スゴイおはようございます。
居眠りをしてしまって変な時間に起きてしまいました。
今、女房の付き合いで年賀状を印刷しています。今日は徹夜のようです。だから私も・・・。
祭が終ってネタも尽きましたので、今日は久し振りに気動車編です。
平成2年2月18日 奥羽本線 赤岩駅にて
廃止となって久しい、奥羽本線の4連チャンスイッチバックの入り口であった赤岩駅です。
廃止前にスイッチバックの様子を撮影しようと行ったもので、EF71牽引の客車や貨物列車、そして特急「つばさ」がメインでしたが、当時はまだ12系の臨時急行なども見ることができました。
そんななか、意外にもこのような気動車列車が通り掛かり、撮影に行った一同、唖然としたものでした。おそらく、東北新幹線が開業してからは、この区間の定期の気動車列車は既に無かったものと思われます。
ですので、このような気動車列車が豪快に坂を下って来る様子を撮れたのはラッキーでしたね。
当時は新潟色などクソ喰らえな存在でしたが、今となってはキハ58系自体が絶滅に近い状態となっています。
板谷峠にはスイッチバック廃止間際になってからだけの訪問になってしまいましたが、同区間を行くキハ181系「つばさ」や急行「おが」「ざおう」と行った面々も見てみたかったですね。
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居眠りをしてしまって変な時間に起きてしまいました。
今、女房の付き合いで年賀状を印刷しています。今日は徹夜のようです。だから私も・・・。
祭が終ってネタも尽きましたので、今日は久し振りに気動車編です。
平成2年2月18日 奥羽本線 赤岩駅にて
廃止となって久しい、奥羽本線の4連チャンスイッチバックの入り口であった赤岩駅です。
廃止前にスイッチバックの様子を撮影しようと行ったもので、EF71牽引の客車や貨物列車、そして特急「つばさ」がメインでしたが、当時はまだ12系の臨時急行なども見ることができました。
そんななか、意外にもこのような気動車列車が通り掛かり、撮影に行った一同、唖然としたものでした。おそらく、東北新幹線が開業してからは、この区間の定期の気動車列車は既に無かったものと思われます。
ですので、このような気動車列車が豪快に坂を下って来る様子を撮れたのはラッキーでしたね。
当時は新潟色などクソ喰らえな存在でしたが、今となってはキハ58系自体が絶滅に近い状態となっています。
板谷峠にはスイッチバック廃止間際になってからだけの訪問になってしまいましたが、同区間を行くキハ181系「つばさ」や急行「おが」「ざおう」と行った面々も見てみたかったですね。
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スイッチバック方式の駅というと真っ先に思い浮かぶのは、首都圏とその周りですと小田急電車の藤沢に西武電車の飯能、それから東武電車の柏と富士急電車の富士吉田が挙げられますけど、これらの駅とは異なりこの赤岩駅は仲々風情のあった駅だったのではないかと思います。
それでは、この辺にて私は失礼します。
,スイッチバックが必要な線区も激減しましたね。路線
変更などでスイッチバック自体を減らす改良もされてい
ますから,これからもずっと残るスイッチバックは木次
線や箱根登山鉄道のような本当の山岳路線だけになりそ
うですね。
首都圏の私鉄などで見られるスイッチバックは、路線延伸に際して街中の用地買収や次の駅に結ぶための線形の確保から生じたものが殆どで、山間に停車場や交換施設を作る例とはかなり毛色が違ってきますね。
大体こうしたスイッチバックの駅は、「こんなところに駅が必要か?」みたいな場所に作られていることが多く、だからこそ風情があるんでしょうね。
今は電車が多くなっていますから、勾配途中の停車位置からでも発車することは問題ないでしょうね。
ただ、私が授業を受けた中で、「停車場内の勾配は3‰以内」という規則(か基準)があったと記憶しています。
発車は問題ないですが、停車する時に下り勾配だと過走の危険があること、停車中にブレーキが故障した場合に転動して場外へ出て行ってしまう危険があることなど、問題があったので廃止できなかったのだと思います。
今はおそらくその辺の基準を緩和したり、構内のポイントを撤去(割り出し、脱線の防止)したりして対応できたのではないでしょうかね。
専門的なコメですみません。
奥羽本線のこの区間も、急行列車を利用していたので、スイッチバックを味わっていません。
それも夜行でしたから、外の風景はわからずじまいで。
私にとっての新潟色といえば、赤と黄色で~す(笑)
ここは列車の本数が少ないので、とにかく来るものが来たら撮るつもりで張っていました。
都合の良いことに、ここは構内に接近音が大きな音で流れるんで、勾配があってトンネルがあっても分かりやすかったんですよ。ビデオ屋にはウザがられるかもしれませんが、踏み切りと一緒で、待っている側からすれば助かりますね。