晴れ、28度 福岡
香港にいる30年近くの間に3回程引っ越しをしました。それなのに、本や身の周りの物の数は増え続けます。実家の改築が終わった一昨年の11月、家具の一部と本、食器を送り返しました。そしてまた、今日、先月香港から送り出した家具の一部、本を日本の家に入れます。おかげで香港の家は今すっきりと無駄なものがない家になっています。
実家にあったものは家具や大きな焼き物を除いて捨ててしまいました。ちょうど高度成長に合わせて日本中が物で膨らんだ頃を生きて来た私達の親世代は、時代と同じように物で膨らんだ生活をしました。その後片付けを経験した私達世代は、子供の世代に同じ思いをさせまいと自分たちの生活を振り返ります。物がある豊かさから物のない豊かさを考え始めます。
実家の物で残した物は写真も含めて数少ないのに、手に取ってみる暇もないいつもの帰国です。昨晩は、今日に備えて少しゆっくりと父母の写真の前に座りました。送られて来る荷物の入るスペースは十分ですが、今この家にあるもので捨てれる物は捨てようと思います。写真を入れている革のボックスを開けました。写真だって捨ててしまいましたので、ごく僅かしか残っていません。写真の底に父のパイプが1本袋に入って出て来ました。
父は細い巻きたばこではなく、パイプで煙草を吸っていました。いったい何本パイプを持っていたことか、今手元にあるのは1本です。父の友人に形見として1本また1本と差し上げた記憶があります。パイプの善し悪しは分かりません。父は「丸善」でパイプを買うのが楽しみでした。このパイプはイギリスの3Bが作った物です。丸い部分を手のひらでゆっくりと持ち味を確かめている父の姿を思い出します。
このパイプに煙草を詰めるのは、私の役目でした。子供の力加減がちょうどいいといって、パイプタバコ「桃山」の缶とパイプを差し出す父でした。「桃山」は当時は日本製だったと思います。グレーの丸い缶には赤い帆船の絵が描かれていました。巻きたばことは違う煙草の葉の匂いが、パイプに詰めたあとの私の親指に残りました。きっとあの「桃山」の匂いは私の中の父を呼び起こす匂いです。
高い天井を見上げながら、ふとタイムスリップした時間でした。さあ、今日は忙しくなりそうです。