またまた電車なんですけど、今日は115系の非冷房車・大目玉たちの写真をご覧下さい。
昭和55年頃 東北本線 川口駅にて
逆ナンチャッテ編成・・・といっても良く解からない表現ですね。
目玉が大きいから非冷房車と思いつつ、良く見てみれば先頭の1両だけが非冷房で、その後はちゃんとした冷房車。クハ+モハ+モハが1セットになっていると冷房が使えます。
バックに高い建物が殆どなく、今の川口駅の風景とは随分違いますね。
昭和55年頃 東北本線 西川口~川口間にて
付属編成4両が非冷房車の大目玉。後は窓がユニットサッシに見えますので、おそらく冷房車でしょう。この頃は冷房化率はそんなに高くなかったし、7+4+4編成のどこに冷房車が入るか、賭けでしたね。
昭和56年11月頃 東北本線 西川口~川口間にて
写真は7両編成側のようですが、4両分しか写っていないので、編成の状態はわかりません。
この頃から、非冷房車の大目玉クハの運転席下辺りに銀箱が見られるようになりました。あれは一体なんだったんでしょうか。冷房改造を受けたりするとなくなっていたようですが・・・。
昭和60年11月4日 高崎線 岡部~深谷間にて
片や冷房編成、すれ違うは非冷房編成。格差社会ですなぁ。冷房化率は半分超えていたのでしょうかね。
昭和60年11月4日 高崎線 岡部~深谷間にて
上の写真と同じ日、同じ場所です。こちらは冷房改造編成ですが、ビームは改造されていません。初期の頃は冷房化だけ急いでいたようですが、段々冷房化工事に合わせてシールドビーム化されるものが多くなってきました。それらの車両は、シールドビームの冷房編成であっても、窓がユニットサッシ化されていないので、容易に区別が付きました。
窓下の銀箱も付いていません。
昭和62年3月19日 両毛線 岩舟~大平下間にて
こちらは、付属編成4両で両毛線の運用に入る115系。非冷房車で、運転台窓下に銀箱が付いているのがお判りいただけると思います。あれは何だったんでしょうね。←さっき言ったでしょ!
私が地元で写真を撮っていた中学~高校生の頃は、普通列車といえば115系ばかりだったので、変化も無く、面白くもなく、という感じで全く興味を持っていませんでした。
何かのついでに写っちゃっていた感じですかね。
115系も中央線の一部を除いて姿を消し、今では貴重な車両になってきました。
こうしてみると、オリジナルの湘南色も良く似合っていますし、大目玉が非常に顔のバランスを整えていたように思います。
全国的にも殆ど見られなくなった大目玉、昔はこれしか走ってなかったのですから、沢山あるうちにもうチョット格好良く写しておいてあげれば良かった・・・なんて思うのでした。
昭和55年頃 東北本線 川口駅にて
逆ナンチャッテ編成・・・といっても良く解からない表現ですね。
目玉が大きいから非冷房車と思いつつ、良く見てみれば先頭の1両だけが非冷房で、その後はちゃんとした冷房車。クハ+モハ+モハが1セットになっていると冷房が使えます。
バックに高い建物が殆どなく、今の川口駅の風景とは随分違いますね。
昭和55年頃 東北本線 西川口~川口間にて
付属編成4両が非冷房車の大目玉。後は窓がユニットサッシに見えますので、おそらく冷房車でしょう。この頃は冷房化率はそんなに高くなかったし、7+4+4編成のどこに冷房車が入るか、賭けでしたね。
昭和56年11月頃 東北本線 西川口~川口間にて
写真は7両編成側のようですが、4両分しか写っていないので、編成の状態はわかりません。
この頃から、非冷房車の大目玉クハの運転席下辺りに銀箱が見られるようになりました。あれは一体なんだったんでしょうか。冷房改造を受けたりするとなくなっていたようですが・・・。
昭和60年11月4日 高崎線 岡部~深谷間にて
片や冷房編成、すれ違うは非冷房編成。格差社会ですなぁ。冷房化率は半分超えていたのでしょうかね。
昭和60年11月4日 高崎線 岡部~深谷間にて
上の写真と同じ日、同じ場所です。こちらは冷房改造編成ですが、ビームは改造されていません。初期の頃は冷房化だけ急いでいたようですが、段々冷房化工事に合わせてシールドビーム化されるものが多くなってきました。それらの車両は、シールドビームの冷房編成であっても、窓がユニットサッシ化されていないので、容易に区別が付きました。
窓下の銀箱も付いていません。
昭和62年3月19日 両毛線 岩舟~大平下間にて
こちらは、付属編成4両で両毛線の運用に入る115系。非冷房車で、運転台窓下に銀箱が付いているのがお判りいただけると思います。あれは何だったんでしょうね。←さっき言ったでしょ!
私が地元で写真を撮っていた中学~高校生の頃は、普通列車といえば115系ばかりだったので、変化も無く、面白くもなく、という感じで全く興味を持っていませんでした。
何かのついでに写っちゃっていた感じですかね。
115系も中央線の一部を除いて姿を消し、今では貴重な車両になってきました。
こうしてみると、オリジナルの湘南色も良く似合っていますし、大目玉が非常に顔のバランスを整えていたように思います。
全国的にも殆ど見られなくなった大目玉、昔はこれしか走ってなかったのですから、沢山あるうちにもうチョット格好良く写しておいてあげれば良かった・・・なんて思うのでした。
冷改車では阪和線では113系がモチロン大目玉で新快速色でグロベン、東海道線も113系グロベン、押し込み大目玉のヤツがいましたな。しかしながら近郊型の大目玉、やっぱり非冷房車ってイメージですね。しかし一時期高シマに115系1000番台で準備工事もありましてまんまと騙されました。時既に遅し、冷房車に移動したくても座れへん!冷房車は立ち客あり。扇風機を恨めしそうに見て、「クッソー・・・。やられたわ!」運悪くモハでしたんで抵抗器から放熱される熱でめっちゃ暑く感じました。
この前、なにやら水虫防止とか血迷うた事書きまして汚い話すんませんでした。でも私一回もなった事ないんですよー!!(ホントの話です)。
ウィンドウォッシャー液ね、私もそのネタ聞いたことがあるような気がします。300番代の冷房車には付いてないんですよね。新製時から装備されていたんですかね?
1000番代の冷房準備車は、上野口では殆ど見られず、両毛線、上越線、吾妻線、信越線などのローカル運用に使われていたようです。今後アップしますが、上越のローカルでは、上野直通以外、100%非冷房ぐらいナンチャッテ冷房1000番代がゴロゴロしていました。
水虫云々の話は気にしなくて結構です。私は下ネタ対応の身体ですので。触れないほうが良いと思ったときは、Curryにスルーしますんでご心配なく(笑)。
窓下の銀箱、気がつかなかったです。
実際デカ目のライトは暗かったように感じましたから、次々改造されるのは仕方なかったのでしょう。銀箱が乗ってるのは記憶にありませんでした。珍しい物を見せていただきました。幕張区の車両には無かった気がしますな。
東海ねぇ~、最期の頃は興味なくて撮りませんでした。やはり153系にヘッドマークが良かったですね。
総武線の快速は、ATC搭載の関係からか、殆どシールドビームでしたね。しかも外見が似すぎている冷房準備車が多数ありました。
津田沼から房総方面のローカルは殆どデカ目でした。スカ色のデカ目見たさに結構行きましたけど。
そのうちまとまったらアップしますね~。
>シールドビームの先駆けとなったのは711系ですかね?
もしかしたら、時期的にはそうかもしれません。ですから、同じ顔族の中でも711系を見たときに「キモイ」印象だったのを覚えています。まだ小学生のときでした。北海道だから、より照度の強いライトが要求されて出来た或いは採用されたのかもしれませんね。
あの銀箱は、東海道や総武・中央では見た記憶がありません。首都圏で写真を撮りまくっていた時期ですが、おそらく、新前橋区か小山区独自のものだったのではないでしょうか?
デカ目が来ると、行き先表示が古いタイプがあり、駅名が出ているのを期待していたんですが出てなかったでしたね。
ポチなり。
115系のデカ目は比較的遅くまでいたのですが、両毛線などの旧国撤退によって地方専用みたいになったり、冷房改造に併せてシールド化されたりと、首都圏では見られなくなってしまいましたね。
銀箱も両毛線の写真は比較的晩年の頃なので、211系の登場までそのまま存置され、冷房化される前に廃車されてしまった可能性が高いようです。
115の写真を拝見してみると、大宮に住んでたころの子供時代の私を思い起こさせます。
大宮止まり、若しくは東大宮の車庫から回送されてきた
115が大宮駅構内の南側にあった留置線に停まってたが為に下り列車が見れなくて口惜しかったこと、時折聞こえるコンプレッサーの音を聞きつつ、いつしか口ずさむようになったこと、ポイントを曲がるさいに生ずる貫通幌の変形する様子にしばし見とれてたことなど々々、とこの車両もまた幼い頃の思い出がいっぱいです。
そうですね、昔の時刻表を見ると大宮止まりがいくつかありました。165系でしょうか、グリーン車も50・3改正以前は営業していたようです。
特急列車が在来線から無くなった頃、大宮止まりの列車が爆発的に増えます。これがフリークエンシーというヤツですね。本数が増えたのは良いのですが、大宮止まりは4両か7両で激混みでした。
それが延長されて、最終的には湘南新宿ラインという形に発展して行ったわけですね。
池袋止まりの頃には115系も運用されていました。写真撮っておけば良かったです。