チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ひと月早いお月見

2016年08月21日 | 日々のこと

雨、雷、24度、96%

 今年の中秋節は、旧暦もちょうど9月15日に当たります。あとひと回りで中秋節です。月の周りは人の身体の巡りにも反映するといわれています。よく知らないのがいい事に満月を見るとただただ喜びます。一時間時間が早い日本から今晩は満月よと、写真がポストされて来ると必ずネオンで明るい夜空を見上げます。このところ雨続きの香港、空は雲で一杯でした。

 昨日朝目が覚めると、カーテンを締めていない窓から、太平山の頂きにお月様が雲の間に見え隠れしています。雨が降っていません。走れるわと飛び起きます。私が走りに出かける時間は、この香港ですらイルミネーションを落としていますから、真っ暗な空が拡がっています。木々の黒い影の間から雲を出たり入ったりのお月様と一緒に走ります。雲がない時はお月様の明かりが私の行く先を照らしてくれます。時には月明かりで出来た自分の影を見ながら走ります。パアっと木々が途切れるところがあります。見上げるとお月様の周りに雲ひとつありません。立ち止まって、一枚撮りました。まだ夏の月の色です。昨日一番始めに「おはよう。」と声をかけたのはこのお月様でした。

 お昼のおやつに月餅を切りました。香港は中秋節の3ヶ月も前から月餅が売られます。ところが中秋節の翌日にはどんなに売れ残っても店頭から姿を消します。蓮の白いあんの真ん中に塩卵の黄身が入ったものが一般的です。黄身はまん丸に入っています。つまりお月様。好き好きで、この30年よく食べました。流石の私ももういいわといい始めました。それでもひとつだけ食べたい月餅があります。「五仁月餅」沢山の木の実が入った月餅です。 ココナッツの白い果肉が入った月餅もあります。日本のように小豆のあんの月餅もあります。昔は、小さなパンやさんでも月餅を焼いていました。大きな店の月餅とは違って素朴な月餅でした。

 満月を見た日のおやつは、月餅。一足早目のお月見です。 はいはい、モモさんもお月見のお菓子のお相伴。秋の濃い黄色の月はもう直ぐです。

 

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真田紐

2016年08月20日 | 日々のこと

曇り、27度、94%

 和服を着ている方を見かけると、どうしても目が行ってしまうところがあります。「素敵な着方だな。」と思うと必ず次ぎに目は帯締めを見ています。帯締め、あの帯を締めるための細い紐です。帯締めの色、組み方、模様で随分着物姿が変わるように思います。あんなに細い紐なのに自己主張があると思っています。

 帯締めは絹糸を組んで作られます。平たいものからふっくら組まれたものまで様々です。ある時何かの雑誌のグラビアでスッキリとした帯締めを見ました。平たくてまるで男帯を幅狭くしたもののように見えます。キャプションを読むと、なんと真田紐を帯締めに使ったものでした。真田紐、今テレビで人気の真田親子が考えついたという堅牢な紐です。と言って見渡すと、ありました。箱締めの紐が真田紐です。真田紐も平たいものからふっくらした紐まであります。帯締めと大きく違うところは帯締めは組んで作られますが、この真田紐は織って作られるのだそうです。

 昔の甲冑の結び紐にも使われていた真田帯は丈夫です。昨今の色鮮やかなビニールひもの丈夫さとはまた違います。絹糸で作られた真田紐もあると聞きますが、木綿のしっくりとした真田紐もその紐として持つ品が感じられます。

 お遣い物にとデパートの地下でお菓子を探していました。とある和菓子屋さんの薄物のお干菓子は薄い木箱に入っていました。その木箱は真田紐で結ばれています。「あらこんな木箱と真田紐、誰か私にくれないかしら。」と思ってそのお菓子を手土産にしました。まさか、お持ちしたお家の方、私が木箱と真田紐でそのお菓子に決めたとはご存じないと思います。

 紐好きです。リボンに始まって、チロリアンテープやレースの紐も沢山集めてしまいました。このところ目覚めた真田紐です。真田紐を下駄の鼻緒に使っているものを見ました。真田紐を使うとたとえ色が赤みを帯びたものでも、男物のように無駄なく見えるから不思議です。しばらく、真田紐に凝ってみます。

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朝の夢

2016年08月19日 | 日々のこと

曇り、26度、92%

 この3日間、香港は殆ど雨でした。朝起きて直に走りに行くところを、お隣に寝ているモモさんに「雨よ。」と一声かけてまた眠りに入ります。そして次にほんとに起きるまでほんの30分か40分の間に毎日夢を見ました。今回は続き物ではありませんでした。一話完結の夢なのですがなんとも緊迫感のある夢ばかりでした。

 その一つが携帯をスラれる夢です。場所は日本ですが、私にとっては海外です。つまり他所の国で携帯を取られてしまったのです。あれ、ないと気付きます。場所は映画館の中、居眠してしまった私の足元のバックから携帯がなくなっています。さあどうしようと小さな頭がグルグル動き始めます。

 映画館を飛び出して、とにかく、携帯のキャリアの「香港3」に電話をしたいと思います。ところがその電話がない。その上、こんなことになるとは思ってもいないので、「香港3」の電話も知らない。調べようと思っても携帯がない。近くのバーのようなところに入りました。何故バーなのか分かりません。カウンターの中のお姉さんが女優さんの誰かに似たきれいな人でした。電話を貸してくださいと頼みます。国際電話をコレクトコールでしようと思っています。ここで、またコレクトコールでいくらぐらいかかるだろうかなどと考えています。お姉さん電話は裏ですと言います。で、何処に電話をしようとしてるのか自分でも分からなくなっています。そのお姉さんの携帯が急に目の前に出て来て、それの音声センサーに向かって「香港3の電話番号」と叫んでいる自分の声で目が覚めました。

 きっとガバッと起きたと思います。隣ではモモさんがスースー寝息を立てています。まだ外は雨が降っています。

 ベットの上に座ったまま、ボーッと考えます。ほんとに海外で携帯をなくしたらどうしたらいいのかしら。そんな人沢山いるはずですが、いざの時のために、対処を考えなくてはと思います。携帯と一緒に財布も取られたら、これは最悪です。財布の中にはカードもあります。カードも差し押さえなくてはいけないのに、電話がありません。カード会社の連絡先は全て手帳にも記録しています。それでも電話が使えないとお手上げです。

 先日、マンション中が半日停電になった時に、いかに電気のお世話になっているかと気付きました。お世話どころか、完全依存です。この夢で携帯にどれだけ依存しているか気付きます。バーのお姉さんに電話を貸してくださいといっている私の胸は緊迫感でドキドキしていました。「香港3の電話番号」とSiriに向かって叫んだのがやっとでした。カードだってそうです。カードがなくなったと想像しただけで、何にも出来ないような気持ちになります。ほんの15年前までは、携帯なくても、カードなくても物事が運んでいました。

 一日雨です。携帯の紛失、カードのことを一日考えてしまった朝の夢でした。

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母のお供えに「したたり」

2016年08月18日 | 日々のこと

雨、27度、97%  シグナル3

 母の命日のお供え物に、頂戴していたお菓子「したたり」を祀りました。京都亀廣永のお菓子です。このお菓子は、7月1日から始まる祇園祭の時に、菊水鉾のお茶のお振る舞いの時使われるお菓子です。友人がこのお茶席での写真をポストしています。どんなお菓子なんだろうとここ数年思い続けていました。

 ひと月に及ぶ祇園祭、なんと祇園祭が終わらぬ前に我が家に届いた「したたり」です。国際便にはクール便はありません。まさかこんなお菓子を頂戴するなんて思ってもいませんでした。たまたま外出をしていて帰宅途中で、我が家の郵便屋さんが坂道を降りて来ています。郵便屋さん、目敏く私を見つけて手招きしています。行くと手には小包みが、「留守だったので持ち帰っていました。」と手渡してくれました。 それがこの「したたり」でした。家に帰るや冷蔵庫の一番奥に入れました。

 母は和菓子が好きでした。好きなどというものではありません。私は香港から帰ってその足で母の施設に向かいます。私の顔を見ると第一声は、「持って来た?」でした。「遠いところ大変だったね。」とか「元気そうだね。」とかではありません。何を持って来たか尋ねているか、和菓子です。我が家では餡ものと呼んでいます。

 母に供えるために一切れ切りました。黒砂糖のお菓子と聞いていましたから、とらやのお羊羹「おもかげ」を想像していました。ところが違います。ツルンと透き通る寒天のお菓子です。鼻を寄せると微かに黒砂糖の香りがします。母に供えた後にお下がりを頂きました。黒砂糖のくどさがなくて、喉越しのいいお菓子です。 そういえば母は餡ものを切らすとよく黒砂糖を小さく砕いてお茶と一緒に食べていました。母も喜んでいると思います。

 「したたり」水のしたたりに事だそうです。菊の花に溜まった水のしたたりは不老の薬であったといわれています。菊水鉾の名前にちなんだお菓子です。くせの無い「したたり」いくらでも頂けます。お吾馳走様でした。

 

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久留米絣の布

2016年08月17日 | 日々のこと

雨、25度、96%

 久留米絣の布を洗いました。反物ではありません。ランチョンマットに仕立てた小さいものです。実家にあった母の着物も帯も全部捨てました。まだ仕立てていない反物と端切れを少し残しました。その端切れは大きさもまちまちですが全部ランチョンマットになりました。枚数も2枚だたり3枚だったり。家族で使うものです。着物を解いて洋装に仕立て直したものを素敵に着こなしている方を見ます。小物に作り直して身につけている方もよく見かけます。私の場合、和装のものを作り直しても身に付けるのは似合いそうにありません。マットやランナーで部屋に合わせたいと思います。

 家具は殆ど松本の水目桜で出来たものです。そこに着物を解いたランナーやマットを置くとそぐいます。日本の物同士です。だから敢えてマットなどは北欧の生地で作って来ました。ある方が我が家を民芸調ね、とおっしゃいました。あまりにもそれらしい姿が好きではありません。民芸の物を持っていようが、民芸調ではなく私流です。

 この久留米絣は、和服にならずに私のワンピースになって残っていた端切れです。小学校の頃の夏のワンピースでした。白のピケのフラットカラーが付いていました。長い袖も付いていたように思います。袖口も白いピケがあしらわれていました。

 長いこと茶箱の中に眠っていた布切れです。母は茶箱の蓋など30年近く開けたことがなかったに違いありません。茶箱の中には布達の匂いが染み付いていました。洗えば落ちると思っていた匂いですが、これが又しっかり染み付いています。久留米絣は木綿ですが、洗濯機では洗いません。色落ちが心配です。手洗いをして軽く絞って風呂場に干しました。

 たった二枚のこの布をじっと見ます。藍の地に白の絣模様と赤の絣模様が飛んでいます。木綿の腰が少し抜けて来始めました。クタクタではありません。クタクタの木綿は肌に沿ってくれます。考えると木綿の和服を持っていません。そういえば日本の家の茶箱の中に残した反物の1本が藍地の久留米絣です。早いうちに仕立ててもらおうと思いつきます。腰が抜けてクタクタに身の寄り添ってくれる木綿の着物、掃除するときも台所に立つときも惜しげなく着れる木綿の着物。書き物をしていて、墨が飛んでも平気です。

 小さな私ですから端切れがでます。ちょっと違った柄のマットがまた増えるはずです。さあ、仕立ててくれる人を捜さなくては。

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盆送りは母の命日です。

2016年08月16日 | 日々のこと

小雨、25度、90%

 盆送りに亡くなると沢山の人に送られて旅立ちます。空に上がった提灯を送る人、海に向かって提灯を送る人、山に向かって火を送る人。考えてみれば亡くなった者には最高の門出の日かも知れません。ここ3年そう思い続けて来ました。私の母のことです。

 母は誰にも看取られず逝きました。私がいざと行っても間に合わないことは母と私の間では納得していました。施設での1時間に1回の見回りその間に母は逝ったようです。パーキンソン氏病で手足が不自由になりました。小さい人が尚更小さくなりました。施設から病院に搬送された時には既に亡くなっていたと聞きます。病院の先生の診断では低血糖によるショック死だと判断されました。苦しんだ様子はありません。

 ちょうど実家の改築を始めた年です。家の家財道具を倉庫に預けました。中にはお仏壇もあります。ただお位牌だけは流石に倉庫に入れる訳にもいかず、施設の母の部屋に置きました。あの年のお盆は父は母のいる施設の部屋に戻ったと思います。そして15日の深夜、母をそっと連れて行ってくれたのだと信じています。母が最後に目にしたものは、病院の冷たい器具ではありません。母を見守る人の目は何処にもなかったはずです。母の目に映った最後のものは自室の天井かしらと思います。でも、そこには父がいてくれたはずです。思い浮かべながら冷たいものや寂しさを感じません。

 父と母の結婚生活は15年でした。父は私が14歳の時に癌で逝きました。主人と私が結婚30年を過ぎた頃、母が「よくがんばったわね、結婚生活が私の倍の永さよ。」と言ってくれました。そんな言葉を普段言う人ではありません。妙に心に残ります。母と主人は、非常に仲が悪く、間で随分辛い思いをしました。「もう二度と顔を見たくない。」と母は主人のことを主人は母のことを私に告げます。それもあって、母は血の繋がったものだけで送って欲しいと私に言い残していました。母の親戚は皆高齢で高知にいます。つまり、私と息子と二人で送って欲しいという意味です。

 母の弔いを済ませて香港に戻って来た私を待っていたのは、20本近い白い百合の花でした。主人が母のために用意したものです。次々に咲きほころぶ百合が家中に香っていました。昨日から出張に出た主人が、出掛けに言います。「僕の代わりに百合を買って置いてくださいよ。」人の心も花がほころぶように変わって行くものだと思います。

 一年一年、この日がくる度に、私の中にある母へのわだかまりがほんの少しですが緩んで来ているのを感じます。今日の香港は静かな雨が降っています。心を鎮めて一日を過ごします。

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木登りネコ

2016年08月15日 | 走ること

曇り、25度、94%

 私が毎朝走りに行く道には、野良猫が沢山います。人家は殆どありません。山沿いの森のような道です。寶雲道といいます。この野良猫達は、走りに来る人、散歩にくる人たちからご飯を貰って生きています。人に対する警戒心はなく、猫なで声で甘えて来る猫すらいるほどです。朝一番、「おはよう。」と声をかけるのはこの猫たちから始まります。

 暗いうちに走り始め、日の上りと一緒に家に着きます。ある日、走って帰って来る私は木の上に白いものをみつけました。 あれ、猫です。猫は木を上りますが、猫が丸まっているのは地上から4メーター程もある木の股です。降りて来れるのか心配して帰りました。

 日本にいた頃、犬と猫を飼っていました。猫の方が後に家にやって来ました。この犬のてつと猫のリキは非常に仲が悪く、リキはてつが動いただけで弓なりになって火を噴いたような声を上げます。ある時、庭でてつとリキの声がします。てつは繋いでありますが、リキがうっかり近寄ったようです。怖がったリキは、庭の木を駆け上りました。3メートル足らずのところにしがみついています。下から降りておいでと呼んでも、降りて来ることが出来ません。主人が帰るのを待って、梯子をかけてリキを迎えに上ってもらいました。ところが興奮しているリキは、主人の瞼を爪を出して引っ掻く有様です。猫は木には上るけど降りるのが苦手だとその時知りました。

 走りに行く道の木登り猫さん、行きはヨイヨイで降りて来れないのではないかと心配です。翌朝、木の股を見上げました。猫さんいません。降りたのね、と一安心。ところが帰りに見上げると、同じ木の股にいるではありませんか。行きには影も姿も見ませんが、帰りには必ず木の股から下を走る私を見下ろしています。最近は行きがけは道の真ん中でゴロゴロと一人遊びをしているこの木登り猫を見ることがあります。近くで見るとなかなか立派な猫さんです。この大きな猫が木に上るのも降りるのも見た事がありません。でも、毎日木の股から走って帰る私を見ています。

 今朝は夜中の大雨で猫さんには会えませんでした。木の股にいる猫に向かって、「木の股さん、また明日。」というのが日課です。私はこの木登り猫を「木の股さん」と名付けています。

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IKEAでのお買い物

2016年08月14日 | 日々のこと

小雨、25度、96%

 香港のIKEAは、日本よりずっと前からありました。何分にも地価が高い、家賃が高い所にある店ですから、日本のように超大型店ではありません。狭いところによくぞと思うほど商品が並んでいます。

 バスタブに敷くラバーマットがクタクタになってしまいました。毎日お湯につかります。時には漂白剤でカビが付かないように洗います。ラバーは劣化して行きます。以前と違って中国製のお安いラバーマットが手に入りますが、白の長方形の普通の物です。IKEAに行くと、面白い形の色鮮やかなラバーマットが見つかります。古くなった物は濃いブルーの雲のような形のIKEAの物でした。お目当ての浴室用品のところにあったのは、黄緑のワニの形のラバーマットです。

 平日ですが、夏休み、IKEAにはソファーもベットもあります。クーラーも効いています。香港人、ゆっくりと涼みにIKEAにやって来ているようです。あるご夫人など、ソファーに腰掛けせっせと編み物に勤しんでいました。人があまりに多いので、ワニのラバーマットを持ってレジに急ぎます。通りがかりのカーペット売り場に何やら目が行きました。赤、黒、白の長い棒状の物です。手に取って見ると靴べらです。男性でも立ったまま使えるほど長い靴べらです。靴べらは我が家では必需品、日本から持って来た物の柄が折れて久しくなります。プラスチックはねえと思いますが、お値段が$10、140円ぐらいです。3色の内から黒白を1本取りました。ラバーマットと併せて$70の買い物です。1000円足らずでしょうか。

 家に帰って、靴べらをよく見ました。 持ち手が蛇の顔をしています。蛇の口のところが柔らかいラバーで作られていますから何処にも安定よくぶら下がります。ちょうど手で握る当たりも柔らかいラバーでギザギザです。ぐっと力が入り易くなっています。主人が帰って来て見つけて、喜んでくれました。しばらくすると、主人が小さな置物片手に「これに似てない?」とやって来ました。 20年以上も我が家にある小さなアフリカの置物です。この魚の頭のようなところを引くと、 中からウツボのような頭が出て来ます。石のような素材に魚の絵は彫られています。意外性とよく分けが解らない面白さがあって買ってしまった飾り物です。そういえば、主人が言う通りウツボのお顔が靴べらの蛇の顔にそっくり。買って来たのはどちらも私です。何年経っても、魅かれる物が変わっていないのに、大笑い。

 バスタブの中の黄緑のワニさんは大正解です。お湯を張ると、この黄緑を映してお湯の色は明るく見えます。子供みたいにワニさんに見たさにお風呂に浸かります。1000円ほどで家の中に新しい風が吹きました。

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365日カレンダー

2016年08月13日 | 日々のこと

曇り、26度、92%

 学研から365日カレンダーが出ています。このカレンダー、365日の升目を応募のペットの写真で埋めて作られます。我が家はパグですから、パグカレンダー。インコや、もちろんネコ、犬だって種類別にカレンダーは作られています。日にちも応募で決まります。モモさん誕生日は1月17日ですから、その日を希望します。これ、実は早い者勝ちです。応募が始まるのは、6月。例えば、パグは6月12日の午後3時から応募開始とお知らせが入って来ます。その時間に学研の365日カレンダーパグを開けると、まっさらなカレンダーが出て来て自分の欲しいところをクリックして写真を入れます。これで応募完了。簡単なようですが、まず、学研のサイトに繋がるまでに時間を要します。皆が一斉に学研のサイトを開けようとするのでビジーになっています。根気よく、どうか1月17日はまだ埋まっていませんようにと祈りながらプチプチ押し続けます。香港ですから時差がありますから、この日の緊張はかなりのものです。

 4年前に友人がわざわざ日本から持って来てくれたパグカレンダー、それまで学研の365日カレンダーの存在すら知りませんでした。毎日毎日パグの顔だらけ、その一コマにモモさんの顔も入れてもらおうと、3年前から応募しました。曜日をクリックして写真を入れ、簡単なモモさん情報を入れます。何処に住んでいて何歳か。住んでいる場所は選択肢があります。まずは日本の都道府県名が順に出て来て世界の国の名前が出て来ます。何度見直してもその中に香港がありません。仕方ないので、中国をクリックしました。そして連絡事項の欄に「香港を国名に追加してください。」と書入れました。

 一昨年も昨年も、今年の6月も同じように連絡事項の欄にお願いを書いておきました。昨日、365日カレンダーからメールを頂きました。「長いことお待たせいたしました。香港を国名の追加しましたので、基本情報を変更してください。」3年目にしてやっと香港と載せてもらえます。 今年のカレンダーには、「中国 モモ」と載っています。来年はご覧のように「香港 下川モモ」で載る予定です。

 見出し写真は、カレンダーのおまけでついて来る卓上用です。ほんとのカレンダーは壁掛け式の大きいものです。壁掛け式の方は孫の寝室の壁にかかっています。孫は休む前には、このカレンダーのパグ達に「おやすみなさい。」をして休みます。

 香港にこだわるわけではありません。実際は香港は中国です。ただ、モモさん香港生まれ香港育ちです。出来たらという思いでした。中国を香港に替えた後直ぐに、365日カレンダーにお礼のメールを入れました。沢山の質問やお願いの中の小さなことにこうして対応してもらえるととても嬉しく思います。

 パグカレンダー1は365日全て埋まったそうです。ただ今2を募集中。来年のパグカレンダー1の1月17日は「香港 下川モモ 13歳」と載るはずです。

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オーブンを買い替えました。

2016年08月12日 | 日々のこと

雨、26度、91%

 18年使い続けたオーヴンの調子がおかしくなったのは、まさに昨年のクリスマス、しかもローストチキンを焼いているその最中でした。対流式でターンテーブルも廻ります。そのターンテーブルが廻っていません。対流式ですが、右奥の火力が強くターンテーブルが動かないと一部だけ焦げてしまいます。途中で一度180度向きを変えました。以来パンを焼くときもケーキを焼くときも同様に途中で一度向きを変えます。ターンテーブルが廻らないだけで買い替えなどは考えませんでした。

 この電子レンジも付いたナショナルのオーブン、18年前の香港で一番庫内の大きいものを求めました。私にとって欲しいのはオーブン機能です。自分の焼く物を想定して一番大きなものを買いました。日本製でしたのでびっくりするほど高かったことを覚えています。よく働いてくれました。フランスパンを焼く時は、蒸気を注入します。焼いた小石に熱湯をかけて蒸気を立たせたり、霧吹きで水をかけたり、過酷な仕事をこなしてくれました。昨年の12月25日まで一度も故障なしでした。このオーブンあってこその私の台所です。ところが6月に入った頃から、スタートのスイッチが入り辛くなりました。スタートを押すのですが動きません。何度か押しているうちにポッとスタートします。温め直したりするときはいいのですが、パンやケーキなどは、焼き始めるタイミングがありますから、それを逃すと妙な焼き具合になってしまいます。しかも、ターンテーブルが廻らないので、途中一度ドアを開けて向きを変え、またスタートボタンを押します。幾度押しても動かないことがありました。半焼けのパン、半焼けのケーキ。トホトホ困りました。

 ある友人が「真奈さん、暑くなったのでパンやケーキを焼かれないのですか?」と聞かれます。暑いのなんか平気です。困るのは途中で動かなくなるオーブンです。買い替えよう、と下見に出かけました。スチームオーブンなども新式の物が出ています。電子レンジとオーブン機能が付いた物を探します。大きなサイズはありません。しかもびっくりしたことにお値段が安くなっています。18年前の3分の1、いえ4分の1ほどの値段で買えます。それもそのはず、中国製でした。パナソニックの中国工場から出荷された物です。その晩、主人に買い替えてもいいかと尋ねました。 

 昨日届いた新しいオーブン。 古いオーブンは、私の手で大きなゴミのところまで運びました。沢山のことを教えてくれたオーブンです。新しいオーブンは私にとって6代目のオーブンです。昨日別れたオーブンは4台目、5代目のオーブンは日本の家にあります。

 さあ、使ってみましょう。湯だねの食パンがこの6代目の仕事始めです。 火の当たり具合はオーブンによって癖があります。それをつかむまでは失敗を繰り返します。初仕事にしては上出来です。新しいオーブンさん、よろしくね。

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