小雨、25度、90%
盆送りに亡くなると沢山の人に送られて旅立ちます。空に上がった提灯を送る人、海に向かって提灯を送る人、山に向かって火を送る人。考えてみれば亡くなった者には最高の門出の日かも知れません。ここ3年そう思い続けて来ました。私の母のことです。
母は誰にも看取られず逝きました。私がいざと行っても間に合わないことは母と私の間では納得していました。施設での1時間に1回の見回りその間に母は逝ったようです。パーキンソン氏病で手足が不自由になりました。小さい人が尚更小さくなりました。施設から病院に搬送された時には既に亡くなっていたと聞きます。病院の先生の診断では低血糖によるショック死だと判断されました。苦しんだ様子はありません。
ちょうど実家の改築を始めた年です。家の家財道具を倉庫に預けました。中にはお仏壇もあります。ただお位牌だけは流石に倉庫に入れる訳にもいかず、施設の母の部屋に置きました。あの年のお盆は父は母のいる施設の部屋に戻ったと思います。そして15日の深夜、母をそっと連れて行ってくれたのだと信じています。母が最後に目にしたものは、病院の冷たい器具ではありません。母を見守る人の目は何処にもなかったはずです。母の目に映った最後のものは自室の天井かしらと思います。でも、そこには父がいてくれたはずです。思い浮かべながら冷たいものや寂しさを感じません。
父と母の結婚生活は15年でした。父は私が14歳の時に癌で逝きました。主人と私が結婚30年を過ぎた頃、母が「よくがんばったわね、結婚生活が私の倍の永さよ。」と言ってくれました。そんな言葉を普段言う人ではありません。妙に心に残ります。母と主人は、非常に仲が悪く、間で随分辛い思いをしました。「もう二度と顔を見たくない。」と母は主人のことを主人は母のことを私に告げます。それもあって、母は血の繋がったものだけで送って欲しいと私に言い残していました。母の親戚は皆高齢で高知にいます。つまり、私と息子と二人で送って欲しいという意味です。
母の弔いを済ませて香港に戻って来た私を待っていたのは、20本近い白い百合の花でした。主人が母のために用意したものです。次々に咲きほころぶ百合が家中に香っていました。昨日から出張に出た主人が、出掛けに言います。「僕の代わりに百合を買って置いてくださいよ。」人の心も花がほころぶように変わって行くものだと思います。
一年一年、この日がくる度に、私の中にある母へのわだかまりがほんの少しですが緩んで来ているのを感じます。今日の香港は静かな雨が降っています。心を鎮めて一日を過ごします。