曇り、17度、75%
ちょっと祝儀袋の表書きをするのに、硯箱を出しました。わたしの硯箱は、虎屋の羊羹の箱に布を貼っただけの小さいものです。
四角と三角の小さな墨。この二つが、わたしが今までに使ってきた墨です。
これが、お習字を家の近くの先生に着いて習い始めたときの墨です。小学校の3年の頃だと思います。真っ直ぐに墨をすれないのは、心が曲がっていると、先生にも母にも言われました。見事な斜線です。この墨の名前、「はやくろ」といいます。古梅園のものです。きっと子供向けの墨でしょう。確かにすぐに黒くなります。墨色は普通の黒です。
お習字は好きでも嫌いでもありませんでした。座って字を書くだけですから。そんなふうですから、上手にはなれません。級が上がるのにも、興味がないのでした。小学校、中学校、墨を使わずに、墨汁のときもありましたが、中学校を終えて、ああ、これでお習字と縁が切れると、内心喜んだことを思い出せば、お習字は嫌いだったのかもしれません。
高校に入ると、芸術が選択教科でした。音楽、美術、書道。何の迷いもなく美術を選んだわたし。ところが、ここで母からクレームが入りました。お習字の成績がよくないのだから、高校で書道を執るようにと。もう、このときはいやいやでした。
そのとき母が買ってくれたのがこの墨。小さい木箱に入っていて、菊の花が彫られたものでした。墨をする前から、ビャクダンのようないい香り。墨の色は、青みを帯びた黒です。でも、高校で書道を執るような方たちは、皆さん、上手なのです。書道の先生は、県展の審査も勤めるような方でした。この高校での2年間の書道は、書くのはまったく進歩しないまでも、中国の書や書の歴史を知ることが出来ました。そして、相変わらず、書道は好きではありませんでした。
お習字を習うこともないまま、時は経ちました。日常で、年賀状、封筒の表書き、それなりに必要なとき、抵抗なく筆を持っている自分がいます。
わたしが筆を持つところを見た人、びっくりなさいます。どうも、見かけからは想像が付かないようです。それでも、たまには人からほめられたりすると、習字をしていてよかった、と思うようになりました。これも年のせいかもしれません。
香港にいると、いい中国の墨に出会います。そんな時、わたしの硯箱にある小さくなった二つの墨が、頭をよぎります。あの二つをきちんと使い終えたら、新しい墨を買いましょう。