こんばんわ。
このところ電車ネタばかり続いてしまいましたので、今日は電機シリーズでEF60をご紹介いたします。
なんとですが、2年以上も前、『EF60総集編 その1 東海道・山陽本線』というを記事を載せて以来、すっかり忘れていました。そんなもんで、今回は完結編として東日本での晩年の活躍の姿を集めてみました。
昭和56年10月頃 西川口~蕨間にて EF6015
動態保存の19号機以外では、現役最後となった15号機です。
過去ログはこちら → 『EF60 15号機 さよなら記念機』
昭和56年10月頃 蕨~西川口間にて EF6032
EF15の後ガマとしてやってきたEF60は、田端~蕨~川口や田端~大宮操の駅別区間列車に頻繁に使用されていました。
昭和57年3月頃 西川口~蕨間にて EF6028 貨物 西川口~蕨
こちらにも大宮工場の配給車代用の貨車が連結されているので、多分大宮操行きと思われます。
昭和57年5月頃 蕨~西川口間にて EF6019 ビーム改造前
今も動態保存として生き残っている19号機で、改造前のオリジナルスタイルの時代になります。今は1つ目に戻しましたので、この時代に近いスタイルとなっています。
しかし、このカマが残るとは全く予想しませんでしたね。
昭和57年5月頃 府中本町駅にて EF60504
マミヤM645試運転の帰り道、乗り継ぎの合間にED16を撮影していたら、偶然にもかつてのブルトレ機、500番代がやって来ました。
過去ログはこちら → 『EF60500番代:貨物列車を牽引するかつてのブルトレ機』
昭和58年 大宮操車場場内にて 番号不明
大宮操車場には、広大な着発線以外にも、通過列車のための本線が途中高架で設けられていました。専用貨物や特急(直行)貨物は、大宮操車場には停車せずにここを通過していきました。
24時間の勤務が明ける頃、入れ替えが終わったハンプのDEは手を組んで大宮機関区に戻ります。一旦停止していると、通過線をEF60の牽く石油専用列車がゆっくりと通過して行きました。
昭和60年4月14日 南越谷駅にて EF6026
私としては珍しく武蔵野線内で撮った貨物。なんともさびしい編成ですね。越谷タ行きでしょうかね。
昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて EF6019
こちらも偶然撮影していた19号機ですが、この間にシールドビーム化されていました。
過去ログはこちら → 『貨物機の牽く客車列車(EF6019:新旧3態)』
EF15の完全撤退により、東海道でしか見ることの出来なかったEF60が地元にやってきたときはかなり違和感がありました。しばらくは続くかと思われた支配図でしたが、ほんの数年で59・2の貨物大合理化を迎えてしまい、牙城はあまりにもあっけなく崩壊してしまいました。
最近は「EL&SL奥利根」の運転もなくなってしまい、動態保存の19号機もあまり活躍の場がなくなってしまいました。客車自体が無くなってしまいましたので、今後の動向が心配ですね。
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このところ電車ネタばかり続いてしまいましたので、今日は電機シリーズでEF60をご紹介いたします。
なんとですが、2年以上も前、『EF60総集編 その1 東海道・山陽本線』というを記事を載せて以来、すっかり忘れていました。そんなもんで、今回は完結編として東日本での晩年の活躍の姿を集めてみました。
昭和56年10月頃 西川口~蕨間にて EF6015
動態保存の19号機以外では、現役最後となった15号機です。
過去ログはこちら → 『EF60 15号機 さよなら記念機』
昭和56年10月頃 蕨~西川口間にて EF6032
EF15の後ガマとしてやってきたEF60は、田端~蕨~川口や田端~大宮操の駅別区間列車に頻繁に使用されていました。
昭和57年3月頃 西川口~蕨間にて EF6028 貨物 西川口~蕨
こちらにも大宮工場の配給車代用の貨車が連結されているので、多分大宮操行きと思われます。
昭和57年5月頃 蕨~西川口間にて EF6019 ビーム改造前
今も動態保存として生き残っている19号機で、改造前のオリジナルスタイルの時代になります。今は1つ目に戻しましたので、この時代に近いスタイルとなっています。
しかし、このカマが残るとは全く予想しませんでしたね。
昭和57年5月頃 府中本町駅にて EF60504
マミヤM645試運転の帰り道、乗り継ぎの合間にED16を撮影していたら、偶然にもかつてのブルトレ機、500番代がやって来ました。
過去ログはこちら → 『EF60500番代:貨物列車を牽引するかつてのブルトレ機』
昭和58年 大宮操車場場内にて 番号不明
大宮操車場には、広大な着発線以外にも、通過列車のための本線が途中高架で設けられていました。専用貨物や特急(直行)貨物は、大宮操車場には停車せずにここを通過していきました。
24時間の勤務が明ける頃、入れ替えが終わったハンプのDEは手を組んで大宮機関区に戻ります。一旦停止していると、通過線をEF60の牽く石油専用列車がゆっくりと通過して行きました。
昭和60年4月14日 南越谷駅にて EF6026
私としては珍しく武蔵野線内で撮った貨物。なんともさびしい編成ですね。越谷タ行きでしょうかね。
昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて EF6019
こちらも偶然撮影していた19号機ですが、この間にシールドビーム化されていました。
過去ログはこちら → 『貨物機の牽く客車列車(EF6019:新旧3態)』
EF15の完全撤退により、東海道でしか見ることの出来なかったEF60が地元にやってきたときはかなり違和感がありました。しばらくは続くかと思われた支配図でしたが、ほんの数年で59・2の貨物大合理化を迎えてしまい、牙城はあまりにもあっけなく崩壊してしまいました。
最近は「EL&SL奥利根」の運転もなくなってしまい、動態保存の19号機もあまり活躍の場がなくなってしまいました。客車自体が無くなってしまいましたので、今後の動向が心配ですね。
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このカマはEF15やEF641000そしてEF65P.F.PFと比較するとあまり見る機会が少なかったです。
私が大宮に住んでた頃にこのカマを見た記憶は高崎線の工場裏踏切付近において走ってた位しか憶えがないですし、東海道東京口にしてもこのカマは後継タイプのEF65標準機と混じって走ってたので、あの当時はよく注意して見ていなかったからとんと憶えがありません。
それにしても比較的初期の19号機がどっこいと、こんにちまで生き残っているのは大したものですが、それにしてもEF65よりも早くリタイヤしてしまうとは思いもよらなかったです。
[因みに、瀬野八補機のEF67の0番台はEF60からの改造なので、その長寿を祈るのみです]
それでは、この辺にて失礼いたします。
特に84番以降の4次型はナンバー確認するかモニター見るかしないと遠目では絶対に65の初期型と判別できませんでしたから。
EF60は16番では製品化は早かったようですが500番代のブルトレ塗装があったからでしょうね。
これが無かったら製品化はもっと後回しされたかもしれません。
以前もコメントしたかもしれませんが2次型トップナンバーの15号機、結構後まで残ってたんですね。
EF60というと東海道・山陽のイメージですが4次型が新製直後のぶどう色の頃高二あたりにいて、高崎線の旧客牽引をしていた写真を見たことがあります。
EF15の後カマという事で転属してきましたが、撮れなかったEF60が少しは撮れたので、自分なりには良かったでした。
500番台の一般色は、ちょっとなぁ~って思いもしましたが。
3ポッチなり。
東北線にも運用があったのですかね。
EF65基本番代と限りなく似ているので、EF60を特定するにはやはりこの1つ目であることが前提だったように思います。ただ、今から考えてみると、高崎区や立川区辺りで500番代以外の2つ目を見たこと無いような気がしますね。もしかしたら配置が無かったのかもしれませんね。
EF60が客車を、というのは興味深いですね。ほんらいなら暖房装置を持っていませんから、運用に入る可能性は無い筈ですが、その昔は上越線でもEF15に暖房車連結して走っていた記録があるようですから、暖房車が現役の間はそのような措置をしていたのかも知りませんね。
そう言えば、東海道にEF60有りきのイメージでしたが、品川では全然見た記憶が無いですね。EH10と同じで、やはりテリトリーが違ったのでしょうか?
いつの間にかEF15がなくなってしまいましたが、1つ目のEF60はそれまで撮る機会もなかったので、ここぞとばかり撮っていたように思います。
東北線ですかぁ。この時代はヒガハスやワシクリにも良く行っていましたが、貨物列車が初代PFと新PFしか見たことが無いように記憶しています。おそらくですが、配置区の関係から、東北では宇都宮運転所に初期PFが集中配置されていましたし、新鶴もEF60の配置が無かったのかもしれませんね。
これはよく沢山撮っていらっしゃいましたね!
自分自身は何かのついでに新前橋近辺で撮った写真が数枚あるだけでした。
高二のEF60はしっかりスノープロウがついていて、東海道で走っていたときよりカッコよかった印象があります。
500番台は八王子にいてスノープロウはついていなかった記憶があります。
もうすぐプラで16番の一般色が出ますから、非常にタイムリーな企画でした。
ありがとうございます。