小飼弾氏の「理系バカよりなのには訳がある - 書評 - 理系バカと文系バカ」(404 Blog Not Found)という記事を読んで一言。
私が疑問に思うのは、どうして、人間を「理系」、「文系」の二元論で分類しようとするのかということだ。学問の種類には、「理系」と「文系」の区分は存在するだろう。例えば、「文学」や「歴史学」は文系で、「物理学」や「化学」は理系というのは異論のある人はほとんどいないのではないだろうか。
この学問の区分をそのまま人間に単純に当てはめるから間違うのだ。人間はそんなに簡単に理系だとか文系に区分できるほど単純な存在ではない。たとえば文豪森鴎外は医者だったし、小説家の森博嗣は建築を専門とする学者だった。
ほとんどの人間は、理系と文系を両極端とすれば、その2点を結んだ線分のどこかでピークがくるような能力の曲線を持っているのではないだろうか。中にはピークが複数あるかもしれないし、ピークの高さも人によって違う。
弾氏も、この二元論から抜け出せていないと感じる。二元論は、一見分かりやすくものごとを説明しているように見えるが、実は、極論に偏って変なレッテルを貼るという危険があることに、もっと留意すべきだろう。
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○関連ブログ記事
・苗村屋読書日記(Blog)
・理系脳毒之助Diary
・ゆとりの日々
・白鳥のめがね
・俺と100冊の成功本
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この学問の区分をそのまま人間に単純に当てはめるから間違うのだ。人間はそんなに簡単に理系だとか文系に区分できるほど単純な存在ではない。たとえば文豪森鴎外は医者だったし、小説家の森博嗣は建築を専門とする学者だった。
ほとんどの人間は、理系と文系を両極端とすれば、その2点を結んだ線分のどこかでピークがくるような能力の曲線を持っているのではないだろうか。中にはピークが複数あるかもしれないし、ピークの高さも人によって違う。
弾氏も、この二元論から抜け出せていないと感じる。二元論は、一見分かりやすくものごとを説明しているように見えるが、実は、極論に偏って変なレッテルを貼るという危険があることに、もっと留意すべきだろう。
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