こんばんわ。
今日は久し振りのキハ183系ネタです。
北海道へはどちらかと言うとC623の撮影以外は冬に訪れた印象が強く、この季節に撮ったモノはあまり多くありません。
ただ、いつアップしようか迷っていたネタの中に秋物がありましたので、冬の本格アップに備えてこの機会にアップしておこうと思います。
今や北海道の特急形気動車もギンギラギンの進出が目覚ましく、キハ183系初期車のスラントノーズ型もかなり両数を減らしつつあるようです。
私の世代ですとこのキハ183系が一番付き合いが長くなっているのですが、印象度からすると憧れていたこともあってキハ82系の方が圧倒的に強いです。しかし、北海道の過酷な仕業に耐えてきたキハ82系も故障が多くなり、次世代の気動車特急の登場が待たれました。ここにキハ183系が誕生することになります。昭和54年の秋のことでした。
昭和54年秋 富士重工業敷地内にて キハ183-903
未だ当時の国鉄に引き渡し前のキハ183系900番代の落成直後の姿です。
実は、この写真を撮るに至るドラマがありました。
敢えて愛称などは出しませんが、友人の友人のお父さんがこの富士重工に勤務していて、新しく完成した気動車を立会いで見せてくれるとの連絡が入ったのです。興味深々でもあり宇都宮までの旅程に慣れていた私は、もちろん喜んでいきました。
撮影にあたっては、そのお父さんから「まだ引渡しはおろかプレス発表もしていないので、絶対にマスコミ関係への情報は流さないと約束しなさい。」と言われました。当時高1であった私からすれば、雑誌等に記事を投稿するなんて大それたことは考えたことも無い時代でしたので、特には問題なかったんですけどね。
とにかく、初めて見たキハ183系のあまりにも奇抜なデザインに開いた口が塞がらないと言うか、呆然と眺めるように写真を撮りました。当時の気動車特急には全く無かったデザインでしたからね。
といった貴重な体験から、本線を走行する前のキハ183系の産声を聞くことが出来たわけです。ちなみに、富士重工ではキハ183-903とキハ183-904を先頭とする編成が落成しましたが、同時進行でキハ183-901とキハ183-902を先頭とする編成が新潟鉄工から完成しています。
昭和58年9月7日 函館本線 赤井川駅にて キハ183「おおぞら」
こちらは量産車で組成されたキハ183系0番代の「おおぞら」です。
暫くは900番代1編成で隔日運転されましたが、この頃になると何編成かの量産車が誕生しており、「おおぞら」3往復と「北海」1往復に使われるようになっていました。
その後、量産車は次第に勢力を伸ばし、道内全部のキハ82系を置換え、さらに500番代の新造へと発展していくことになります。
900番代については、私が高校時代に2度北海道に撮影に行った際に撮影したものがあります。これらの写真は全て冬に撮影したものであるため、いずれその季節になったらアップしようと思っています。暫くはその時を楽しみにお待ちいただきたいと思います。
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今日は久し振りのキハ183系ネタです。
北海道へはどちらかと言うとC623の撮影以外は冬に訪れた印象が強く、この季節に撮ったモノはあまり多くありません。
ただ、いつアップしようか迷っていたネタの中に秋物がありましたので、冬の本格アップに備えてこの機会にアップしておこうと思います。
今や北海道の特急形気動車もギンギラギンの進出が目覚ましく、キハ183系初期車のスラントノーズ型もかなり両数を減らしつつあるようです。
私の世代ですとこのキハ183系が一番付き合いが長くなっているのですが、印象度からすると憧れていたこともあってキハ82系の方が圧倒的に強いです。しかし、北海道の過酷な仕業に耐えてきたキハ82系も故障が多くなり、次世代の気動車特急の登場が待たれました。ここにキハ183系が誕生することになります。昭和54年の秋のことでした。
昭和54年秋 富士重工業敷地内にて キハ183-903
未だ当時の国鉄に引き渡し前のキハ183系900番代の落成直後の姿です。
実は、この写真を撮るに至るドラマがありました。
敢えて愛称などは出しませんが、友人の友人のお父さんがこの富士重工に勤務していて、新しく完成した気動車を立会いで見せてくれるとの連絡が入ったのです。興味深々でもあり宇都宮までの旅程に慣れていた私は、もちろん喜んでいきました。
撮影にあたっては、そのお父さんから「まだ引渡しはおろかプレス発表もしていないので、絶対にマスコミ関係への情報は流さないと約束しなさい。」と言われました。当時高1であった私からすれば、雑誌等に記事を投稿するなんて大それたことは考えたことも無い時代でしたので、特には問題なかったんですけどね。
とにかく、初めて見たキハ183系のあまりにも奇抜なデザインに開いた口が塞がらないと言うか、呆然と眺めるように写真を撮りました。当時の気動車特急には全く無かったデザインでしたからね。
といった貴重な体験から、本線を走行する前のキハ183系の産声を聞くことが出来たわけです。ちなみに、富士重工ではキハ183-903とキハ183-904を先頭とする編成が落成しましたが、同時進行でキハ183-901とキハ183-902を先頭とする編成が新潟鉄工から完成しています。
昭和58年9月7日 函館本線 赤井川駅にて キハ183「おおぞら」
こちらは量産車で組成されたキハ183系0番代の「おおぞら」です。
暫くは900番代1編成で隔日運転されましたが、この頃になると何編成かの量産車が誕生しており、「おおぞら」3往復と「北海」1往復に使われるようになっていました。
その後、量産車は次第に勢力を伸ばし、道内全部のキハ82系を置換え、さらに500番代の新造へと発展していくことになります。
900番代については、私が高校時代に2度北海道に撮影に行った際に撮影したものがあります。これらの写真は全て冬に撮影したものであるため、いずれその季節になったらアップしようと思っています。暫くはその時を楽しみにお待ちいただきたいと思います。
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初期車の廃車はかなり出ている筈ですよ。試作車なんかとっくに全廃ですから。今は「まりも」が無くなってしまったんで、「サロベツ」と「オホーツク」ぐらいしか運用がないのでは?(実はあまり良く知らない。)
当時は奇抜だと思いましたが、特急標準色が似合っていると言うことは、それなりに秀逸なデザインだったと言うことでしょうね。
この頃はまだフリークエンシーの発想が無かった頃ですので、7+3の従来編成より10連とした方が先頭車の無い分コストが安かったんでしょうね。そのあと間もなくキハ184改造の先頭車が誕生して、元の木阿弥になってしまいましたが。
今こちらは激しい雷雨で、買い物に出ように出られない状況になってしまいました。
気動車というと、分割併合の意味合いで貫通型というのが当たり前でしたが、非貫通型の姿には驚きました。
隙間風とか入らないので、乗務員にとってはよかったのでしょう。
こういう車両と言うのは、我々の年代からするといつまでも新しい気がしてしまうのですが、気が付いてみればJR北海道の中でも気動車としては最古参になってしまいましたね。悲しい現実ですが、受け止めるしかないでしょう。
今日は、やや寝坊しながらも何とか出掛けてきました。新小岩も通ったんですが、それから大失態を招き、無駄な労力と時間を使ってしまいました。それはまあまあ追々。
先程、私の方からも夜ポチしておきました。2人が出掛けているせいもあるのですが、今日は最低のポイントで泣きが入りそうです。
18切符最終日はいかがでしたか?今頃事務局長と宴会部長が川崎あたりで大盛り上がりしてますよ。
今日は夜ポチになりますた。