一つ聞いたら百返ってくる。

生徒たちを良い意味で放し飼いにしているというか、自主規制してしまいがちなのを解放するというか、自分のペースに乗せて勝手にふるまえるようにタガを外してしまうみたい。

絵の師匠ややはり絵を描いていた父、それから弟と顔の系統が似て見える。