いやぁ~、失敗しましたよ。
昨日アップしたトラコレ改造作品がナント800アップ目だったんです。鉄ネタじゃないヤツになってしまった。ショックぅ~!
ということですので、記念すべき801アップ目として、今まで大事に温めておいた20系「あけぼの」の総集編をド~ンと一気にアップしちゃいます。
昭和53年3月20日 上野駅にて カニ21(再掲)
昭和55年8月13日 上野駅にて カニ21
まずはカニ21です。20系の中でもっともポピュラーな電源車。
上野方に連結されているので、この顔を撮るためには夜の上野駅に行かないとなりませんでした。中学2年生になって、やっと夜の出歩きができるようになりました。
下の写真はお盆の入りですね。ホームは夜行急行の自由席に乗るための帰省客でごった返しています。こんな状況は、東北新幹線の開業する昭和57年まで続いていました。
昭和51年頃 東大宮操車場構内にて 洗浄線入れ替え中のカニ22(再掲)
再掲の写真ですが、フィルムスキャンからやり直して見ました。色が良く落ち着きました。それにしてもカニ22と高二区EF58の組み合わせ。違和感ありありです。
昭和52年頃 東北本線 蕨~西川口間にて カニ22をサイドから
「あけぼの」には、標準型のカニ21以外にも、オリジナルのマニ20やこのカニ22が共通運用で組まれていました。私のバヤイ、20系の流美なスタイルよりも、この無骨なスタイルのカニ22が大好きでした。
特にサイドから見た場合、屋根が低くなっている分、車体が長くスマートに見えます。
私的には、20系の中でも一番秀逸なデザインだと思っています。
昭和52年頃 上野駅にて ナハネフ22 「あけぼの」の並び
昭和50年代の上野駅では、上信越・高崎線が上のホーム、東北線は地平ホームの仕切りがありましたが、いくつかの例外もありました。下りの「あけぼの」は地平ホーム発ですが、上りは高架ホーム着で、時間が近いため隣同士で並ぶシーンが毎日展開されていました。
おそらく、早朝の地平ホームは、常磐線の夜行列車が多数到着しているため、本数の多い東北スジの夜行を飲みきれなかったんでしょうね。その割には「越前」が地平ホームに到着していたりしましたが・・・。
昭和52年3月頃 上野駅にて ナハネフ22とナハネフ23の並び
この頃になると、20系の特急列車からの撤退、急行への格下げ、状態の悪い車両の廃車など、動きが顕著になってきました。それが影響してか、本来は中間に封じ込められて、首都圏では末端に顔を出すことがなかったナハネフ23が付属編成にも登場するようになりました。
この頃日常的に見ることが出来たのは青森区のナハネフ21くらいのもので、「ゆうづる」や「日本海」にしか見ることが無かったように思います。
昭和52年3月頃 上野駅にて ナハネフ23(再掲)
上の写真のナハネフ23をチューボーカットで撮影したもの。
ナハネフ21「日本海」に逢って以来、この顔の虜になってしまったつばさ。嬉しくってこんなドアップで撮ってしまいました。
しかも、このピンク色に染まったテールマークに極限の魅力を感じました。
昭和55年頃 大宮駅にて ナハネフ23(再掲)
久し振りに撮ったナハネフ23「あけぼの」でしたが、異常なほど真っ赤なテールマークに違和感を感じました。もっとほんのりした色だったような・・・。
朝6時くらいで真っ暗なところを見ると、冬場に撮った写真のようですね。
昭和55年3月 青森駅にて ナハネフ23
こちらは初めての北海道撮影行で乗り継ぎの際に撮影したもの。青森着の「あけぼの」は、途中秋田駅で付属編成を落としてきますので、必然的にナハネフ23が顔を出すことになります。逆にナハネフ22は撮影できないと言うことですね。
写真のテールマークはひらがなが白地、ローマ字が赤地でガチャ目になっています。ひらがなの方は書体がおかしいので、盗難にでもあって手作りで作ったものでしょうか?だとしたら悲しいことですね。
こうして見ると、一番撮影できた筈のナハネフ22が殆どありませんでした。「いつでも撮れる」ヤツはいつもこうなっちゃうんですね。
「あけぼの」の20系は昭和55年10月まででしたので、最後まで残った特急運用ではありましたが、私的にはそれでも高校1年生だったことになりますから、有名撮影地などで走行写真を撮ったりするのは厳しい状況でした。
結果的に駅撮り写真ばかりとなってしまいましたが、大好きな20系客車を間近で見ることが出来て、記録に残すことが出来ただけでも満足に思います。
過去ログで、EF651000番代牽引「あけぼの」 http://diary.jp.aol.com/marutetsu/756.html をアップしています。また、同記事に板谷峠の「あけぼの」もリンクが貼ってありますので、よろしければご覧下さい。
久々20系、感動したよ!と思った方はランキングもお願いいたします。
↓
鉄道ブログ
昨日アップしたトラコレ改造作品がナント800アップ目だったんです。鉄ネタじゃないヤツになってしまった。ショックぅ~!
ということですので、記念すべき801アップ目として、今まで大事に温めておいた20系「あけぼの」の総集編をド~ンと一気にアップしちゃいます。
昭和53年3月20日 上野駅にて カニ21(再掲)
昭和55年8月13日 上野駅にて カニ21
まずはカニ21です。20系の中でもっともポピュラーな電源車。
上野方に連結されているので、この顔を撮るためには夜の上野駅に行かないとなりませんでした。中学2年生になって、やっと夜の出歩きができるようになりました。
下の写真はお盆の入りですね。ホームは夜行急行の自由席に乗るための帰省客でごった返しています。こんな状況は、東北新幹線の開業する昭和57年まで続いていました。
昭和51年頃 東大宮操車場構内にて 洗浄線入れ替え中のカニ22(再掲)
再掲の写真ですが、フィルムスキャンからやり直して見ました。色が良く落ち着きました。それにしてもカニ22と高二区EF58の組み合わせ。違和感ありありです。
昭和52年頃 東北本線 蕨~西川口間にて カニ22をサイドから
「あけぼの」には、標準型のカニ21以外にも、オリジナルのマニ20やこのカニ22が共通運用で組まれていました。私のバヤイ、20系の流美なスタイルよりも、この無骨なスタイルのカニ22が大好きでした。
特にサイドから見た場合、屋根が低くなっている分、車体が長くスマートに見えます。
私的には、20系の中でも一番秀逸なデザインだと思っています。
昭和52年頃 上野駅にて ナハネフ22 「あけぼの」の並び
昭和50年代の上野駅では、上信越・高崎線が上のホーム、東北線は地平ホームの仕切りがありましたが、いくつかの例外もありました。下りの「あけぼの」は地平ホーム発ですが、上りは高架ホーム着で、時間が近いため隣同士で並ぶシーンが毎日展開されていました。
おそらく、早朝の地平ホームは、常磐線の夜行列車が多数到着しているため、本数の多い東北スジの夜行を飲みきれなかったんでしょうね。その割には「越前」が地平ホームに到着していたりしましたが・・・。
昭和52年3月頃 上野駅にて ナハネフ22とナハネフ23の並び
この頃になると、20系の特急列車からの撤退、急行への格下げ、状態の悪い車両の廃車など、動きが顕著になってきました。それが影響してか、本来は中間に封じ込められて、首都圏では末端に顔を出すことがなかったナハネフ23が付属編成にも登場するようになりました。
この頃日常的に見ることが出来たのは青森区のナハネフ21くらいのもので、「ゆうづる」や「日本海」にしか見ることが無かったように思います。
昭和52年3月頃 上野駅にて ナハネフ23(再掲)
上の写真のナハネフ23をチューボーカットで撮影したもの。
ナハネフ21「日本海」に逢って以来、この顔の虜になってしまったつばさ。嬉しくってこんなドアップで撮ってしまいました。
しかも、このピンク色に染まったテールマークに極限の魅力を感じました。
昭和55年頃 大宮駅にて ナハネフ23(再掲)
久し振りに撮ったナハネフ23「あけぼの」でしたが、異常なほど真っ赤なテールマークに違和感を感じました。もっとほんのりした色だったような・・・。
朝6時くらいで真っ暗なところを見ると、冬場に撮った写真のようですね。
昭和55年3月 青森駅にて ナハネフ23
こちらは初めての北海道撮影行で乗り継ぎの際に撮影したもの。青森着の「あけぼの」は、途中秋田駅で付属編成を落としてきますので、必然的にナハネフ23が顔を出すことになります。逆にナハネフ22は撮影できないと言うことですね。
写真のテールマークはひらがなが白地、ローマ字が赤地でガチャ目になっています。ひらがなの方は書体がおかしいので、盗難にでもあって手作りで作ったものでしょうか?だとしたら悲しいことですね。
こうして見ると、一番撮影できた筈のナハネフ22が殆どありませんでした。「いつでも撮れる」ヤツはいつもこうなっちゃうんですね。
「あけぼの」の20系は昭和55年10月まででしたので、最後まで残った特急運用ではありましたが、私的にはそれでも高校1年生だったことになりますから、有名撮影地などで走行写真を撮ったりするのは厳しい状況でした。
結果的に駅撮り写真ばかりとなってしまいましたが、大好きな20系客車を間近で見ることが出来て、記録に残すことが出来ただけでも満足に思います。
過去ログで、EF651000番代牽引「あけぼの」 http://diary.jp.aol.com/marutetsu/756.html をアップしています。また、同記事に板谷峠の「あけぼの」もリンクが貼ってありますので、よろしければご覧下さい。
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なんかこのスタイルが好きなんですよね。客車としてはカニやナハネフ22の方が異色のスタイルなので、23の方が本来の客車と同じ安定感があるのかもしれません。
私は食パン顔のナハネフ23の正面顔を見ると、関西の近鉄電車のアーバンライナーの8連車にいる先頭車並みの運転台機器を備えた中間車=万一のさいにも使用できるように考慮してますが、常時中間にて使用なので先頭では仲々お目にかゝれません=を思い出してしまいます。
それでは、こゝら辺にて失礼いたします。
ラージャー、ブラジャー!
そんなに入れてしまったんですか?後でなくなるときが怖い。
昔は1枚撮ってしまうと後は撮らないでも大丈夫なんて、フィルム代から来るケチさが出て、結果的に残っていないものが結構ありました。
カニ22のテールマークを狙って夜の上野駅にも何度か足を運びましたが、結果的にGETすることができませんでした。
ディーゼルエンジンの煤煙もあの頃は嫌な存在でしたが、今となってはあの匂いも懐かしいですね。
上野での20系は50・3改正からがピークでしたね。「ゆうづる」と「あけぼの」が2本づつに、「北星」「北陸」が居ました。さらに「ゆうづる」が置換えになると、「天の川」「新星」も加わりました。
しかし、今となっては遠い過去の思い出になってしまいましたね。
朝ぽちありがとうございます。今頃何処にいらっしゃるんでしょうかね。
カニ22の発想は20年位早すぎたのでしょうね。九州全線が電化されていれば、MGのみの対応が出来たわけですから、交直両用の設備を持った電源車で対応できた筈ですし、東北や日本海縦貫の転用のも耐えられた訳ですから。カマと4基のパンタを上げて走行するシーンを生で見てみたかったです。
KATOのカニ22は予約して買いましたよ。セット発売だったので、単品パーツも確保しました。パンタ無しを再現しようと思って。でも、まだ手をつけていません。
東大宮操の入換は、どのカマを使うのか決まっていたのでしょかね。EF57が20系を入換えているシーンも雑誌で見たことあるような気がします。
上野駅地平ホームで、電源車のカニのエンジン音。窓から中を眺めたりなんてしてました。
カニ22は特に好きだった車両です。
それにしてもこの丸~いデザイン、秀逸ですね。
部下のPCからもで、本日はクールファイブ(5)ポチしましたよ~ん。
土日恒例朝ポチ一発注入!
確かにこのスタイル面白いと思います。カトーでEF60500が発売されたときPS16が付いた原型の姿で発売されたと思います。
高二のゴハチが何故に・・・。単なる入れ替え中だったんでしょうか?それに編成を切り落とす訳じゃないのにナハネフ23とか21とかが最後尾にくっ付くと面白いですね。切り妻の最後尾もいいかも。