雨、25度、96%
久留米絣の布を洗いました。反物ではありません。ランチョンマットに仕立てた小さいものです。実家にあった母の着物も帯も全部捨てました。まだ仕立てていない反物と端切れを少し残しました。その端切れは大きさもまちまちですが全部ランチョンマットになりました。枚数も2枚だたり3枚だったり。家族で使うものです。着物を解いて洋装に仕立て直したものを素敵に着こなしている方を見ます。小物に作り直して身につけている方もよく見かけます。私の場合、和装のものを作り直しても身に付けるのは似合いそうにありません。マットやランナーで部屋に合わせたいと思います。
家具は殆ど松本の水目桜で出来たものです。そこに着物を解いたランナーやマットを置くとそぐいます。日本の物同士です。だから敢えてマットなどは北欧の生地で作って来ました。ある方が我が家を民芸調ね、とおっしゃいました。あまりにもそれらしい姿が好きではありません。民芸の物を持っていようが、民芸調ではなく私流です。
この久留米絣は、和服にならずに私のワンピースになって残っていた端切れです。小学校の頃の夏のワンピースでした。白のピケのフラットカラーが付いていました。長い袖も付いていたように思います。袖口も白いピケがあしらわれていました。
長いこと茶箱の中に眠っていた布切れです。母は茶箱の蓋など30年近く開けたことがなかったに違いありません。茶箱の中には布達の匂いが染み付いていました。洗えば落ちると思っていた匂いですが、これが又しっかり染み付いています。久留米絣は木綿ですが、洗濯機では洗いません。色落ちが心配です。手洗いをして軽く絞って風呂場に干しました。
たった二枚のこの布をじっと見ます。藍の地に白の絣模様と赤の絣模様が飛んでいます。木綿の腰が少し抜けて来始めました。クタクタではありません。クタクタの木綿は肌に沿ってくれます。考えると木綿の和服を持っていません。そういえば日本の家の茶箱の中に残した反物の1本が藍地の久留米絣です。早いうちに仕立ててもらおうと思いつきます。腰が抜けてクタクタに身の寄り添ってくれる木綿の着物、掃除するときも台所に立つときも惜しげなく着れる木綿の着物。書き物をしていて、墨が飛んでも平気です。
小さな私ですから端切れがでます。ちょっと違った柄のマットがまた増えるはずです。さあ、仕立ててくれる人を捜さなくては。