こんばんわ。
JR東日本管内では、懸命な復旧作業により4月早々から徐々にではありますが、運転再開される線区が増えるようです。
災害により家が破壊され、或いは家族を失い、原発の事故などの逆境の中、懸命に生き、働いていらっしゃる方々に、心から経緯を表します。
個人では何もお手伝いが出来ないことが歯がゆいですが、今自分に出来ること、募金や節電、買いだめに走らないなど、冷静に、堅実に生活して行きたいと思います。
こちらのブログでは、まだ以前のようなアーカイブネタを復活する気力がまだ起きません。異常なほどに疲れていて、なんか・・・ダメなんです。年度末でアタマを使う仕事も集中していることもありますが、地震や原発で先の見えない危険を相手にビクビクしているせいもあるかもしれません。これは他人事ではありませんが、自分ではどうにもできないので、ただ見守るしかありません。
何か喜んでいただけるものはないかと写真(データ)眺めていましたら、過去とのつながりが表現できそうな写真を見つけることができましたので、非常にジモティなネタで恐縮ですが、ちょっとご覧いただこうと思います。
平成21年4月4日 209系500番代 京浜東北線
もう既に懐かしい域の車両となってしまった、京浜東北線の209系500番代です。
車両はさておいて、写真を撮った場所が蕨駅の東京方から撮った写真です。
バックには高層の大型マンションが建ち、車両を中心に撮らないと、非常に圧迫感のある風景ですね。最近は保線車両が居座り続けていますが、まあ殆ど変わらない風景と言って良いでしょう。
昭和60年6月2日 EF5889牽引 9147レ
25年遡って、昭和60年に撮影したEF5889牽引の臨時列車です。ちょっとブレちゃったんですけど。
手前の保線車両があるところの柵も低く、比較的に障害物が少ない感じですね。
バックにはまだ高層マンションが建つ前で、圧迫感のないスッキリした風景となっています。
右側には貨物線及び留置線が残っていますが、確か昭和59年2月に廃止になっていたと思います。
昭和55年4月27日 EF58114牽引 「はつかり51号」
EF58の牽引する臨時特急「はつかり51号」です。
ちょっとアングルが違うので比較しにくいかもしれませんが、殆どホームの北端から300mmのレンズで撮ったものと思います。
バックには巨大な建物がそびえ立っていますが、これが住友セメントの工場です。この工場の広大な敷地が、その後2棟の巨大マンションが建った土地となります。かなり広かったんでしょうね。確か、線路とは反対側の県道からセメントトラックが出入りしていた記憶があります。
この最後の写真を見る限り、沖電気(OKI)の建物も見えないようですね。
当時は街並み・風景には特に関心がありませんでしたし、フィルム代や現像代もバカになりませんでしたので、全く記録がありません。
道路境界の状況はあまり変わっていなかったと思いますが、セメント線に出入りする貨車の写真とか撮っておけば、私としても貴重な記録となった筈なんですが・・・非常に残念です。
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