京都にいた頃の愉しみの一つは、古本まつりと古物市(北野天神、東寺)でした。
古本まつりは、年3回、お寺の境内などで6日間に渡って開かれる、盛大な古本市で、
各地から古本屋さんがぞくぞく集まってきます。
特に夏の「糺の森」の古本まつりは家の近くなので、暑い最中に、何度も通いました。
( ↑ 中央テントの事務局で貰った団扇です)
横のテントには宅急便の臨時の受付もあり、段ボール箱が積み上げられていました。
古本屋さんでは、見たい本を安価で手に入れることが出来る、という魅力もさることながら、
思わぬ本との出合いが何より楽しい!
こんな事も、あんな人のことも、こんな国のことも、知らなかったなー!と、感動しつつ読む。
本の中には無限の世界が広がっています。
こちらに来てからは、もっぱら図書館にお世話になっています。
コロナ禍でも、新聞やネットで、読みたい本を見つけた時には、ネットで予約しておいて取りに行くことが出来るのは本当に助かります。
そして、年に1回の、図書館の処分本の市(無料、冊数制限なし)です。
書庫の整理で、10年~30年前の本も、並びます。
今回地元の図書館では、百科事典や〇〇全集、○○図鑑のような箱入りの大きくて立派な本が揃いで出ていたことに驚きました。
とても綺麗で、まるで、新本のようです。
新版が出たので不要になった、ということになったのでしょうか?
それとも、何か理由があって書架に並ばなかった本なのでしょうか?
引き取り手があるといいなー
今では、子どもでもネットで調べるので、何処の家庭でも重い本は不要かもしれません。
断捨離ブームで、本も邪魔者にされる時代です。
しみじみ時代の流れを感じます。
写真集や百科事典を開いて、床に座り込んで、いつまでも読みふける、なんて風景は過去のものになったのですね。
図書館では、誰も引き取り手が無かった本は処分されるそうです。
なんとか、再利用の方法が無いものでしょうか?
本好きの私としては、とても悲しいです。
古い本を読んでいると、思想や哲学の深まりは、技術の進歩とは別物だな、としみじみ思います。
例えば「男女平等」という事でも、世界各地で、日本で、当たり前のこととして誰もが受け入れるまでには、
まだまだ長い年月が必要なようです。
というわけで、今年もどっさり古本をいただいてきました。
(前回は詩集や民族学の本などを多く貰ってきましたが、
今年は出ていませんでした。)
未だ読んでいない本を、ソファーの脇の床に積み上げて、にんまりしています。
今では出版されてない本との思わぬ出合いもありますね。
それに、古本の独特のにおいも好きで、わくわくして時間の経つのも忘れます。
図書館の処分本には、立派な全集もあるんですね。
図書館で頂いた本を前にして、うきうきしているマリヤンカさんの姿が見えるようです。
こんにちは、コメントありがとうございます。
読みたい本が手元にあると幸せです。
それは子どもの時からで、夜、枕元に絵本などを積み上げると、安心して寝ることが出来ました。
日本では、本は無くならないとは思いますが、
どうなるのでしょうね?